第四節、超宗教的力について

以上のように、魂の状態の変化が心に映り、それがまた精霊へ映っていくという経緯は、良心を呼び覚ますような書籍や講演、芸術等を通してなされたものでしたが、これは特にこと新しい手段というわけではなく、言わば従来からある道徳的なものなどによってもたらされたことと言えましょう。これに対し、「日本医術・浄霊」の場合は、『外部からの施術によって先ず霊体が浄化され、それによって心の曇りが解消し、否が応でも魂は覚醒する事になるのである。又道徳的手段によって魂や心が覚醒する場合、本人自身は克己的苦痛が伴うと共に、それが霊体に及ぼし、病気其他の苦しみを受けなければならないが、本療法は疾患が治癒しながら不知不識の裡に魂が覚醒するのであるから、理想的心身改造法というべきである』
(神示の健康「罪穢と病気」より)

『浄霊法はイキナリ内面の魂に霊光を放射し、一挙に魂を覚醒させるのである。所謂無為にして化する訳で、説教の如きは第二義的のものとするのである。釈尊は即心即仏といい、覚者たれば菩薩であるといったが、まことにその通りである』
(天国の礎「悲劇を滅する」より)

というように、魂と心、精霊の三位一体に対して逆の経路をとりながら霊的曇りが取り除かれていくわけです。厳しい難行苦行等をせずに、しかも特定の人に限られるのではなく、浄霊の光を受ければ誰でもがこうした効果を得られる世界に入ることができるのです。これが「日本医術・浄霊」の超宗教的力の素晴らしさです。つまり、明主様からの光が魂に直接浸透し、特別な行をしなくても罪穢の払拭が行われ、信じなくても、知らず識らずのうちに魂が向上し、幸福者となっていくのです。

「日本医術・浄霊」は明主様の神霊研究によって完成されましたが、最高神からの光を取り次ぐことを許されているということ、と同時にこうした偉大なる功徳をいただけるということは、考えてみれば感謝しても感謝しきれないほどのことなのです。明主様の浄霊に込められた願いは、可能な限りの人を救いたいということであり、その尊い願いを研究の積み重ねの中でしっかりと受け止め、この浄霊を世界人類に与えられた神の愛として感得していくことが大切であります。