「地上天国誌」第31号~第40号

【お伺】釈尊の生れ変りは印度のネール首相と承りましたが、御魂の稚姫君命は現在日本に居られると思われますが、如何で御座居ましようか、御伺い申し上げます。

【御垂示】稚姫君命は大本教祖、出口直子刀自であつて、刀自昇天と共に、霊界へ往かれ、現在非常な御働きをされているのである。

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【お伺】信仰雑話に依りますと、釈迦の御魂は稚姫君命との事で御座居ますが、伊都能売神が印度に渡られ、若き釈尊、善財童子に御教え垂れ給われたとの事ですが、此時已に善財童子は稚姫君命の御魂を御持に成られておられましたのでしようか、右御伺い申し上げます。

【御垂示】稚姫君命は、伊都能売之神様の妹に当る神様であつて割合年若き頃他界され、霊で印度へ渡られ、善財童子として再生され給うたのである。

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【お伺】天照天皇は伊都能売神の弟神と御開示戴きましたが、伊都能売神の御兄弟は長女が天照皇后、次男が神素盞嗚尊、次女が稚姫君命、三女が初稚姫の五柱とも承りました。以上に依りますと天照天皇は伊邪那岐尊、伊邪那美尊の御子様ではなく他の神様の御子様で、俗に申せば御養子と言う様に解釈させて頂きまして宜しゆう御座居ましようか、右謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】それは違う、やはり伊邪那岐、伊邪那美の神様から御生れになつた神様である。

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【お伺】素盞嗚尊が八岐の大蛇を退治された時、尻尾から一振の銘剣が出たので、それを天照大神様へ献上されたという伝説が、若し真としますと、八岐の大蛇は剣のみ呑んでいたのでありましようか、或は誰かその様な銘剣を佩びた「尊」でも呑んでいたのでしようか、尊なれば何尊で御座いましようか?御垂示の程謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】勿論人間を呑んだに違いない。又呑まれた人は当時の最高位の御方でもある。というのは其剣はツムガリの太刀といつて、尊い霊刀であるからである。之に就ては神秘がある。それは大蛇の尾から出たのであつて、此太刀というのは世を救う御魂である。八岐の大蛇は、悪の世界に譬へられ、其尾というのは下層階級という意味で下層から神人が生れるという謎でもあるのである。

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【お伺】地上天国第二十九号御讃歌中の「ミカエルの吾」を御教示下さいませ。【御垂示】ミカエルの意味は、言霊学上からいうと、身を変える即ち応身という事であつて、つまり、私の働きであるからである。

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【お伺】入信以来数々の御守護を戴きまして感謝の日々を送らせて戴いています。今年夏頃より三回も龍神退治の夢を見たのでございます。

(一)斎藤ハルエさんの御浄化の時に赤龍を焼殺した夢を見ました。

(二)桜井キヨさんの御浄化の時に黒龍を叩殺した夢を見ました。

(三)加藤正一様の御浄化の時に赤龍を焼殺した夢を見ました。

右に就いて自分でも不思議でなりませんので、早速霊眼の開けた神の子の奇蹟、山形県西村山郡溝辺村丹野隆夫さんに御伺い致しましたら、「此の夢は正夢で御座います。貴方はこれ迄も龍神と戦つて来ましたが、今後も龍神と戦うようになるが、後日龍神も滅びます」と言われましたので、自分も吃驚しましたが、之もメシヤの神様のお仕組と思い、今迄より一段と此御救の道に頑張らせて戴く心算でございます。故に右の夢の正邪に就いて又自分と龍神との関係、又今後如何様に考えて進んだら宜しいのかについてお伺い申し上げます。家には大光明如来様、千手観音様、大黒様とお屏風観音様と金龍をお祀り致して居ります。

【御垂示】之は夢の通りであつて結構である。今後は御神書を出来るだけ拝読して、その通り進めばよい。

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【お伺】昭和二十六年十一月十三日午後八時頃長崎市小瀬町信徒杉本(エイ)弘さん方仏壇に向い、先祖祭の際、後方参拝中の前記(エイ)弘さんに神霊らしき憑霊あり、次の如き問答及処置を採りましたが、此現象及び私の採りました処置に就きまして御垂示賜わり度く御願申し上げます。因に本年六月も(エイ)弘さんに守護霊の憑霊がありまして地上天国第二十五号教の光に誠に有難き御垂示を賜わり其後御用も発展に向いまして只々御神意の広大無辺なるに感謝の日を専心御用させて頂いて居ります。

問答

問(私)此夏お憑りになつた守護霊でしようか。

答(霊)頭を左右に振りつつ「違う」と言つて合掌の儘仏壇左上方(神棚の方)  を指差す。

問(家族)あゝ宮地獄さんですか。

答(霊)そうぢや宮地獄ぢや。

問(私)何故にお憑りになりましたか。

答(霊)此家に居りたくない。いやぢやいやぢゃ早く帰らしてくれ、此方は今迄  邪魔して居た。お祭にも一人も参らぬ様にしたのも此方ぢや。

問(私)大光明如来様が奉斎されてから苦しいですか。

答(霊)苦しい苦しい。いやぢやいやぢゃ。

問(私)では今後あなたの希望通り明朝有難い祝詞を奏上して家族が本社にお送  りしますから、今後は此の世界人類が救われる尊い御神業に御協力下さい。明主様の御神書に依り、霊界は今てんやわんやの状態との事ですから、私共  は今メシヤの僕として日夜御用さして頂いて居ります。何うか御協力して下さ  い。

答(霊)(頭を低く下げて首肯の後、仏壇の方を指差して)屏風観音様をもう少  し高く上げろ、位牌の順序が違う。一番左のは後ろに引込ませろ。(家族は霊の言う通りに位牌の順序を変え、左方の繰出位牌は後方に置替える。)

問(私)先祖様が頼まれたでしようか。

答(霊)違う神様からぢや。

  尚次には又先祖が頼んだと言う。

(私)どうも種々お知らせ有難う御座いました。祝詞を今一回奏げますからお帰り下さい。

と申し浄霊致しますと本人は静かに常に帰り、夢見た様な顔をしてホツとした様子にて、「全然言つた事は判らない、終りの方は少し覚えている様である」と申します。そうして私及家族より話を聞き、昨日宮地獄の掛軸をもう片付けてよかろうと思つて何気なくクルクル巻いて前記神棚に上げたのが、やはり先祖祭にて知らして頂き、全く今迄一生懸命御用してどうもうまく行かなかつたのが判つた。そして軸類等に凡ゆる霊の実在を知ると共に、今後の取扱に依つて協力して頂く事の大切である事、又御位牌は向つて右より順序正しく祀る事、又前後の順は前方が上位である事も判りました。以上終つて直ちに二人の参拝者があり、全く霊の働、霊主体従等ハツキリと痛感致しました。又一面邪神は今迄邪魔していたのが光明如来様奉斎後、日の経つに従つて平伏して御協力申し上げる事の実態を体得しました。翌十四日午前八時軸を掛けて御饌供をして祝詞一回奏上言霊にて送る事にしまして、(エイ)弘さん外家族一名と長崎市内の福岡宮地獄分社に御送り致しました。

【御垂示】之は嘘ではないが、祖霊の一人が一時邪神の家来になつていたのが、本教信者になつた為、改心したのであるから、結構である。之から大いに働くであろう。

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【お伺】昭和二十二年から、妻が肺結核にて就床し、同二十四年に少し良い方に向いましたので、二十五年一月三日より住宅の建築に取り掛り、三月完成、新宅に移り別状なく暮して居りました処、八月十五日より妻の病気が再発し、次第に病状は悪化し、九月十九日死亡致しました。其後長男が九月二十七日より肺結核にて通学も出来ず、自宅にて療養致して居りました。其頃より家庭内に争い事が多く、不和の日常でございました。昭和二十六年二月親戚より再婚の話が持上り、二月二十六日現在の妻を迎えました。長男は妻の御浄霊にて御守護を頂き全快致しました。四月二十一日、御屏風観音様を御奉斎させて頂きました。其後家庭内に種々浄化を頂いて居ります。妻が祖先さんを御祀りして居ります部屋の真中及一番上座に行きますと、頭が重くなり、眼が廻り、意識不明となり、御浄霊を受けますと恢復致します。子供も此場所に行くと「忠を連れて来い」と言つて殴つたり蹴つたりして怒ります(忠は先妻の末子にて先妻の実家に預けてあります)ので、十月二十三日に連れて参りましたが、長男は前記の場所に行きますと矢張り怒り出します。又長男丈でなく、他の子供も同所に行きますと、必ずすねたり怒つたり致します。妻が前記の所に寝ると横腹が床に吸い附く様になり、取ろうとしても仲々取れず、苦しみます。六月十八日に私が入信させて頂きまして間もなく霊が出まして、昔旅の武士が大井川川越しの際「くもすけ」に殺され、私の屋敷に埋没されて居ると申します。古い人達の話に依りますと、私達の町内には昔から種々な災難が非常に多いので、私の近くの池に水神様をお祀りしてあると申します。私が入信させて頂きましてより災難も少く、町内の人達の気持も大変明るくなつて参りました。妻の浄化及子供の怒るのはその武士の霊のためでございましようか、又妻は十二月中旬出産予定日になつて居りますが、私の家は二部屋しかなく、出産は前記の部屋にてもよいものでございましようか、同部屋に床の間がございませんので、据床にして、光明如来様を御迎えさせて頂きたいのですが、霊的の部屋に御奉斎させて頂きましてもよろしいものでございましようか、御垂示賜わり度く謹んで御願申し上げます。

【御垂示】そういう悪霊の居る部屋こそ、一日も早く光明如来様を御祀りすべきである。無論その処には苦しんでいる死霊が祀つて貰うか、救われて貰いたいという執着から知らせようとしてやつているのである。併し御神体を御祀りするのは勿論、常に其位置に向つて、祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏げてやれば、救われて解決するから、何等心配の必要はない。御産も其部屋で差支えない。

(地天三十一号  昭和二十六年十二月二十五日)

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昭和二十七年一月号

【お伺】高橋光毅八歳(廿四年五月入信)本年就学期の男児でありますが、精神耗弱頭脳の働きは三、四歳位の低能で、常に夢見るが如く朦朧としておる様であります。身長も五歳位です。此児は憑霊現象のため(二歳の時鶏に殺された幼児憑依)昭和二十四年五月、明主様の御垂示を賜わり、其霊は離脱致しましたが、爾来色々な異状を呈して現在に至つております。前記憑霊現象は四歳の時二階階段上から八尺下の板間に転落し、前額右眉上部を強打してから後のことであります。御浄霊によつて今は癒りましたが、この打撲箇所を浄霊すると、お光の焦点を反らすように頭を傾ける動作を数年間続けました。

変つた点を列記すると

一、蚊張を吊つた最初の夜、床に寝せようとしても嫌だと泣き喚き中に這入りま  せん。天津祝詞を奉唱しつつ蚊帳と本人を浄霊すると床に這入ります。このよ  うなことは三日続きました。

一、終日独言を喋つております。口から出まかせの出鱈目を云つております。一、公衆の前に出ることを非常に嫌い、劇場、催物場、理髪店等凡そ人の集る所  には行かず公衆浴場は嫌い、家庭風呂は這入りますが、上体はお湯につかりま  せん。

