昭和二十八年十一月御教え
十一月五日
農業特集号ですが、ちょっと時期が早かったのです。というのは収穫について予想の所が大分あったので、よく調べてみると、どうも正確を欠いた点が大分あるのです。どうしても収穫を得て、そうして何石何斗何升穫れたというのでなければ正確ではないから、それにはもう少し延ばさなければならないのです。肝腎な中京辺りは今月一杯たたなければすっかり穫り入れにはならないそうですから、未だ数字が確定しないのです。それが確定してから出すのが正確ですから、そうする事にしました。どうしても春早々という事になると思います。そういうわけで農業特集号は延期する事にしましたから、そのつもりで居てもらいたいと思います。
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それから二、三日前にアメリカのシカゴ・トリビューンという有名な新聞で、アメリカでの大新聞の一つです。日本で言えば朝日、毎日、読売というような地位ではないかと思います。なにしろ本社の建物が二十四階で、社員の数が四千人だそうです。これから日刊頁数が六十頁になるそうです。アメリカだけに大きいです。そこの東洋総支配人とかいう人の妻君だそうですが、女の記者というわけですが、なかなか頭が良いのです。――アメリカでは女でも随分すばらしいのが居ますから――。二時間ぐらい色々と話をしました。相当に記事を出すつもりですから、とに角『救世教』というものと、『岡田茂吉』という事がアメリカに知れるのは確かです。私も思いきって言いました。先方も相当な尊敬を払っていました。箱根の美術館を見てからこっちに来たのですが。熱海の瑞雲郷も見せてよく説明しましたが、非常に驚いて“アメリカにもこういう構想のものは全然ない。とに角見るもの聞くもの打たれてしまう。兎に角言葉で現わす事はできない”と非常に驚いていました。それですから相当力を入れた記事を出すのではないかと思ってます。結局、私が言ったのは“アメリカは白人文明の代表者だ、それから日本は東洋文明の代表者だ。そうするとアメリカが緯で日本は経だ、それがどうしても結ばなければならない。それでその結ぶ仕事が救世教なのだから、結局あなたが見えられたという事は、その最初の一歩ではないか”と言ったところが、先方も“とに角、東洋特に日本でこういう企画で仕事をしている事”と、私もいろんな事を言いましたが“そういう事を言うという事は珍しい、外で聞いた事はない”というわけで、大いに望みを嘱しているようでした。
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これは外国の話ですが、箱根の美術館というものが相当に反響を呼んでいるようです。だから熱海の美術館が出来た暁は、又ずっと社会に与える力は大きいと思います。だんだん研究した結果、美術館はあんまり大き過ぎてもいけないのです。そうかと言って今の箱根のでは窮屈で、少し並べると、あんまり多過ぎるというような批判もあるのです。ですから、つまりこっちの美術館は一品一品を吟味(ギンミ)してありますから、見るのに非常に暇がかかって疲れるのです。ですからして、もつと広くしてパラッと飾った方がよいのです。それで熱海の今度のは、丁度箱根の倍のつもりです。箱根は建物の面積が大体百坪とちょっとですが、熱海のは二百坪です。二階建にして、三階は特別室を造ろうと思ってます。全部で延にして約五百坪です。ですから相当に品物も飾れるし、もっとずっとユッタリすると思います。今道路を造ってますが、地勢の関係も美術館だけ見に行けるようになってますから、非常に都合がよいと思います。それで展望台の上に、つまり展望するガラスの家を設計しました。これは会館と同時に出来る予定ですが、大いに呼び物になると思います。丁度十二間半です。半分の六間幾らが半円形になって、風景を心行くまで鑑賞するというわけです。それで今はガラスは旧式になって、これはチカチカしますから見難いのです。そこで今はプラスチックですが、この方がずっと良いし、これなら欠ける憂いもないので、今度注文しました。曲線で六尺です。それを接(ツ)いでゆくのですが、やはりプラスチックで接ぎますから、あんまり目に障(サワ)るものはないわけです。ただそればかりでは、やはりしっかりしないから、金の細い継ぎを三本か四本ぐらい入れるつもりです。今は進歩してますから、巾の広いのは、まだ広く出来ますが、やはり六尺ぐらいが丁度良いです。下は地面から二尺の高さにして平にして、赤い絨毯(ジュウタン)を敷きつめようと思ってます。これは幾ら広くても日本で出来る事になってます。勿論多少接(ツ)ぎは出来ますが、それは気の付かないように出来ます。それから屋根は真平で一尺ぐらいの厚さの屋根です。それで廂(ヒサシ)は四尺出してお盆を乗せたようなものです。お盆と言っても平のものです。ですから、下から天井までは廻りが全部ガラスですから、景色を見るにはとてもお誂え向きです。そういうような計画です。それで赤い丸という事は、やっぱり太陽が半分出かかったというわけです。それで後の石垣はこういう工合(半円形)に造ってありますが、これは月に準(ナゾラ)えたのです。ですから日月の形になってます。
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それから近頃よく医学について“非常に寿命が延びた、これは医学の進歩だ”と言う人がありますが、どういう訳だというと、あなた方もそういうような質問があると思いますが、それはこういう訳だという事を書いてみたので読ませてみます。
御論文〔⇒寿命が延びた理由〕【註 栄光二三四号】
だから病気でなくて真の健康で働いて長生きするというのが本当です。ところがそれができないからして、病気を浄化停止で大事にそっとして居て死なないだけにしているわけです。だから健康で寿命が延びたのでなくて、病気を押えつけたまま、ただ寿命だけを延ばしたというわけです。ところが以前は、病気が起こった場合に浄化停止の薬の毒が薄かったために、浄化の方が強くなって、そうして死ぬというわけだったのですから、つまり毒を強くして浄化を止めてしまうという事が進歩と言えば進歩です。ですからそれが今の抗生物質というものなのです。その代りだんだん老人が増えます。これは英・仏がそうです。だからして元気のある人間が少なくなるのです。ただその日を安穏(アンノン)に暮してゆくという消極的人間が増えるのです。英・仏の状態はそれがよく現われてます。ただ楽に暮してゆくというのです。それにお誂え向きなのが社会主義なのです。英国の社会主義の発達がそういうためなのです。そう働かなくても食い物だけは食える、配給される、それから総ては政府でやってくれる、学校の授業料はただ同様にしてくれる――ついこの間までは歯は全部官費だったのです。ただで歯を治してくれるのです。ところが近頃は財政困難のために歯は個人で出すというように規則の改正がありました。そういうようだから、人民はそう働かなくても食うに困らないというわけなのです。だから楽には違いないが、国民の元気が無くなって来ました。国民が、只楽して生きてゆくという事だけしか考えなくなって来たのです。そういうようなわけだからして、死亡率は一時減っただけのもので、今に同じになってしまいます。それはただ死亡率が延びただけのもので、その延びた期間だけが減ったというわけです。ですからその期間を過ぎると同じになって来ます。だから医学の進歩のために寿命が延びたという事は、延びたにしても一時的のものです。ただ国民の元気が無くなって、国民が弱ったまま長くなるだけのものですから、国家の経済上から言ったら非常にマイナスになるわけです。そういう事を言ったところで当局などは、もう“超愚”になってますから、分るわけがありません。
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それから私は前から恐怖時代が来るという事を言ってましたが、これが大分近寄りつつあります。まだ一般に気の付く処までは行っていませんが、少なくとももう二、三年以上たつと急激に病人が増えてバタバタ死ぬ事になります。丁度今年の稲作が急激に悪くなったというように、どうしてこんなに病人が増えるのか、という事が分らないために大問題になります。医者がちょっと手をつけるとコロッと死んでしまうとか、やればやるほど悪くなるのが、目に見えてだんだん激しくなって来るという事になって、そこで初めて救世教の説というものが大したものだという事になるとともに、それを治してやる仕事がウンと忙がしくなるわけです。だから今の信者の人達はその時のための一つの用意です。急に増やすわけにもゆかないし、教修者が直ぐに病気を治せるが、やはり前から相当熟練をした人は違いますし、又神様の医学の医学的智識もあるし慣れていると、いう人が相当数居ないと、その時になってみんなやられてしまうから、今はその準備と思えばよいです。
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それからつい四、五日前に文部省の宗務課長補佐と朝日、毎日、時事、そういった新聞の学芸部の連中が六、七人来て、対談しました。いろいろな事を聞きましたが、とに角、やっぱりみんな救世教も新宗教の一つと見てますが、どうもそれは嘘であるし、それから新宗教とは全然違うから、私の方で“宗教ではない、宗教より上のものだ”と言ったところが、“では救世教という名前を変えたらよいではないか”と言うので、“しかし名前を変えても、文部省の方にそういう項目がないから、宗教の内に入れなければならないので、しようがない”と言ったところが、文部省の人も“それはそうだが、今のところはしようがないです”と言ってましたが、外の宗教とは違う、断然かけ離れているという事を認識させるのが最も必要なのです。今新聞に出ている霊友会や立正交成会などと同じ列に加えられるという事は甚だ遺憾なのです。しかしこれもチョットやソットではなかなか分らせられるわけはないのですから、あの手この手でいろいろな面から説いて、だんだん分らせてゆくより外ありません。けれども分りかけては来たようです。見方は余程違って来ました。おまけにそういう点においては美術館などが非常に役立ったわけです。これも一つの見方を書いたものです。
御論文〔⇒生きてる宗教〕【註 栄光二三三号】
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それからさっきの米国の記者のシモンズという人に私が言った中にこういう事があるのです。つまり地上天国は箱根に小さいのを造った、それから熱海にも出来るし、京都にも出来る。それから今にハワイにも造り、それからアメリカ各地にも造る。それからヨーロッパからアジヤの各国にも造る。というのは、公園というのは今世界各国何処にも出来ている。しかし公園はまだまだレベルが低いから、もっと上等な公園を私は造るつもりだ。だから地上天国というのは世界中の各地に公園の如くに造るつもりだ、と言ったわけなのです。これを向うの新聞に出すでしょうが、そうすると、今までの公園はただ町の中で青いものを見る、或いは花を見る、あとは子供の遊び場、それから動物園とか、子供的の観覧場で、まだ低いのです。つまり人間に美というものの観念を与える、美というものの信念を養うという事が大いに不足しているわけです。そういうようなわけで、ただ人間の憩いというだけの話で、魂を高めるというような設備は実(マコト)にないわけです。ですからだんだん文明が進んで来ると、そこにゆかなければならないわけです。要するに公園のもう一層高級なものです。そういうものを世界中に造るという事を私が始めるわけなのです。けれどもこれはそういうふうになるに決まってます。これが一つの地上天国の重大な要素になるわけです。その一番の皮切りが箱根の神仙郷というわけで、今度は熱海に造るわけです。日本もいずれは京都にも出来ますし、中京附近にも出来るでしょうし、九州の方にも出来るでしょうし、それからが又、小さいものが北海道とかいろんな所に出来るでしょう。ハワイはそう遠くないと思います。今の勢いで信者が増えると、どうしてもそこへ行きます。それから次はアメリカというような工合でやってゆくつもりです。外にも又、病気とか農業という事がありますが、美という事もとても有意義な大きな仕事です。ですからつまり今までの宗教でそういうような計画をした宗教はないのですから、だから宗教ではないという事は立派に言えるわけです。これは別に私がやるわけではないので、神様がやっているのですから、無論そうなるのは間違いないので、ただ時期です。今の新聞記者の話の時に“そんな理想世界が実現すると言ったところで、余程先の事だろう”というように思ってますから、“冗談ではない、私が生きている内に兎に角基礎だけは造るのだから”と言ったところが、妙な顔をしてました。それから御守の話が出て、“御守で病気を治すが、あなたが彼の世に往ったら御守を作る人がないからしようがないでしょう”と言うから、“冗談ではない、霊界から幾らでもそういった力を振うから、そういう事は別に何んでもない”と言ったところが、ハハア、と首をひねっていました。そういうようで、だんだん救世教というものは注目されて来ます。ただあまりにこっちの言う事が違い過ぎるので、それを分らせる事、なるほどと信じさせる事がなかなか骨が折れるのです。分りかければ早いのですが、なにしろ今までのみんなの頭というものが変な説で固まってますから、それを溶かさなければならないのです。それがなかなか骨が折れるのです。結局無肥料栽培の自然農法が認められ、それから今度は、さっき言ったとおり医学の方は駄目だという事をどうしても神様が分らせますから、そうなってからならこっちの言う事がスラスラと頭に入るわけです。しかしその前に、それについて働く人間が多くならなければならないから、そういう人達が現在の信者さんなのです。神様はうまくやります。それで話の分る人と、中々分らない人――一言話しただけで忽ち共鳴する人と、どんな事をしても駄目な人と両方ありますが、これは人種的関係があるのです。今度この人種的関係をよく話しますが、そうするとはっきりします。今日はこのくらいにしておきます。
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十一月六日
この前話した農業特集号ですが、あれからよく調べてみると、肝腎な中京方面が数量に未だ予想が多いのです。予想では面白くないので、やっぱり正確な数量が出ないといけないのです。何んだ彼んだ言って本当に分るのは、どうしても今月一杯過ぎなければ駄目だそうです。それに佐渡の方面も去年は非常に良かったのですが、今年は未だ一つも来ませんから、どうしても春早々に出した方がよいと思って、一時延ばしますから、そのつもりで居てもらいたいと思います。なにしろ全国的に注目の的になってますから、少しでも不正確な点がありますと、やっぱりアラを見付けようと思っている者も居り、そこを大きく広げて地方新聞に出したり、そういう評判を立てたりするとまずいから、何処から突いても一点の誤りがないというように、できるだけ正確なものにした方がよいわけです。なにしろ、科学との戦いですから、隙(スキ)があると科学の方で切り込んで来るのです。世界中が科学を神様のように思っている現在で、その科学をやっつけるのですから、こっちも余程戦備を怠りなく堂々とやらなければならないのです。
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「救世教奇蹟集」はこの間読売新聞に出しましたが、毎日と朝日は首をひねっているらしいので、余程困っているらしいです。私はそれは百も承知しているのです。なにしろ数十万のキリストができているというのですから。良いとか悪いとかと批評はできないのですが、中を読んでみると事実に合っているのです。と言うよりも本人が書いたものですから否定するという事はできないし、そうかと言って、あんまり桁外れな、思いも付かない事であるために気味が悪いのです。私の方からみると実にナンセンスです。先方は真面目で、相当論議をしているだろうと思いますが、なにしろこっちのやり方があんまり時代よりか離れ過ぎているわけです。離れると言っても、上の方に離れているのです。
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二、三日前にアメリカのシカゴ・トリビューンという大きな新聞――アメリカでも大新聞の方でしょう――の東洋総支配人の奥さんで、婦人の記者です――アメリカには婦人で偉いのが居ます――なかなか頭が良く、観察や、そういう事が実によく、日本人と違った見方をして居ました。相当に新聞に出すらしいのです。随分よく質問し、約二時間ぐらいいろいろと話をしました。これは無論相当紙面に出すようです。“日本における兎に角飛び抜けた存在だ、飛び抜けたものが現われた”というような見方をしているらしいです。そして救世教を紹介するのに、自分の所がトップを切りたいという意向なのです。当分の間はアメリカの他の新聞が若しか来ても、話をしない事と、広告をしない事と、そういう事を前もって断ったくらいですから、相当に認められるだろうと思ってます。やはり美術館によって一番心を動かしたらしいのです。ああいうようなものは、つまり日本には未だない、それからその根本は宗教だ、そこで主に宗教的の事を聞きましたが、その中で面白いと思ったのは、私が宗教の仕事をしたのは五十ぐらいからで、本当に専門にやるようになったのは約二十年ぐらい前からです。ところが釈迦やキリストは、生まれながらと言うか、ごく若い時に宗教の仕事をやった、私は五十からというのは実に世界に例がない、珍しいと言ってましたが、そういう見方などは、日本人にはちょっと気が付かないような事だと思います。いろんな話をしましたが、結局アメリカは緯の文明の中心であり、日本は経の文明の中心だ、だからどうしても経と緯を結ばなければならない。救世教はその結びの仕事をするという事は前から決まっているのだから、あなたが来られたのもそういう意味ではないかと思う、というような話をしました。それから熱海の地上天国も見せましたが、非常に驚いて感心してました。どうも見るもの聞くもの心を打たれる、だから何んと言ってよいか言葉がないと言って、とに角こういうような構想はアメリカにもないと言うのです。それでこういう事を聞いてました。“こんな景色の良い所をどうして”と言うから、“私が八、九年前から手に入れてやった”と言うと、“それまで熱海の人がどうして残しておいたか、何もしなかったという事はどうも疑問だ”という事を言ってました。“それは此処は薮みたいで、こんなような形さえ全然想像もできないほどだった”と言ったので、やっと分ってました。とに角これからアメリカの方もだんだん燃え始めるだろうと思ってます。ハワイの方はますます発展しつつありますから、近き将来ハワイはメシヤ島になるかも分りません。つまり殆んど救世教信者になるとすると、ハワイ島でなくてメシヤ島になるだろうと思ってます。そうすると世界的に注目されて来ますから、急激にハワイ全島に拡がるという事は、余程の脅威的力があるものに違いないというような事になって、そこでアメリカなども大分注目されて発展して来ると、そこで初めて日本の新聞とかそういうものが目が覚めて喫驚する事になり、そうすればこっちの出版物でも何んでも喜んで歓迎し、それから又私の言った事は何んでも“結構だ、本当だ、それに違いない”と言って感心するというようになります。それまでの事です。大本教のお筆先に「燈台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがありますが、今言ったような意味だろうと思ってます。なにしろ日本人は、つまり自信がないのです。劣等感が強いのです。それも無理がないので昔は支那文化で、何んでも支那でさえあればよいというのです。ですから骨董品でもそうで、唐物と言えば大変尊ばれたものです。それで今茶入などでも唐物と言ってあります。尤も文字から一切支那の文化を取り入れたのです。ですから調べてみると、宮中――皇室の行事やいろんな事は支那のものを写したものです。昔から“日本は駄目だ、どうしても外国で出来たものでなければ良い物がない”というような、一つの伝統的にそういった信仰というようになっているからして、今でも舶来物でなければ駄目だというのです。尤も大体今の日本の文化はみんな舶来ですから無理もないです。化粧品の広告も、いやに“アメリカ、アメリカ”と出てます。アメリカで流行るとか、薬がどうとかとあります。ペニシリンの広告に“アメリカ以上の効果がある”とか出てます。しかし化粧品などは馬鹿げてます。アメリカの婦人と日本の婦人とは皮膚が違います。第一食べ物が違います。それを同じに思っているのですから、アメリカ崇拝の結果そういうふうになったわけです。ところが私はアメリカの文化が間違っていると言うのですから、余程くい違っているわけです。なにしろアメリカを救うというわけですから、或る時期までは“救世教という奴は変な奴だ”と言うが、そうかと言って悪いものとは思えないのです――悪くはないのですから。良いものとしても、少し桁外れだし、そんな偉いものが日本から出る事はない、日本人でそんな偉い者はいないと決めているのです。特に決めているのは――これは世界的かもしれないが――キリストとか釈迦とか、ああいう人よりか偉い人はもう出るはずがない、地球上に現われるはずがないと固く決めているのです。私がキリストや釈迦などはずっと下だと言っても、正気の気違いくらいに思って、どうも少し変だととられるぐらいなもので、そう急には分るわけがないのです。これもあまりに桁違いなので仕方がないです。だから「奇蹟集」などは、いずれは大問題になるべきものです。
