東洋美術雑観(4)

日本美術は此位にしておいて、次は支那美術であるが、支那美術といえば、何といっても陶磁器であろうし、次は銅器、絵画という順序であるから、先づ陶磁器を主としてかいてみるが、支那美術としては一番陶磁器が古いらしく、今から四千年前既に相当なものが出来ている。其中で今日残っているものにアンダーソンというのがある。之はアンダーソンという学者が発見したもので、其名があるという事だが幸いにも此陶器の大壷が手に入り、本館へ出してあるからみれば分るが、其様な古い時代に、斯んな好いものが出来たというのは、到底信じられない程である。そうして支那陶器が真に発達し始めたのは、先づ六朝時代から唐へかけてであろう。特に唐時代には彩色物の優秀品が出来た、それが彼の唐三彩(トウサンサイ)で、形状、技術、色の配合など特色があり仲々見事なものがあるが、それとは別に緑釉物といって青緑色のものがあり、之も好もしいもので本館にはダンダラ筒形香炉がある。次に生れたのが彼の越州窯(エッシュウヨウ)である。之は茶がかった薄鼠色でボリュームに富み、技巧も割合よく、此初期に出来た鶏頭(ケイトウ)大壷が、本館第五室の入口にあり、此品は凡ての点に於て、世界に二つとない絶品とされている。次に出来たのが汝窯(ジョヨウ)であるが、之は青味がかった錆色で、平肉彫(ヒラニクボリ)の技巧亦捨て難く、其徳利形花生が本館に出ているが、之は汝窯の代表作と云われている。此汝窯が進化したのが青磁であって、支那陶器といえば先づ青磁に指を屈するが、全く初期宋時代のものは其色といい技術といい、其素晴しさは驚くべきものである。今から八、九百年前によくも之だけの工芸美術が出来たものと、感に堪えないので全く一種の謎といえよう。併し乍ら青磁には其種類が頗る多岐で、本当に見分け得る人は恐らくないとされている。私も其方面の学者専門家によく鑑定させた事があったが、人により意見区々(マチマチ)で決定版は不可能であるにみて、如何に難しいかが分るであろう。

然し大体としては修内司窯(シュウナイジヨウ)、郊壇窯(コウダンヨウ)、龍泉窯(リュウセンヨウ)(砧(キヌタ)、天龍寺(テンリュウジ)、七官(ヒチカン))等であるが、其中で修内司窯、郊壇窯、砧が最高とされている。又断定困難な場合は官窯青磁(カンヨウセイジ)とされるようだが、本館にも之等一級品が数点あって、特に砧青磁袴腰大香炉(キヌタセイジハカマゴシダイコウロ)の如きは衆目の見る処世界一との評である。青磁は此位にしておいて、次は宋均窯(ソウキンヨウ)であるが、之は日本では数は少ないが伝世物(デンセイモノ)が多く、非常に好もしいもので、青磁とは又別な味がある。然し均窯物は大英博物館の、ユーモーホップレス氏の蒐集品は数も質も優れているようである。だが本館にある大皿は、世界にも類がない程の絶品とされている。其外宋時代の優秀品に定窯(テイヨウ)がある。之は白定窯(ハクテイヨウ)と黒定窯(コクテイヨウ)とがあって、黒の方は極く稀で、白定窯は皿類が殆んどで、立体的のものは極く稀である。然し本館第三部にある徳利は、先づ世界的といってもよかろう。今一つ同部にある水指も珍らしいもので、日本では二三点あるのみである。次に宋時代の逸品としては鉅鹿(キョロク)(別名掻落(カキオト)し)であるが、之も数は少ないが日本には世界最高品がある。彼の有名な白鶴美術館の龍文大壷(リュウモンオオツボ)と細川護立氏所蔵の花文大壷(ハナモンオオツボ)であり、本館には蝶牡丹文(チョウボタンモン)の壷がある。又此時代の物に影青(インチン)(青白磁)といって、青磁に似た磁器があるが、之も仲々捨て難いもので、本館にある蓮華彫(レンゲボリ)中皿は、日本での最高のものとされている。

右は宋を中心とし、元にかけてのものの大体をかいたのであるが、次の明時代に入って俄然として一大飛躍をした。それは恰度日本の平安朝から鎌倉時代にかけての、美術興隆が宋元時代とすれば、足利から桃山にかけてのそれが明時代と言ってよかろう。此時代の支那陶器は宋元物とは全然趣きを異にしたもので、宋元の素朴淡白にして、貴族的典雅な陶風に対し明の作風は華麗、豪華、大衆的になって来た。又宋の作風が青磁、均窯、汝窯、定窯の如き単色で形状や彫(ホリ)を主にした作柄に対し、明のそれは形も巧妙になったと共に、染付や赤絵の如き装飾画や模様的のものが殆んどで華麗眼を驚かす物が続々生れたのである。金襴手(キンランデ)、呉須赤絵、宣徳、万歴赤絵(バンレキアカエ)等がそれであって大いに珍重されているが、特に嘉靖(カセイ)の金襴手は最高のもので、本館にある金襴手瓢形花瓶(ヒサゴガタカビン)と、小型角形の盛盞瓶(セイサンビン)などは優秀稀に見るものである。其後の近代物であるが天啓、康煕 雍正(ヨウセイ)、乾隆(ケンリュウ)等の好い物も出来たが、明以前の物に較べると技巧に囚われすぎて、軽薄感が深く、魅力の淡いのは衆目の見る処である。

次に陶器の外に世界的に珍重されている支那美術は銅器であろう。之は今から約三千年以前殷(イン)、商(ショウ)、周(シュウ)時代の作品であるが、其技術の優秀なるは実に奇蹟である。そんな古い時代に斯くも立派な物が出来たという事は どうしても考えられない程である。而も一層不思議に思う事は、其後に至って秦、漢、隋、唐、宋というように、時代の下るに従って技術は段々低下した事であるから、美術のみは文化の進歩に逆行している訳で、此不思議は誰もが一致した意見である。そうして支那銅器類は、米英の博物館、美術館に多く集っており、日本では白鶴美術館、住友美術館、根津美術館位が主なるものであろう。

次に絵画であるが、支那絵画は何といっても、陶器と同様宋元時代が最も好いものが出来ている。此時代の作品は、他の時代のものを断然切離している程傑出している。就中(ナカンズク)墨絵に於ける牧谿、梁楷、顔輝(ガンキ)、馬遠(バエン)等は特に優れており、牧谿、梁楷、馬遠の名品は本館にあるから観たであろうが、此時代の名画は殆んど神技に近いといってよく、筆力雄渾なる之ばかりは日本画家の追随を許さぬ処である。そうして彩色画では何といっても世界一の名人とされている徽宗(キソウ)皇帝であろう。次で銭舜挙(センシュンキョ)も名手とされているが特に徽宗皇帝の日本に於る逸品は井上侯所持の桃鳩(モモハト)であろう。又大原美術館にある銭舜挙の桓野王(カンヤオウ)も名品である。

面白い事には、此時代の名人の中には、一種類の絵を一生涯描いた人が多かった。其中で有名なのは日観(ニッカン)の葡萄、因陀羅(インダラ)の仏者、李安忠(リアンチュウ)の鶉(ウズラ)、笵安仁(ハンアンジン)の魚(ウオ)、徐煕(ジョキ)の鷺(サギ)、檀芝瑞(ダンシズイ)の竹(タケ)等である。

(栄光百七十号 昭和二十七年八月二十日)