御 教 え 集 第二十七号

昭和二十八年十月御教え

十月五日 

昨夜自然農法の報告を見ましたが、素晴しい成績で、ちょっと良い所は十五俵ぐらいとれてます。ですから五割増産というのは嘘になってしまったわけです。三倍増産です。尤も私は三年前に十割以上は増産になるという事を書きました。本当は最初からそう書きたいが、そうするとかえって信じないと思ったのです。五割でもなかなか信じないのですから、倍とか三倍と言うと、かえって逆効果になって、馬鹿々々しくて信ずる気になりませんから、それで遠慮して五割としたのです。ところが今度は、中京の渡辺さんが方々を調査した結果、去年十八俵とった伊野という人も、そのくらいはとれそうだという事を言ってます。そういうようなわけで、あっちの講演会などには人が沢山来るようですし、会員もドンドンできるようです。ですから三倍増産は確実です。ごく内輪(ウチワ)にみて二倍としても、今の六千万石の二倍とすると一億二千万石ですから、余ってしようがない事になります。これを一度に世の中に知らせるため何かの方法をしようと思ってます。なにしろ今年の不作は、新聞やラジオで言っているとおり、実に馬鹿々々しいくらいのものです。ところが飽くまで迷信に固まっているのです。この間のニュース映画にもありましたが、虫害のためだと言って消毒薬、殺虫剤を盛んに撒(マ)いて、殺虫剤が足りないと言って、それを得ようとして大変な騒ぎです。そうすればするほど逆効果になって悪いのですが、それに熱中してやっているのですから、この間書いたとおり“超愚”です。この超愚到る所にありで、これを何んとかして早く知らせなければしようがないのです。今までのやり方、現在のは酷過ぎるし、又こっちでやる自然農法はあまりに良過ぎるのですから、両方の違いさというものは天と地ほどの違いです。全く天国と地獄です。というのは、つまり物凄い迷信です。医学迷信の方は直接それほどはっきりはしないわけですが、今の米の方は実にはっきりしているのですから、非常にやりよいわけです。この方は手取早く分らせられるわけです。二、三年たったら素晴しい事になると思ってます。ところで信者の人の中にも未だ肥料迷信から抜けられない人が大分あります。それで無肥料だ無肥料だと言いながら、外の物を使いたがったり、それから又堆肥に頼るのが非常に多いのです。ですから今書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。ただ新しい土などの固まり易い土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生(ナマ)の堆肥を沢山やると、雨が降った時には根元に湿気を含んで乾かないために、それが有利なわけです。ですから果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によく出来ます。堆肥というのはそれだけの意味です。古い土などは、そのままで堆肥も何もやらない方がよいです。それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁を土とねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、外には何もありません。そういうようなわけで、堆肥迷信も分らせなければいけないわけです。近頃は大分それが分って来たようで、土に重きをおくようになりつつあります。それからもう一つは、今年の成績でよく分ったのですが、深く耕すという事が非常によいのです。それは今まで長い間沢山やった肥料が、丁度稲の根が行くぐらいの所に固まっているのです。というのは今までは肥料をやるほど良いと思っていたから、なるべく根を肥料に近くするというやり方だったのです。それで今度は肥料からの悪影響を受けないために深く耕すのです。そうすると肥料の固まりの所が散らばりますから、つまり肥毒が薄くなるわけです。そのために非常に成績がよいのです。そういう工合に深く耕した所は、最初の年から三割くらい増産になってます。初年度からそういうふうですから附近の普通の農民には直ぐ分るので、オレもワレもと、ドンドン増えるのです。だから堆肥はなるべくやらない事ですが、絶対にやらなければなお結構です。ですから深く耕すという事だけで初年度から増産になります。それから土を穢さないようにという事は、大体肥料というものは、地霊――土からは始終霊気が発散してますが、地球の真中は火の固まりで、それが始終上昇しているのです。そこで地霊には非常に熱があるのです。熱と言っても体的の熱ではなく霊的の熱です。やはり浄霊と同じようなものですが、その熱が非常に強いのです。それで肥毒がないとその熱が始終通るから、それが肥料になるのです。それが地から上昇して空中にだんだん溜まって行くのですが、それが雨によって又土にしみ込むという事になり、それが窒素肥料です。だから土から肥料となる霊気が絶えず上昇しているという事を知っていればよいわけです。そこで土を穢したりすると、それを妨げるわけですから、これもやっぱり“超愚”の方です。

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それから今度「救世教奇蹟集」という本を出すべく新聞広告をしようと思ってますが、その広告文は外の人ではどうも書けないから私が作りました。大きさは、普通の新聞は全部で十五段になってますが、その三分の一の五段二つ割にしようと思います。普通は四つ割りにしますが、それではどうも貧弱ですから、二つ割りが大々的で一番よいです。

〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

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今年の台風はなかなか猛威をふるって大損害を与えましたが、これについては前にも書いたから分ってはいるでしょうが、又見方を違えて書いてみました。早く台風を無くする一つの警告というわけです。

御論文〔⇒台風禍〕【註  栄光二三○号】

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医学と浄霊の原理をはっきり分らせるには有限力と無限力という事を説くと一番よく分ると思います。というのは、病気の原因というものは無限的なのであって、有限的の性質のものではないのです。ところが医学の方の顕微鏡で見た黴菌というものは――つまり細かい粒子です。そうしてだんだん細かいものが見えるようになって――今日ではヴィールスとなってます。ところがヴィールスよりもまだまだ細かいものが発見されます。それは、科学の方で中間子とか素粒子と言うのは、やはり粒子です。そういうようで、結局科学の進歩というのは、細かいものが見えるというだけのものです。ところがどんな細かいもの、例えば一ミリの中に一千万個、一億万個と数えますが、数えるとそれで限度があります。無限ではありません。ところが一ミリの間に一億万個から十億万個となると、どのくらい小さくなるか分らないが、それでも十億という数があるのだから有限です。ところが実は病気は有限なものではないのです。肺病なら肺病でも、これだけの黴菌は何億万個という事が分ったとして、それを殺菌しますが、それで治るかというと治りません。何故治らないかと言うと、その出来た黴菌だけ殺しても、後から後から出て来るからです。伝染発生にしても自然発生にしても、黴菌が何億万個という事が数えられたとしても、それだけでお終いなら、みんな殺してしまえばよいですが、大体出来るという事は、何処かから発生したもので漠然と出来るものではないから、そうすると発生原というものは科学でも分らないのです。それは何かと言うと無限的だからです。ですから無限の病原を除(ト)り去るとしたら、やはり無限の力でなければ駄目なのです。そこで浄霊とは無限力になるのです。だから原子爆弾は決して恐れるほどのものではないのです。というのは有限力だからです。あれ一つで地球全部が破壊できるものではありません。何キロ何十キロと限度があるものです。又水素爆弾が出来たとしても、日本全体を焼き切る事はできないし、東洋全体を焼き切る事はできません。例え東洋全体を焼き切る事ができたとしても、世界全部を焼き切る事はできません。というのは有限力だからで、有限力というのは要するに力が弱いわけです。ところがこの方は無限力で、無限力というのは絶対力です。今アメリカのロスアンジェルスで随分奇蹟があったりお陰があってますが、そうすると私の霊力がロスアンジェルスにも行っているのです。それは無限力だからで、無限力は地球全体に行きます。そのくらい力が違うわけです。有限力では絶対の力がないから、或る限度しか解決できないのです。病気を治すと言っても治り切りには治らないわけです。逆進歩してうまくやったとしても一時的です。ですからこれは時の限度があるわけです。浄霊の方は時の限度もなければ、力の限度もないのだから、そこで病気をすっかり無くしてしまう事ができるのです。これは科学的の説明です。そういうわけで、科学というものは有限力の範囲内が科学です。それで無限力に入れば科学ではないわけで、宗教の方に入るわけです。しかしその無限力の中にも、絶対無限と、ある限度があるものとがあるのです。というのは今までの宗教で病気が治る場合もありますし、奇蹟もありますが、しかしそれは救世教の奇蹟ほど素晴しいものではありません。それは救世教の奇蹟というものは三日の修業でキリストができるのですから、さっき読んだとおり、最早や数十万のキリストができているというわけです。キリストと同じ事ができるのだから少しも間違ってはいないわけです。結局において、有限力と無限力の力比べです。その点が分れば、今の科学信者にも分ると思います。科学的に説けばそうなります。ですから科学というものが如何に進歩しても限度があるのです。神様の方は無限だという、その点が逆です。それで無限力の中にも上中下があります。それでは今までの宗教で病気が減りそうなものだという理窟になりますが、それは実は徹底するほどの無限力でなく、或る程度の有限力なのです。或る程度の有限力というのは、今まではみんな月の光です。月の光というのは太陽の光の取次(トリツギ)です。それは科学でも分ってますが、月の光というのは太陽から受け継いだ光なのです。そこで太陽の光を弱めたようなものです。救世教の光というのは太陽直接の光です。そこで此処は「日光殿」という名を付けたわけです。太陽の光だから昼間の世界というわけで、月の方はその六十分の一ですから弱いわけです。だから有限力の方に負けるわけです。即ち今までの宗教は科学に押し倒されたわけです。そこで今までの宗教家も、科学には敵(カナ)わないと言ってカブトをぬいだというわけで、それがどの宗教でも病院を造っているという事です。それから社会事業などをやっているのは、つまり力が弱いから、科学に負けたわけです。そこで今までは総て有限力でいろいろな事を解決しようとしていたから、そこで肥料もそういうわけです。さっき言ったとおり、地から放射する地霊というのは無限力であって、肥料というのは有限力です。それで有限力で押えると一時ちょっと良いので、それに迷わされていろんな迷信ができてしまったのです。その無限力を大いに発揮するという事によって、大いに増産になるというわけですから、その点さえ分れば、別に難かしい事はありません。むしろ有限力で効果を上げれば、それこそ不可解な事です。ですから医療で病気が治れば大奇蹟です。おそらく奇蹟以上の奇蹟です。二、三日前に或る医学博士に遇った時にその話をしたのです。“医療で病気が治れば、これは大問題だ”と言ったら変な顔をしてました。そういうようで、救世教で病気が治るという事は実に簡単明瞭な理窟ですから、何んでもなく分るのです。若し医学の方で病気が治るとしたら、難かしくて説く事はできません。つまり一般人が分らないという事は、酒を飲んで顔を赤くして“どうだ、このとおり顔色がよいだろう”と言って威張っているようなものです。とに角あべこべなのですから、その頭をちょっと引繰返せばよく分るのです。それで今の有限力と無限力で説いてゆくと、その頭を引繰返すのに一番効果があります。おまけに今の智識人というのは、近頃はみんな頭が大分進んで来ましたから――と言っても上面が進んで来たのですが――ですから余程科学的に説明しないと納得しないのです。その場合に今の有限力、無限力でやってゆくと一番分ります。それからこの間の学会での物性論なども馬鹿々々しいくらい幼稚なものです。科学者はみんな大したもののように鼻高々とやってますが、子供がオモチャをいじっているとしか思えません。結局あれがだんだん進んで行けば、今の無限境に入って行くに決まっているのです。そこまでで科学はお終いなのです。つまり科学は必要がなくなるのです。ですから粒子が幾らかでも分る間は科学が必要だが、その先に行けば必要がないのです。それは無限境に入って行くのだから、科学はお終いになるのです。ですから科学者というのは技師などになったらよいでしょう。そういった学問というのは必要がなくなって来るのです。それがやっぱり限度というものです。そういうようなわけですから、もう長い事はありません。割合に早いです。というのは私がその理窟を知ってしまいましたから、これをだんだん多くの人に知らせて行くから、そうすれば当然無限力が勝つに決まってますし、それが真理なのです。それをお釈迦さんは知っていたのです。奥までは知らないが、或る程度は知っていたのです。そこで一切“無”或いは“空”と言ったのです。それは間違ってはいません。無限力というのは空です。物質的には分らないのです。ところがもう一層徹底して、今言ったような説き方をすれば、それはずっと分っていたのですが、時期がそこまで行ってないから、その時にそこまで言ったところで、その時代の人間には分りようがありません。今日科学が進歩したために分り易くなったわけですから、その点においては科学の進歩も大いに役に立っているわけです。つまりその理を分らせる手前にまで文化を押し進めて来たという点においては、科学の功績も大したもので、高く評価してもよいわけです。