一、悪戯が烈しく、玩具屋に入つて売物の玩具を外に投げるとか、呉服屋に行つ  て反物の上を下駄履きのままで歩き、ゲラゲラ笑つて逃げて来ます。紙を裂く  ことを好み、絵本などは直ぐ切り破る等の悪習が甚しいのであります。

一、救世教の上の先生が見えると、姿を見るや脱兎の如く一目散に逃げ、裏庭の  隅に隠れて息を殺しております。この際御浄霊をしてやると素直に家の中に這  入つて来ます。

一、寺院、仏閣の境内に立入ることをいやがり、仏事の時、衆僧の読経している  席へは寄附ません。寺院の本堂などは特に嫌いで、鐘の音を聞くと気違の如く  泣いて逃げます。然るに神社の参拝は平気であります。

一、食物の好みも変つております。御飯は温いのしか食べません。副食物も、例えば浅草海苔を欲すると三度三度そればかり食べ、一カ年以上も続きました。鶏卵、刺身等々同様です。このような時は仏壇にそれを供えて供養していると自然に止みます。お菓子は上等品を欲し、甘くてもサツカリン混入のものは食べません。お茶を非常に好み、上等の煎茶を望みます。

一、特に変つていることは、外科病院の前は絶対に通りません。何町も離れた遠  くの道路にいても、その方向に曲ろうとすると既にそれを感知して他の方向に  逃げます。偶々病院の付近にゆけば、逃げて自宅に帰ります。然るに外科以外  の病院は何んともありません。又、町中を歩行中、或る家の前に来ると、その前を通りません。外科病、又  は、この家の中には、何にかこの児に丈け見ゆる恐ろしい物があるように感じ  られます

一、余念なく遊んでいる時、突如として腰が立たず、恰も中風症状の如くとなつ  たり、又は小児麻痺の状態となつたことが二三回ありました。この場合御浄霊  二三日にして平癒しております。

一、本教に関する重要な話を始めると側に来て訳の判らぬことを喋つたり、悪戯  をしたりして邪魔をします。

一、腹に手を当てると、ゲラゲラ笑つて当てさせません。御浄霊を嫌がる時と、  自ら進んで望む時とがあります。

一、四、五歳頃は、天津祝詞、善言讃詞を暗記して神前で奏上しておりました  が、この頃は勧めても唱えません。

一、面相は普通の子供と変りなく、白痴的馬鹿面もしておりません。良く笑う児であります。

父母は有資格者であり、大光明如来様の御神体を奉斎し中教会支部として御奉仕に専念しております。因に現在居住しておる家屋宅地は母の生家であり、数百年伝来の旧家でありましたが、その家の子女達は成年に達すると次々に死亡し八人の兄弟姉妹が七人まで夭折し、光毅の母親只一人生き残り、既にその父母亡き後は一家断絶の悲運に遭遇しておる因縁の家であります。尚光毅の父は十年前本教に救われるまでは、漫性胃腸病の為、数十年に亘つて薬剤を用いた身体であり、母も元来虚弱体質の者であります。右の様です。如何なる原因に因るのでしようか。又御浄霊箇所は何処を致すべきでしようか。

【御垂示】之は医学でいう小児精神病といつて、偶にはある病気である。勿論、幼児の霊の憑依であるが、之は変死の霊で、祀られていないか、或は祀り方が間違つている為である。そうして此憑霊は、外科手術の如き障害の為死んだ者であり、又祖先からの怨みの霊の復讐もあるが、怨みとは種々な動物霊が殺された為もある。要するに之を普通位迄になるには、数年以上かかると見ねばならない。浄霊の箇所は前頭部から頭の中心を主にし、首の周りを次にすればよい。幸い信仰による人助けをしているので治る可能性があるのである。

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【お伺】五十才の女(廿六年三月入信)二十三年六月頃より病床の人となり、色々と医薬に頼りたるも腎臓結石の診断を受け、手術前夜に御道の話をして一先ず手術を思い止めさせ、二週間で御利益をいただいた熱心な信者です。ところが二十六年九月二十七日夕方、西南に有る浅い井戸へ水くみに行くと煙がもうもうと立登り、はつと驚き見ると本人の胸より煙の出て居る事がわかり、あわててもみ消しました。そしてみると御守「御光様」のケースの下の方(カクシタクロ)が親指でおさえた程焼けて居ります。これは何かの御知らせでしようか。又霊的でしようか。お伺い申し上げます。

【御垂示】之は別段気にする程の事はないから、早く忘れて了いなさい。

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【お伺】畑作に於て甘藷の裏作に麦(陸稲も同じ)を栽培するのが定石となつて居りますが、之に準じて実験致しました処、自然農法の成績は余りよくなく、特に麦は悪いのであります。甘藷、麦に限らず一毛作にするのが自然でありましようか。麦収穫後畑は何も作らずあけておいた方がよろしいのでございましようか。お伺い申し上げます。

【御垂示】自然農法は、一種類に限るのであるから、連作が最もいいのである。土は無肥料によると、土自体は自由自在に力の発揮が出来るから、一種類に対して、それを生育させる力が益々加わる。処が外の種類を混ぜると、土は新規蒔直しになるから、どちらも成績が悪くなるのは当然である。之で判つたであろう。

(地天三十二号  昭和二十七年一月二十五日)

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昭和二十七年五月号

【お伺】芸術家や芸術鑑賞力のある人は、一般的に言つて曇りが少い訳でありますから、本教へ導き易い訳で御座いましようか。

【御垂示】そういう意味も確かにあるが、生れつきそういう素質の為もある。斯ういう人は霊統的に上魂の持主である。併し芸術的に導く事によつて下魂の人も漸次向上するものである。私が芸術を奨励するのはそういう理由の為である。

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【お伺】去る二月十八日の「ジヤパン・ニユース」紙上に要旨左の通りの記事が出ています。「北極専門家であり又ヴアーモント大学総長兼ニユヨーク州立大学総長であるウイリアム・カールソン博士は火曜日夜、クリーブランド医学図書協会に於ける講演並びに記者会見に於て、左記の通り語つた。

“北極の氷の頭が驚くべき且つ解明し難き速度を以て溶けつつあり、為に海岸水位を上昇せしめ、海港を水浸しにせんとする恐れがある。此溶解の為に大結果を生ずるには何百年かかるであろうが、今半世紀間に於ける溶解速度は非常に速い。又ノルウエーとアラスカの氷河は、五十年前に較べると僅か半分の大きさになつた。スピツツベルゲン近辺の気温は大いに変化した為に、年間に於ける航行可能期間は三カ月であつたものが八カ月に延長されている」と。

処が予て明主様より「今後科学者が解明出来ないでマゴツク処の天文現象自然現象が起つてくるかもしれない」という御示しを戴いています。此の報道記事に就いて御垂示を賜わり度く御願い申し上げます。

【御垂示】地球上、北極南極の氷は、段々溶けて、将来は人類の住む土地が殖えてゆくのである。此理由としては、地殻が収縮するので海面が低くなるから、各河川が浅くなつて干いて了う虞れがあるので、その水を供給する為である。

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【お伺】朝夕御神前並びに御仏壇に礼拝の場合、御仏壇には命日以外善言讃詞を奏上しない様に再三御注意を頂いて居りますが、入信日浅くして御神体並に御屏風観音様の御奉斎の御許しを得て居ない場合、朝夕御仏前へ善言讃詞を奏げてはいけないので御座いましようか。又御屏風観音様のみ御奉斎させて頂いて居る場合は如何で御座居ましようか。右謹んでお伺い申し上げます。

【御垂示】光明如来様を御祭りして、規定通りすべきである。御屏風観音様だけで短期間ならいいが、長くそのままにしておくと、祖霊が気に入らないから、御気づけをされるから、一日も早くしなさい。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。昭和二十一年一月十八日初めて明主様より御浄霊を頂きました節、私儀には「傍系にあたる先祖で胃癌で死んだ祖霊が憑依して居る」との御言葉を頂きましたが、その御言葉通り間もなく、その霊が出まして「自分は執着の為龍神になつているから是非祭つてもらい度い」との事、早速お伺い致しました処「三休明神と命名してお祭せよ」との事で御座いまして、御指示の通りにお祭り致して居りました。処が其の後父が帰幽致しました関係で山口県萩市の寺院(天台宗にて南明寺と申します。右の祖霊はこの寺の中興の祖と云われている三休和尚の霊で御座います)を後任住職に譲る事になりましたので現在の住所、島根県出雲市大津町に転居致したので御座います。三休明神のほこらは南明寺にそのまま置いてあるので御座いますが、その後、地理的にも亦時間的にも、仲々南明寺まで行つて三休明神の月並祭をする事が出来かねて居りまして、どうもそれが最近気にかかつてなりません。右三休明神は現住所の方へ、おうつりを願つてお祀りすべきで御座いましようか、何卒御教示の程お願い申し上げます。

【御垂示】勿論そうしなさい。それでなくては龍神さんは救われないからで、急いでるから一日も早い方がよろしい。現在の仏界では、最早救われない為である。

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【お伺】私共一家全部入信致しまして、光明如来様は昭和二十五年二月御奉斎、同年五月に屏風観音様御奉斎、同年九月大光明如来様御奉斎致しまして御道の御用をさせて頂て居る者で御座いますが、入信前御祭りしてありました御神体は如何処置致しましたら宜敷う御座いましようか。御伺い申し上げます。御神体は宇佐八幡宮、朝見神社(氏神)早吸日女大神、車折神社の四体を一つのホコラに入れて神棚にそのままにしております。又、応召中親戚、知人等より寄せられた御守(清水観音、石鉄山、朝見神社、観音寺、明治神宮、宇佐八幡宮、熱田神宮、阿蘇神社、広瀬神社、春日神社、鵜戸神宮、八坂神社、杵原八幡、諏訪神社、尺間神社、成田不動等)も妻が入信前持つて居た御守り(千手観音、法華経の巻物、生目神社等)と共に神棚に置てありますが、此の御守りの処分方は如何が致しましたらよろしう御座いましようか、御伺い申し上げます。

【御垂示】御神体も御守も全部一箇所へ纒めて御祭りをし、勿論饌供もし、今迄の御礼と共に光明如来様を御祭り致しましたから、元の御座へ御還り下さいと丁寧に言上して焼き捨てればよろしい。

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【お伺】私は田村家を相続せねばならぬ身分でありながら、大正二年(四十年前)廿六歳の時、家を妹に譲つて郷里を出て親方の仕事(鍛冶屋)を引きつぎました。(親戚一同承諾の上です)当時寄留が八釜しい時代であつた為に、辺見庄蔵(母の妹婿)の弟として仮に入籍をして五年目に分家致し、辺見を名乗つて三十五年間現在の処に住んで居ります。(庄蔵氏の宅を本家と言つて今尚つづいています。)最近、実家田村家の方がほんとうの姓であり、両親を始め御先祖様がなつかしく、妹に家を譲つて立派にやつてくれて居りますが、先祖代々之霊位としてお祀りする時、矢張り辺見家を主と致すべきか、実家の田村家を主に祀らせて戴けばよいものでございましようか。御垂示の程、謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】辺見家を主とすべきであつて、田村家を祀つても差支えない。

