「地上天国誌」創刊号~第10号

此欄の記事は、多数の信徒から寄せられたる難問、疑問に対し、大先生に於かれては快刀乱麻を断つ如く懇切丁寧に応答せられたる中から毎号掲載し、信徒諸氏の身魂の糧として熟読されん事を望むのである。

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【問】宗教と科学の関係、及び両者とも永久に必要でせうかどちらか不要になる時が来るでせうか。

【答】之はどちらも不要なものでなく、どこまでも進歩発達すべきものである、少くとも宗教が無かつたら人類の罪穢は溜るのみで、それによつて生ずる毒素の堆積は人類を破滅する事になる、それは浄化の為大天災が続くからで、又科学がなかつたら人類文化は進歩しない。宗教と科学は同じものである事は既に「信仰雑話」で説いた。従而、科学で説明の出来ない宗教は本当のものではなく、同時に宗教で説明出来ない科学も本当のものではない。宗教を度外視した科学の発明は恐ろしい事はいふ迄もない、科学の進歩が人類の幸福と伴はないのは其為である、今までは宗教を閑却し寧ろ否定したが科学の進歩に伴ひ宗教も一緒に発達して行かなくてはならぬ。

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【問】血統と霊統の区別と関係及び血族結婚の可否に就て御垂示下さい。

【答】血統と霊統は同じやうに思へるが実は異ふので、両者は宿命と運命の関係に似てをり、血統は変へ得るが、霊統はかへる事が出来ない。血統はいろいろ混る、日本人なども随分混血してをり、純粋の日本人はないと言つてもいい、霊統は霊の系統であつて肉体の混血に拘はらず一貫して続いている、又混血は非常に結構である。何となればそれぞれの人種の特長を数多く採入れるから、それだけ人間の性能が豊富になるからである。よく血の純潔をやかましくいふが之は誤りで純潔はいけないのである。文化でも各国の文化が混るほど高度のものとなるから、そういふ国ほど文化が進んでゐる。アメリカなどはよい例である。血族結婚は差支へない、血族結婚は不具が出たり、不幸になるなどといふが決してそんな事はない。太古は皆そうであつた。よく平家村といつて特殊な村があるが之は皆血族結婚である。曾つて私は奥日光の湯西川温泉へ行つた事があるが、ここはやはり平家村であつて、戸数九十戸人口六百人程であるが、病人は中風の者が一人きりで殆んどない、勿論無医村である。宿の娘と話したが実に言語応対当を得ており、素晴しく頭がいい。話によれば、初め平家の残党が逃げて来た時は三十人程であつたといふから、血族結婚で殖えた事は勿論である。日本の神代史によれば、初め伊邪諾、伊邪冊尊の陰陽二神があり、それから殖えたのであるから、最初は右二神から生れた兄弟同士が結婚したに違ひない、夫婦の事を妹脊の道といひ、妻を吾妹子とよぶのは兄と妹と結婚したからであろう。

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【問】邪神は殊更正神らしく見せかける様に思はれますが如何でせうか。

【答】之は無論そうであつて、最初から邪神と分られては人間の方で警戒するから、邪神の目的は立たぬ、どこまでも正神と見せかけて間違つた事悪い事を、善い事正しい事の様に思はせるものである。邪神はいはば人間界の詐欺師のやうなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、余程はつきりとした眼識をもたねばならぬ。私の「信仰雑話」をかいたのも一つはそういふものにしつかりした判別力を植付けるためでもあるから、どうしてもこれによつて智慧証覚を磨かねばならぬ。随而邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙(ダマ)されるのである。例えば共産主義の如き之は自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違つたものであるが、主義者は之こそ大衆を救ふ唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやつてゐる。それだけに又非常に強い処がある。又社会主義の如きもそうで、これが本当のやり方で之によつて社会は救はれると信じ切つてゐる、この主義によると、賢者も、智者も、愚者も、偉人も平等に取扱はふとする、そこに不公平がある。大自然を見ても一切に自ら階級がある。偉人とか智者は社会からそれ相当の地位を与へられ優遇さるべきが本当であつてそれによつて社会の秩序が保たれる、又社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは文化の進歩を阻害する事になる。競争心があるので進歩発展するのである。次に資本主義も甚だ間違つてゐる、之は、金力を以て大衆の幸福を蹂りんする事になるからである、どうしても全体が幸福を得るという全体幸福主義といふやうな新しい思想が生れなくてはならない、そこ迄文化が向上する事を念願として進むべきである。

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【問】趣味として魚釣りをする事は差支へないでせうか。

【答】之は趣味として熱中しない程度なれば差支へない、ただあまり凝ると魚の祟りがある。私は若い頃釣りに凝つて指が腐つたやうになつた経験がある。之はみみずと魚の怨みで、特にみみずは龍神の一種であるから祟るのである。然しあまり凝ると、魚釣りの殺生の罪よりも、なまけの罪の方が大きい事になるから注意すべきである。人間は常に五体を有用に使ふやう心掛くべきで、特に頭を使ふ方がよい、頭は使ふ程発達し長生きをするから、頭を使ふ学者、僧侶等はそうである。あまり使はぬ野蛮人などは割合に早死するをみても知らるるのである。

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【問】人類には如何なる訳で悪があり、苦がありませうか。

【答】之は人類を造つた神様でなくては、造られた人間では判り得べくもない、私も造られた人間であつて造つた方ではないからその真意は判らぬが、唯だ凡その想像は出来る訳で、無論何かの必要があつて、そういふ風に造られたものと思ふ。元来主神は全宇宙そのものがその御所有物であつて善も悪もないが、神典にある如くその主神から分れて霊系の祖が高皇産霊神、体系の神が神皇産霊神となられた、之は陰陽の神であり、陽陰はすでに善悪である。そして悪に属する神を邪神、善に属する神を正神といふ、この善悪が始終摩擦し争闘しつつ、人類は生成化育し今日の如く輝しい文化の発達を見たのである。此点が人間としての考へ方の難しい所で「悪人を造つておいて裁くなら初めから造らなければいいではないか、審判などといつて人間を悪い事をするように造つておき乍ら、罪を罰するとは無慈悲不合理だ」と言ふ人もあるが、私としても造られた側に立つてゐるので神意を知り得べくもないが、何の為に悪を造られたかの想像はつく、それは確かに悪によつて善が活動し文化が進歩を遂げたといふ事実である。然し乍ら人間として悪い事をすると悪い結果が必ず来る、即ち因果応報で、之は間違ひのない事実であり、真理である。どんなにしても善でなくては栄えない。人を苦しめれば自分が苦しむ、人を幸福にすれば自分が幸福になる、そうすると善い事をした方が得だといふ結論になるから人間は善事を目標としなくてはならぬ。  次に苦しみも何かの必要があつて造られたもので、現実の苦は如何にして祓除し得るかである、それは神から苦悩の元たる曇を除つていたゞく外はなく、神仏の光によつて除つてもらうのである。観音教団の浄霊はその為に出来たもので、此浄霊により神の光が放射され曇は解消し、苦悩はさつぱりと除れるのである。そうして此曇は信仰と徳の程度により、大きくも小さくも除れるのである。邪念や言葉の罪などは朝夕神仏を礼拝する事によつて大方は浄められるがそれのみでは本当でない。やはり人を幸福にする事が肝要で、信仰は拝むのみでは本当に救はれぬ、先づ多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。

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【問】虹が七色になり丸くなつて出るのはどういう訳でせうか。

【答】虹が七色になるのは学説の如く、太陽の光線が分光されたもので、七色の色彩を塗つた円板を廻転さすと白く見えるが、それと逆の理によるのである。空中の水の粒子即ち水蒸気の濃度が感受性の鋭い為プリズムの作用をして分光する訳で、之も神様が造つた一つの天然の美である。丸くなるのは太陽でも月でもそうであるが凡て物質は円状であるのが原則である。  神霊と人間霊も移動する時丸くなつて行くのである。私の腹の中にも丸い光の玉がある、その光が御守を通じて働くのである。

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【問】自由主義の本義に就て。

【答】自由主義といつても無軌道な自由主義ではいけない、自由主義には有限自由主義と無限自由主義とがある。無限自由とは何でも彼でも自分の自由にするといふ悪性的のものであり、有限自由は或範囲があつて、その枠を越へない事で之が本当の正しい自由主義である。故に無限自由主義によつて破滅した人は古来その例に乏くない。そうして自由と運命とはよく似てゐる、例えば秀吉は日本で関白になるのが運命の限度であつた。朝鮮征伐をしたのはその限度を破つた事になる。ヒトラーでも独逸だけ治めてゐればよかつた。ドイツの統治が彼の運命の限度であつた。これもその運命を突破つて滅びた。大本教の出口王仁三郎氏の如きもやはり運命を突破らうとした為に失敗したが、それがなければ今は素晴しいものになつてゐたであらう。ナポレオンの如きも「吾が辞書に不可能の文字なし」などと自惚の極大失敗した、徳川家康などはその分をよく知つてゐたから長く続いたのである。人は自分をよく見究めなくてはならない、人間は調子よくゆくと慢心する結果運命を破るのである。日本も軍ばつ時代は個人の有限自由までも圧迫した。それがアメリカの手により解放された次第である。故に真の自由主義とは、他人の自由を尊重し合ふ事である。

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【問】潮の満干が人間の生死に関係する訳。

【答】潮の満干は月の引力によつて起るので月の引力とは月の呼吸作用である。月も一日一回づゝ呼吸する訳である。太陽は人間の霊の本であり、人間の体の本は月である。故に胃脳肝膓腎といふやうに人体内の器能の大方は月の字が入つてゐる。たゞ心臓の心は月がない。これは太陽からの火素を吸収する器関だからである、心臓の心の字の右の点を左へおけば火となるのも面白い。斯の如く人間の肉体は月と密接な関係があり月の霊線は肉体と繋つてゐるので、月の呼吸が人間の生死に関係するのである。

(地天創刊号  昭和二十三年十二月一日)

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昭和二十四年三月号

此欄の記事は、多数の信徒から寄せられたる難問、疑問に対し、大先生に於かれては快刀乱麻を断つ如く懇切丁寧に応答せられたる中から毎号掲載し、信徒諸氏の身魂の糧として熟読されん事を望むのである。

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【問】真理に就て。

【答】之は一概にいえない。真理は其人の見方と立場によつて異ふ。神から御覧になるのと人が観るのと違ふし、神でも上中下の位があるから、下位の神の見らるる真理と、最高の神の見らるる真理とは又大いに異ふのである。人間が真理と信じてゐる事で、神から見て逆理の事も往々ある。森羅万象の一切と其動きは真理ならざるはない。何となれば万有全体の上に座す神としては、その全体が御自分の物であるからである。又一切を二つに分けると、その各々の真理は陰陽相対的に異つてくる。その二つのものがそれからそれへ幾つにも分れるに従つてそれぞれ異つてくる。要するに小さく考えるのと大きく考えるのとでも異つて来るのである。人類社会に於る真理、それはどうしても正しい事を基本にしなくてはならない。宇宙の真理とても善を主に動いてゐるからである。もし悪を真理とするとすれば、人類社会は既に崩壊し一切は滅亡してゐた筈である。そうならないで現在の如く栄えてゐるのは、少しづつでも正が勝つてゐる事を証拠立ててゐる。これによつてみても善が栄えるのが真理であるといふ事に帰着するのである。然し乍ら人類社会に善なる者のみで、悪なるものが無かつたならば今日の如く文化は発達し得なかつたのである。悪があつて善の活動を妨げたり苦しめたりする事によつて善の力を強め、その進歩を促進せしめたのである。以上は大乗的な説方であつて或程度の覚りを開いた人に説くのは差支えないが、小乗的な人にはその真意は解し難く、誤解を招くおそれがあるから注意すべきである。

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【問】観音力、観音行、観音心に就て。

【答】観音力とは観音の発揮する力であつて、この観音力を戴けば人間が之を発揮する事が出来るのは諸君が無数の奇蹟を行つてゐる事実によつても明かである。ただ其際人により発揮する力の強弱の差別はある。観音心とは観音の大慈大悲の御心でありその御心を心として体現する事が観音行である。特に観音心行に於ては絶対に人を咎めてはならぬ。此人を尤めるのが一番いけないのである。御讃歌に菩薩行といふ事があるが、菩薩とは仏教では覚者を指すのである。この菩薩までは誰でもなれるのであるが如来には容易になれない。如来も無論印度の位で、尊者、菩薩何々天、如来、明王といふ位がある。菩薩行とはその菩薩になるまでの行をいふのである。観音様の事を無礙光如来とも応身弥勒ともいふのであるが、之は自由無碍、円転滑脱、行詰る事のないお働きをいふ。又応身とは、相手に応ずる事で、時により所により人により凡ゆるものに応じ千変万化の行をするので三十三相に化現されるといふのも、応身のお働きを示したものである。であるから観音行に於ては先づ応身する事が出来なくてはいけない。そして本当に観音行が肚へ入ればどんな事でもうまく行くのである。観音様は一面非常に勇猛な点もあるので、最勝妙如来といふ御名もあり、又馬頭観音のお働きもあるが、此場合は獣になられて悪鬼羅刹を克服されるのである。神様の事は悉く極めて合理的であつて、神様のなさる事やお許しのある事は必ず肯けるべき理窟がある。従而人間の行動も無理がないと共に理窟が立たなくてはいけない。然しそれは決して窮屈に難しく考えるのも感心出来ない。要するに信仰は当然の事を行えば良いのである。よく「果報は寝て待て」といふが、あらゆる事は決して焦つてはいけない。寝て待つ位な、常にゆつたりした気持でなくてはならぬので、そうすれば物事がうまくゆくといふ事で、之も観音行の一面である。