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四、五日前に文部省の宗務課長補佐と朝日、毎日とか、その他のいろんな新聞の記者が六、七人で会いたいというので会いましたが、医学の事を言ったところが、“近頃よく寿命が延びたという事を言うが、これは医学が進歩したのではないか”という事を言ってました。それで簡単に説明してやりましたが、なかなか分りそうもないのです。その事を書いてみました。
御論文〔⇒寿命が延びた理由〕【註 栄光二三四号】
ところがこれが長く続けばまだよいが、そう長くは続かないのです。というのは浄化がだんだん強くなって来ますと、そう長い事はありませんが、二、三年ぐらいが精々です。それから先は病人がベラボウに増えて来るのです。アッチでもコッチでも訳の分らない病人が増えて、何時も言うとおり、医者がちょっと手を付けるとコロッと死んでしまうというような時代が来ると、それから慌(アワ)て出すのです。本当に医学の間違いが分るのはそれからです。それからがこっちの本舞台になるわけです。今はそういう時に働く役者を神様は作られるわけです。あなた方はみんなそういう人です。その時になると体が幾つあっても足りないという事になります。兎に角医者自信が駄目だという事になります。注射でもしようものならコロッと行ってしまうという事になります。その時に“救世教の奴はトンデモナイ事を言っていたと思ったら、これだな”と、いよいよそこで頭を下げるのです。丁度稲作が今年は大変な凶作だというので、何処でも青息吐息しているというこれが、病気もやはりそうなるのです。ですから今その準備をしているわけです。
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それから宗教についてちょっと面白い事を書いてみました。
御論文〔⇒生きてる宗教〕【註 栄光二三三号】
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それからさっき言ったシカゴ・トリビューンの記者にこういう話をしたのです。地上天国は箱根、熱海に造って、更に京都に造る。その次はハワイにも造るし、それからアメリカにも造り、漸次ヨーロッパから世界中に造る事になる。これは今まで公園は世界中何処にも出来ているが、公園ではあまりに大衆的で、ただ憩いとか、或いは子供の遊び場といったようなもので、レベルが低いのです。ところが地上天国の方はもっとレベルの高いものです。要するに美によって人の情操を高めるという考えでやるのだ、私はそういうものが必要だというのです。兎に角現在いろいろとそういった娯楽的に見るものとしては、あまりに俗悪過ぎて、要するにそれを見て品性を向上するというよりか、品性を堕落させるものが多いくらいです。そういった観覧物が一ぱいですから、その中で品性を高めるべき、要するに高級なものもなくてはならないのです。私の言う地上天国というのはそれが目的だ。だから公園のもっと上等なものです。そういうものを世界中に造って、美によって大いに人間の品性を高めるのです。そういうつもりだという事を話しましたが、非常に共鳴してました。そこで救世教は病気を治すという事は分り切った話です。それから農作物は食って余るくらい出来るという事も分ってます。それとともに人間の魂を磨き良くするのです。ところが今までは魂を磨くというと難行苦行でなくてはいけないと思っていたのです。いろんな修行です。それがこっちは反対で、楽しみながら魂を磨くというわけです。汚ない社会、厭な事を聞いたり見たりして、要するに心を始終汚してしまうのです。ですから時々はそれを洗濯するわけです。つまりその汚れを取るという機関がなくてはならないのです。それが地上天国です。それには美というものですが、美にもいろいろあります。ストリップでもやはり美です。あれは、神様の造った人間の若い女性というものは素晴しい美です。けれどもあの美は、美しいだけで品性を高めるという事とはちょっと逆です。だからあれも敢えて全部否定するという事は、道理学者的になりますが、ああいうものも見て結構ですが、それと共に又品性を高める美というものも見なければならないのです。それにはどうしても地上天国的のもので、それには何時も言うとおり天然の美と人口の美です。この人口の美という事は、口では言うが、今までは駄目だったのです。その記者に言いましたが、立派な芸術家が苦心して作った良い物を、或る一部の特権階級が人の目に触れない所にしまっておいて、少数の自分の関係者に見せるという事と、財産保護法の手段としてそういう物を集めるというだけのもので、どうも甚だ本当ではない。それは非常に間違っているから、私はできるだけそういった立派な物を集めて、そうしてそれを誰でも見られる、一人でも多くの人に見せるという事が本当なのだから、その目的が主なものだという事を言ったが、非常に共鳴してました。これは日本人もそうですが、外人は特にそういう美の独占は非常に悪いという事を思っているのです。ですから国によっては、日本の国宝とか重要文化財という事もいけないと言って、フランスあたりでは、そういった非難があるそうです。国宝などと言って、自分の国に大事にしまって、外国の人に見せないという考えはどうも良くない、という事を言っているそうです。箱根美術館のようにああいった良い物を大衆に見せるという事は非常に共鳴するのです。兎に角民主的美術館です。ところで今までは外の個人的美術館というと、まず財産保護のためです。これは記者も言ってましたが、他の美術館は漸く春秋二回の僅かの期間見せるだけだから、どうも一種の財産保護のためのようで面白くないが、救世教の美術館はそうでなく一般に見せるという事は、今まで日本人ではやらない事だ、という事を言ってました。そういう事もよく見たと思って感心しました。又博物館はどうかと言うと、博物館は美術が本位でなくて、歴史学的、考古学的のもので学問的の一つの参考品です。本当に美術と言えば古美術であって、古い方がずっと良いのです。それで現代美術の方もこの頃は大分人の目に触れるようになりました。それから良い物でも西洋の絵は見られるようになりましたが、日本の古美術というのは誠に見られないのです。これは箱根美術館だけです。又支那の東洋美術にしても、それが本当に鑑賞できるのは箱根美術館だけです。その意味において外人も漸く認めて来たわけです。それから今のシカゴ・トリビューンは、社員が四千二百人で、本社が二十四階だそうです。日刊の頁数は六十頁というのですから、ベラボウに大きなものです。
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十一月七日
この前農業特集号を出すという話をしましたが、肝腎な中京方面の報告に推定が多いので、それでは正確を欠きますから、やはり何俵何斗何升という数字が正確でないと工合が悪いのです。それには来月にならなければ正確に分らないそうですから、特集号は延ばして、春早々にするつもりです。そのつもりで居てもらいたいと思います。それで今までの報告の推定なども、気候のために予定よりか多くなる人もあるし少なくなる人もあるようです。なかなか目を見張っているらしいですから、そういうのは推定よりも違ったら突込んでやろうというような空気も幾らかあるようです。なにしろ世間の目は救世教を非常に注目してますから、何処からも指一本さされないように、聊かの隙もないようにやってゆかなければならないと思います。
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それから四、五日前にアメリカのシカゴ・トリビューンというあっちの大新聞の東洋総支配人の奥さんで、女の新聞記者ですが、来ていろいろ質問して、新聞に載せるのだそうです。それで箱根美術館も見たし、熱海の地上天国も見せたので、非常に感心して、何を見ても聞いても心が打たれ通しで、何んと言ってよいか言葉で表わせないというような事を言ってました。ところが昨日聞いたところによりますと、教主様に会ったけれども、自分には荷が勝ち過ぎて、どうも太刀打ができない、まあ負けた形だというのです。しかし随分いろいろな質問をして、自分では相当自信があるらしかったです。私も思い切って話しました。その人の主人は今朝鮮に居るらしいですが、いずれ東京に来た時に是非主人と十分談話を交してもらいたい。それで是非トリビューンに相当大きく扱って出すという希望だそうです。『世界平和の建設者』という標題で書くつもりだと言ってますが、非常に面白いと思います。これで一躍米国に救世教というものが知れるわけです。将来あっちに宣伝する上において、兎に角第一印象を与えておくという事は非常によいと思います。先方で感に打たれたと言いますか、印象付けられたのは、兎に角アメリカは白人文明、西洋文明の代表者だ、日本は東洋文明の代表者だ。つまりアメリカは緯の文明だ、日本は経の文明だ。だからこれを結ぶという事が世界としては一番重要な事で、これによって本当の文化が生まれるのだ。だからあなたの方で私の方を新聞に載せるという事はその第一歩だ、つまり結ぶ第一歩です。だから非常な結構な事だ、というような事を話したので、そういうような事は向うでも非常に印象づけられたように思われます。ただ向うで言う事で面白いのは、私が宗教を始めたのは約五十ぐらいの時からだと言ったところが、これは珍しいと言うのです。釈迦やキリストでもずっと若い時からだったけれども、あなたは五十からというと、そういう年輩になってから大きな宗教的存在になった人はないと言うのです。この点は非常に珍しい事を言ってました。これは私もウッカリしていた事で、面白いと思います。それから共産主義はどう思うと言うから、あれは私は問題にしてない、あんなものは決して成功するものではないからと言ったら、どういうわけだと質問するから、人間で言えばアメリカや日本は上半身だ、それで下半身が共産主義国=ソ連=だ。つまり足にあたるのだ。だから若しソ連が支配権を握ったとしたら、人間は逆(サカサマ)になって歩くような事になってしまう。そういう事はあり得る事はないと言ったところが、非常に笑ってましたが、あっちの新聞に出すでしょう。丁度二時間ばかり話をしました。それからもう一つ私が言った事は、箱根、熱海、京都の順に地上天国を造るつもりだが、いずれハワイにも造り、アメリカにも造る。そうしてだんだん世界的に増やしてゆくつもりだ。というのは、今までは公園は方々に出来ている。しかし公園というのはごく一般的で大衆の憩いの場所というようなもので、私の計画しているものはもっとレベルの高いものです。つまり天然の美と人口の美を取り入れた、上等なものを造る。なにしろ人間が見るものとしては、現在の如くみんなあまりに俗悪のものが多過ぎるので、見て品性が向上するようなものは殆んどない。見て堕落に導くようなものの方が多いのだから、少しはそういった高級な、品性を高めるようなものも大いに必要だと思う。そういう意味でこの地上天国を造るのだと言ったが、非常に共鳴していました。未だいろいろありますが、気の付いた事はそういう点です。何時も言うとおりメシヤ会館がだんだん出来るに従って外国に拡がってゆくのです。そういう意味になります。出来上ってからはアメリカなどには大いに発展するわけです。
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それから昨日ハワイの弁護士の三保という人で、これは今度ハワイの法人を骨折ってくれた人ですが、法人は許可になったのです。その報告とかいろいろな話ですが、日本の弁護士と違って宗教的に、なかなか理解があるのです。そう言っては悪いが、日本の弁護士はおよそ宗教とは反対です。尤も解釈のしかたですが、昨日の弁護士の話によると、アメリカは総て裁判官とか弁護士とか法律の事をやっている人は、宗教が非常に肝腎だと言うのです。つまり人を裁くのですから、その場合に公平に裁くとすれば、正義を土台とするのだから、神様を拝むという宗教的信念があれば非常によいというのです。ところが何時かの裁判などでも、私の経験によると、日本の弁護士というのはそういう解釈とは違うようです。つまり法律家というものは――裁判官もそうですが――法によって裁くのだ、宗教とは全然関係ない。宗教はまず大体迷信が多いのだから、そういった事で裁判官や弁護士が頭を使うとかえって良くない。だから飽くまで法の理窟で裁き、理窟によって善い悪いを決めるという事が本当だというように思っているらしいのです。だから大変違うのです。だからそれがどういうふうに裁判上に現われるかと言いますと、日本の裁判官は、この人は良い仕事をしているとか、国家社会に良い仕事をしているという事は全然眼中にないのです。この人間は法律第何十何条に抵触(テイシヨク)するという事で、他の事の良い悪いはどうでもよいのです。それ一方で罪を決めてしまうのです。ところがアメリカはそうではないのです。アメリカでは、どうせ大きな仕事をする人や役に立つ事をする人間はウッカリして法に触れる事がありがちのものだ、だからただ罰しないで、この人は社会のために大きな仕事、良い仕事をするかという事を基本にして罰するのだそうです。それで私の裁判でも最後に出た某弁護士が、岡田という人はこういう社会のために良い事をしていると力説したが、テンデそういう事は裁判官は耳に入れないのです。鵜沢総明さんなどもそういった考えでした。だからむしろああいう弁論は、実際の罪と的外れになっているような気持です。ところが全然裁判官の方では馬耳東風なのです。ただコイツを罪にしてやろうとか、ごく細かい徴罰的にそれに引掛けて、罪人にすれば手柄になるというような工合です。ですからアメリカがああして進歩発展するのはそういう点にも大いにあると思います。
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一週間ばかり前に文部省の宗務課長補佐と、朝日、毎日と、他の新聞の記者が六、七人来ていろいろな質問をしましたが、その時に私が医学の進歩と言っても駄目だと言ったところが、“では近頃日本では寿命が延びたと言うが、これは医学の進歩ではないか”と言うのです。それだけでみるとそう思うのも無理はないのです。それでそれをよく言おうと思ったが、先方は予備知識がないからなかなか分らないのです。それで簡単には言ってやりました。信者の人もそういう質問はよく受けるだろうと思いますから、それについて書いてみました。
御論文〔⇒寿命が延びた理由〕【註 栄光二三四号】〕
つまり浄化停止がうまくなったわけです。進歩と言うと変ですが、浄化停止の方法が上手になったわけです。ですから確かに寿命は一時延びますが、これも或る時期というよりかもう二、三年もたつと霊界の浄化が非常に強くなりますから、今度は逆に恐ろしく短命になる時代が来るのです。それは恐怖時代になるわけです。それがもう大分近寄っています。これが一番よく分るのは、あなた方が浄霊して、以前よりか治りよくなったでしょう。早く治るでしょう。これはそれだけ浄化力が強くなったわけです。それから作物に虫害などが非常に多くなったという事も、霊界が変って来たわけです。つまり浄化力が強くなるという事は、今に薬をだんだん強めて、そうして浄化を止めて、近頃のように寿命が延びるという事は、逆療法が極端に進歩したわけです。それでこの辺で逆療法の方は頭がつかえるわけです。そうして今度は浄化力の方の、逆療法を打消す霊界の方の強い力が増して来ますから、丁度今年の不作のようで、もう少したつと今度は馬鹿に浄化停止の力が弱って来るのです。反動的に弱って来るのです。そうすると薬をのむと直ぐに悪くなり、注射をすると直ぐに参ってしまうようになり、何時かも言ったとおりお医者自身が怖くなって、“これは大変だ、ちょっと手を出すとみんな悪くなってしまったり、参ってしまう”という事になり、つまり恐怖時代です。それからが初めて“救世教の唱えた説が本当だ、これはどうも救世教に縋るより外に安心ができない”という事になるのです。そういう時がきっと来るのです。そうなるとあなた方は非常に忙がしくなり、体が幾つあっても足りないというようになります。まあ助けてやりますが、これは大本教のお筆先に「今に艮の金神返報返しを致すぞよ」「喜ばして返報返しを致すぞよ」という事があります。これが丁度それになるわけです。ナグリつけての返報返しではないのです。それは人間の方のやり方です。神様の方のは助けてやるのです。今まで散々悪口を言った連中を助けて喜ばしてやるのですから、今の事が合っているわけです。それから日本のインテリなどは、幾ら分らせるようにしてもなかなか分らないが、これはアメリカで救世教が評判になれば直ぐに分ります。これもやはり“喜ばして返報返しを致すぞよ”という意味になります。
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それから「生きてる宗教」という事を書いてみましたが、他の宗教は死んでるようなもので、救世教だけが生きているというわけですが、それをなるほどと思うように書いたつもりです。
御論文〔⇒生きてる宗教〕【註 栄光二三三号】
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それから医学の間違っているという事を見方を変えて書いてみました。
御論文〔⇒医学は迷信か〕【註 栄光二三五号】