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【お伺】私は昭和廿一年秋入信させて戴き、御屏風観音様は廿二年の春、御神体は同年秋御奉斎させて戴いている者でございます。廿四年の春、僅か三日の腹痛で母親(信者)が死去致し、そのふた七日の夜、突然腹痛を戴きました。(死亡した母と同様の症状)十日間程苦しみ、とうとう周囲が気をもみますので注射を打ちました。それ以後毎月一回位の割合で、腹痛の御浄化を戴き、四カ年間つづいて居ります。胃部の激痛で一週間か十日位痛み続けます。痛みがやむと、誠にあつさり平常の元気にかへります。初め三、四回医師の診断を受け注射を打ちました。然し腹痛には何の反応もなく、申訳なさにやつと気づかせて戴き、御わび申し上げて以後一切やめて居ります。腹痛が始りますと、右肩が大変こつたようになり、多少の痛みを感じます。私達が至らぬ為か、私の妻が度々母の夢を見ます。本年一月十三日には、母の体一面紫色にはれて「これでもか、これでも解らんか、薬毒だよ、々々々々」と言う様な、きつい夢を見せられました。御守護に依り、最初の様な猛烈な痛みはございませんが、四年間と言う可成り長い間、殆んど同じ様な腹痛を繰り返えして居りますので、何か霊的ではございませんでしようか。若し霊的ならば如何させて戴けばよろしうございましようか。又他に何か間違いでもございましようか御教えの程謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】薬毒である。此人は肩から背中に固まりがあるから、其処を気長に浄霊すれば必ず治る。

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【お伺】一、昭和十八年十月  鼻茸手術、大出血後衰弱甚しく、約八カ月発狂状態になりました。

一、同十九年七月  脳病院にて半年治療し、約四年間は大体良くなつて居りまし  た。

一、同二十三年三月  狂暴性になり「カツカツ」と奇声を発し、水を吐く様な状  態甚しく、家人他人の見境なく暴行を加えます。この頃より本人は少し気分が  良いとお大師さんや種々の神様に一人でお詣り致しますので、本人の希望と思  い親も種々の信仰を致しました。

一、同二十六年七月  本教のお道を知り、母がお守様を頂き、同時に屏風観音様  を御奉斎、他家に嫁ぎし姉も共に入信させました。

一、同二十六年九月  本人入信し、お蔭を頂きまして大分良くなりました。一、同二十七年二月  光明如来様を御奉斎。約一カ月後またもや狂暴性になり、  家人に暴行を加える。(特に母)

一、同二十七年三月二十七日  勿体なくとも、光明如来様に手を掛けて引破り、  仏壇をも覆し、其後も相次いで仏壇を覆し、最後に祖母の位牌をばらばらに壊  しましたので仏壇を階下に降しました。四月十四日頃までは引き続いて母に暴  行を加えて居りましたが、その後は大分落著き、寝る時が多くなりました。一、家は元真言宗を信仰致して居りましたが、今より六十年前、曾祖父が黒住教  に転向し、二十六年三月より(本教入信前)病床の祖父承知の上、御仏壇には  断りなしに元の真言宗に復帰しました。

一、昭和七年頃までは、家運とても良かつたのですが、家の裏の榎の古木を切  り、そこに炊事場を建ててよりだんだん家運が傾いて来ました。

一、十八年十月  兄が輸送船沈没により水死しました。その兄が炊事場より這入  つて来る夢を、家人が三人共見、此の時より家人が相次いで二人死亡しまし  た。猶遠い親戚にも古木を切つてより後に発狂して死亡した者がございます。一、父及び兄夫婦はお道の事が判らず未入信で、兄夫婦及び子供等は危険につき  別居させています。

現在では御守護により落着いております。

イ、本人の発狂は何が主因となつて居りましようか。

  (古木と何か関係がございましようか)

ロ、勿体なくも光明如来様を破り、また仏壇を覆えすのは何ういう訳でしよう  か。

ハ、今後如何様にさせて頂いたら宜敷うございましようか。

  右謹みて御垂示の程お願い申し上げます。

【御垂示】直接の原因は鼻茸手術の為である。鼻茸手術は非常に恐ろしいもので、酷いのは気が狂つて死ぬ人もある。榎伐採の為木に住つていた木龍の祟りもある。併し手術の方は今更仕方がないが、木龍の方は、庭の成可清い処へ小さくともよいから榎を植えて、光明如来様に木龍がそれへ移るように御願いすればよろしい。

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【お伺】昭和廿一年以来家族全員入信させて戴き喜んで居ります一家で御座います。昨年十二月末、父が下痢の御浄化を戴き、九十日余続きました。其間三、四日下痢の止つたことが二回ございました。其うち、胃の下部が時折高くふくれて何んとも言い様のない苦痛を感じます。御浄化を戴くと、グヅグヅと低くなり、又高くふくれて参ります。其頃から食欲が衰え、やせて来ました。三月三日、中教会にお詣りさせて戴き、会長先生の御浄霊を戴きました。五日程お詣りさせて戴き大変気分が楽になり、少々仕事も出来る様になりましたが、食欲はすすまず、胃部の高くなるのが日一日と回数を増し、モゴモゴ動くようになり、気持が大層悪く、食事がいよいよ進まなくなりました。胃部のふくれは其ままで移動致しますし、右の方も大変高くふくれて参りました。御飯等は殆んど食べられずおかゆの汁、卵、ミルク等を少しづつ食べて居ります。腹の空いた時は、ふくれた高いものが割合低くなり、モゴモゴも致しません。又横に寝るとモゴモゴ動くのが少く、食後と上向に寝るとモゴモゴが強く、苦しみも大きうございます。四月十四日頃から便秘致し、益々食事が進まず、胸がムカムカつかえて居りました処、廿日の夕方、洗面器(直径六寸、深さ四寸位)に殆んど一ぱい一度に嘔吐致しました。其後暫く胸も腹も共に楽になりましたが、又直ぐ元の通りに苦痛が増し、食事も戴けません。然し御守護に依りまして用便も一人ですませ、入浴も毎晩のようにやつて居ります。又食べる味も、煙草の味も少しも悪くございません。従つて気力も仲々元気でございます。如何なる御浄化か、如何させて戴けばよろしうございましようか、謹而御伺い申し上げます。

【御垂示】原因は薬毒で、それに悪霊が邪魔しているのであるから、割合長くはかかるが、治るから心配しないでよい。よく神様に御願いし、御神書を読むようにしなさい。

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【お伺】信者羽床正利二十二歳(最近入信)は五、六歳頃より左足大腿部より足首迄の後側に卵大の固結二箇、小指程の固結四、五箇出来、何等変化なく、今日に至つて居ます。労働後若干痛みを感ずる程度ですので放任しておりましたが、四、五年前より種々の治療を致しました。足首の小さい固結一箇を手術除去致しましたが、又もと通りになつてしまいました。浄霊を始めましてより未だ一週間で御座居ます。特別に変化は御座いません。固結の出来る以前には薬は一切使つた事がないそうです。原因は何で御座いましようか謹んで御伺い申し上げます。尚浄霊は熱心な信者綱川敬国(三十五)がさせて頂いて居ります。

【御垂示】親の薬毒である。根気よく浄霊すれば長くはかかるが必ず治る。出来るだけ運動する方がよい。

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【お伺】一昨年十月頃より左耳後より少しずつ脱髪しだし、昨年四月頃までにすつかり全頭脱髪してしまいました。其間に早くぬけた所は先を切つた様な荒い毛が生えて来て居りましたが、それも四月頃までにはすつかりぬけ、夏頃より色のない、うぶ毛が全頭に生えて来ましたが、一向にのびず、色も出ないので困つて居りました。御浄霊は昨年十月中頃より戴き、お守様は十二月の初めにお受けして毎日御浄霊を戴いて居りますが、四月現在幾分手ざわりが荒くなり、かすかに色が出だしたかしらと思う程度でございます。脱髪し始めました一昨年の十月には、前の年から婚約も整い、挙式を待つばかりになつて居りましたところへ側から邪魔が入り、無理に婚約を解消させられ、とても苦しんで居りましたので、それがシヨツクになつたのでは無いかとも思つて居るのでございますが、如何でございましようか。御浄霊は主にどこをさせて戴きましたらよろしゆうございましようか。尚お道に入るまでの治療として殺菌消毒に重きを置いて参りましたのでございます。

【御垂示】之は俗に台湾坊主という病気で、浄霊は頭を主としてすればよい。普通は二、三カ月で治るものであるが、殺菌消毒をした為治りが遅くなつたのである。併し一、二年かかると思えばよろしい。

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【お伺】昨年十月十六日、私儀子供英敏(四歳)が高さ二尺位の座敷から庭に転落致しまして、その際左額面に長さ三センチ幅五ミリ位の裂傷を負いました。直ちに私が御浄霊をさして頂き、痛みも出血も止りましたが、尚念の為錦織万一教師の御浄霊も御願いしました。四、五日経ちますと膿が出まして、一寸御浄化がありましたが、それも間もなく治り、現在では完全に癒えて居りますが、傷痕が少し低く、薄皮にて赤くなつて居ります。御浄霊は毎日続けて居ります。今後も気長に続けて居りますと傷痕はすつかり消えるで御座いましようか。右謹んで御伺い申し上げます。尚私儀お蔭様で御屏風様、大光明如来様御奉斎させて頂いて居ります。

【御垂示】勿論元通りに治るから安心しなさい。

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【お伺】加藤一重卅五歳。昭和廿一年入信、本年一月二日より痔出血が始り約五十日位続きました。大体出血が納つた二月廿四日頃より震いが来て心臓の動悸をおぼゆる様になり、御浄霊も現在迄毎日続けて居ります。心臓部の周りの毒素も漸次取れて参り、今日では大体楽になつて参りました。現在、夜中(三、四時頃)に目が覚めますと、動悸が始りますが、之は何でしようか。尚、三月十五日に霊媒に見て戴いた処によりますと、父の親戚関係の者で戦死した霊が憑依して居るとの事です。その霊を取つて頂いてより、一時急に楽になりましたが、その後又もとの様な状態に変り、それ以後、御浄霊の御守護に依り快復に向つて居ります。本人は廿歳前後に胸部の打撲や風邪等にて湿布や薬剤を多量に使用致して居ります。此様な場合には主として御浄霊は何処をさせて頂いたらよろしいので御座いましようか。尚、離脱した霊には、その霊の云う通りにしてやりましたが救われて居るものでしようか。憑依した霊の実家では未だ入信致して居りませんがこの様な時にはどの様な方法を取つたらよろしいのでしようか。尚、四月三日の夜、足部より震いが来て全身に及び十分位続きましたが、之は霊的でしようか。本人の家では大光明如来様と御屏風観音様を御奉斎させて頂いて居ります。右御垂示の程お願い申し上げます。

【御垂示】之は貧血による霊の憑依であるから、血液が充実するに従って、憑依されなくなる。併し此死霊は救われたい為であるから、常に祝詞、善言讃詞、御讃歌を聴かせるようにすれば、それだけ早く治る。

(地天三十六号  昭和二十七年五月二十五日)

