1.気管支・肺

1) 慢性気管支炎
 これは体内の何処かに、薬毒の固結があってそれが少しずつ溶けて出ようとする場合、割合固い為、頻繁に強い咳をしなければならないのが原因である。何よりも痰さえ出れば楽になるのはそういう訳である。処が医療は咳を停めようとするから逆になり、遂に慢性となってしまい、長い間苦しむのであるから、この病気も自然にしていれば必ず治るものである。
                   (アメリカを救う 慢性気管支炎)

浄霊の急所
 咳嗽の原因である喀痰は、意外な局所から出る事がある。それは脚部又は頭脳及び顔面であって、之等は医学では想像もつかないであろうが、私が治療の際、右の部の薬毒溶解法を行うや、間髪を入れず喀痰が出るにみても、疑いの余地はないのである。
                   (明日の医術二篇 咳嗽及び逆上)

 咳が最も出るのは、ここ(頸部淋巴腺)ですね───大抵、ここか。延髄は咳は少ないです。之は水洟の方です。あとは肩ですね。背中も無論ありますよ。左の方がきっと多いです。それを浄霊するんですね。それで、その時に───大体触ってみて一番熱のあるところが───そこから咳が出るんですから、そこを発見する。
                         (御教え集5 p27)
2) 肺炎
 感冒に罹った場合、右の如く薬毒や其他の方法で、浄化停止を行う以上、保有毒素の幾分は減るが、大部分は残存し、再び固まって了うと共に、新しい薬毒も追加されるので、感冒に罹る毎に毒素は累加し、或程度に達するや、一時に浄化活動がおこる。それが彼の肺炎で前項に説いた借金の理である。何よりも肺炎の特異性は、喀痰が肺臓内に多量に溜まる事で、其為喘音が甚しいのである。喘音とは呼吸の度に肺胞が動くにつれての喀痰の響きである。又呼吸困難は喀痰多量の為、肺臓内の容積が縮小するから必要量の空気を吸うには、頻繁に呼吸しなければならないからである。此理によって肺炎の場合、何等の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。
                      (文明の創造 肺炎と結核)

肺炎の急所
 肺炎は良い浄化ですからね。肺炎と言うものは、痰になって皆出るんですからね。                       (御教え集1 p72)

 咳嗽の原因である喀痰は、以外な局所から出る事がある。それは脚部又は頭脳及び顔面であって、之等は医学では想像もつかないであろうが、私が治療の際、右の部の毒素溶解法を行うや、間髪を入れず咳嗽が出るにみても、疑いの余地はないのである。
                    (明日の医術二 咳嗽及び逆上)

 咳が最も出るのは、ここ(頸部淋巴腺)ですね───大抵、ここか。延髄は咳は少ないです。之は水洟の方です。あとは肩ですね。背中も無論ありますよ。左の方がきっと多いです。それを浄霊するんですね。それで、その時に───大体触ってみて一番熱のあるところが───そこから咳が出るんですから、そこを発見する。
                         (御教え集5 p27)

3) 肺結核
 右の如く肺炎は強烈な浄化である事は体力が旺盛であるからで、体力の弱ってる人は浄化が緩慢に発る、それが結核である。そうして医師が初めての患者を診断する場合、種々な方法の中、今日最も決定的とされているものはレントゲン写真である。之は肺臓内の曇翳又は空洞が写るからで、之をみて結核と断定するが、医学は之は何が原因であるかを知らない。そこで其原因をかいてみるが、感冒の説明にもある通り、最初液体となった毒素が、一旦肺臓内に侵入停滞した時、極力浄化停止を行う結果、喀痰は排泄されず、肺臓内に残存して了い、日を経るに従って固結となる。それが曇翳であってみれば、之は全く人為的所産と言えよう。
                      (文明の創造 肺炎と結核)

 茲で、結核菌に就いて大いに注意したい事がある。医学では結核菌は伝染するとして恐れるが、それもない事はないが、大部分は自然発生である。前述の如く最初喀痰が肺臓内に侵入するや、医療は固めて出なくするので時日の経過につれて腐敗し、微生物が発生する。之が結核菌である。そうなった痰は悪臭があり、粘着力が強いものである。考えてもみるがいい。如何なる物質でも古くなれば腐敗する、腐敗すれば微生物が湧くのは物質の原則である。ましてや体温という好条件も手伝うからである。之によってみても最初の感冒時、肺臓内に喀痰が滞留した時、極力出して了えばそれで済んで了う。それを一生懸命出さないようにして腐敗させ、菌迄湧かせ、菌の蚕食によって空洞さえ作るのであるから、結果から言えば善意の加害的行為とも言えるであろう。此理に目覚めない限り、今後如何に多くの犠牲者が出るか測り知れないものがあろう。
                      (文明の創造 肺炎と結核)

