一般に関する奇蹟 19

大阪府 K・M
新聞ラジオにて既に報道されました通り、去る二月二八日午前零時半頃すさまじい音響と共に家屋はグラグラと動き、屋内の諸道具は棚から落ちるという状態、すわ大地震かと離れの二階に寝ていました私共は驚いて飛び起きて走り降りました。二度吃驚。店の横の部屋(道路に面せる)は無慚にも目茶苦茶、柱は二本へし折れ、本籍は倒れて、棚の物品は転落、床も落ち崩れてタクシーが乗込んでいるではありませんか。瞬間シマッタと叫ぶ。この部屋には平素次男A(一八歳)と店員Yとが寝て居るのであります。

蒲団の上には本箱ミシン等が折重なって倒れています。さわぐ胸を抑えてそれ等の物を取除いて見ると店員Yが人事不省になっています。早速御浄霊をさせて頂き乍ら「Y! Y!」と呼びつづけますと、やっと正気を取戻しました。次にAをと蒲団を探しました処、影も形も見当りません。一瞬驚きの余り卒倒せんばかり、主人も「A」と叫んだ後は声も出ません。すると突然何を思ったか「御守護だ。有難い」と思わず合掌して居ります。「どうかしましたか」と尋ねますと「不思議だ、全く不思議だ。Aは丁度一〇時頃蒲団を抱いて出て来るから「如何した」と聞くと、「今晩はなんだか下の店の間で寝るのが嫌だから二階で寝ます」と言って上って行ったんだよ。屹度二階で寝ているよ。全く御守護だ。若しここに寝ていたら丁度惨害の中心部だから即死になっていたかも知れない。それに二時間も前に移転させられて居るとは全く奇蹟だ、有難い御守護だ」と感泣致した次第でございます。

さてこの事件に直面して思い起す事は日支部長T先生が御神体初祭の折、「浄化というものは病気だけではない。色々な面に現われるものであって、常日頃から善に向って行為想念共うせんと努力し、徳を積む事によって霊衣は厚くなり、霊位は向上するものである。そうなれば罪穢は消滅して、如何なる災でも転じて遁れる事が出来る訳ですから、家内中一心に御縋り下さい」との御導きを頂きました事であります。その教えを素直に受け、出来得る限りの御奉仕をさせて頂きつつあった為に、全く一命の危難を寸前に救われた次第であります。殊に「霊衣が厚く守護が大きくなると、惨禍の場面にさえも出会わないものである」との尊き体験を身に沁みて頂いた次第でございます。今更乍ら大光明如来様の絶大なる御威徳に就いては到底筆舌に尽くし得られない事を痛感させられました。主人は北海道、及び北陸方面に菓子問屋の業務を営んで居ります関係上、ラジオ新聞のニュースにより見舞客も多数御越し下さったのでありますが、その節にはこの奇蹟を伝えますと共に、「信仰とはいざという時に御守護を受けるべく平生より身魂磨きをさせて頂いております」と訴え、御導きさせて頂いております。これ全く大光明如来様の偉大なる大御力により、先祖霊なり、A自身の守護霊なりが未然に難を避けしめたものであると確信致しております。勿論一家全部入信致し、光明如来様も奉斎致し、数人の方々を御導きさせて頂きましたが、今後愈々御得意先や同業者にもお話して共に信仰を打樹てたき念願でございます。描き筆にてこの奇蹟を報告申し上げました。

明主様誠に有難うございました。

(昭和二七年五月一日)

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京都府 K・I
日々御守護の下に安らかに過さして戴いている一信者でございます。

私の入信の動機は、一家蛔虫に悩まされている時でした。知合の方から「手を翳しただけで病気は治り蛔虫も下る」との御話を承りましたが、さんざん薬をのみ、その為副作用を起し、胃腸を害し苦しんでいるにもかかわらず、そんな事で治るかしらと思いながらも、矢張り苦痛の激しさに、とに角御縋りする気持になりました。先生が来て下さいまして御浄霊を戴きました。二回、三回と続けますうちに、三匹、五匹と次々下して戴き、すっかり元気になり、今日まで知らなかった有難い偉大なる神様の御力に御縋り申し上ぐる気になって昭和二三年一〇月八日入信致し、御神体も御奉斎申し上げ、家内を始めとして光明一家に変ったのであります。私は八人の子女を授っておりますが、その後一人残らず下痢又は疥癬等次々と激しい御浄化を戴きましたが、御守護によりまして一同元気となりまして、感謝の日を重ねさして戴いて居ります。