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昭和二十七年六月号

【お伺】岩橋徳子(三十六歳)昭和二十年九月頃、肋膜炎、血の道、子宮病、発病三カ年間医療を続けましたが効果なく、昭和二十二年御浄霊により御守護を戴き、同年入信させて戴きました。大光明如来様、御屏風観音様、共に御奉斎させて戴き、日々人類救済、御導き、御奉仕に微力乍ら御手伝させて戴いて居ります。昭和廿四年腹膜の御浄化も一カ月で楽にさせて戴き、二十七年一月になつて、息切れ、発熱、咳痰激しく床に就く様になり、現在は立つたり致しますと咳痰が特に激しく、背中が重だるく鈍痛があり、左半身が特に浄化致し、延髄、胸部、子宮に熱があり、胸部は左右両側共押すと痛みを感じます。鼠蹊部、子宮附近を御浄霊戴くと、首肩が凝つて参ります。最近になつて腹部の御浄霊を戴きますと、丸い玉様の物が二ツ三ツ上下に動き、水泡の如くブツブツと鳴つてどこかに隠れて分らなくなります。月経は四月より止り、衰弱は増して参りましたが、食事は御茶碗に軽く二杯程度一日三度戴きます。主人は養子で当家の後を嗣ぎましたが、昭和二十年六月戦死、養父は病死、養母は昭和十一年六月倉の軒下で縊死を遂げて居ります。男の子供は三歳にて昭和十八年三月死亡致し、主人と一緒に葬つてあります。尚同居して居りました主人の生家の母が、私宅で昨年死亡、御位牌も祀つて居りますが、生前私方の畑で蛇を殺した事がある由で御座居ます。井戸は家の中にあり、かつて下水の水溜(深さ八尺位)を埋めましたが、御浄化中蛇とナメクジの夢を二度見た事が御座居ます。現在娘二人(共に入信)と三人暮しにて、売り食い生活の状態で、今迄三人交互に御浄化を戴いて居りましたが、私が今回の御浄化を戴きましてからは、娘二人共元気で御座居ます。この事等と霊的関係が御座居ましようか、御浄霊は熱のある所をして戴いて居りますが、一進一退で御座居ます。御浄霊の個所をお教示の程御願申し上げます。

【御垂示】此人の色々な病気は、全部薬毒の浄化である。霊的も少しはあるが、それは気にする程のものではない。熱のある処を浄霊すればいいのであるが、施術者は力が入りすぎるように思うから、出来るだけ力を抜く事である。

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【お伺】日高正光(長男昭和二十五年十一月二十三日生)の浄化に就き御伺い致します。生後約一年半になりますが、現在五、六カ月位の大きさで、頸がグラグラ致し、後頭部に大豆粒位のものが二三箇、両脇下に梅干位のグリグリがあり、両手指は胸の辺りに固く握り締めて開こうと致しません。脚も横に開こうとせず、左脚は大抵膝から半分位の角度で曲げて居て未だ座ることも寝返りも出来ません。生後四十日頃より全身に疥癬の御浄化を戴きつつ現在迄続いて居ます。当初は比較的に肥えて居ましたが、昨年の夏頃より笑顔を見せませず成育も停つた様でございます。現在は顔以外のところは未だブツブツがあり、特に手指は悪臭強く、両足は甲底共腫脹し、ところどころ排膿致して居ります。歯は上下各四本宛生えて居ますが米の粉を練つた乳代用の外は食物を与えても歯を強く食いしばつて全然食べません。生歯後現在迄酷く歯ギシリを致します。出産の際常々気易い助産婦で任せて呉れと言つて居ましたが、アツと言う間に注射を一本致しました。不注意に任せて注射を為したことを知り、誠に申し訳無く伏して御詫びを致して居ります。尚両親共再婚、前関係は生別、父親は十四五年海軍生活にて直接殺人は致して居りませんが二、三度陸海戦闘に従つて部下も十数名戦病死致しました。内地でスツポンと鰻を道楽に捕つたことがあり、又戦地で鼠を数百匹生捕らせて虐めたことがあります。父親の叔父は昔の教職中三十二歳にて謡と舞をなしながら死亡したそうですが、後息子が一人あつて何年かに一回墓参する程度で、母親の兄は今次戦死致して居ります。畏くも出張所の御許を戴いて居り、双方の実家には御屏風観音様を奉斎致して居ります。尚本部別院等に参拝の前後と拝受品を戴く前後には確に浄化を強く戴きます。謹んで御伺い致します。

【御垂示】此子供は薬毒と霊的と両方である。身体を触つて熱のある処を、浄霊すればいいが、治るにしても、数年以上掛るから、そのつもりになさい。又大いに信仰を励んで人助けをすれば、それだけ早く治る。

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【お伺】私は廿歳の頃より、尿が近くなつて一日の中に十数回ある様になりました。軍隊に入つてからは、淋病だと言われて三回入院、六○六号や漢方薬、淋病に関する薬剤を多量使用致して居りました。恐らく注射だけでも何百本で御座居ましよう。それからは少し良くなつた様に思いましたが、何んだか首が締め附けられる様な気がしまして、不快でなりませんでした。それが入信致しまして約二カ月後には完全に治つて居りました。私は以前軍隊の時支那で牛の首を日本刀で切落した事がありましたので、その牛の霊の為ではないかと想像しても居ました。処が今年の正月より、膀胱及び尿道附近に不快を感ずる様になり、特に労働時には尿道に激痛を感じます。そして左の腰が時々痛みます。現在は時々教師の方に御浄霊を戴いて居りますが、御浄化は暫次増して来る様に思われます。御浄化の激しい時は尿道にむづかゆみをひどく感じ、仕事も出来兼ねます。部屋に座つて居て動かなければ非常に楽で御座居ます。私の御浄化は淋病の薬毒の御浄化だと思つて居りますが、苦痛は永続的で日々不快な生活に悩まされて居りますので、此様な苦悩から一時も早く脱出したいものと念願の余り、御浄霊の急所等御垂示戴き度く存じます。尚此の外に四年前腰骨カリエスだと医診されましたが、之は放任致して居りましたら何事も無く治りました。又十九歳頃蓄膿症にて鼻の手術も致して居ります。二十三歳の時胃下垂、二十八歳の時痔の手術も行つて居ります。又左脇、腰に大きな腫物が出た事がありましたが、その時は吸出し薬を使用致しました。

【御垂示】此人は医薬の被害者である。今後も色々苦痛が起るから、そのつもりで苦痛のある所を浄霊すれば、僅かづつでも薬毒が減るので、それだけ治つてゆくのである。併し随分薬毒が多いから、余程長くかかる覚悟をしなさい。牛の霊は関係がない。

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【お伺】昭和二十四年十二月二十六日入信、植野照江(十五歳)私の長女で御座いますが、植野家を嗣ぐ事になつて居ります。二十五年五月修学旅行中、京都の宿に於て朝六時頃手足が動かなくなり、五分間位引攣け、冷くなつた事が御座います。京都の東本願寺に弟の骨が分骨してあるから其関係かと考えておりましたが、其後何んともありませんので忘れて居りましたが、約一カ年前よりどうかすると目をつむり、半年前頃よりは目をつむる時は手を曲げた儘下にぴくぴく痙攣させ、最近はそれが烈しくなる時がありますので不思議に思つておりました処、本年三月突然盲腸附近の御浄化を戴き、又四月中旬午前五時半頃寝衣を着換え様とした時手足は硬直引付け口はきけず涎を出し乍ら苦しんで居りました。御浄霊をさせて頂く事十五分位で気が付きましたが、記憶が完全にもどる迄には四十五分位を要しました。其後廿八日午前五時半頃、前と同じ様に倒れました。御浄霊十分位で気が付き、完全に意識がもどるのに十五分位かかりました。大光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて頂いて居ります。又位牌は井丸家(主人方)植野家(私の里方)津江家(私の実母方)とをお祭りしております。  四月下旬仏壇の主人の位牌の後でツバメが死んでおりました。私(井丸キクヱ)の母は三十二年前肺結核、弟は三十一年前脳膜炎、父は八年前喉頭結核、姉は八年前廃血症主人は四年前結核、主人の母は廿八年前脳病で死亡しており、主人の伯父は廿八年前鉄道自殺しております。私の実家は継母が一人おり、此御道が解らず出入をしませんが、長女は実家の後継人になつて居ります。又主人の方も継母で長く別居致しておりましたが、主人が死亡する一年前より一緒に暮す様になりましたが、主人の死後何にかにつけ、私達親子(私、長女、長男)を邪魔物視し、現在又別居致しております。長女の癲癇的発作はこれ等に関係しているので御座いましようか。又現在住んで居ります処に主人の墓を作り度いと思うので御度いますが、故郷から骨を持つて来ても良いので御座いましようか。現在は都合上仮に自然石で墓としております。何卒御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】之は中風で死んだ霊の憑依であるから、よく調べてみれば、何年か前の近親者にある筈である。若し祀つてなければ祀つてやるし、そうでなければ罪が多い為に、霊界で救われていない霊である。又此家は罪穢が非常に多いから信仰を深く多くの人を救い、徳を積む事で、それによつて子供の病気も治ると共に一家幸福になるのである。墓は自然石では不可ないから、普通の墓にしなさい。

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【お伺】主人は一昨年七月に入信致し、続いて私は八月に入信させて頂きました。昨年二月、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて頂いています。入信前、子宮にただれがある由にて塗布薬を十回程注入致しました。一昨年十一月子宮癌と診断を受け、それ以後右医療を受けず、ずつと今日迄御浄霊を頂いています。診断を受けて後(御浄霊頂きはじめてより)十カ月目より腰部に痛みを覚え、だんだん痛みはきつくなり、七カ月間激痛に苦しんでいます。昨年十一月より御浄化中なれど御里へ布教に出させて頂いています。布教に参りその翌日、おかげを戴き十回許り親指大の血塊が出ました。下り物は癌と診断されます前より致しています。一時は悪臭がございましたが、只今ではありません。又一回一尺位連つたヌラが出ました。前夫は医者をしていまして、七カ年前、出血性黄疸にて死亡致しました。前夫の子を八人出産時、病院にて洗滌消毒を百四、五十回しています。尚四カ月目に二人の子供を下しています。相当酷い痛みですが霊的の関係がございましようか、又御浄霊の箇所を御垂示お願い申し上げます。

【御垂示】之は霊的でもなく癌でもない。悉く薬毒の為であつて長くはかかるが、必ず治るから安心しなさい。浄霊個所は苦痛の処だけでよろしい。

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【お伺】本年三月二十二日入信させて戴きました。高須英一、五十八歳。昨年五月二十九日木材伐採中、左脚首骨折致しまして入院手術に依り接骨致しまして、十一月十五日退院、其後通院加療中お道の有難い事を知らせて戴き、入信と同時に通院停止、御浄霊を御願いして居ましたが、労災補償のため保健所より検診を求められ、レントゲン患部撮影致しました処、接着面が約半分(五分位)ズレて居りました。通院中は二分位いズレて居りました。医師は再度手術をすすめますが、本人は医療とは手をきり、神様にお縋り致して居ります。御浄霊により元の位置に接着して戴けましようか。固着する迄はこの足を動かしてはいけないので御座居ましようか、謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】浄霊で治ると共に動かしても差支えない。