今書いたとおり医者の方で病気を治せばそれでよいのです。そうすれば人々は民間療法とか新宗教とか、そういう所に行きやしません。治らないから、仕方なしに行くのです。ですから新宗教がいけないとか、他の療法がいけないという事はおかしい話です。御自分が治せばよいのです。つまり自分が使っている人間に給料をやらないから、ずるい事をするとか外から金を借りるとか不正な事をして金を得るという事になるので、それと同じです。必要だけの月給をやればよいのです。そうすれば誰が悪い事をするものですか。ですから医者の方で病気を治せばよいのです。そうすれば問題はすっかり解決します。治らないのに治るように見せかけているのです。そうして金をウンと取って、結局今度は命までとるのですから、信じろ信じろと言っても信じるわけがないので、仕方がないです。ですから医者が手を握って、他に行くな、お前は可愛がってやると言って、横面を張るようなものですから、それでは誰でも逃げてしまいます。本当に撫でてくれる方に行きます。これは簡単な分り切った理窟ですが、そこが間違っているのです。散々横面を叩いて、お前を良くしてやる可愛がってやると言っているようなものです。そうして本当に可愛がって良くしている人間をケシカランと言うのです。オレの方で手を握って可愛がっている人間を……と言うのです。実際世の中は間違い切っているのです。結局、一昨日のラジオのニュース解説で、“でたらめな世の中”という題で言ってましたが、その人は外の意味から言ったのですが、やっぱりこっちでも“でたらめな世の中”と言いたいくらいです。それでこんな簡単な理窟を分らせるのに中々骨が折れるのです。そこでいろんな例をあげてやらなければならないのです。要するに人間は教育のある馬鹿、文化的野蕃人、野蕃未開人になつているというわけです。病気が治らないとやたらに手術して臓器を取ってしまって、それが進歩したのだと言ってます。アメリカの新聞記者も言ってましたが、アメリカは非常に手術が進歩して何んでもやたらに取ってしまうのです。それで進歩した進歩したと言っているのですから、アメリカ人も“超愚”の点では日本に負けてないです。ですから“超愚”では足りないくらいで、もう一つ超をつけて“超々愚”でしょう。
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十一月八日 (名古屋市金山体育会館において)
今日は少し変った話をしようと思います。御承知のようにわが救世教も順調に育ちつつあります。それについて各方面からいろいろ注目をされるようになりつつあります。なにしろ今までの宗教と違って、非常に変ってますから……と言ってもこっちが変っているのではないので、先様が変っているので、こっちは当り前なのです。ところが世の中が変り過ぎてますから、まともな者が変ったように見えるのです。だから非常にやり難いのです。ついこの間も文部省の宗務課長補佐の人と、朝日、毎日をはじめいろいろな新聞連合機関の人が六、七人来ていろいろ質問をしたのです。私も話はしましたが、救世教というのはやっぱり宗教ではないのですかと言うのです。だから私は宗教ではないのだ、宗教以上のものだと言うと、それではどういう訳で宗教という名にしたのですかと言うのです。文部省の役人も居ましたが、宗教より外にこういうものを入れる項目がないから、取扱上宗教の中に入れなければしようがないから宗教という名にしたと言ったのです。だからしようがないです。外に何か名をつけるよりしようがありません、と言ってました。そういうような工合で、これからだんだん表面的活動になって来るのです。しかしこっちで態々(ワザワザ)そうするのではなくて、世の中からそういうふうにし向けられるというようなわけで、自然です。それでこの自然が私の方針なのです。つまり自分で“オレはこうだ、オレはこういう事をする”と言って最初から大手を振ってやるというのでなくて、コツコツとやっているうちに世の中からいろいろな事を言って来、希望して来る、というように発展して行くというのが自然です。何時も言うとおり、物が育つようなやり方でゆかなければいけないというのはそういう訳です。
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最近アメリカのシカゴ・トリビューンというアメリカでの四大新聞の一つです。ニューヨーク・ヘラルド、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト等と共に大新聞です。発行部数は百万以上だそうです。日刊新聞が六十頁というのですから大きなものです。まるで日本の雑誌みたいな読みでがあります。あっちの新聞ですから広告が大部分なのでしょう。社員が四千人だそうです。本社の建物が二十四階というのですから、ちょっと度肝(ドギモ)を抜かれる大きさです。その新聞の東洋総支配人の奥さんが来たのです。女の新聞記者というわけですが、なかなか頭の鋭い人です。箱根、熱海の地上天国を見せました。それからいろいろな質問を聞きましたが、日本人と話をするよりか分りよいのです。日本人の新聞記者などは余程こっちが加減してもなかなか分らないのです。それは見方が公平で、急所を見るのです。ですから私も気持良く話ができました。約二時間ばかり話をしました。その中で私は一番面白いと思ったのは、私の今までの経歴を話したところ、“あなたは珍しい、釈迦やキリストはずっと若い時から宗教の事をやっていた。ところがあなたは五十過ぎてから宗教に入ったのだから世界に例がない”と言ってましたが、私もなるほどそう言われてみるとそうだとちょっと見方が違う処に面白みがあると思ったのです。それからいろんな話がありましたが、その中で気のついた事だけを話します。“天皇制はどうか、天皇制に対してはどういう考えか”という事を質問されたのです。それで私は、“天皇制はない方がよい”と言ったのです。アメリカが天皇制をやめるような仕方だから結構だ、どうしてかというと、天皇制がなければ、まず日本が戦争を起こすという事がないでしょう。この間の戦争にしても、天皇制を利用して一派の者が野心を抱いて始めた事なのだから、つまりそういった機関がなければ、そういった看板がなければ、そういう事ができないのです。ですから非常に結構だ。というのは、日本という国は本当の平和の国です。平和の国という事は、要するに世界の公園です。というような、非常に世界的に美しい、世界中の人を慰める、楽しませるという、そういう国柄なのだ、日本の使命はそうなっているのだ、だから戦争などは絶対反対なのだから、徹頭徹尾戦争が起こらないような国家にする。そうして平和的の美、美しい国という、そういう考えで地上天国や美術館を造ったのだ。それからこれからも日本では箱根、熱海、京都に最初造るとして、それからハワイにも発展したので、いずれ地上天国を造るようになるだろう。それからその次はアメリカにも造るし、ヨーロッパにも勿論造る。東洋にも造る。それは何故かというと、公園は世界各地至る所にありますが、その公園よりもっと上等なもの――公園というものは一般的のもので、大衆が憩い、或いは大衆の娯楽という意味ですが、もっとレベルの高い美によって人間の品性を高めるというものが人類に必要なのです。私はこれからそういうものを造ろうと思っている。それからもう一つは、今日の人間というものは、娯楽がなくてはいけないが、娯楽と言っても、品性を高めるというようなものよりか、品性を堕落させ低めるというものの方が多い。これは説明するまでもありませんが、そういった観覧物を見て堕落に導くものの方が多いですから、どうしても少しは品性を高めるというものが必要だ。この事は、その時には時間がなかったからあっさり話しましたが、少し詳しく話してみますと、つまりこの汚ない社会━嫌な事が沢山ある忌わしいものの中に生活している以上、その魂が汚(ヨゴ)れるのです。汚すまいと思っても、汚すような事柄が沢山できて来るのです。話を聞いても、ラジオでも、新聞を見てもそうです。ラジオでは、娯楽以外には世の中の良い事はあんまりありません。そういった事を見たり聞いたりしているために精神的に濁りが溜まったりいろいろします。そういうものを洗濯する、洗うというものが必要なのです。そのために地上天国と言って、天然の美と人工の美というものを楽しみながら見れば、汚れた魂が幾分でも洗われる。それから又美ですが、目によってその人の心の境地が高まるわけです。だからつまり人類社会を良くするには、そういったものがもっとなければいけないのです。ところが今まではなかったのです。地上天国というのは美の世界です。真善美の美です。そういうような事をやった人は今までにないので、そのために私がやり始めたのが、今やっている箱根、熱海です。ところが箱根は出来上って、熱海は今やってますが、これは皆さんも知ってますでしょう。シモンズという名前の人ですが、お世辞でなく、非常に感銘したようでした。それから熱海は私が直接案内しましたが、非常に驚いて、〈これは通訳が言うのですが〉事々に“こういった構想はアメリカにもない、何を見ても心を打たれる”と喜んで帰りました。それから二、三日たって、通訳に当った人が私の所に始終来る浮世絵専門の道具屋ですが、アメリカの浮世絵を研究している人達に一週一回夜講義をしているのです。その人は信者なのです。その人が通訳をしたわけです。その人の話によると、どうやら先方も分ったらしいのです。それで帰ってからの話を聞きますと、どうも自分の方が少しタジタジだった、荷が勝ち過ぎた、だから今度自分の主人が朝鮮に行っているが、帰って来たら是非会っていただいて、又主人が十分話を交換して、自分はアメリカに帰って、トリビューンに救世教の紹介をし、そうして岡田という人の記事を是非書きたい。『世界平和の建設者』という題で書くつもりだ、という事を聞きましたが、これは本当にそうするらしいです。兎に角この新聞に相当出れば、アメリカの人に一ぺんに知れるわけです。だから神様の方から言うと、一歩アメリカの方に足を踏入れたという事になるわけです。それからその時にこういう事を言いました。つまり文明にも経と緯がある。緯の文明の代表者はアメリカだ、経の国の代表者が日本だ――これは私の書いたものに沢山あります――ですから経と緯の両方を結んで、初めて本当の文明が生まれるのだ、それでその経緯の文明を結ぶという事が、救世教の本来の一つの使命だ。という事を言いましたが、その事についても大変共鳴してました。これは本当なのです。まずその第一歩としてあなたが来られてこういう話を交換されたわけだから、と言ったところが、大分感銘したようでした。この話はそのくらいにしておきます。
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知ってのとおりハワイが非常な勢いで発展しつつあります。それでついこの間あっちの弁護士が来ました。これはハワイの法人の許可を受くべく骨折った人です。やっと許可を得たそうですから、これからは大変やり良くなるわけです。非常に評判が良くて、しかもこの間ホノルルに本部を買入れましたが、これが大変に良い場所で、非常に立派なもので、値段も安いし、素晴しい買物だと言ってました。ハワイは五つの大きな島から成立っていますが、その一つずつに一カ所ずつチャンと支部ができましたから、これからだんだん活動するというわけです。その一つ一つの島に、つまり救世教が大いに発展するわけです。そこで今の形勢でゆきますと、結局そう長くはかからないうちにハワイ全島が殆んど救世教になると思います。メシヤ島になりやしないかと思ってます。兎に角今のあっちの発展の勢いは素晴しいものです。そうなると世界が注目します。今一番注目しているのはアメリカです。尤もそれはこっちの予定のとおりですが、つまりハワイの発展の工合を見てアメリカが“これは大変なものだ、では自分の方に是非来てもらいたい”という、アメリカの国民的世論でアメリカに始まるという、そういう計画ですから、そういうふうにゆくわけです。そうしますと、ハワイは食べ物はウンと出来るのですから、みんなが食べ切れないほど出来るのです。これは日本とはまるで違います。気候はよいし、あんまり悪い人間は居ないのです。日本のようにずるい人間や悪い人間というのは、結局食えないからです。それが食糧その他の豊かな所では、ずるい事をする必要がありません。ですから日本がますます悲惨な状態という事は、物が足りないという事が一番の原因だと思います。ハワイで一番苦しんでいるのが病気です。だから救世教によって病気が解決されると、本当の地上天国が簡単に出来ます。いずれハワイにも美術館を造る事になりましょう。そうなると地上天国です。ハワイのいろいろな特徴を取入れた地上天国を造るつもりです。美術館も造ります。そうなったらいよいよ世界の楽園みたいになりますから、これは世界の一つの注目をあび、問題になるだろうと思います。
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時間がないので簡単に話します。もう一つは自然栽培ですが、これは名古屋附近の人は今一番関心を払われてます。それで又この自然栽培の成績が近来になってから中京方面が素晴しい成績をあげたという、これも意味があります。これは何時も言うとおり、兎に角中京という事は東と西の真中です。真中というのは、東は経で西が緯ですから、やはり経と緯の中心です。其処で始まるという事は、これは根本的の問題です。やはり神様の経綸はそういうふうな形で、順序という事になるのです。自然栽培もまず中京から始まるという事は当り前なのです。それについて思い出されるのは、私が東京で観音教団をやった時分に、渋井さんが地方をやるようになった時に、やはり中京から始まったのです。中京という所は重要な所です。そこで自然栽培の成績がどうしても来月にならなくては確かなところが現われないのです。特集号を出そうと思って、もっと早くするつもりだったのですが、どうも予想が多い。しかし予想では面白くないので、やはり数字が現われなければならないのです。反に何石何斗何升というようでなければいけないのです。それには来月にならなければどうしてもはっきりしませんから、それを待って、はっきりしてから農業特集号を編集するつもりです。それでもって全国的に大宣伝をやってもらいたいと思います。そうすると、丁度と言っては甚だ気の毒ですが、今年の凶作でこれを解決する方法があるかというとないのです。今年はこれでよいが、来年はどうすると言っても、こうすればよいというその方法がないのです。それでこうなると心が暗くなって、農民諸君が生きてゆくにも、どうしてよいか分らなくなります。そこに自然農法の今年の成績をもって大宣伝をするのです。これは開いた口にボタモチという事になります。そこで急激に自然農法が伝播するという事は確かです。そうなれば政府も動いて来るでしょう。大体農民層が大勢ワッと来ますから、これは文句ありません。ですからそうなると、全国的に救世教は大したものだ、有難い事だ、という事になって、一ぺんに分ります。
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今はアメリカの話、ハワイの話、日本の話と、この三つに分けて話をしましたが、いよいよわが救世教が世界的にも日本的にも一歩前進する事になるわけです。今までの長い間いろんな妨害をされ、みんな苦しみに苦しみ、つまり雪霜に堪えて来て、いよいよ今や春に向わんとする、丁度直前に来たような気がするのです。
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十一月十日 (京都劇場において)
京都には今度で五回目になりますが、京都の特色の仏教美術をはじめ、いろいろな所はあらかた見ました。その感想を申しますといろいろな美術品とか、そういう物は立派な物が沢山ありますが、ただ私として非常に物足りないのは庭園です。遠慮なく言えば、如何にも酷いのです。庭園らしいものはないと思われるのです。これはその時代の関係かもしれませんが、如何にも箱庭的でみすぼらしいのです。雄大さが無いのです。他の寺のいろいろな宝物や何かは実に立派な素晴しい物がありますが、庭園だけは今言ったように貧弱なのです。それでいずれは造るべき嵯峨の平安郷ですが、あそこは建物としては仏教美術館です。それを建てると共に庭園も、今までの型を破って思い切って新しい、つまり現代感覚によく合うようなものを造ろうと思ってます。やはりあらゆる文化というものは、その時代の色、つまり時代の感覚をできるだけ表現すべきが本当です。そういうわけで庭園も、兎に角京都の古い時代からのいろいろな形以外――そうかと言って西洋のガーデン風では全然合いませんから――新しい感覚を十分表現し、そうして京都のいろいろな特色を十分に発揮したものを造ろうと思って考えています。五回の収穫による考えはそういうところに来たわけです。その話はこのくらいにしておきます。
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この救世教も知らるるとおり近頃になりまして大分発展すると共に、よい意味における社会の見る目が変って来ました。これは当り前の話です。大分長い間いろいろな誤解の下に苦しんでは来たのですが、兎に角幾らか理解されかかって来たような工合で、大いに喜んでいる次第です。そうしてそれについて、これからの発展すべきいろいろな面があります。アメリカ、ハワイ、日本と、この三つの面に大分面白くなるようになって来ましたが、その話を今からします。
