一般に関する奇蹟 18

山口県 N.M
昭和二四年九月E中教会萩市K支部で教修を受けさして戴き、以来数々の御守護を頂きました私に、今回又不思議な御守護を目のあたり御授け頂き、謹んで明主様の御前に感謝の御報告をさせて頂きます。

昭和二七年六月一〇日所用の為萩市のY銀行支店に出向きました処、行内がざわめいておりますので、行員の一人に「何事か」と尋ねましたところ「金庫室備付けの大金庫の扉が昨日からどうしても開かず、金銭出納の多い銀行業務とてほとほと困りぬきこの上は壊すより方法がない」というところでした。

偶々同道しましたA漁業組合長が私を指して「この人はよく奇蹟を現わす人だから、一つオマジナイをして貰ったらどうか」と支店長に話し込んでおるのです。これを聞いた私はこれは困った事になったぞ、と一時は当惑いたしましたものの、その時は先に支店長より「どうか宜しく御願いいたします」と丁寧に依頼される始末、今更逃げるわけにもいかずこの上はと私は覚悟を決めて金庫室に這入りました。行員二、三十名がついて来ますのでこれはいかんと室内には私と支店長と次長の三人丈這入る事にし、他の方々は一応室外へ出て貰いました。先ず箱根の方に向い礼拝、天津祝詞、続いて善言讃詞を五回奏上、一生懸命に明主様に御祈願申し上げ、金庫に向って御浄霊をさして頂きました。約二〇分程して支店長に向い「落ちついて金庫のダイヤルを廻して御覧なさい」と申しますと支店長は直ぐダイヤルを廻し鍵をひねりますと……嗚呼! 何と不思議な事でしょう、パーンという音と共に二日かかってどうしても開かなかった扉が開いたではありませんか! 支店長は「開いたぞ」と怒鳴る。私は思わず「明主様有難うございました」と声をあげずにはおられませんでした。

それまでは室外に居た行員達はあんな事をして私達が総がかりで苦心しても開かない扉が開くものかとナジリ始める。私の同道者はいや人間がやるのではない神様の御力で開かせて頂くのだから必ず開くよ。と押問答を続けたとか。

とまれ、この奇蹟を目の辺り見せられた支店長始め多くの行員達も唯々不思議な事もあるものと首をかしげ私を見つめるばかり、私もほっと一息、今更ながら御神徳に頭が下るのみでした。

斯くして大切な御得意様にも余り御迷惑をかけずに済まして頂いたと支店長達の感謝の送礼と共にすっかり朗らかになり、帰宅した様な次第でございます。

ああこれぞ神に奉仕する者のみが知る喜び! 世の悩める人々を一人でも多くお導きさせて頂く事をお誓い申し上げ御報告を終らせて頂きます。

明主様真に有難うございました。

(昭和二八年二月五日)

………………………………………………………………

神奈川県 H・G
今思い出しても戦慄する様な、肌に栗を生じる恐ろしさでございます。

明主様より、これ以上の御守護はないとまでの御守護を戴きまして、罪穢多き私如きに御怒りもなく、入信依頼数々の御守護を賜わります事は、何と恐れ多い事でございましょう。厚く厚く御礼申し上げますと共に御報告をさせて戴きます。顧みますれば一月七日午前六時五分の出来事でございます。私達の工場は圧延と申しまして、九〇キロの鋼材を加熱炉に入れ引出します時は一一〇〇度位あります。それを線材に圧延致します。機械は五〇〇馬力と八〇〇馬力のロールで、一方は七〇〇回一方は二五〇回の速さで熱鉄を噛み込みはき出すのであります。一秒に約六、七米延び、それを鉄箸にてつかみ次のロールに噛み込ませる仕事でございます。私は片側の班長を務めており、欠勤のない時は、只機械の調子を見たり、班員に注意をする程度でございますが、その日は正月の七草にて、欠勤者が多き為、私も鉄箸を取り熱鉄操作に当り、作業中不馴でその上素人である、三人を相手に作業致しています途中、一寸の不注意から、延び行く熱鉄が、順調に延ばすべく置いてあるアングルにからんだ為、アアと思う瞬間目にも止らぬ速さで、熱鉄のからまったアングルは、大音響と共に鉄砂塵を上げて私の立っていた右足を払い転換して頭上に落下して参りました。足を払われた私は後に倒れ乍ら、一瞬私の脳裡にひらめいたのは、明主様の御尊顔でございました。すると何処からともなく右に伏せと言う、声ともつかぬ思いが頭の隅から発せられ、間髪をいれず命ぜられた儘に打伏せ、頭上の熱鉄は不気味な音を立てて引掛けたものを巻込みつつ機械に当り、飛び散るのがはっきり目に映りました。何しろ一〇〇度の鉄材が頭上一尺に近い所を一秒七米の速さで、一二〇米の長さが通り去る間は、生心地なく只右手で胸の御守様をしっかりと押え、運命は神様におまかせ致すより外にどうする事も出来ませんでした。熱鉄が延び行く様、嚙み入る様、鉄の行動が通り過ぎる間を、生死の岐路にあり乍ら、はっきりと不断と変る事なく見分けられました。安堵の気持も束の間で、猛け狂った熱鉄の最後が、頭に触りましたのを感じ、右手にて払いのけましたが、熱鉄は頭から首へ落ちて来て、じりじりと髪は焼け脇の下を通り床に落ちました。大嵐の後の様に、荒れた広場に足を引きずり乍ら出ると、部下は顔色を変えて走り寄り、泣いて無事を喜んでくれました。ですが私の気持は平常と変る事なく、とり騒ぐ皆の行動が可笑しい位でした。その内の一人が何処か怪我をされてはいないかと、ズボンを巻き上げて見ました処、どうでしょう。全然気が付かなかったのに、豈計らんや、膝下に鉤の手に一五〇ミリに及ぶ切傷でした。骨まで見ゆる程の重傷でした。ぱっくり開いた傷はものすごく、見ている者の中で貧血を起す人さえありました。肩や背の衣服の火を消してくれる者や、頭髪を直してくれる者、足の傷口に手拭をあててくれる者とあり、とにかく医師に縫ってもらわねばと自動車にて、病院に担ぎ込まれてしまいました。医師にもひどい怪我だと言われて、二五針縫いその儘自動車にて家に帰りました。すぐ支部のN先生にお願い申し上げ御浄霊をして戴きました。これだけの怪我をしているのにも拘らず、全然痛みもなく、何処を怪我したと思われる様にて二度吃驚です。医師はこれ程の傷でしたらどうしても一ヵ月はたっぷりかかりましょう、と言われましたが、何と一〇日でこれ程の傷が全快しましたのでございます。今までに他工場では巻き込まれて助かった者 は、一人もいないとまで言われましたのが、只足の傷一カ所で、それも無痛であり、短時日にて再び職場に出られたのは類がないと言われました。これも人間の力のみでは死を防止する事は不可能と思われます。偏に明主様の御守護の賜物と只々感謝致します外、何ものもございません。大愛深き明主様有難うございました。厚く厚く御礼申し上げますと共に、地上天国建設に人類救済の御目的に、より以上御協力させて戴きまして御恩報じをさせて頂きます。