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十月六日

自然農法について今度大発見をしました。尤も私は自然農法の原理だけを教えたので、技術面の方はみんなの方で工夫するという事になったのですが、今度発見したのは技術面の方です。つまり無肥料を技術の工夫によって、より生かしたものです。生かしたという事は早めたわけです。今まで最初の年は非常に成績が悪かったのです。それを我慢して二年三年とたつに従って肥毒が抜けるに準じて作柄も良くなるというわけだったのですが、今度は初年度から無肥料の成績がはっきりと現われるというやり方が分ったのです。というのは今までの長い間肥毒が下に溜まって、田の底がまるで壁みたいになっていたのです。よく考えてみると、それもその筈です。石灰窒素をよくやりますが、石灰窒素というのは鉱石で、言わばセメントみたいなものですから、今まではセメントを田の底にやっていたのだからして、田の土がまるでコンクリートみたいになっていたのです。それですから初年度はどうも工合が悪いのです。それで今度は深く耕す――天地返しというのをやるのです。そうするとその壁を破ってしまいますから、そこで稲の根の方の肥毒が余程緩和されるわけです。混じってしまうから僅かになるのです。そこで成績が良いのです。それで今度、初年度から五割増産の所があったのです。来年から増産になるわけですから素晴しいものです。この深耕の深さは一尺から一尺二寸くらいのところがごく良いそうです。それから株間は一尺から一尺一寸くらいが良いそうです。今までの株間が狭いのは成績が悪いそうです。というのは無肥料ですと非常に分蘖が多いのです。それから今まででもそうですが、日当りが悪いと根の方まで日が当らない事になるし、従って田の水も日が当らない事になるのです。ですからあんまり繁ってしまうと、稲同志で日が当らないようにし、水にも日が当らないようにしてしまうのです。そこで株間が広いと、第一水が温まる事と、蔭が無くなりますから、そこで非常に育ちがよいわけです。そこで分蘖も多いし幹も太るという事になるからして、肥毒も無くなるわけです。そういうわけですから実りもよいし粒数が非常に多いのです。ですからそういう稲の茎などは随分太いそうです。まるで葦の茎みたいだそうです。そうなれば台風なども受け付けません。これがとに角無肥料栽培の一大改良です。そこで去年十八俵とった伊野という人は、無論今年も十八俵かそれ以上になるでしょうが、結局は反二十五俵まではとってみせると豪語しているそうですから、大変な事です。それに反して一般の今年の稲というのは、算盤をとってみるとますます減っていってます。今分っただけで政府の発表が五千八百五十万石ですから、去年からみると七百五十万石減っているわけです。この差額はますます甚だしく現在は全国的に減りつつあります。とに角政府でいろんな政策をとったり、又耕地も増してますが、それにもかかわらず、どっちかと言うと減る傾向にあります。そうして人口の方は増えてゆきますから、このままで行ったら、どうしても日本は大悲観です。前途暗憺(ゼントアンタン)たるものです。これを一刻も早く救わなければならないので、焦眉(シヨウビ)の急です。要するに日本の食糧危機と言ってもよいです。それで一面、今人造米とかをやっても、あんな不味い物は食い手がないでしょう。それで結局政府も工夫して、麦をやってパンを食べるようにしてますが、豊葦原瑞穂の国という言葉は消さなければなりません。そこでこれをどうしても全国的に一度に分らせなければならないと思うので、今度大新聞の一頁広告を出そうと思ってます。自然栽培の理論と、今度の報告ですが、渡辺さんの報告と事務所の三浦さんの報告は非常によいですから、この二つを実例として出します。それでいろんな原理の解説を書いて、それらを一纒めにして出します。なにしろグズグズしては居られません。全国民に原子爆弾をぶっつけ、そうして愕然(ガクゼン)とさせるというような手を打たなければ早く知らせるわけにはゆきません。これは信仰に入れというのではなく、これこそ読んだ人が誰でも実験できるのだから、分りさえすれば大変なものです。ですからこれはどうしてもこのくらいの事をしなければ追い付かないと思います。今書いてますが、なるべく誰にも分り、なるほどと思うように念を入れて書くつもりです。そうして一挙に日本人全部に分らせようと思ってます。題は“全国民諸君よ”という肩書で“日本は救われた”という大きな見出しにするつもりです。それで今まで、初年度は減る例があるという事がちょっと面白くないために、取掛(トリカカ)らせるに困難だったが今度は初年度から素晴しい成績を上げれるとしたら、本当にそれを見たら、これは誰もがやらないわけにはゆきませんから、そこで神様はそういうふうな手を打たれたに違いありません。そこで今年の非常な不作という事は、要するに一大チャンスが来たわけです。この機を逃(ノガ)さず大々的にこれを分らせようというわけです。普及会の方でも、これから講演会やいろいろな事を大いにやるでしょうが、そういう方針でやるつもりです。

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それから救世教奇蹟集が出来上ったので発行しようと思ってますが、新聞に広告を出すつもりです。なにしろ初めて出来た本ですから、広告文も、大体が理解できるとともに、どうしても読みたいという購読慾が出るような書き方でなければ面白くないから、そういうように書いたつもりですが、その広告文を今度初めて書いてみました。

〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

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それからもう一つ、自然栽培が非常に良く出来るという事は、霊的の訳があるのです。それは信者になって光明如来様を御祀りしますと、無論光が出ますが、その光がその人の田地内に漲(ミナギ)るのです。光が充満するのです。そこで光は熱ですから温かくなるのです。温かくなると言っても、普通の火のようにはっきりはしないが、何んとなく温かくなるのです。前に試験した人が、他人の田より二度温かいと言われましたが、とに角温かいのです。その光がだんだん強くなって来ました。私は何時も注意してますが、今日の此処の温度は十六度です。東京が十六度、鹿児島と福岡が十四度ですから、鹿児島より高いのです。今日の全国で一番高いのが東京と此処です。それで平均してみると此処は東京より幾らか高いでしょう。高い日の方が多いです。というのは私の光が強くなって来たので温かくなったので、それが体的にも温かさが現われるわけです。そういうわけですから、御神体から出る光も強いからして、どうしても其処の田が温かくなり、そのために良く出来るという事も大いにあります。しかしそれをあんまり言うと、どうも信者にならないと良い成績が上がらないというように思われると普及が遅れますから、それを未信者には言わない方がよいです。信者の人だけ心得て居ればよいのです。そうして信者になったらその説明をしてやればよいので、そうでなければ入り難いのです。そういうわけで、そこの囲いなら囲いの其処だけの霊界が違って来るのです。それで隣が信者でないと、そこにはっきりと境界されるのです。ですからよく信者の田は良く出来て、お隣はまるっきり違うという事があるのはそういうわけです。それからもう一言話しておきますが、私は五カ年で五割増産という事をモットーにしてましたが、これは余程遠慮して言ったので、本当は十割、十五割なので、十割以上は増産できるのです。ところがそれではあんまり良過ぎるので疑いを起こすため、疑いを起こさない程度として五カ年にして五割増産としたのです。ところが今年は十割以上は何んでもありません。さっき言ったとおり伊野さんなどは二十五俵とってみせると言っているくらいですから、十割以上は何んでもありません。それを私は前に言った事があるような気がしましたが、三年前に書いてありました。

〔昭和二十五年五月二十日付救世六十三号掲載の記事〕

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それから今年の問題としては台風ですが、今年ぐらい台風の多かった事と、その被害の大きかった事はないでしょう。それについて、大抵今までに書いてはありますが、幾らか違った事も書いてみました。