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【問】インフレ解決の時期。

【答】之はもう長くはない。凡ゆるものは陰陽が交る代る転換する様になつており、陰の極は陽に転じ、陽の極は陰に転ずるのである。インフレとてもそうであつて上つたものは下るに決つてゐる。只問題は峠即ち天井と底を知る事である。然るに現在はインフレの峠になつてゐるか、下り坂になつてゐるか、或は中途であるかであるが、インフレといふものはどんなに続いても十年以上は続かない。インフレの一番の原因は主食を統制した事にあるので米の値段がすべての物価を支配する事は誰も知つてゐる。処が今は主食は輸入と相俟つて間に合つて来つゝある。又物が下り始めると思惑で買控える事となるから下げに拍車を掛ける事になる。そして近頃食料品以外の物も生産が増して来た。その上日本は軍備がなくなつたから、今迄それに消費した国力を平和産業に振り向ける事となるから何れは物が非常に殖えて使ひ切れぬ位になる。現在物価は最も上らぬものでも百倍位になつており、物によつては千倍或は三千倍位になつてゐる。故に今は寧ろ下る時の準備をした方がよいと思ふ。又何事でもそうであるが、上げる時には時間が掛り、下る時は早いものである。「山高ければ谷深し」といふ諺があるから注意すべきである。とは云ふものゝ万一米ソ戦争が始まるとすれば考え方は又異つてくる。又平価切下げも考慮に入れておく必要があらう。

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【問】光明如来様をお祭りしてあるお部屋へ入ると、麝香よりも線香よりも、ずつと好い匂ひがする。特に立派な先生の御宅の御奉斎の間へ入ると一層強く感じますが、如何なる訳でせうか。

【答】神霊は何ともいへぬいい匂ひのするものである。匂ひといふのは真善美の中、美のうちに入るので、天国や極楽などは芳香に満ちてゐるものである。

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【問】お盆の意味に就てお伺ひ致します。

【答】釈尊の大慈悲から盂蘭盆会といふものを作り、毎年一回日を決めて地獄にゐる霊を子孫の家へ還らして下さるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くといふが、兎に角地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知つてゐて待つてゐるのである。元来祖霊は常に全部仏壇にゐる訳でなく、平常は選ばれた留守番の霊がゐるだけで子孫が拝む時だけ仏壇に集るのである。その際仏壇には或程度救はれた霊だけしか来られない。つまり八衢以上のものが来られるので、地獄にゐる霊はお盆の時以外は来られないのである。お盆には種々の儀式を行つて霊を迎へるのであるが、「おがら」を焚くのはこゝからお入り下さいといふ目印である。之は今迄夜の世界だつたため霊界も暗いので燈りを見せないと霊がまごつくからである。茲で注意したい事がある。それは仏事はどんな古い先祖でもする程よい。又長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となつてもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じ事で、自分の子供のどの家へでも行ける様にありたい訳だ。従而、次男も三男も全部祭るべきである。位牌が多くて始末に困る時は面識のある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。

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【問】人間往生すると北枕に寝かし、着物を左前にしたり、逆さに掛けたり、逆さ屏風にしたり、死体の上に刀を置いたりする習慣になつてゐますが之は如何なる訳でせうか。

【答】元来方角からいつて北は霊、南は体である。人間が死ぬと霊になるので、北へ向つて往くのが本当である。往生する時、天国へ往く霊は額から、地獄界へ落ちるのは足の拇指から、八衢へ往くのは臍から、それぞれ脱出するのであるが、天国行の霊は少ない事は勿論で兎に角天国へ行く様にといふ意味から北枕にするのである。そうして方角の中北が主で一番位が高く霊気が濃いのである。北とは言霊学上気足(キタ)で、即ち霊が満ちてる事で磁石が北を指すのもそのためである。従而、体は南へ、霊は北に属する。これが原則である。故に生きた人間とても北枕にした方がよい。昔から頭寒足熱といふが頭を冷く、足を温める訳で私は昔から北枕にしてゐる。然し北枕がいいといつても床の間が南になつてゐる場合は不可である。死者に着物を左前にしたり逆さにかけたりするのは現界と霊界は逆であるからで、すべて反対が理窟に合ふ事となる。刀は魔除けのためにおくので、死人を魔が狙ふとか、猫や邪霊などがいたずらをするといふ訳だがそんな事はないので、之等は生きてる人の気慰めにすぎない。

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【問】恋愛に就て。

【答】此問題は非常に広く多角的なものであるから端的に斯うといふ事は言えない。普通の恋愛即ち純粋の恋愛は神様から与えられた御恵で、これは結構なものである。然しバーナード・シヨウは「恋愛は子孫を絶やさぬ為の一種の手段である。」と言つたが、全く穿つてはゐるが冷たい見方である。本来恋愛そのものは悪いものではないが、恋愛にも正邪があるのであつてそこに正しい判別を要するのである。本当の純愛で結婚が成立するのは勿論善い事であるが、一方に妻あり夫がありながら、他の者に恋愛すればその為に結局人を苦しめる事となるから罪を作るので、よく考えなくてはならぬ。一時的の享楽の為に大きな苦しみを得る事は甚だ詰らぬ事である。須らく叡智と道義を本として判別すべきである。但し右の如き恋愛でも想念だけなら大した罪にはならないが行動に移すと罪になるのである。

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【問】自己の不徳のため、相手に迷惑を及ぼしたので之を謝罪し相手も許してはくれたものゝ尚且つ自己の良心に責められる場合、安心を得られる悟りにつき御垂示下さい。

【答】相手が許したら罪は大方消えてゐるが、それで全部が消えた訳ではない。真の裁きは神様がなさるのだから神様が許したのでなくては完全ではない。先方が許せば怨みの霊が来なくなるから大きい影響はなくなる。恰度法律に触れる様な罪を犯した場合、悔改め自首しても刑罰は軽くはなるが無罪とはならない、それと同様である。  注:((*1))  一九四四頁参照

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【問】重病人で脈搏以外に臨終を知る方法を御教示下さい。

【答】死期を知るのは霊感が一番よいが、体的にも種々な徴しがある。即ち死相であるが、昔から眼の縁が黒くなり、小鼻が落ちる事など謂ふが、一番よく判るのは顔が死人の様にみえる事である。又足の甲に浮腫が来ると大抵は駄目である。然し甲の上から上方へ平均して浮腫のあるのは一般的病気症状で之は生命には関わらぬ。又唾が出なくなつたり、唇がギザギザに乾くのもいけない。目に力のないのも先づ見込みはない。特に頭が変になつてトンチンカンな事をいふ様なのは、既に本霊が抜けてゐるのでこれは絶対駄目である。

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【問】墓石に自然石を用ひるのは墓相学上よくないと聞いておりますが、墓相といふものはあるものでせうか。

【答】人間に人相がある様に墓相の可否も多少はある。自然石を墓石にするのは余りよくない。自然石は本来庭石などに使ふべきもので、斯ういふ事に使ふのは理窟に合はぬからである。やはり墓には墓石の形にするのが本当である。霊によつては斯ういふ事を非常に嫌ふのがある。墓参に行くと、祖霊が墓へ挨拶に来る。その時墓が法に適つてゐないと嫌がるのである。霊界人はすべて法則通りを好むので実に几帳面なものである。  又黒石を大変嫌ふが元来黒色は地獄とか悪魔を表徴するからで、天国は白色又は紫色で表はすものである。

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【問】入信してからの不幸災難の原因に対する神の慈悲と恵に就いて。

【答】信仰者に対し神様が恵みを与へようとしても、その人に罪穢があつては神恵を受ける資格がないためである。即ち入れ物の中が汚れてゐるからそれを取除いて奇麗にして下さるといふ訳である。

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【問】自家で飼育した家畜を殺して食べる事は罪悪になりませうか。

【答】家畜類を殺して食ふ事の可否は一概には決められぬ。営業で殺す場合は割合に罪は軽いが、そうでないのは重い訳で動物と雖も殺されれば怨む。その怨みも沢山になると共同して人間に対し恨を返す事になる。故に年に一ぺん位まとめて供養してやるといい。そうすれば罪は消える。営業でなく自家の家畜を殺す場合は怨みが大きいから必ず供養してやる要がある。そうしてその時幽世の大神様に「その家畜類が此次は転生して人間に生れ代らして下さるよう」御願してやると、反つて大きな功徳となるのである。

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【問】自己の行に対しては専ら小乗的に律し、他人に対しては大乗的に行くべきが本当でせうか。

【答】之は大いなる誤りである。大乗的といへば自分も他人もあらゆる事に大乗的でなくてはならぬ。自分を小乗的に律する時はそのため自分自身が拘束され、働きが狭まり力が出ぬ。戒律などは小乗的なもので狭い、こうしてはならぬ、あゝしなくてはならぬと限界を作ると進歩発展が出来ぬ。要するに何をしても良いといふ具合でゐて、自ら総てに渉つて法に外れず道に叶ふ様でなくてはならない。

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【問】私は東京で戦災に遇い只今他地に住つておりますが、相次ぐ物心両面の苦しみに堪え兼ねつつも救いのお道の為、大いに働かせて頂き度いと衷心より願つて居りますが、それも思ふように出来ませんが、どういふ訳でしよう。

【答】これは罪穢が沢山ある為でもあり、又大きい使命があるからでもある。大きい使命のある人はより磨かねばならない。それが為苦しい浄化はあつても、その人に信仰のある場合神様は必ずそれに堪え得るような奇蹟や、一方良い事を与え希望を持たせて下さるものである。故に信仰さへ動かなければ左程苦しまず必ず一歩々々好転してくる。故に結局は良くならんが為の苦しみと覚るべきである。

(地天二号  昭和二十四年三月一日)

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昭和二十四年四月号

【問】米、野菜の如きも生命がある訳で、それを人間が食ふ事は生命を奪ふ事になると思ひます。一種の罪ではないでせうか。

【答】之は罪といふべき程のものではない、米等は人間必須の食物として神様から与へられたものであるから生物の生命とは異ふ。宇宙一切のものは人間のために存在するのであるから、如何なるものでも人間のために役立たしむべきが本当である、動物を食ふ事は一種の小さい罪にはなるが、供養してやればよい、その中でも特に鶏、鰻の類は是非そうすべきである。よく鰻屋と鳥屋は良くないといふがそれは供養を怠るからである。

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【問】神は浄化を下し給ふて御救ひ下さる反面苦痛をも与え給ふのは罪業の許しの意味でせうか、又浄化と関聯して死が与えられるといふ事は如何に考えるべきでありますか。

【答】罪業の払拭は苦痛によつて行はれるものと神に縋る事によつて楽に済む場合とある。前者は無信仰者の場合であり、後者は信仰者の場合である。神からの救ひの綱が下つてもそれを掴む事の出来ない人は罪穢が多すぎ霊体が重くて掴む事が出来ないのである。然るにその後浄化のため病気災難等の苦痛が起り、それによつて罪が減るから霊が軽くなり、救ひの綱へ手が届く事になる。その様な訳でいくら良い教を説いても救ひの綱に掴り得ない人は、その罪の減る迄時期を待つ外はない、その時無理につかませても落ちてしまふ、然し右の場合浄霊を受ければ楽に早く浄化される。浄霊によつても死ぬのは多くの場合心から神に縋らぬからで、その人の信仰のどこかに不純な点がある事が多い、一切を擲つて神に縋る人は不治とみらるゝ病も大抵は助かるものである。信仰の浅い人は危機の場合迷ひが生じ易いのでその途端に神の救ひの綱が切れるのである。

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【問】浄霊によつて善人と思はれる人が助からぬ場合があるのに全く悪人としか思えない人で助かる場合がありますのは如何なる理由でせうか。

【答】一般に人間の眼からみて善人悪人を決めるが大いなる間違ひである。之は神様からみると往々異ふ場合がある。信仰雑話にある如くすべて小乗と大乗とあつてこれによつて見方が違ふ、人を観る場合大乗的にみなくてはいけない、善人といつても本当の善人は極めて少いので、普通善人といふのは大抵意気地なしで、概して働きのある人は多く悪人に見えるものである。神様の御眼からみれば善人といつても役に立たぬ人間は此の世の穀つぶしで一種の悪人である。大善をする場合は必ず小悪を伴ふもので、之は仕方がないのである。その際小悪のみをみると悪人としか見えない。又悪人からみれば善人は悪人である。要するに簡単に善悪を決める事は出来ない。善悪は又時代によつても違ふ、忠君愛国思想も民主々義の現在では悪になる、要するに全人類平等に幸福にする事でなくては本当の善ではない。