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つい五、六日前にアメリカのシカゴ・トリビューンという新聞で、大新聞の一つです。あっちのものでは、ニューヨーク・ヘラルド、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト、それに今言ったシカゴ・トリビューンが四大新聞というようなものでしょう。そこの東洋総支配人のシモンズという人の奥さんが来たのです。これは夫婦で新聞記者なのですが、その婦人というのがなかなかなもので、やっぱり記者をするだけあって流石(サスガ)に素晴しい頭です。こっちの言う事に対する理解と、急所を掴むところなどは、今まで日本人にもちょっと見られないような鋭さです。だから話も非常にはずんで、と言ったところで通訳が間に入るのですから、やり難いのですが、それでもなかなか分るので張り合いがありました。それでその見方などは日本人と違って、面白い見方をしているのです。例えば、私の経歴をザット話をしたところが、“あなたは珍しい、釈迦やキリストは若い時から宗教的に生活していたが、あなたは五十過ぎてから宗教に入ったという事は非常に変っている”と言うのです。これは私も気がつかなかったのですが、そう言われてみると、意外なところに目をつけたものだと思いました。二、三気のついた事を話しますが、日本の天皇制はどう思うという質問があったので、私は天皇制がなくなったという事は非常によい、喜んでいる。というのは、この間の太平洋戦争にしても、結局ある一部の野心家が天皇を利用してああいう馬鹿々々しい戦争を起こしたのだから、天皇制がないとしたら、つまりああいったような戦争は起こす方法がない。そういう心配がなくなる点から言っても大変よいと思う。それについて、日本は大体戦争をする国ではないのです。日本という国にはそういう使命はないので、日本は何処までも平和的です。――美による平和です――これは日本のあらゆるものがそういう条件になつているのです。だから将来は世界の公園、世界の楽園というような国になるのが本当の日本の国柄です。それを戦争という全然違う事をやったというのは、つまり日本人が本来の国柄を間違えたというわけで、そういう意味から私は地上天国を造り美術館を造るという事をしているのです。そういう意味の事を話したのですが、非常に共鳴してました。私の考えとしては、地上天国は今は箱根、熱海で、今度は京都に造るつもりです。それから無論ハワイにも造るつもりだ。いずれは米国にも各地に造るつもりだ。兎に角世界中が今やりつつあるのは、何処の国でも公園です。公園はなるほど大衆的で非常に結構だが、公園よりもう一層高いレベルのものを造らなければならない。というのは、今日娯楽機関というものは如何にも俗悪極まるもので、人間の品性を向上するようなものはない。むしろそれを見て堕落するくらいなものです。そういった悪いものがずっと多いのだから、一方で又人間の品性を高めるようなものも必要とする。それには公園以上の、もう一層高いものを世界中に造らなければならない。その見本として私は今こしらえているわけだ、と言いましたが、そういう事も非常に共鳴してました。その時は箱根の美術館を見て来て、それから熱海の地上天国に私が案内して、いろいろ見せましたが、見るもの聞くものあんまり心を打たれて言葉の出しようがないと言ってました。そういうようで、余程喫驚してました。通訳をした人は、浮世絵の研究家で、英語が相当できるのです。そうして一週間に一度アメリカの人に英語の講話をしているのです。その人は浮世絵の売買をしてますから、箱根美術館の中にもその人が持って来た物が随分あります。それで東京へ帰ってからその記者は“岡田という人は自分としては少し荷が勝ち過ぎる”と言つたそうです。それほどとは思っていなかったらしいのですが、私の言う事は、どっちかというと先方よりかなり上手(ウワテ)の方ですから、タジタジなところが沢山あったわけです。自分の主人が近々朝鮮から帰って来るから、そうしたら主人によく理解をさして、無論大いに共鳴すると思うから、アメリカに帰ったらシカゴ・トリビューンに大いに書く、紹介するというわけです。『世界平和の建設者』という題で書くから、伝えてくれという事を言ったそうですが、無論出るでしょう。それでアメリカに私を紹介するトップを切らしてもらいたいという事を大いに言っていたそうです。それから私はこういう事を言いました。兎に角世界の文明は現在物質文明と精神文明で、これを分りやすく言えばアメリカは緯の文明で日本は経の文明だ。だから経と緯を結ばなければ本当の文明は出来ない。そこで救世教は緯の文明と経の文明を結ぶ計画なのだ。だから丁度あなたが来られたのは、その第一歩と思うと言ったら喜んでいました。私等のバッジもそういう意味を現わしていると言ったのです。バッジについて、ついでだから話しますが、バッジにこうして丸がありますが、これはこういう意味になります。これでは本当ではないのです。もう一つ貫いているのです。ですからこれを正面から見ると丸になります。そういう意味もあるのです。昔から神道の方で非常に神秘とされている天津金木(アマツカナギ)の法というのがあります。この天津金木というのは、古い板にそういったものをこしらえたのです。この四角いものをこういう工合に組んで、そうしてもう一つこうやるのです。こういうものを御神体のように祭ってあるのです。それで天皇が毎年正月元旦にそれに対して祈願するのです。そうするとその年のいろいろな吉凶禍福、そういったものが浮かぶのです。これは又話が神秘な方面になりますが、天津金木の起こる前というのは、つまり玉座と言って、真四角なのです。その時分は畳か板か分りませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真中に神様が坐るのです。それはつまり天照大御神様が統治された時に其処に坐るのです。そこで目をつぶって居られると、その国のいろいろな事が分るのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代りとして天津金木というものをかかげたのです。それが神秘な事で、神道の根本になるのです。神道家でもこの事は知らないでしょう。そういう訳ですが、バッジというのは、そればかりではありませんが、そういう意味もあるのです。そういう神秘な事はいずれ話をするとして、今日はこの話はそのくらいにしておきます。
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ハワイの方は、始終栄光に出しているとおり、非常な勢いで発展しつつあります。いよいよ本部も出来ました。この間あっちの弁護士で、法人の届けを扱った人が来ました。これは予定の通りですが、許可になりました。その報告と、又外の事で来たのでしょうが、私は会って聞いて、非常に結構だと言ったのです。法人になりますと総てがやりよくなります。丁度本部が出来て、そういったような事を神様は順序良くされているわけです。ハワイは五つの大きな島から成立っているのですが、その五つの島の重要な地点にみんな支部が出来ました。無論ハワイの新しい信者ですが、そういうような工合です。それでホノルルの本部も、兎に角五万弗で買ったそうですが、非常に安いのだそうです。この間の弁護士の話によると、丁度坪一万二、三千円くらいになっているそうです。ところが今こしらえると坪五、六万くらいかかるだろうと言ってました。だから非常に安いのです。位置も非常に高い所で、眺めも大変良い所だそうです。神様が準備してあるのですから当り前の話ですが、ハワイの発展は、そういう工合で目覚ましいものがあると思います。五万弗ですと邦貨にして千八百万円ですが、これから少し修繕しなければならないので、そういった修繕費はハワイの信者が全部出すのです。僅か半年あまりでそれだけの発展の成績をあげたという事は驚異と言ってよいくらいです。そういうような工合で、私はいずれ地上天国はハワイから始まるのではないかと思ってます。ハワイが殆んど救世教信者になるという事になると、これは大いに世界の注目を受けると共に特にアメリカが注目しますから、そうするとアメリカの発展も早くなるわけです。ですからむしろそうなってから日本の人が喫驚して、急に救世教信者になる人が非常に増えると思ってます。丁度幕末時代のキリシタン・バテレンのようなものです。というのは「救世教奇蹟集」の新聞広告を出そうと思ったところ、読売は出しましたが、朝日、毎日は出さないのです。出さないというより出せないのです。というのは、兎に角怖いらしいのです。つまり迷っているわけでしょう。迷って決定しないのでしょう。というのはあの広告文にしても、ばかに飛躍してますから。例えてみればもうキリストが数十万人出来ているというような事がありますから、あれでは喫驚してしまいます。面白い事を言いやがる、そうかと言って読んでみると本当だ、だからやっつける事はできないが、そうかと言って信ずる事はできない、と言って一人のキリストを拝んでも昔から大騒ぎをやっているところに、キリストが何十万出来たというのは、まるで気違いだとしか思えないでしょう。だからけしからんと言って調べたところで、本当なのですから、そこで迷ってしまうのです。決定ができないのです。私は以前こういう事を聞いた事があります。アフリカの土人が何か落ちている物を見てギョッとして悲鳴をあげたので、一体何んだろうと思うと、時計が落ちていたのです。これはアフリカ探険に行った白人の話です。時計は動くので怖いと思って逃げ出してしまったのです。丁度それに似ていると言うと、甚だ相済まない事ですが、丁度「救世教奇蹟集」を新聞社の人が見た時に、今のアフリカ土人が時計を見て驚いたのと似ているかもしれません。怒るかもしれませんが、怒ったらまず研究してもらいたいと思います。そうすると怒るべきか怒るべきでないかが分るでしょう。土人が見て時計だという事が分ると結構な物だと分りますから。そういうようなわけで兎に角救世教というのはあまりに現代の文化と離れ過ぎてますから、それで反って分らせ難いのです。丁度幼稚園や小学校の生徒に大学の講義を聞かせるようなものです。中学程度ならよいのですが。もっと割引しなければと思いますが、私も今まで割引はしてます。そうかと言って本当の事を曲げてまで割引する事はできないので、本当の事はやっぱり正直に言わなければなりません。ただこうやって病気が治るという事が、とんでもない脅威です。だから信じられないというのは尤もです。そこにもっていって新宗教というものの見方がいろいろなのです。今問題になっている霊友会事件にしても、他の新宗教でも、随分顔をしかめるようなものも沢山ありますが、そういう目で救世教を見ると、あんな事を言って人を瞞しやがるが、結局一時的のもので、いずれは化の皮を剥がれ、ボロを出すだろう、と思っている人も随分あるでしょう。そういう見方をするのも無理はないでしょう。私でも仮に救世教を知らない普通の社会人とすると、新宗教などは軽蔑して、信ずるどころではないです。やっぱり今の知識人と同じに違いありません。だから無理はないのです。そこで、それはこういうものだという事を知らせるという事が非常に難かしい問題です。そうかと言って嘘ではないので本当なのですから、それを知ったらこんな結構なものはないのです。そういう者は仕合せです。あなた方は非常な幸運者です。先駆者というものは非常に難かしいもので、どうしても骨が折れるものです。
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この間文部省の宗務課長補佐と朝日、毎日とその他の新聞記者が六、七人来ていろんな質問がありました。その時に、私の方は宗教ではないのだ、宗教では世の中は救えないのだ、宗教以上のものだ、それで名称がないから、やむを得ず宗教としているのだ。何故宗教以上のものかというと、今までの宗教は何百何千年とかかっている。ところがつまり病貧争絶無の地上天国は私が生きている内に少なくとも基礎だけは造るつもりだ。だから今までの宗教とは全然違うと言ったところが、目をキョロキョロしてました。これはなかなか分り難いのは無理はないです。その点が非常に難かしいのです。しかしこうやって病気が治るというのは、こっちで言えば武器です。そういった非常に簡明な分らせ方です。非常に難かしい事が、又一方非常に簡単に分らせやすいという事もあるわけですからして、神様はなかなかうまくこしらえられたわけです。
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次には自然栽培ですが、これもだんだん進んで来まして、今年は初年度から素晴しい成績をあげられる技術が進みました。これは最近度々言うとおり、日本の水田の表面というものが肥毒のために壁のようになっているのです。だからそれを深掘りによって壁をつき破って純粋の土を浮かび上らせるという訳で、つまり天地返しをすると、初年度から余計の収穫をあげられるという事を中京方面で発見と言いますか、始めたわけです。それであの辺が非常に注目をあびて、普及会員になる人が、それこそ物凄いほどできるのです。これがだんだん拡がったら大変な事になるでしょう。兎に角今年は結局五千三百四十七万石というのですから、去年より一千二百万石ぐらい少ないのです。そこでそういった不作というのは神様がいいチャンスを作られたとしか思われないのです。そういうようで、日本における今一番厄介な問題が救世教によって解決されるとしたら、みんな手を合わして拝まないわけにはゆかないと思います。これだけでも大変な救いです。それこそ日本始まって以来、これほど大きな救いはありません。それについて最近聞くところによると、なるほど肥毒が固まってコチコチになっているそうです。肥毒の固まらない所とか気候や土質の関係もありますが、ごく酷い所になるとコチコチになって層になっているそうです。だからそういう所に稲を作ったところで出来るわけがないのです。今年の凶作の原因には冷害や風水害がありますが、それよりも肥毒の壁を作ったという事でしょう。そういう肥毒を稲が吸うからして虫がわくのです。又それに対する消毒薬から又虫がわくというわけで、一生懸命に凶作の因を作っているようなものです。今日は何から何まで“超愚”です。超愚だらけになっているのです。ですからこれは科学が根本ですが、科学は一方においては人間を助けながら又一方に酷い目に遭わしているのです。一方で撫でて、一方で拳骨で叩いているようなものです。この科学の良い所ばかりを見て惚れてしまったのですから、この迷信を打破するのが大仕事なわけです。
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兎に角アメリカの方もこれからだんだん分らざるを得ないようになりますし、そうなるとハワイは、全島がまず地上天国の先駆になるのではないかと思ってます。特にハワイは、他の条件はみんなよいです。食糧難というのはないので、食って余るくらいなものです。それから人民の思想のよい事で、非常に素直で明かるいのです。それはそのはずです。結局生活が楽だからです。日本人が今ねじけて犯罪とか苦しい事がいろいろ多いのは結局物が足りないからで、生活が苦しいというのが原因です。ただハワイで困っているのは病人が多い事です。ですから救世教がこの病人の解決をすれば、ハワイは割合に簡単に地上天国になるわけです。ですからハワイは、兎に角メシヤ島になるでしょう。そこであとは日本ですが、つまり日本の米の問題です。これが解決されると、医学の問題も、救世教が肥毒を発見してこういう素晴しい日本を救うべきところを見れば、やっぱり薬はいけない、浄霊で病気が治るという事が一度に信用される事になります。ですから自然農法の成果が病気治しの方面にも非常によい影響が伴なうと思うので、大変喜ばしいと思っております。
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十一月十一日 (大阪市毎日会館において)
今までに四回関西方面に来まして、四回とも名古屋と京都では講話をしましたが、今度は五回目で大阪で初めてやるわけで、進出というと大袈裟ですが、話をするわけです。大体今までは京都に別院を造るについて、地上天国と美術館というような目的が主だったのですが、五回であらかた見てしまって、その結果これからその設計をしてボツボツ取掛るわけです。それで方々を見た結果、その結論としては、なるほど奈良朝時代の、千年以上前の京都、奈良を中心としてのいろいろな美術品では、特に仏教美術に良い物が沢山あります。けれども一番遺憾(イカン)に思うのは庭園です。庭園は全く遠慮なく言えば、他の美術品とは全然釣合がとれないほど劣っていると言えましよう。京都の名園としては桂の離宮とか修学院、それから一昨日見た三宝院です。その他いろいろありますが、どうもいわゆる芸術的のところがないのです。ただ木と石とで当時の頭で作ったのですが、特に三宝院の庭園などは秀吉が直接指図したとか聞きますが、秀吉は外の事は偉い人ですが、こういう事はどうも恐ろしく小規模です。小さいのです。ですから私はどうしても庭園としての特色を最高度に発揮したものを造ろうと思ってます。ですから外国の人が京都なら京都に来て、日本の外の物は兎に角として、庭園の美には失望するのではないかと思います。ですからそういう点において、特に庭園に力を入れて、外人が来ても、なるほどと思うような物を造ろうと計画してます。それからもう一つの欠点は、随分方々のお寺を見ましたが、お寺と言えば仏像です。仏像の彫刻は世界一と言っても決して過言ではないと思います。それは素晴しい彫刻美です。特に彫刻美と言えば仏像に限ります。ロダンのように人間を写したのではなく、人間の理想を表現した、一種の宗教芸術によって現わすという事が、それから受ける人間に対しての非常に高度の感覚と言いますか、美から受ける非常によいものです。それを受けるという事については、非常に美の高さを感得させる大変な働きをすると思ってます。ですから京都、奈良にある仏教美術を、もっと多くの人に楽しませながら、よい意味の働きをさせなければならないという事をつくづくと感じます。ですから嵯峨の平安郷に仏教美術館を造るべく、これからだんだん考えます。それからもう一つの事は、一つのお寺でこれは勝れていると思う物は漸く二つか三つです。中には一つぐらいの所もあります。ですからそういった良い仏教美術を見ると言っても、それを見るには幾日もかかり大変な騒ぎです。一々靴をぬいで、薄暗い所で見なければならないのですから、その暇と見る感じが非常によくないのです。これを何んとかしなければならないのです。明かるい所で見たいというのが随分あります。なにしろ昔こしらえた時の本当の目的は宗教本位ですから、それにはあんまり明かるい所では有難みがないので、できるだけ薄暗くして、あらわに見えないような設備になってます。ですからそういう点において、日本人は勿論ですが、外人などが見ようとしても、どうも気持良く見られないという、そういう点を満足のゆくように仏教美術館をこしらえて、そうして明かるい所で名作を一度に見られるような、そういった意味の美術館を造ろうと思ってます。そういうようなわけで、京都や奈良の事についてはいろいろ話したい事もありますが、この話はそのくらいにしておきます。
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それから最近アメリカのシカゴ・トリビューンという新聞の東洋総支配人のシモンズという人の奥さんが来まして、これは婦人で新聞記者をやっているのですが、婦人でもなかなか頭がよいです。それで私の仕事について大分注目をして来たのです。それというのは、私の所に来ている、浮世絵を始終集めている売買人で、研究もしている信者の人が、英語が相当にできるので、余程前からアメリカの人達に浮世絵の講義を一週間に一度ずつ英語でやっているのです。その人の紹介で来たのです。二時間ぐらいいろいろと話をしました。箱根美術館を見て、熱海の方は私が案内しましたが、お世辞でなく非常に驚歎してました。私の仕事についていろいろ話をして、自分の主人は朝鮮に行っているが軈て帰って来るから、そうしたら是非私に会ってもう一層よく話を聞いて、トリビューン紙上に是非出したいというのです。『世界平和の建設者』という題で出したいと言ってました。いろんな話をしましたが、その中で二、三覚えているのは、信者の人はよく知ってますが、世界の文明の中の緯の文明、物質文明の代表としてはアメリカで、精神文明の代表者としては日本で、要するに緯の文明の親玉がアメリカで、経の文明の親玉が日本で、この経と緯を結んで本当の文明が生まれるのだ。そうするとアメリカと日本の文明を結ぶという事が一番肝腎な事です。それに対して、私は前から唱えてましたが、いずれ時期が来ればそうなると言ってました。丁度あなたが今度来られたのは、そのためだと言ったところが非常に喜んでいました。特に感銘を与えたように思えました。それで共産主義に対してはどういう考えかと言うから、それは問題ではない。共産主義というものは、人間で言えば腰から下の足の方なので、アメリカと日本は上半身だ――それで若し共産主義が日本を支配するとしたら逆(サカサマ)になるからそういう事は絶対にあり得ない、だからそういう事は心配しなくてもよい、と言ったところが非常に喜んでいました。きっとあっちの新聞に出すだろうと思います。それから天皇制に対してはどう思うかと言うから、私は天皇が御退位になって、つまり天皇制がなくなったという事は非常に結構と思う、これでこそ本当に日本の国柄としてその使命を達成する事ができる。というのは大体日本という国は戦争などで権力を握るとか勢力を張るという国ではないのです。日本は平和国、要するに美の文明、芸術の文明国です。そういう事を完成して世界中の人を楽しませ喜ばして、そうして文明の進歩に貢献するという国なのです。だから特に風景とかあらゆる条件がよく備わっているのです。私は前からそういう考えでいました。その最初として箱根、熱海、いずれ京都に地上天国の模型と美術館を造るのです。これが日本としての最も肝腎な事と思うからやっているのだ。それでもう一つ肝腎な事は、人間というものは娯楽が必要な事は言うまでもないですが、娯楽と言っても、現在ある娯楽は人間の情操を向上させるというよりも堕落に導くものの方が多いのです。確かにそういう娯楽も必要ですが、もっとレベルを高め、人間の品性を高めるような娯楽と言いますか、楽しませつつ向上させるというものも少しはなくてはならない。そういう意味において地上天国を造ったのだ。丁度公園というものは至る所にあるが、公園は大衆的で、憩いの場所という程度のものですから、それよりかもう一層高級なものを造る必要がある。それが人類に与える感覚というものは非常に大きなものだ。やはり一般はレベルの低いものを楽しみとしている。ただ楽しむだけで、それによって人間の情操とか品性を高めるという目的はない。ところが私はそういった面においても地上天国は大いに必要だと思うから、日本では今の三カ所、それからハワイに私の方の宗教が発展しつつありますから、いずれハワイにも造ります。それからアメリカにも造るようになる。次は全世界ですが、ヨーロッパ、東洋というように造るつもりだと言ったところ、これにも大変共鳴してました。帰ってから通訳をした人に、どうも岡田という人の話は少し荷が勝ち過ぎるから――もっと軽くみていたようですが――どうもタジタジで、とても敵わない、主人が今度帰つて来たら十分話してもらうという事を言っていたそうです。私はそうでもなかったのですが、救世教の話というのはどうしてもレベルが高いのです。これはあなた方もそういう経験があるでしょうが、ついそういう工合になってしまうのです。話や実際にする事が、現代文化の標準からゆくと高過ぎるのです。だから食い違いが大きいのです。