(昭和二八年二月一五日)

………………………………………………………………

東京都 S.T
明主様、日々の御守護の御礼と御報告を申し上げさせて頂きます。

私は昭和二七年一月一三日栄ある御守様を拝受させて頂き、今日まで絶大なる御守護を頂き、特に貧の方の御守護は毎日の如く、感謝感激に堪えず日々を送らせて頂き、この度は又身に余る御守護を賜わり、ここに御報告を申し上げさせて頂きます。

私は土木建築請負をさせて頂いている者でございます。二八年三月一三日、一つの現場を見終り次の現場に行かんとオート三輪車にて京浜国道を走っておりました処、後方より突如自動車の音がし、バックミラーを見た途端、米軍特大トラックが疾走して来たのでございます。「アッ」と思うまもなく爆弾でも落ちた如き物凄い音と共に私は乗ったまま、前に飛ばされました。無我夢中で「明主様」とありったけの大声で叫んだと思う途端、三輪車はころがり私は外に投げ出され、米軍トラックの前を最後まで逃げきることが出来たのでございます。立上って体をたたいて見たのですが、痛い所も何もございません。思わず全身火の様な感激の涙と共に、熱海の方角に心から合掌御礼申し上げたのでございます。

直ちにMP、MPIS(憲兵隊調査課)日本巡査等が見えたのですが、余りに大きな事故、余りのオート三輪車の壊れに驚き、「死体はどこだ、怪我人はどこだ、運転手はどこだ」と探し廻り、私だと言っても本当にしない様な有様でございます。やがてMPが三人の目撃者を連れて参りましたがその話によりますと、私の後方より来た弾薬満載の米軍トラックは物凄いスピードで私の三輪車に追突し、その瞬間、私が乗ったまま地上一米も飛び上り、そして下に叩きつけられ、それでも米軍トラックは止らず三輪車をごろごろ転がして進み、その時たまたま物凄い突風が起り、私がその風に捲込まれて、ふーっと横に出されたそうでございます。そして三輪車はそれより左の方に行き、電柱を折って塀に突き当り、止ったのでございます。米軍のトラックはその先に止り、私は又その前方に止ったのでございます。追突された地点より私の止った所まで七〇米ありました。MPも色々調査するのでござい ますが、追突された地点より七〇米も前方に止り、然も人間は何事もなく立って居りますのでこんな大きな自動車事故も珍らしいが、こんな不思議な事も珍いことだと只々驚くばかりでございます。

四時間半の長い調査が終り、私はすぐに中教会へ御守護の御礼参りに行きました。玄関を入った途端、感激の涙に口をきく事も出来ず、御神前の会長先生の膝に取りすがり、何事も言う事が出来ず、只心の中で御礼を申し上げる事しか出来ませんでした。

明主様御忙しい御日常にもかかわらず、穢れ多き私如き者の為に御心を汚し、身に余る御守護を頂き誠に有難うござ いました。そんなにひどく破損した三輪車も肝腎なエンジンは何事もなく、板金部分だけなのでございます。又事故の原因は米兵のスピード違反、追越不注意との事でございました。世の如何なる不祥事の場合にも御守護はかくして頂けると現実を御示し頂き、確信を新に致し感激の余り拙文をも顧みず謹んで御礼と御報告を申し上げさせて頂きます。

明主様、有難うございました。

(昭和二八年四月一七日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)