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【問】七福神に就て。

【答】これは伝説的なもので、甚だアイマイ極まるものである。いろんな説や解釈があるが、要するに日本、支那、印度三国の著名人を集めて古人が作つたものであらう。毘舎門天とか弁財天とかすべて何々天といふのは印度の位である。毘舎門天は印度の武神で一名多聞天ともいふ、弁財天は印度名であるが古典によれば、素盞嗚尊から生れた三女神の中の市杵島姫命といふ日本の女神である。福禄寿は一名ゲホウとも謂ひ、寿老人も布袋和尚等も共に中国人であらう。大黒天に就てははつきりしてゐないが印度人には違ひない、出雲大社では大国主命を大黒天と称してゐるが、之は昔営業政策から流説したものであろう。大国主命は素盞嗚尊の長男で大黒天とは関係がない。伝説によると、神代に於て天照大神が日本を統治なされた時、印度から渡つて来た豪傑があつて大神に何かに使つてもらひたいといふた処、洵に無愛想な顔なので大神は「そんな顔ではとても使えない、もつと優しい顔にならなくてはいけない」と申されたので、それからはニコニコ笑顔になつたので使はれる事となり、金銀財宝を扱ふ役を仰せつかつたといふ事で、即ち現代でいえば大蔵大臣である。これは面白い伝説だと思ふ。恵比須といふのは蛭子の尊といはれ、骨なしといふ事になつている。天照大神の息子で毎日釣ばかりして遊んでゐたといふ事である。骨なしとは要するに気骨のない人間といふ意味であらう。兎に角真偽は不明であるが、何か意味がありそうに想ふ。又恵比須様は釣竿と鯛を持つてゐるが、鯛は魚の王であるから、海の幸を表徴したものであらう。恵比須様に対しては大黒様は槌を持つてゐる。槌(ツチ)は土(ツチ)に通ずる故、槌を振る事は土の幸を産み出すといふ意味で、要するに海と山との宝を出す、これが恵比須大黒の本当の意味だと思ふ。元来観音様は高位の仏なるが故に、人を浄めたり、邪神を祓つたりして御救ひ下さる事はなされるが、金銀財宝等の物質的御救ひをされる場合、大黒様に扱はせ給ふのは事実で、金銀を集める力を大黒様に与えられる訳である。それで観音様の前に大黒様をお祭りするので、そうすると不思議に物質が集つてくる。之に就て面白い話がある、以前私が宗教人となつた最初の頃毎月赤字が続いた事があつた。すると或銀行員が大黒天像を持つて来てくれたのでそれを飾つた処、その月以来黒字が続く様になつたので、私は興味を持ち大黒天像を集め、一時は五十位もあつたが懇望されるまゝ人に与えたので今は殆んどない。その後特別大きい大黒様が手に入つてからは予想外に金が入る様になつたのである。不動銀行の頭取故牧野元治郎氏は有名な大黒様信者で、自分は大黒様の生れ変りの様に思つてゐた相だ、大黒様の夢の御告げで関東大震災の前に三千万円もの公債を買ひ、日本銀行へ預けた。処が震災の時他の銀行は支払ひを停止したのに対し、不動銀行だけは右の公債を現金化してドンドン支払つたので大いに信用を博して同業者間に頭角を顕はしたといふ話を聞いた事がある。

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【問】夫婦の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでせうか。又離婚せられた親の位牌の位置はどう云ふ順に入れたらよいでせうか。

【答】同じ仏壇でよろしい、妻の霊は夫の霊より次の位に祭る。一方だけ祭るのはまづい、総て左が上座である。夫婦の位牌は並べた方が猶よい、離婚された親の霊は次位に祭ればよい。

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【問】私の子供二人共戦死しました。如何なる因縁でせう。

【答】子供が戦死したといふ事はやはり一家に罪が相当あるので、種々の災ひに負ける訳である。戦争に行つても罪が少なければ決して危い所へは行かない。戦争に行つた信者の息子など殆んど皆助かつてゐる。本教団へ入ると皆罪の消え方が速いからである。

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【問】脊髄カリエスは巫子等により先祖の因縁を査べた方がよろしいでせうか。

【答】因縁をしらべても仕様がない、祖先の罪が霊界の浄化によつてその残滓が子孫の誰かの脊髄へ流れて来る、実にその膿の量は多量である。人間の身体全体を膿としてもカリエスの膿はそれ以上に多量に出る。之は全治はするがせむしはすつかり治らぬ。瘤はづツと低くなる。

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【問】霊魂を認めない宗教人の死と信仰を持たない一般普通人の死と死後霊界に於てどの様に異いませうか。

【答】宗教家の罪の方が重い、すべてその人の位や役柄の高い程神の咎めは重く、霊界に於て許されるにも長くかゝる。鳥が神社の屋根へ糞をたれてもお咎めないが、人間がそんな事をすれば大変だ。霊を信じない人が霊界へ行くと非常に驚愕すると共に暫らくは痴呆症のやうになるものである。

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【問】多くの動物とか鳥類の死体を見受けませんがこれは何か訳がある事でせうか。

【答】動物は屍化(シケ)といつて鳥などは地へ落ちるとミイラの様になつてなくなる。即ち霊化して了ふ、動物もそうである。即ち自分で自分自身を始末する訳である。然し家畜には屍化の作用がない。

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【問】大神、神、尊、命とどう云ふ風に違ひませうか。

【答】人間の一番偉いのは命といひ、普通人間が死んでつける。尊―これは生きてるうちから位のあつた人につける、命より上になる。例えば素盞嗚尊等そうである。又神が人間に生れた場合にも尊をつかふ。大神―之は主の神をいひ、只神と申す時は普通の神である。主神は体はもたれぬが唯その表現神はある。すべて神様の事は固定的に考えてはいけない。融通無碍である。然し国常立尊の様な神は大神といつていい。次に参考にいふが人間の場合一番上が麿で、次が丸、次が雄、男、夫といふ順序になる。

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【問】無肥料耕作の田植後の苗の黄味がかつたものは如何に処置したらよろしいでせう。

【答】もみに前の肥料の毒が残つてるためで、放置しておけば黄味はとれる、凡ての種に肥料の毒が残つてゐるが二三年続けてゐるうちにだんだんなくなる。

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【問】動物の浄霊を頼まれますがもつたいない様な気が致しますが如何でせうか。

【答】観音様は虫螻までもお慈悲を垂れ恵んで下さるから、救ひの意味からいふと動物でも人間でも同じ様に思つていいのである。又浄霊は下等動物程効果がある。

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【問】光明のお軸を拝んでると床の左壁に光明の文字が白く浮出します。その訳をお教え下さい。

【答】私の書いた絵や文字から光が出るのを見る人は沢山ある。事実光が出るのである。その文字の通りの光が出て光が文字の意味通りの働きをする。此説明は今の科学的頭では理解出来ない。私が光とかいた紙を懐に入れると光の働きをして、それが腕を通つて放射し病気が治る、私が字をかくと私の手から光が筆を通つて紙に印象される訳である。それは私の腹には光の玉があつて、その光が手を通る、又此の玉は観音様から出る、観音様は又その上の神様から出る、私が大光明如来とかくと大光明如来の働きをする、これは極く簡単な説明で詳しく説明すると先づ霊界の構成から説明しなくては判らない。此説明は何れ著書でする、今は此程度で我慢してもらふ。

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【問】断食の功罪。

【答】これは一種のバラモンの行であるが、人間は普通人三度で職業によつては四度も五度も食する様に出来てゐるのである。断食は間違つてゐる、そのためその間は生産に影響するからそれだけ怠けの罪を犯す事になる。故に断食は一時はよくても罪を着る事になる。

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【問】教導師中に浄霊をしてゐる患者の悪い部分と同じ場所に痛み等を感ずる人がありますのはどんな訳でせう。

【答】人間には日の系統と月の系統の人がある。月の系統の人の場合先方の悪い所が映るのである。月の系統の人は汚れを水で洗ふからで水が濁るのである。それと反対に日は焼く働きであるから焼けばやく程火力は強くなる、処が月の系統の人は病気を引受けるから身体が弱る、以前あつた人の道の教祖などもこの贖罪療法をやり信者の病気を引受ては神様にお振替を願ふのである。処が願者が段々増えて来たので準教祖といつて身代りを約十人程作つたのである。

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【問】弟子が先生を又は普通の御守の人が大光明の御守の人を浄霊しても差支えないものでせうか。

【答】差支えない、その人を浄霊する場合は自ら位置が変る。される方は先生でも浄霊する場合は神様がその様に守るのであるから差支えない。

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【問】法身、報身、応身について。

【答】報身―地―釈迦、法身―月―阿彌陀、応身―日―観音となり、観音が一番上である。法身は水の働きのみで彼世の事が主である。此世の救ひよりは霊界即ち浄土へ救ふのが眼目である。阿彌陀は西方へ浄土を作つて、仏即ち覚者となつたものを我方へ来るやうにと釈迦に誓つた。よく寂光の浄土といふが寂光とは寂しい光即ち月の光で月の霊界である。報身は地になるから下であるが或る場合上になる事もある。それは観音や阿彌陀を生んだからその母といふ事にもなる、親が子を生むといふが、子が親を生むともいえる、つまり子が出来て初めて親といふ名が生れる。応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずる事で一つものに捉はれない、それで六観音三十三相に化身されるのである。何事も融通がきかなくてはいけない。相手が固苦しければ此方も固く、さばけておればこつちもさばける、相手により自由に応身する。丁度玉が転がる様に聊も角があつてはいけない。所謂円転滑脱である。女には女に向く様、男なら男に合ふ様にその相手の好む様な事を話してやる。処が世の中には自分の好きな事を相手に押つけ従はせやうとする。これは応身ではないから嫌はれる。又こつちから話するより相手の話を聞く方がよい。即ち話上手より聞上手になる事である。

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【問】神力、金剛力、観音力に就て。

【答】此力の根元は同じ事であるが、その時の表はし方により違ふ、例えば観音力は仏界のある間の力で月の力である。仏力の表はし方であるから弱い、神力は仏力より何十倍も強く金剛力とは神力を発揮する場合の言葉。

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【問】神龍、天龍、金龍、銀龍に就て。

【答】神龍とか潜龍といつても特別の意味はない。天龍は天界を守つてゐる。地上では金龍が最高であつて次が銀龍である。龍神の偉くなつたのが神龍である。皎龍や白龍なども相当の格式がある。

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【問】人間には玄米と白米と何れが宜しいでせうか。

【答】玄米と白米との中間即ち七分搗位がよい、玄米はまずいし又胃腸が玄米を咀嚼するやうになつてない。白米は余り精製し過ぎてゐるから糖分がなく白米中毒によつて脚気が起り易い、又化学肥料の害も軽々には出来ない、白米に微量ではあるが硫安の如き毒素が含まれる以上人間は弱る訳で此点からも無肥料にすべきである。

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【問】印形や墓相によつて人間の運命が左右されると聞きますが事実でせうか。

【答】印形とか墓相とかいふものは相当あたるものである。印を見るとその人の性格がよく表はれてゐる。従而その性格通りの世渡りをするから、運命もそれに伴ふ道理である。墓石は違ふ。墓石は祖先と子孫を繋ぐもので、いはば霊界と現界の楔のようなものであるから重要なもので、墓石は墓石としての法則がある以上、それに外れ、法に適はない時は、運命にまで影響するのである。

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【問】銀杏の木は在家に樹てても良いものですか。

【答】銀杏の木はよく神社とかお寺に限る様に言つてゐるが、そんな事はない。在家へ樹てても差支えない。銀杏は普通の木とは一寸異ひ神秘の木である。銀杏の木には霊が憑り易い、実の汁は霊が好むのである。銀杏を倒すとよく祟るといふが、それは霊が憑いてゐるからである。故に切り倒す場合手続きをすればよい。ノアの洪水の時残つたのは銀杏の木だけだつたといふ伝説がある。

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【問】銀杏の木を切つたら一里四方位実が成らなかつたが(男の銀杏の木)如何なる訳でせうか。

【答】之は銀杏の本だつたに違いない。其為その枝になる他の銀杏も自らそうなつたので、霊的に繋つてゐるのである。実に神秘の木である、松も柳も神秘である、古い銀杏程霊が憑る。三十三間堂柳の由来の如きも、憑依してゐた龍神の霊である。松は男龍、柳は女龍といふ事になつてゐる。曾つて宝山荘の入口に右に松があつたので、私は左に柳を植えたが之は男龍女龍の意味である。松も柳も皮が龍の鱗に似てゐる。

(地天三号  昭和二十四年四月二十日)

