第二節、健康の定義について

私達が真の健康づくりを願い、実行していく場合、本来真の健康とはどういうことなのかということについて知らねばなりません。

明主様は、「真健康と擬健康」というご論文の中で、『私は現在世界人類少くとも文化民族の殆どは病者であると言い得るのである。ただ既発と未発との相違だけで、即ち現在の病者は既発者であり、現在の健康者は未発者であるまでである』とし、さらに未発者については、『未発者とは、保有毒素があり乍ら、固結に対し浄化未発生の為である。そうして真の健康とは全く無毒素で浄化発生のない身体の持主であるに引かえ、保有毒素があり乍ら、兎も角も健康を維持し得て、立派に日常業務に携わり、労働にも堪え得るという訳で、誰が眼にも健康に見え、又医診に於ても現在の医学では保有毒素の発見は困難であるから健康者と断定するのである。斯ういう人を私は擬健康という』(神示の健康「真健康と擬健康」より)と説明されています。

この教えから言えば、現在健康そうに見える人でも、いつ病苦に見舞われるか分からない状態にあるということになります。昔から“人は病の器”と言われていますが、これは「日本医術・浄霊」の側から見ればまさに擬健康を指しているわけです。さらに明主様は、健康の種類について詳しく三つに分けています。

第一種-真の健康者
『滅多に病気には罹らない、偶々罹るとするも、放任してをけば簡単に治って了ふといふ人などであります。それは浄化力が旺盛であるから病原である毒素が、多量に堆積しない内に排除作用が行はれるからであります』

第二種-健康体と弱体との中間者
『普通健康体と言はれる人であります。即ち風邪を引けば熱が出、喉が痛んで咳が出る。又、時々頭が痛むが直に治る。食物に中れば下痢をするといふ様な程度であります。此種の人は丁度健康体と弱体との中間者であって、摂生法によっては健康体にもなれば弱体にもなるといふ程度であります』

第三種-病弱者
『絶へず薬餌に親しみつつ衛生に注意はするが、健康体にもならず、といって重症にもならないといふ程度』(岡田先生療病術講義録「健康の種類」より)

このように三種に分類していますが、第三種の病弱者が増えているのはご承知のように事実であります。この種の弱体者が近年では若年層にも及んできているということは実に寒心に堪えません。

『第二種健康者が偶々病気に罹った場合、発熱苦痛等を緩和すべき療法をするのですが、此苦痛緩和療法は、実は浄化作用を停止する訳になりますから、一時は快いが、結局は病気が長引き或は悪化する結果になるのであります。それが為、益々苦痛緩和療法を行ふという訳で、終に第三種弱体者に陥ちて了ふのであります』(岡田先生療病術講義録「健康の種類」より)

これら三種のうち最も多い第二種の人と第三種の人を第一種の状態にしていくことが真の健康づくりにとって必要なことですが、そうするには『浄化の理』を徹底するより他に方法はありません。つまり、人間自身に内在する自然の力と霊科学的方法による必要があるのです。

尚、“病原である毒素”については〔附〕浄霊の実際で、又『浄化の理』の詳細については総論一の第四章で採り上げることにいたします。