御論文〔⇒台風禍〕【註  栄光二三○号】

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霊体を説明するには掌が一番よいです。手の平はいろんな役をし手の甲はあんまり役をしません。手の平は体の方です。ですから霊というのは目で見てはあんまり動いてないのです。その代り主にはなってます。人間の体で言えば、背中は霊です。それで背中の方に病原があるという事は、背中の方が因(モト)だからです。だから本当に仕事の急所をやる人ほど動きません。下の方の事をやる人ほど動くのです。ところが霊を知らないで体だけで見るから、そこで労働者が威張り、労働者が肝腎だという事を言い出し、それが共産主義です。ですから共産主義というのは霊を認めなければ共産主義の理窟は本当です。それはうまくできてます。ところが霊を認めれば共産主義というのは屁のカッパみたいなものです。ですからよく前から共産主義について私に意見を聞く人がありますがあんなものは何んでもない、今に無くなってしまうと言ってました。それは体だけであって、主なる霊という事を無視しているために永久性がないから、共産主義というのは長く続くものではないと言っても、外れません。そういうわけで働いているのが目に見えない者ほど、かえって大きな働きをしているわけです。だから主人公や主脳者というものは動いてはいけないという事を私は前から言っているのはそういうわけです。よく、明主様は地方の方にはお出かけになりませんか、と言われますが、それには車の心棒の例えで、心棒は動いてはいけないと言うのですが、それで分る筈です。そういうようで、よく先に立ってやらなければいけない、つまり主脳者とか長という人が先に立って采配(サイハイ)を振れという事を言いますが、それは嘘なのです。昔から、戦争で大将などが先に立って采配を振ったらきっと負けます。やっぱり大将は幕の内に引込んで、姿を見せないというやり方の方が勝ちます。それはやっぱり霊主体従の法則に合っているからです。東条首相が戦争の時に南洋まで飛行機に乗って行きましたが、その時私は、これは駄目だと言ったのです。首相が官邸に居て碁でも打っているようなら勝つが、ああいうようではきっと駄目だと言ったのです。それから話は違うが、あの時代の実業界で社会に相当有名になった、浅野セメントを作った浅野総一郎という人が居ましたが、この人は朝早くから起きて、方々を駈け廻っているのです。それで一時パッとゆきましたが駄目になりました。そういう事も、私は不思議だなと思っていましたが、霊主体従の法則を知ってから、なるほどと思いました。そういうように、目に見えて働いたり動く事を良いと思う事は逆なのです。だから教団の支部などでも、支部長があんまり先に立ってやるよりか、部下とか、或いは新しい信者といった人にできるだけやらせるというようにした方がよいです。戦争が始まった頃に陣頭指揮という事を言いましたが、軍部は軍需会社の社長が陣頭指揮をやらなければ駄目だ、引込んで居ては駄目だと言ってましたが、陣頭指揮をやるようでは駄目です。尤も昔時は戦争の時には、山賊などは親分がやらないと子分が動かないからやったのですが、そうでなく平和的の事をやるには、今言った法則を守らなければいけないわけです。だからただ活動する、あせったりいろいろするという事がよいわけではなく、やはり自分の地位と境遇に準じて理窟にあったやり方でなければいけないのです。だから骨折ってうまくゆかないという事がよく世間にありますがそういう点をよく見ると分るわけです。昔からよく言いますが、あんなに働くのにどうして年中貧乏をしているのだろう、又あの人は年中ブラブラしているのに割合に懐が温かいと言うが、その事を知ればよく分ります。そうかと言って怠(ナマ)けるのと、今言う霊的働きとは、外観はちょっと同じように見えるので間違えるのでしょうが、そこに面白いところがあります。結局頭を働かせるという事です。それから体を働かせるという事も、人間生まれながらにして自ずから決まっているのです。だから頭を働かせるべく生まれた人と、体を働かせるようにできている人と、喋るために生まれて来た人もあります。あいつは口から先に生まれて来たと言いますが、やっぱりそういう人が政治家なら始終演説をするとか、宗教家なら講義をするとかで、そういう人も肝腎だから、その役目でよいのです。

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それから時間がないから短く話しておきます。講和以前にはあまり話さなかったが、日本民族の優秀性という事です。この間科学者の会議がありましたが、外国でもいろいろな発見や意見がありますが、今に日本が一番になります。今に湯川博士のような人が沢山できて来ます。これは霊的に優秀だからです。それで日本人は機械を動かすとか、そういう事は下手なのです。これも日本民族の根本を知ると分ります。それを知らないからしてやたらに西洋の真似をしたらよいと思っているのです。この間も油絵の事で、そういった方面の人と話したのですが、日本は油絵がとてもフランスに負けていると言うから“それは駄目だ、日本人は油絵がうまくなるような人種ではない。そういう事は外国人に任せておけばよい、日本人は東洋画をやればよいのだ”と言ったのです。それは国民性があるので、日本人は墨絵をやればよいのです。一筆スーッと画いて現わすというやり方ですが、あっちはそういう天分がないので一生懸命に絵具をこするのです。それで効果は同じなのです。或いは効果は日本人の方が上かも知れません。医者は機械や薬で病気を治そうとするが、こっちはこうやって浄霊で治すという事を日本人は知らないから、骨折って結果がうまくないというわけなのです。私はそういう事もだんだん分らせようと思ってますが、アメリカの目玉が光っているうちは、そういう事を言うと妙に見られますので、ウッカリ言えないが、そういう事もだんだん日本人に知らせなければならないのです。ところが今は何んでも彼んでもアメリカ崇拝です。頭はみんなやってますが、酷いのになると服装から顔から真似て、日本人放れにする方がよいと思っているのです。これも或る程度まではよいですが、行過ぎると又妙な事になります。この間のように信者で髪を縮らせるために強い薬を使って、それが因で死んだ人があります。そういったような悲喜劇があります。今銀座あたりでは、西洋人だか日本人だかわからないような、自ずから、二世のような恰好をしたがっているのがあります。こういうのも今言う西洋崇拝の被害です。というのは民族の違いを知らないからです。それは日本人は霊的に素晴しい優秀性を持っているのです。それを知らないから日本人は世界を相手にして戦争をするという太い了簡(リヨウケン)を起こしたのです。つまり何時も言うとおり、日本人は何処までも平和の国民なのです。つまり床の間に坐っているようなのが日本人です。そうしてあと座敷で働いているのは他国の人間です。だから日本人は何処までも美術、芸術を主にすれば本当に合っているからうまくゆくのです。大体服装でもそうです。和服というのは働く服装ではないのです。懐手をしてアグラをかく方です。そうして下駄をぬいで上がるという事は素晴しいものです。靴をはいて床の間に上がるという事は獣と同じです。寝室に土足のままで上がって行くのですから、犬小屋と同じ事になります。それは、よく見るといろんな面にあります。ですから日本人と外人、又東洋人でも、朝鮮人、支那人、インド人と違いますが、そういう区別もチャンとあるのです。つまり日本人は頭なのです。

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十月七日

自然農法も大分良くなって来まして、特に今年発見したと言うか、技術的の面についてです。私が原理を発見して自然農法というものができたのですが、技術面の方でだんだん良くなって来て、今年になって素晴しい方法を発見したのです。その一番の成績は初年度で五割増産した所があるのです。というのは深く耕すのです。一尺から一尺二寸ぐらいの深さにするのです。そうして天地返しというのをやるのです。そうすると成績が非常によいのです。それはどういうわけかと言うと、私は百姓ではないから、田に入らないから分らなかったのですが、今の日本の水田というものは、長年強い肥料をやるので、それがだんだん沈澱して肥料の層ができているのです。つまり肥料の壁ができているのです。それですから根が伸びる場合にそれに閊(ツカ)えてしまうのです。そうして土の養分を吸えないわけです。或いは、閊えなくても、その中に根が入っても、なにしろ土ではなくて肥料の固まりですから、稲が育たないわけです。それですから今までは初年度は減る事は滅多にないが――偶には減る事もあったが――平年作だったのです。そうして肥毒が抜けてゆくに従って年々増えてゆくというわけだったのです。ところが今言った深く耕すのは、肥毒の壁を突抜いて、土が上に出て来る事になると同時に、壁が壊れてその辺の土が平均して来るわけです。ですから肥毒の固まりのようなものは無くなって来るわけです。そこで充分稲が育つわけです。そのために初年度から大増産になるという事が分ったのです。その成績を上げた所は、今まで三俵ぐらいだったのが、今言うような方法でやって十俵とれる予定だという事ですから素晴しいものです。今までは総て内輪内輪に言っておいた方が間違いないから五割と言ったのです。前に言った“五カ年にして五割増産”という事は、ごく内輪に言ったのです。本当の事を言うとかえって信じないのです。ですからそういう事が分っていたので、前に書いてあります。

〔昭和二十五年五月二十日付救世六十三号掲載の記事〕

二十五年ですから丁度三年前に、十割増産、二十割増産という事を書いてあるのです。しかしこういう事を書いて、あんまり驚かせてもまずいから、そこで五割と内輪に言ったわけです。そこにもっていって世の中の方ときたら御覧のとおりなのだから、急いで全国的に知らせなければならないのです。実に今の農民の苦しみというのは大変なものです。それで今年ほど肥料と病虫害駆除の薬を使った年はないのですから、この費用というものは何十億か分らないでしょう。

「政府の発表は六十億ですが、事実はもっと行っていると思われます」

実際には百億もあるでしょう。ついでだから話しておきますが、政府で何かやりますが、その時には悪い方は言わないで良い方だけ発表するのです。それはつまり不断から大いに科学を宣伝しているので、科学の効果があるという事を見せないと工合が悪いため、そこで良い方だけを取上げて言うのです。ですから屁のような手術に成功したとか、薬が効いたという事を新聞にデカデカと出してますが、暫くたつと煙(ケム)みたいになります。そういう事を見ても実にけしからん事です。そういうようなわけで、一日も早く知らせなければならないのです。今度丁度報告が来て、そのうちの三つがそういった深掘りで最も成績をあげたのがありますから、その三つの例を添えて、新聞の一頁広告を出そうと思ってます。今その原稿を書いてますが、とに角世の中に早く知らせなければならないわけです。そういうようなわけで、大いに間違った事が多いのですが、それについて書いてみました。

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御論文〔⇒詐欺時代〕【註  栄光二三一号】

詐欺にもいろいろあるというのは変な事ですが、人を瞞ますのが詐欺で、一色ですが、つまり多過ぎるために詐欺という事に気がつかないのです。だから売薬などでも、効かなければ“けしからん”と言うのが当り前ですが、効かなくても“これはこういうものだ、気休めみたいなものだ”と言って済ましてますが、これはそういう事が多くなってしまったので分らなくなってしまったのです。よく昔流の封建的の主人とかに、奉公人などが何かというとどなりつけられたり頬を叩かれたりしますが、これが、こういうものだという事になっているから敢えて不思議はない事になっているのです。田舎などでは今でも、嫁などは非常に虐待されて、それこそ嫁だけは台所でメシを食うという所がよくあるそうです。けれどもそれが当り前だ、こういうものだという一つの運命的に解釈しているのです。それと同じように、お医者が言う事が違ったり――これは違う事の方が多いのです――お蔭話などを見ても、“一週間で治る”“一カ月で治る”という事を言っても、それは全然違っています。それだから浄霊の方に来るのでしょうが、しかし医学では治らないのが真理なのだから、これは誰でもそれが当り前です。ただ一時押えで治ったように見えるが、しかし暫くすると元のとおりに発病するという事は当り前です。よく冷静に見ると、実に真実のものはありません。本当に真実のものは救世教以外にないと言ってもよいくらいです。それで一番罪なのは、ここにも書いてあるとおり宗教の詐欺です。それだから世の中から宗教というものが軽蔑されたり、又少し古いのは立ち行かないような状態になっているのです。だから肥料迷信というのも、一つの迷信を迷信と気がつかないようになってしまってますから、どんな実際を見せようとなかなか信じられないのです。ですから去年十八俵とった伊野という人は、最初のうちはみんな軽蔑して、大勢で寄ってたかって、無肥料で作るというのはどうかしていると、手を打って冷やかしたそうです。そういう人達の今の顔が見たいと思いますが、近頃は全然沈黙どころか、コソコソと真似を始めているのでしょう。

