第四節、感冒(風邪)について

浄化の理を端的に示しているのが私達がよく経験する感冒です。『浄化作用』をより分かりやすくする意味で、この感冒についての明主様の言をいくつかご紹介します。

『抑々感冒とは如何なるものであるか。医学に於ては今以て原因は不明とされている。然し私は、私の見地から概略説明してみよう。先ず人間の健康及び不健康とは如何なる原因に因るかというと、それは血液の純不純に因るのである。即ち健康とは浄血の持主であり不健康とは濁血の持主である。然るに幸いなるかな、濁血者と雖も人体は不断に浄化作用が行われつつあるから、その結果として血液中の汚濁分子は一定の局所に集溜、凝結する。即ち曩に説いた如き第一浄化作用であり、次いで第二浄化作用が起り、凝結毒素の排除作用が始まる。これを称して感冒というのである。そうして発熱によって凝結毒素が溶解し、液体化し、喀痰となるが、喀痰は一旦肺臓内に滞溜する、それを咳嗽というポンプ作用によって吸出排泄する。此理によって、感冒とは最も簡単なる浄化作用にして、之あるによって濁血者も浄血者となり、健康は増進さるるのである。故に、感冒とは神が人間に与えた大なる恩恵であると共に、自然的生理作用ともいえるのである』   
(神示の健康「感冒とは何か」より)

『そうして右の如く病原としての毒素固結であるが、此原因は先天性と後天性と両方ある。先天性は勿論遺伝薬毒であり、後天性は生れた後入れた薬毒である。処が其両毒は人間が神経を使ふ局部へ集中固結する。人間が最も神経を使ふ処としては、上半身特に頭脳を中心とした眼、耳、鼻、口等であるから、毒素は其処を目掛けて集中せんとし、一旦頸部附近に固結するのである。誰でも首の周り、肩の附近を探ればよく分る。其処に固結のない人は殆んどないといっていい。而も必ず微熱があるのは軽微な浄化が起ってゐるからで、頭痛、頭重、首肩の凝り、耳鳴、目脂、鼻汁、喀痰、歯槽膿漏等は其為である。処が毒結が或程度を越ゆると自然浄化が発生するし、其他運動によって体力が活発となったり、気候の激変によって自然順応作用が起ったりする等の諸原因によって風邪を引くやうになる。よく肩が張ると風邪を引くといふのは之である。又咳嗽は液体化した毒結排除の為のポンプ作用であるが、之は首の附近とは限らない。各部の毒結もそうである。次に嚔であるが、之は恰度鼻の裏側、延髄附近の毒素が液体となったのを出すポンプ作用であるから、此理を知れば実際とよく合ふ事が分るのである。右の如く頭脳を中心とした上半身の強烈な浄化作用が感冒であるから、此理窟さへ分れば、仮令感冒に罹っても安心して、自然に委せておけばいいので、体内は清浄となり、順調に割合早く治るのであるから、此事を知っただけでも、其幸福の大なる事は言ふ迄もない』   
(文明の創造 科学篇「病気とは何ぞや」より)

こうした浄化の理はすべての病気に共通するものです。

人間は霊的存在であり、霊と体は密接不離な関係にあるということを発見し、“病気は浄化作用である”という基本に立った明主様の病理論は、現代医学の常識を越えたものと言えましょう。とはいえ、科学の進歩はとどまることを知らず、こうした「日本医術・浄霊」の見解がいわゆる常識として受け止められる日も近いことでしょう。事実、現代医学の分野においても、以前は切りとっても構わないとされていた扁桃や虫垂(俗に盲腸という)が、今ではリンパ組織として免疫を正常に保つ働きをしているとし、必要なものとしています。これにみても新発見によって常識は時代と共に変わっていくということが分かります。そしてこの両組織についても明主様は、人体の浄化作用上なくてはならないものとしてとらえ、必要があってそうした器官があるのだと、半世紀以前に既に唱えていました。

既にいくつか出ておりましたが、ここで明主様によって明らかにされた毒素の集溜箇所についてまとめておきましょう。

『感冒防遏の結果、漸次身体各局部に然毒及び尿毒、薬毒が集溜凝結する。然らばその局所とは如何なる所かといふに大体一定してゐる。即ち頭部の全部又は一部、頸部淋巴腺、延髄附近、肩部、腕の付根、肋骨及び其附近、横隔膜及び胃部、肝臓部、腹膜部附近、鼠蹊部淋巴腺、肩胛骨附近より背柱の両側及び腎臓部等である。之等一局部又は数局部の毒結が第二浄化作用によって発熱し、咳嗽、喀痰其他種々の症状を発生する』
(天国の福音「結核問題」より)

風邪を医薬等によって無理に治そうとした場合、かえってぐずぐずと長引く場合がありますが、これは停止しようとする人間の意図と、浄化しようとする人体の働きとが逆方向に働きあうため、中途半端な状態が続くためであります。よしんばそれで良くなったとしても、体内に毒素がある限りいずれまた浄化発生となり、その際薬毒の追増があれば浄化の停止となり、そうしたことを繰り返すことによって発熱その他の症状は慢性的となっていきます。また人によっては保有毒素の量と質により急激な浄化発生となることもあります。その場合は大変危険な状態であると言えます。擬健康の人が断然多いのもこうした理由によります。

こうした第一、第二の浄化作用について、よくその理を理解し、第二浄化作用が発生した段階で“これは大変だ”ということで対処していくのではなく、普段から第一浄化作用はどこに起きているのかを知り、積極的に「日本医術・浄霊」の研究に取り組むことが大切です。それが、今後さらに厳しさを増していく浄化作用をできるだけ軽く乗り越えていく道であり、真の健康づくりにとって必須の事柄なのです。

『人間の健康も病気も、飽迄大自然の理を基本として解決すべきが本当でそれが真理の具現である』                 
(天国の福音「医学と自然」より)