浄霊の急所
 ただ肺だけは、何処からでも一旦肺にはいって行くのです。頭でも手でも脚でも、何処の固まりでも、溶ければ一旦肺にはいって痰になって出るのです。ですから肺病は胸の病と言いますが、表面に現れたのが胸だからそう思ってしまうのですが、そうではないので、体中の病といってもよいです。それは頸から肩から腹から背中から、溶けた毒はみんな一旦肺に行くのです。唯その場合、多く溜まっている処と少なく溜まっている処の違いはあります。そこで肺病で一番多いのは頸の廻りです。ですから私は結核というものは頸の病だと言った方がよいと思います。又頸の廻りに溜まった毒というものは必ず熱が出ます。それが溶けて痰になるのです。
                        (浄霊法講座2 p37)

 結核の熱というのは頭が多いですから、これは肩をやれば頭もよくなります。けれども、前頭部を触ってみれば熱があるのは分かりますから、それも一緒にやれば、より早く治るというわけです。
                         (御教え集23 p38)

4) 肺壊疽
 肺壊疽とは肺臓と肺膜の中間に腫物が出来るので、放置しておけば腫れるだけ腫れて自然に穴が穿き、多量の血膿が痰となって出て全治するのである。之も浄化の一種であるが、医学は浄化停止をするので仲々治らない。
                      (文明の創造 肺患と薬毒)

浄霊の急所
 だから治りよいが、痰に血膿が出ます。壊疽の原因は大体背中に多く、発熱し、押すと痛みがあります。壊疽は薬毒のためです。
                      (文明の創造 肺患と薬毒)

5) 粟粒結核
 粟粒結核は肺胞にブツブツが出来るのだが、之も皮膚の湿疹と同じようなもので、一種の浄化であるから自然にしておけば、ブツブツから排膿されて全治する。
                      (文明の創造 肺患と薬毒)

6) 肺癌
 又肺臓癌は肉食多量が原因で、肉中に含む一種の毒素によって血液が濁り、それが肺臓内に溜まり、一旦硬度の腫物となるが、浄化作用によって逐次喀痰となって出る。然し此病症は性質が執拗で長くかかるのは勿論である。原因は菜食不足のためであるから、菜食を多く摂るだけで全治するのである。
                      (文明の創造 肺患と薬毒)

7) 肋膜炎
 肋膜炎は、医学でも言われる如く、肺を包んでいる膜と膜との間に水が溜まるので、之が湿性肋膜炎と言い、膿が溜まるのを化膿性肋膜炎と言い、何も溜まらないのに膜と膜との間に間隙を生じ、触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言うのである。湿性の原因は、勿論胸を強打したり、器械体操の如き手を挙げて、力を入れる等が原因となって発るのであるが、何の原因もなく偶然発る事もある。此病気である膜と膜との間隙に溜まる水とは勿論尿であって、医療は穿孔して水を除るが、此方法は割合奏効する事もある。然し之も癖になり、慢性となり易いが、そうなると水が膿化し化膿性肋膜炎に転化する。又初めから膿の溜まるのもあるが、何れにせよ慢性になり易く、大抵は穿孔して其穴から毎日排膿させるのである。然し斯うなると仲々治り難く、重症となり殆どは死は免れないが、此化膿性は薬毒多有者が多い事は勿論である。湿性は最初高熱と胸の痛みで、深い呼吸をする程余計痛むが、反って水が多く溜まると無痛となるもので、之は膜の触れ合いがなくなるからである。又尿の出も悪くなるのは勿論で、此病気の特異性は、眠い事と盗汗であるが、此盗汗は非常によいので、之は溜まった水が皮膚を透してでるのであるから、放任しておけば出るだけ出て治るものである。之を知らない医学は盗汗を悪い事として停めようとするから治らなくなるので、如何に誤っているかが判るであろう。又化膿性は膿が肺に浸潤して痰となって出るのであるから、之も自然にしておけばいいのである。乾性肋膜炎は滅多にない病気で医診は肋間神経痛をよく間違えるようであるが、之も簡単に治るものである。よく肋膜炎から肺結核になる人も多いが、之は肋膜の水や膿が肺へ浸潤し、安静其他の誤った手当ての為、肺の中で固まって了う其為であるから、最初から何等手当てもせず放任しておけば結核にはならないのである。
                    (文明の創造 肋膜炎と腹膜炎)

 化膿性の原因は、脊髄カリエスと殆ど同様であって、脊髄から膿が肋膜へ浸潤滞溜するので、その膿量は割合多量であって悪性に至っては、医療は穿孔排膿を行い、数ヶ月又はそれ以上にわたって、毎日相当量の排膿があるのである。
                    (明日の医術 肋膜炎と腹膜炎)

浄霊の急所
 別に浄霊法は変わったことはない。大抵頭か頸の廻り、腎臓等で、苦痛の所、触って熱のある所をよく浄霊する。
                        (浄霊法講座5 p62)

 やっぱり胸です。胸から横腹、背中にかけて、触ってみると、熱の一番強い処に毒が未だ残っている。肋膜の水が固まってね。そこを浄霊すれば訳なく治るんです。
                         (御教え集8 p31)

