「地上天国誌」第41号~第50号

【お伺】私は昭和二十六年六月入信、大光明如来様御屏風観音様、大黒様を奉斎させていただき、昭和二十三年十二月より現住所にて砕石採取業を開設、本県各土木事務所を需要先として納入致し、作業人員一日平均二十人位使役して生産搬出に努めて居りますが、昨二十六年三月頃砕石工場の山の地滑りの天災を蒙り、砕石工場機械設備一切大破損を生じ、幸い人畜には被害なく、其の後漸く復旧致し、今日迄生産を継続して居りまして尊き御神業の御奉仕の万分の一端なりと努めさして戴き、当甘木支部、金子先生の許にて御浄霊御指導頂いて居りますが、私の経営の事業面が意の如く進捗せず、貨物自動車事故及び設備の電動機クラッシャ、エアーコンプレッサー等交る交る故障等多く、尚又税務署関係などは斯んな田舎に工場等の設備ない関係か利潤の見込を多額に要求され、全く工場閉鎖の一歩前の現状で御座いますが、これも矢張り私に課せられた罪穢の御浄化とでも申すもので御座いましようか、若しや不相応で他に事業転換の時期の御知らせでは御座いませんでしようか。特別の御慈悲を以ちまして明主様の御垂示御救方賜わり度く謹んで御願い致す次第で御座います。次に私は昭和三年より昭和十五年迄満十二年間県土木部勤務退職後福岡市に工務所を開設なし、一般土木工事測量設計業をなし、其後二カ年間春日原占領軍司令官CRダグラス中佐の許ニックネーム「スピード」設計顧問として採用され、同中佐在日間仕えさして貰い、引退の上現在の事業に着手今日に及んで居ります。以上参考迄申し述べさして戴きます。

【御垂示】現在の砕石業は、貴方には適していないから、転業した方がいゝ。そうして大光明如来様によく御願いすると貴方の心に次の業が浮ぶから、其通りやればうまくゆく。

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【お伺】昨年七月耳鳴りが激しく色々と御守護を戴き入信さして頂いた者で御座いますが、本年九月主人より女が出来た店をもたせてやり度いと言う意味の事を打明けられましたが、現在生活にそれ程の余裕もないのに驚く外は御座いませんでした。現在主人(三好一美四○歳)は広島瓦斯会社阿賀工場製造第二課長を致して居ります。家庭は二人のみで私共夫婦は結婚後十五年になりますが子供がなく、従つて夫婦の仲も余り思わしくなく、と言つてこれと言う事もなく過して参りました。私がお道に入信させて頂きましても主人は特別反対は致しませんでしたが、関心ももたず、唯御神体御屏風観音様の御奉斎はどうしても許しませんでした。従来も夜帰つて来ない事も御座居ましたが、会社の会合とか色々申しますので信じて居りましたが、此度の話で全てが明らかになつた次第で御座います。相手の女と申しますのは未亡人で或料亭の仲居を致して居ります。全ては私の不徳の致す処、信仰浅き故と、教会にお詣りして御願い申し上げ、努力さして頂いて居りますが、打明けられた日からは全てが極端で、同じ部屋でやすむ事も嫌い、口ぐせの様に別れよう別れようと申し、殆ど帰つて参りません。三好家は現在稲荷信者で御座います。今から三代前事業に失敗し、稲荷信者になつたとの事で御座います。(それ以前は真宗)祭神は熊崎稲荷大明神と熊代稲荷大明神で御座います。又最近時々蛇の夢に驚かされます。主人の乱行と右の色々の事柄と関係が御座いましようか。何卒御垂示の程お願い申し上げます。尚此様な場合如何なる心がまえで居ればよろしいので御座いましようか。御教えの程御願い申し上げます。

【御垂示】此原因は貴女に霊的罪穢があるからで、それの浄化作用である。従つて夫を怨まず、只管神様の御用をし、人助けをする事である。それによつて罪穢は段々減るから苦しみは軽くなり、幸福な境遇になるのである。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。次男敏男(満二歳)昭和二十五年九月二日に安産致しました。生後十五日位は何事もなかつたのですが、其中に鵞口瘡(俗に白下)が出来、それが治ると二十日目位から相当強い熱が出、主人がわからぬ為医師にかゝり注射を一本射たれましたが、御浄霊を頂きすつかりよくなりました。その後別に気附きませんでしたが、何時の間にか目をパチパチ動かす様になり、両手で常に目を蔽う様にし、泣いても涙が全然出ませんので心配の余り医師にかゝれとか、こうすれば治るとか、いろいろ薬をすゝめられましたが、一切神にお縋りする以外ないと思い、御浄霊を続けて居りますが御蔭様にて、目のパチパチ上下にゆれるのがよくなり、凝視することも少しは出来るようになりましたが、未だ瞳が大きくなつたり小さくなつたりして眩しいようです。最近までは全身の痙攣も度々起りましたが、只今ではすつかりよくならせて頂きました。体の方は発育遅れて未だに立つ事も歩くことも、口を利くことも、耳も遠く、目もよく見えない様で御座います。  この頃は頭をよく振り、頭を畳につけて高這いの様になり、二、三歩這つては坐つて居ります。後頭部にはグリグリが多く、常に頭全体に微熱があります。御浄霊頂くとすぐ下ります。初めは頭に手を触れると嫌つたのですが、最近では大変気持よさそうでおとなしくして受けます。このまゝ御浄霊続けて頂けば、どの程度迄にならせて頂けるもので御座いましようか。御伺い申し上げます。何か外に霊的に関係していることは御座いませんでしようか。御伺い申し上げます。只今御屏風観音様は御奉斎させて頂いて居りますが、夫が未だわからず、三年前(この子供が姙娠する前)ふとした御道の御話から急に二階に昇り、勿体なくも御神体に手をかけて仕舞いました。こうした大きな御無礼の為この様な御浄化を頂いたのではないかと存じます。何卒御教示賜わり度く御願い申し上げます。

【御垂示】これは死霊が憑つているので、其霊の死ぬ時の状態が現われているのである。これを治すには御夫婦揃つて、信仰を熱心にし、徳を積まなければ、先ず難しいであろう。然し貴女が御主人に早く分らせようなどという気持を捨て、出来るだけ機嫌をよくするようにし、要領よく人助けをして、よく神様に御願いし、御神書も出来るだけ読むようにして時節を待つていれば、何れは子供も段々よくなり、御主人も信仰へ入るようになる。

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【お伺】私の母(五九歳)は二十四年初め頃より右手が痛み始め、神経痛風にて困つて居りました処、又左手も痛み始め、次第に両足にも及んでまいりました。其年十一月に入信直後風邪の御浄化にて一カ月余り床に就きました。それから歩行困難となり乍らも痛みは続きました。翌年二月御屏風観音様を御迎えし、十一月には光明如来様を奉斎させて戴きました。其の間私が(二十四年七月入信)御浄霊させて頂いて居りました。二十六年五月頃より歩行不能となり、日々の食事、用便一切自分でする事が出来なくなりました。其れに加えて頭は燃える様に熱く、頭痛も激しく、夜は眠る事が出来ず、手足の痛みは益々激しくなりましたので、妹婿(二十四年七月入信)に毎日御浄霊頂いて居りました。私の家は入信以前から天照大神、豊受大明神、石槌大権現等の神々を祀つて居り、入信後も信仰を続けて居り、又人の勧める儘に祈祷所へも詣りました。後で誠に申訳ない事をしたと後悔致して居ります。斯の様な状態が夏迄続きました。秋頃から少しは眠れる様になりましたが体の自由は全くきかず其上次第に物が言い難くなりました。現在では頭の中心がなにかで吊上げられて居る様な痛みが有り、又感情が激しく一寸した事にも非常に喜んだり悲しんだりし、笑つたり泣いたりする事が止まらず困つて居ります。然し反面夜は幾分楽に休ませて頂く様になり感謝致して居ります。尚父は十八年故郷にて心臓麻痺にて死去致し、其地にて埋葬致しました。土地の風習にて位牌は亡父と現在浄化中の母と一つ位牌に戒名を書いて祀つて居ります。これで宜敷しう御座いましようか。御伺い申し上げます。右の様な状態で非常に困つて居ります。私達親子の信仰の足らざるを深く御詫び申し上げつゝも何か他に原因が有るので御座いましようか。何卒御垂示の程御願い申し上げます。又現在の御浄化に就きまして御浄霊の急所を御教え賜わり度く伏して御願い申し上げます。それからもう一つ御伺い申し上げます。父は故郷(兵庫県)にて死亡した為其地に埋葬(土葬)して有りますが、余り遠方の為又子孫との関係も御座いますので、呉に墓を建てたいと思いますが宜敷しう御座いましようか。又其の場合どの様に致したら宜敷しう御座いましようか。御伺い申し上げます。

【御垂示】此原因は薬毒が頭へ固まつている為で、霊的ではない。従つて浄霊は頭脳を探つて熱のある処を主にしてすれば、少しずつよくなつてゆく、又墓の事は或程度病気が全快してからでもよく、そう急ぐ事はない。戒名はそれでよろしい。