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【お伺】私は脳溢血で倒れ、御教の御道で救われ、昨年入信さして頂き、御屏風観音様奉斎さして頂いて居りますが、今年生れた孫が先天的な極度の内(ヒ)症(両足)で大きくなつても歩行が出来ない程です。この子供の上(五歳)も生れながらに腰(大転子関節)が脱臼して居りました。こうして二人の孫が二人共生れながらに足ばかり不具になつて生れると云う事は何か霊的に関係あるものでございましようか。私の家は近所では大変古い家で八代目位です。二代目の先祖の弟は心中(水死)して無理死して居り、六代目の長男は馬より落ち急死(廿九歳)其後三代引続き長男が廿九歳で若死しています。余り不幸がつづきますので以前御伺いを立てて見ますと何時も「家の屋敷に昔の松平家の姫の墓があるその姫様のおすがりだ」と云われますが、右の様な事とも何か関係がございましようか。そして孫の内(ヒ)病は御浄霊を続けさして頂いて御救い頂けましようか。浄霊の急所を御教示頂き度う御座居ます。

【御垂示】姫の霊とは関係がない。之は祖霊の一人が、誰かの腰を殴打して死んだ霊の怨念が原因である。浄霊は尾 骨(ビテイコツ)を中心にすれば、長くはかかるが必ず治る。但し力は入れないようにしなさい。

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【お伺】私の妻、但馬良子(二十七歳)昭和二十二年より精神異常を来し、昭和二十三年二月より御浄霊を戴き、二十四年八月頃より正常となり、私は昭和二十三年三月、本人は二十四年八月に入信、二十三年六月光明如来様、二十五年御屏風観音様を御奉斎、以後何等変る処なく感謝の中に今日に至りましたが、本年四月末頃より胸、下腹に痛みを感じ御浄霊にて楽にして戴きましたが、その後物を考えるに考えがまとまらず、支部月例祭(五月十一日)の夜、帰宅後家にて御浄霊中腕がだるくなり、それが治ると胸につき上げ、それも治ると大きくアクビをなし、翌日は顔色に血色を見ましたが次第に青味を帯び、現在は家の光明如来様にお参りするも大儀がります。(お参りする時は祝詞、御讃歌も一緒に奏上します)悪い時は物を問うも即答出来ず、暫時考えても自己の考えがまとまらず、御浄霊は主に前頭部を中心にして居りますが、何卒此原因及び浄霊の箇所について御垂示の程お願い申し上げます。

【御垂示】死霊が憑つているので浄霊の急所は首の廻り、特に延髄部、淋巴腺部に固結があるから、其処のところと、前頭部を気長にやれば治る。

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【お伺】私は昭和二十一年十月中旬より、鳥取県大山国立公園地区内にて、標高三百五十米内外傾斜度十二三度程度の位置に住居致して居りますが、耕地として開畑一町程所有して居るのでございます。土質は(通称大山黒ぼこ)火山灰にて黒色を帯び、強度の酸性を含み(含有酸度○、五~○、五五程度)播種致しましても、堆肥並に金肥を施肥せざれば芽が一寸程青々と出ましても、その中に芽が黄色に変り、枯死してしまいます。右の様な次第ですから、反当三、四百貫の堆肥と金肥二、○○○円程度を施しましても、古畑は開墾後五カ年程になりますが実収反当三俵位しか出来ません。勿論酸性土壌改良として石灰又は「タンカル」等反当二三十貫を撒布致して居るのであります。開畑前は年輪三十年生位の松樹が一面に繁茂して居りましたので、落葉等は五六寸位でございましたものであります。就きましては「地上天国」を拝読して見ますると、無肥料栽培の素晴しき成績を御発表になつて居られましたので、以上の畑地に適用出来ますか否かお伺い申し上げます。尚同地には元製材した為、鋸屑が沢山山積みになつて居りますので、此鋸屑を肥料としてはいかがなものでございましようか。又施肥の方法を御教示下さいませ。

【御垂示】貴方は栄光をまだ読んでいないのですか、酸性土壌は金肥の為であり、鋸屑などは肥料にはならず、反つて悪い、土其ものが肥料である事は、栄光に幾度もかいてあるからよく読みなさい。

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【お伺】昨年八月から支部にして戴きました、私の住居の庭の紅梅は、入信前迄は毎年二月頃咲き初めるのが例でありました。処が一昨年は十二月二十四日に見ますと一輪咲いていました。昨年も同じく二十四日に見ますと、二輪咲いていました。両年共、二十二日に見ました時には一輪も咲いていなかつたのを見れば御生誕祭日に咲いたものと思われます。之に就て御教を御願申し上げます。

【御垂示】無論生誕を祝う為である。それは梅の花は神秘で、御神業と非常に関係があるので、神様がさせたのである。というのは梅の花は花の先がけで、五弁だから火であり兄の花姫であり、観音であり、五大州の形であるからで、まだ色々意味があるが、何しろ結構な事である。

(地天三十七号  昭和二十七年六月二十五日)

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昭和二十七年八月号

【お伺】明主様の言われた自然栽培法を実施せんとして畑に有肥藁を入れた処ミミズが多量にわき、ミミズの多量ほど良く出来ました。何故ミミズはわくものでしようか。米国のコネチクツトの東部で農場を経営して居るクリスタフア氏は「ミミズの排泄物は普通の表土に比べて窒素五倍、燐七倍、加里十一倍、マグネシウム三倍の量を含んでいる」と分析結果を報じていますが、ミミズの排泄物は自然栽培に良い物でしようか、ミミズは地球に何の目的を以つてわくものでしようか。「ミミズは生き、作物に害はしない。又地中深くもぐるので通気量を六○~七○%も増加させ、同時に排水を良好にして植物の根の発育を助けている」とありますがほんとでしようか。ミミズの排泄物で栽培した食物を食べたら人体にどのような影響を及ぼすものでしようか。右御垂示の程謹んで御願い申します。

【御垂示】ミミズというものは非常に必要なものである。それは土を固まらないようにすると共に、余り湿らないように調節するし、又熱を吸収して土を温めるし、害虫を食うというように、種々な働きをするから結構だが、排泄物が肥料になる事は決してない。

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【お伺】私は昭和二十六年十二月妻二男と共に入信、其の後母長男と家族一同入信し、本年三月御神体及びお屏風観音様を御奉斎させて頂きました。私の父は大正十三年の暮に、家の向い側道路を挟みました処に現在の雑貨店を建てる為畠を埋立て、その時横にあつた古い小池も序に埋めて了いました。それから二年後の大正十五年に父は突然脳膜炎にて死亡し、四十五日後に私の弟忠一(十歳)が又脳膜炎にて死亡致しました。又私の姉は姙娠中離縁となり、子供は安産致しましたが乳を飲まずに死亡致して居ります。私の家内志奈(四十歳)が二十歳で嫁に来て三、四年目に神経痛で右足が跛になり今日に至つています。私の二男康生(十四歳)は三歳の時小児痲痺となり、両足がぶらぶらになりましたので、阪大病院にて脊髄注射八本致しました。医者より病気が重いので、請合われないと言われましたので、其の後は家にて電気治療(自の魂)を半年続けましたが、別に何の感じも変化もありませんでした。尚服薬は奇応丸、膏薬湯(煎薬)療養の泉等一年半、その外薬湯、マツサージ等も致しました。二、三年前又脊髄注射四十本致しましたがよくならず、悩んでいました処此のお道を知り、御浄霊により現在は大変良くして戴き、膝より下足首がしなしなして居りますが、杖無しで歩行出来る迄にして戴きました。母すゑの(七十歳)は二十七年二月末頃より左膝がリユウマチスの如くなりましたが、これも御浄霊により大変楽にさせて戴いて居ります。父の死亡後は天理教を信仰し、仏壇は別に祭つて居りましたが、現在は天理様の祭壇の中にも仏壇にもお屏風観音様をお祭して居ります。父弟と死亡し、家族五人中三人迄足の悪くなりますのは、池の龍神の祟りでしようか、若しそうですとその御詫び、お祭りの方法は如何致しますれば宜敷いでしようか。又御浄霊の箇所を御垂示賜わり度くお願い申し上げます。

【御垂示】之は貴方の思う通り、龍神の祟りもあるが、薬毒も大いに禍いしているから、成可早く龍神を祭らなければいけない。それは所属の支部長に頼めばいい、薬毒は出来るだけ多く浄霊すればよい、兎に角気長にやれば治るから安心しなさい。

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【お伺】私の弟和彦十四歳(義弟)小さい時より偏食がちでありましたのですが、最近非常にひどく、食事の時副食物として削節以外は何も食べません。御浄霊は毎日させて戴いています。一家皆入信致し、現在支部として御用をさせて戴いています。家はバス会社(乗合自動車)を経営致しています。佐藤家には子供はなく、皆養子で御座居ます。何か外に霊的関係でもあるので御座居ましようか、御垂示の程謹んで御願い申し上げます。

【御垂示】此子供は、猫の生れ替りで、それで鰹節ばかりを食うのである。浄霊は頭全体と、特に前頭部を目掛けてすればいい、長くはかかるが、段々治るものである。

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【お伺】稲田三輪子(九歳)生後百日位の頃突然引付け、小児麻痺の状態となり、医師の診断の結果腸の熱からとの事にて一カ月余り通院いたしましたが良くならず、其の後あらゆる手をつくしましたが相変らず益々病勢悪化するのみでした。恰度三輪子四歳の時初めて浄霊をいただきました。其の当時は日本浄化療法と申して居られました。それ以来長女君江、私次女梅子、三女安江主人茂市と入信、光明如来様御屏風観音様と奉斎させて頂き、昨年大光明如来様を御祭りいたして居りますが、御用は家事のひまひまに私丈けがお恥かしい程ですがさせて戴いて居ります。三輪子の病状でございますが、四歳当時は立つ事もはう事も出来ませんでしたが段々と手も足も生育して参りました。立つ事も歩く事もぼつぼつ乍ら出来るように御守護頂き、誠に有難う存じます。只どうもおかしい事には汽車の通る音とか人の咳払等に非常に驚き、家の外に出てかくれたりして困ります。父親(三輪子の)の実家は信州ですが行方不明になつた者、又汽車に轢かれて死んだ者も一人あり、長男(三輪子の兄)重光は戦死いたして居りますが、それぞれお祭りさせていただいて居りますが、何かこれ等の人々と霊的に関係ありましようか、関係ありましたらどんなに致しましたらよろしいでしようかお示し願います。又御浄霊は何処に重点をおいたらよろしゆうございましようか御教え願います。

【御垂示】之は轢死した霊の生れ替りで、その恐怖が染み附いているのである。咳払いを恐れるのは、其の時側に居た人のが聞えたので汽車の音と共に耳に残つているのである。信仰さえしていれば年々よくなるものである。

