神光会会報

昭和二十四年六月号〔第二号〕

“三月三日の桃の節句と五月五日の端午の節句は神秘とされて居りますが、如何なる意味が秘められて居るので御座いませうか、御教へを願ひます。

“三と云ふ数は水で女、五は火で男、伊都能売神は経と緯で男と女の神様、仏界では観音様である。桃は季節的に若い処女の様な感じなので用ひたものであらう。雛様はもとは紙で作ったもので、徳川時代から段々立派になって現在の様になって来た。天皇皇后を現はしたものである。端午の節句には男の子の出世を祝って色々な飾物をする。鯉のぼりの鯉も出世魚である。其他色々な意味があるが、今は之くらひにして置く。

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“三月一日より二週間奈良東大寺の二月堂で水取りの行事があり、その間非常に寒く、水取りが終ると暖かくなると言はれて居りますが、又事実毎年寒いのですが、何か意味が御座いませうか。

“極く昔はこんな場合に龍神が働いたから、気候にも影響したが、今はこんな事はない。季節が丁度寒い時に当っているのである。

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“写真を三人で撮ると真中の人が死ぬと申しますが、何か意味が御座いませうか。

“よく云はれている事だし当る事もあるが一種の迷信である。こんな事が本当ならば西洋にもある筈だが、西洋人は問題にしていない。この種の事が仮に事実だとしても、信仰に這入って居れば、御守護があるから気を遣ふ必要がない。

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“霊界は想念世界と承はって居りますが、霊界では意志の疎通はどういふ方法で行はれるので御座居ませうか、言葉はないので御座いませうか。

“言葉はないことはないが極く少ない。大抵の場合は目で意志を通ずる。肉体はそんな場合には却て邪魔になる。も一つは気持で判る。これは高級な霊程敏感である。人間界でも同様で、一言か二言で内容を了解する者と、くどく云はねば判らぬものとある。一を聞いて百を覚るものと、百を聞いて一つも覚らぬ者もある。

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“笑ひ上戸や笑ひ中気と云ふのは狸の霊が憑依しているとの事で御座居ますが、泣き上戸や泣き中気は何の霊で御座いませうか。

“笑ひ上戸や笑ひ中気は狸の霊ばかりではない。狸の霊のかゝった人霊が憑依している場合もある。泣き上戸は、泣き喚き乍ら死んで行った人霊が憑依しているのである。

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“霊界では脈搏や呼吸はどうなるもので御座いませうか、矢張り現界と同様に行はれているので御座いませうか。

“勿論現界と同様に行はれている。之が無ければ生物ではない。

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“入信して死亡した人の体が死後も大変温かいやうで御座いますが、何故で御座いませうか。

“入信すると霊的に違って来る。火素が増えるから霊が濃くなる。死んでもそれが肉体に残って温かいのである。死体が硬直しないのも火素が多いからである。徳の高い人に接すると温かく感ずるのも火素が多いからである。即ち愛情が火素を作るからである。

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“晴れた日よりも曇った日の方が暖かいのは、如何なる訳で御座いませうか。

“火は水によって燃え、水は火によって活動する。晴れた日は水素が少ないから火素の燃え方が弱いので寒く、曇った日は水素が多く従って火素の燃え方が旺盛になるから温かいのである。

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“御位牌の裏や墓に位階や勲等など書いて居りますが、これはいけないので御座居ませうか。

“現界の位階や勲等は霊界では通用しない。こんなものは善い悪いの問題でなく、三文の価値もないものだから書いても何にもならない。今迄の高官や富豪と云っても、霊界では却ってどん底の貧乏暮しをしている者の方が多い位だ。

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“丹波地方の或る一部にては、死者を埋葬した場所には墓を建てないで、墓は御寺の境内へ建てゝ居りますが如何で御座いませうか。又御墓は何処へ建てゝも宜敷う御座いませうか。

“お墓は死者を埋葬した場所へ建てるべきである。又埋葬するにもきまった場所へ葬るべきで、土地にも田畑として耕作すべき所、植林して木材を作る所、墓地として死者を葬る所と云ふ様に、その土地土地によって夫々使命があるから、其に従って用ふべきである。