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【お伺】明主様、謹んで私の長い御浄化に就き、御伺いを申し上げさせて頂きます。私は昭和十四年二月九日(私の十九歳の誕生日)学校より帰宅後何となくだるく、昼寝を致し、二、三時間後に起きました処、両足がしびれ、特に右足が重く、大小便も同時に止つて居りました。(此の間発熱なし)尤もこの発病前三カ月頃より両手が小刻みに震えました。町医より帝大へ入院、先天性梅毒と申され、その後三楽病院にては脊髄腫との診断にて手術を受け、以後は漢方、温泉、灸と長病人のお定まりのコースを辿り昭和廿一年三月廿二日私の父が亡くなり、その葬儀の晩に私の義兄(信者)よりお道を聞き、早速に西荻の堀内先生宅に参り御浄霊を頂き、気長にとの先生のお言葉にて、母共々お守様を拝受、以後教会と自宅とにて一生懸命に御浄霊を頂きました。半年後にシャックリを十一日間も止めどもなく出させて頂きました。(以前に呑んだ漢方薬の臭いがある唾液が出ました)。私達は分家でしたが、お屏風観音様を頂き、祖父が十八年間も病床に就いたまゝ死亡して居りますのでその位牌を祀り、その外母の兄で勤め先で急死(死因不明)した仏もお祀り致してあります。その間、私は外出先と自宅とにて、二度も意識不明となり、腰が抜けた様になりました。この頃、堀内先生がお道を止められたので生和中教会に入会致しました。昭和廿四年四月頃より左足が重くなつて歩行困難となりました(この折も発熱なし)昭和廿五年二月一日に光明如来様を御奉斎させて頂き、会長先生のお言葉もあり、庭に池を掘り、自製の社を造り龍神様のお祀りを致しました。実は発病前(昭和十三年八月)鎌倉の避暑先にてある家中の蛇を友達と共に殺した事がありました。さて私は御浄霊を頂きますと(特に後頭部から脊髄)自分ではそうする気もないのにひとりでに頭が後方に反る様になり、少時して今度は、前方に下へ下へと下ります。又、両肩を左右に振つたり致しますが、御浄霊を止めるとその動作も止ります。自分ではどうする事も出来ません。本年三月頃より、頭の御浄霊を主に致して居りました処、頭の芯が痛く、顔がしびれる様に感じ、眼脂が十日程相当に出させて頂きました。又、左足の膝頭より多量の排膿をさせて頂きました。現在腰に力が入らず、足も自分の物ではない様に重く、母と二人にて不自由な生活を致して居ります。此の御浄化の原因及び御浄霊の個所に就き、何卒御垂示下さいます様お願い申し上げます。重ねての御守護をお願い申し上げます。

【御垂示】これは薬毒病であるから、全身を触つてみれば、熱のある個所、固まりのある個所、痺れている個所を浄霊すれば、少しずつよくなつてゆくから、神様にお願いし出来るだけ御神書を拝読し、気長にしていればそれで大体は治る。

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【お伺】私の二男で御座いますが、生後百十日頃より毎日ひきつけを起す様になり、現在生後百四十余日になりますが未だに首がしつかりすわりません。首の右側がやゝ高く熱が多少御座います。又私の弟が一歳と二歳で死亡致して居りますが、(死亡原因不明)お祀りして居りませず早速お祀り致しました。私の従兄弟で首つり自殺した者及び水死者も御座います。二男の浄化とこれらと関係御座いましようか。又胸が大変へこんで居り(みぞおちの稍々上部)医学では佝僂病性腺病質体質とか申して居りますが、如何なるわけで御座いましようか。御浄霊はどこを致しましたらよろしう御座いましようか。謹みて御垂示賜わり度く御願い申し上げます。御屏風様は、昨年六月御奉斎御神体はまだで御座います。

【御垂示】これは霊的ではない。薬毒の為であるから、全身を触れば熱のある個所があるから、其処を浄霊すれば少しずつ治つてゆく。此原因に就いては二種ある。一は生後間もなく注射した為か、一は姙娠中又は直前服薬又は注射を多くした等である。(地天四十一号  昭和二十七年十月二十五日)

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昭和二十七年十二月号

【お伺】御教えに精神病、癲癇、その他霊憑りの者は御神前に休ませるとよいとの事でございましたが、主人夫婦が階下に寝て、病人である子弟が二階の御神前に休ませて頂いてもよろしいのでございましょうか。右謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】普通の場合はいけないが、病人の場合は差支えない。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。再縁せる女の信者の場合でございますが、自分の実家の先祖代々の位牌と、亡くなった主人の先祖代々の位牌及びその主人自身の位牌の順序をどの様にしたら宜しいのでございましょうか。御教えの程御願い申し上げます。

【御垂示】その主人の先祖が一で、主人が二でよろしい。

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【お伺】御仏壇の御位牌の位置について御伺い申し上げます。分家した兄弟の位牌と、自分の子供の位牌の順序。又嫁入りした姉妹の位牌と自分の子供の位牌の順序を御伺い申し上げます。

【御垂示】両方共その家の子供の方が上でよい。理由はその家の家族は主であり、他の家は凡て従であるからである。

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【お伺】私の親友故中川みつ子(釈恵啓信女)は、昭和二十三年十一月一日に二十一才にて死亡致しました。肺病の為感染するのを恐れてか、死亡致しました事を一切私達に知らせて下さいませんでしたが、一日午前三時に夢にて私が神社の鳥居を潜ろうとした折に魂にぶつかりました。振返ってみますと、その魂は中川さんの後姿でして、夢を見終って気がつきますと枕元が涙で濡れて居りましたが、その時はまだ変だなと思っただけでしたが、その翌日より毎晩十六日の朝迄「浅野さん寂しいから来て欲しいのに、今日も来てくれない、今日も来てくれない」と夢をみせますので十六日御徒町のお宅へ伺いました処、夢の通り一日に亡くなって居りました。このことによって私は霊の存在を知りました。その後一カ月位して午後九時頃床に入りますとすぐ枕元左側に薄黒く「ボーッ」としたものが立ちました。私は中川さんであることがすぐ分りました。中川「生前浅野さんに逢いたくてたまらなかったが、逢えずに別れてしまいこんな寂しいことはない」と申しますので私は良く言いきかせました処、喜んで帰りました。(この頃天国の福音を拝読致して居りました)余り良い処へ行ってないのだと思って居りました処、昭和二十三年十二月末の午後九時に床についてすぐ、左側に歴然と聖観音の御姿を拝しました。御姿は七分位にて天井にとどく位の大きさにてベールを冠って居られました。私の顔を見てだまって笑って居られました。私はびっくりすると共になんとも言えない陶酔感に打たれ、暫くして良く見ますと観音様は中川さんなのです。そして観音様は「何をその様に悲しむのか。悲しむことはない、必ず貴女の望み通り一週間後実現します」と申されて消えました。その後は何とも云えない良い気持でした。この頃私はお友達と洋裁店を開こうと思いまして母親に相談致しました処、反対されましたのであきらめて居りました。それが霊の通り実現致しました。この時側に寝て居ります妹二人は床の中へ入ったばかりでしたので話をして居りました。それより三カ月位して又同じ時刻に現れました。この時は第一回よりお姿からは一層強いお光が拝見致されました。そしてその時の言葉通り一週間後に私の有利なことが実現致しました。又私は好きで古流のお花も習って居りました。その時観音様は「お花をやるのもある時期まで許す」と申され「その時期は“カイトウ”を取るまでである」との御言葉でした。私は“カイトウ”とは何のことか分りませんでした。それから四カ月位して又同時刻に現れました。その折は第二回より更にお光が強く拝されました。この時も色々教えて下さいました。昭和二十四年十月の或晩午前二時に目が覚め階下の御手洗へ行こうと起き上りましたが、なんとなくシンとしていて急にこわい様な気が致しましたので、床の上に坐り掛蒲団を肩にかけて居りました処(十分位)、欄間の所より何かヒラヒラ落ちて参りました(丁度昼間明るい所で空間のゴミが見える様に)。まわりはみな板戸を閉めて電燈は消してありますので見える筈がないのに、と思った瞬間、そのゴミの如きものは黄金色もまばゆい聖観音で、御身体より黄金の光りを長く引いてゆるやかに降りて参りまして、私の眼前で止りました(大きさは一寸八分位)。観音様「奇なる縁によりて汝の身体を私の永遠の安住の地と定める。よろしく肝に銘じよ」と申されまして私の咽喉に鎮座致しました。私「入られたのは大変嬉しいが、咽喉の処に観音様の御姿が見えるのでは世間の人に笑われ、見世物にされてしまうので困る」と申しますと、観音様「汝に見えても、他の者は霊眼開けぬ故見えぬから安心せよ」と申されると、私の目が開き御姿は見えませんでした。気がつきますと、まだ床の上に居りました。(私の感じました点は、各回とも御姿拝見までは目を開いて居りますが、会話中は目を閉じているらしくお話が終りますとパッと目があきます)  私は二十二年九月より上村さん(只今は信仰をやめて居ります)に毎日かかさず御浄霊を戴いて居りましたがお守様は拝受致して居りませんでした。中川さんに最後に逢った折(死ぬ一月前)お道のお話を致しました処大変喜んで「是非一日も早く御守様を戴いて多くの人を救って欲しい」と云われましたが、もしほんとに病気がなおせなかったら困る等考え、約束はしたものの一周忌を迎えてもまだお守様を戴かずに居りましたが、最早、神の存在を否定することは出来なくなりましたので、二十四年十一月二十八日お守様を拝受致しました。(これまでは神仏を拝んだことなどありませんでした)教修後は地獄の霊が救って欲しいと二十名位参りました。又救われて霊界にてお光りを戴き、働いて居る霊が四名参りました。その他狐霊等も来て邪魔をしたりするので悲観して居りました処、中川さんのお母さん(生霊)が参りまして「この度みつ子が床の間の上に行かれる様になった。家でもお祀りして有るが是非浅野さんと栄子さん(お光拝受した友達)に祀って貰いたい」といって位牌を床の間に置き、「お宅に有難いお軸が有るから是非それを床の間に掛けてその脇に位牌を置いて欲しい」と云って帰りました。そう云うものは家には有りません。両親が理解有りませんので、七月十三日に御屏風観音様は御祀りさせて戴きましたが、御神体はまだ御祀り致して御座いません。その後すぐ中川さんが現われました。御姿はベールをぬいだ観音様でした。中川「床の間に大光明如来様をお祀りしてお道の為もっと協力して下さい。そうすれば私は貴女のことを一生守護します」と申されました。それから二カ月位して地上天国の御神書を拝見致しまして驚きました。表紙のメシヤ観音と全く同じ御姿でした。その他大型トラックに二度ひかれる所を目前に御姿現れ、私をさえぎりましたので、すれすれの所を助かりました。この時もメシヤ観音の御姿でした。二十七年八月十七日初めて箱根に御参拝の折、御神前を見てびっくり致しました。それは去年あと五年後には私の家がこうなるからと知らされました。私の家の御神前と同じだったからです。(その時は身魂が磨かれればもっと先のことを知らせるとのことでした)。ただ右側に有りました立像が夢の中では、メシヤ観音様でありまして、純金で出来て居りました(その観音様が中川さん)早速お参りを済ませ、更にびっくり致しましたことは、その立像の観音様が非常に喜ばれ、お笑になったと見るや私に霊波が感じられました。「浅野さん私は長い間貴女の来るのを待っていました。今日こうして逢えたことは実に嬉しい。是非一切を捨ててお道の為に協力して下さい」と涙を流さんばかりに喜ばれました。この日は御明主様より御浄霊を戴きました際、御光を良く拝見させて戴きました。又三年前に観音様が申されました通り、十月一日に古流家元より華務会頭に任ぜられました。そして最近も度々メシヤ観音様がお出ましになられまして「一年も二年も考えて居る場合ではない。時期が切迫して居るから早くすべてを投げ打って御神業に入りなさい」と申されました。すると今度は狐霊、狸、龍神等の邪神が無数に押寄せて参り「御神業に入れば取り殺してやる。最後迄邪魔してやる」と申します。右に関しまして他の救われた霊等は人間と同じ姿ですが、中川さんのみはどうして観音様の御姿なので御座いましようか。天国にお救い戴きますと、観音様の様なお姿になれるので御座いましようか。それとも狐霊のいたづらで御座いましようか。何か観音様と御関係が有るので御座いましようか。謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】中川さんは、元々聖観音の御魂であり、人間となって救いをされようとした処、誤れる医学の為に生命を失くしたので、貴女に自分の代りとなって、救世の業をして貰いたいので、色々不思議を見せたのだから一日も早く熱心な信者になって働きなさい。

