第三節、魂の覚醒を促す「日本医術・浄霊」

 こうした罪穢によって曇りが発生し、結果、その多くは心身の病気という形での自然浄化作用が起きますが、それ以前に浄化作用が起る場合があります。その際には比較的曇りが濃度に到らないため浄化作用が軽く済みます。それはどんな状況においてかといいますと、ある動機によって悔改めるという場合であります。例えば、宗教的な説話や聖書のようなもの、あるいはまた偉人の伝記や識者の尊い経験談、演劇や映画等を通して、心の糧となり精神的に覚醒するわけです。この意味で、良き文学や美術、芸術に触れ親しむということは大変重要なことです。

 このような精神的覚醒が人間の霊体にどのような影響を及ぼすのか、その様子について明主様は次のようにおっしゃっています。

『本来、人間の霊体はその中心に心があり、心の中心に魂があって、三段になっているのである。そうして魂本来は良心そのものであるが、断えず外界からの影響によって曇らされるのである。即ち、魂本来は日月玉の如き光明であるが、その外殻である心が曇れば、魂の光輝は遮断され、魂は眠るのである。故に、明鏡止水の如き心境にあれば、魂は晴天の日月の如く輝くのである。
 右の如く人間が覚醒するという事は、睡眠状態であった魂が豁然として輝き出す事である。その手段として今日迄は、右に説いた如く、説話や読書等の道徳的手段があるのみで、それによって先ず魂が覚醒し輝き出すから心の曇りが解消し、次で霊体が浄化さるるという順序である。右によってみるも魂・心・霊の三者は、常に明暗の状態が平均しているのである』                  (神示の健康「罪穢と病気」より)