「真似はして居りますが、座談会などには参りません」

そうでしょう。しかしもう少したつと頭を下げて来ます。これ等迷信は実に根強く入ってます。病気もそうです。だから詐欺にかかっているという事が、詐欺にかかりつつ詐欺と思わないで詐欺を信じているのです。だから何んと言ってよいか分らないので、やむを得ず、この間のように「超愚」という名前をつけたのです。

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それから「救世教奇蹟集」を今度発行しますが、広告文は余程うまく書かないといけないが、なかなか難かしいのです。大体救世教の言う事は今までとはあんまり違い過ぎるので、余程うまく書かないと分らないのです。分らないどころか逆効果になって、テンデ気違い扱いされる懸念があるのです。ですから私がその広告文を書きました。

〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

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それから有限力と無限力という事を書こうと思ってますが、というのは、この間中騒いでいた理論物理学ですが、これについてはこの間も話したとおり、窮極において行詰まってお終いになってしまうのです。それで他の事はとも角、医学に関した事は駄目になる事がはっきり分っているのです。というのは、総て力というものは、計算のできるもの、何馬力とか、或いは粒子とか――今は顕微鏡がだんだん進歩して一千万倍くらいまでも分るそうですが、しかしこれは顕微鏡に写るわけではなくて推定です――要するに理論的に計算してゆくので、科学は大いに進歩しているようですが、それでだんだん進歩してゆくと、結局零になってしまうのです。一千万倍から一億万倍、十億万倍に見えてゆくと、科学ではこれは理窟でも分らないのです。大体科学というものは「物」なのだから、物には限度があります。だから科学を極めて行っても、結局或る程度まで行ったらお終いになります。機械や理論では分らない所に行きます。だからそんな面倒臭い事をしなくても、私は無限力という事を言っているのです。又真理はそれなのです。それで無限力というのは限度がなく、時間空間を超越しているから、これほど大きな力はありません。浄霊の力というのは無限力です。レントゲンとかラジウムで病気を治そうというのは有限力です。何んとなれば無限力というのは、さっきも読んだとおり目に見えない手にも触れないもので、空と同じです。科学は有限力を研究する学問なのだから、無限力にまでゆけば、それはもう科学ではなくなります。だから科学がだんだん進歩してゆけば無限力に行ってしまいますから、そうするとそこでお終いです。この点が難かしいと言えば難かしいが、易(ヤサ)しいと言えば易しいわけです。科学の方では、例え原子爆弾でも地球全体を壊す事はできないので、やっぱり限度があります。大きくみて日本一国を壊すくらいの事はできるでしょうが、東洋全体は難かしいでしょう。というのはそれだけのものを空中に運ぶ事はできません。それであの爆発力にしても、これについては私は二十年くらい前に――確か信仰雑話にも書いてあると思いますが――地球から水分を抜いてしまえば地球は爆発してしまうという事を書いてあります。それで原子爆弾というのは、ごく僅かの所の空気から、ウラニウムとかいろいろな放射線を放射して水分を抜き爆発させるのです。その爆発した力が隣へ隣へと行って大爆発となるのです。その原理なのです。ですからその水分を抜く方法を発見できたので、それが原子爆弾です。そこで今の原子爆弾一発で二億弗かかるそうですから、このくらいの水分を抜くという事は、その百倍、二百倍という事になると、機械の操作ではとてもできないのです。それで浄霊の方は無限なのです。ロスアンジェルスでも大変な奇蹟がありますが、そうすると私の霊がロスアンジェルスまで行くわけですが、私の霊がロスアンジェルスまで行くのに一秒の百分の一もかかりません。間髪(カンハツ)を容(イ)れずと言うが、そのくらいのものではありません。それで早いという事は無限力だからです。この無限力というのは神様の力より外にはないのです。それが分れば、科学というものをまるっきり無くしてしまうのは勿体ないが――やるのはやってもよいが――これを大したもののように思って世界中の科学者が総がかりでやる必要はないわけです。それもいずれ書きます。そういうようなわけで、何事でも無限の目に見えない力が一番大きいのです。恋愛の結果心中しますが、これは無限力です。つまり有限力なら心中しなくても済むのです。無限力だから生命を落してまでやってしまうのです。とに角生命を自由にするのですから大変なものです。信仰というものがやはり恋愛です。信仰というのは恋愛の極致ですから、最も素晴しい無限力です。科学が幾ら何んと言っても、それは信仰の力には敵(カナ)いません。ですから共産主義者が一番恐れるのは宗教なのです。スターリンが不断言っていたそうですが、一番恐ろしいのはローマ法王だそうです。他の者はスターリンの自由になるが、ローマ法王だけは駄目だ、カトリック信者だけはスターリンの思うとおりにゆかない、敵わないのだそうです。これは向うに行って見て来た人に聞きました。ですから宗教という、形のないものほど力は強いのです。力は一番形があるものほど弱いのです。ですから馬の力の“馬力”というのはごく限度があります。何馬力の機械とか言うのは限度があるものです。それで上等のものほどだんだん細かくなるのです。そうしてその最も細かいのを通り越すと無限力になるのです。そういうようなわけで、有限力と無限力という事をいろいろな事に当て嵌(ハ)めてみるとよく分ります。

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十月十五日

明日救世会館の上棟式という事になりましたが、お天気も良さそうです。日本建築の方は建前と言うと、一種の建前気分と言いますか、そういうものがありますが、ああいったコンクリートの鉄筋の建築では何んだか建前という感じはしないようです。考えてみると、セメントと鉄材でドンドン作ってゆくのですから、別に意味はないわけです。これは日本だけだろうと思いますが、日本の昔の木造建築の習慣が残っているために、そういうような形式をやるのだろうと思います。兎に角、前にも言ったとおり箱根が霊で熱海が体ですから、この救世会館が出来るという事は、体的に一つの始りです。箱根の方は霊ですから、ちょっと目には見えないわけです。しかし熱海は体ですから、この救世会館がだんだん出来るに従って、その影響が世界的に現われるわけです。一番著しいのは救世教の発展ですが、これが体的ですから目について来るわけです。そして神様の事は総て型でゆくのですから、例えて見れば何処か拡がるとか出来るというと、やはり御神業の方もそれだけ増え、拡がってゆくわけです。つまり小さい型を拡げれば、大きいものも拡がるという事になるわけです。ですから建増しとか地所を拡げるという事は非常によいのです。支部などもそうで、拡げれば拡がっただけは必ず御神業の方も発展します。これが型です。昔の宗教が小さな所に楯籠(タテコモ)って、ごく地味にやっているああいったやり方とは全然違います。昔とても立派な堂宇(ドウウ)や伽藍(ガラン)を作るには作ったが、それはかなり成功してからの事で、最初は誠にそういった事にはあまり関心を持たなかったのです。ところが救世教の行き方はそれとは違うのです。今までは一切衆生を救うという建前でしたが、救世教の方は地上天国を造るという建設が主になってますから、やっぱりこっちの根本がそういったようになってますから、体的にも建設をしてゆかなければならないのです。そういうようなわけでこの救世会館が出来るに従って、日本は固(モト)より外国の方にもドンドン拡がってゆくわけです。

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つい二、三日前に一カ月ぶりぐらいで樋口さんからの報告が来ましたが、これはみんな早く知りたい事ですから今読ませます。

(ハワイ通信  十)【註  栄光二三二号】

これで見ても、外人の方にもボツボツ知れて来たようで、面白いと思います。それからカトリックの信者も二人救世教の事が分って来たようですから、それほど骨の折れる事もないと思います。なにしろ米人に拡がらなければ面白くありません。神様がいいようにしますが、とに角信者もハワイだけで千人を突破したようですし、ハワイの本部の土地家屋も、金の目安(メヤス)は大体ついたようですから結構です。五万弗のうちで二万弗は借り二万五千弗は信者間で出来たわけですから、もう完全に手に入ったわけです。なにしろハワイという所は島が沢山あり、ややこしい所です。其処で、到る所に、一つの繋がりができつつあります。ハワイで大分評判になっていて、その評判を聞いて来たフランス人があるくらいですから、僅か半年あまりで、これだけの土台が出来たのです。神様の腕前というか、とに角素晴しいものと思ってます。そういうわけですから、来年あたりになったら随分面白くなると思います。そういう事が、さっき言ったとおり、救世会館が出来るに従って、一つの響きと言いますか、そういうふうになって来ます。神様の御経綸というものは実に正確なものなのです。ボーッとしているようでいて、実にピタリピタリとゆくのです。私なども何時も、何かボーッとしているけれども、時期が来るとはっきりするので、それは実に面白いものです。何かヒョッと浮かぶのです。それがなかなかあり得べき事ではないと思うが、少したつとそれが出て来るのです。だからとてもそれは駄目だと思った事でも、案外早く現われて来るのです。美術品などもそうです。あれはとても駄目だ、あの家で持っているのだからとても手放すわけがない――道具屋などの話でもそうですが――と思って居ると、時が来るとヒョロヒョロと入って来るのです。それは実に面白いものです。それからみんな気がつかない事で面白い事があるので書いてみました。