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【お伺】明主様日々御守護誠にありがとう存じます。私は娘と共に昭和二十六年十二月五日入信させて頂きました者で御座います。私の祖母は大正十四年春頃より「リヨウマチス」になり、膝から下が動かなくなり、膝にて歩いて居りましたが、昭和二年十二月二十六日遂に全快を見ずして帰幽いたしました。私は入野家より大正十年現在の伊藤家に嫁ぎました。伊藤家は日蓮宗にて私共夫婦は当家に両人共貰われし者にて主人は六歳の時にまいり、全くの他人相続で御座います。伊藤家の先祖でやはり「リヨウマチス」にて明治三十八年に亡くなられた人もあります。私は二十九歳の時産後肋膜肺炎にて、約七カ月入院いたした事も御座います。尚子供は生後六日にて死亡いたしました。其の後私達二人には子供なく養女を迎えました。私の主人松太郎五十九歳が廿一歳より鉄線業を経営いたして居りますが、社員の中で十年前より左足を痛めて居りましたところ、昭和二十四年一月頃より此度は私が「リヨウマチス」となりました。丁度亡くなつた祖母と同じ症状となりました。主人も昨年十月十七日から約一カ月位左の足が痛んだ事が御座います。私は「リヨウマチス」になりましてより、鍼、灸を七カ月位いたしました。其の後「コーチゾン」十本「ビタミン」三十本「ペニシリン」三百万単位其の他胃の薬を相当服んで居りました。知人よりお道を承り入信させて頂きましてからは薬は使用いたして居りません。本年に入りまして御神体御屏風観音様を御奉斎させて頂き、日蓮宗のものは桐箱に入れ、御教通りに別室に置いてあります。尚入信後は娘及び信者さんより御浄霊を頂いて居りました。約一カ月前より毎日教会の先生より御浄霊を頂いて居ります。私の「リヨウマチス」は霊的のもので御座いましようか、前に娘私に憑霊の現象も御座いました。霊的といたしました場合の方法ならびに御浄霊の急所を御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】之は勿論霊的であると共に、色々の療法が反つて悪化を手伝つたのである。併し元々リヨウマチスの毒が固まつたのであるから、浄霊すれば少しづつ治るのは勿論だが、何しろ非常に固まつているから、長くかかる覚悟が肝要である。急所は膝の裏面をよく浄霊する事である。

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【お伺】妹当年三十歳、二十五年十月浄化を戴き十一月入信、十二月に御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。本年四月十日、三女を九カ月で早産致しました。出産四カ月程前より強い咳が出て居りました。又一カ月程前より下痢が一日数回づゝ十日程続きました。  五月五日に其の乳児が死亡致しました。其の頃より再び激しい下痢が続いており、食欲が無く、日に日に衰弱致し、床に就く様になりました。毎日午後三時頃から悪寒、熱が伴い、夕方から夜にかけて、ぬらぬらした無色の液を吐き、其後御浄霊により小康を得ましたが、六月廿日頃から再び床に就く様になり、衰弱も強く同じく下痢は続いて居ります。  咳も激しく、無色の液が続いて出て居ります。丁度四月頃から長女(六歳)も咳が出て日に日に衰弱致し母と同じ様な浄化で御座います。右の如く激しい御浄化を頂いて居りますが妹は今日までひたすら光明如来様にお縋り致して居ります。何か霊的で御座いましようか、謹んで御伺い申し上げます。妹の婚家先では、夫が三歳の時、夫の父は死亡、十二歳の頃兄が戦死致して居ります。続いて姉二人が結核で死亡致し、又続いて母も結核で死亡致しました。三カ年間に四人も死亡致し、夫一人が残り、親戚で育てられ、私の妹と結婚致して現在に至つて居ります。

【御垂示】之は霊的ではない、薬毒である。此人の身体には薬毒が多くある為、子供にも遺伝したのである。だからよく身体を触つてみれば微熱のある処があるから、其処に薬毒が固まつているので、其処を浄霊すればいいが、全治迄には余程の年数がかかるからその心算で神様によく御願いし、御神書を出来るだけ読んで、信仰を深くする事である。

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【お伺】私は昭和二十三年五月入信さして頂き、御神体は昭和二十四年四月御屏風観音様と共に御奉斎さして戴きまして数々の御守護を戴き謹しんで御礼申し上げます。今回妻の浄化に就いて御伺いさせて頂きます。私の妻貴代子(二十七)と結婚致しましたのは昭和二十二年でした。結婚前は年に十回位の月経がありましたが、結婚後は六カ月に一度位になりました。医師の奨めるまゝにホルモン注射三十本と抓爬手術をやりました処、十三カ月間月経が止りました。それが疥癬の御浄化を戴きましてより一カ月置位に月経を見る迄に御守護頂き、昭和二十六年四月子宝を御宿し頂きましたが、約七カ月目の同年十月に流産致しました。其の間初めより腹痛を感じまして一時間に一回位腹部が固くなり御浄霊をさして戴きますと、二、三分にて元通りに成りましたが流産当時にはそれが激しく成りました。終いには固くなつたのがなおらず流産致しました。子供は全身紫に変色して居りました。三口程泣き一時間位生きて居りまして他界致しました。死後非常に綺麗になりすやすや眠つて居る赤ちやん其儘の様でした。御守護賜わりまして今回も昨年十二月末に御宿し頂きまして只今八カ月目に入りました。最近又腹部が一日に多い時で六回位固く成つて参ります。痛みは前回程ではありません。姙娠三カ月位の時にわずかの出血があり、其の後下り物(白血)は現在迄続いて居ります。御浄霊を受けますと身体全体がだるくなり、胃、腹部、腰が痛んで参りますが三時間位で癒ります。又腰骨より足の付根の間の筋が、寝て三時間位つり寝返りが出来ません。それを過ぎれば楽になります。又足が浮腫んで居ります。御守護を頂き安産致します様ひたすら御縋り申し上げます。右腹部の固くなるのと、胃腹部、腰の痛、筋のつるのは如何なるわけで御座居ましようか、又御浄霊の個所を謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】此婦人は全部薬毒の為であつて、苦痛の場所を浄霊すれば長くは掛るが必ず治るから安心しなさい、君はまだ薬毒の恐ろしい事を知らないようであるから、本教出版物を片端から読むようにしなさい。

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【お伺】私の母(六十歳、未入信)でございますが、三年程前氷の上で転び後頭部を打ちましてから、体の工合が悪く思う様に働けなくなりましたので、医者へ連れて行こうと思いました処、急に工合が良くなり、以後次第によくなつて参りましたが、それより約一年経ちましてから、耳が痛み始め、半年程軽痛を覚えて居りましたが、其後急に痛みが増し、三日間に一晩位、夜十一時頃より四時間程激痛が来る様になりましたが、その頃私が入信させていただき御浄霊を続けました処、昨年十一月頃よりは毎晩五時から明方まで、約二時間づつ一時間置きに痛みが来る様に変り、最近では昼間も時々痛んで参ります。御守護に依りまして、月に二、三回は耳より少量の膿が出る様にして戴きましたが、常に頭に何か被つた様な気分でございます。弟は昨年入信致し、私と共に御浄霊を続けて居りますが、母は未だ入信の心境には至つて居りません。嫁に出た姉(信者)が、痛みが永く続いて居ります事を不思議に思い、原因をお知らせいただき度いとお念じ致しておりました処、本年五月八日、母が畑にて昼寝をしておりました時に、小さな三尾の頭の無い蛇がふわふわ眼前に浮いている夢をみてびつくり致し眼を醒しましたが暫くの間は幻の如く眼前に見えたそうでございます。母は以前天井から落ちて来た小さな蛇の頭を踏つぶして殺した事があり、庭に居た大きな青大将の頭をつぶして殺した事もございます。又父(先年縊死致しました)と弟が山の沼へ参りました時に青大将を殺した事もあり、其他度々蛇を殺して居りますが詳しくは覚えて居りません。右は蛇に関係がございましようか、若し関係がございましたらどの様に致しましたら宜しうございましようか、御教えの程御願申し上げます。尚御屏風観音様をお迎えすべく準備中でございますが、御神体は未だ御奉斎致して居りません。

【御垂示】之は蛇の祟りと薬毒である。早く治すには光明如来様を御祭りし、本人が入信する事である。入信して光明如来様に、迷つている蛇の霊を、早く人間に生れ替るように御願いすれば必ず治る。

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【お伺】浜口憲子(六歳)昨年十月結核性脳膜炎と医師より診断を受けて三十九度内外の熱及び激しい頭痛と便秘嘔吐にて入院、脊髄より水を採りました結果、激しい悪寒が伴い、其時より半身不随となり、益々頭痛激しく、嘔吐、食欲なく、本年六月頃よりひつきりなしに痙攣、ウワゴト、脈の不整等益々悪化致し、六月十三日医師より見離され、其間ペニシリン、ストマイ、ヒドラジツト等、五十本及び栄養注射等相当注入致して居ります。それより六月十三日より医療一切止め、御浄霊を戴くうち、御守護により大変良くして戴き、私(母浜口はな六月十五日)は入信さして戴いてより、益々御守護にてよくして戴いて居ります内、再浄化にて最近全身の痙攣頭痛が激しく、左黒眼が中心より左へよらず右眼が絶えず左右に動いて居り、殊に瞳孔が散大したり小さくなつたり致し、尚肩及び背肘の関節が痛み、特に左足のみでした痙攣が右足にも表われ、苦しむ時は全身の痙攣となり、耳が痛み食欲は子供の茶碗に一日一杯半位で御座居ます。昼は夜より楽で御座居まして、夜間十二時過になりますと(毎夜)苦しみ乍らも、とりとめもなき歌を歌い、汗をかき、それが堪えられなくなると、ウーと言つて痙攣を起します。それは明方か朝に起ります。熱は現在御座居ませんが、衰弱が激しゆう御座居ます。御浄霊は、前額部、延髄頸部、後頭部、腎臓等さして戴いて居ります。尚私(浜口はな三十八歳)の生れます前に家を建てなおした其節、屋敷より墓石の様なものが出まして、もしや墓石ではなかろうかと存じ、屋敷外に置いて、毎年お盆にはお詣り致しますが、恰度家が出来上つた二階で祖父が縊死致し、尚父は今より四年前に中国で死亡、私の従妹が小学生の時二人一度に水死致し、四人共仏教で祀つて居ります。又主人の兄が車のタイヤのパンクの為、爆風で即死、尚青大将及び種々の蛇を何匹も殺して居りますが、娘憲子の浄化は霊的で御座居ましようか。尚良くして戴けましようか。浄霊の急所につき御教示賜わり度く御願申し上げます。

【御垂示】之は墓所であつた処へ家を建てた為、其霊の怨みと、蛇を殺した其怨みと、又誤れる医療の為等が重り合つているので、請合う事は出来ないが、右の建てた家に一日も早く光明如来様を御祀りし、出来るだけ神様の御用をし、人助けをすれば或いは助かるかも知れない。併し斯ういう家は祖先からの罪穢の多いのが原因であるから、右のようにすれば罪穢が減るからそれより外に確実な方法はないのである。