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【お伺】私の妻、定恵(五十三才未入信)本年春頃より食欲進まず、一日二、三回嘔吐(黄色い液)をなし、四月初めに医師の診断を受けました処、胃下垂と言われ服薬(水薬は大変強く畳の上等に附くと薄黒色に変色する薬)十日間程致しましたが良くならず、五月十九日に近くの病院に入院(一カ月)、その間新薬ナイトロミン注射四回、葡萄糖注射約三十回、輸血七回、リンゲル注射三回を致しましたが、余り効果なく食欲も余り進まず、時々嘔吐(黄色の液)をなし便通もなく、その為に浣腸(十数回)にて排便をして居りました。レントゲン写真の結果胃癌と診断され、手術をしても覚束無いとの事にて、病院を退院し自宅にて静養(退院後は油瀧大神の信仰にて小康を得ました)致し、食欲は少しずつ出る様になりました。八月に至り食欲も不良となり時々嘔吐致し、その為体は大変衰弱致し困って居りました処、知人から本教の有難い事を知らされ、早速近くの片上支部に御願いに行き、御浄霊を頂きました処大変気持もよく、浣腸もやめて続けて御浄霊を頂きます内、今迄浣腸して排便して居りましたのが、数日後排便(黒色の粉の固ようのもの)あり本人も大変喜び、初めて御神力の偉大さを知り支部へも二回お参り出来る様になり、先生から色々お話も承り九月二十二日に大垣の中教会本部で、私と娘(府子)二人入信さして頂き、その上、有難き光明如来様も拝受し、二十五日の箱根の大祭にもお参りさせて頂きました。十月五日には光明如来様を御奉斎さして頂くことになって居り、一同余りの御蔭に喜んで居ります。現在の病状は、右側延髄部と右頸部に特に固結があり、頭は絶えずはっきりせず、何か被った様な感じでございます。又腹部、特に胃部は全体に固く、少し腫上って居り、直腸の辺も固く押すと少し痛みがあります。御守護により食事も果物等も少量ずつ頂ける様になり、又夜は大変楽に寝られる様になり、本人も非常に喜んで居ります。時々嘔吐致しますのと、食後胸の下辺りが苦しみますが、暫くすると楽にして頂けます。大変衰弱して居りますが、お蔭で散歩も出来る状態でございます。  右胃部の固いのは薬毒の為でございましょうか。又霊的でございましょうか。  御浄霊は何処が一番大切でございましょうか。今後如何致しましたら早くお救い頂けますでしょうか。御垂示の程謹んで御願い申し上げます。尚本人は三十才の時、産褥熱にて八カ月注射療養を致し、三十二、三才の頃喘息にてエフエドリン錠剤約五十錠、三十六、七才頃子宮筋腫にて手術し二十日程入院加療して居ります。

【御垂示】この人は薬毒被害者の見本みたいなもので、病気全部は薬毒の固まりであるから、種々の排泄物によって段々良くなるのである。従つて長くは掛るが必ず治る。浄霊は薬毒の固まった所をすればよい。無論出来るだけ力を抜いて浄霊すれば、早く溶けるし、回数も多い方が早く治る。

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【お伺】是安利章(三十三才)昭和二十七年二月入信させて戴き、三月御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。昭和二十四年五月頃より腰が痛み初め、医師に診断を受けました処が坐骨神経痛とのこと、注射は局部へ二十本位打ちました。漢方薬も一カ月位続けてのみました。鍼灸も五、六回やりました。昭和十八年に盲腸を手術致しました。本年一月三日に親戚の者より本教を教えて戴き早速支部に参り御浄霊をして戴き、十日目頃に少し良くなったと思って居りましたが、又、次第に痛みが元の様になって、現在両足も痛む様になりました。続けて六カ月位御浄霊を受けました。その後は二日に一回位して戴いて居りますが別に変化が御座いません。現在御浄霊は腎臓と局部を主として戴いて居ります。因みに四代前の先祖に男が神経痛で病死して居ます。三代前の男当時二十三才は海に落ちて死んで居ります。三代前には男が男女の折合悪くなり、子供のある仲を結婚せず別れて、その後女は非常に恨んで死んだそうです。私は最近分家致しましたが、本家ではその後より山林や畠は次第に売り払うようになり、現在は親も私達兄弟も皆経済的に非常に困って居る次第でございます。妹(長女)は三年前に結婚致しましたが昨年離婚して帰って居ります。何か霊的関係でございましょうか。その他御浄霊個所の御教示の程御願い申し上げます。

【御垂示】これは霊的関係はなく、薬毒の為である。神経痛の時薬を用いると共に、よく固めたので治るにも暇が掛かるのである。しかも痛みは浄化の為であるから結構で、辛いだろうが痛めば痛む程早く治るから、我慢しなさい。

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【お伺】昭和二十四年二月入信致しました山崎敬市二十六才でございます。二十六年十一月頃より腰痛の御浄化を頂き、その都度御守護頂き、二十七年六月頃より発熱、咳嗽、喀痰の御浄化が加わりましたが、父がお道に反対の為無理に仕事を続けて居りましたので、段々衰弱致しました。九月十五日頃より激しい腰痛(臍の右横一寸五分の処の奥)と発熱、咳嗽、扁桃腺との御浄化を頂き、現在は左頸部淋巴腺が腫れ歯が痛み、左耳は全然聞えなく、肩、右耳下腺、延髄にかけて頭部全体は重圧感有り、咳嗽と発熱の御浄化にて食欲は粥食を二杯位頂いて居りますが衰弱が加わりつつあります。尚先妻は二十四年四月結核にて帰幽致し、二十五年十月再婚致しました。御屏風観音様は二十四年四月に御奉斎致し、御神体は本部に御願い中でございます。十月一日親戚の光明如来様をお借り致しお奉斎させて頂いて居ります。御浄霊は毎日母と妻、又教会からは隔日に来て頂いて居りますが、御浄霊の急所について、又、先妻との関係等有りますものか、謹みて御教え賜り度くお願い申し上げます。

【御垂示】これは霊的関係はない。全部薬毒であるから浄霊によって、気長に排泄するより治しようがない。浄霊の急所は苦痛のある所、熱のある所、固まりのある所を見付けてすればいい。

(地天四十三号  昭和二十七年十二月二十五日)

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昭和二十八年一月号

【お伺】謹んで御許いただき、御伺い申し上げます。昭和二十七年十二月十八日、大光明如来様の御奉斎の御許をいただいた者で御座いますが、これより以前に拝受いたしました大光明、大浄光の御守様と金龍の横の御書体を二十七年八月一日表具師平田護(二十九歳)に表装を願い、十二月十八日御奉斎の当日出来上って参りました。処が金龍の御書体の龍の御文字の端が縦に破れて居りました。早速明主様に、表具師と共に御詫致しました。大変申訳なき御無礼を御許下さる様、御願い申し上げます。表具師は「裏紙を貼って乾燥中に裏紙のつぎ目より破れた」と申して居りますが、何か霊的御関係がある様にも思いますので、御伺い申し上げます。尚平田護表具師は後にて聞きましたが三五教の信者で、二年位になるそうで御座います。破れた御書体は取りはずす様頼んで居ります。処分は如何が致しましたらよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

【御垂示】破れが龍の文字にかかっていれば、御詫して焼きなさい。かかっていなければそのまま継いで表装してもよろしい。

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【お伺】此の度妻の帰幽に際しまして、私の不注意から、私が以前頂きました大浄光の御守様を、妻の頂いた緯の大光明の御守様と思い違え、棺の中へ入れて持たせてやってしまい、取返えしの附かぬ事を致しました。何卒御許を御願い致します。尚如何がさせて頂けば宜しゅう御座いますか。御教示御願い申し上げます。右不注意の段御詫び申し上げます。

【御垂示】済んだものなら致し方ないから、それでよろしい。心配するに及ばない。

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【お伺】私共夫妻は、二十年より信仰に入れて戴き、二十三年八月に光明如来様を御奉斎させて戴き、愚息(本年二十五歳)にもむりに入信させました為か信仰心なく、私共の意にも添わなくて困っておりました。昨年十一月二十六日夜、金銭の問題から口論となり、揚句の果に、恐れ多くも御神体に手を掛け引裂いてしまいました。私共の不行届きから、かかる不祥事を引起しまして誠に申訳なく、何とお詫申し上げましたら宜敷しいものか、途方に暮れております。謹みてここにお詫とお許、をお願い申し上げ、破損しました光明如来様の御書は如何致しましたら宜敷う御座いましょうか、伏してお詫と共に御教示を御願い申し上げます。尚一日も早くお詫が叶って、再度御神体をお迎えさせて戴けます日の一日も早からん事を御祈願申し上げます。

