ここで罪穢について詳しく述べておきましょう。二種ある罪穢のうち先天的な罪穢、すなわち多数祖先の犯したものについては、それに対する霊界での浄化作用の結果生じた霊的残渣が、現界で生活を営む人間の脳脊髄に常に流れてきているということを、総論一(II)第三章の「浄霊の実際」の項で採り上げました。
『現在、生きてゐる人間は、自分一個の存在でなくて、祖先の繋りで、祖先の延長である事を知らなくてはならない。又言ひ換えれば、無数の祖先の綜合が、個体たる自分である。無数の祖先の霊線が、自分一個の霊と繋ぎ合ってゐる。(中略)故に、祖先が負ふてゐる、諸々の罪穢なるものは、霊界に於ける、その天律的浄化作用によって、その残渣たる霊汚素が、絶えず現在の人間の精霊へ、流れて来る、それが人間の精霊を曇らせる原因である。その曇りが或程度を越ゆる時、それが病気となって、肉体へ現はれるのである』
(観音運動とは何「病気の原因と其解消」より)
浄霊による神秘光線の光によってこの霊的曇りが払拭されるわけですが、『斯の様に精霊の曇りが浄められるといふ事は、遡れば、祖先の罪が赦されるといふ事になるから、地獄界に苦しんでゐた祖霊達が向上して、天国へ救はれる事になるので、その信仰の徳は予測出来ない程の洪大無辺なものである』
(観音運動とは何「病気の原因と其解消」より)
罪を赦されるということは、昔であれば長期間にわたっての難行苦行や加持祈祷を繰り返し、神仏に祈りを捧げたものですが、しかしそれでも仲々でき難いことであると言えましょう。掌を翳すという、表面上は非常に簡単に見える浄霊ですが、このようにその意義たるや人間の理解をはるかに越えたものであります。
では次に、後者の後天的罪穢について説明いたします。
『第二の個人の罪穢を説いてみるが、之は誰しもよく判るのである。如何なる人間と雖も、生来絶対罪を犯さないで生きてゆくという事は出来得べからざる事である。然し罪にも大中小、千差万別あって、例えば法律上の罪もあれば、道徳上の罪もあり、社会的の罪もある。亦行為に表われる肉体的の罪もあり、心で思う丈の精神的罪悪もある。基督が曰った、女を見て妙な心を起した丈でも姦淫の罪を犯す事になるという戒めは、厳し過ぎるとは思うが間違ってはいないのである。斯様に、縦令法律を犯さないまでも、小さな罪即ち日常、彼奴は憎いとか、苦しめてやり度いとか、姦淫したいとか想うのは、誰しも罪とは思わない程の微細な事ではあるが、是等も長い間積り積れば相当なものになるのである。又、競争に勝つとか社会的に成功するとか、兎に角優越的行為は敗北者から怨まれ羨望される。之等も其恨みに依って一種の罪となるのである。又、殺生をするとか、怠けるとか、人を攻撃するとか、物質を浪費するとか、朝寝するとか、約束を違えるとか、虚言を吐くとか、いう様な事も不知不識犯す一種の罪である。斯の様な数限りない罪は、小さくとも長い間には相当な量となるので、それが精霊へ曇りとなって堆積さるるのである。然し生れて間のない嬰児は後天的の罪は無いであろうと思うが、決してそうではない。すべて人間は、親の膝下を離れて一本立になれば兎も角、親によって養われている間は親の罪穢も分担する事になっているのである。恰度樹木に例えてみれば能く判る。親は幹であって子は枝であり、其又枝が孫である。幹である処の親の曇りは枝に影響しない訳にはゆかないのと同じ理である』
(神示の健康「病気の原因と罪穢」より)
罪穢による霊の曇りに対する浄化作用には次のような特色があります。
『一旦曇りの容積は縮小され、濃度化し、体内の何れかの局所に集結する。面白い事には罪によって固結場所が異う。例えば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸というように相応するのである』
(神示の健康「霊主体従」より)
ここで罪穢に関連して重要なことは、体内に入った異物や毒素が血を濁らせ、この血の濁りが逆に霊を曇らせるという一事であります。
『体から霊に映るので、其場合最初血液に濁りが生じ、其通り霊が曇る。元来人体は霊の物質化したものが血液であり、其反対に血液の霊化が霊であるから、つまり霊体は一致している。従而、濃度化した曇りが体に映ると濁血となり、それが一層濃度化したものが固結であり、此固結が溶解され液体となって身体各所から排除されようとする、其苦痛が病気である』
(神示の健康「霊主体従」より)
今日は薬の多用による薬毒もさることながら、食品に含まれる農薬や色素、防腐剤、漂白剤等各種の食品添加物によっても血液が大きく汚染されていることを知らねばなりません。これによって現代人は一層霊を曇らせているわけです。このように霊を曇らす原因には、先祖の罪穢、自分の前世における罪穢の他に、今生において犯した罪穢、そして物質的な異物や毒素が堆積することによって生じる霊の曇りがあることを知らねばなりません。これが霊の三位一体の関係から魂へ影響を与え、魂本来の輝きを以前にも増して遮断するという結果に陥ることになるのです。それが様々な形をとって現れてくる人間の不幸へと展開していくわけです。