著述編

栄光

無題

左の御蔭話は、天理教々祖中山ミキ刀自が本教に救いを依頼した霊的事象である。処が之を狐霊とかいてあるが、実は天理教々祖としては、神格上普通の人間には憑れないから、狐霊を使ったのである。之に就て私は一昨年の事件の際、庵原(イハラ)警察署の留置所...
栄光

医学断片集(十七) 頭の病気

私は頭の病気は、首の周囲、延髄、後頭部の辺を主として、浄霊するように曰ってあるが、近頃は前頭部から額、顳 (コメカミ)等の部分に、浄化の発っている人が多いから、其辺をよく浄霊した方がいい。其場合右の辺に掌を当ててみると、熱があるから直き分る...
栄光

新世界の誕生

我メシヤ教は宗教ではなく、宗教はメシヤ教の一部であるのは、常に私の唱えている処であるが、では一体どういう名称ならピッタリするかというと、標題の如く新世界建設事業という名が合っていると思う。然し之では何だか土建屋の看板みたいだから、今の処メシ...
栄光

東洋美術雑観(4)

日本美術は此位にしておいて、次は支那美術であるが、支那美術といえば、何といっても陶磁器であろうし、次は銅器、絵画という順序であるから、先づ陶磁器を主としてかいてみるが、支那美術としては一番陶磁器が古いらしく、今から四千年前既に相当なものが出...
栄光

東洋美術雑観(3)

処が之より先、平安朝時代の和歌旺んな時和歌の雅(ミヤ)びな仮名書に感化を受けて生れたものが彼の大和絵であろう。此手法は勿論支那の彩色画から出たのであるが、此派の巨匠としては有名な藤原信実(フジワラノブザネ)である。此人の色紙が今日一枚...
栄光

東洋美術雑観(2)

夫等とは物に、桃山時代彼の有名な本阿彌光悦という不世出な工芸作家が生れた。彼の美に対する天才は、行く処可ならざるなき独創的のもので其中でも蒔絵、楽焼、書、余り多くはないが絵などもそうで、其斬新な意匠、取材等は、時人(ジジン)をして感嘆さ...
栄光

東洋美術雑観(1)

今迄美術に関する批評といえば、殆んど学者の手になったものばかりでそれは成程究明的で深くもあるが、一般人にとっては必要がないと思う点も少なくないので、私などは終りまで読むに堪えない事がよくある。そこで一般的に見て興味もあり、一通りの鑑賞眼を得...
栄光

眼病も此通り治る

よく新聞紙に、医学で眼病が治ったなどとデカデカにかいてある記事を見るが、吾々の方では眼病も、梅毒も、実に容易に治るのは何よりも事実が証明している。左の御蔭話はよくそれを裏書しているから、之を専門家が見たら何というであろう。処が可笑しな事には...
栄光

医学断片集(十六) 眼にゴミが入る

よく眼にゴミが入ったり、何かで傷ついた場合、放っておけば必ず自然に治るもので、何等心配の必要はないのである。処がそれを知らない一般人は、早速御医者へ行くが、御医者も亦全然無知であるから、薬を点けるので、其薬毒が僅かな傷口からでも沁み込んで治...
栄光

アレヨアレヨ

今度神仙郷が完成し、美術館も出来たが、之は本教モットーである地上天国、即ち真善美の中の美の面の最初の小さな模型であるから、何れは此模型が段々育ってゆき、世界大となるのは勿論であって、一点の疑う余地などないのである。それから真と善も形はないが...