第六節、人間の魂(本守護神)と他の守護神について

 さて、ここで人間の魂(本守護神)の働きに影響を与えている他の守護神(霊)について採り上げておきます。人間の行動の一挙手一投足の元となっている意志想念を左右し、人間の運命に深く関わっている守護神との関係はよく知っておく必要があります。

 人間の生命は、体的には受胎によって発生しますが、これを霊的に見れば神の分霊が宿ることを意味しています。

『人は神の子であり、神の宮であるといわれるが、(中略)それは神から受命されたすなわち神の分霊を有しているからで、これが本守護神である』
                          (天国の礎「守護神」より)

 そして月満ちて誕生しますと、この本守護神の他に、別に二守護神が接近し、それによって三者の関係が発生することになるのです。その二守護神については次のようにおっしゃっています。

『一は副守護霊といって動物霊であり、多くは二、三才の頃に憑依する。今一つは正守護霊といって直接憑依はしないが、絶へず身辺に着き添い守護の役をする。勿論右の二霊共一生を通じて離れる事はないから、言はば人間は三者共同体といってもいい』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 その三者各々の働きについては次のように解説しています。

『其様な訳で第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。昔から人の性は善なりといふのは之を指すのである。第二の副守護霊とは右と反対で悪そのものであるから、常に本守護霊の善と闘ってゐるのは誰も自分の肚の中を思へば分る筈である。第三の正守護霊とは祖霊中から選抜されたものであって、不断に其人の身辺に附添ひ、守護の役目をしてゐる。例へば災害、危難、病気、悪行、怠慢、堕落等々、凡て其人を不幸に導く原因を防止する。よく虫が知らせる、夢知らせ、邪魔が入る、食違ひ、間が悪いなどといふのがそれである。又何かの事情で汽車に乗遅れた為、危難を免れる事などもそれであり、悪に接近しやうとすると故障が起き、不可能になったりするのもそれである』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 こうした三守護神の目に見えないところでの働きが、人間の一挙手一投足の中に現われてきているわけです。それが善ともなり悪ともなっているのです。

『そうして本霊と副霊とは常に闘ってをり、本霊が勝てば善を行ふが、副霊が勝てば悪を行ふ事になるから、人間は神と動物との中間性であって、向上すれば神の如く、堕落すれば獣の如くになるのは世間を見てもよく分るであらう』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 いつの場合でも本霊が勝てばよいわけで、それが魂の力ということになります。人間は、何か難問題にぶつかった時や、あるいは何か欲望を充たしたいと思った時、心の中に葛藤が生じ“迷う”ことがあります。これは本霊と副霊とが争っているために生ずるのであり、霊的曇りがある分だけ本霊の働きが阻害され、副霊の働きが強く現われるのです。しかし、それは邪でありますから、多くは失敗し後悔するという結末になっていきます。しかし、この失敗によって苦しみますから、その分曇りが除去され魂の働きが発揮されるということにもなっていきます。“失敗は成功のもと”というのはこの理によるのでありましょう。

 前述のように、霊的曇りが多いとそれだけ副霊の力を増すこととなり、失敗や苦労が多く発生する事態を招きますが、「日本医術・浄霊」によって光をいただくことによりその曇りが解消し、浄められただけ本霊の活動が活発になり、正守護霊の働きも促進されます。このようにして運命の好転がもたらされます。以上のように、人間の魂と守護神の関係という観点から見ても、「日本医術・浄霊」の功徳は大変なものなのです。