【御垂示】之は大変な間違いをしたのである。というのは御子息を無理に入信させた為である。信仰心の湧かない者を無理に入信させるのは、尊い神様に対し非常な御無礼になるので、神様は覚らせる為に、御子息の手を通じて破られたのである。いつもいう通り信仰には無理が最もいけないのである。併し出来た事は致し方ないから、よくお詫をして焼き、新規に御受けすればそれでよろしいから余り悔んだりしないで、今後注意すれば神様は御赦しになるので、余り心配しないようになさい。

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【お伺】現在日本の食糧事情によりますと畑作を主にした農家においては経済上より二毛作三毛作をしている現状ですが、自然農法実施の場合、同一畑地に同一物の二毛作はお許し戴けるものでしょうか(例えば麦と薩摩芋丈毎年繰返えし連作する様な場合)右謹んでお伺い致します。

【御垂示】それは土地や気候の関係もあるから、臨機応変にやればいい。

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【お伺】私は入信前昭和二十三年初めの頃より、稍々脚気的症状でございましたのが、漸次全身の筋肉の疲労感が高まり、遂に昭和二十四年六月入院する身となりました。入院後あらゆる医学的療法を加え、医師も研究されましたが全く病因不明で、「まあ内分泌系統らしい」との事で何等得る処なく同年九月退院しました。その後お道のことを承り、九月十九日より御浄霊を頂く様になりましたが、その日から床の中にて、独りでに手及び足がピクピクと痙攣し始めたのでございます。私はこの様な反応が起った事に心中大いに不思議に思いまして、御浄霊を続けて頂く中に、大変御守護戴いて便所にも行かれる様にさせて頂き、家内とも入信させて戴き御屏風観音様を御奉斎申し上げ、二十六年には箱根にて明主様の御光を戴く事が出来る様にして戴きました。その後時折疲労感が出ましても、その都度教会にて御浄霊頂いて治して頂いて居りました。ところが二十七年春頃より浄化を強く戴く様になり、御浄霊中、痙攣が起る様に変化して参り肩、腕、腹、大腿部の筋肉が、或時は次々に盛上るごとく、或時は普通では迚も動かせないように筋肉丈が痙攣し、ピクピク動きます。酷い時は約一寸位も盛上る事もあります。十二月初め迄は右の様な状態でも特別疲労感は強くございませんでしたが、十二月初めより非常に疲労を感ずる様になり、会社も休み専ら御浄霊を戴いています。力は重い火鉢を寸時運べる程あっても、はたき四、五回振ったり、半里近く歩くと、一日中動き廻った様な疲労感があり、心臓の鼓動が非常に早くなって参りますが、痙攣の御浄化の外には発熱その他の浄化作用は一切頂いていません。  これは全身に亘って溜った薬毒の外に、特に毒素集溜の急所があるものでございましょうか。又、霊的関係がございましょうか。私の知って居ります範囲では変死者は居りません。御神体は二十七年十二月八日御奉斎させて戴きました。謹みて右御伺い申し上げます。

【御垂示】之は霊的であって蝮に噛まれて死んだ霊である。その霊の憑依で、腫れも、痙攣も、強烈な疲労感も蝮の毒の特徴であるから、気長に浄霊すれば必ず治る。勿論薬毒も大いにあるから、何れは浄化が起るが、長く浄霊してるから大した事はない。急所は頭脳を第一とし、腫れや痺れた所を第二とすればいい。

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【お伺】昭和二十三年七月神経痛を色々と御守護戴き入信さして戴いた者でございますが、昭和二十五年御神体、御屏風観音様を御奉斎致し今日に及びました処、昨年五月頃より左目が次第に不明となり、八月頃には右目も薄く見える程度になって参りましたが、家人にも知らさず支部に参り、時々御浄霊御願してましたが、十一月三日頃物につまづき主人にも話した処(主人共四名入信)一応医師の診察を奨められ、その儘に医診を受けました。医師は血液検査の結果「青そこひ」で視力○・二と言われましたが、その儘御浄霊を御願い致して居ります。最近では一間離れましても人の顔さえ判然と致しません。御浄霊は眼の後及び後頭部、延髄を主とし一日に支部にて二回帰宅後家人にも御浄霊して戴き、其の都度涙の様に二、三滴は出ますが目脂(メヤニ)迄は出ません。私はサフラン、中将湯の飲薬も相当やり、又死産の時手術し、腎孟炎で出血多量の為母体保護の為と申し人工流産させた事があります。尚今日にても月経がある程の毒血の持主であります。御浄霊戴いて居りまして此の様に見えなくなって参りましたのは内部の毒血が浄化して参り、外部に出て来る為の一時的失明で、今後も続けて参りました時必ず治るもので御座いましょうか。霊的に思い当ることも御座いませんが、流産させた子供に対しましては位牌を作り祀って居ります。浄霊者は力をぬく事に留意致して居りますが他に原因が御座いましょうか御伺い申し上げます。

【御垂示】この人は後頭部から延髄附近にかけて固まりがあるから、それを溶かせば必ず治る。併し大分性質(タチ)の悪い薬毒の為、溶けにくいから気長にやりなさい。何れは涙か目脂が出るようになれば、少しずつよくなってゆく、霊的関係はない。

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【お伺】昭和二十五年八月入信四十八歳の女でございます。入信間もなく御屏風観音様を奉斎させて頂き、昭和二十六年長女、二女と同時に入信、夫も昭和二十七年九月に入信致しましたが、まだよくお道が分らず、又住宅の関係上大光明如来様は御奉斎致して居りません。長男は未入信でお道に反対致してます。

《御浄化の状態及び経緯》昭和十八年秋頃軽い咳をし始め、背筋が痛み出しましたので医師の診断を受けました処「肋膜に水が溜ってる」と云われ、すぐ青森市の病院に入院し約六カ月にして退院致しました。退院後二カ月にして又悪くなり、今度は○○病院に入院六カ月にして一応退院致しましたが、又二カ月程で再び○○病院に入院七カ月位で退院しました。退院時の体重は十八貫位ありました。退院後三カ月程して中耳炎となり、青森市の病院で手術を受けました。其の後四年間医薬を用いることなく家事をして居りましたが、昭和二十五年五月頃、咳が出始めたので同地の二人の医師よりの診断の結果、二人共「気管が悪く、今の処まだ肺は冒されてない」と云われ、幾日か治療受けましたが咳が止りませんので、其の旨医師に話しましたら「劇薬」と云って注射しました。一日位咳が止りましたが翌日には又咳が出始め、同時に四十度位の熱が出ましたので床に就き、氷冷している処に信者さんがお出でになり、御浄霊を頂きましたら熱は下りましたが咳は止りませんでした。併し何となく身体が軽くなった様に感じましたので御浄霊を続けましたら、二、三日で床を離れる事が出来ました。昭和二十三年来肺結核にて入院中の長男が手術するとて看病に行き四十日間位御浄霊を休み、帰宅後時々頂き入信後も月並祭にお参りし御浄霊を頂いて居ました。昨年の春中教会長先生よりの御浄霊中憑霊(狐霊)あり、其の後の御浄霊中にも憑依しますが目的がはっきり致さぬ様に感じられます。話す事がまちまちで一致しません。憑依しますと寒気がし、霊動致します。間もなく頭部、耳下腺、延髄等に三十九度位の熱が出、咽喉、胸部(気管)が苦しくなり、食欲が減り、したがってだんだん衰弱して現在の体重十一貫位になりました。昨夏より明主様の御教え通り、床についたり起きて食事等して居りますが、咳、咽喉、気管、腹(腸と思われます)にあまり変化が御座いません。まだ寒気も霊動も時々致します。御浄霊の個所及び如何様に致しましたらよろしゅう御座いましょうか、御伺い申し上げます。

【御垂示】それは肋膜に溜った水が膿化し、大分残っているのでそれを排泄する為の咳であるから、痰が出るだけ出れば治るのは勿論だが、それまでに衰弱しては面白くないから、今後は絶対菜食にしなさい。そうすれば衰弱しないで必ず早く治る。浄霊個所は無論肋膜を患った個所で、此の個所を発見するには、息を深くして痛む処、又は圧して痛い所、熱のある所で、触ってみればよく分る。

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【お伺】信者(四十四歳職業助産婦)の御浄化につき御伺い申し上げます。  昭和二十五年七月入信、御屏風観音様御奉斎、其の頃二十六年三月大光明如来様御奉斎させて戴いています。七歳頃「はやり目」にて医療を受けましたところ、右眼に星が出来、次第に近眼となり、十三歳頃より眼鏡を掛け始めましたが、段々に度が進み、三十七歳頃非常に眼が痛みましたので医師の診察を受けました処「網膜剥離」と云われ手術致しました。其の後間も無く右眼は失明し、尚黒目が左に片寄ってしまいました。昨年五月頃より左眼の視力が急に衰え、明暗の判る程度となり、八、九月頃頭痛と共に全身浄化を戴き、其の頃は御浄霊致しますと急に見えたり致しましたが、十一月初め頃より一向に変化無く、只今では殆ど失明状態となりました。雨眼共外見は失明して居る様には見えません。尚御浄霊致しますと眼球がクルクルと廻り、パチッパチッと音が致します。最近金色又は青色の角の生えた龍の様な物が、昼夜の別なく又瞼を開けても閉じても見え、安眠出来ず頭が痺れた様に感じると申します。これは何か霊的のものでございましょうか。御浄霊は前、後頭部、頭部の天辺、眼、こめかみを致して居ります。右何卒御守護御垂示賜わり度く御願い申し上げます。尚助産の仕事の方は会長先生からの御注意にて一時休む様申しましたが、本人は懇望され断り切れず時々取上げさせて戴き、其の都度大変御守護を戴き、心より感謝申し上げて居ります。

【御垂示】  之は最初痛んだ時、放っておけば眼脂が出て治るものを、医師にかかった為、手術をしたり、その薬毒の為とで、謂わば医学の被害者である。併し色々変化があるのは非常によいので、気長に浄霊すれば治る筈だが、只どういう手術か分らないから、手術によっては全部治るかどうかは分らないが、不自由ないまでには治る筈である。

(地天四十四号  昭和二十八年一月二十五日)