御論文〔⇒詐欺時代〕【註  栄光二三一号】

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伊都能売という事をよく言いますが、伊都能売というのは数でゆくと「五」「三」です。「イズ」「ミズ」です。「イズ」という事は五つ、「ミ」という事は三つという事ですから、「ヒ」「ミズ」という事です。「ヒ」「ミズ」という事は「カミ」です。「ヒ」は「カ」「ミズ」は「ミ」ですから、伊都能売が本当の神なのです。そこでこれについて面白い事があります。私が大本教に居た時に分ったのですが、“大本は世界の型であるから”というのがお筆先にあるのです。だから神様の経綸の最初の型になるわけです。というのは教祖の出口直という人は、経つまり火になるわけです。経ですから実に几帳面(キチヨウメン)で厳格なのです。決して膝をくずしません。大体が女ですからそうですが、キチンと坐って少しも体がくずれないのです。それで実に極端なくらい厳格なのです。食べ物でも、動物の油などは食べません。ですから教祖の時代には信者がやはりそういうようで、なにしろ洋服は絶対にいけないし、それから皮のカバンも持たないのです。これには訳がありますが、以前大本教では一年に一度、丹後の沖に男島女島という二つの島があって、艮(ウシトラ)の金神様が女島男島で行をされたというのでお参りをするのですが、その時に一度非常な暴風に遭って散々船がもまれてみんな心配した事があります。その時、これには何かあるというので、要するに誰かが穢(ケガ)れた物を持っているに違いないというので調べたところが、一人皮のカバンを持っていた人があったので、これが原因だというのでその皮のカバンを海の中に投げ込んだのです。そうすると暴風がピタッと止まったのです。ですからまんざら迷信ではないのです。それは教祖の身魂の因縁というか、経一方の一つの性格的のいろいろな事が現われるのです。それから又出口王仁三郎という方は緯ですからそれが又極端なのです。年中寝てますが、著述をする時には寝ながら喋るのです。起きていると出ないというのです。ですからいろんな建物の各部屋々々にはみんな蒲団を敷いて枕をおいてあって其処に行くとゴロッと寝るのです。それで大本事件で官憲が調べた時に、各部屋に蒲団を敷いて枕があるので、これは此処で女を犯すのだというので調べられたのです。それで“ワシは緯の身魂だから”と言っているくらいですからしようがありません。その経と緯、火と水が実によく現われてます。そこで教祖さんは経一方のために、大正十年にああいった大本事件というものを起こしたのですが、一時は非常な打撃を受けました。それから聖師様になってからは、緯のためにとうとう昭和十年に大本事件を起こしてしまったのです。これは致命的なものです。なにしろ七年牢屋に入っていて、終戦になったのでやっと出されたくらいなものです。結局経で失敗し、緯で失敗したのです。これを世界に合わせてみるとよく分ります。つまり東洋文明が経で、西洋文明が緯ですが、経の東洋文明要するに精神文明のために、緯の物質を否定したのです。それがインドですが、ああいう工合に物質的には貧困になってしまってます。これはつまらない話ですが、映画などで見ても、インド人は痩せてまるで骸骨みたいです。それは何かというと、食べ物を少なく食べるのが習慣になって、痩せるのが普通になってしまっているのです。そこにもっていって、近頃は余程変ったが、以前は菜食と牛乳だけだったのです。日本の封建制度というものはそれに大いに影響されているのです。ところが西洋の方は全然別で、逆に侵略し横に拡がったために争いが絶えないというわけで、結局今は横同志が争っているわけですから、これも失敗です。ですから東洋は経の文明によって失敗し、西洋は緯の文明によって失敗したわけです。そこで伊都能売というのは十の真中で、経にあらず、緯にあらず、又経であり緯である、という融通無碍、それが伊都能売です。そこで大本教で、教祖の経と聖師の緯から生まれたのが私なのです。私がその両方をとった伊都能売です。私のやり方というのは、丁度伊都能売的です。バッジもそういう意味を表徴してあるのです。経と緯のどっちにも偏(カタヨ)らない文明、それが本当のもの、真理です。それからもう一つは力の根原になるのです。それで「力」という文字は、最初経を書いて、横を書いて、それからこうゆくのです。ですから経緯を結ぶと力が出るのです。それで結んで活動を始める形です。浄霊で病気を治すという事も、これは力です。それでこの力というものは、歴史でも分るとおり今まではなかったのです。今までのは経か緯かどっちか一つです。この結んだものというのはなかったのです。それで結ばれないから力がないのです。ですから今までの宗教でも力は現わさなかったのです。みんな教えです。宗教という教え、仏教という教えです。しかし教えでは本当に人は救えません。教えでは病気は治りません。これは力でなければならないのです。その力というのは今言ったとおり、経と緯を結んで初めて現われるのです。それで大本の経緯を結んで私が生まれたわけです。世界の文明がやはりそうなっているわけです。そういう事を知れば、神様の経綸、救世教の出現という事がよく分ります。

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それからよく御守護の電報が来る事がありますが、今何処が悪いとか何処が痛いとかありますが、それを読んでみると別に大した病気ではないのです。浄霊でも訳なく治るような症状なのです。それがどういう訳かというと、浄霊に力が入るせいです。だから治りが悪いのです。それで浄霊してどうも治りが悪いという時には力が入るからだという事を心得ておくとよいです。この力を抜くという事は、むしろ難かしいです。しかもだんだん浄化が強くなるに従ってますます光が強くなるから、そうすると光を出すには力を抜くほど出るのです。少しでも力を入れると光の出が悪くなるのです。妨げるわけです。力を抜くという事は、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。力が入るのと入らないのでは大変な違いです。私などもそうで、浄霊していてもちょっと力が入っていると治りが違います。この力を抜くと何倍もよく治ります。

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十月十六日 

漸く上棟式という事になりましたが、二、三日前に行ってみましたところ、家屋というものは出来上るに従ってだんだん広く見えるもので、思ったよりも随分広く見えて、後の方の人などは双眼鏡でなければいけないかもしれません。とに角宗教的建築としては劃期的(カツキテキ)の物だろうと思います。展望台も一緒に出来るだろうと思ってます。鉄材の余ったのが大分あるそうですから、ついでにやると非常に楽にゆくわけなので、一緒に出来るつもりです。それで展望台も最初の設計よりも大分大きくして、大勢入れるようにするつもりです。これはガラスずくめの家ですから、余程変っていて面白いと思います。今美術館の敷地も作ってますが、箱根の経験からみますと、あんまり大き過ぎてもいけないようです。それは、見る人が疲れてしまうのです。今でさえ箱根で見るのに、一度にでは疲れて駄目だ、どうしても三度ぐらいで見なければ頭に入らないというわけですから、熱海は箱根の三倍ぐらいの大きさのつもりでしたが、それでは大き過ぎるので倍ぐらいの大きさにするつもりです。その代り箱根のは窮屈(キユウクツ)でしたが、今度はゆったりと落着いて鑑賞できるというような形にしようと思います。休憩室とかそういうものも、もっとゆったりしたものにして、箱根で気がついた欠点を残らず取去り、本当に理想的な美術館にしようと思ってます。

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何時も言うとおり箱根は霊で熱海は体、箱根は経で熱海は緯ですから、どうしても箱根の方は日本的ですが、熱海の方は世界的という意味になるのです。それで熱海が出来ると、日本は無論ですが、外国の方まで発展するわけです。つまり熱海は体ですから、どうしても体的に拡がってゆくわけです。本年ハワイからアメリカの方に進出しましたが、丁度この救世会館が建築に取掛る頃からハワイ、アメリカとなって来ました。会館が出来上るとアメリカの方へ素晴しく発展するという段取(ダンドリ)になるわけです。それで神様の事は総て型で行くのですから、型が出来ただけずつは霊界でそのとおりに拡がるというわけなのです。この点が人間の仕事と非常に違うのです。ですから順序と型です。それを見ていると分るし、それから又私はそういうようにやっているわけです。それですから別に心配する事もいろいろ迷う事もないわけです。神様の方の設計順序がチャンとありますから、そのとおりにやっておればドンドンうまくゆくわけです。実に不思議な事です。それでこういう事は人間が始まってから未だないのですが、それは今までは夜の世界ですから、全部月のやり方です。今度は太陽が出たのだからまるっきり違うというわけです。ですから反対な事が多いです。それは日と月とでは反対になります。つまり月の方は右廻り、日の方は左廻りです。それでここに肝腎な面白い点があります。日の働きというものは「引く」引寄せるという事です。それから月のやり方というものは「突く」つまり攻撃です。ですから「引く」と「突く」との違いさです。それをよく知っているとよいです。突進むでなくて、引寄せるのです。それで一番分り易いのは、月は水で日は火ですから、物質はみんな月になるわけで、霊が日になるわけです。そこで水を寄せるとかえって向うに行ってしまうのです。それで逆にやるとこっちに来るというわけです。よく、あせったりして突進むという事は割に結果が悪いので、落着いている方がかえって引寄せられ集まって来るという事がありますが、これは真理に合っているからです。ですから私は割合にあせらないで落着いて悠々(ユウユウ)としてやってますが、それで非常に仕事が果取(ハカド)って沢山できるという事は、そういう意味になるわけです。ですからそのやり方でゆくと、楽に順調に行って失敗がないわけです。一昨日ハワイからの報告が来ました。今ハワイの信者はもう千人は突破してます。今度本部ができますが、この三月に樋口さんと安食さんが行ったのですから、それでこれだけの素晴しさに発展したという事は、無論神様がやっているのですが、実に楽な簡単なものです。それで白人の方にも大分信者ができかかって来ましたから、この分でゆきますといずれはアメリカ人の信者も沢山できます。何でもそうですが、今まで日本で生まれた宗教で白人を信者にしたというのは殆んどないでしょう。今度救世教が初めてです。つまり世界的宗教です。この報告にもありますが、カトリックの信者などもボツボツ入って来たようです。カトリックというのはキリスト教の一番カンカンです。それでいて一番勢力があるのです。ですからカトリックを落せば、あとは楽なのです。それはいずれキリスト教全体がみんな救世教の信者になるのは分ってますが、それは相当先の事です。とに角口が開けば割合に早くドンドンゆくわけです。今その報告を読ませます。

(ハワイ通信  十)【註  栄光二三二号】

今読んだように順調にゆきつつあるわけです。

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それから今度「救世教奇蹟集」の本を出そうと思ってます。なにしろ変った本で、今までにそういうものは見た事がありませんから、広告文も余程うまく書かないと読む気にならないのです。そうかと言って、あんまり変った飛上った書き方では又駄目です。至極(シゴク)真面目で心を動かすというのでなければならないので難かしいのです。それで小さい活字で沢山書くより、大きい活字で短かく書く方が、目につきますから、できるだけ切りつめて書きました。

〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

いずれは英文にも訳して世界的に配るつもりです。

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それから自然農法も大分面白くなって来ました。特に今年は恐ろしい不作です。それから又自然農法の方は恐ろしい好成績なのです。そういうようなやり方も、神様はなかなか行届いたものだと思います。だから非常にいいチャンスというわけです。そこでこの際、何処でも抜からず宣伝をしているでしょうが、一層馬力をかけて宣伝をしなければならないので、それについて今年の新しい成績によって技術的に非常に進歩しましたから、そういう点を主にして単行本を出そうと思いましたが、そういう事をすると遅くなりますから、とに角この次あたりの栄光を特集号にして、今年の実例を加えて、できるだけ利用するというようにしたいと思ってます。それで今年のその技術的の進歩の主な点はこういう事です。今までは、所によってですが一年目二年目から増収というのは滅多にないので、大抵うまくいって今までどおり、下手をすると一、二割ぐらい減る所があるのです。どうもこの点が面白くなかったのです。最初の年から増産にならなければ早く分らせるのに困るのです。よくお蔭話にあるように最初は黄色い色で、針みたいな細さで、隣近所から嘲笑されるという……これがどうもまずいのです。ところが今度発見した方法は深く耕すのです。一尺から一尺二寸ぐらいの深さにして、天地返しをするのです。それがために非常によくできるのです。今までとは断然違うのです。一番成績が良いのは初年目で五割増産した人があります。それで気がついた事は、つまり今まで長い間肥毒を沢山やって、田の面が肥毒のコンクリート、肥毒の壁ができているわけです。だから無肥料でやってもその壁に根がぶっつかるから思うようにいかないのです。それを深く耕すとその壁を突破る事になるのです。それで又いい事には、壁で蓋(フタ)しているから壁の下の方は良い土なのです。ですからそれを掘り返して天地返しをすると、肥毒の壁が粉々(コナゴナ)になって良いのと混じるから、肥毒の害というものは減り、そこでよく出来るのです。ですから初年目から幾らかでも増産するという事になったら、これは否応(イヤオウ)なしに信者でない百姓も大賛成して直ぐからでも始めます。その実例もできましたから、これを土台にして大いに宣伝をすれば、みんな簡単に分ります。それで去年十八俵とった伊野という人は、今年は勿論そのくらいか、それ以上はとれましょうが、その人の話では反二十五俵までにはしてみせると言っているそうです。無論そのくらいはとれます。というのは今までこういう事を知らなかったのです。つまり連作というものの効果です。ところが今までの農民は連作はいけないと言っていたのです。という事は、肥毒のために連作をするとだんだん弱ってゆくのです。そこで耕作を変えると、変えただけは、肥毒の一つの悪循環と言いますか、それが減るのです。これは薬でよく分ります。一つ薬をのんでいると、だんだん効かなくなります。それで薬を変えると一時効くというような意味と同じです。だから連作でなく耕作すると、丁度田や畑が変りますから、丁度薬を変えたようなものですから、それで一時よいわけです。そういう意味で、つまり肥毒のない清浄な土で稲なら稲を作ると、土の方で稲に適するような成分がわいて来るのです。それは実際神秘な話です。そこで年々土自体に特種な性能ができ、その性能がだんだん発達してゆくのです。ですから素晴しく良い土になってゆくのです。という事は素晴しく肥(コヤシ)が効いた土になるのです。肥と言っても今までの肥とは違って、良い意味のもので、つまり神様の作った肥で、それが増えてゆくのです。ですから沢山とれるに決まってます。そういった肥毒のない清浄な土が連作によってだんだん沃(コ)えた土になるのです。それですから今反五俵として、これが反十俵になり二十俵になり三十俵になります。そうなると分蘖が非常に多くなります。それで最も多くなると稲に枝が出て来るのです。だから一本の稲に千粒ぐらい成るようになります。五百粒ぐらいは何でもありません。ですから十俵になり二十俵になるのは当り前です。その方法でゆくと日本は今に米が余って始末に困ってしまうようになります。それこそ今度は輸出の方に苦労しなければならなくなります。そうなると農村天国になります。それで救世教によって病気が無くなったら、農村に病貧争絶無の世界が出来てしまいます。神様の方は実にドンドン地上天国を造りつつあるのです。人間もそれに合わしてやってゆくと、案外早くできるわけです。尤も私の命のあるうちに造らなければしようがないわけだから、神様は余程急ぐわけです。そういった工合で、自然栽培は劃期的に良い方へ大飛躍するわけです。それで農業の方は医学の方と違って、分ったら非常に早いですから楽です。それにこれが実行されても失業者はできないのです。反対に大いに恵まれるわけです。ところが医学の方は、無薬時代になると失業者が大変ですから、これはなかなか難かしいです。ですからどうしても後廻しになるのです。農業の方は一番手取早いし、今年のように非常な災害で農村の苦しみは、よくニュース映画で見ますが、田はまるっきり枯れ野原のようなものです。それで充分わかったでしょうが、そういうわけですから、大いに自然農法の宣伝に馬力をかけないといけないのです。

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十月十七日

救世会館もいよいよ昨日上棟式が済みました。何時も言うとおり、箱根は霊界の型で熱海は現界の型だから、この救世会館が出来るに従って現界的に現われて来るのです。それからもう一つは箱根が日本の型で、熱海は外国の型と言ってもよいのです。だからハワイに今年始めた頃が丁度救世会館がいよいよ建築に取掛(トリカカ)った頃と大体同じになってます。それでこれからだんだん会館の工事が進むに従ってアメリカの方が発展してゆくという順序になります。だから言わば世界の型になります。してみると昨日の上棟式というものも大変な大きな意味があります。そういうわけで、最近になって白人系の方にもボツボツ信者ができ始めて来たのです。今度白人のカトリックの信者が二人向うで入信したようですが、カトリックはなかなか強い信仰で、他の宗教などに触れるという事は非常に喧(ヤカマ)しいという事を聞いてましたが、それほどでもないらしいです。それについて二、三日前に樋口さんから報告が来たので、これを読む方が早いですから、今読ませます。

(ハワイ通信  十)【註  栄光二三二号】

右のような工合で、着々と進展しつつあるわけです。信者も、もう千人を突破しましたし、本部もハワイ本部として相当な家ができましたし、まだ半年とちょっとでこれだけ開けたのですから実に早いです。この分で行ったら、来年あたりはどのくらい発展するかと思って、非常に喜びに堪えません。

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それから自然農法も今年は技術的に大改良をされて、今までは初年度から一、二年くらいというものは大した成績が上らなかったのです。初年度で多少減産になる所もありますが、大体は漸く平年作を保てばよいぐらいに思っていたのですが、今度中京の方の二、三の自然栽培で初年度から相当に増産になったのです。一番増産になったのが、初年度で五割増産した人があります。これはどういう訳かというと、最初から深耕したのです。それから稲の株間を広くしたのです。無論一本植えです。深く耕すのは大体一尺から一尺二寸ぐらいが適当してますが、それをよく考えてみると、今まで肥料がだんだん溜まって、つまり土の表、表土は肥毒の壁みたいになっていたのです。だから無肥にしても、稲の根は其処につかえて本当の土の養分を吸えなかったわけです。ところが深く掘るとその壁を突破ってしまうわけです。そうして下の良い土が表に来るわけで、つまり天地返しをするというわけです。それをやると、多少はその壁土が混じりますが、なにしろ壁を破ったのですから、平均されて大した害はないわけで、害が少なくなるのです。そのために成績がよいのです。そうなると稲がよく育ちますから、分蘖なども多くなります。それから株と株との間を広くしないと、葉の蔭になって根に天日がよく当らないのですが、間を開けると日がよく当りますから、つまり土が温まるというわけで、素晴しい出来になるのです。そういうようなわけで、これは一大改良です。そのために初年度から増産になるという事は大変な魅力ですから、これが分ればどんな農民でもやらずにはおられないという事になります。そこにもっていって今年はあのとおりの大不作で実に惨澹(サンタン)たる有様です。政府の発表では、五千八百五十万石と言ってますが、事実はもっと少ないのです。それで各地で、このとおりだという事を知らしたいためにいろんな運動が起こってます。こっちの方は素晴しい増産のやり方が現われるとともに、世間は反対に不作ですから、神様が丁度いい工合にそういうようにされたものでしょう。そこでもう一つはこういう事があります。土というものは変化するのです。という事は、米なら米、豆なら豆と、一つ作物を連作すると、それに対する土の性能が発達するのです。だからその作物を育てる性能がだんだん強くなって来るわけです。丁度人間と同じ事で、新しい土にやると、土そのものがつまり素人なのです。ところがいろんな物をだんだん作ると、土にそれを育てる力が出て来るわけです。職工なら熟練工になるわけです。これを分りやすく言うと、年々土の養分が増えてゆくわけです。だから今平年作は六千三百万石ですが、一年か二年たつと五割増産になるでしょう。それから五、六年過ぎると十割増産になり、もっと過ぎてゆくと二十割、三十割というようになってゆきます。それは嘘のような話ですが、神様は土も稲もチャンとそういうふうに作られているのです。というのは人間は何処までも増えますから、人間の増え方が無限だから、そうすると人間が食う米もやはり無限なのです。そういう結構なように神様が造られたのに、人間がとんでもない事にしたのです。それは丁度人間が薬をのんでだんだん病人を増やしているという事と同じです。それで何時も特集号は春に出しますが、そういう事では追い付かないから、丁度、今言った良い成績の報告が大分来てますので、それを根拠として、この次か、遅れてその次あたりに特集号を出そうと思ってます。そうしてとに角、栄光新聞だけででも各地で宣伝する材料にしようと思ってます。去年十八俵とった伊野さんは、今に二十五俵にしてみせると言っているそうですが、そのくらいはとれます。とに角今に日本は米が余ってしようがないようになります。何処に輸出しようかと、今度は輸出先に苦しまなければならないという事になります。そうすると大体今は輸入超過で困っているという事も、米だけが解決すれば今度は輸出超過という事になります。そうなれば税金などはずっと減ります。勿論一番お蔭を受けるのは農民ですから、これだけでも農村の地上天国は一番先に出来ます。それがひいては物価も下りますから、生活はどのくらい楽になるか分りません。日本の地上天国というのも近付いたという事も言えます。あんまり話がうま過ぎますが、嘘ではないので実際の成績が挙げられているのです。

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結局日本の地上天国が出来て、それから外国にだんだん行くのが順序です。それでさっき言った箱根が日本の型、熱海が外国の型という事はそういうわけです。それで神仙郷の地上天国が今年出来上って、これからだんだん熱海になるのですが、そうすると、まず日本の地上天国のごく小さい型、それから熱海に外国の地上天国のごく小さい型と、だんだん拡がってゆくわけですから、神様はその型を着々としてやられているわけです。そこで箱根の道場は「日光殿」で、日の光で、つまり日本は日の本です。それから熱海は「救世会館」と言ってメシヤというのは西洋の名前ですから、そこで名前だけでも西洋の意味になってます。それが分れば、世界でも、神様の事もよく分るのです。箱根は何処までも山で熱海は何処までも水なのです。山が経で、熱海は水で緯ですから、チャンとそうなつてます。だから経と緯になるわけです。今度熱海が出来れば、経と緯が出来た事になります。だから私は面白いと思うのは、箱根と熱海の間が十国峠と言って、丁度経と緯の真中になりますから十になるわけです。将来は十国峠には素晴しい物が出来るに違いありません。この話はそのくらいにしておきます。

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ちょっと面白い事を書いてみましたから読ませます。

御論文〔⇒詐欺時代〕【註  栄光二三一号】

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それから今度「救世教奇蹟集」という本を出しますが、なにしろ奇蹟などというのはあまり知らないので、漸くキリストの奇蹟ぐらいが宗教的奇蹟として知っているぐらいで、救世教の奇蹟というのは想像もできないのです。そこでこの広告文などもなかなか難かしいのです。やっぱり迷信を鼓吹するというようにとられやすいのです。だからそうとられないように、なるほどそういう事もあるかというように注目されるようにしなければならないのです。それで広告文の書き方もつまり信用されるようにして、それでは買って読んでみようという心を起こさせるというようにもしなければならないのです。私は今まで書いた事はないが、これだけは一生懸命に書きました。