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それについて最近「救世教奇蹟集」の本を出しましたが、その広告文を私が書いて、三大新聞の朝日、毎日、読売に出したのです。読売は出しましたが、朝日と毎日は今もって出さないのです。どうして出さないかというと、お察しするには、あんまり現代文化と掛離(カケハナ)れているから怖いのだろうと思います。いけないとなれば突込んで来ますが、本当だからそうはゆかないのです。しかし出すとあんまり飛躍し過ぎるので、丁度幕末時代のキリシタン・バテレンのように、認めざるを得ないと思います。これは少し怒られるかもしれないが、丁度適切な例と思います。或るヨーロッパ人がアフリカ探険に行った時に、アフリカの土人が何かを見てギョッとして逃げたので、何んだろうと思って見ると、時計が落ちていたのです。時計は今まで見た事がないし、それに動いているから、それを見て驚いたわけです。そういうわけではないのですが、そういう点があるのではないかと思います。あんまり見た事も聞いた事もないものですから、一つの驚きです。この驚いた点には一つはこういう事があると思います。奇蹟集の広告に、今キリストと同じように奇蹟を行う者が数十万できている、とある事です。私は書かないようにと思ったのですが、本当だからしようがありません。キリストというのは、世界中の皆が偉い人と思って、みんなが拝んでいるのです。それを私が数十万人作ったというのですから、これはアフリカの土人が時計を見た時よりもっと驚いたのだろうと思います。これが一番困るのです。これは新宗教で、最近では霊友会の問題が随分新聞ラジオに出てましたが、新興宗教というものは実際けしからんものだ、踊る宗教とか爾光尊とか、ナンテ低級だ。というように一般はみてますから、その中で救世教の奴がとんでもない大袈裟な、それこそ耳に鼻をつけるように馬鹿々々しい、これはどうかしている、少し頭が変ではないかと思えたのではないかと思います。しかし中を読んでみると嘘ではない、だからもう少し様子をみて、これがダイヤモンドかガラスか確認してから広告文も出すし記事も出すというのが、まず間違いないところでしょう。こう思ったのも無理はないので、私も新聞記者だったら、そう思うでしょう。ところが何んと言ってよいか、歴史にも伝説にもない馬鹿々々しく大きなドエライ事ができる事になってしまったのです。こうやって病気が治るというこの事だけでも大変な事です。偉いお医者さんが首をひねって、いろいろな機械とかでやっても治らない。それが宿屋のおかみさんが、腹が痛いとか言っても、ちょっとこうやれば三日か五日で治るのですから。と言っても、あまりに違って兎に角信じられないのです。人間で言えば怪物ですが、怪宗教というわけで、宗教ではナゾのような不可解なような本物のように思っているに違いないでしょう。農作物にしても肥料を使わずに初年度から何割と増産するのです。今年などは凶作で農民は一家心中をするような悲惨な状態になって、消毒薬が悪いとか言ってます。肥料も消毒もしなくて最初から何割増産するとか言うが、何か間違っている、インチキだ、肥料をやらなくて作物が穫れるなんて馬鹿な事はない、というわけでこれは時計ほどでなくても、かなり変なものと思っているでしょう。なるほど宗教のくせに美術館などを造った事は偉い、外の事はどうあろうと、あれだけは買ってよいと、あれは大変よく受け取ったのです。そのために救世教に対する他の新宗教よりも信用があるようです。これは私を批判する人を私が批判しているのです。だから私の批判の方が合っていると思います。自分が受けているのですから、私の方では霊感というものがありますから余計分るだろうと思います。そういうようなわけで、そういう点においては今一番難かしいところで、これが救世教は素晴しい、岡田というのは普通の人間ではないという事が分って来れば何んでもない事です。そうなれば何んでも彼んでも良くなります。そうかと言ってインチキや迷信邪教でもないというから、こっちも又早くそういう時代を通り越したいと思ってます。一生懸命にやってますけれども。その地獄と極楽の間と言いますか、今丁度そこを突破せんとするところだろうと思ってます。
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それについてはこういう点もあります。ハワイは今年から始めましたが、非常な成績で、つい一週間ばかり前にあっちの弁護士が来ました。これは法人にしてもらうべくその人に頼んだのです。それでいよいよ許可になったという報告を兼ねて日本に来たわけです。ですから法人になると、これからはずっと楽ですから喜んでいます。これはあなた方も始終報告を読んでいるでしょうが、ますます発展して来て、今度はホノルルのごく眺めの良い所に本部の家を買ったのです。これは土地と家とで五万弗ですが、日本の金にすると千八百万円です。その金というのは、今年三月からハワイに始めて出来た信者がみんなで出してできてしまったのです。私の方では一文も出さないのです。それを思っても如何に有力な、本当に熱心な信者ができたかが分ります。ハワイは五つの大きな島からできてますが、その急所々々に全部支部ができました。神様のやる事は水際(ミズギワ)立っていて非常に早いです。判で捺したようにキチンキチンとゆきます。そこの支部長はみんな新しいハワイの信者です。新しい信者の中にも随分熱心な人があるようです。その弁護士の話では、あっちでは注目していて評判がよいそうです。つまり評判が良いという事は、今までハワイに行った宗教はどうもやり方が間違っているために、新宗教なんていうのは、特に向うでは警戒しているのです。ところが救世教は違う、これが本当だという事が分ったのです。人民が非常に良いのです。弁護士もこれから大いに救世教のためにやる、援助したいという事を言ってました。これからのハワイの発展は物凄いものがあると思います。私の考えというより予想では、いずれハワイはメシヤ島になると思います。今まではしっかり信仰するほどのものが向うにはなかったわけです。やはりキリスト教が一番多いようですが、それもお附合程度です。牧師がいろいろと骨折ってやるので、或る程度までは拡がってますが、根強さはありません。それからハワイは食糧とかそういう事は潤沢(ジユンタク)で、生活も非常に楽です。だから気風もよいのです。人間の気風が悪いというのは、現在の日本では一つには食えないからです。だから結局社会悪、悪い社会というのは生活が楽でないからというわけで、その原因は病気です。日本の状態は大体そうです。ハワイはちょっと違うのは、生活は楽だが病気が非常に多いのです。そこで救世教が病気を治すという事によって、みんな救われる一つのものが見つかったというわけです。なにしろ午前六時三十分前から支部に行列しているというのだそうです。二人で行つているのですが、報告も書けないくらい忙がしいのです。ですからそう長くならない内にメシヤ島になると思います。それだけでも世界的に注目を浴びます。特にアメリカが注目します。そこでアメリカが調べると、病気がよく治るのであっちの人民が救世教の人をよく奨励するようになると思います。それが日本に知れればそれだけでも結構です。救世教は本物だという事になって、日本人は救世教を認めざるを得ないという事になるのも、それほど程遠い事ではないと思います。それから今言った自然栽培ですが、これは割合に早いと思います。自然農法普及会の幹部の人は、精々二、三年で日本全体に分ってしまうのではないかと言ってますから、そうなると実に早いです。日本人が救世教に頭を下げるという事は間違いないです。それから私の方で一番分らせたいのは病気の事ですが、これは一番難かしいのです。従って延びると思います。けれども自然農法が分って、救世教がこんな発見をするくらいだから、医学の方に対する説もまんざらデタラメではないという、その一つの間接的の効果があると思います。そういうようなわけで、今まで長い間押えつけられ、けとばされ、なぐられて小さくなっていたのが漸く過ぎて、これからよい時代、よい春が来るという、その時期に一歩来たような気がするのです。神様の御予定がそうなのですから、張合がある時期になって来たのです。
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十一月十五日
今度京都に行っていろいろなお寺を見て来ました。今度であらかたお寺は見てしまったような気がします。一番見たかったのは正倉院です。丁度奈良博物館に陳列されてあつたので非常に落着いて見られました。前に東京の博物館の時には大変な人で、とても見られなかったのです。それが今回は東京の博物館の人と、その方の道具屋の中でも一番の専門家の人と二人がよく説明してくれたので申し分なかったです。それで正倉院の物も一部だそうですが、大体奈良朝時代としての特色ある物です。しかし仏像は殆んどないです。それですっかり見た結果認識が変ったのです。というのは世間で大騒ぎをやるほどの価値はないように思えるのです。というのは、芸術的に見るとそれほどの価値はないのです。なにしろ殆んどの品物は調度品つまり室内家具が多かったのです。だから芸術的に見るとそれほどの価値はないのです。ただ千年以上前によくもこれほど(タクミ)巧な物が出来たというだけの話で、到底今は真似もできない、大天才が作ったという点ではないので、今でもあのとおりにこしらえようと思えば出来ます。ただ古い時代にこれだけの物が出来たというその価値です。ですからもう一度見に行こうという気はありません。これは遠慮なく言う話ですが、そういうようなわけで、あれは日本人だけで、外人が見たらそれほどの感激はないと思います。それから今まで見たお寺で、一軒々々見ても、本当にこれはという物は一つのお寺に一、二点です。多くて四、五点くらいです。今度行った三宝院=醍醐にあるお寺=はなかなか有名なお寺で、お寺にしては割合にきれいに調ってます。これは懐がよいためだと思いますが、お寺では一番裕福そうに見えます。特に秀吉が力を入れたらしいのです。醍醐の花見というのはこのお寺の地所の中でやったのです。だからいろいろな道具がありました。仏像はあまり頭に残る物はありません。仏像はやはり奈良のお寺です。それでこれはと思うのは宗達の屏風で、有名な「舞楽の図」ですが、これは大した物です。「舞楽の図」と「扇面ちらし」と両方ありますが、「扇面ちらし」の方は、絵はよく出来てますが、最近やつれたので金箔をすっかり置き直したのです。ですから非常にきれいですが、やはり絵と調和しないから、そこに難点があるわけです。それで「舞楽の図」の方はそっくりそのままで何も手をつけないから、これは素晴しい物です。それから醍醐寺の庭は秀吉が随分指図して力を入れて造ったという事になってますが、秀吉はああいう太っ腹の人だから、そういったおおまかな感じが出ているかというと、それが反対で、実に箱庭的のせせこましいオモチャみたいな物です。見た人は知っているでしょう。私はあの庭はむしろやり変えた方がよいと思います。如何にもオモチャじみた物で、外人などには見せたくないくらいな物です。京都の――大抵お寺ですが――庭というのは他の美術と比べて、あまりに掛離(カケハナ)れているのです。京都は小堀遠州の庭が多いのですが、やはり遠州という人の性格がそうだったのだと思いますが、実に構想が小さ過ぎるのです。それでお寺に行くといろんな説明をしてます。これは何時の頃、何年に誰がどうしたとか言ってます。これはお茶の影響もあります。遠州も大茶人ですから。これは狭い庭ならよいのです。ところが大きな庭に茶人の庭を造ったからして、しっくりとゆかないのです。結局京都は庭だけは失望するというわけです。何処の庭を見ても坊さんの説明の方がずっと感心します。まるでそこらに転がっている沢庵石みたいな物を大変に由緒(ユイシヨ)ある物のように巧に説明してますが、それは実にうまいものです。そういうわけで、私は今度の嵯峨の平安郷にはまるっきり違った、もっと大胆なアッとするような物を造ろうと思って、この間ちょっと設計しました。それで京都の庭として、日本のいろんな草木、石、そういう物をあしらって造れば、こういう良い物が出来るという見本のような物をこしらえようと思ってます。それと共に各寺にある本尊様を除いた良い物を一カ所に集めて見せるという仏教美術館は是非造ろうと思って考えてます。ですから京都には良い物がありながら生かす事ができなかったのです。
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それから「救世教奇蹟集」の新聞広告の事です。広告文は私が随分骨を折って書いたのですが、読売は出しましたが、朝日、毎日は出さないのです。それについて書いて、あの人達に読ませようと思ってます。
御論文〔⇒ジャーナリストと本教〕【註 栄光二三四号】
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新聞の売薬広告についてですが、これが実によく売れるとみえて、一番広告欄を占めてます。それについて書いてみました。
御論文〔⇒新聞の売薬広告〕【註 栄光二三六号】
それでますます薬を多くのませつつあるのです。滑稽なのは、これはアメリカで始めたのですが、どんな物にでもビタミンを入れるのです。それをよいと思っているのだからしようがないです。それから水には晒粉だとか、いろんな消毒薬を入れるが、そういうように異物を人間の体にますます入れるようにしているのです。だから体が弱り、浄化が停止されるから、そこで病気が起らないのは、つまり弱るわけです。つまり浄化作用の発生が弱るわけです。そこで激しい病気は起こらないのです。そのために寿命が延びたと言うので、これを医学の進歩だとしているのです。だから、これはよく知っているでしょうが、人間の体を弱らせれば浄化が起こらないというわけです。そういうようで今まではそれでよかったが、だんだん霊界が明かるくなって火素が増えるに従って浄化力が強くなりますから、この浄化を押えるやり方はもうそんなに長くは続かないです。まず続くとして二、三年でしよう。その先は霊界の方の浄化力がずっと強くなります。今年の米の不作もそれが大いに影響があるのです。虫害が酷いという事は浄化力が強いのです。というのは土に汚物が溜まり、それを作物が吸うと、汚物を浄化する作用が強くなるのです。そうすると汚物を食う虫が必要になるから、そこで虫が非常にわきやすいのです。ところが人間の方も、もう数年以内に浄化力が強くなると、押え切れなくなりますから、病人ができるのは大変なものです。それこそアッチでもコッチでも死にます。そこで初めて目が覚めるのです。これは度々言ってますが、それが大分近寄って来ました。これは医学を説明するのに、こういう説明の仕方がよいと思って書いたのです。
御論文〔⇒医学は迷信か〕【註 栄光二三五号】
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これは少し違った事ですが、もっと長く書くつもりですが、その最初の方です。
御論文〔⇒私は神か人か(一)〕
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十一月十六日
自然栽培の事ですが、いろいろの報告や今までのやり方からみて、結論としては、この間中言った、つまり天地返しが必要ですが、それだけでは少しまずいところがあるのです。というのは天地返しをしても、壁のようになっている肥毒の層が、やはり壁土が混るようなもので、肥料壁の土が混りますから、初年度ではそれが影響するのです。ですから天地返しをすると共に客土をできるだけするという事が一番理想的です。これなら初年度から何割という増産になります。それで種に肥毒があるとやっぱり何んにもならないのです。よく農事試験場などで無肥料を試験してみて駄目だという事は、種に肥毒があるからで、それを知らないからです。それと、肥毒の壁があるからして、丁度麻薬中毒の人間に麻薬を止めさせるようなもので、一時馬鹿になってしまうのです。そのために種も土も肥料をやらないと馬鹿みたいになるから、それで結果が悪い、それで無肥料は駄目だという事になったのです。やっぱり今まで熱冷しをのんでいたのが、止めると急に熱が高くなる。それは押えつけていたものを離すからですが、それと同じ理窟です。その点を十分に分らせなければならないわけです。経験者は分ってますが、世間一般の農民などにその点を十分わからせるように話してやるのです。