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昭和二十八年三月号

【お伺】謹んでお伺い申し上げます。私は昨年八月過去三年間の子宮下垂をお救い戴き入信させて戴きました者でございます。その後十二月に主人も入信、本年二月八日に大光明如来様御屏風観音様を奉斎させて戴き、感謝の明け暮れを送らせて戴いております。私の長男(三年二カ月)は生まれつきと思うのですが、(医者は母乳日光の不足と申しました)佝僂病にて手足特に足の大腿部短く、O脚にて立ちますと腹が前に出、骨盤は後に反り、歩きますと体が左右にゆれます(昨年六月より支部にて御浄霊を戴いておりますが、日によりゆれる程度が違うように思います。時々下痢をさせて戴いております)。レントゲンにては手足の附根の所が朦朧と致し、各関節は骨端がギザギザになったり、膝は三味線のバチのような広がった形をしております。痛みはございません(一度発熱し手足が動かせぬ程痛みのある御浄化を戴きました)。主人もこれと同じ病気にて医療は殆んど受けておりませず、十七才に両足ひどい脚気、十九、廿四才に右足歩行困難で苦しみ、現在も右足は左の半分の力でございます。子供は御道を知る前一年間ギブス矯正、隔日のマッサージを致しました。(尚注射は生後三日目に発汗ひどい為ビタミン、一年後風邪熱にペニシリン百日咳にマイシン二本致しました)。これは霊的でございましょうか。又は御浄霊にて治して戴けましょうか。御浄霊は何処を主にさせて戴きましたらよろしゅうございましょうか。尚又、この次にもこのような子供が出来ますものでございましょうか。右につきまして何卒御垂示下さいますよう謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】この原因は霊的と薬毒の両方であって、光明如来様のお部屋に寝る様にし浄霊すれば、少しずつ治ってゆくが相当長くかかるから、そのつもりで辛抱する事である。浄霊の個所は悪いと思う所をすればいい。勿論親子共同じ様な病気とすれば、祖先が犯した深い罪であるから、余程熱心に信仰を励み人助けをし、神様の御役に立つ様にする事で、それによって罪の減っただけは治ってゆくのである。従って完全な子が生まれるのも勿論である。

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【お伺】私の夫は、去る一月九日より三日間に亘り意識不明となり、その間の状態は、仰向けになり足をバタバタ動かしては蒲団をはぎ、首を左右に動かし、又顔をしかめ、時には無意識の儘起き上ることもありました。祝詞、善言讃詞を奏上すると多少静かになります。ところが食物を口に入れてやる時は眼を開き、実に美味そうに満足そうな顔をして際限なく食べます。全く餓鬼道から出てきた姿を想い起させる程でございます。御浄霊を続け御守護によりまして三日目に無事意識快復させて戴きました。このような状態は今回ばかりでなく、二十五年の二月が最初で三回目の発作までは不安ながら医師に頼っておりましたが、翌二十六年三月本教を知り、早速私のみ入信致し御屏風観音様をお迎えさせていただきました。御浄霊を続けるようになりましてから大変経過が良く、外に散歩に出られるようになりましたが、同年八月裏道にて転倒し、後頭部に一寸程の傷を受け、又上から三、四番目の脊髄が少し凹んだ程でございました。その後今回のような発作が時々起るようになり、現在に至っております。夫は昨年十一月入信させていただきましたが、御神体は未だ御祀り致しておりません。又夫は若い頃肋膜炎、肋骨カリエス、胃下垂等を致し、医療にて多量の薬毒を入れております。頭が普通より余程大きく、脳天がコブのように出張り、毒素が非常に溜っております。御浄霊によりまして全身大変柔くなり、ひどい便秘も最近は一日置き位にあるようにさせていただいております。発作の方は以前五日から一週間位続きましたものが最近三日位になり大変御守護をいただいております。併し夫は工合の良い時でも手指が伸びきらず、口がよくまわらず、発作の前後には特にひどくなります。杖をついて外を歩くこともありますがまるで小児のようでございます。そして発作の起る前には必ず便秘が数日間続きます。  私の家は夫が分家し、旅館を経営しておりますが、夫の父が開館のとき近所の産土様の欅の木の大木を買い、福が入ると云う意味で人間大の木彫の福蛙(ガマガエル)を作り現在帳場に置いてあります。一見気味の悪い感じを受けます。訪ねる人々が皆主人とそのカエルが似ていると申します。数年前家の物置が火事になり、私が警察に呼ばれている間にこのカエルが大きな声で「ガオー」と鳴いたと私の母が申しております。当地の救世教支部に所属する信者の中、三人の方がガマと龍神と鯉の出て来る夢を見たことがあり、又他の一人の信者が現在ガマの夢を何回も見ております。  右のような次第でございますが夫の発作は如何なる原因によるものでございましょうか。又木彫のカエルと関係がございましょうか。若しあるとすれば如何させていただいたら宜しうございましょうか。謹んで御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】これは木彫のガマに憑依しているガマと関係があり、薬毒も相当あるので、その為であるから、一日も早く光明如来様を御祀りし、その部屋へ寝かせて、出来るだけ人助けをすると共に、光明如来様へよく御願いすれば、少しずつよくなってゆく、又ガマの処置もガマが救われるように御願いすればいい。

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【お伺】私は妻が肺結核のため廿二年九月入信さして戴きましたが、妻は同年十二月卅一日死亡。その間資格者の方に御浄霊を戴き安楽往生をとげまして、御礼申し上げます。廿二年秋、父親(本年八十一才)が御道に反対の処を光明如来様を御奉斎いたしました為に、暫くして誠に勿体なくも御神体を父親が隠してしまいました。「教会へ返して来るから」と言いましたら出して呉れまして、その後一カ年位教会へ御預けしてありました。廿五年再び家にて御奉斎いたしました。廿六年二月本部御参拝中、又々何処へやら持って行かれてしまい、誠に恐れ多いことを致しました。二度までも御無礼を働きましたことを深く御詫び申し上げ、御許し戴けます様お願い申し上げます。尚一日も早く御祀りさせて戴けますよう御祈り申し上げております。又娘(十一才)が喉頭結核のようで、昨年五月より御浄霊戴いておりますが変化ありません。現在声が嗄れているだけにて衰弱はしておりません。食事も普通に戴いております。右のことと何か関係がございましょうか。謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】これは祖先からの罪穢を多く負っているので、光明如来様を拝む資格がないからであるから、一生懸命人を救い信者を一人でも多く作ることである。その徳によって或程度罪穢が減ると、拝む資格が出来るから、父親が隠そうとしても隠すことが出来なくなる。娘さんの病気もその徳によって必ず治る。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。信徒斎賀常男(昭和二十五年四月入信)入信迄に子供六人を、生後一、二年目位に次々と失い、主人の母親は反対致しておりますが、その他は家族全部入信御用に努力致しております。二十七年十二月には十カ月目の男の子を失い、現在六才の女の子のみ成長致しておりますが、家族も聊か落胆致しております。主人は普通の目には仏様のような好人物にて、若い時から婦人関係とか今迄の常識から見て人道をはずれたことはしたことはないと申しております。一人生存致しております女の子は疥癬、肺炎の浄化を戴きましたが、御守護に依り元気に成育致しております。厚く御礼申し上げます。尚光明如来様を二十五年に御奉斎さして戴きましたが、二十六年隣家に別居している主人の実弟(常に不仲)に強奪焼かれましたことは、誠に申訳なく、深く御詫び申し上げます。二十六年再び御奉斎さして戴いております。斯く次々と子供を霊界に送りますことは、罪業の深さとは言え、如何なる原因でございましょうか。何卒御垂示の程お願い申し上げます。

【御垂示】これは祖先の大きな罪穢の為であるから、それを早くなくしてしまわなければいけない。それには出来るだけ人を救い、徳を積むことである。

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【お伺】謹みて御伺い申し上げます。私は昭和十九年六月左眼下に、大豆位の大きさの痛みも膿も無い腫物が出来、次第に大きくなり、二十年より一カ年、時折り塗布薬の治療を致し、二十一年九月頃より二カ年全く治療を加えずその間次第に大きくなり、二十三年十月頃より医療を加え手術し、一時全治し、半年後再び以前の如き腫物が出来、二十六年十月頃まで手術しては全治し、再発し、その間ストレプトマイシン十本の注射を致しましたけれども次第に大きくなり、以後は医療等一切加えず。二十七年中頃には腫物の大きさは一寸平方位に拡がり、その為左眼は全く塞がりました。痛みも膿もなく日がたつにつれて大きくなるのみでございます。御恵みにより二十七年十月入信させて戴き、月十五回位教会にて御浄霊を戴いています。現在は入信当時より大きさに変りなく、こめかみ付近に疼痛を感じます。御屏風観音様を二十八年一月十六日に御奉斎させて戴きました。前記の腫物は如何なる原因でございましょうか。併せて御浄霊の個所並びに御守護の程御願い申し上げます。

【御垂示】この人は薬毒の被害者であって、一切の腫物は薬毒が固まり、腫れて穴が開き膿が出て治るように人間の躰は出来ているのである。それを知らない無智な医学は折角出ようとした薬毒を、手術で除り乍ら、それ以上の薬毒を入れるので治る筈はないのである。この理は御神書に詳しくかいてあるからよく拝読しなさい。

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【お伺】謹みて御伺い申し上げます。私事九人家族の内御許しを得て六名入信させて頂き、日々御守護の程感謝致しております。今度四女知子(昭和四年二月五日生)の御浄化につき御伺い申し上げます。知子は十才の頃舞踏病に罹り、一命なき処お祈祷者(二名)により仏霊、狐霊の憑依とか申し紙片に何か書き、二日間祈祷の上当家より約百間位東方に右紙片を埋没せしことがございました。そのこと以来健康と相成り現在に及びましたが、二十七年六月頃より心臓の鼓動激しく身体数個所痛むと申し食事も余り進みません。御浄霊致しておりますと身体及び頭部を横に振り或る時は手を合わせ震えております。最近では夜間母親と就寝致しておりますと、三時頃に必ず母親の手首を無意識に強く握ります。日中は何の仕事もせず沈み勝でございます。右何か霊的関係でございましょうか。御垂示の程謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】これは霊的であって、首の周りに毒の固まりがあるから、其処を浄霊して溶かせば、段々治ってゆく。心臓の方は肋間神経痛の為であるから、心臓の周りを圧せば痛い所があるから、そこを浄霊すれば治る。