8) 喘息
 喘息に関しては、医学では全然判っていないのである。というのは医学に於ける喘息の説明は、殆ど問題になっていないからである。ヤレ、アレルギー疾患だとか、迷走神経の緊張だとか、神経過敏性とか、そうかと思えば食物とか、土地とか、中には部屋の構造、壁の色まで関係があるというのだから、寧ろ滑稽でさえある。従って成可く詳しく説明してみよう。医学でもいう如く、喘息は大体二種ある。気管支性と心臓性(近来此方はアレルギー性ともいう)とである。先ず心臓性からかいてみるが、之は最初横隔膜の外部に、薬毒が固結するのである。それに浄化が起こるや微熱によって溶解、液体状となり、肺へ浸潤して喀痰となって出ようとするが、此場合横隔膜部は肺臓から距離があるので、液体の方から浸潤する事が出来ない為と、肋間に毒結のある場合浄化によって液体となったが、人により肺膜の厚い場合容易に浸潤し難いので、肺の方から最大限に拡がり吸引しようとする。そのように大体右の二つの原因であるという訳は、肺は其様な猛烈な運動の為、肝腎な空気を吸う力が減殺されて、窒息状態となるのである。何よりも其際肺に侵入した毒液が、咳と共に痰になって出ると、発作は一時楽になるという事や、又肺炎に罹ると一時快くなると言われるが、之は高熱の為固結が溶解され、痰になって出るからである。右の理が間違っていない事は、何よりも先ず心臓性喘息患者の横隔膜部を指で探れば、必ず固結を見る事である。次に、気管支性喘息であるが、之は肋骨附近に固結している毒結が、浄化によって少しずつ溶けるので、それをヤハリ肺の方から吸引しようとして肺臓は猛烈なポンプ作用を起こす、それが咳であるから、之によって痰が排泄され、一時快くなるのである。然し痰の量が多く出れば出る程、短期間に治るのであるが、それを知らない医学は、極力固め療法を行うので、少しずつしか痰が出ないなばかりか、薬毒も追加されるのと相まって、治り難くなり、慢性となるのであるから、まるで笊へ水を汲んでいるようなもので、人により何十年も苦しんで治らない者はそういう訳である。
                         (文明の創造 喘息)

 喘息には遺伝即ち先天的原因も相当あるが、後天的原因の方が多いのである。然らば、後天的原因とは何ぞやというと、先ず肺炎に罹るや、肺炎の特性である多量の喀痰の排泄を医療は抑止するが故に喀痰は或程度排泄されても相当の量を残存する事になるので、その喀痰は上より下へという具合に肺臓下へ逆浸潤を為し、横隔膜下辺に集溜凝結する。又心臓裏面の毒結は、萎縮腎の余剰尿で、之が第一原因である。次に、第二原因は、尿毒及び薬毒が胃や肝臓の上部及び肋骨と其附近に集溜するのである。特に薬毒が多いのであって、必ず発熱を伴い、人により肋間神経痛と同様の痛みがある事がある。第三の原因は、感冒の咳嗽と同様である。又、小児喘息もあるが、之は、小児病の項に詳説する。
                          (明日の医術 喘息)
浄霊の急所
 そうして、私の発見によれば、心臓性喘息は、斯ういう原因によるのである。それは先ず、患者の横隔膜の下辺、即ち胃の上部及び肝臓の上部を診れば必ず腫脹していて微熱がある。そこを圧すれば硬化していて多少の痛みを感じ、毒素溜結がよく判るのである。之が第一の原因であって、次に、背部心臓の裏面も同様である。又、胸部及び腋窩及びその肋骨部を指頭にて圧すれば、相当強痛を感ずるのである。之は右の附近に毒素が溜結しているのであって、之が第二の原因である。次に肩部(主に左)臍部の周囲及び大腸部(主に右)鼡径腺部(主に右)背面腎臓部(右又は左)等之が第三の原因である。原因は、右に示した通りであるが、第一は喘息の主因ともいうべきもので、喘息の本格的原因である。特に発作は第一が主で、第二が次であって、第三は、発作の原因とはならず、唯だ咳嗽の原因となるのである。そうして何故に発作が起こるかというと、第一の原因即ち横隔膜下辺及び心臓裏面の毒素溜結が、浄化作用によって溶解し、それが喀痰となって肺臓内に浸潤して排泄されようとする場合喀痰が濃度の場合と、人により肺膜が厚性の為、容易に喀痰が浸潤し難いので、肺臓自体の方から喀痰を吸収すべく、強大なる呼吸を営なもうとするので、それが発作である。その證左として注射を行った後、必ず喀痰を排泄すると同時に発作が止むによってみても明らかである。又、私の経験によるも、治療の際喀痰の排泄がある毎に発作が軽減していくのである。また、この症状は食欲不振であるが、それは常に毒素が胃を圧迫しているからである。従而、軽快に赴くに従って、患部の腫脹は柔軟となり、小さくなるに従って、胃は活動を始め、食欲も漸次増加するのである。又第二の原因即ち肋骨部の毒素溜結も、第一とほぼ同様の作用をする。第三の原因は咳嗽だけであるが、発作や呼吸困難を促進する事があるから、是等も除去しなければならないのは勿論である。右の原理が正しいという事は、如何なる喘息と雖も、本療法によって完全に治療せしめ得るにみて、疑う余地はないのである。
                          (明日の医術 喘息)