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この間京都に行った話で、最も感じた点を二つ話してみます。丁度正倉院の展覧会が奈良の博物館であったのでゆっくり見ました。おまけに博物館の人と、もう一人は道具屋でそういう古い物に非常に明かるい人の二人がよく説明してくれたのでよかったのですが、結局正倉院の遺物というのは美術的に見てはそれほどの価値はないのです。というのは、殆んどの品物という品物は当時の室内家具、調度品が多いのです。ですから指物師には非常に参考になりますが、絵とか彫刻、陶磁器とか、そういう物はないのです。だから美術的、芸術的の物ではないのです。ただ千年以上前によくもこんな巧な物が出来たというだけのものです。だからもう一度行ってみようという気はしないので、一度で沢山です。あれを見て楽しむという事もできないわけです。それともう一つは京都の有名なお寺は殆んど見ましたが、一番意外に思うのは庭です。これは他の美術と比べたらガタ落ちしているのです。今度行った三宝院の醍醐寺という有名な寺の庭で、しかも秀吉が直接指導したというのですが、まるでオモチャみたいなものです。秀吉とも言われるああいう剛腹(ゴウフク)な人が、ああいったママゴトのような庭をどうして造ったかと不思議に思えました。如何にも庭は落ちてます。何処の庭もそうです。それで龍安寺では、下らない其処らを探せばあるような石を恭しく飾って、これが何の形だとか、いろんな事をうまく言ってますが、私は庭よりか説明の文句に余程感心しました。大徳寺の大仙院の庭では、変な石をやって、これが支那の宋時代の山水を写してあるとか、いろんな事を言ってます。これは亀、何んとか言って亀に似ているとか、いろいろ言ってましたが、子供だましみたいなものです。小堀遠州が造ったとか、真珠庵などもそうですが、私は見ても何処がよいのか分りません。そういうような工合で、今度嵯峨の平安郷を思い切ってそういった事と逆のアッとするような物を造ろうと思ってます。外人などが来て、日本のああいう庭園を見て感心する者は恐らくないと思います。それからあとは桂離宮にしても、古い時代がついているから見られるものの、あれとても何んの変哲(ヘンテツ)もない、別に見る所はありません。それから修学院のただ大きいばかりの、庭だか何か分らないものです。ただ池の廻りが土手になっていて、それだけのもので、頭には何も残りません。つまり日本人の批評眼が低いというよりも、目ができてないのです。だから何んでも、これは古いから、これは誰がこしらえた、これは昔から評判になっているから、という事で強いて見ようとするように思えるのです。本当の批判力というのに欠けていると思うのです。だからピカソの精神病的の絵に感心したりするのです。これは批評眼がないからです。人が良いと言うから良いのだろう、新聞で褒めているから良いのだろうというわけです。ですから何処が良いのか分らないが、人が言うから良いのだろうというわけです。私などもそうで、展覧会などに行くと帰りには頭が痛くなりました。これは良いと言うから良いのだろうと、それを発見するのに苦労するのです。この日本人の頭は大いに教育する必要があります。例えて言えば、この薬が効くとか、このオマジナイは御利益があるとか、これを拝めば良くなるというと、それを信じるのです。それで、やっても少しも良くならないのに、長くやれば良いのだろうと、二カ月三カ月とやっているが良くならない、というのがお蔭話によくあります。ですから人に奨められると、それを信じて、少しも良くならない物を効くだろうと言っているのです。ちょっとのんでみて良くない、では駄目だと捨ててしまうというように、はっきりした頭にならなければならないのです。それでアメリカから来たオシロイとか、或いは近頃は皮膚病によい、水と油と混った物だから良いのだという広告を見ると良いと思ってしまって、全然批判力はないのです。ですから今言ったように京都の庭は何んでも良い。室町時代の物だから良いと有難がるのです。それが批判力が正しければ、室町時代だろうが、桃山時代だろうが、悪い物は悪いとし、現代物でも良い物は良いのです。そういう一つの基準を作らなければならないと思います。ですから正倉院の御物を今のように言う人は、今の日本人には恐らくないでしょう。そういうようで、つまり正しい目を持って、良ければよい、悪ければ悪いという目を持ってやれば、正しく見れるし失敗もないのです。ところが肥料をやって不作になったり、薬をのんで多病の人間になったりするが、それに気がつかないという事は、如何に正しい批判力に欠けているかという事が分ります。そういう頭を養うのが最も肝腎であるし、救世教としてはそういう点などを大いに強調したいところなので、そういう人間を作るのが本当なのです。ところがかえってこっちの方を迷信と言うのは、全く見る人の批判力が欠乏しているからです。
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今度の「救世教奇蹟集」の広告について書いてみました。
御論文〔⇒ジャーナリストと本教〕【註 栄光二三四号】
しかし実際無理はないのです。今新宗教とか言って世間の注目をひいているのは、今問題になっている霊友会とか爾光尊とか踊る宗教とかですが、そういうものが表面的に人の目につくような新宗教で、あといろいろありますが、それは殆んど世間には知れてないのです。ただ救世教だけが漸くこの頃そういう低級のとはどうも少し違うようだという事が分りかけて来たくらいなところです。しかし救世教の真相というのは未だなかなか分っていないのです。特にジャーナリスト方面には分っていないのです。分っていないというよりか、分っても分らないのです。丁度今首を傾げているところです。その代り、それがウンと下に下りれば、もうしめたものです。それからがこっちは本当に発展できるのです。だからこれもやっぱり一つの首の問題です。しかし、やはり神様がやっているのですから、別にそれほど気をもんだり心配はないので、よいのです。あんまり一度に分らしては可哀想だから、なるだけゆっくりボツボツやってやろうというような思召しだと思います。
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ちょっと違った論文を読ませます。
御論文〔⇒新聞の売薬広告〕【註 栄光二三六号】
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これはちょっと面白い論文です。これは何回にも亘って書いてゆこうと思います。今まで昔からこんな事を書いた人は誰もないのです。キリストや釈迦やマホメットという人も、こういう点には全然触れてないのです。ですから後世いろんな説が出たり、どういう点によってああいう事をやったのか、ああいう事ができたのかという事がさっぱり見当がつかないのです。あの時代はそういう時代であったのかもしれないけれども、今日の目を持っている人には甚だどうも廻りくどいような不透明なようなわけです。だから説く事柄もいろんな説が出たりするのです。というのはあの時代では文化がそこまで行ってないから、あんなところで良かったのかもしれません。今日ああいう事を言っても、テンデ人は耳を傾ける事はありません。それもさっき言ったとおり批判力のしっかりしたものを持っていないために、今までは前提的に、みんな良いというそういったものに無批判にその考えになって、一生懸命にやるというわけです。これも私からみれば甚だもどかしい気がします。それで私はそういう事がどうも本当でないからして、神というもの、人というものはこういうものだという事をできるだけはっきり分らせようと思います。そうなると迷信もなくなってしまいます。迷信という事は、やはりはっきり説いてないからです。はっきり掴めないようになっているからして迷信も起こるのです。それで、はっきりできなかったという事も、神様の方の深い意味があるのですが、そういう事もだんだんに書きますが、取敢えず最初の方を読ませます。
御論文〔⇒私は神か人か(一)〕
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十一月十七日
この間話をしたシカゴ・トリビューンですが、もう新聞に出したそうです。近日中に送って来るだろうと思います。その前に、やっぱり同じ系統だろうと思いますが、日本の東京イヴニング・ニュースという外人が読む新聞に写真入りで出てました。今飜訳してますから、この次に読みますがなかなかよく書いてありました。ですから外人間にはだんだん知れるわけですから非常に面白いと思ってます。それで美術館の方も大分外人に知れ渡りつつあるようで、観覧者も怠らずに来てます。今年はもう駄目ですが、来年は未だ未だずっと増えるだろうと思ってます。何んにしてもアメリカに知れるという事が一番よいです。アメリカに評判になるとか、問題になるという事になると日本人は一番大騒ぎをやります。それも、追々そうなると思ってます。
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それから樋口さんは第二回目のロスアンジェルスにこの間ハワイを立ちましたから、着いているはずです。今度は前よりかずっと収穫があると思います。なにしろ日本のインテリ階級に分らせる事が一番です。特にジャーナリストです。ところが霊友会などのああいう問題が出ると、これが新宗教に対する一つの信用を落す結果になりますから、われわれも大変なトバッチリをくうわけです。なにしろ世間は、われわれの方も霊友会や踊る宗教などの仲間に見られやすいのです。ですから救世教は全然違うという事を何処までも分るようにしなければならないと思っているのです。これも時の問題だと思ってます。それについて今度書いてみましたが、これは「救世教奇蹟集」の新聞の広告ですが、朝日、毎日は出さないので、それについて書いてみました。
御論文〔⇒ジャーナリストと本教〕 【註 栄光二三四号】
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今書いていますが、その前に、気のつきそうな事でちょっと気のつかない事があるのです。それは、つまり運が良いとか悪いとか言いますが、総て順調に行く時には何んでも順調だし、これが、悪い時になると泣面に蜂で、悪い事ばかりが重なって来るものです。それは健康とピッタリと関係しているものです。これは私の経験でもそうです。私は薬毒がウンとあります。何処か体が悪い時には必ず悪い事が来るのです。疥癬を大分長くやりましたが――私の疥癬は今年で九年目になります――まだすっかりとはゆきません。耳が痒いので始終こうやって掻いてますが、これも疥癬が耳に来ているのです。それから腰の廻りから足が痒いとか、今でも蒲団に入って暖まったりすると幾分痒いです。それで、一番最初に玉川警察署に十一日間留置された事がありますが、その時には疥癬が一番酷かったのです。それから静岡事件の時には足に未だ残っていました。一昨々年――二十五年ですが、この時には疥癬がいやに悪かったのです。それで警察に行って、その事を知らした方がよいと思って、足を掻いたところ血が出たら、“ああ君は未だ悪いね”それで朝になったら、“自分の足が痒いが、君のが染(ウツ)ったのではないか”と言ってました。それから私は疥癬の外に歯が始終痛んだり、頭が痛んだり、始終いろいろありますが、そういう時には何かしら、つまり苦しむ事があるのです。これは誰でもそうなので、その理窟なのです。というのは、そういった悪いという事は、毒素に対する浄化が起こっているのですが、浄化というものが人間の体ばかりではないのです。浄化というものは、あらゆるものに相応して来るのです。だから体の何処かが悪いという事は、やはりその人の運命に苦しみがあるわけです。毒素があるとその部が曇っている。そうすると体全体が曇っていると、毒素は肉体的苦痛によって除ってゆき、それから運命はいろいろな災いで除ってゆく、という訳ですから、例えてみれば、人を苦しめずに何かやっていて発展する――われわれの方でも宗教が発展して信者ができますが、それでこのメグリが来るのです。それは何かと言うと、他の宗教が影響を受けるのです。仏教とか、そういうものの方で非常に信者が減るとか衰えるとか、又維持に苦しむとか金が足りなくなるという場合に、どうもこの頃新宗教が大分勃興(ボツコウ)して来たので、その影響を受けるのだ、特に救世教というのが一番活動して、あんな立派な美術館を造ったりしている、シャクに障る、羨しい、といった想念がやはり曇りになってこっちにぶつかって来るのです。ですから善い事をしておれば何もないかと思うと、決してそうではないのです。かえって善い事をすると悪の方で怨むのです。又例えてみれば、泥坊とか人殺しをして警察に引張られて酷い目に遭って調べられたりすると、自分がその因の種をまいていても、やっぱり警察官を怨むのです。昔首斬朝右衛門と言う、今の死刑係で首を切る役人ですが、首を切る事は朝右衛門が役でやるのですから何んでもない事ですが、やはり朝右衛門を怨むのです。その為に朝右衛門はいろんな災いがあるので、全く自分が首斬りをしたためだという事が分って、止めてしまって、子孫代々首斬りをしてはならないという遺言を残したそうですが、そういうようで、良い事をしても怨みがあるのです。しかし他でその良い事のために助かって喜んでゆく人がありますから、その人からは良い光を受けますから、さのみではないので、非常に少ないわけです。自然栽培が非常に拡がれば、今度は肥料屋が大変です。最初は、この肥料屋の怨みの方が農村の喜びよりも、多いかもしれません。そういうようで、それが曇りになると、その部の血が濁りますから、やはり体が悪くて肉体的苦痛もあるし、運命的苦痛もあります。それから人に瞞されるとか、泥坊に盗られるとか、相場や競輪で損をするとか――パチンコはしれたものですが――いろんな損をします。それから火事で焼けるとか、この間のような水害とかありますが、そういう事もやはり浄化作用なのです。それについてこういう考え方があるのです。即ち伜が二人あります。一人は非常な道楽者で、親の金を使ってしようがない、一人は律儀正道(リチギマツトウ)で、親の心配をかけないというのです。これはどっちが親孝行かは分らないのです。その家は先祖代々のいろんな罪を背負ってますし、それからその親の財産というのは人をいじめたり苦しめたりして作った財産とすると、祖先はその罪を早く除ってしまわなければその子孫は繁栄しないので、そこで祖霊がついてそういう道楽者を作ってドンドン使わせるのです。ですから早く使ってしまえば早く罪が除れるのです。ところが律儀正道な方の伜は、減らないようにし、かえって増やそうとするのです。これは早く除った方がよいのですから、大乗的に見るとイクオール道楽者の伜の方が親孝行という事になります。そこで、そういう道楽者の伜を治そうとしていろいろ苦心惨憺しますが治らないのです。それはそういう事を知らないし、全然思いもしないからです。そこで学校を怨んだり、傭っている主人を怨んだりするようになるのです。そういう訳で、一切のそういう苦しみは浄化作用ですから、その苦しみというものも、それが分れば喜ぶというまでもゆかないが、そうクヨクヨする必要はないわけです。それで除かれるだけ除かれてしまえばあとは無いので良くなるばかりです。それと同じように、信仰に入ってから損をしたり、いろんな事があります。これは大変結構なのです。それから又熱心になればなるほど、そうなるのです。信仰がボヤボヤしている間はそうでもないが、これは熱心にやらなければならない、というようになってから損をしたりする事がありますが、これが大変に有難いのです。これは神様が、お前は熱心だから大いに褒美をやろうとする。ところが入れ物が汚ないから、これを掃除しようというわけで掃除をされるのです。それを待っておれば、それがきれいになった後は一度に良くなります。私が借金で苦しんだのが昭和十六年までの二十年ですが、最初の内は金が欲しくてしようがない、何んとかしてと思っても、駄目で、この借金の催促が苦しいのです。それに下手に動くと差押えになるのです。それで金が欲しい欲しいと思っている時は駄目なのです。その訳が分って、これは神様にお任せしておこう。食ってさえいればよいと思って、気やすく思った。そして昭和十六年にやっと返し切ったのです。そうすると十七年からは予定していたのより多くの金がドンドン入って来るのです。ですから金なんかどっちでもよいと思うようになった時に入って来たのですから、そう嬉しくもなかったのです。だからかえって欲しい欲しいと思って、今幾ら金が入れば助かる、という時には決して入るものではないのです。これは何事もそうです。変な話ですが、女を思っていて、アノ女をどうにかならないかと思っている時には、決して女の方では振り向きもしないのです。それでアンナ女なんか勝手にしやがれと思うようになると、かえって女の方で来るのです。つまり逆になるわけです。それが真理なのだから、そこを本当に知ると非常に気楽になります。だから苦しい事が起こると、これは楽しい事の前提だ、これによって楽しい事になるのだと思うから、さのみ苦痛ではないという事になります。丁度病気が起こって、熱が出て痛んだり苦しいが、これによって良くなると思うから、心から苦しくはないのです。それで病気の事はよく分るが、外の事になると気がつかないのです。それで火事によって丸焼けになるが、これは非常に良いのです。これは祖先が、金銭的、物質的の罪穢れが溜まっているから、そうなるのです。ですからよく“焼け太り”と言うが、焼けたために後が良くなるのです。それで信仰に入ると浄化があるが、つまり神様の御恵みによって小さくて済むのです。大難を小難にというわけで、小さくて済むのです。熱海などは随分良くなりました。まるで東京の銀座に行ったような気がします。他の都会でこんなに新しいピカピカしたような町は今見られないくらいですが、熱海は大したものです。これは焼ける前の熱海と比べたら、それこそ乞食と大名ほど違います。というのは、焼けたためにそういった汚ないものが霊的に消えたわけですから、そこで後は良い事が来た訳なのです。これなどもよい見本です。ですから一切の人間の苦しみというものは、病気ばかりでなく他のものもある。それで病気の浄化の時には他の事の浄化も丁度同じに来るか、続いて来るか、どっちかなものだ、という事を知っていればよいのです。ですから人間から毒素が減り、曇りが除れるという事は、どうしても運が良くなるという事ですから、これを心得ていればよいわけです。それから神様は人間というものは働かせるように出来ているのですから、本当に神様の御意志通りの働きが出来れば、その人は神様の方では重要な人ですから、なるべく病気で苦しまないように、長生をするように、何時までも働けるようにと、神様の方でやるのです。ところが案外早く死んでしまったりするのは、神様の方に対して、世の中のために間違った事をしたり、間違った考えを持っているからして、どうしても神様の方では、その人を間引(マビ)かなければならないのです。そういう事は一点の狂いもなくやられているのですが、ただ人間がそれを看破する事ができないだけの事です。
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近頃新聞に売薬の広告が非常に増えているので、その事を書いてみました。
御論文〔⇒新聞の売薬広告〕【註 栄光二三六号】
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ちょっと面白い論文です。これはずっと続けて書く考えです。みんな知りたい事と思って書きました。
御論文〔⇒私は神か人か(一)〕
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十一月二十五日