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【お伺】昭和二十四年一月に保健所にて診察の結果右肺浸潤と言われ、以後、家庭療養する事一カ年、其間の医療はマイシン二十一本、其の他、漢方薬(鯉の生血、マムシ粉末、スツポン錠)ビタミンB、胃薬を服用致しましたが一向快方に向わず悪化し、痰は出る様になり血痰も出てました。其の内一カ年経ち、翌年四月四日にお道の事を知り入信し御浄霊戴きましてより日に日に快方に向い食欲も旺盛になり、体重も健康な時と同じになり、七月より布教にも赴き、農家の手伝もし、役場の事務の手伝いも致して居りました。本年一月に入り御浄化を戴き、症状は朝八時頃より寒気がし、胸又は首、後頭部がしまる様な気がし、床に就きますと一時間後には今迄の症状はなくなり、三十八、九度の熱が出、其熱は下らず寝汗が多く出ます。黄色の痰と黄色の小便が多量に出ます。食事は少く、一日二杯位しか戴けません。何時も後頭部又は延髄部が痛み、腹に熱がありましたが、去る六月十六日美術館の開館式の折御浄霊を戴きましてより御守護により軽くして戴き喜んで居りましたが以前の寒気と高熱は現在も尚続いて居ります。衰弱も増して参りました。現在の症状は右肺に空洞がある様に思われます。御浄霊を戴きますと少し下熱し、気分もよくなりますがすぐ又熱が出ます。支部にて十二日間お世話になり御浄霊を戴きましたが大差なく、現在二日に一回位教師の方に御浄霊を戴いております。熱が下らない故衰弱が増して参り御浄霊を休みますと少し下熱し、気持がよい様に思われます。御屏風観音様は二十六年、光明如来様は本年三月十八日に奉斎させて戴き、光明如来様と同時に光明様のお守様も戴いて四月中頃迄は少しづつ御救いの御手伝をさせて戴いて居りました。尚叔父は腸結核で亡くなり兄は戦死致して居ります。以上の様な状態で御座いますが、御浄霊は何処を主にさせて戴けばよろしうございましようか。又、御浄霊は一週間に何回位戴いたらよろしうございましようか。又霊的関係があるものでございましようか。以上の点について御教の程お願い申し上げます。尚、両親(未入信)が心配の余り或る祈祷所にお祀り致して伺つた処、二十二年に家の東に牛小屋を新築した処に地乾神様がおられた由にてその祟りだと言われたとの事でございます。謹んで右御伺い申し上げます。

【御垂示】之は霊的関係はない、之は発病の際放つておけば簡単に治つたものを、それを知らないから沢山の薬毒を入れた為薬毒病となつたのである。それが原因の再浄化で浄化作用に肉体の方が負けるので衰弱が加わるのである。此方法としては浄霊は一週間に一回位成丈安静にする。先づ寝たり起きたり位で気長に無熱になるのを待つのである。そうなつてから少しずつ発熱しない限りの運動をボツボツするようにすればいい。

(地天三十九号  昭和二十七年八月二十五日)

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昭和二十七年九月号

【お伺】“空飛ぶ円盤”について、お伺い申し上げさせて戴きます。空飛ぶ円盤の話題が新聞を賑わしてから一年以上になりますが未だ正体が分らないらしく、本年八月一日、日本人の実見者の話を綜合すると、(イ)水色がかつた光のかたまりが長い尾をひいて南から北に走りアツと思つた瞬間二つに割れて消えた。(ロ)大きさは月齢五日位で、ダイダイ色の光だ。(ハ)突然青光りするような閃光体が現われ、高さは成層圏ではないかと思われる位の高度で、目撃された大きさはレコード盤ぐらいで厚みあり、進行速度はゆるやかで灼熱の発光体からだんだん赤みを帯びて海上の上空に消え去つた。と言つております。  此の空飛ぶ円盤はアメリカ上空に多く出没して騒がれているとの事で御座居ます。新兵器という説、そんなものとは考えられないという反説、流星という説、流星ではないという説等々、諸説紛々として居ります。此正体に就て御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】之に就ては、世間で考えるようなものではない。非常に神秘的なものであるから、何れ詳しくかいて、栄光に載せる筈である。

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【お伺】建御名方尊の信濃入りの御順路は、東海道から天龍川の川添いに上つて、諏訪へ行かれたとの説、又北陸を廻つて信濃川の川添いに上つて上田を経て、和田峠を越えて諏訪へ行かれたとの説、又長野から信濃川の支流の遅川の川添いに上つて松本を経て諏訪に行かれたとの説等聞きましたが、いづれが正しいので御座いましようか。右御垂示戴き度く御願い申し上げます。

【御垂示】此神様は神武天皇の軍勢に追駆けられて、諏訪へ逃げたので、其経路など今更知つた処で、何の意味もないではないか、そんな事に関心を持つようなチツポケな了見は止めなさい。何となればそんな事を知つたとて、世界人類を救済する上に、何の必要があるかという事を、よく考えれば分るだろう。

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【お伺】長野県小県郡塩田村(上田市の南)に国幣社生島足島神社が御座います。宮司様の話では国土の守護神で、又、此神様は元大本教本部でも御祀りしてあるとの事ですが、御祭神はどういう神様で御座いましようか。又、右神社は古い神社で、建御名方尊が信濃入りをなされた時すでに御鎮座なされて居りまして、尊が諏訪へ行かれる御道すがら御参拝なされたとの伝説があるそうで御座いますが、其様に古い御社で御座いましようか。

【御垂示】そういう事は、神主に訊いたら一番よく分るだろう。私としては低い神様だから教える必要はない。

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【お伺】金龍神様は八大龍王の上にましますものでございましようか。又は八大龍王の筆頭が金龍神様なので御座いましようか。又八大龍王の御名は何と申し上げる龍神様で御座いましようか。

【御垂示】之は御神書にあるから、支部長に訊いて其処を読みなさい。但し御名前は神名と仏名と両方あるが、之を覚えたとて何の役にも立たないから、書く必要はないだろう。

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【お伺】謹んで御伺い申し上げます。私宅は現在家族四人暮しで御座います。昭和二十五年八月次女(智恵子)三女(登美子)入信さして戴き、九月長男(光夫)入信、十月私入信、同月光明如来様並びに御屏風観音様御奉斎さして戴き、御神業に邁進致さして戴いて居ります。

(一)愚妻あさの(五十四才)事三十六才頃眼病(トラホーム)にかゝり、約十  年間程色々と医療薬物を用い、只今では左眼が失明致して居ります。其間肺  炎、心臓、脚気等を病みました。

(一)次女(智恵子)は入信後十カ月にて腸結核にて死亡。

(一)三女(登美子)は五年程前より母と同じ様な眼病にて、右眼が段々と悪化  して、今では薄く見えるのみです。御浄霊は家族又は協力者方にも御願い致し  て居ります。

(一)長男(光夫)は只今は健康ですが、子供の時大きな柿の木より落ちて右額  部に傷を致して居ります。

私は小学校時代に窓ガラスにて鼻の上部を傷致して居ります。之等の事柄と  次の事と何か霊的に関係が御座いましようか。謹んでお伺い申し上げます。 私の父よりの言伝によりますと今より約百年前の事自宅に鶏を養い居りました  (当時の戸主)畑の仕事より帰宅致しました時、鶏小屋へ猫が入り鶏を取殺さ  んと致すのを発見、直ちに竹槍にて猫の顔、目、鼻、口をつき、殺した事があるとの事。自宅より約十間程卯寅の方向に大きな黒木と云う木があり、其の所にお宮を作  り、祭神は摩利支天神、火之峰、午之峰とか云つて御祭り致して居ります。今  から三十五年余り前に其の木を伐りました。イヌイ(西北)の方向に約百五十年より二百年位経つ大きな松の木がありまし  たが、十年前に落雷にて枯れました。それを私の父が八年程前に伐り、伐つてより二年後に死亡致しました。死因は日頃胃弱にて病みましたが、急に体全体  が悪寒が致し、ふるいが激しく来まして、冷やしてくれ冷やしてくれと約一カ  月程苦しみ、其の間は只水を飲むのみで食事は致さず死亡致しました。今から二十五年前自宅が火災になつた事もあります。私が十五、六才の頃、大きな蛇(青大将)がツバメの巣を知つて、ツバメの子  を取り食うのを私がはたき落して、鍬にて頭部より六寸余りの所より切り殺し  た事があります。住宅より辰巳の方向に(約三十間の距離)昔の武士の墓場がありますが、面積  約二十坪のが何時の間にか約半分余りになつて畑に使用致して居ります。以上の事と家族の病気と霊的関係が御座いましようか。如何致しましたら宜しいか御教示御願い申し上げます。

【御垂示】右御家内の眼は、薬毒の為失明したのであるから、気長に浄霊すれば必ず治る。急所は後頭部下方に固まりがあるから、そこを浄霊すればいゝ。次女の腸結核は誤れる医療の為、三女の眼は母親の遺伝と薬毒故、之も気長に浄霊すれば必ず治る。右の如く三人の病人は霊的関係なし。又三十年以上経た霊の祟りは先ずないと思つていゝ。但し松の木の木の霊の祟りは多少あつても、光明如来様を御祀りしていれば解決するから心配しなくてもよい。

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【お伺】私の下腹部(臍下右寄り)に拳大(スポンヂ・ボールの如き)の固りが出来、御浄霊を御願い致しましたがむしろ大きくなる程でありましたが別に痛みはありませんでした。昨年二月明主様に御伺い申し上げ、御参拝の節名前の「ちゑ」を「みゑ」と改名迄戴き、変な霊(別に何とも申されず)によつてなつて居るから相当永くかかると思うから浄霊を受け大いに働いて気永にやつていく様にとの有難き御垂示を賜わり、其の後其の如くに主人から毎日浄霊をして戴き、時々先生にも御浄霊願い、毎日の様に野良仕事等相当の重労働も致し今日に至りました。其の間時々下痢等を戴きましたが休むことも無く御守護戴いて参りました。然し未だ固りは大した変化なく、従って子供も御座居ません。本年七月、強羅に御奉仕させて戴き、帰宅後八月八日下腹部に痛みを生じ食欲もなくなり便秘し、九日には尿も出ず一時呼吸も苦しい程の浄化を戴きましたが、十日には御守護により楽にさして戴きましたがやはり固りに余り変化は見えません。当家にては主人と私のみ入信し両親及び弟は未入信で余り積極的ではありません。御屏風観音様は御奉斎して居りますが御神体はまだで御座居ます。又主人より御浄霊して戴く場合、及び此道の話しを致します都度弟はブツブツ言つて変な反対する様な態度をし、霊的に何かある様に感ぜられます。右の通りに御座いますが、浄霊の不足によるものでしようか。後二、三年位はかかるものでしようか?罪深き身を感じ大いに徳を積んで御赦し願うべく御奉仕さして戴きましても、短期間のみで嫁の身で思う程に出来ませんのが残念に存じますが、何卒御守護賜わり度く御願い申し上げます。尚現在の私及び一家として如何様にして参るべきで御座居ましようか御伺い申し上げます。

【御垂示】固まりが少し大きくなつたのは非常に結構である。之は普通は大きくなつて穴が穿き、膿が出て治るのであるが、うまくゆくと或程度まで腫れてから、下痢で治る事もある。此人は右の腎臓部に固まりがあるから、其所をよく浄霊する事、浄霊の場合は出来るだけ力を抜くようにすれば、長くは掛るが必ず治る。