(地天四十六号  昭和二十八年三月二十五日)

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昭和二十八年五月号

【お伺】御浄霊の場合、主として使用する私の右の掌は、一昨年末頃からと思いますが、御神霊放射能の充満、流動、放出感があります。左の掌にはありません。御浄霊力は放射能感のあるなしによって差異があるのでございましょうか。  御伺い申し上げます。

【御垂示】放射能感するのは本当ではない。右だけ出るものではない。左右同様に出るものである。私の言う通りに力をできるだけ抜けば、そんな筈はない訳である。

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【お伺】私が明主様の有難さを感じます時や、又私が何事かを考えて思い当ったと思う時、私を痙攣せしめ、感泣せしめる祖霊は正守護神でございましょうか、又後者の場合私を痙攣せしめたり感泣せしめたりするのは、私の考え方が間違いではなく的中していることを知らしてくれるのでございましょうか。又正守護神は身体のどの局部に憑依しているのでございましょうか。右謹んで御垂示御願い申し上げます。

【御垂示】正守護神は滅多に憑依するものではない。その人に寄添うているものである。これは御神書にハッキリかいてあるから貴男は読み方が足りないのである。従って感激する霊は極く親しい救われた死霊であってこの状態は左程長く続くものではない。

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【お伺】罪穢多き私達にも日々御守護賜わり、入信後は特に尊き御奉仕の御許し頂きまして誠に有難く厚く御礼申し上げます。この度畏れ多くも大変なことを起しまして、何と御詫び申し上げて宜しいやら、途方に暮れております。明主様御写真に大光明如来様、御書体、五六七の御額に対し奉りまして申訳なくも破損致しましたことを深く深く御詫び申し上げます。不祥事の原因を御報告申し上げます。去る三月三日、十九時三十分頃でございます。第十八号御教え集を拝読さして頂いていた時でございます。妻の次兄が来まして、「お前達は子供もない者が商売もせず、年老いてどうする。自分の家もない者が」と平常の小言でございますが、酒気を帯びておりますので妻と顔見あわせて黙っておりましたところ、「生意気な光明さんが何だ、他人の金をまきあげてみんな上げて自分達は何時も文なしでいて薬は毒だ、注射は悪い、なぞよくもよくもそんな大それた事をいうて、他人にすむか、馬鹿者共が、光明さんが何だ俺の方が余程有難いんだ拝み度いなら俺を拝め」等、すごい顔をしてにらみ乍ら大声に繰り返すので、たまりかねて「神様の悪口いうな」と一言やり返しますと、「兄に向って不都合なことをいうか、この家は俺の家だぞ、俺のいうことを聞かぬ奴は出て行け、たった今出て行け」と益々狂い出したのでございます。この家は私の買った家で当時満洲に居住していました関係で、妻の長兄の名儀になっております。妻の次兄には私達が入信時の昭和二十二年頃から、度々御道の御話しを伝えさして頂いておりますが、理解ができませず、家族の病が御浄霊を頂いて癒されましても感謝の念もなく、月日の経つに従い本教の信仰に反感を抱くようになり、本教の悪口をいいふらすので布教の面にも大変都合が悪くなりました。昨年一月には謀計をめぐらし、私の出張不在中に妻を悪口ずくで以前の住居から追い出したのでございますが、妻の父の計らいで現在の家に住むようになった程でございます。それなのに又も「出て行け」と無法な言葉に私も腹がたちましたので、「何をいうのか」というたのに対して、今にもつかみかかりそうな気配に、相手になる事の大人気ないのを気附いたので、妻のすすめもありましたので、戸外に出ようとした時大きな物音に振り返ると、室の硝子戸を破って妻の上に馬のりになって、「貴様達を殺してやる、殺してしまえば俺も楽になる。お前等の姿を見るのは胸糞が悪い」といい乍ら、髪の毛を掴んでたたいておりますので、室に引き返してみますと、御教え集第十八号は散々に破って散らしてありますので、私も本当に怒って次兄を外に突き出しましたが、こんな者を相手にしていては御用ができなくなると大変だと考えましたので、近所の人に後を頼んで妻の父の家に行った後で、次兄は引き返して来たのでございます。近所の人達が来ました時、二階でバリバリ音がするので、上ってみると勿体なくも大光明如来様の御神体をはずし「明如」の御文字の間を横に引き破り、五、六、七の御額を落してあり、尚、手を伸ばして御写真に近づいたので、後から抱止めたそうです。ところがものすごい力ではね飛ばされ、障子につき当ってひるむ暇に畳の上に落して、御額縁をこわし、畏れ多きことでございますが、明主様御写真の御衿の、おすその辺りに約一寸位の瑕を出かしましたことを深くお詫び申し上げます。御写真の御額縁は新しいのを取り替えさして頂きました。御写真はそのままで宜しうございましょうか。大光明如来様、御書体は三月四日、中教会に御預け致しております。今後の御処置如何致しましたら宜しうございましょうか。御垂示の程、謹んで御願い申し上げます。御詫びが叶いまして再度御神体をお迎えさして頂けます日の一日も速やからんことを御祈願申し上げます。

【御垂示】当分そのままにしていればよろしい。万事神様に御委せしておけば、何れ時が来るからその時御祀りすればいい。このような乱暴されるということは、深い理由があるのであって、いずれは必ず分るから、それまで少しも心配せず待つ事である。因に意外なことがある場合もあるが、必ず意味があるのであるから、乱暴者を恨んだり憎んだりしてはいけない。というのは理由があって神様がそうさしたかも知れないからである。

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【お伺】私は昭和二十四年十月入信、御神体御屏風観音様も御奉斎させて頂き、妻と長女と三人家族にて三人共入信させて頂いております。現在紙箱製造業にて入信以来数々の御守護を頂き、仕事の方も発展致し感謝の日々を送らせて頂いております。この度三月二十七日の春季大祭に妻と長女が御参拝させて頂く都合で、二十六日午後四時頃自家用の三輪トラックに乗り、他の信者一名と三人乗ってバスの乗場に向いました。少し家を離れたところで、道端に子供が七、八人遊んでおり二間程近くに行った時、四歳になる男の子が道の真中に飛んででました。喫驚して車は急停車致しましたが、惰力のために車の前のホロで子供を押して行き、子供は小さい溝に落ち石で耳の上を怪我致しました。早速飛んで降りて子供を抱上げ御浄霊をさせて頂きました。御守護により二十分程で痛みも止り、血も止りました。家に帰って子供の両親にもお詫び申し上げ御浄霊の御話しも致しましたが、両親が未入信のため、とうとう医者にかかりました。その時の運転手は私の使用人で未入信でございます。二十七年五月車を買ってより三回目の事故でございます。右のような事故のため春季大祭に信者三人共御参拝が許されませんでした。これ迄は入信以来春秋の大祭には無事お参りもお許し頂いております。何かの御気附のように思われますがこのような場合どのように覚らせて頂くのが正しいのでございましょうか。謹みて御垂示賜わり度く御願い申し上げます。

【御垂示】勿論お気附けに違いないから、よく考えれば必ず成程と思うことがある。そこで一番考えられるのは、御守護に対し御恩報じが余りに少ない場合、そういうことがある。例えば十と思う御利益に対し五の報謝とすれば、五だけ神様からの借金になるから、御返ししないと祖霊が御気附をするのである。

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【お伺】謹みて御伺い申し上げます。私儀本年三月入信の御許を頂きました者でございます。昭和二十三年大阪の生駒山の行者(鬼塚トメ)が毎月まいりまして、祈祷を受けるうち三年程致しますと、深田千代子(行者の先生の母で死亡しています)の写真を希望せぬのに受けさせられ、その晩より霊憑りになりまして、憑られました時に、「同年令だからこの身はどこに行っても守護してやる」と申したそうでございます。それより段々と身体の調子が変になり、浮かれるような、又足にからまり附いて落ちるような感じを受けるようになりました。それで母親が例の写真を行者に返しました。(受けて二カ月)右の状態になりましたので、今度は真剣に色々と祈祷に迷いまして最後に近所の小島にあります虚空蔵菩薩様の御社に二週間お籠りを致しましたが、その時一度でしたが、御飯の中へ砂と髪が入ってるとか、菜の中に蛇の鱗が入れてあるように見えたことがございました。この御道を知り御浄霊を戴きますと首をくるくる廻し、意識不明となりまして後へ倒れていましたが、入信さして戴きましてからは苦しみが大変楽になりました。御守護の御礼申し上げさして戴きます。誠に有難う存じました。四月十五日中教会御祭に御参拝致します前日より、霊は身体中足掻き廻り、首を絞め附け、胸横隔膜、腹部を圧迫したり、又ひどくふくらしたり致します。今度御屏風観音様を拝受させて戴きました。(御仏壇のできしだい御奉斎御願い申し上げます)主人、子供も御道に御縋り致し、主人の御守様拝受に御神体御奉斎に努力致しています。右の次第でございますが如何致しましたら霊が早く救われましてこの身より離脱致されましょうか、御垂示の程謹みて御願い申し上げますと共に御守護の程伏して御願い申し上げます。

【御垂示】光明如来様を御祀りして、その御部屋へ寝めば直に治る。

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【お伺】信者山口喜代治養女友理子(四歳七カ月)昨年暮より漸次腹部膨満し、一月十一日より気附き、浄霊致しておりましたが、益々張って参り、非常に大きくなり、青筋も目立つようになりました。二月下旬不安な状態となりましたが、御守護により少しずつ尿量も増し、元気を取り戻して参りましたが、その後一進一退、依然として腹部の腫れは変りございません。排尿は二時間おき位にウイスキーグラス一杯半乃至二杯あり、盗汗は流れる程出ます。食慾は割合にあります。御浄霊は私が十日に一回、あとは一日に数回、古い信者や両親等が致しておりました。一時、一日一回の御浄霊に致しましたら尿量が減って参りましたので、又数回致しております。最近痩せが目立って参り、二、三日前より「死ぬのはいや」「死ぬ死ぬ」とか申し、悲しそうに目に涙をためたり、又母親をからかう如く、ニヤッと笑い乍ら申します様は子供とも思えぬ状態でございます。右につき、御浄霊の箇所及び一日の御浄霊回数等御教え賜わり度く、お願い申し上げます。尚床の間の真裏が便所になっており、御神体に後を向ける形になりますので非常に気に致しておりますが、お伺い申し上げます。