昨日アメリカの人で、NHKの外国放送の主任の妻君で、日本タイムスという外字新聞の記者であり、美術評論家――美術については大分深いようです――である婦人に昨日箱根美術館を見せたのですが、なかなか頭が良いのです。兎に角私が思っている事とピッタリしているのです。先方も共鳴しましたが、私も大いに共鳴したようなわけです。その人のいきなり言った事がこういう事なのです。“自分は世界中の美術館を見た。なるほど随分立派な物がある。又日本でも、奈良とか京都とかそれぞれのお寺にも大した物がある。けれども総てはそれだけだ。ところが箱根の美術館を見ると、美術館以外の庭園……庭とか木とか草とか、そういった物の一つ一つが実によく調和がとれている。要するに天然の美を発揮している。だから美術品を見るばかりでなく、その全体の空気――雰囲気に溶け込むというような、実にいい気持がして去り難い。だから未だ見残したような気がして、物足りないような気がしてしようがない”と言ってました。予定よりか随分長く見たようですが、美術を見る以外にそういう一つの空気に浸って、何んとも言えない良い気持がしたというわけなのです。箱根を観た人はみんなそう思っているでしょう。そう思っている人はあるでしょうが、それを言葉に出したのを聞いたのは初めてです。私としても、美術館以外に全体的にそういうような感じを出して、つまりそれによって、楽しみながら高い気持に浸るというところを狙ったのですが、その婦人はよくそれを言い現わしていたので、私も非常に気持がよかったのです。それから美術よりも宗教的の話の方がはずんで、大分深い所まで話し合いました。いずれ日本タイムスには出るはずです。それで宗教的のいろいろな話をしていても、実に素晴しいと思います。その見方が丁度私の見方と同じなのです。というのは例えてみれば、キリストや釈迦は大した仕事をしやしないではないかと言うのです。どういう計算か知らないが、あの人のやった事は六百年くらいの間は成果をあげたが、それ以上は別に大した事はない、というような意味でした。これはアメリカ人としての考え方で、飽くまで現実的に見てゆくのですが、これは非常によいと思います。その点私の見方と同じなのです。それに対して日本人はどうも伝統観念が根強く入っているために現実から離れてしまうのです。だから救世教なら救世教を現実的に見たら素晴しいものと分るのですが、やっぱり伝統が邪魔をして、つまり色眼鏡で見るようなわけです。それから又こういう事も言いました。日本人は明治天皇を非常に崇めているが、自分からみると、明治天皇はただ軍人を作ったり、武器はよく作った。単にそれだけではないかと言うのです。それ以外に外国文化を採り入れたという事もありますので、今の言い方は少し酷いようではあるが、世界平和に貢献せぬという意味ではその見方は間違ってはいません。そうしてだんだん話をしている内に非常に共鳴して“これから大いに救世教をアメリカに紹介する。これからいろんなアメリカの偉い人が来たら連れて来るから、よいか”と言うから、“私の方では何時でもできるだけ都合して会うから”と言ったのです。“まず自分の主人を連れて来るから、大いに話をしてもらいたい”又こういう事も言っておられました。“自分は日本に四年居るけれども、あなたのような人には一人も遇わない”と。つまり私の言う事が、何んにも囚われないで、ズバズバと物事の急所を言うわけですから、丁度その点はアメリカ人に余程似ているのです。何んでも実際的なのです。それで、自分は日本に永住的に住まうつもりで家を買って、日本人の生活――畳に坐って、日本の食い物を食べるというので、日本が好きなのです。それで“自分がそういう方針にしたのは非常によかった。あなたのような人を見付けたために意義があった”というような事を言ってました。日本の新聞記者などにも随分会いましたが、全然違います。それで先方で“アメリカの何処がよいか”というような事を聞きましたから、私は“アメリカの一番好きなのは正義感が強い事だ。これは世界でアメリカが一番だ”と言ったのです。“世界の平和を維持しているのはアメリカの正義感だから”と話したのです。するとアメリカの非常な金持のロックフェラー〈これは三代目だそうです〉とか、カーネギーとか――ああいう人になると、今は金は使い切れないほどあるのだから、金持という事の有難みは感じない。それで“世界を如何にして平和にするかという事ばかり考えている。それにはどういう方法をとったらよいかという事に苦心しているくらいだ”という事を言ってましたが、アメリカの金持をガリガリ盲者のように見られたくないというような気持なので、私は言ったのですが、アメリカの人は非常に金を儲け金を集めるという事は、世界に正義を行い平和を維持せんがためには大いに物質が要るから、その物質を得るには沢山の金が要るから、そういう意味でアメリカは大いに金を集めるというように考えていると言ったら、非常に喜んでました。将来ロックフェラーと会うような事になるでしょう。そういうような工合で、一口に言うとアメリカの思想というのは非常に大きく、世界的なのです。ところが日本人との話はどうも国家的です。如何に日本を良くするか、日本を再建するにはどうすればよいか、日本の政治家がどうとかこうとかそういうような話だけです。それで私はそういうような事は問題にしないのです。世界をどうするかという事です。今日の世界に、国家が良いとか悪いとか、そういう事はごく末の問題で、世界をどうするかという事で、要するにその大きさです。何も言うとおり、宗教でも、日本人だけを相手にしてもしようがないです。日本だけ良くしても、世界が良くならなければしようがないです。昔の鎖国時代と同じです。日本を良くするには世界を良くしなければならないのです。宗教も、どうしてもアメリカを相手にするよりしようがない事になります。だんだんアメリカの識者に、この救世教というものが分ってゆくだろうと思います。なにしろ本当に人類のためになる事と、人類のためにこうすればよいという事に心が向いているのはアメリカ人だけです。そこにゆくと日本人で本当にそう思っているのはごく少ないと思います。少なくともジャーナリストなどもそういう考えです。というのは劣等感です。日本人はとても敵わないというように決めているために、どうも目が国内的に行って世界的に見ないのです。見方が小さいわけです。しかし今まではそれより仕方がないだろうと思います。ですから日本人の再教育をしなければいけないのです。再教育という事は、結局において視野を大きくして、正義によって世界を平和にして、みんなを幸福にするという、そういった大きい観点から総てを割り切ってゆけば本当によいわけです。ところが日本人の中には、そういったアメリカの方針に対して、それを嫌って邪魔するのをよいとしているのです。けれども、駄目な事は分っていて一生懸命にやってますが、これらも未だ未だ日本人の見方の小さいためもあるでしょう。それで私は、アメリカのやり方について、最近の出来事で一番感心しているのは、中共政府を承認しない点です。英国などは逸早(イチハヤ)く承認し、インドとか他の国も承認してますが、アメリカだけは承認しないという事は、そこが良い点です。国力が充実しているためでもありますが、兎に角中共は中国を侵略して、その政府を承認するとしたら、そういった暴力による侵略を認める事になります。それを認めたら、如何にして世界平和を維持するかという事になりますから、どうしても承認しないのです。又嘗て日本が満洲を占領した時に、他は承認したが、アメリカはどうしても承認しなかったのです。正義を貫き通すという事で、そこが偉いのです。ところがアメリカの言うとおりになってしまつたのです。遂に日本がやられてしまったのです。ですから今度は中共がどうしてもそれを貫こうとすれば、やっぱり失敗します。何故と言って、正義というのは神様が擁護(ヨウゴ)するからです。如何にしても、結局失敗してしまいます。ですから私が今までいろいろ闘ったり酷い目に遭ったが、正義を守って一歩も退かないから、結局だんだん勝ってゆくのです。ところが正義というのは、一時悲惨な目に遭うから都合が悪いのです。丁度人間と同じで、熱冷しをのむと一時冷めるから、一時は良いようなものです。ところが本当の事を貫くという事は最後の勝利であるという事が分るのです。
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この間日展を見ましたが、それに対して感じた事を書いてみました。
御論文〔⇒日展を観て〕【註 栄光二三六号】
兎に角日展と言えば、展覧会中の王座を占めているのですが、其処に行って日本画というのは一枚もないので、全部洋画です。ただ以前の洋画と今の洋画との違いは、以前の洋画は油の絵具で画いて、今の洋画は日本の絵具で画いたという違いで、私は実に驚いたのです。それで“一体これは買手があるか”と聞いてみたのですが、“買手がない”と言うのです。“買手がなければやってゆけないではないか”と言ったら、やはりそれを抵当にして金を借りたり、知人を頼って、いろんな会社や何かの応接間に、頼んで掛けてもらうのだそうです。買う方は気の毒だというので、絵具代だけくれるというわけで、僅かにお茶を濁しているというのです。ですから稼がなければ食えないというのでは今は画家になれないそうです。半道楽以上でしょう。そういう人達が、高い絵具を使って、カンヴァスや――日本画は絹のようですが――大きな絵を、どのくらいあるか分らないが、落選を入れたなら、一回の展覧会で何千万円でしょう。そこにもっていって民間の展覧会もあります。洋画の方が多いですが、兎に角そういったものに使う金というものは大変なものでしょう。何億というものでしょう。こういう事を言うと怒られるが、実に勿体ないです。それに対して外字新聞に出ていた事ですが――飜訳して今度の栄光に載せますが――日本の画家に対しての批判です。日本画は、つまり昔からの藤原時代、鎌倉、室町時代、桃山、元祿という時代の良い所、特色をとって現代画を作ったら良いだろうという事を書いてあるのですが、これは実によい意見で、私も常にそう思っているのです。それでこそ初めて日本としての良い芸術が出来るのです。ところが日本は今言ったような工合で、今までの伝統をすっかり捨ててしまったのです。それで西洋から入って来た物を、絵具だけを日本の物を使ってそっくり真似してしまったので、その無智どころではない、少し変態的になって来たのです。その原因は今読んだとおり極端な西洋崇拝に誤まられたのだと思います。
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今までは私は進駐軍の関係であまり言ったり書いたりはしなかったのですが、日本人の民族の優秀性ですが、これは此処だけの話ですが、ヨーロッパ人アメリカ人などは到底日本人の能力に敵ったものではないのです。それは到底勝れたものです。それを日本人は知らないのです。これは昔は国学者がそういう事を言ったものですが、それはただ古い、時代離れのした、そういったような説を立てたような工合で、今の人を納得させる事はできません。私はこれから日本人の優秀性を、歴史的に科学的――と言っても唯物科学ではなく霊科学です――にだんだん説こうと思いますが、それが認識できれば、画家なども日本画を大いに勉強するわけです。それで神様が人類を造るについて、非常に支配的――と言ったところで、戦争や暴力で支配するのではなく、平和で支配すべき、世界の主人公とも言うべき人種を造ったのです。それが日本人なのです。それで日の本、日本という事はそれを表わしてあるのです。それで、日、月、星という事は前に書いてありますが、日本が日で、イギリス=ヨーロッパが月で、アメリカが星ですから、それだけ分れば、もう分るくらいです。それから土というのは土人、蕃人です。つまり木火土金水というように出来ているのです。それで日本人は日であり木であるのです。そういうようなわけですが、これをだんだんあらゆる面から説いてゆくと、なかなか面白いのです。それでなるほど日本人は優秀であるという事が分るのです。そうすると日本の優秀性が本当に分るのです。私はいずれはそういう事をアメリカ人などにも知らせようと思ってますが、しかしこれはウッカリすると妙な疑問を抱かれますから、余程先にゆかなければできない事です。
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ちょっと参考になる事ですから読ませます。
御論文〔⇒御神意を覚れ〕【註 栄光二三七号】
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十一月二十六日
ついこの間日展を見ましたが、それについて感想を書いてみたので読ませます。
御論文〔⇒日展を観て〕【註 栄光二三六号】
つまり根本の又根本の原因は、日本人がその自覚がないのです。という事は、白人よりも劣っていると思っているのです。だから何んでも西洋で出来た物ならよい、西洋人は偉いと思っているのですが、これが大変な間違いです。私はこの事も大いに言ったり書いたりしようと思ったのですが、これは終戦以前まではいろいろ書いたりしてました。私の「明日の医術」に書いてありますが、英国は月、米国は星、日本は日という事を書いた事がありますが、これも終戦後進駐軍が来てから、それを密告した者があるのです。しかしいい塩梅(アンバイ)にそういう事はなくて済みました。そういうような工合で、日本人にそういう事を教えたいと思っていたのですが、なにしろ占領中はそういう事は言えないから黙まっていたのです。もう講和になった以上言えるから言うようなものの、実際日本人の方が白人よりも劣るというこの考えが大変に間違っているのです。これは日本人は世界一なのです。全く、日の本と言って、日の民族なのです。要するに太陽系民族です。つまり月の系統の民族が白人なのです。丁度、言わば金と銀です。ですからテンデ比較にならないのです。そのために私は“アメリカを救う”という本を出したのです。日本人は劣等感がありますから、あれを大変に大胆な、トビ上ったように見た人があるようですが、それを知らないからです。日本人は太陽系ですから、昼間の人種です。夜の民族を救うのは当り前で、少しの不思議はないのです。値打が違うのです。つまり金の値打と銀の値打の違いです。そういうようなわけで、芸術も日本人の方がずっと上なのです。だから日本人が油絵を真似するという事は、とんでもない間違いです。これはかえって外国人の方がよく知ってます。現代の日本画は外人はハナにもかけません。日本画と言えば、古い時代というほどの事もないが、油絵風にならない時の画は大いに買いもするし認めていたのですが、今の洋画風になってからは全然見向きもしないです。それでいてそれに気がつかないのです。それでこの間展覧会に行った時に、一体こういう画は売れるのですかと、その方の事を知っている人に聞いたところが、売れないと言うのです。一体どうするのかと言ったところが、これはいろいろな会社の応接間とか何かに頼んで掛けてもらって、そうして絵具代としてお礼をもらうというぐらいのもので、殆んど収入というものはないのです。第一アンナ物は買手がないです。いっそ油絵ならよいですが、日本画は馬鹿デカイのです。普通の家で買っても、床の間に掛けるわけにもゆかないし、屏風のようなものです。ですから宝の持ち腐れになってしまいます。私などは、くれると言っても要りません。それがウンと出ているのです。そのウンと出た何分の一が入選したのですが、私は見て気の毒でしようがないのです。その絹とか絵具代というのは大変なものでしょうが、勿体ない話です。それでそれを画く間暇をつぶすのですから、生活費とかそういう事を考えたら、あのくらいな浪費はないと思います。これは本当は止めた方が国家のためにどのくらい利益になるか分りません。何んにもならない事をしているのです。それは日本画の良い絵なら日本人を楽しませる事もできるし、外国にも出す事ができますが、これでは日本人を楽しませる事はできないし、外人は見向きもしないです。今国家において一番無駄なものはそういう人達でしょう。それと病人を大事にしろ、肺病などは安静にして何年も寝ていろという、これも随分不生産です。だから日本が貧乏になるのは当り前です。今日本人ぐらい貧乏になる条件を備えている民族はないと思います。
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二、三日前にアメリカの女の新聞記者が来ましたが、その人の御亭主はNHKの外語放送をやっている人です。夫人は日本タイムスという新聞の記者で=私のことも今度出す事になってますが=いろんな話の中で、アメリカ人には非常に金持ができるというのですが、その金持の弁明をしているわけです。これは日本人は不断から、アメリカの金のあるのを羨んでいるのを、ちょっと言い訳を言うかのように言ってましたが、ロックフェラー〈三世で、今は孫になっているそうですが、よく知っているらしいです〉にしても、あんまり金ができ過ぎてしまって、もう金などは要らないと言っているそうです。だから頭は始終世界を平和にして、人類をみんな幸福にさせるという事しか考えていないと言うのです。それでロックフェラーだけでなく、アメリカの大きな金持というのはみんなそういう考えを持っているそうです。というのは、つまり非常に金が儲かる、金が溜まるような組織にもなっているし、日本みたいにそういう無駄とか、結果において不利益な事というのはアメリカ人は嫌いです。だから国が富んで、そのためにああいう、今言ったように日本人が崇拝するような国になってしまったわけです。そこで私はそれに対して、かえって私の方で言い訳を言ったのです。アメリカで金を集め、非常に富むという事は、自分達が贅沢したり威張ったりするというためでなく、世界を平和にするという事のためだ。それについては非常に金が要るから、アメリカで金を集めるという事は、根本は正義感だ。それでアメリカくらい正義感が強い国はないので、それで私はアメリカを非常によいと思っている。兎に角世界の正義を維持しているのはアメリカなので、それにはやはり非常に物資も要ります。例えてみれば軍備です。だからアメリカが金を集めるという根本はそういう目的だからして、大いに集めて金持が沢山できた方が結構だと思う、と言ってやりました。私は不断から思っているのは、若しかアメリカのあの富がなかったら、世界は共産主義になってしまいます。兎に角共産主義の根本は人類愛ではないので、世界を自分の支配下にして、そうして要するに世界封建――ロシヤ帝国を造って、そうして世界を自由自在にしようというので――そういった根本が悪ですから、それではいけないから、それを押えるというのはアメリカの力です。朝鮮問題にしても、最初北鮮が南鮮を攻撃して釜山まで来た時に、若しアメリカが救わなかったら、もうとうに朝鮮は北鮮のものになっていて、南北朝鮮を合併して、その後を中共が押え、その後をソ連が押えているという事になります。そうしてその次には日本にやって来るに決まってます。ですから若しあの時にアメリカが乗り出さなかったら、日本は中共のものになって、われわれは共産政策の下にナッパ服のような物を揃って着ていなければならないのです。なにしろ中共の国民はみんなナッパ服です。それを兎に角中共を押えて、こうやって居られるのはアメリカのお蔭です。それをアメリカのそれに反対して、怨むのではないが、怨ませるように煽動(センドウ)しているのです。社会党のように……。そうして軍備をさせないように一生懸命にやってますが、この軍備をさせないという事は、いずれは中共やソ連が日本をやっつける時に、日本に軍備があると余計な手数がかかるというわけで、全然ソ連の方の味方です。そうして投票までするのがあるのです。ただ軍備をなくすれば亭主も伜も兵隊にとられない、安全だというわけなのですが、そこにちょっと気がつけば何んでもないのです。そうすれば、ある程度はやはり軍備をしなければならないのです。如何に再軍備反対と言ったところで、そんな事にはかまわずドンドンやってゆきますが、これはやはり神様は邪には味方しないので、正の方に味方するから、心配はありませんが、そういうようなわけで、なかなか簡単にはゆかないわけです。