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【お伺】野崎きぬゑ(三十七才)は昨年二月頃より発作的に物を投げたり怒つたりする様になり、九月に男児分娩後は殊に発作が激しく、家人の監視が必要の為脳病院へ入れましたが其の時院長は全快の見込なく預かるだけだと言われ、電気治療を致し、約六カ月後の本年五月退院致しましたが、日常絶えず何者かの霊と話をして居ります様で、返事をしたり笑つたりしやべつたり致して居り、他から話を致しましても、とんちんかんな返事を致し、げらげら笑います。時々大切な物でも無理に人にあたえて困らせたり、たらいに水を入れて、行水のまねを致します。六月十四日より主人に此御道の話を致し御浄霊を致して居りますが変化が御座居ません。七月一日家出致し三日目に警察に保護されて居りました。七月十八日、主人と本人と入信致し御屏風観音様を御奉斎させて頂きました。(先祖代々の霊の位牌は作つて居りません)其の後は動作がそはそはする様になり、二十二日夕刻よりひどい発作が起り「坊様や御客様が多勢くるから」と家中騒がせました。翌朝は激しく「神様が切れと言われたから」と刃物で手を切り、首を締めたり、たらいに水を入れて着物のまゝ入り、祝詞をあげ、歌を唄い、飛んだり暴れたり致し、やつと上げて御浄霊致しますと「わしは御日様の次に悟りを開いたのだからそんなもの(御浄霊の事)いらぬ」と申し、又「家に火を点けて焼け」とか色々大声でどなつて居りましたが天津祝詞、善言讃詞、御讃歌、明主様のレコード等聞せまして御浄霊させて頂きましたら、夜八時頃やつと平常の精神状態になりました。其の後、御浄霊をきらいます。主人は野崎家へ養子に来まして、一男一女を置いて戦時中に先妻と死別致し、二度目に今の「きぬゑ」を娶りました。次々と三人分娩致しまして長男は幼児の時死亡致して居ります。尚本人は最初嫁ぎまして三カ月位で生別、男児分娩後、男親に渡し里子に出し、現在十六才で其子供が生みの親を慕つて居るそうで御座居ます。尚本人は野崎家へ来まして三カ月位の時結核性脳膜炎で入院致し、氷冷で良くなつたそうで御座居ます。尚本人の実母は生駒の聖天様の熱心な信者で人助けも致して居るそうで御座居ます。主人も入信は致しましたが中々わかりません。御浄霊の個所は前頭部、後頭部、肩、首、腎臓部をさせて頂き、御浄霊の時は天津祝詞、善言讃詞を一回づゝ奉誦させて頂いて居ります。之は如何なる原因で御座居ましようか。如何に致しましたら御赦し頂けますで御座居ましようか。謹んで御垂示の程を御願い申し上げます。

【御垂示】之は狐霊、狸霊、其他種々の霊が憑るもので、一般精神病の状態である。之は本人の浄化作用というよりも主人の方の浄化作用である。何故なれば苦しみはズツト主人の方が多いからである。従つて主人が熱心な信仰によつて人助をし、神様の御役に立つようにしなければならない。その徳によつて罪穢が減るから、それだけよくなるのである。勿論浄霊、祝詞、御神書拝読等も結構だが一番の急所は右側延髄を中心に、首の周りに固結があり、又前頭部にも毒素が大いにあるから、右の二個所をよく浄霊すれば長くは掛るが必ず治るのである。

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【お伺】私の弟貢(二十四才)は、昨年十月中頃より肋膜症状の御浄化を戴きましたが、御蔭様で御浄霊に依り全快、本年四月中頃より頭の御浄化を頂き、前額部及び後頭部並びに首の周囲等に高熱あり、特に声がれがしておりました。又右横腹部に痛みがあり、寝返りに困難を致しました。御浄霊に依り御守護賜わり一時快方に向いました。五月二十八日再び同様の御浄化を戴き現在に及んで居ります。現在は頭部首の周囲腎臓部、尾 骨(ビテイコツ)、臑等に高熱があり、やはり声も出しにくゝ息苦しく一寸歩いても非常に苦しく御座居ますが、脚部特にスネの部分がいたみ歩行困難の状態で御座居ます。又足首及び手の両親指もしびれて居ります。御浄霊致しましてもなかなか下熱致しません。食欲は茶椀に一杯位で御座います。十一時頃より三時頃まで毎日発熱し寒くてふとんをかぶることも御座居ます。  弟は絶家した親戚を(堀田家)継ぐべく入籍致して居り、堀田家の父は大腸カタルで、母は中風にて三年前に、息子は肺病にて十五、六年前それぞれ死亡致し絶家となりました。弟は昭和二十四年入信以来余り熱心で無く途中御守を掛けて居りませんでしたが現在は申訳なく感じお掛け致して居ります。誠に申訳なき事と謹みて御詫び申し上げます。堀田家には去る七月五日御屏風様を御奉斎戴きましたが浄化の為生家に居りますので御祀り出来ず、蔭膳を致して居ります。  弟の浄化はこれらと関係御座居ましようか。御浄霊の個所等御教え賜わり度く謹みて御伺い申し上げます。

【御垂示】之は霊的関係はなく、薬毒病である。熱が執つこいのは、浄霊が急所を外れているからで、触つてみて一番熱い所を見附け其処を浄霊すれば、段々熱は下るものである。其他圧して痛い処を浄霊する事、食事は野菜を多く摂る事、何よりも衰弱を増させないようにする事でそれには普通の安静にすればいゝ、それで治る筈である。

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【お伺】左記の者、松永重徳四十五才は、現在長崎県崎戸島にて、崎戸炭鉱に勤務して居ります。昨年十一月入信以来御守護いたゞき夜は腹痛に悩み乍らも毎日出勤は致し居り、帰宅後は熱心に浄霊に従事し、以来入信者約二十名を導き、現在協力会員二十四名の責任者として、一生懸命御神業の御手伝いを致して居りますが、最近、特に浄化はげしくなり、支部長、安田三六、毎月当地に出張浄霊二~三日と義兄、教師、箱丸恵、毎月一週間程出張致し浄霊する他は妻より浄霊をいたゞき、他人を浄霊している間は楽ですと毎日自分も浄霊に従事している状態でございます。現在迄に手術四回をはじめ相当色々の手当もして居りますので、胃薬及び消毒薬の浄化作用と思いますが右につき浄霊の方法、個所等御指示仰ぎ度く尚併せて御守護の程御願い申し上げます。

【御垂示】無論薬毒である。浄霊の急所は腎臓部を主とし、次に腹の痛い処を出来るだけ力を抜いてやればいゝ。

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【お伺】三男雅紀(十三才)は小学校に入学する頃より(昭和二十一年)手足の自由がきかなくなり出して心配しておりました処、この御道を知らせて戴き、昭和二十三年入信させて戴きました。同年光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きましてその後御浄霊はつゞけておりますが、だんだんと自由になれなくなり、今では殆んど動かさず、食事の時は飯台の上に置けば自分でどうやら食べられる程です。長男はやはり入学する頃より体が不自由となり、十二才(昭和二十年)で小児麻痺で死去致しました。雅紀の祖母は中風で昭和二十六年十二月に死亡、祖父は同二十七年五月に腎臓病にて死亡致しました。右何卒御守護御願致しますと共に雅紀の御浄化につきまして浄霊の急所とその原因を御教示願い度くお伺い申し上げます。

【御垂示】此病人の最近の状態を知つている教師の人から、直接詳しく訊いて返事をする。

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【お伺】信者赤池貞一郎(三十七才)の家について御伺い申し上げます。右の家には近親者に変死した者が数人居ります。長男栄一は昨年三月水溜へ落ちて死亡(当時三才)長女(本年七才)は栄一が死んで一週間程後三日間昏睡状態となり、浄霊しても変らず、栄一の死んだ場所へ行つて善言讃詞を奉唱して頂きましたら良くなりました。又二十年前本家では信者貞一郎の妹澤子が大きな池の中に落ちて死亡(当時十三才)、姉トヨキは三十七年前やけどして間もなく死亡(当時六才)、引続いて翌日次の弟義勝(当時三才)が腹痛を訴えて前方に転んですぐ(死亡)其の外にまだ二人死亡して居ります(病死)。信者貞一郎の二女邦子(昨年十二月三十日出生)は生後二三日位から吐気があり、黄疸の状態となり、夜昼の別なく泣き通し、毎日御浄霊を続けて居りましたが、一進一退で発育も悪く、遂に、本年六月六日死亡致しました。死亡の直前に医師に診療して貰いましたところ「先天性輸胆管閉塞症」との事でした。是等近親者の死亡、殊に変死者が多い様に思われる事には如何なる霊的関係があるのでしようか。今後も不幸が続発するかと思うと非常に心細く、どうすれば良いかと迷つて居る様子です。御屏風観音様は昨年御奉斎させて頂きましたが、光明如来様は御奉斎させて頂くつもりで貯金して居られます。何卒右御垂示を御願い致しますと共に御守護の程御願い申し上げます。

【御垂示】之は龍神の祟りであるから、一日も早く光明如来様を御祀りして、そうして熱心に信仰を励めば段々よくなつて不安は消えて了うものである。

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【お伺】私は心臓弁膜症で御守護戴き、昭和二十五年に入信致しました者で御座います。二十四年に長男(幸作現在四才)を分娩し、生後十カ月位の時、お祖母さんの一周忌後急に発熱し、医師にみて戴いたら佝僂病と云われ、毎日通つている中に小児麻痺と診察されました。不具の子供を持つ悲しみ絶望感はひしひしと身に迫るものがありました。軟弱で骨の無い如き症状で、言語明晰を欠き、涎を流し、全部が屈曲麻痺しております。御浄霊戴きましてから握つたまゝの手が今は開く様になりました。やつと物を持つ様になり、目もどろんとして年寄の様だつたのも少し良くなりました。私も一生懸命神様におすがりし、会長先生からも幾度も御浄霊を戴き、「貴女の御先祖には中風で亡くなられた人は御座居ませんか」とたずねられました。私が子供を生む五年前に姑が中風で亡くなつております。幸作がお祖母さんと同じ様な状態で顔迄がそつくりで御座居ます。御屏風観音様は奉斎する様に再々お祖父さんに云いましたけれど、天理教の信者で聞き入れず、私の実家で弟が入信しているので御屏風観音様を御奉斎致し中風で亡くなつた祖母も実家にお祭りさせて戴いて居ります。私は浄霊戴き乍らも再び子供を授けて戴き、その子供は幸作に比べものにならない程達者な子供で御座居ます。弟が丈夫なので幸作は泣いているので御座居ます。或時天理教の布教師にすゝめられ奈良の本部迄行きましたが、何の変化もございませんでした。只今は御浄霊は弟より戴いておりますが余り変化がございません。御浄霊の際は善言讃詞を奏上させて戴いて居ります。御神書も聞かせて居ます。今後如何致したらよろしいでしようか。謹んで御教示御願い申し上げます。

【御垂示】光明如来様をお祀りしなければ、本当には治らないが、併しそういう事情なら仕方がないから、支部の神様によく御願して、時節を待ちなさい。

(註)千本操の質問に就ては十月二日の特別面会の時直接話をする。

(地天四十号  昭和二十七年九月二十五日)