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昭和二十四年五月号

【問】絵画、彫刻等人工芸術の極致とは誤らざる自然の描写でありませうか。又芸術は美の追求であると考えますが、真善を具えれば全きといふべきでせうか。

【答】芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通して真善美を表現するのである。西洋でも印象派、以前は写真のように克明にかいた。これは本当の芸術ではなかつた。処が日本の光琳の画がフランスへ行つた。光琳の画は無線で、単純なもので、これをみたフランス人は吃驚した。これは細密に自然描写をするより、単純にした方が反つて印象が強いといふ事を発見し、最初アール・ヌーボーといふ人がこれを図案に応用し、終に欧洲を風靡した。この影響を受けて後期印象派の如き素晴しい芸術が生れたのである。フランスでは「世界を動かせる光琳」といふ本が出たが、光琳は死後三百年を経て世界の芸術を革命したと言ふ事は日本最大の誇りである。私は今に光琳神社を建立したいと思つてゐる。光琳の影響は絵画のみではない。建築にまで革命を齎した。単純な線を応用したセセツシヨンの如きもそうである。丸の内の第一生命はその代表的な様式である。又総ゆるものの模様が単純化したのも皆光琳の影響からである、彫刻とても印象派の影響を受けてゐる。昔は細かく滑かに作つたのであるが、荒つぽい簡素な彫り方になつた。佐藤朝山(清蔵)の如きも現在では代表的のものであらう。芸術は美の極致を表現すべきものであるが、高い低いはある。最高のものは真も善も具備されてゐる。それは人間の霊の高さによるのである。音楽でも文学でも同様で、之等に就ては何れ詳細にかくつもりである。

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【問】正月に就て。

(一)一月を正月といふ意味

(二)松竹梅のおかざりの意味

(三)〆飾り

(四)お飾りに使用する裏白、昆布、幣、海老等

(五)小豆粥

(六)七草

【答】之は大した意味はない。一月を正月といふのは、年頭に当つて今迄の間違つた事悪い事を反省して正しく出発しようという意で、正しく始める月といふ意味である。松竹梅のおかざりは、松は六、竹は七、梅が五で五六七(ミロク)になる。故に本当は梅松竹と書くべきだが、松は一番位があるので松竹梅としたもので、やはりミロクという芽出度い事の予言でもある。飾り七五三繩の由来は、神代に国常立尊を艮へ押込め、その系統の神々をも押込め、再び此世に出られぬ様にといふ意味でシメを張つたものだといふ事になつてゐる。その他柊はトゲトゲしてゐるから悪魔除けの意味。ぞう煮は尊の臓腑を煮て食ふといふ意味で、小豆粥は血と筋を食ふ意味、又煎豆を撒くが、これは煎豆に花が咲いたら出よといふ事等で鬼門を非常に恐れた。昔から良い事を反対に解した事は沢山ある。裏白、裏の白いといふ事は浄い事で、裏に秘密や暗い蔭などないといふ意味。白は清浄の色で、神主の着る白衣は浄衣といふ、昆布はヨロコブの言霊で、幣は祓ひ浄める意味、ヌサから出てゐる。橙は代々喜ぶにかけており、ゆづり葉は家督とか名とか嗣ぐ意味、海老は腰の曲る程寿命の長い事。要するに芽出度いものを集めたのである。七草といふのは一種の迷信である。昔から七の数を多く使つたものである。子供が生れればお七夜を祝ひ、死ぬと初七日とか七七四九日を最後の法要日とする。春秋の七草、何々の七不思議、七曜、北斗七星等々で、又七は成り鳴るで物が完成する意味であるから、七草といふのは正月が一期済んだといふ訳で、創世記にも、七日目に完成、日曜日に神が休んで祝ふとある。

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【問】霊界では年令はどうなるでせうか。

【答】霊界の年といふのは、実に千差万別で地獄と天国と違ふ、天国は若くなる、地獄の霊は年寄のやうになる。又霊界で年とつて育つのもあり年中同じのもある。私も天国へ行けば三十才位になる。霊界へ行くと年令は違つても、親子はどこまでも親子である。霊界は凡て其人の想念の善悪と罪穢の多少、使命の必要、霊位の高下等によつて千差万別である。

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【問】七才の女子左足発育不充分にて昨年春より御浄霊を受けました。今日に至り左腰より五分位の穴があき膿が出ます。又食後嘔吐します。此子の霊的原因と救ふ道をお教え下さい。

【答】之は霊的ではなく脊髄カリエスの軽症である。膿が出るのは結構で、出るだけ出れば治る。食後嘔吐するのはカリエスの浄化熱に因る為である。カリエスでなくとも背中に熱が出ると吐気が起るものである。

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【問】田畑の害虫駆除する方法。

【答】之は駆除するより発生しないようにするのが本当である。主原因は人肥金肥消毒剤を使用する為であつて、消毒剤などは土へ入つてそれを植物が吸収するためである。無肥料なら絶対虫害はない。雑草を見ればよく判る。そして肥料をやると作物は弱る。作物が花落したり実が落ちたりするのは皆肥料の為である。

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【問】当年三才の男子、乳離れした時から御飯や野菜を嫌ひ、魚及び肉類のみしか頂きません。一日中肉類か魚をやりませんとヒイヒイ泣きます。どういう訳ですか。

【答】動物霊が憑いてゐるか、動物が人間に再生したもので、まあ猫とか犬のようなものだらう。前生の動物霊の性能が、転生しても性癖は多少は残つてゐるものである。入信して気永に浄霊すれば段々快くなる。

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【問】東洋と西洋の霊界の相違。

【答】東洋の霊界はピラミッド型になつており、階級的である。西洋のそれは概ね平面で、少し立体的になつてゐる位で幾らか階級がある。言葉でも日本の言葉は非常に階級的で、西洋の言葉は平面的である。

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【問】憑依霊は副霊の働きの強い時に憑依するでせうか。亦憑依する霊は先祖に関係あるでせうか。

【答】副霊が憑いてゐる肉体へ別の副霊が憑くべく入らうとして争ふ事がある。其際憑依霊同志が戦ふので、人間の方はクラクラしたり、煩悶状態になるものである。そして前住の副霊が後入より弱い時は後の霊が勝つ事があるが、それは一時的で長い間にはやはり先住の副霊が勝つのである。先に墓地に接近すると必ず病床に寝る人があつたが、これは死霊が憑くのである。又或松の下を通ると必ず死にたくなる所があつた。之も縊死の死霊が憑くのである。狐などは臨時に憑いて人を殺したり悪事をさしたりする事が多いのである。そういふ事のうまい程、彼等の仲間で巾が利くのである。祖霊は人間に何か伝える時など大抵は狐に委託するものである。

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【問】宗教、芸術、文化の誠とは如何なるものですか。

【答】如何なるものにも善悪正邪があり、宗教でも正教と邪教がある。全然邪教といふものはないが、大抵は堕落の結果横道へ外れたり、外道に堕ちたりする。今迄は最初は良い目的で始めたものが中途から邪神に利用される。即ちその宗教が力が弱いから邪神に負けるのである。世間は新しいものを邪教視するが、新しいものには良心的なものが多く、比較的古いものに邪教が多い。古いもの程黴が生えたり破損したりなどしてをり、邪神に負け易いからである。宗教によつて救はれるといふ事は、入信以前よりは幸福になるものでなくてはならぬ。例えば身体が丈夫になるとか、貧乏だつたのが豊かになつたとか、家庭が融和する状態になつたとかいふやうに。次に芸術にも正不正がある。それは芸術によつて良い感化を受け、崇高な観念が湧くとかいふようなものが誠の芸術である。処が反対に邪念を起さしたり堕落さしたり、不快を催したりするものも多い。例えば近代絵画の如き、特に洋画の人物などは妖怪の様である。之等は自分の主観を恣まにしてゐるからで寧ろ美術ではなく醜術といふべきである。之も或時期までで又改められる事になる。今の日本画は描くのではなく塗沫である。例えば書をなすつたらどうなるか、それは芸術品ではなく提灯屋の書いたものと同じである。日本画は筆力とその味はひを出す所に価値があり、それが真の芸術である。故に塗沫絵は美術工芸品だと私はいふ。次に文化の誠であるが、文化といつても非常に広いのであるが、それを人類が利用する場合それが為社会が良くなり、人類の発明や発見を利用して人殺しや世の中を悪化させるのは誠の文化ではない。斯様に人間の使い様によつて文化は善くも悪くもなるのである。

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【問】現在の哲学が唯物主観的立場にある以上迷学といふべきではないでせうか。

【答】哲学は本来唯物主観的であつて、その一歩上が宗教である。つまり科学と宗教の中間が哲学で、どちらかといえば唯物の方に近いものである。だから哲学には疑問が多く結論がない。それで哲学へ入ると迷ひが深くなる。要するに哲学は疑問を並べたものである。故に哲学は一種の参考としてみるのはよいが、それによつて万事解決しようとしても駄目である。そうでないと懐疑に陥り易い。

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【問】分霊と化身に就て。

【答】分霊とはわけみたまといひ、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。然し神社で同じ神様を方々で祀る場合神の分霊といふが本当をいふと、家来の直系とか傍系などの神様もある。然し天の御中主神とか高皇産霊神皇産霊神とかはそうでないが、伊邪諾尊、伊邪冊尊、天照大御神などは人体をもつて一度此世に現はれ給ふた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。化身で一番重要な事は、仏は全部神の化身であつて、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿彌陀如来、稚姫君尊が釈迦如来というようにである。随而、仏滅といふ事は仏が皆元の神格に還り給ふ事である。善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給ひ、光明如来と現じ応身彌勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従而、何れは観音といふ御名も無くなる時が来る。霊界では既に殆んどなくなつている。

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【問】宗祖、開祖は八衢にあつて教を垂れてゐるんでせうか。

【答】宗祖開祖は天国又は極楽にゐられる。八衢で救ひをしてゐるのは全部その弟子で、即ち神主とか僧侶布教師、伝道師等である。然し中には右のような宗教者でも罪の為八衢や地獄で苦しんでゐるものもある。これは間違つた事をしてゐたからで、その罪は宗祖開祖が一部を引受ける場合もある。

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【問】キリストと十二人の弟子に就て。

【答】キリストには十二人の弟子があつた。その中一人は彼のユダがイエスに叛いた為、実際は十一人の弟子である。その当時、当局の圧迫がひどく、弟子達は皆逃避し十年の間はひつそりしてゐた。十年以上経つて皆寄り合つて教の元を作らうといふので、皆でイエスから聞いた心覚へをかいた。それがバイブルであるから、キリスト御自身の書いたような訳にはゆかないであらう。旧約はモーゼが書いたもので夢みたいな謎が多いが、それは神懸りに因るものである。ヨハネが作つたといふ説もあるが、之はモーゼがかいたといふのが本当であらう。圧迫のほとぼりの覚めるに従ひ、内密に書いたのが聖書である。仏教のお経とても釈迦の説いたものを弟子が書いたものである。釈迦はただ説くだけであつた。キリスト教徒にはなかなか偉い人があつた。アフリカ探検の有名なりヴイングストン博士の話を聞いた事があるが、実に偉い人で私も感心した。此人はアフリカ探検の際凡ゆる危険を犯して伝道したが、土人の鉄砲に包囲された中を平然と通過した。其時の彼は「もし自分が現世に用事があれば、絶対に神は自分を殺さぬ」といふ信念であつたとの事である。

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【問】遠方へ布教開拓に出た場合最も効果的な方法を御教え下さい。

【答】別にこういふ方法といふ事はない。根本的に云つて誠である。誠の強い人は神様の御守護がつよいので、霊が強力に働くからいゝ結果が得られる。決して焦つてはいけない。焦ると人間の力が上になるから逆効果を来す。又その地方によつて、効果あるなしはその土地の霊界の明暗が大いに関係がある。又産土の神の系統による事もある。熱心な祖霊の活動にもよる。自分は最善の法をつくして、後は神様にお委せすることである。又神様の方ではすべて時期と順序がある。此土地を開いてからでないと、彼の土地は開けぬといふ場合がある。それが人間の思惑と違ふことが多い。それを人間は知らぬから、うまく行かぬと焦り出す。此注意が肝腎である。

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【問】連れ子をして再婚した者ですが、夫に愛情がなく観音様の道も理解して呉れません、離婚した方がよいか迷つております。御指導願ひます。

【答】お指図は出来ない。之は観音様にお任せしておくのが一番いゝ。決して無理をしたり、荒立てたりしてはいけない。観音様にお任せし時を待つてゐれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、夫婦の中一方が磨けて向上し、余り両者の位置が放れると、どうしても生別れ死別れする事になる。  右の理によつてどちらかが磨けた方へ接近しなければ共白髪まで添ひ遂げる事は出来ない。

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【問】本教に入会させて頂き一年半になります。親が反対しますがどうしたら宜敷いでせう。

【答】そのまゝにしておいたがよい。時節が来ぬのであるから、無理に入会をすゝめてはいけない。気長に時を待つのが一番いい。するといつか祖霊が入信しなくてはならぬ様にしてくれる。又こういふ点もある。それはその人に副守護神が間違つた心や行ひをさせたりしようとしてゐるのが、その人が入信すると、そういふ間違つたことが出来ぬ様になるため入れない様に邪魔する場合もある。又よく二号や三号を置いてゐる人で、妻君が入信し本人も良いお道だと思ってゐて入らない人がよくある。それは入信すると二号や三号もやめなくてはならぬ。それが恐くて入らぬ。そのくせ人には奨める。そのうち二号三号もおけぬ境遇になり、初めて入信する人もある。

