強盗の訴え

私は強盗の訴えをされた事があった-と聞いたら吃驚しない者はあるまい。処が事実であって、忘れもしない大正八年の暮の或日、私は検事局へ喚び出されたがそれは斯ういふ訳だ。

私が小間物屋で成功した絶頂の時であった。其頃私は旭ダイヤといふ名称の装身具を発明し、専売特許を得た。而も全世界の特許法の制定されてる国、其頃(大正八年)世界に十ケ国あった。その十ケ国全部の特許権を獲得したのである。処がそれを売出すや非常に好評を拍し、素晴しくよく売れた。それが為に発生したのが、標題の如き強盗事件であった。右の旭ダイヤを発明するに就て私は職人ではないから、林某といふ職人に一々指図をしては拵え直したりして、終に完成したものである。その為林某を工場主として、相当大きい家を借受け、工場となし彼に経営させたのである。一時は女工数十人を使用し相当繁昌したので林も可なりの資産を造ったので、本来なれば私のおかげでそうなったのであるから、大いに感謝しなければならないに拘はらず、彼は欲の為眼がくらみ不届にも私に対し、特許権の名義書替えを提訴したのである。その理由は「旭ダイヤは自分が発明したのであって、それを岡田が自分の承諾なく、勝手に岡田の名義にしたのであるから不当である」といふのである。然しもしそれが事実とすれば私の名義になって間もなく提訴すべきであるに拘はらず、二年位経てから突如として提訴したのだから欲の為に不当利得を目的とした事は明かである。そこで私は工場倉庫に多額の資材を預けてあったから、そういふ悪い奴は横領の危険があるばかりか、そういふ奴に一日として製造を委任する事は出来ないといふ訳で告訴状が来た日のその晩、自動車を以て工場から店員数人で在庫中の資材全部を運んだのである。(其時林は不在であった)

すると林は翌日その管轄の警察へ告訴し私は喚び出されたので、今迄の経緯を話した処、主任は諒解し大笑ひとなって済んだのである。そこで彼は警察では駄目だからといふので、検事局へ向って強盗の告訴を提起したといふ訳である。早速喚出されたので逐一訳を話した処、検事もよく諒解したが、検事が云ふには「無論強盗などにはならないが或は家宅侵入にはなるかもしれない。然しその裁判が決定するまでには度々公判を開き、その都度喚び出されるから甚だ迷惑と思ふ。よって、今謝罪状をかきなさい、そうすればそれで解決するやう取計ふから。」といふので私は其通りにして済んだが、其時つくづく思った事は法律とは変なものだ、自分名義で借り、自分経営の工場へ自分の品物をとりに行って家宅侵入になるといふのだから、実に訳が判らないものだと思った。

其後或人に右の話をした処、其人は「自分は殺人の嫌疑で喚出された事がある、それは或殺害された者を其数時間前訪問し、名刺を置いてあった為嫌疑がかかった」との事である。

(自観叢書五 昭和二十四年八月三十日)