【御垂示】急所は腎臓と膀胱であって、これは訳なく治るのだが、浄霊者が間違っているのであろう。それは右の個所を数多く浄霊すること浄霊の場合力をできるだけ抜くことである。

(地天四十八号  昭和二十八年五月二十五日)

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昭和二十八年六月号

【お伺】謹んで御伺い申し上げます。度々御垂示戴いております「稲荷」の処置についてでございますが、私は八歳の時当家へ養女となり、(養母藤本ヤス、十五年前死亡)が祀っておりました祠を調べましたところ「大元稲荷大神」であることが分りました。養母は四度夫をかえ(三人は生別れ、四度目は死ぬ迄連添っていました)女ながら分家しており、本家は絶えましたので祖先からのを貰って来たのか、自分が祀ったものか解りませんが、二十七年前から祀ってあったのは記憶にございますが、それ以前のことは判りません。現在の場所に家を新築して引続き祀ってからは十七年になります。御祀りしてある場所は大光明如来様御奉斎の隣室の鴨居に棚をして他の神様と一緒に祀ってありましたが、二月十一日全部の神様に御帰り願うべくお祀りを済ませ、祠の処置をと思い、もう一度御神書を拝読させて頂きまして、手落のある事に気がつき御伺い申し上げ、御垂示頂く迄の御守護を御願い申して御神前の一段低い所に、一寸した台を置きそこに祀っております。毎月の御祭りは致しておりません。正月と氏神様の祭礼の時御神酒をお供えし、榊は枯れた時取りかえております。御教えには伏見、豊川等より御神体をお受けしたものは、光明如来様御奉斎後一年位で処分してもよいが大祖先よりのものは一代、野狐等は三年位と御垂示戴いておりますが、私の場合は如何致しましたら宜しゅうございましょうか。  なお、家族の状態は娘(養女二十二歳)と二人切りにて(夫は戦死)二十五年五月に二人共入信させて戴き、同年七月千手観音様を、二十六年一月光明如来様を、二十七年十二月大光明如来様を御奉斎させて戴き、家業(衣料品販売業)の傍、御用に専念させて戴いております。

【御垂示】稲荷の事は支部長に教えてあるから支部長に訊きなさい。

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【お伺】謹みてお伺い申し上げます。私は去年十二月、娘の大浄化を御守護いただき、入信させて戴いた者でございます。去る四月十日信州上山田戸倉温泉へ遊びに行き、お風呂場の脱衣場の釘にお守様をかけたまま置き忘れて帰宅しましたので、早速手紙にて問い合せしましたところ、三日後に書留で郵送して参りましたのです。その時は気附かずにおりましたが、後程お守様を郵送して貰い誠に御無礼をしたことに気がつき申訳ございませんでした。五月八日会長先生にお守様の御浄霊をして戴き、現在そのお守様をおかけ致しておりますが、このままでお許し戴けますでしょうか。何卒御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】それは絶対いけない。いつでも私が浄めて上げるから持って来なさい。会長にもその由伝えなさい。

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【お伺】明主様日々御守護有難うございます。厚く御礼申し上げます。私事昭和二十七年十一月十一日入信のお許しを戴きまして有難うございます。翌月御屏風観音様御奉斎のお許しをも戴きまして有難うございました。私の夫の病気に就きまして恐れ乍ら謹みて御伺い申し上げます。夫(文春五十五歳)の歩き方が変だと感ずるようになりましたのが初まりで、それからじりじりと右手右足の運動が鈍くなり遂には全身に硬直が来まして八年になります。三年前から着物も自分で着られないようになりました。多年の豪飲の故とのみ思っておりましたが医者は戦争疲労のためともいい、血液検査しまして陽性とのことにてサルバルサン三、四十本打ちました。その間カイロプロクテック指圧療法鍼灸温泉療法など続けて参りました。次第にお尻が突き出て前屈みに膝がガクガクして中心が取れず妙な恰好になってしまいました。震顫(シンセン)麻痺の症状によく似ており脊髄癆のようでもあり、口が吃り言葉がよく分りませんので中風の様でもありますが、頭脳は分明りしております。知覚神経が過敏で運動神経麻痺のため起居動作が困難であります。頭、口唇及び手先が痙攣しており口唇近く耳を寄せますと、歯がカチカチと鳴りますので実に気持が悪うございます。又少しの物音も気になって、一時二時でないと就寝せず、敷蒲団の位置と厚み、敷布の継のある場合の位置、枕の位置、堅さなどいつもと異っていますと、元通りになるまで気にしております。血圧は低く首、肩、腹、腰、足、鼠蹊部、手足などコチコチに固く顔及び足の甲が浮腫んでおり御浄霊を頂きましてより一週間目より死相が表はれていた状態がなくなりました。又夜は小便が何回となく催していましたのが、遠のいて来ましたことと、ちょっとした刺戟にも体中苦になって一睡もしない夜が幾月か続いておりましたのが、この頃はそれ程のことはなくなりまして誠に有難うございます。現在は御浄霊を頂きまして半年余になりますがこの頃はだんだん全身の力が抜けていくような気がすると申しておりますが、日に一度は二、三丁の処をソロリソロリ散歩しまして他は腰かけたり、ねたりしております。又就寝します時は蝦のように足を曲げてねるのですが、そのうちに足の股関節が痛くなり、仰向けになると股関節の痛みは取れて今度は腰が痛み、左に向くと腰の痛みは除れて左肩が下に押えられるため、そこが痛くなります。又掛蒲団の重さを大へん気に致します。右謹んで原因及び御浄霊の急所を御教え賜わりたく御願い申し上げます。

【御垂示】原因は薬毒であり、逆中風であるから、浄霊によって薬毒の減るだけ治ってゆく。急所は触って熱のあるところ、痛み、無感覚、凝りのあるところを行ればいい。特に首のまわりの固まりを溶かすことである。

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【お伺】私は昭和二十五年、妻は二十三年に入信さして戴き数々の御守護と共に光明如来様を御奉斎頂き、二十六年二月二十日に長女晴子(当年三歳)を安産さして戴き一家喜んでおりましたところ、生後一カ月頃より晴子の左胸下部に異様な音を発し(息をする度にグウグウ聞え)その度に御浄霊戴き、時々そのような音が聞える程度迄に御守護戴き、後一カ年間順調に発育させて頂いておりましたが顔色は青黒く、血色なく、昨年十二月より御浄化を戴き風邪位に思いその都度御浄霊しておりましたが、母乳だけを呑み食物も水物も欲せず、毎日のようにムツガリ全身黄白となり、耳タボから先方が見えそうな程の色になりました。  この頃から隣家も毎日うるさく私の弱さからそれに負け支部に相談もせず医診頂き貧血であるからと妻の血を輸血一回致し、支部に御話し致しましたところ、輸血の誤りを教えて戴き乍らも未だ覚り得ず、他の医師に行き貧血の原因不明と薬一服もくれず、七、八日経て又他の医師に来診願い、出産後からのことを話しましたところ、先天性貧血ですから医療の施しようもないと聞かされ、ここまで参りまして漸くどうしても神様に御願いしなくてはと迷いからさめさせて戴いた私を先ず申訳なく御詫び申し上げます。爾後御浄霊させて戴き、御参拝も三回戴き御参拝帰宅後二日間位非常に元気で食欲もサジ二杯位は戴きますが又元気なく食事も菓子も子供の欲するような物を持たせても口にせず、不思議に消炭、灰、煙草の粉、小石、生米等を食べ、特に消炭を欲し、衰弱した体をよろよろして消壺のところ迄歩き小さい炭を食します。三月頃一時は止まりましたが四月頃より再び始め、無理に止めますと泣いて欲しがります。便は炭のように真黒です。他の食物は一切欲せず、只母乳だけは放しません。私も幼時紫斑病、敗血病、腺病質でありましたし、妻も敗血病、歯槽膿漏等をやっており、妻の実母が死んだ時の病症が子供の現在と同一点があり、只食物がそんな変なものを食さなかった点のみが違うだけでございます。このような状態で毎日困らせられておりますが、勿論私達の間違いの結果によるものと存じますが、左記特に御垂示賜り度く御願い申し上げます。

一、消炭や小石、灰等を欲する間しかたなくくれておりましても差支えないもの  でしょうか。

二、最初一カ年間発育順調にさせて戴き御守護賜わり乍らそれの感謝が伴なわな  い結果によったものでございましょうか。

三、霊的と親の薬毒の両原因によるものと存じますが、私達の御詫びと徳の程度  によって御助け戴けるものでございましょうか。

四、只今先ず重点として何を為すべきでしょうか。

右謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】原因は親の飲んた漢方薬中毒と祖母の霊と動物霊の憑依である。貴方は信仰の事が余り分っていないから、今後は出来るだけ御神書を読むことであって、信仰さえ本筋になれば必ず治る。

(地天四十九号  昭和二十八年六月二十五日)

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昭和二十八年七月号

【お伺】信者、渥美政吉、長男守(四歳一カ月)本年五月五日より漸次腹部膨満し、最初の頃は無熱無痛でございました。尿量は普通より少し少量かと思う程度でございました。御浄霊は私と妻がやらして頂いておりました処、一週間後より午後二時頃から夕方まで発熱が続き、夜は夜中の二時頃より朝方まで熱が続く様になり、その頃より食事も進まず、大人の三口位程度しか食いません。尿量も次第に少くなり腹部は益々張って参りまして、青筋が目立つ様になりました。支部の先生にも御浄霊をお願い致しておりますが、自家にて一日数回私と妻が代る代るやらして頂いております。現在の処一進一退の状態にて腹部の腫れは変りございません。御浄霊は腎臓、膀胱、尿道、腹部を重点としてやらして頂いております。最近は特にやせが目立って参りました。尚、子供(守)が仏壇が気がかりの様子にて一昨日も仏壇を指差し、あれは字が書いてない。と言いますので見ますと、廃家になっている本家の位牌でございました。本家の位牌と申しますのは、何年前に廃家になりましたのか、又何年頃より私の家にてお祀りしているのか分りません。先代より廃家になった本家の位牌だと言い伝えになっておりますので、相当昔かと存じます。この様に古い位牌ですので戒名は消えてわかりません。何となく気にかかりますが、守の浄化と関係がございましょうか。戒名の消えております本家の位牌は如何致しましたらよろしいでしょうか。守の浄化につきまして御教え賜わりたく謹んで御願い申し上げます。尚、御神体は昭和二十七年四月十八日御奉斎賜わっております。仏壇は三段にて上段に御屏風観音様御祀り、二段目中心に渥美家先祖代々、向って右に祖父母、左に私の妹、子供、本家の先祖の順序に御祀り致しております。