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【問】稲荷を部屋の内に祭る事はよろしくないように伺つてゐますが、今迄部屋の内に祭つてあつた稲荷を庭に祭らせて頂く場合の方法を御教示願ひます。

【答】稲荷はやたらに祀り替えてはいけない。怒つてアダする事がある。祖先からあつた稲荷は大祖先が稲荷になつて守護してゐるのであるから部屋の中でいゝが、中途の祖先が祀つたものは処理した方が宜しい。其場合お供物を上げて今日迄の御守護の礼をいつて、今度観音様をお祭りする事となつたからお帰り願ひたいと口で言ふだけでよい。祝詞は天津祝詞を奏げればよい。

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【問】真を行ふには如何致したらよいでせう。

【答】自分の事を第二にし他人を良くするのが誠である。即ち人良かれの精神、利他的精神である。世の中とか社会の為になる事を行ふ事である。真とは嘘の反対で本当の事である。然し乍らただ正直のみでも困る。智慧が働かなくてはいけない。常識的判断がよい。自分の国家とか階級だけ良くするのは善い様に見えて真ではない。それは小さい真であるから突つめれば真でなくなつてしまふ。どうしても人類愛を本として判断しなくてはならない。

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【問】宗教教育とは魂の啓発でせうか。

【答】世間一般の宗教々育と我々の宗教教育とは違ふ。今迄の宗教の説き方は幼稚園程度で、これ以上は教える事が出来なかつた。信仰雑話は小学程度の教科書である。 

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【問】過去の宗教で何故霊は救はれなかつたのですか。

【答】全然救はれなかつたのでなく、救はれ方が微弱であつた。といふのは過去の宗教には力が薄かつたからで、それは夜の世界の為であつた。夜は月の光だからである。然し暗の中にゐる人間が月光に浴したので有難いと思つてゐた。処が今度の私の救ひは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。その位の違ひがあると思つてよい。今迄の教は月の光だからはつきりしない。今度の信仰雑話ははつきりしてゐる。これを読んでも判るように極く僅かの言葉で浩澣な経文と同じ事が判る。だから今迄は霊界へ行つても寂光の浄土に救はれた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光である。

(地天四号  昭和二十四年五月二十五日)

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昭和二十四年六月号

【問】観音様は三十三相と言ひますが、従来の日本の神仏例えば八幡菩薩も金比羅権現も、其他八百万神や諸善諸仏も三十三相に化現されるんでせうか。

【答】そんな事はない。三十三相に化するのは観音様だけで、救ひの為に相手によつて応身される。之が観音様の御働きで、私がいつも行つてゐる事で、信者の人もそういうようにしなければいけない。それには自分の個性を滅却して、先方を主にするよう心掛くべきである。之が応身の働きで、その為化現され、それが三十三相である。観音様は三十三相といふが御本体は聖観音で蓮華を持つておられるお姿である。蓮の花は仏法を表象し、仏法を以つて救はれるといふ意を表はしてゐる。禽獣虫魚にまで化するというが、之は全然ない事もない。神様の霊は虫などに憑依する事もある。

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【問】物事が順調に行かぬ場合は浄化でせうか。何かの訳があるのでせうか。

【答】物事が順調に行かぬ場合は浄化の為の場合もあり、時節が来ぬのに焦るからでもある。果物が未だ熟さぬうちに取つて食ふようなものである。その他罪穢があるとそれに相当した邪霊が憑かうとするが之とても一種の浄化の現れである。然し誠の心を持てば速く浄化が済み善い心掛けと良い行をすれば運勢が開けるように此世は出来てゐる。

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【問】霊子は人間生活に如何なる関係があるでせうか。

【答】これは言ふまでもなく霊子がなかつたら、凡ゆる生物は死滅する。科学的にいうと電子、原子、霊子の順に微粒子になつてゆく。勿論、霊子は最極微粒子である。音は霊子の体で粒子が大きいから、音の運動は遅いのである。

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【問】浄霊が比較的忙しくない場合は一時的に他の職業と兼ねてもよいのでせうか。

【答】之は臨機応変であるが、本当は他の職を求めるのはよくない。神様の方にもいろんな事情があつて遅速があるのである。私は最初の頃よく散花結実といふ言葉を用いたがそういふ場合もある。之は花が散つて実が実るといふ事で、多くの場合一時盛んになるが花が散る時が来ると暇になるのであるが、実が出来るのは時間がかゝる。人間は焦りたがるが、閑なのは一時的現象で決して長く続くものではない。何事も始めからパツとするのはいけない。実がみのる様に始めは小さく徐々に大きくなるのが本当である。又発展をしない理由は、何か神様のお気に入らぬ事がある訳もあるから、よくその心と行を考えてみるべきである。

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【問】お葬式に参列の後で用足しをしたり、お墓参りをしてはいけないといふ理由。

【答】お葬式とか、婚礼とかは人生の重大な儀式であるから、参列したらそのまゝ帰るのが死者に対する礼節である。よく死汚れといつて死者のそばへよると汚れるといふがこれは大した意味はない。礼節は大事な事で浄霊に行くにも、用足しを先にすると効果がうすい。之は主客転倒であるからである。神社参拝も同様でお詣りは先にする。それから用を足すのが本当である。

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【問】心霊学者、修養団体(報恩会、奉誠会、霊友会)等の指導者の霊視能力は憑霊の為でせうか。

【答】すべて霊視力は憑霊のためで、その殆んどは狐霊である。狐が憑ると霊が見えたり声が聞えるのである。精神病者は右の能力が顕著である、故に普通人がそうなる事は危険である。然し特殊の場合一時的見える場合は差支えない。始終見えるのはよくない。精神病者がよく空間をみつめてゐるが、之は医学では幻覚といひ、聴えるのを幻聴といふ。正守護神が視せる場合があり、その際狐を使ふ事もある。

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【問】催眠術の原理。

【答】こちらの霊で向ふの霊を負かす方法である。であるから自分の霊より以下の霊なら術がかゝるが、自分より以上の霊の者にはかゝらない。催眠術にかゝるのは大抵女に多い。それは女の霊は男に負けるからだ。何れにしても之は副霊の作用で、邪道であるからやらない方がよい。

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【問】浄霊の時手をどの位離したのが一番霊気が強いでせうか。

【答】かなり遠くとも霊気はつよい。二三間は放れてもよいが、あまり遠いと中心を外れるおそれがあるから、二三尺位が一番いゝ所で中心がよく合ふのである。

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【問】雷は如何なる現象ですか。

【答】雷は霊界の曇りを焼き払ふのである。之に伴ふ雨風はその上、水で洗つて風で吹き払ふ浄めの業である。又他の理由もある。菅原道具が霊界へ行つて火龍となり、彼を陥れた讒者を雷火によつて悩ました有名な話があるが、こういふ事は相当偉い人でなくては出来ぬことである。

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【問】墓碑建立につきて常識的に留意すべき事項。例えば方向、形状、盛土の高さ、石の種類、植樹の可否等につき。

【答】方向はどちらでもよい。その土地の地形によればよいが、本当から言うと北の隅で南向が一番よい。形状は普通の形でよい。自然石はいけない、形状は石屋の造る形でよい。盛土の高さは丁度拝みよい高さがよい。即ち一尺五寸位である。石の種類は白い色ほどよい。黒つぽいのは不可である。極く上等の墓は白大理石を用ひる、植樹は墓に植える様な常磐木ならよい。余り高くなるのは不可である。即ち槇、モチ、カナメで特にシキミがよい。

(地天五号  昭和二十四年六月二十五日)

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昭和二十四年七月号

【問】原始時代と原子力時代とは文化の基礎は非常に異つておりますが、新時代への出発と言う意味に於て多くの共通点を有してゐる様に思はれますが、御教示をお願ひ致します。

【答】これも一理ある。今は新文化の原始時代である。以前のは人間の出来たての本当の原始時代であつたが、今度は人間が一大飛躍して高等動物となる。その原始時代で之からは今迄のように喧嘩したり噛み合ひしたり、するやうな動物性をなくし本当の平和時代になるのである。

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【問】五六七時代に於ける易学の価値に就て御説明をお願ひ致します。

【答】易学などは殆んどなくなる、吉凶禍福は人間の霊が曇つてゐる為邪神邪霊に負けるからである。人間の霊が浄くなると霊力も強まり邪神に犯されなくなるから、凶禍はなくなる道理である。故にミロクの世は迷信的の事がなくなる。迷信が生れるのは精神的弱さからである。科学の教える通りにやつても凶事や禍がある。そこで恐怖を抱く、そこに迷信が発生する。その中一番怖いのは病気である。ミロクの世には恐怖心がなくなるから、迷信はなくなる。方位方角などもなくなる。これから本教も一切の迷信をなくするやうにする。世界で迷信の種類の一番多いのはドイツである。科学の一番発達した国に多いのも不思議だ、科学の中にも迷信の部分が沢山ある。科学よりも治る本教浄霊は実は真の科学であり、迷信打破である。治れば迷信ではない。治らなければ迷信である筈である。

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【問】祝詞と御願事とは何れを先にすべきでせうか。

【答】祝詞の方を先にあげるのが本当で、お願事は私事であるから後にすべきである。祝詞を奏げる一番の目的は霊界を浄めるにある。又祝詞を奏げると霊が沢山来る。祝詞をきくと霊が向上するからである。又祝詞は神に対する感謝の意が中心になつてゐる。

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【問】蚤や蚊に先天的に喰はれますと甚しく腫れ苦しむ人と左程苦痛を感じない人とあり、又負ける人の方へよく喰ひつきますが之は如何なる訳でせうか。

【答】普通虫に負けるといふのは毒素の多い人で刺された刺戟によつてそこへ毒が集まる。つまりそれは疥癬も同じである。然し毒が非常に多くても浄化力の弱い人は毒素が固まつてゐるから蚊も刺さないのである。

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【問】稲荷大明神又○○明神等と明神なる言葉を用ひますが、明神に就て、又天王様、天神様とは如何なる御神格の神様でせうか。

【答】明神―最初は偉い神様などにつけてゐたが、それが段々出鱈目になつた。こういふ事が世の乱れる元になる。下の位の者が上の位の神の名を犯したりしてゐる。それが人間界へ移りて位の上の人が下へ落ちたり、下の人が僣上の位置になつたりいろいろ乱れた。天王天神も同様尊んだ訳である。彼の菅原道真を天神などとつけたのは道真が死後讒者に対して憤り、龍神となり雷火によつてそれらを傷けた。ついに紫宸殿へまでも落雷したので慌てゝ祭つたので、そのため天神とつけたものであらう。次に天王であるが天は印度名で、毘舎門天、弁財天などいひ王もやはり印度語であり、孔雀明王、愛染明王などと言うそれから起つたものであらう。

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【問】毎年だんだん暖くなる様ですが、今年の稲作は早稲が宜敷いでせうか。奥稲が宜敷いでせうか。

【答】そんなに気候は違はない、どちらでもよい、その土地によりその気候の違いさに合せてやればよい、暖い所では二毛作でよい、だんだん暖くなるのは人間の住む場所が広がつてゆくからで、人間がふえると暖かくなる。北海道等も以前よりずつと暖かくなつてきた。之は人体から発散する熱の為で、之は大した物である。人間が住むようになるに従ひ暖くなる。今に南北極に人が住む様になる。陸地の発見は氷が溶けるためである。又地殻の収縮により海が深くなり、海が深くなると川が浅くなつてくる。然しいくら川は浅くなつても南極北極の氷がとけて海水になつてゆくから涸つきりにはならない。

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【問】白血球と赤血球の関係に就て。

【答】血液の中に毒素があり、それが浄化によつて血液中の微粒子の毒分だけが白血球になる。それが膿である。

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【問】或人の十一代前の方で納棺致しました処蘇され、そうして「私は薬師如来様の処へ行つて来ました。其処は現界でみられない何んとも言えない美しい処であり、お前は私の処へ来るのは未だ早い、もう一度現界に帰りなさい、向ふ三ケ年命を延ばしてやる。それまでは現界で医者をやり人を救ひなさい」と申されたと言ひました。その際証拠として仏像と巻物を出したとの事で、そのものは未だ仏壇に祀つてあるそうです。何か霊的関係がありませうか。

【答】霊界からかへされることは本当にあるが、薬師如来といふのは観音様の別名で観音様は薬をのまして病気を治された。これは霊界が夜だつたから溶かすより固めた方が早く効果があつたからで、昼の世界になると反対に火素の量が多くなるから溶かす方が早い、私の行わせる浄霊はそれである。釈迦も薬草為本という経文を作つて病気は薬で治せと説いたのである。

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【問】四十一才の男子、太陽の直射は勿論、傘等で光線を避けても熱気のため全身が段々熱くなり苦痛が増し、特に直射の個所は腫れ後に薄皮と共に血の固まりがはげます。夏季は特に其症状が甚しく、又七八年前よりは火にあたりましても、寒さにあひましても身体が温まりますに従ひその症状を呈します。以上の症状は霊的に何か関係がありませうか。又治癒致しませうか。

