東洋美術雑観(3)

 処が之より先、平安朝時代の和歌旺んな時和歌の雅(ミヤ)びな仮名書に感化を受けて生れたものが彼の大和絵であろう。此手法は勿論支那の彩色画から出たのであるが、此派の巨匠としては有名な藤原信実(フジワラノブザネ)である。此人の色紙が今日一枚百万以上もするにみて、其優れている事は想像出来るであろう。又別に鳥羽僧正覚猷(カクユウ)の戯画も生れたが之は漫画の初めと言えよう。そうして大和絵の進歩は藤原期から鎌倉期に続いて、多く神仏関係の縁起物を題材とした絵巻物が多く、今日其頃の絵巻物の好いものとなると非常に珍重され価格も驚く程である。今私が欲しいと思っている或絵巻物は、三巻で六百万円というのであるから、手が出せないで只指を喰えているのみである。絵巻物は特に米人が愛好し、逸品を虎視眈々と狙っているそうである。本館にある天平因果経の巻物は千二百年前出来たもので之は日本画としては最古のものであるに拘わらず、其色彩の鮮かなるにみて、其絵具の優良なる今日でも解らないとされている。


 又大和絵から転化したものに土佐派がある。其中での巨匠としては光起、又兵衛(勝以)等であり、次で菱川師宣(ヒシカワモロノブ)出で、茲に浮世絵を創めたのである。其後歌麿、春信、長春等の名匠相次いで出で、近代に到ったのは人のよく知る処である。


 そうして日本画として驚くべき物は彼の仏画であろう。尤も支那宋時代の仏画からヒントを得たのであろうが、日本は又日本独特のものを描いた。寧ろ支那よりも優っている位である。本館にも数は少ないが、審美的に観て価値あるものを出した積りであるが、仏画にあり勝ちな窶(ヤツ)れや汚点が少ないから、見る眼に快い美しさがあろう。茲で一寸書き漏らせないのは、足利末期に於ける数人の画家である。海北友松(カイホウユウショウ)、長谷川等伯(ハセガワトウハク)、狩野山楽等であるが、本館にある友松の屏風は、友松中の逸品とされている。狩野派に於て元信(モトノブ)、尚信(ナオノブ)、常信(ツネノブ)、雪村(セッソン)、探幽(タンニュウ)等幾多の名人は出たが最後の雅邦(ガホウ)までで人気は一頃と違って来た。勿論時代の変遷が唯一の原因であろう。絵画は此位にしておいて、書に就て若干かいてみるが先ず日本人の書としては何といっても仮名書であろう。其中でも最も優れているのは平安朝時代の人達で、貫之、道風、西行、定家、佐理卿、宗尊親王(ムネタカシンノウ)、俊頼(トシヨリ)、良経(ヨシツネ)、源順(ミナモトノシタゴウ)、行成等、女性としては紫式部、小大(コダイ)の君(キミ)等であるが、之等古筆物は日本独特の優美さがあり其高雅な匂いは他の追随を許さぬものがある。次に墨蹟であるが、日本では先づ弘法大師を筆頭とし、大徳寺の開祖大燈国師を始め、同系の一休、沢庵、清巌、江月(コウゲツ)、玉室(ギョクシツ)、古渓(コケイ)等が主なるもので、其他としては鎌倉円覚寺の開祖無学禅師、別派として夢窓国師であろう。又近代の人で人気のあるのは良寛であり、名筆としては貫名海屋(ヌキナカイオク)辺(アタ)りであろうかと思う。書は大体此位にしておいて、次は日本陶器に移るとしよう。


 日本陶器も絵画と同様支那から伝わったものに違いないが、其殆んどは支那の影響を受けている赤絵物、染付物、青磁物等もそれであって、彼の柿右衛門、伊万里、九谷なども人の知る処であるが、只鍋島の皿は意匠といい色彩といい、日本独特のものであろう。其他異色ある物としては薩摩と万古(バンコ)位のもので、右とは別に朝鮮物からヒントを得て、鎌倉時代に作り始めた尾張物がある。之は殆んど茶碗であって茶人は大いに珍重し愛好されている。従って価格の高い事も驚く程で、種類と言えば古瀬戸、黄瀬戸、志野、唐津、織部等であるが、之等は尾張物と称し錆物とも云われている。右の外の錆物では備前及び信楽焼(シガラキヤキ)があるが勿論茶器類が多く、仲々捨て難い味がある。そうして茶碗に就て見逃す事の出来ないのは、彼の楽焼の祖長次郎の作品であろう。此人は勿論朝鮮陶器からヒントを得て、楽焼という日本独特のものを案出したので、千の利休に可愛がられて名器を数多作ったのである。其後三代目ノンコー、四代目一入、五代目宗入が有名である。従って長次郎は日本陶芸家の名人として永遠に残るであろう。


 茲で日本陶芸家として支那にも劣らない名人の事をかかねばならないがそれは何といっても仁清と乾山の二人であろう。先づ仁清からかいてみるが、此人は徳川初期の京都の人で、本名は野々村清兵衛といったが、仁和寺村に住んでいたので、通称仁清といったが、其まま有名になったのである。此人の特に優れた点は、凡ゆる日本陶器が支那又は朝鮮をお手本としたのに、此人ばかりは異って独創的である。其意匠、模様、形、色等、日本的感覚を実によく表わしている。而も優美にして品位の高い事は、到底支那陶器も及ばない程で全く日本の誇りである。之を見る時私はいつも、日本陶芸家としての光琳であろうと思う。


 次は乾山であるが、乾山は周知の如く光琳の弟であって、此人も多芸で絵画に於ても素晴しい手腕を有っており、陶芸もそれに伴っているから珍らしいと思う。此人は仁清とは又違った味を持っており、どちらかといえば仁清が大宮人とすれば之は野人的である。勿論絵にしても光琳宗達のような巧緻な点はないが、言うにはいわれぬ稚拙的趣きがある。私は斯う思っている。此二大名人によって日本陶器も、支那陶器と対照としても、敢て遜色はないとさへ思っている。


 次に仏教美術に就ても少しかいてみるが、之も絵画は唐時代、彫刻は六朝時代支那から伝えられたものであって、推古時代から伝ったもので、今から約千三百年前である。勿論仏教美術は絵画彫刻共、歩調を揃えて発達して来たと言いたいが、此発達の言葉に疑念がある。というのは古い時代のもの程反って優れてゐるからである。成程技巧の点は鎌倉時代辺りが最も発達したが、絵画でも彫刻でも藤原時代の方が優っており、又藤原時代よりも奈良朝時代の方が優っているのだから、全く不思議である。彫刻の最初は金銅仏、乾漆物が殆んどで、漸次木彫に遷ったのである。そうして有名な法隆寺の百済観音、薬師寺の本尊楽師如来、法華寺の十一面観音等に至っては、言語に絶する名作である。従って仏画は別としても仏像の彫刻は世界最高の水準といえるであろう。実に日本が誇るべきものの一つとして世界的芸術品であろう。

(栄光百六十八号 昭和二十七年八月六日)