〔⇒世界救世教奇蹟集  広告文〕

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昨日改進党の早稲田柳右衛門という人と会食を共にしましたが、この人は今度東南アジヤの方に行って来たのです。新聞ラジオにも出てますが、小金義照という自由党代表の人と二人、政府から選ばれて廻ったのですが、二人とも救世教の信者だという事も余程意味があります。その人の話でインドには仏教信者というのは殆んど居ないそうです。全部ヒンズー教徒とイスラム教徒(フイフイ教徒)だそうです。そして残っているのはビルマが一番だそうですが、あとはマレー、タイ、その周囲、それから日本、それだけだそうです。ですから仏教は殆んど無くなったようなものです。というのは、今読んだとおりお釈迦さんは奇蹟を行わなかったという事が根本原因です。キリスト教がとも角もああして発展したのは、キリストは奇蹟を行ったからでしょう。しかしキリストの奇蹟をとればあとはバイブル、つまりお説教です。そこで神様は救世教をつくって大奇蹟によって救うのです。それで奇蹟々々と言うが本当は奇蹟ではないのです。つまりこれが本当なのです。今まで嘘の事ばかりやっていたから本当の事が奇蹟になってしまうのです。世の中が本当になれば奇蹟が本当の事で、そうなれば奇蹟とは言わなくなります。

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それから一言いっておきますが、どうも浄霊に力が入るようです。よく御守護の電報が来ますが、直き治るような事が大変困るように書いてあります。これはやっぱり浄霊に力が入るせいです。そこで治りが悪いのです。この力を抜くのはなかなか大変なものですが、力を抜くほど治るのです。それで力を抜いて向うに通らなければならないので、これがなかなか大変なのです。ですから何処までも力を抜くという事に注意するのです。そうすると、とてもよく治ります。ですから私もこうして浄霊してますが、力を抜くという事はなかなか楽であって、骨が折れるわけです。

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十月二十五日

自然農法の特集号を出そうと思ってます。何時も春ですが、今年は報告も早く来ましたし、なにしろこの凶作に対してみんな非常な不安を抱いてますから、少しも早く安心させるようにしてやりたいと思って早く出すのです。来月初めの栄光の特集号として出します。それについて今年は世間は馬鹿に悪くて、こっちの成績は馬鹿に良いという、おそろしく離れてしまったわけですが、やっぱり神様がうまくやられたわけです。今特集号の論文を読ませますが、これは今までと余程違うという事は、今までよりも徹底して書いてありますから、これが出たら、農村方面に関係のある人達に一枚売りをするとよいと思います。私の予想では百万は大丈夫だと思ってます。とに角信者の人で五十万は堅いですから、あとを売るとしても、なにしろ標題が大きく“日本農業の大革命”とし、それから“無肥料で初年度から五割増産”というのですから、ボタモチでホッペタを叩くような題です。そうして一人でも多く読ませようと思いますから、なるだけ安い方が手が出しよいですし、おまけに農民の懐工合は馬鹿に悪いのですから、なるべく安く多く出して読ませたいと思います。そうしてこの題を見ただけで飛び付くだろうと思います。それから又各地で講演会や座談会をやる時にこれを売れば、非常に早くみんなに分るというわけです。

御論文〔⇒日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産〕

昨日か一昨日の新聞にも出てましたが、あんまり酷いので自殺をした農民がありました。これは未だ新聞に出ない自殺者が大分あるらしいです。そういうわけで、今度の酷い出来栄えに対して、今いろんな対策をねってますが、しかし対策をねったところで良い案は出ようがないのですから、しようがありません。それで百姓は百姓で、枯れた穂みたいな物を当局に見せて、税金を負けてもらうとか供出を減らしてもらうとかやっているようで、実に方法がないわけです。今年はそれで何んとか外米の輸入もありますから持ちますが、来年はこれを挽回(バンカイ)する確信があるかというと、その確信はないので、やはり天候に任せるよりないのです。ですから、つまり天候が悪くても、風水害があっても、冷害があっても、ビクともしないという稲を作ればよいのですが、その方法を知らないのです。丁度人間で言うと黴菌が入っても何んでもない、起こらないという強硬な人間になればよいのです。救世教信者のように、結核なんか何んでもない、伝染病結構、早く赤痢になりたいというくらいなものです。ですから日本の土地もそういうふうにすればよいのです。しかし薬で人間の体を弱らしているように、肥料で国土を弱らしているのですが、実にはっきりしてます。尤も私がこれを発見した動機は薬毒からです。ですから来年以後はどうすればよいかという事ですが、外米の輸入という事は、日本の経済上大変です。今でも輸入超過で困っているのですから、その上米を買うとしたら大変です。今年などの輸入代金は二千億では足りないでしょう。結局三千億近くになるでしょう。それだけの金を出すとしたら、いくら稼いでも追い付きません。しかも輸入代金だけでなく、農村の間接的の損害が大したものです。労力の損害は勿論ですが、水害による田の荒れ方も大変です。この間の報告で面白いのがありました。三重県の方ですか、高潮のために海水を被った田地ですが、他の田地は全部駄目になつたが、その中に自然栽培の田地だけが被害を受けないで、元通りに青く当り前になっているというのです。ですからそれを見た附近の農民は初めて目が覚めたというのですが、実にはっきりしてます。それと、根が固く、張っているから浮かないのです。これはやった人は分りますが、根が長く毛根が沢山あります。それから土が強いのです。つまり根をギューッと固めているのです。これもやっぱり人間とよく似てます。人間でも、薬を使わない人間は怪我して血が出ても直ぐに締まって血が止まるのです。薬毒が沢山入っているのは怪我でもして血が出るとなかなか止まらないのですが、これは稲とよく似てます。そういうような工合で、肥毒により稲も土も一切をみんな弱らしているのです。自然農法の方は今年は馬鹿に良く出来て、一般の方は馬鹿に悪いという事は、神様が“これでも分らないか”というような思い切ったやり方をされたという事は非常に結構なのです。今年の凶作というのは自然農法を知る上においての大変結構な話です。悪いのは一年で、あと気が付けば永久に良くなるのです。そのために兵庫県とか三重県、岐阜県とかは素晴しいもので、見学に来る人が毎日押すな押すなだそうです。ですから会員などもドンドン増えてます。ですからこれが二、三年たったらどんな事になるか分らないくらいです。実に日本開闢(カイビヤク)以来ない大きな救いでしょう。それからこういう報告が来ましたが、非常に面白いです。稲の方でなく、米ですが、無肥料の米は虫がつかないのです。写真までつけて来てますが、今読ませます。

〔人体と肥毒〕お蔭話(肥毒の恐ろしさ)

これで見ても、米になってからも肥毒の恐ろしい事が分ります。これにも書いてあるとおり、病気の原因もこういう事が大いにあるのです。だから全く今の人間は“超愚”です。

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それから昨日樋口さんの報告が来ましたが、忙がしいのであんまり報告は書けないとみえて、今月になってからこれで二度目ですが、相変らず非常によいです。

(ハワイ通信  十一)【註  栄光二三三号】

こういうような状態です。ハワイは島が五つあるそうですが、その小さな島に一カ所ずつ支部が出来たのです。だんだん燃えつつ、燎原の火のようになって行くと思います。あっちの人は非常に素直ですから、開け方が非常に順調で楽なようです。尤も日本も最初はそうだったのですが、邪神の方でいろんな事をやるのでスラスラとは行かなかったのです。しかしそれも結局御神業なのです。そのために外の良い事が沢山あったのです。だんだん進んで行って来年あたりから、まだ見えないが、霊界の方が随分素晴しくなったのですが、これがだんだん現界に現われて行きますから大いに楽しみにしてよいと思います。美術館の話や、いろいろな話がありますが、時間がないから、今日はこれだけにしておきます。

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十月二十六日

自然栽培の特集号を出すについてちょっと書いてみました。今度はできるだけ徹底して書きました。これで分らなければしようがありません。

御論文〔⇒日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産〕

それからこの間のラジオの放送でちょっと面白い事がありました。放送局から原稿をとって来たので、今読ませます。

(NHK第一放送午後○時十五分「ひるのいこい」放送)

こういう事実が現われてもなかなか迷信を打破る事はできないのです。つまり一家で子供が次々に死んでも、相変らずお医者さんの厄介になるというのとよく似てます。そういうわけで、この医学迷信と肥料迷信というものが人間の大敵です。ですからこれは、共産主義などというのはこれに比べたら屁みたいなものです。このくらいの大きな迷信による被害はないわけです。それを教えるのが一番肝腎だからやっているのです。それで特集号は今月の末に出来るつもりですが、一番よいのは、農家を一戸々々廻って一枚売りをするのですが、案外売れるだろうと思います。なにしろ今年はあのとおりの状態ですし、そこに大きな見出しで“日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産”というのですから、これを見たら飛び付かない者はないだろうと思います。今日の農家は経済的に非常に困ってますから、少しでも安い方が手が出しよいです。百万くらいは出したいと思います。信者の人だけで五十万は確かですから、あとの五十万は一枚売りです。それから講演会とか座談会を大いにやりますから、その時の聴衆に大いに沢山売れると思います。とに角百万間配(マクバ)れば相当刺戟して、とに角やってみようというところまで行かないはずはないと思います。そのつもりで普及会員の人達は大いに努力してもらいたいと思います。これは改めて言う事もありません。そうしてなにしろ日本を救わなければならないのです。それで今年は非常に悪く、案外不作です。分っただけでも五千四百万石ですが、未だ減るかもしれません。そうすると八千万からの人間で、半分が食うだけもとれないのです。そうかと言って外米を輸入しますが、その金が大変なのです。どうしても今年などは三千億近く出しています。それだけの金を稼ぐと言っても大変なものです。どうしてもそれだけ貧乏になるわけです。それで今年だけで来年からはチャンとなるならよいですがそれが分らないのです。又再来年もあるのです。それで人間の方はドンドン増えるし、米の方はだんだんそういうふうです。この迷信に気がつかなければ、増えるという事はないのですから、それこそ日本の一大危機です。ですから何んとしてもこれを救わなければならないのです。これも、書いてあるとおり、神様がそういうチャンスを作ったわけです。余程困らして震えさせなかったら分りませんから。なにしろ神様は自由自在ですから何んでもありません。それからもう一つは肥毒が稲作ばかりでなく、米に大変な影響があるのです。その報告があったが、非常に面白いと思います。

〔人体と肥毒〕寄書(肥毒の恐ろしさ)