【答】之は霊的ではない、何か特別の毒血の為で、親とかおじいさんなど変な薬を飲んだものであらう。よく鶴の紅点とか虎の爪猿の睾丸などのむといいなどといふが、そういふ変なものをのんだ毒素である。

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【問】大阪市の或理髪店で奥の間の御神体に対し善言讃詞をお唱えしますと店の客が絶えます。或霊憑りが表を沢山の亡者がうろうろしてゐて、お唱えの声が聞えるとその家の前に立塞がり、現界人も出入が出来なくなる。入口の戸を開けお入りなさいと言ひお浄めをすれば亡者が救はれに家の内に入り、又お客も入ることが出来ると申し事実客が絶えます毎にその通り致しますとお客が参ります。他人に奇異の感を抱かせる事にもなりますので如何致しましたら宜敷いでせうか。

【答】これは本当である。善言讃詞を上げると亡者の霊が集まる。そしてそれを聞く毎に一段一段向上する。霊は有難いから外の霊を勧誘しつれてくる。そういふ事で本教は発展するので構はず続けてよい。亡者も無限ではない。又客の祖先など少しでも因縁のある人でなくては来れぬからである。その代り何れ霊はお礼するので繁昌する事となる。

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【問】俗に福助、医学上では脳水腫と謂はれる者は霊的のものと存じますが如何なる原因によるのでせうか。

【答】霊的も少しはあるが大体体的である。頭へ水が溜つてゐるのである。浄霊で治る、霊的のものは治るのと治らぬのとある。これは前の世に頭をぶつて非常に内出血して死んだのと、今一つは水死の際水を呑み逆さになつたのと此二つの生れ代りである。霊の憑依ではない。

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【問】憑依した霊は霊界を脱出するでせうか。又霊界に帰り神様に処罰されるでせうか。

【答】無論霊界を脱出する。霊が地獄を脱出する時は火の車に乗つて来る。火の車は地獄のバスのやうなもので、霊は既に死んでゐるからとても苦しいが苦痛だけで死ぬ事はない。憑依の目的が良ければ大した事はないが、ただ無断脱出の罪は問はれる。

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【問】神経痛、頭痛及び尿量が天候に左右される理由。

【答】これは確に関係はあるが大した事はない。元来汗は小便と同じものであつて、寒い時には冷えるので汗になつて排泄されぬ為に小便が頻繁に出るのである。女学生には太つてゐるのが多いがそれは学校へ行つて小便を我慢する癖がついてゐる。そのため尿が腎臓から外部へ滲出してそれが身体へ溜る。それで身体が太るので之が健康体と誤れ易いが、実は俗にいう小便太りであつて、之が病気の原因になる。こんなのは固太りで一見丈夫そうにみえるが、一度病気が起ると悪性である。この好例として或娘が固太りで神奈川で三人の優良健康女学生が表彰された一人であつたが、浄化が起り終に死亡した。余剰尿は腎部から背中を伝つて背部に溜り諸病の原因となる。よく背部張りきつて筋肉隆々とみゆる人があるが、これが実は尿毒である。小便を我慢するのは右の如く不可であるが頻繁に尿するのも本当ではない。之は腹膜のため膀胱が圧迫され萎縮してゐる処である。神経痛、頭痛等が天候に左右されるのは、天気の悪い時は太陽の光線が少く霊界に火素が少いから毒が固まり、その圧迫で痛むのである。天候に左右されるのは固まる痛さである。

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【問】昔から火柱が立つと火事があり、その倒れた方向に燃えると言ひ、又それをみた人も相当ありますが如何なる理由によるのでせうか。

【答】先に霊界で火事が発こる、霊が体にうつる法則により現界で火事となる。然し入信した人は大丈夫である。未信の人であれば祝詞を上げ光明如来様にお願ひすれば火事にならずそれですむ。

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【問】珠数は如何なる意味が御座居ませうか。

【答】数は百八つある。百八煩悩といつて、人間の煩悩は百八あるといふ。その煩悩を絶つといふ意がある。霊統が絶えないよう繋がるといふ意味もある。除夜の鐘も百八つ打つが、百八は非常に意味がある。百といふ字は十を十集めると百、即ち十十で十十を合すと井の字の形になる。即ちミロクの世の形になる。又十字架の形にもなり、経緯結んでいづのめという意味である。八は開く形で、無数の数を表はす。

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【問】人の生れ代りにつき、或霊の申すのに「前生の人の性格中数種の特質(例えば十の特質ありとせばその中の五乃至六種)を具えて生れる場合もある」と申しますが右は本当なので御座ゐませうか。此場合に霊の分霊と憑依に就て。

【答】確かに多くなつたり少くなつたりすることはある。人間の霊には分霊といふ事はない。神様は高級になる程、いくらでも分霊が出来る、狐などは狐の眷族が方々へ憑るので、丁度分霊のやうにみえる。又霊は一瞬にしてどんな遠方でも行くから、分霊された様に思えるのである。

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【問】人間が再生した場合、副守護神は前生と同じものがつくでせうか。又変るとすれば如何なる意味にて変りますか。

【答】再生の場合死後副守護神は必ず放れ再生の場合副守護神は変る。又死後副守護神は暫らく憑いてる場合もあるが、結局は放れる。再生の時その人に憑く副守護神は必ず何等かの因縁がある。副守護神は人間が動物霊になつたのや、その土地にゐた狐とか狸とか、いくらか因縁のあるものが副守護神になる。決して出鱈目ではない。何等かの繋りがあるのである。生れる子供が霊的階級の低い時は低い霊がつく、それは祖先の罪穢の多少による。罪の多いのは低いとその低さに相当した副霊がつく。

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【問】神様の鳥居は何の役目ですか、又賽の河原とは如何なるものでせうか。

【答】之は鳥が止つたので鳥居といふ事になつたもので、その鳥は鶏になつてゐるが実は烏の様である。大した意味のあるものではないと思ふ。之は神社の簡略な門になつてゐる、神々しい感じを起さすものである。賽の河原は仏界にあつて子供の地獄で、子供が石を積むとくづされ積んではくづされるといはれてゐる。

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【問】尾張地方に農作物を荒す野鼠が日に増へて居りますが如何にしたらよろしいでせう。

【答】その地方の霊界が曇つてゐるから、相応の理によつてそういふものに荒される事になる。入信をしておかげをいただけばその人の個所だけはその被害を免れる例はよくある。

(地天六号  昭和二十四年七月二十日)

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昭和二十四年八月号

【問】千手観音様の御頭の上に御顔が見えますが何を意味してゐるのでせうか。

【答】仏であり、阿彌陀如来である。実をいふと阿彌陀は観音の母になる。神仏は人間と違つて親子夫婦など場合によりいろいろにかはる。千手観音の頭は十一面観音様と同じで、前三面は慈悲、横三面は憤怒、他の三面が勇気、後方一面が笑ひである。阿彌陀は日光菩薩の場合観音は日になるから、此場合夫婦にもなる。本当いふと達磨は阿彌陀の化身であり、月の字を略すと「(ダルマ)」となり、ダルマの形である。西王母の園の三千年の桃の実が観音である。故に西王母と観音は親子となるので、観音は桃太郎にもなつて鬼ケ島征伐するのは邪神を平げる働きである。又釈尊は観音を生んだので母にもなる。

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【問】神龍のお働きをおきかせ下さい。

【答】神龍は沢山ある。神様の仕事をする働きする龍は皆神龍で、天文なども神龍がする、神様の命によりいろんな御用をする、人間にも憑る、但し金龍は一柱である。 

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【問】人間の想念により天候に異変を来たすとの事ですが、二百十日、二十日を厄日と謂はれ特に颱風等の起りますのは如何なる理由によるのでせうか。

【答】之は季節的に起るので大いに必要な現象である。二百十日とか二十日頃に台風を起すのは稲や作物を倒すが、根を固める働きは大きい。根が張らねば力がなく木など丈夫にならぬ、それで風によつて根が張る、根が張ると稲はよく出来る。風で倒れるとすれば肥料をやるからである。

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【問】春蒔の蔓の出る植物は左巻きが通例ですが、立春後に種を蒔くと蔓が必ず右巻きになるのは如何なる訳でせうか。

【答】それはそうなるべきである。春は日で秋は月である。日は霊で左まき、月は体で右まきであるのは理窟に合つてゐる。

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【問】イスラエル民族の選民思想は単に独善的なものでせうか、或は何か意味があるのでせうか。

【答】意味もあり、独善もある、ユダヤ民族は頭がいい、故にユダヤ民族は学者に多い、素盞嗚尊の系統であるユダヤ人は六才になると割礼をする、それを儀式的にやる、頭の良いのは其為もあらう。

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【問】人間は宇宙の縮図と言ひますが人間の体の部分が宇宙に当はまるのでせうか。

【答】あてはまる、目は日(霊)が左で月が右である。宇宙の中心たる高天原の型として人体には天庭――天の高天原(頭)は額――地の高天原は臍部となつてゐる。

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【問】生れ年、生れ月が人間の運勢、性格に影響があるのは如何なる関係でせうか。

【答】人間には気がつかぬが凡ゆるものに変化がある。その年の気を受けるといふ、気候でも春夏秋冬あり、一ケ月間にしても雨が多かつたり天気が多かつたりし、日によつてもそれぞれ違ふ。霊的にその時の気を受けるといふ訳で、序でに外の事も話してみやう。私は十二月二十三日に生れた。本来二十二日は冬至で春分は二十三日が本当である。二十二日は最も日の短い時だ。今の皇太子も同じ日に生れられた。然しこういふ事はきつちり定つたものでなく或程度の影響を受けるのである。此意味に於て何の年生れはどうだとかいふ事は或程度あたる、私は午の年の午の月の一白に生れたといふので将来人の頭になるといふ事を言はれたがこれは当つてゐると思ふ。

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【問】最近人口問題に関し政府に於ても避姙薬等の販売を許可する様ですが―

(一)生活難のために母体が健康なれどもやむなく堕胎した場合、胎児の霊は如何なりますか。

(二)又堕胎をしたため両親は如何なる罰を神より受け、又胎児の霊により両親の将来は如何なるでせう。

【答】堕胎は悪い、産児制限とは異ふ、子供が出来ると生活が困難になると思ふが決してそんな事はない。子供は自身の食ふだけのものはもつて来るものであるから、子供が増へればそれだけ必ず収入はふえるものである。又堕胎は殺人であるから大間違ひである。産児制限は堕胎に比して罪は小さい。

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【問】民族の平均年齢に就て。

日本人  三十五才

米国人  五十  才

未開人  二十  才

と発表されておりますが、文化民族の方が高齢なのは何故でせうか。

【答】これは昔の統計である。今日本人は四十七才、米国人は六十三才、平均である。人間は頭をつかふ方が長生きする。つかわぬ方が早死である。神が人間に与えてある頭脳を出来るだけつかふ方がつよい。心配で頭をつかふのはいけない。又嘘つくと始終気がとがめるから早死する。故に正しい心で嘘つかぬ事で之が長寿の秘訣である。

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【問】再び姙娠の方法に就て。

【答】天地自然の法則に適えばいい。自然にその方法は気がつく、子宮が膣を外れてる時姙娠しない。それは前からおさえるのが後屈で、其反対が前屈である。これが第一の原因で、第二は子宮の発育不全で、之は屹度お腹がかたいので子宮が圧迫されて生育が悪い。又腎臓萎縮は性慾が欠乏する。卵子が弱いと精虫を吸収する力がない。  不感症、鈍感などは皆腎臓萎縮の為、女によつては粘液が(アルカリ性のつよい為)精虫を殺すと医学ではいうが、そういふ事もあらう。又男の方も腎臓が弱ると射精力弱く子宮口までとどかぬ為もある。まだ種々の原因もあるが公開の席上では言へない。

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【問】睡眠時間は大体どの位が適当でせうか、又睡眠と健康に就て。

【答】医学の言つてゐる通りで大体良い。赤ン坊は十時間か十二時間、青年から中年で八時間位、五十を越すと七時間、六十を越すと五時間で年とるに従つて少くてよい。睡眠は不足の方がよい。私など常に不足してゐる。医学では睡眠不足は結核の本などといふが、之は間違つてゐるので実際私など今四時間乃至五時間である。活動時間が多くなるほど健康は増す。先年東京市内で各階層の結核患者数の統計をとつた時、一番結核者の少いのは花柳界の女であつた。処が此職業の女が一番睡眠不足であり、生活が不規則である。之は実際の結果である。頭は大いに使つた方がよい、頭を使う程長生きする。エヂソンなど研究室にとび込むと一週間位不眠不休だつたと言ふ。助手達もそれを真似たが、段々慣れると皆出来るようになつたといふ。睡眠不足の方が健康にいいと思えばそれでよい。英国の故グラツドストーンは椅子に掛けたまゝ五分位居睡りし又精力を回復したといふが私も同様である。

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【問】結婚の報告は墓前にも致すべきでせうか、又正式に手続しない事は冒涜になるものでせうか。

【答】祖先には報告すべきが義務である。又祖先も子孫が報告すれば御守護しなくてはならぬ義務が生ずる。但し内縁関係は披露しなくとも神様は御存知である。

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【問】御浄霊の際患者に対しどの程度親切にすべきでせうか。

