第五節、罪穢に関連して

 罪穢に対する浄化作用、特に個人的に犯す罪穢に対するそれについては、祖霊が深く関係する場合があります。

『本来祖霊はわが子孫に対し、幸福であり家系が栄える事を願望しつつある結果、その目的に背馳する所の原因である過誤や罪悪を子孫に行わしめざるよう、邪道に踏入らぬよう不断の警戒を怠らないのである。従而その子孫が偶々悪魔に魅入られ不善を行う時、それを戒告する為と、既に犯した罪穢の払拭とを兼ね行うが、其手段として種々の災厄、病気等を与える。例えば不正な富を重ねたものは火災や損失を与えて消滅させ、罪穢によっては病気の浄化作用も行うのである』
                       (神示の健康「祖霊の戒告」より)

 明主様はその具体例として次のようにおっしゃっています。

『其現れとして斯ういう事がある。それは幼児又は小児が感冒の如き浄化作用に罹るとする。本医術によれば、普通の感冒ならば簡単に治癒すべきであるのに余り効果がなく、特に頻繁なる嘔吐発生し、食欲も全然無く短時日に衰弱、死に到るので不思議に思う事がある。之は全く右の如き祖霊の戒告であって、その原因としては父親が夫婦の道に外れ他の婦人に関係するとか、二号を置くとかいう事によるのである。そうして一度戒告してもそれに気付かざる場合、次々子女の生命を奪う事がある。之を以てみても一時的享楽の為大切な子女を犠牲にするというのであるから、大いに慎まなければならない。斯様な場合、祖霊としては一家の主人である本人を犠牲にする事は忍びない為、やむを得ず子女を身代りとするのである』
                       (神示の健康「祖霊の戒告」より)

『又斯ういう例があった。それは或家庭で、現戸主である四十歳位の男、仏壇に向って掌を合わせた事がないので、その娘が心配し、右の戸主の弟と相談の上、弟の家に移したのである。然るに程経て弟は将来の事を慮り、兄の家に赴き、祖先伝来の仏壇を弟に確かに移譲したという書付を書いてくれと言った。兄は承諾し、筆を執って紙に書こうとする刹那、突如その手が痙攣を起し、舌が痙り、書く事も出来なくなった。それから種々の療法を試みたが治らない。で終に私の弟子の所へ治療を求めに来、其際右の娘が語ったのを私は弟子から聞いた事がある。之は全く祖霊が正統である兄の家から、一時的ならいいが永久に離れるという事は承知が出来なかったからである。何となれば其結果は家系が紊れ、家系が紊るれば家が断絶する憂が生ずるからである』
                       (神示の健康「祖霊の戒告」より)

 霊的な曇りが生じれば常にそれを解消すべく浄化作用が起こります。これは現界では勿論のこと死後の霊界にても浄化作用を受けます。人間は、生きかわり死にかわり、浄化作用を受けながらその魂の向上を図っていくわけです。個人的罪穢の払拭への祖霊の関わり方については前述のとおりですが、本人自身の執着や遺族の執着によって霊界における浄化不充分のために生じる不幸というものがあります。明主様はそのことについて、人間の生死の問題と関連させながら「再生」というご論文の中で採り上げられています。

『人間の再生には非常に遅速のあるものである。そうしてその再生の遅速は如何なる理由に由るかというに、それは其人の意志に由るのである。例えば、死に際し現世に執着をもった者ほど早く再生するのであるが、然し、之は結果が良くないのである。何となれば、霊界なるものは、最も厳正に浄化作用の行われるものであるから、霊界に長く居れば居る程浄化され、霊体は浄まるのである。浄まった霊体ほど再生して幸福者となるのである。此理によって早く再生する場合は、汚濁が残存しているから、再生の後現世に於て浄化作用が行われなければならないからである。勿論現世の浄化作用とは病気、貧乏、災い等の痛苦であるから不幸な運命を辿るという訳である。故に、生れ乍らにして幸不幸があるという事は右の理に由る事が多いのである。故に決して幸不幸は偶然ではなく、必然である事を知らなければならない』
                          (神示の健康「再生」より)

『又、生れながらにして奇形や不具である場合がある。それは霊界に於て、完全に浄化作用が行われない中、再生するからである。例えていえば、高所から転落して手や足を折った場合、それが治り切れないうちに生れてくるから手足が奇形であるという訳である』
                          (神示の健康「再生」より)

『又、早く再生する場合、本人の執着のみでなく、遺族の執着も影響するのである。世間よく愛児が死んだ場合、間もなく妊娠し生れるという例がよくあるが、それは全く、死んだ愛児が母親の執着によって頗る早く再生したのである。従而斯ういう子供は余り幸福ではないのが普通である』               (神示の健康「再生」より)

 こうした観点からも、霊界生活を送っている祖霊に対しての法要や、死後の霊魂と霊線による繋がりのある自分自身の現界での生き方を振り返ってみることの大切さが分かります。

『死後の霊魂に対し、その遺族が誠意を以て懇ろなる法要を営むとか、又は遺族及び其子孫が人を助け慈悲を行い、国家社会の為に尽す等、善徳を積む事によって、祖霊の浄化作用は促進されるのである。
 右の理によって、親に孝を尽すのは現世のみではなく、寧ろ死後、供養や積徳によって霊界に於ける親に孝養を尽す方がより大きな孝行となるのである。世間よく「孝行をしたい時には親は無し」-というが、之は全く霊界の消息を知らないからである』
                          (神示の健康「再生」より)

 以上のようなことから、現界のみならず霊界での浄化作用に対しても目を向け、人間の魂の救いの根本に関わっている「浄化の理」に対する理解を深めながら、「日本医術・浄霊」の類なき偉大な力、すなわち超宗教的な力に目覚めていく必要がありましょう。