私はトラックの運転を致して居ります。この度業務上に於きまして一命を御救い戴いた大いなる御守護を謹んで御礼と共に御報告申し上げます。昭和二六年一一月二七日、丹波へ貨物を運搬し、午後六時頃丹波街道を京都への帰途柱まで参りますと、向うから五、六台の自転車がライトを点けて連なって走って来ました。既に日は暮れており道路の境界もハッキリ見えませんでした。自転車を避け様として、ハンドルを右に切りますと、右前車輪が道路より外れ、はっと思う間に 十数尺ある崖へ辷り落ちて行きました。田の中へ突込むと同時に二回横転致しました。落ちて行く瞬間もう駄目だと頭へ強くひびきましたが、常日頃明主様をお念じ致しております御蔭にて「御任せだ!」と覚らせて戴きました。助手は「助けてくれ!」と一声叫んだきりでございます。私は気は確かでありました。そしてやっとの事で車外へ這い出し、助手はどうしたかとあたりを見廻すと、何時助手台から脱け出したのか、茫然と闇の中に突っ立って居ります。側へ寄り声をかけましても返事も致しません。身体に触れて見ますとすっかり冷たいのでございます。ハッとして二、三回大声で呼び続けますと漸く気がつき、体温も出て参りました。身体を調べて見ますと打撲傷一つ受けておりません。また私自身も無事であります。何という不思議さ、全く明主様が御救い下すったのであります。その時の嬉しさは到底筆舌にては現わせません。御想像下さいませ。私は只明主様有難うございますと感涙と共に御礼申し上げました。翌日現場へ車を引き揚げに参りました時も、相当の破損は覚悟しておりましたのに、ライトの硝子が少しひびが入るだけで他に何の異常はありません。不思議とも何とも十数尺の高さから地面へ激突してこの奇蹟。御守護の有難さに東に向い、重ねて御礼申し上げました。

この尊い体験により絶対力による御守護を戴く信者の有難さを心から覚らせて戴き、また大峠の近みつつある今日、一人でも多くの人に分って貰える様精進する事を妻と共に御神前に御誓い申し上げました。

明主様有難く御礼申し上げます。

(昭和二七年四月一七日)

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福岡県 Y・A
明主様、入信以来限りなき絶大なる御守護を戴きました事を謹みて御礼を申し上げますと共に、数々の御守護の中より拙文乍ら御報告さして戴きます。

昭和二五年八月優しき叔母と母の導きにて入信して戴きました私は、元来唯物思想にこり固まった患者でございました。神様の身近に輝き給う事も知らず一年近くを盲の姿で過しました。

その間、母が二階の欄干にて洗濯物を、物干に掛けている最中、腐れた欄干は母の重みで根こそぎくずれ落ちたのにもかかわらず母の身体は宙に浮いて、当然欄干と共に転落せねばならぬ身を神の御守護で救われたり、或る時はお隣の奥さんが蒲団の綿入れの最中針を失くして困っている時、母が二、三回手を翳すと、二人がかりで一時間以上も探して見あたらなかった針が不思議にも現われ出たという奇蹟、又或る時は一人息子のS(二歳)が、中毒に罹り、大変苦しそうにしていましたが、母の御浄霊でその翌日から平常と変りなく遊べる様になりました事等、その他数限りなき御守護の偉大なる様を眼前に見るも、頑迷なる私はそれが偶然の現象と自分一人の解釈をなし、母の再三再四の注意も馬耳東風、御守様は柱に掛けたままの日が多く、まったく、もったいない日を過して居りました。

処が昭和二六年五月三日、棚の書物を整理中、身体の中心を失って踏台より畳の上に落ちました。丁度その下に熱した薬缶のかかった火鉢がありましたので、首の辺をかなり激しく打ちましたが、御守護を戴きまして湯もかぶらず後頭部も打たず、又打った首の辺も別に痛む事なく済みましたのでその時は御守護の程も思い出せず、せめて怪我のなかった事を何よりと思い、その日を過しましたが、それから一〇日目の五月一三日私の身体に大きな奇蹟が生じたのでごさいます。

その日は丁度、T遊園地前に住む叔父の誕生日で、お祝に行く途中の出来事でございます。O町からバスに乗った処、車中偶然戦友に遇いまして久方振りの懐しさに夢中で話をしている間にT町に着きました。大あわてで下車し、平常なればバスの後から道を横断するのですが、魔がさしたと言うのでしょうか、その時に限って前後の注意もなく、私はいきなりバスの前から一三間道路に飛出したのです。その瞬間、私の身体は超スピードで驀進して来た進駐軍専用車に真正面にぶっつかり毬の如く五、六間撥飛ばされました。以下夢中。

バスの中からも歩道の人達もこの光景を見て異様な声を発して、私に視線を向けた事でしょう。近くの人がよって来ました。進駐軍の人達も車を止めるとすぐ近づいて来ました。それが一瞬の出来事でした。

そしてここに大奇蹟が生じたのでございます。アッという間に毬の如く撥飛ばされた私は、五、六間先にかすり傷一つ無く立っていたのです。

見物人も進駐軍もあまりの離れ技に驚いて首を振り振り何か割切れない様な顔、顔、顔ばかりでした。

だが一番驚いたのは当の本人の私です。

当然車の下敷か大怪我をしていなければならないのに何という奇蹟でしょう。私はあまりの不思議さに身体全体をさわってみました。すると指先に何かさわった様な気が致しました。心を落着け良く触って見ると、今まで脳裏になかった御守様に気が付きました。そしてその時初めて神様の存在を知る事が出来ました私は、本当に心から有難いと思いました。これが長い間気の付かなかった神の御守護であったと思うと、只もう有難くて有難くて今日まで知らぬとは言え数々の御無礼がもったいなく、叔父の誕生祝もそこそこに急ぎ我が家に帰りました。母にその由を話すとあまりの御守護の偉大さに感涙、二人して御神体に御礼を申しましたその時の気持は何とも言葉で言い表わす術も知りません。

明主様有難うございました。

(昭和二七年三月一日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)