【答】親切にすればする程いい、程度はないが順序は大事で、神様第一でなくてはならぬ、然し人によつて区別するのはいけない、どこまでも公平であるべきだ。

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【問】生れた時は気のつかない程度ですが大きくなつて脱臼してゐる事が判つた場合、普通はギブスをはめれば治ると申しますが御浄霊により治るでせうか。

【答】脱臼は浄霊によつて治る、レントゲンでみる場合でも違ふ事がよくある。レントゲンでみて脱臼してるとよくいふが浄霊してみると脱臼でない事がある。

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【問】或男で何時の間にか舌が二つに裂け、一方が感じがなくなり食事の際邪魔になると申し自分で鋏で切り取り、その後何事もないそうですが何か霊的に訳がありませうか。

【答】大いに訳がある。前の世で二枚舌をつかひ、そのため人に怨まれ罪をつくつたからで、その罪が未だ消えないうちに生れて来たため二つの舌になつたのである。生れながら二枚の舌のある人もある。

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【問】神社仏閣は四棟ですが人の住居は四棟の家は不運ですがどういう訳ですか。

【答】そんな事はない、たゞ四は死に通ずるから四という数を嫌ふのだらう、気にする要はない。

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【問】遠州の新居町で発生したアサリ貝及びカキ貝の中毒はその貝も養殖でなく天然のものだそうです。貝を食べますと中毒発生し七転八倒の苦しみをなし発狂状態となるのですが、発狂状態になるや長きは二時間位短きは一時間位にて腹が張り、歯ぐきから出血し死に至るそうです。右は如何なる原因によるのでせうか。

【答】之は一種の中毒である。よく紫茄子など食べると狂人になるといふが中毒の苦しみがひどい為である。紫牡蛎など同様である。信仰的にいふと御守護があればそんなものを食べない事になる。

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【問】歯の生え代る時、前の歯が抜けないで八重歯が出来た時、そのまゝにしておくと口の恰好が悪くなりますが御浄霊により古い歯が抜けるでせうか。

【答】歯の出ないうちに浄霊すれば治る、原因は前生、死の刹那歯を傷害した為である。

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【問】世間よく夜泣きをする子供の寝床に刃物を置くと夜泣きをしなくなる様ですが、此場合刃物は霊的に意味が御座いませうか。

【答】霊によつては刃物を恐しがるのがある。夜泣きするのは、親に怨みをもつた霊が親を苦しめるためである。であるから死人の上など庖丁や匕首をのせる、刃物が恐いといふ霊は沢山ある。それは刃物で殺された霊などが特に恐がる、それが皆刃物で解決するとは限らぬ。

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【問】「三りんぼ」に家を建てますと風等で倒れ易いと申しますが如何でせうか。

【答】一種の迷信である。悪い事のあるのは浄化故浄化が済めばよくなる訳である。

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【問】古墳、墓地、神社等の跡を道路等に改修工事を行つた場合木を伐るとその関係者に災難があるのですが如何致しましたら宜敷いでせうか。

【答】手続きしないからだ。手続きすればよい、代りの木を近くへ植るのである。そしてお祭りして言葉でよく事情を言ひ許しを乞ふ。止むを得ない事は必ず霊は許すのである。神社等の場合小さくとも代りの宮を建て神が鎮まられるやうにすればよい。

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【問】戒名が余り簡単で取り替えたいと思ひますが宜敷いでせうか。

【答】差支えがない。戒名が簡単だからとて、霊界で階級が違ふ訳ではない、長い戒名でも罪汚れが沢山あれば同じ事である。金持など大抵無理して金つくるから霊界へ行つて身分の低いのが多い。

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【問】或信者が大光明如来様をお祭りさせて頂きました処、その部屋に貼り交ぜ屏風が御座ゐまして、出口王仁三郎師の万年青の短冊がありましたが、一夜にして葉の色があせて枯葉色になつて仕舞ました。如何解釈しましたら宜敷う御座いませうか。

【答】出口王仁三郎氏は月の神様が人間に生れたのである。光明如来様は日の光であるからその光にあつて枯れて了つたので、決して不思議ではない、あり得べき事である。勿論霊の方が枯れて体に映つたのである。

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【問】宗旨の違つた寺に墓地を移転致しましても宜敷いでせうか。

【答】あまりよくない、それは同じ釈迦の弟子でも親鸞、法然、日蓮などいろいろの派に分れてゐるが、同じ仏教信徒であつても他宗派に祭られるのは、人間で言えば移民のような居候のような具合でうまく行かぬ、霊が窮窟である。

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【問】イスラエル民族が二十五世紀の永き亡命よりいでてユダヤ国家として独立し、首都エルサレムに於て初の国会を開きましたが何か大きな意味をもつものでせうか。

【答】こゝはイスラエル民族の故郷であるから、元に復帰した訳でこれでいゝ、飽迄故郷を復活しようとして怨みを抱いたり、執着をもつたりして禍してゐたのが解決した。イスラエル民族は二千年前から此地にゐたが千三百年位前にアラブ族が占領したのである。それでイスラエル民族の方が古い訳である。

(地天七号  昭和二十四年八月三十日)

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昭和二十四年九月号

【問】世界平和への途は社会主義、資本主義によるべきでせうか。

【答】どつちでもないがどつちも加味される、食物は砂糖だけで味をつけるか、醤油だけで味をつけるかといふやうなものである。両者を丁度いい具合にまぜ合せればいいものが出来る今迄資本主義が甘すぎた、其で社会主義や共産主義が起きた。社会主義は実に不公平な政治であり、共産主義はピラミツドを逆さに立てたのと同様である。資本主義は福助政治で頭だけ大きくて身体や足がやせてゐる。すべて片寄つた主義は全部駄目で今に理想的なものが出来る。

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【問】昼の世界に転換するにつれて地獄はどんな様相に変りつゝあるのでせうか。

【答】地獄はズツと違つてくる、一時地獄は浄化がつよくなる、そしてどうしても見込のないのは封じ込まれる。今迄はそういう浄化が緩慢であつたが、今度はそういかぬ。人間でも間違つたのや曇の多いのは、今迄二年か三年で清算されたものも、一日か二日でそうなる。五六七の世はひどい悪人はゐなくなるから地獄の刑も楽になる。今日の下級労働者位である。

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【問】流行性感冒が流行しつゝある様ですがこれは黴菌による誘発でせうか。

【答】黴菌は無限にゐる。顕微鏡でみえるのは極く大きいものである。至小至内どこまでも無限に小さい、であるから濾過性黴菌はある事はある。併し何時も言ふ通り感冒は最も結構な浄化作用であるから喜ぶべきだ。

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【問】幽世の大神とは如何なる大神様でせうか。

【答】霊界を支配してゐる神様である。以前は閻魔大王である国常立尊様で、此神様は数十年前に大国主命に幽界の主宰を委ねられ、今は現界でお働になつてゐる、私を守つてゐる。私は何か分らない事がある時は国常立尊様にお伺ひすると頗る簡単に教へて下さる。力のある神様でどんな邪神でも此神様には叶はぬ。観音力とは国常立尊様のお力が元である、又審判の神様でもある。

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【問】先日光明如来様の御書体の前で患者を浄霊致しておりますと急に家族の者が御書体が動くといひ出しました。振り返つてみますと左右に静かに一定の速度で揺れてゐます。それと同時に私の左肩がつよくしめつけられる様になり、左手が動かなくなつてしまひました。御書体は十五分程動揺し、その間二回程前後にも動揺し部屋中蜘蛛の巣を張つた様に一面光にみたされ、御書体が静止すると同時に私の手も動く様になりました。何か霊的原因で御座いませうか。

【答】神様が不思議をみせて下すつたものである。例えばその人に早く信仰を進める必要ある場合にいろんな方法で奇蹟をみせて下さる。又その人により近隣の人を早く救ふとか、その土地を早く開かねばならぬ必要のある場合不思議な事を見せられるものである。之は光明如来様は紙に文字をかいただけと思うといけないから生きてをる事をみせられたものである。

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【問】お位牌を祀らずに過去帖だけ、又は繰位牌で祀つて居る家庭がありますが、差支へないでせうか。

【答】位牌が本当だ、そうでないのは嫌がる霊もある。過去帖は祖先の帰幽を忘れぬ為に年、月、日、を書くのである。毎日の礼拝、法事や供養する時霊がうつる為の位牌である。過去帳は、位牌の用途と自ら違ふ、過去帳を拝むのは間違ひである。繰位牌も感心しない。

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【問】私の主人は昭和十九年戦死し末子でしたので、まだ分家の形はとつてゐませんが戸籍上分家してゐます。今私は里に帰つておりますが主人の霊は私の方でお祀りした方がよろしいでせうか、又は本家でお祭りしておればそれでよろしいでせうか。又主人の遺言では私に独身で分家を立てゝほしいとの事、皆はそれに不賛成です。遺言を守らねば霊は満足しないでせうか。

【答】両方で祀らなくてはいけない、例え何年でも夫にした以上そうすべきである。祭り手は多い程よい、祭り手が多いと霊界で霊の向上が早い。又遺言でも可能なものは実行すべきだが、無理や間違つた遺言は守らなくてもよい。要は正しい事なら恐るる処はない。

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【問】縁組に四目、十目は悪いと申しますが如何でせうか。

【答】之は迷信である。

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【問】彼岸の中日に寺参りの序に無縁仏に参詣致しました。帰宅後或病人を浄霊しますと無縁の霊が憑り、毎月二十一日に御経を唱えて頂きたいと申します。その日に自宅から善言讃詞をあげましたらよいものか、それとも一々お墓参りを致さなければならないものでせうか。又外の日にお墓詣りも致しますが、その際は無縁塚は詣らない方がよいのでせうか。

【答】一々墓参に行かなくとも善言讃詞をその霊に上げてやる気持で上げる。それだけで霊へはとどく、霊の感謝は非常なものできつとお道のため働く、寧ろ生きた人間より霊を救つた方が効果的である。故に無縁仏もお詣りしてやれば功徳になる。

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【問】今年八才の男子二才の時中耳炎を患ひ、七ケ月程の医療も効果ないので、そのまゝにしておりましたが、四年前私が教修を受けまして以後浄霊をしておりますが、まだ膿が多く出て耳も遠く頭脳の働きが鈍いのです。何か霊的原因がありませうか。

【答】霊的ではなく毒が沢山あるからである。膿が出るのは大いに結構で、必ず治る。

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【問】十五才の女子左頬がしびれると左半身がきかなくなり、顔が青くなり約三十分位苦しみます。口は右の方へつります。何か霊的な原因がありませうか。

【答】中風で亡くなつた人の霊である。一種の癲癇である。頭の中心を浄霊すればよい。

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【問】或家にネズミの親が一匹おり、その後を小ネズミが一寸おき位に七匹程ついて歩いて行きます。その親ネズミには尾がなく、小さいネズミは頭も尾もない様なネズミで、最後のネズミに僅か尾が出ております。丁度汽車をみる様で鋸で押へてもスルスル抜けて親のネズミと離れず歩いて行きました。人がみても逃げません。此家ではお婆さんが生前にネズミやムカデを生きたまゝ喰べたと申します。霊的に何か関係がありませうか。

【答】お婆さんに喰べられたネズミが生れたものである。私も食べたが鼠は仲々うまいものである。悪食者は動物の生れ代りである。これで人間が畜生道におちる事がわかる、私の幼時よく蜻蛉を食ふ人を見た。

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【問】憑霊と問答を自由に出来ねば御浄霊施術上不完全ではないでせうか。又憑霊と問答なし得ることを体得するには如何したらよろしいでせうか。

【答】これは危ない事だ。憑霊現象は気を付けないといけない。弊害もある、憑霊に口きらせるとその人にいろんな霊がかかる、その結果精神病になりやすい。霊問答は誰もが好奇心をもつが、問答は求めてすべきものではない。浄霊の場合先方から霊が浮いて出る事がある、そういふ場合問答するのは自然であるから差支えない。そういふ場合は霊の目的をきく。又動物か人霊かをきくのであるが、憑霊は大抵祭つてもらひたいやうな事が多い、其他狐がからかふ事もよくある。そういふ場合騙されまいと努めるよりは、馬鹿になつて騙されてやると却つて早く暴露する。

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【問】死産、流産は何か霊的関係がありませうか、又此様な胎児は仏様としてお祭りする場合どうすれば宜敷いでせうか。

【答】霊的の場合と体的の場合と両方ある。根本はその人の罪穢による。罪穢にも種類がある。死産の場合の罪穢とは子孫を繋げぬ罪、系統の絶やされるやうな罪、例えば昔その家の祖先が何かの原因で人殺しをし殺された人の家が断絶した、その怨みの如きもある。体的原因の方は姙娠中に薬をのんで死産する事がある。薬は毒だから姙娠前に薬を服んだ場合は体力が弱る、その結果胎児が弱く出来る、親の毒は子供に行きやすいものである、弱くなつた胎児は出産の時窒息死する。

