岡田茂吉

自観叢書

アルプス紀行

今から廿数年以前私は登山熱の上ってゐた頃、日本アルプスの槍ケ嶽を目標に或年の八月半ば妻を連れ、汽車で先づ信州松本に着き大町を通って中房温泉に行き着いた。面白い事には中房の一里位手前から妻は女の事とて山間の嶮路を昇るのは無理だから人夫の肩を借...
自観叢書

二人の盲の話

私が十二三の頃浅草の千束町に住んでゐた事がある。父は古道具屋をしてゐたのでその仲間であった。当時浅草一といはれた道具屋で花亀といふ人があった(此名は花川戸の亀さんだからである)此人は六十位の時に両眼つぶれ完全な盲目となってしまった。その話を...
自観叢書

音曲

音曲に就ても少し書いてみよう。音曲といえば以前大阪では浄瑠璃といひ東京では義太夫といふ、それが王座を占めてゐた事は衆知の事で、忘れもしない大正の初め頃彼の有名な豊竹呂昇が大阪から毎月のように来ては、その頃の有楽座の名人会へ出たが彼こそ全く名...
自観叢書

映画

私が映画の好きな事は私を知る限りの人はみんな知ってゐる。忘れもしない私が映画を観始めたのは十六七の時だから、今から五十年位前で先づ最古のファンといえよう。其頃が映画が日本へ入った最初であった。勿論一巻物で波の動きや犬が駈け出す所、人間の動作...
自観叢書

浪花亭愛造

俳優以外の名人に就て語りたい人は二三に止まらないが私は若い時から浪曲が非常に好きであったから茲に書いてみよう。私の浪曲好きは関東節に限るので、今以て関西節に興味は持てない。従而、関東節を主としてかくのである。ラジオが出来てから浪曲といふ名称...
自観叢書

団十郎の芸

昔から世の中には多くの名人が出てゐるが名人になるには実に容易なものではない事は名人なるものが洵に少いといふ事実によっても明かであらう。私は常に斯う思ってゐる。或意味に於て名人が人類に対する功績は頗る大きなものがあり、全く吾々は名人に感謝すべ...
自観叢書

強盗の訴え

私は強盗の訴えをされた事があった-と聞いたら吃驚しない者はあるまい。処が事実であって、忘れもしない大正八年の暮の或日、私は検事局へ喚び出されたがそれは斯ういふ訳だ。私が小間物屋で成功した絶頂の時であった。其頃私は旭ダイヤといふ名称の装身具を...
自観叢書

逆手の法

凡そ人間が世に処して行く以上、千差万別種々の問題にブツかるが、其場合適切な対応策が立所に頭に浮ぶとすれば甚だ結構であるが、中々そうはゆかないものである。問題によってはいくら考慮しても解決策の発見出来ない事がある。そういふ時に此逆手の法を考え...
自観叢書

柔道

私は若い頃柔道を習った事がある。元来柔道なるものは徹頭徹尾敵の力を利用して勝つので、決して敵の向って来る力を押し返すのではない。出来るだけ敵に力を発揮させそれを利用するのである。私は処世の上に於ても柔道の理を参考にする事がある。それは私の仕...
自観叢書

順序

“神は順序なり”といふ事が昔から謂はれてゐるが之は全くそうであると思ふ。何事に於てもそれが滑らかに運ばないといふ原因は、全く順序が紊れているからで、特に人事に於てそうである。支那の諺に「夫婦別あり、老幼序あり」といふが全く至言である。近来社...