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“仏壇の中に不動様と観音様の像がお祭りして御座いますが、屏風観音様を御祭り致しました後、右の不動様や観音様はそのまゝで差支へ御座いませんか。

“観音様は兎も角、不動様は位が違ふので別々にすべきが本当である。強いて同一の場所へ祭るのなら不動様を一段下げるとよい。さもないと不動様が却て苦しむことになる。

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“他家へ養子に行っていた子供が死んで其の霊を実家で御祀りする場合に、御位牌は他家の者として下段にお祀りすべきでせうか。

“実家にある他の兄弟と同様に扱へばよい。

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“エビ児と申し赤児が生れます時、エビの様に腰が曲って生れて来る事が御座いますが、霊的に何か御座いませうか。

“老人の再生で前世の爺さんや婆さんの状態が残っているのである。

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“遠州地方の一部で昔から死人が出来た時「カシャ」が降りて死人を持って行くと云はれていますが「カシャ」とは何のことで御座いませうか。又霊柩車に天蓋として龍の型のものを付けて行き、天蓋は「カシャ」が降りて来ても死人の上にかぶせれば「カシャ」は去って行くと云ふ事です。天蓋は霊的に何か関係がございませうか。

“「カシャ」は地獄の火の車のことであらう。地獄から迎へに来ると云ふ事は実際によくあることで、又地獄の霊は「火の車」に乗せられて移動することもよくある事である。天蓋は極楽の形で龍神等を付けてあるが、これは龍神の威力で地獄よりいくらかいゝ所へ行ける様にとの意味である。

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“遠州七不思議の一つで熊切村平城に直径四、五尺の数百年経った樫の木があります。幹が二又に分れていて、左右一年交替に芽が出るので御座いますが、如何なる訳で御座いませうか。

“木龍が憑いている。夫婦の龍神である。左右同時に芽を出すだけの力がないので、交替に芽を出して調節しているのである。

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“遠州相良の沖合十八丁位の処に愛鷹岩と云ふのがあり、その岩から真水が噴出して居りますが、如何なる理由で御座いませうか。

“岩に穴があいていて海底の地下水が其処から噴出するので塩水が混らないのである。

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“俗に丑満時と申しますが、午前二時より四時迄は何か霊と人間との間に関係が御座いませうか。

“昼夜は地球の一種の呼吸運動であるが、丑満時は息を引き切った時で、万物の活動が最も静止の状態になる。草木も眠ると云はれ、人間も一番安眠の出来る時で、神様から与へられた御恵である。

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“旱魃の時農民が池や川のほとりで火を焚ひて雨乞ひを致しますが、効果があるので御座いませうか。

“少しは効果がある。花火を沢山打上げたり、戦争で大砲など撃った後に雨が降るのと同様、火を焚くと水気を呼ぶので雨が降るのである。

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“水虫は昆虫の霊の憑依のやうに伺ひましたが、何故足に憑依するので御座いませうか。又田虫やいんきんも同様で御座いませうか。

“水虫はいんきんや田虫と同様に薬毒である。重い薬毒は体の下方へ垂れるものだが、極く重いのは足の裏へ溜り、そこへ虫が湧くのである。

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“或る家で七年前に仏壇にお祭りしてある阿弥陀様と不動様の左右の手が折れてから子供が九人次々に肺病で死亡して、最後に残った娘(三十歳)も現在胃癌で瀕死の状態にありますが、何か霊的に障りがあるのでせうか。又如何に処置したら宜敷う御座いませうか。

“阿弥陀様や不動様に霊が憑っておれば破損した腕を直して貰ひ度い為に障ることがある。その様な場合には仏具店で簡単に直して呉れるから早く修理して貰へばよい。尚肺病で死亡した者は普通は霊界でも孤独の状態で寂しい為に兄弟などへよく憑るもので、これは中々治り難いものである。胃癌は大体四十歳過ぎでないと罹ることはないので、多分誤診だらう。

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“或る婦人が婿養子を迎へましたが、長男が戦死をし夫も行方不明となりました。その後他の男と同棲して二人の子供が出来ましたが、その男も死亡致しました。此の場合如何ようにお祀り致すのが正しう御座いませうか。

“前夫は死亡した者として(生存していてもよい)祀り、後の夫を次の位へ祀ればよい。

(神光二号  昭和二十四年六月十五日)