【御垂示】位牌はそのままでよろしい。原因は膀胱の上か、下の尿道口が毒結に圧迫されている為であるから、そこを狙って浄霊すれば、必ず治る。併し思うように治らないのは手に力が入るからで、力を出来るだけ抜けば治る筈である。

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【お伺】謹みて御伺い申し上げます。信者、渋谷一太郎(四十五歳)前に北海道雨龍郡沼田町昭和炭山にて大工職を営んでおりましたが、昨年六月頃より胃の工合悪く十月下旬までは動きながら(胃腸薬クレオソート丸二○○個入り五瓶、ノルモザン一八○個入二瓶、ネオヨーソ一○○個入り四瓶、オーレオマイシン一六個入一瓶)を服用致しましたところ、次第に悪化し十一月初め医師より胃癌の初期と云われ、内地療養を思い、十二月初め妻の実家に帰り、尚、鶴岡市の外科医に診察して貰いましたところ、やはり胃癌と云われ、手術を勧められましたが、その気になれず、思案しておりました処へこの御道の話を伺い、十二月十九日より中教会本部にて御浄霊頂く様になりました。三十回程通いますうち胃の固結には変化ありませんが、圧迫感が幾分とれ食欲も少し出て参り、大変工合が良いと申し、二月六日妻と共に入信致しました。その後再び苦痛が激しくなり、遠方でもありますので、本部へ参りますのも容易でなくなりましたので、三月末頃より私が出張御浄霊御取次をさせて頂いております。苦痛は胃の上部より臍の辺まで上下動致し、殆んど毎夜九時頃より二時間程激痛があります。固結は胃の上部に握り拳大のがあり、以前よりは大きく軟かくなった様でございます。尚、この固結は御浄霊致しますと移動致します。左肋骨下部裏側にも小さいのがあり、やはり痛みます。腰部も苦しいと申し、上体が真直ぐに伸せません。  五月下旬頃肛門部に梅干大の固りが飛び出て排便の際、多少痛むと申しますので、御霊紙を貼らせて頂きましたところ排膿もせず小さくなり、只今は少し残っておりますが殆んど苦痛はないと申します。最近一進一退でした食欲が特になくなり、衰弱を増して参り、用便に漸く立つ状態にて今迄少量ながら水の様な物を吐いておりましたが、今は吐気のみで出ません。熱は頭部と胃部に少しあります。御浄霊は私が、一日一回、本人の妻が一日二、三回させて頂き、個所は胃の裏表を主とし、後頭部、首、肩、腎臓部、腰部、尾 骨(ビテイコツ)を致しております。北海道におります頃、胃の薬だと云われ青大将を食したことがあると申します。尚、弟が胃癌にて死亡しております。御神体、御屏風観音様を中教会へ申込みさせて頂いております。右謹んで御守護御願い申し上げますと共に御垂示賜わりたく御願い申し上げます。

【御垂示】これは薬毒癌である。この人は肩に固りがあるから肩を専一に浄霊し、軟かになるに従って治ってゆく。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。私は三十四歳頃より大酒のみになり、アルコール中毒になりましたので、妻が心配し、河内の石切神社に願をかけました処、約半年程の間は余程少くなりました。その頃玉光教の霊媒により、私の大酒のみは実弟(二十四歳死亡)が昭和十年頃、上海より持ち帰りました支那の七賢人を、神戸で友達に分ち二体を家へ持ち帰りましてから淋病や肋膜炎、終には結核性脳膜炎で死亡致しました。その原因は「七賢人を分霊させた、たたりと、その上まだまだ災難の続くところ、妻が助産婦の業を致しております故、私が大酒飲の程度で済んでいる。今では中毒になっているから今年中に命のないところ、神様へ対する誠によって命を頂いたのですよ」と言われ、今後絶対に災難のない様にと、七賢人より彫刻した人の霊を抜いて戴きました。その後(昭和二十四年三月)救世教へ入信の光栄に浴し、只今大光明如来様御奉斎、大光明の御守様も妻と共に拝受、御守護により入信後、十カ月程は全く止っておりました酒を、二年程前から又飲む様になりました。これは、七賢人の霊の上へ遠縁の酒飲みの車夫の霊もかかっているとのことでコップ酒を好みます。七賢人は何とも言えぬ凄い顔を致しておりますので、家へ置きたくないのですが売ることも出来ず、そのまま違い棚の上に置いてあります。先日長男(二十二歳)が意識不明の御浄化を戴き、先祖が出て参りまして「七賢人は美術館に献納させて貰いなさい。すると、七体が自ら集って来る」と、申しましたが、如何させて戴きましたらよろしゅうございますか。又、七賢人の霊及び作者の霊は果して抜けておりますでしょうか。私の酒飲と、七賢人及び酒飲の車夫の霊とは如何なる関係がございましょうか。尊き御神業の一端を全うさせて戴きたく、右謹んで御伺い申し上げます。何卒御垂示の程御願い申し上げ奉ります。因に七賢人は黒檀で刻まれてありますが、作者、年号とも不明でございます。

【御垂示】最初十カ月間止った御守護に対し、相応な報恩をしないからであるから、そのことを第一に御詫びをすべきである。そうして物質なり、信者を作るなりして、力の限り御役に立つことである。そうすれば、酒も止み、万事都合よくなる。次に七賢人はそのままにしておいてよろしい。

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【お伺】私の夫薫次(六十八歳)は三十年前胃腸が悪くて入院したことがあり、その頃より両眼共次第に薄くなって、当時眼薬を少し入れたことがありますが、何の効果も見えないので、その後大して医薬は加えておりませんが、七、八年前よりは薄明りがわかる程度になり、困っておりました処、お道を知らされて、昭和二十三年十月、夫婦揃って入信させて頂き、続いて長男、次男、長女と入信させて頂き、二十四年には、大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて頂きました。夫、長男も熱海本部にお参りさせて頂いたこともあり、一年程は信仰も続けさせて頂いておりましたが、夫は自分の眼が良い方に向わぬためか、他の方では御守護を頂いていても、それに気附かず、夫、長男はお守をはずす様になり、御神体に朝夕の御参りも致さぬ様になりました。長女はその後嫁ぎ、次男も二十五年同村に養子に行きましたが、種々事情もあって、一年程して子供一人出来てから離縁して帰って来ました。家に帰ってから家の品物を次々と持ち出して売払い、金も散々使います。幾ら注意しても聞き入れず、思う様にならぬと乱暴致します。自分のお守は品物に入れたまま売払って、現在お守は持っておりません。本年四月金銭の問題から気に入らぬことがあり、乱暴致して、恐れ多くも御神体に手をかけ、「明」の御文字に一寸程の傷をつけてしまいました。かかる不祥事を引起しまして、何ともお詫びの申し上げ様も御座いません。何卒々々御許し下さいます様御願い申し上げます。次男が金も使い果して、家は経済的にも大変困っていても、夫、長男はお縋りする気持になれず、現在二人共お守をはずしております。私も主人の言う通りにしていたら信仰は出来なくなりますが、現在の処は月一回位支部にお参りする程度は許してくれます。私一家の罪の深さを覚らせて頂き、近頃時折布教に出ますと、知らせたいと思う人に出合ったり、偶然病気で困っている処に行ったり、不思議に都合よく行きますので、度々布教にも行かせて頂きたく念願致しますが、度々家を出ることは許してくれません。又私が出た後で用件が出来ており、家がごたごたすることがよくあります。私の進むべき道は如何に致しますれば宜しいので御座いましょうか。破損致しました御神体は如何がさせて頂けばよろしいので御座いましょうか。謹みて深く深く御詫び申し上げますと共に御教示御願い申し上げます。尚一日も早くお詫びが叶って再び御神体をお迎えさせて頂き、家族揃って御神業の御許しが頂けます様御祈願申し上げます。

【御垂示】大体この家は祖先以来の罪穢が大いにあるので、それが根本原因であるから、そのつもりで貴女は光明如来様を新しくお迎えして、罪の御詫びをし、一日も早く幸福な家庭になるよう心から御願いすれば、必ず御聞き届けになる。但し焦ってはいけない。気長に時節を待つことと、一人でも多く信者を作ることである。

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【お伺】謹みて御伺い申し上げます。私が扱わせて頂いております信者の中に先祖代々から家の中に祀ってありました正一位稲荷のことで御座いますが、五年程前に御教えを頂きまして、その節聞違い致しまして外へ宮を建てまして光明如来様の御奉斎日に外へうつしました処、二、三年はなにごともなく過させて頂きましたが、昨年の十月頃よりそこの奥さんが大浄化の際度々憑霊致し、外へ出されたのが残念だ、狐の財産を自由にしたから、奥さんの生命を取る等、種々申しましたが、救世教のお話をよく聞かせて上げ、先方の要求も入れて上げましたところお詫びして、再度出ない、地上天国建設のお手伝いに協力する約束で帰りましたが、最近に於て、又その状態を繰返している様なわけでございます。再度家の中へ入れるべきでございましょうか、如何致しましたら宜しゅうございましょうか。御垂示賜わりたく御願い申し上げます。

【御垂示】その稲荷は何時頃から祀ったのか、どこの稲荷の分霊か、何という名前か、それから毎月稲荷の御祀りをしますか、それを知らせなさい。

(地天五十号  昭和二十八年七月二十五日)