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日本人は世界で一番優秀だという事は、勿論太陽の民族で、太陽系だからですが、日本人の中にも支那系と朝鮮系とあるのです。それで真の大和民族というのはごく少ないのです。これは少ないのは当り前で、良いものほど少ないのです。神様はチャンとそういうふうに造ってあるのです。丁度ピラミッドみたいなものです。一番上に行くほど範囲が小さくなってますが、それと同じで、日本人が一番少ないが、一番優秀なのです。そうして日本人の大和民族というのは一番争いを嫌うのです。絶対に争わないのです。戦争を嫌うのです。ですからその真の日本人の中心が私なのだから、私は武器を嫌うのです。私は博物館に行くと何時も、刀のある所は脇目(ワキメ)もふらないで通り過ぎてしまいます。とても気持が悪いのです。だから私は美術品は随分集めるが、刀剣類は一つも集めません。大和民族というのはそういうものです。ですから大和民族が世界を支配する時がミロクの世界です。しかし目下の人間は、争いが好きな、戦争が好きな――戦争が好きと言ったところで、やっぱりみんな嫌いなのです。戦争は国家と国家の争いですが、個人と個人の争いという事は好きなのです。これが一番分るのは政治家ですが、政治家ぐらい喧嘩の好きなのはないです。何んでもない事で、穏やかに丸く済む事を、態々喧嘩の材料にするので、見ていると実におかしいのです。今一番やっているのは、鳩山の方と吉田の方とが手を握ろうか握るまいかと、ウンだりツブレたり毎日のようにやってます。鳩山は吉田と仲良くなりたいと言うし、吉田の方も鳩山の方か改進党の方がなかったら絶対多数にならないので、それでは政治はできないから、どっちかを自分の方と一致しなければならない。しかし改進党の方は重光がナンダカンダと文句を言って、改進党の党員もいろんな苦情を言って容易に軽く行かない。そこで鳩山に目をつけて、この方が可能性があるからですが、今や両方が手を握らんとしている事ですが、ああいう事も、至極簡単に行く事です。そうして党員の中にナンダカンダと言って、つまらない事で、理由もなく、面目上か今までの成行(ナリユキ)かで、変な事を争っているのです。だから戦争は嫌いだが、個人的争いは実に好きです。尤も、小さくは夫婦の争いですが、おそらく夫婦喧嘩をしない家庭よりも、する家庭の方がずっと多いでしょう。十軒の内に夫婦喧嘩をしないというのは一軒もどうですか。それから兄弟喧嘩と、実に喧嘩が好きです。そういうようなわけで、これは大和民族が喧嘩の嫌いなそういう民族が、今まで下積みにされていたわけです。そうして喧嘩の好きな系統がみんな上に立ってやっていたわけです。これを神様が平和的に、平和の好きな方の趣意(シユイ)に賛成するわけです。というのはやはり平和の力ですが、平和の力というのは、一番面白いと思うのは、私が今書いているのは、殺人原爆――人を殺す原子爆弾――と、活人原爆ですが、私の方でこうやりますが、これは人を活かす原子爆弾です。ところが、人を殺す原子爆弾は今まで人類にはなかったのです。最近に到って人殺し原子爆弾というのが現われて、世界中に一大恐怖が起こったわけです。ところがこうやって人を活かす原子爆弾も今まではなかったのです。丁度人殺し原子爆弾が生まれると丁度同じように、人を活かす原子爆弾が現われたわけです。これは神様もなかなかうまくやられたわけです。ところが人を殺す原子爆弾の方は形に現われるから、一度に世界に知れてしまったが、人を活かす原子爆弾の方はなかなか急には分らせられないのです。しかしながら、なにしろ神様がやっているのですから、世界中に分るのは決まってます。ただこの方は少し暇がかかるだけのものです。そこで人を殺す原子爆弾が最後に出て、それから人を活かす原子爆弾が出て、そこで初めて地上天国が出来るのです。そういうように考えるとよく分ると思います。そういう人を活かす原子爆弾、要するに平和を造る力というものは大和民族でなければならないのです。そこまで分らせなくても、日本人の優秀性は他の例でも沢山ありますから、私はだんだんそれをアメリカ人にも分らせようと思ってます。しかしそれには余程慎重にやらないと、又日本人の奴馬鹿に偉がって、前のような事でオッ始めると大変だ、というそういう懸念もありますから、どうしても浄霊で病気を治すという事が最初です。これをすっかり分らせなければならないのです。
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それと、一つは宗教的に行くのですから、或る程度は最初から変な目で見る事はないです。アメリカの一部には大分救世教という事に関心を持って来て、つまり有識階級の人達が私に会いたいというような話もあります。それで一昨日来た日本タイムスの記者なども、自分は日本に四年居るけれども、あなたのような意見の人は日本人には一人も無い、自分も非常に共鳴するという事を言って、非常に褒めてました。というのは、一つは私が大体アメリカ人に似ていて、日本人離れがしているので、アメリカ人にはピタッとゆくのです。大体美術評論家なので美術に対する眼識は日本人にもないくらいよく分ります。私も感心したくらいです。それでこういう事を言っていました。自分は世界のあらゆる美術館を見た。なるほど立派な物も素晴しい物もあるが、唯それだけであって箱根美術館みたいに、いろいろな自然の風景とか草木、石類を調和して、一つのああいった雰囲気というものの作られている所は一つもない。それについて自分は実に打たれる。あそこに居るとどうしても去る事ができなかったと言うのです。一昨日来たのですが、時間がないので到頭(トウトウ)思い切って帰ったというくらいで、あれほどの美術館というのは実に素晴しい物だと言って感心してました。今度は主人を連れて熱海の方も見るつもりだそうです。それから宗教の方にもなかなか関心を持っていて、宗教の話も随分しましたが、なかなかの見識があります。そこで、これからアメリカ人の偉い人を連れて来るからよいかと言うので、結構だから何時でも私は万障繰合わして会うからと約束をしました。そういうような工合で、全然日本人と違って非常に分りよいのです。宗教の事なども実に分るのです。というのは、どの点が私と一番一致するかというと、現実主義な事です。その仕事が形に現われる結果という事に一番重きをおくのです。それからこういう事も言ってました。即ち、日本人は明治天皇を非常に偉いとして崇拝している。しかし自分から見れば明治天皇は、軍人を沢山作った事と、武器を大いに作ったというそれだけではないか、だから平和に対する事は別に大してやってないではないか、という事を言ってましたが、これもアメリカ式の現実主義です。ですから私は、宗教も拝んだり太鼓叩いたりするという事は別に意味がない。それよりか病気が治るとか幸福になるとか、悪人が善人になるとか、本当に現実に現われる、それだけが宗教の価値だと考えてます。アメリカ式の考え方もそれですから、そこで話がよく合うのです。ところが日本人の一番悪いのはその点にあります。事実を無視する事です。例えてみれば、今度の「救世教奇蹟集」にしても、読売は出しましたが、朝日、毎日は広告を出さないのです。つまり私の言う事が、あまり意表に出るので、今までの宗教の言い方や説とは違うから、そこで恐れをなしたのだろうと思います。しかし一般ジャーナリストは、“医学のイの字も知らない、おまけに新興宗教で、近頃ニョキニョキと頭を出したくせに、コンナ大それた”という事で、事実を見ないで、ただそういつたような理窟にならない理窟をつけて、そうして自分ではそれが良いと思っているのでしょうが、そういった現在です。ですからこれがアメリカ式にゆくと、何がなんでも、兎に角何者がこういう事をしても、事実医学よりもよく病気が治ればよいではないか、それを取上げるのがよいという考え方です。そこにアメリカがああいう立派な国になる根本があるのです。日本は、島国根性が抜けきれないで小乗的になってしまうのです。それが何にでも現われてます。話は違うが、今もって芝居やラジオで忠臣蔵をやってますが、これも日本人の今もって囚われた島国根性から抜けきれない証拠です。ですから忠臣蔵で、一生涯を犠牲にして自分の殿様の仇をうつというのですが、そういうような考え方として、結果は一体日本人の幸福に対してどれだけの役に立つかという事を言いたいのです。若し役立つとすると、その当時の権力者、大名などに対する忠義という事は、その大名が権力を維持する上においての一つの手段です。それがために一般民衆は何んにもならないので、少しも幸福の役に立つわけではないので、それを大したように思い、又思っている考えがあるので、それだから興行師がそういう物を扱うようになるのです。ですから今の本当の民主主義の思想と、くい違いも甚だしいです。日本人のこういった小さな思想を、もっと世界的に人類愛的に拡げるのが一番必要なわけです。そこで宗教も、ただ日本人だけを信仰させるというのでは、およそこれからの世界とは違っているわけです。世界救世教として、一番にアメリカ人を救おうと思ってます。そうすれば世界を天国の世にするにはこれが一番効果的であるし、手取早(テツトリバヤ)いです。神様は勿論その御心なのです。
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十一月二十七日
この間上野の日展を見ましたが、その感想を書いてみたので読ませます。
御論文〔⇒日展を観て〕【註 栄光二三六号】
今読んだように西洋崇拝はいろんな事にありますが、美術面に影響されるのが一番厄介なのです。というこの根本は人種的の見方、つまり日本人より西洋人の方が優秀だと思っている観念が大変間違っているのです。本当言うと日本人は民族的には世界で一番優秀なのです。これを私は日本人に知らせようと思って、終戦前はよく書いたり言ったりしたのですが、最初の「明日の医術」などに出てます。あれには“日本は太陽の国で、英国は月の国、米国は星の国”という工合に書いてあります。けれども終戦になってからそういう事を言うと大変ですし、パージにする資格があるというので随分危なかったのです。これはアメリカとしては無理はないのです。日本人がああいう戦争を起こしたのは、つまり自分の国の優秀性、八紘一宇というあれが元ですから、それを心配するのは当り前です。だからそういう事には全然触れなかったのですが、しかし今日になってみればやはりそういう事を日本人に知らせるという事は必要なのです。と言ったところで、別に野心があったりして言う意味ではないのです。お国自慢とか国粋という事とは違い、本当の事です。特に美術などは日本人が一番です。これは私みたいに始終美術を扱っているとよく分りますが、大体仏像などでも、これは支那から来たものです。支那の北魏時代と言って、丁度千五百年くらい前で、唐の少し前です。その時代に支那では仏像美術が非常に発達して、俗に六朝時代と言いますが、この時代の仏像が一番良いのです。それが唐の時代から日本に入り始めて、奈良朝時代になって俄然として、それをお手本にして日本が真似をしたのですが、ところが真似をするや否や、日本の方がずっと上手になってしまったのです。ですから日本の仏教彫刻或いは絵画でもそうですが、それは支那のとみると、まるっきり比べ物にならないです。それでどの点が一番勝れているかというと、日本仏像のお顔は非常に慈悲に満ちて柔らかく品格があるのです。それこそ拝む気になるような良いお顔とお姿なのです。これは奈良に行けば沢山あります。ところが支那のは何んだか変なのです。安ッポイのです。間の抜けたような、仏様じみないで人間のような顔なのです。明治以後の仏像は人間じみてますが、これはやっぱり思想的にいやしくなったのです。そういうようなわけで、日本人の美の感覚というのはとても勝れているのです。という事は、人種的にそうなのですから当り前なのです。それからみると、他の国、少なくともヨーロッパ人などの美の感覚というのは、日本人から言うとずっと低いのです。それで白人はいろいろな機械を作るとか、或いは組織を作るとか、社会的のいろんな施設とか、そういう事には非常に勝れているのです。これは日本人より上なのです。ところが美術、芸術という事は日本人の方が上なのです。だから日本人は外国の芸術を取り入れて、それ以上立派な物にするという、それが日本人の本当の天分です。それを知らないからして、そういう事も日本人の方が劣るという劣等感が今日の日本画を堕落させたわけです。そういうようなわけで、機械とか、実用品は外国の方がよいのです。それから装飾品は日本人の方が上だ、というその違いさがはっきり分ればよいのです。ですから今は目茶々々になってしまったわけです。丁度人間の病気を機械や、木や草や鉱物などをのんで治そうというのと同じ事で、自から違うという、それを知らないのです。そこに西洋文化の誤謬があるわけです。それで救世教はそういう事を知らせるのが大きな仕事なのです。そうして本当言うと日本文明――と言ったところで、今までの文明ではなく、これから私がこしらえる文明が世界的になれば、初めて地上天国が出来るのです。それ以外には、どんな事をしても駄目なのです。ですからいくら平和とか条約とか連盟とかをしても、それはやっぱり薬で一時押えをするようなもので、絶対にうまくゆく筈はないです。事実年中世界中は、ヤレ国際連盟とか平和連盟とか、いろんな事を言ってますが、ただそう言いながら、お互いに軍備をドンドン進めて、大戦争を起こす準備をしてます。だから世界の平和とか、本当の文明というのは、白人の頭では無理なのです。これは日本人の頭でなければ駄目なのです。ところが日本人の中にも、本当の日本人というのはごく少ないのです。つまり大和民族ですが、これは少ないので、殆んど支那と朝鮮です。私が何時も言うとおり、丁度一割ぐらいが日本人の大和民族です。ですから八千万の内八百万が大和民族で、あとの九割は支那系、朝鮮系なのです。それでその八百万の系統の内にもやっぱり上中下に分れているのです。しかし大和民族のごく上等の人も直ぐに嬉しがる事はできないのです。というのは日本がごく上代に支那、朝鮮に征服されたのですから……。それで征服されたために大和民族がその方の家来になったり、援護者になった人が相当あるのです。だからそういう人は、つまりそういった色に染っている人が沢山あるのです。それでその色をとっていって本当の純粋の大和民族になるという事が、今神様の方でやられている事なのです。それでその優秀な民族が本当の文明、つまり平和の文明を作りあげて、初めて地上天国が出来るのです。根本はそういう訳なのです。
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この間日本タイムスという、アメリカ人がやっている新聞の婦人記者が来て、今までの文明は地獄を作る文明だ、それで私は天国を作る文明に作り変えるつもりだという話をしましたが、非常に共鳴してました。その人の主人というのはNHKの英語放送をやっていて、これも立派な人ですが、その婦人が外字新聞の記者になっているのです。素晴しく頭の良い人で、話がとてもよく分って、自分はこれから米国から偉い人が来たら連れて来るから会ってくれるかと言うから、私の方では喜んで会うから、できるだけそうしてもらいたいという事を言ったのです。その人は日本に来て四年になるそうですが、日本が非常に好きで、今度日本で家を買って、総て日本的の生活をしているそうです。つまり畳に坐って、食べ物も日本の物で、そうして日本の研究もあるし、日本が好きな点もあるのです。美術評論家なので、世界中の美術館を廻って見たけれども、この箱根美術館は素晴しい物だと言うのです。どういう訳かというと、世界中には随分立派な物があり、日本に来ても奈良とかに良い物があるが、ただそれだけのもので、一つの雰囲気が作られてない。箱根は、美術館ばかりでなく、総ての木や草、石、いろんな物において、非常に巧に芸術的に造りあげている。つまりその感じが何んとも言えない。だから自分は帰れなかったというのです。だから随分見ていたそうですが、時間がないので中途で止したくらいだそうです。つまり気持が溶け込んだような気持になって、こういうような感じを与える所は世界中にないと言うのです。だから非常に嬉しいと言うのです。ところが私も、そこを見てもらいたいのが一番の狙い所なのですから、私も非常に満足したわけです。そう思っている人もあるでしょうが、そういう工合にはっきりと言った人は今までなかったものですから、私も非常に気持がよかったのです。それともう一つは、日本人で私のような考えを持っている人は初めてだと言うのです。というのは、私の考えとアメリカ人の考えはよく合うわけです。ですから私のやる事はアメリカ式が非常に多いのです。そういうわけで、いろいろな話がありました。アメリカ人の金持の話が出て、言い訳みたいな事を言ってましたから、私はそれに対して言ってやったのですが、私はアメリカの金持が金を集めるという事は非常に結構だと思う。というのは、私はアメリカ人の一番好きな事は、正義感が強い事だ。だからアメリカが世界の平和を維持する上において、つまり正義を貫く上においては非常に物質が要る。その物質を集めるには金が要るから、その意味で金を集めるのだから、非常に結構だという話をしたら、先方でも、ロックフェラー〈今は三代目で、孫の代だそうです〉などが不断から言っていることは、金なんかあってもしようがないというのです。それはそうでしょう。金は入り過ぎるくらいですから……。だから自分は世界を平和にし、多くの人を幸福にする以外には何も考えない。だからそのための方法はどうすれば一番よいかという事を始終考えている。という様な事を言ってました。それで私は若い時分から、アメリカの金持の事を本や雑誌でできるだけ見るようにしてましたから、私の話はかえって先方の知らないような事を言いました。これは話が細かくなりますから、いずれ話すとして、そういうようなわけで、そういった日本に居るアメリカ人の間に大分拡がりつつあるのです。だからだんだん日本の有識者――ジャーナリストなどよりも、アメリカの方に早く知れるだろうと思います。又それが一番良いのです。それは日本人に知れるよりも一番効果的です。今の一切がアメリカ文化の崇拝思想になっているのですから、救世教もアメリカに知れるという事が一番効果があるわけです。未だいろいろな話がありましたが、このくらいにしておきます。
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これは不断言っているような事ですが、書き方を変えてみました。
御論文〔⇒御神意を覚れ〕【註 栄光二三七号】
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今殺人原爆と活人原爆というのを書いていますが、これを分りやすく言うと、これ(浄霊)が活人原爆です。それから今の原子爆弾は殺す原爆です。それで宇宙というものは反対な二つの力があって成生化育されているのです。だから破壊の力と創造の力です。ですから地球は引力と言いますが、斥力もあるのです。吸う力と、はね返す力です。前に、月の世界に行くとかという事で、斥力を利用すると言う学者の説があったが、これは引力と反対な力ですから結構ですが、兎に角今言ったように殺す原子爆弾と活かす原子爆弾があるわけです。それが丁度時を同じくして生まれたという事が面白いと思います。ですからこれはやはり原子爆弾と同じ事です。ただ此処から出る火素は、壊す原子爆弾よりもずっと粒子が細かい、上等なわけです。そこで、毒素を固める方法というのが、固まりきった時が破壊になりますから、それと原子爆弾とは同じです。ですからラジウムとかレントゲンというのはやはり固める作用をする物です。それのもう一層激しいものが、固まりを壊す作用になり、それが原子爆弾の原理です。ところが私の方のは溶かす力なのです。ですから溶かして出す力です。これは丁度今のと反対の力です。けれども結局において力の素晴しいのは原子爆弾と同じです。ただ働きがアベコベになっているだけです。ですからこれ(浄霊)を原子爆弾と思って説明すると一番分りよいのです。つまり人を殺す原子爆弾と活人原子爆弾が丁度同じ時に現われたという事が非常に面白いのです。というのは、何時も言うとおり、最後の審判は破壊と創造が同時に起こるのです。だからこれがつまりそれの根本的のものです。そういう工合に考えて説明すると、非常によく分ると思って話をしたのです。
(教二十八号 昭和二十八年十二月十五日)