このとおりです。人体に対しても同じ事で、近頃はいろんな虫が人間にわくというのですが、大体人間の腹の中に虫がわくという事がおかしいのです。何んでもないのに、虫がわくようなそんなお粗末な体に神様が作るわけがありません。ところがこの肥料の肥毒自体がこれだけ虫がわくのだから、この肥料の毒が体に溜まって虫がわくのは当り前です。それで、虫にもいろんな種類があります。蛔虫、十二指腸虫、蟯虫といろいろありますが、これは肥料の種類と同じだけわくわけです。ですから米になったものにさえこれだけ虫がわくのですから、田に虫がわくのは当り前です。それでおかしく思うのは、信者の人で未だ肥毒に気が付かない人が今までに相当あったようですが、今年からはみんな目が覚めるだろうと思います。古い信者はそういう事はありませんが、新しい信者などは“病気はなるほど明主様の仰言るとおりだ。しかし肥料の方は、オレ達が先祖代々やっているので、明主様は百姓の経験はないし、どうもそこまでは”というように思っている人が大分あったらしいです。私は知ってましたが、やっぱり時期が来ないといけないと思っていたのですが、やっと時期が来たのです。そういう人達が他の百姓に対して説明しても、それは駄目です。自分が本当になってないから説明に力がありません。それから又肥料はやらないと言いながら、肥料に似たような物をやっているのです。大体堆肥ですが、私は最初は「無肥料栽培」でやったのです。堆肥もいけないのです。ところが全然無肥料でやっては法規に違反するというのです。それは進駐軍の方なのです。それで投書か訴えをした者がいたのです。やっぱりアメリカ人も、全然肥料無しだったら米はとれなくなる、そういう宗教は禁止するという事なので、これは何んとかしなければならないというので、名前を「自然栽培」としたのです。ですから前には無肥料栽培と言っていたのです。そういうわけで堆肥はやってよいという事になったのです。それは金肥人肥よりはずっと被害が少ないです。しかし今日になればもう本当の事をやらなければならないので、去年あたりからは堆肥もいけないという事を言うようになったので、本当はいけないのです。しかし赤土系の土は固まるから、それではいけないので固まらせないために最初の二、三年でよいから堆肥をよく腐らして混ぜるというそれでよいのです。しかし肥料迷信にかかっているから堆肥を肥料と思ってウンとやったので失敗した人が今までにもあります。そういうわけでだんだん分っては来ました。この話はそのくらいにしておきます。それから樋口さんのハワイ通信はみんなが一番知りたい事ですから読ませます。

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(ハワイ通信  十一)【註  栄光二三三号】

ハワイは島が五つありますが、その五つの重要な急所というような所にみんな支部ができましたが、どうも神様は抜目がないと思いました。今読んだようなわけですから、ドンドン発展して今にハワイ全土が救世教信者になってしまうのではないかと思いますが、そうなったら、これだけでも世界中の注目を引くようになるだろうと思います。まだいろいろと話もありますし、読ませる原稿もありますが、時間がないからこのくらいにしておきます。

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十月二十七日

話の前にちょっと言いたい事があります。今度の三日間に来た人は非常に少ないのです。何時もの丁度半分です。聞いてみると、今農村が一番忙がしい時で、そのためだろうと言うのですが、これは大変な間違いです。どんなに忙がしくても、どんな事があっても来なくてはいけないのです。他の事情なら仕方がないが、農村の事情が忙がしいから来ないという事は間違ってます。そのために一日か二日の暇をかいても、それでどうという事はありません。神様はそんなものではありません。神様は大抵十倍ですから、一日の御参りで十日のお蔭をいただきます。若しそういう考えで休むとしたら大変間違ってます。そういう事を支部長や教師などの人がよく知らしてやるとよいです。むしろ、そういう忙がしいところを休んで来るほどかえってお蔭があるのです。そこが人間の考えと違うのです。殊に今度の三日間は農事に関係した話をする事が多いのです。私はできるだけ百姓に話したいと思ったところが、そういうわけで、どうも残念に思うので、今一言いったわけです。信仰の考え方が未だなかなかずれている点があるのです。例えば肥料にしても、本当に私の言うとおりにやる人は少ないのです。大抵中途半端が多いようです。農民の人は“明主様は病気や何かの場合は、それはよく治るし、確かに仰言るとおりに違いないが、作物の方は百姓の経験はないし、そのとおり言う事を聞いていたら、とんでもない事になる”というので手を出さない人と、又手を出しても徹底しなかったのです。金肥人肥はいけないというと、それでは鳥の糞や馬や牛の糞なら良いだろう、油カスなら良いだろうとか、ヤレ灰をかければ良いだろう、ごくよいところで、堆肥をウンとやれば良いという考えなのです。ところがそれはみんな土を穢すからいけないのです。これは私が言うのではないので、神様がみんなを助けるために言うのです。どうも私の考えで言うように誤解するのです。これは古い人にはそんな考えはないのですが、新しい人に大いにあるので、その点をよく徹底するように教師の人などは教えてもらいたいと思います。ところが昨日も聞いてみると、教師自身が実は無肥料栽培という事を信じてないのです。だから言い方が弱いので、ウッカリすると百姓に言い負かされてしまうという事を聞きました。それは今まではそうでしょうが、今年はみんな目が覚めただろうと思うから、これからは大丈夫だろうという事を言っている人がいました。そういうわけですから、参拝日に暇をかくとか、いろんな事で来難い時に来るほどお蔭があるのです。これが遊び事なら都合のよい時にという事になるが、そうではないのですから、こういう事を大いに心得ているべきです。農事が忙がしいから行けないという事は、甚だどうも当を得ていません。理窟に合いません。この話はそのくらいにしておきます。

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農業特集号は今月の末までに出来ますから、来月からは大いにこれを利用してもらいたいと思います。本当は毎年春なのですが、そういう事を言ってはおられないから、今年の凶作に対して一日も早く一刻も早く知らせなければならないとともに、又非常によいチャンスです。神様がこういうチャンスを作ってくれたわけです。これを大いに利用して、自然栽培を宣伝するというそのために特集号を早くしたのです。おまけにいろんなよい原稿が来ましたから、その点からもこれならばどんな者でも分らないわけはないと思います。

御論文〔⇒日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産〕

これを一枚売りにして農村を廻ると随分売れるだろうと思います。それでトップに大きな活字で“日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産”と書いたこれを見たら飛び付くだろうと思います。しかもなるべく安くして一枚でも余計売るというようにします。これには私も経験がありますが、昔大本教の新聞を信者に売らした事があります。その後観音会になってから「東方の光」という新聞を出して売らせましたが、割合に売れるものです。ですからこれは案外売れるだろうと思います。それで信者さんだけでも確実なところ五十万は大丈夫だと思いますが、一枚売りの方も五十万は大丈夫と思って、百万刷るわけです。農村などは近所附合が多いから、一枚を五人が読むとすると、五百万の人間が目を通す事になり、そうなると今度は相当の反響がなくてはならないと思います。そして講演会とか座談会をする時に、こういうものを非常に欲しがるそうですから、そういう時に売ってみんなに読ませるという点でも大いに出ると思います。各地で座談会をやってますが、随分来て片端(カタハシ)から会員になるというような傾向ですから、これを大いに利用して、一ぺんに全国的に分らせたいと思います。というのは、大体考えてみると今年が結局五千四百万石ですが、平年作よりか一千万石は減ってますから、どうしても輸入米三千万石以上しなければならない事になります。そうするとこれが代金としても二千億以上でしょうから、大体が輸入超過に苦しんでいる国が、この上又輸入超過になったら大変です。それも、今年だけで済めば来年から回復する方法もあるが、一体来年又その翌年の作柄はどうかという事を考えてみると、この問題は大変なものです。それも日本の人口増加はどうしても年に百万です。今産制などで少し減らしているが、結局百万とみなければならないのです。そのように、百万ずつ増えるのに米がとれないとしたら大変な事です。又われわれからみると、減るとも増す事はありません。何故ならば、今も読んだように肥料で壁のようになっている上に、殺虫剤をやり、殺虫剤をやるから虫がわくという事になって、肥料で逆効果になっているのです。丁度薬毒と同じ事で、薬で病気になり、病気になるから薬をのむという事になります。それでいずれは農林省も動かすつもりです。ところが役人はなかなか頭が固いですから、この頭には、どんなよい材料を持って、よい説明をしても、急にはなかなか動かないのです。ですからどうしても事実をもって示すという事です。沢山の農民が自然栽培という事になって、しよう事なしに、それではよいのだろうというところに行くのではないかと思います。そうしてみると、丁度医学迷信と同じように、なにしろありそうな事というような事ではないのですから、医学迷信も肥料迷信も今までとは逆で反対ですから、これをちょっとやそっとで分らせるというのは難かしいので、どうしても輿論的に農民全体がそうなって来る事になると、政府もいやでも黙まって居られないという事になるのです。それでこれは本当は最初「無肥料栽培」と言っていたのですが、戦後進駐軍が占領中、進駐軍の方の規則で、作物には肥料をやれという事があるのだそうで、進駐軍の方で何か言いそうな懸念(ケネン)が大分あるし、――又当時は観音教団ですが――その反対者の方で進駐軍を動かそうとして頻りに運動しているのが居て危ぶないというので「自然栽培」という名にしたのです。しかし本当は無肥料栽培という名にするのが本当です。しかしもう日本は独立国になったのですから一向に構いません。ところが長い間肥料迷信によって、さっきも言ったとおり無肥料になり切れないのです。そこでそれを徹底させるために、今読んだ論文も、異物を入れては不純土になるからいけない。何も入れない純土にしなければならない。それには連作によって高めるという事を書いたのです。それで肥料が如何に恐ろしいものかというよい報告が来たので読ませます。それはつまり人間の健康に関係しているのです。その事について書きました。

〔人体と肥毒〕寄書(肥毒の恐ろしさ)

こういうわけだからして病人を作らない病なき世界を造るにも、この肥毒を止めさせるという自然農法が間接に病を無くする大きな原因になるわけです。それからこの間のラジオで面白い事を言っているので読ませてみます。

(NHK第一放送午後○時十五分「ひるのいこい」放送)

そういうようなわけで、ドジョウやエビガニが死んだというのですが、一体ドジョウやエビガニは何かというと、農村では海に遠いから、そこで神様は偶には魚も食わせなければならないというので、ドジョウやエビガニというものが自然に出来るようになっているのです。タニシなどもそうですが、それが近頃は誠に無くなって来てます。これは化学肥料を入れるから死んでしまうのです。ですから如何に間違っているかという事が分ります。やっぱり“超愚”です。未だ話はありますが、時間がないからこのくらいにしておきますが、ハワイ通信が来てますから、これを読ませます。

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(ハワイ通信  十一)【註  栄光二三三号】

そういう工合で順調に発展しつつあります。来年あたりになったら、又大きな固まりになると思います。この間地図を見たら、ハワイの島は大体五つから成り立ってますが、その五つの島の急所の所にはみんな支部が出来ましたから、神様はなかなか寸分の隙もないわけです。それから此処に書いてあったように、家もなかなか大したものらしいです。これが簡単に手に入って、その金も結局みんなハワイの新しくできた信者達が出してしまうのですから、神様は何から何まで行届いて居られるという事がよく分ります。

(教二十七号  昭和二十八年十一月十五日)