  流産も霊的と体的あり、体的原因は化膿性腹膜である。子宮が膨脹する時つかへる、その結果流産する、腎臓部を浄霊すれば治る。霊的の方は妾のある場合とか、約束した女を欺いた罪等で妻へ子供が出来ると、右の女や、妾などの生霊が邪魔をする。そういふ色々の罪によつて育たないのである。それ等何れも本教の信仰に入れば殆んどなくなる。流産の場合五ケ月以上は普通の人間として祭るべきで、お寺で戒名をもらつて簡単な葬式すればよい。五ケ月で人間の形が出来るからである。然し四ケ月か三ケ月でも祟るのも偶にはある。

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【問】出産後胎盤の処理に当り方角をみたり、又産婦の寝床の真下に埋めるなら方角をみないでもよいと言はれてゐますが、正しき処理法を御教示下さい。

【答】人の踏まない所ならよい。胎盤は子供がよい加減大きくなるまでの間の必要なものである。方角はどちらでも構はぬが、汚物であるから鬼門は避けた方がよい。それ以外どこでもよい。

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【問】女の信仰心は第六感によると聞いてますが何故に女は第六感が多分に働くものでせうか。

【答】女は感情が発達してるからである。六感は感情から生れる、男は理性で、理性は感じが鈍い、故にインテリ層などは御自分は敏感のつもりでも、実は鈍感で目に見えないものは判らぬ。すべて人間はかたよらぬのがよい。理性感情両方を円満に発達さすべきである。

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【問】夫が本教のお仕事に理解なき場合、大乗的に考えて夫に相談せず種々な御用をさせて頂いておりますが、小乗的にみれば悪と思はれる様な事を押きつてやつてゐる場合、やがては行詰りや衝突が起るかと思ひ不安を感じておりますが、今後如何にしたらよいでせうか。

【答】之は極端である。いいには違ひないが大乗的に良い事でも夫婦の円満を欠くのはいけない。夫に知れても大した悶着の起らぬ程度に常識的に臨機応変にすればよい。以前天理教の信者であまりに夫と合はぬので布教師の先生に相談した処、あなたは神様と夫とどちらが大事かときかれ、神様が大事といふのでついに夫を捨て生別れたが、其後腕の病で治らず私が治して今は本教で一生懸命やつてゐる。いくら信仰でも家庭生活を破壊するのは社会秩序が乱れるから間違つてゐる。

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【問】光明如来様を祭つた某氏が四十二才の厄払ひのお祝ひの夜、倉庫の中の衣類箪笥二棹全部盗られました。如何なる訳でせう。

【答】信仰しながら厄払するのは間違つてゐる。それでは無信仰同様で神様が警告したのである。神様を信用してないから御守護が止る、信仰して御守護頂けば盗賊など入られるものではない。よくお詫びする事だ、厄とか方角とか信仰してゐれば殆んど無関係で、正しい事なら何してもよろしい。自由である。

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【問】父が三年前より賭博を始め未だに止まず、家庭不和に悩み全くどうする術もなく、借金は益々増し親戚は手を引き公金も米等も介さず浪費致します。これでは私も百姓がいやになり途方にくれております。父の此様な行ひは如何なる訳でせうか、又私は今後如何に観音様にお縋りしたらよろしいでせうか。

【答】お父さんの勝手にさした方がよい。何れ行き当る時が来る、それまで待つ方がよい。これはその家に祖先の罪があるので、それを早くとらなくてはならぬので、祖先が子孫の誰かを選んで金をつかはすのである。使ふだけつかふと罪けがれがとれるので、それからいい事が出て来て段々よくなる。それを待つのである。

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【問】降雨後井戸水が濁つて困るので先生にお聞きした処、浄霊をする様にと言はれましたのでその様に致しましたが効果なく、降雨後三四日は濁つております。如何なる訳でせうか。

【答】雨水がしみる時に泥がとけて混る、それで濁る。龍神のする場合なら浄霊で澄むが、浄霊で澄まぬ時は唯物的に治すべきで井戸屋に頼んで底をさらつてもらひ、洩る所を治してもらへばよい。

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【問】気魄、気力等の強い人の方が御浄霊の効果が多いかに見受けられますが如何でせうか。

【答】気魄と気力のつよい人はよく治るし急所がよくみえる。つまり頭がいいのである。

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【問】紋所の発生した由来。

【答】昔戦争した時旗を立てる、その旗に印がないとどの軍勢だか判らない為に紋をつけた。それが初めである。

(地天八号  昭和二十四年九月二十五日)

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昭和二十四年十月号

【問】昭和二十四年六月九日の中部日本新聞に次の如き記事が掲載されましたが、文中脳波とありますのは如何なるものでせうか。「脳波で交通安全」何故かといふことはまだ判らないが、人間の脳から脳波(一種の電波)が外部に発散する。一秒間に二つ波うつのである。この波をしらべるとなにか考えごとをしてゐる時には波の高さが小さくなるし、眼をつぶつてボンヤリしてゐると波は大きい。しかも眠気をもようしかけると更に波は大きくなるのだ。そこで脳電流を特殊な電鈴に流れるようにしておけば眼ざめているときには電鈴がならないが眠くなるとなりだす。脳波が大きく波うつからだ。これだけの現象ではあるが、こんな電鈴を電車、バス、飛行機などの運転手の頭に取付けて、眠気による交通事故を防止する方法がすでにアメリカで実行に移されたと言はれる。

【答】人間の霊は外部へ発散したり集中したりする。仕事する時は集中し、眠る時は発散する。であるから生霊の憑く時など非常に眠いものである。神道の行事に、鎮魂といふ言葉があるが、之は霊が方々へ放射し分散されたのを(気のちつたのを)本元へ集めるのである。霊が還つてくると気が鎮まり、いい気持になるもので、其中頭の霊が一番よく出る。以上の如く霊が放射する。それが脳波であつて、特に頭だけ出るのではない。全身から放射するのだが頭からが一番余計に出る。

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【問】猶太教、仏教、キリスト教等所謂世界の大宗教と称せらるる宗教が今日の人心世相を已に二千三千年の昔に遺憾なく言ひ表はしております。此内最も重大と思はるる事で未だ実現しないものに最後の裁きで地球上の人類の三分の二は篩にかけられ、ピラミツドの王房に這入り得る者は残り三分の一であると謂はれております。今迄が大体当つておりますので、今後の事を疑ふよりも信ずる方が賢明であるかも知れませぬ。果して斯くの如くであるとすれば、その篩は病気、天変地変、戦争等のいろいろの種類がありませうが、その中尤もなるものはどんな型でせうか。又その時期はいつ頃でせうか。お話願ひます。

【答】三分の二滅び、三分の一助かるといふ予言は私は知らない。釈迦は仏滅の世が来るといつた。之は仏教が滅するとか物質界が滅するとか諸説はつきりしない。キリストは世の終りとか、最後の審判とか言つたが具体的にいつてゐない。その時期としては釈迦は五十六億七千万年後といひ、キリストは二千年後とかいてある。私も世の終りとか最後の審判とかかいてゐるが、之は聖書によつたまでである。こういふ事ははつきり時期が判つてもいえない。言はない所に価値がある。例えば人間の寿命が判つたら働かない事になる。私は予言しないやうにしてゐる。誤解され易いからである。詳しくいえば人心惑乱として法にふれる。ただ世の終りが近づいてゐる事は言える。之は浄霊が年々よく利くやうになるのでも判る。之は霊界に火素が増えたからで、火素が増える結果は浄化がつよくなる事である。浄化はひとり病気だけではなく、あらゆる面に及ぶから想像は出来る。

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【問】私は磐田市近在に住む者ですが、今年の正月元旦は雨と相当の雷鳴が轟きました。元旦に左様な事は私の数十年来経験しなかつた事です。若し一年の計にして元旦にありとすれば、この現象は何を暗示しておりませうか。

【答】元旦の事は一年の世の中の運命に関係あるから、今年も何かあるでせう。今年の十二月から浄化は烈しくなる。

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【問】私は昨年九月迄長年医薬の厄介になつておりました。喘息も御浄霊により楽にさせて頂き、主人は昨年十一月、私は同年十二月入信致しました。未だ御神体はお祭りしてありません。今年三月頃から再び御浄化を頂き、四月頃は一時大変痩せましたが、五月頃よりは午後になると熱が出て、四時五時頃迄は激しく頭痛発汗があります。翌日朝は気分がよいのですが、膝のあたりが震えて悪道路を馬車に揺られる様に震え、約四十分程四回に亘つて震えが来ると言ふ状態が一日置きに来るのでありますが、何か霊的な関係がありませうか。又今後如何にしたらお救ひが頂けませうかお教え下さい。

【答】震えが来るのは寒気で、つまり浄化熱で結構である。病気は凡て一日おきによいわるいがある。光明如来様をお祭りするとよい。早く治るには信仰に入れば神様がよくして下さる。よくして下さるのは、「ない命をやるから世の人を救え。」といふ意味であるから、ただ治つただけではいけない。多くの人を救えば益々早く治して下さる。神様は人間が役に立てば出来るだけよくなるようにして下さるし、又悪くならない様にして下さる。

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【問】人間は姓名の良悪にて幸不幸があるそうですが、その良悪を正しく知るにはどうすればよいでせうか。

【答】名前で運命が決るとはいえない。大いに影響はあるが絶対ではない。善い名のつくのも悪い名のつくのも、その人の運勢によるのである。私など頼れてもすらすらとつけられる時とつけられない時がある。名前をかへるにも時期がある。いくら名前をかえても、その時その人の霊的状態によつて善い悪いがある。又名は時代に合はなくてはいけない。今木下藤吉郎とつけても天下は取れない。以前加藤高明の総理大臣の時、その頃上野で乞食を検挙して名を査べると、同じ名で当時の新聞に出ていた事がある。よく教導所で名前をかえて急に発展するのがある。名のつけ方に就ては何れ本に書く。

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【問】私は自動車のタイヤ修理工場を経営してゐる者であります。去る五月二十七日午前十時頃丁度私が浄霊に出掛けた後でしたが、階下より突然発火し、ガソリンタンクに引火して手のつけ様もなく、五分間ばかりの間に建坪四十二坪を全焼し、畏多い事で御座ゐますが階上の光明如来様も御写真も其他お額も焼失致しました。心よりお詫び申上ます。火災の二三日前長女和子が家の内外が、「キナ臭い。」と申しておりましたが、斯くの如き結果になるとは思ひませんでした。然し不意の事で、且私の不在中にも拘らず一人の怪我人もなく、家内一同無事でありました事は御守護の賜と厚く御礼申上ます。右の内長女が、「キナ臭い。」と申したのは如何なる理由でせうか。

【答】キナ臭いといふのは霊界で二三日前に既に火事になつてしまつた。それで臭つた。理由として斯ういう事がある。この人の財産に汚れがあるため浄化された。斯ういふ浄化はよくある。例えば祖先が道に外れた事によつて、即ち払ふべきものを払はなかつたり、出すべきものを出さなかつたり、人を苦しめたりして金を貯めたのがよくあるが、その人が信仰に入つて大きな御神徳を与えて下さるのに、過去の不純な財産が邪魔になる。即ち嚢の中が汚れてゐては好いものが入れられぬので、その嚢を綺麗にするのである。又こういふ事もある。火事などで焼けるのは汚れを非常に早くとられる訳である。普通相場に手を出したり息子が道楽したりしてなくす事もあるが、其浄化が済むと屹度あといい事になる。よく道楽息子が金を湯水の如く使ふのは祖霊がするので、それをしないと一家断絶するので、それを救うためで、これは割合長くかかる。然し霊的の事を人間は知らないから怒つたり悲観したりするのであるが、後はきつとよくなる。或は入信した人は或程度不純なものがとれてからはウンと神様から結構な御神徳を下さるもので、此人もそれである。勿論うんと財物を下さる。普通は御神徳で火事を免れるものだが、此人は不純物が沢山あつた訳だ。又浄化にも時期があつて、私など二十年位借金で苦しみぬいた。今にうんと金が入ると人に話してから十年位たつて、昭和十六年に借金を全部すませた。それから予想外に金が入るやうになつた。金が欲しい欲しいと思ふ時には仲々入らなかつたが、諦めて神様任せにしたらそれからどんどん入る事になつた。面白いものである。

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【問】生後六ケ月の幼児、御浄霊により高熱が続き発汗甚しく、全身粟粒大の発疹をし疥癬の様になり、元気もよく食欲もあり、便通、発汗、順調になりましたけれ共、夜になると四十度以上の熱が出ては汗を非常にかいております。母親は是非入信させて頂き、自ら浄霊の希望でありますが家の都合でまだ入信しておりません。私が総本部へ伺ふので此病人の浄霊が出来なくなりましたので、母親も非常に心配しております。入信者でない家族の御浄霊は、特にこの様な場合は御浄霊を断はつた方が宜敷いでせうか。

【答】断らなくてもよい。やつてやるべきだ。汗かいたりなど非常によい。症状からみて順調な浄化である。ほんとうは病気が治つてから入信するのが本当で、病気が治つて有難く、やむにやまれぬ気持で入信するのが本当である。例えばもし治らない中に入信して死ぬ場合がある。入信してから死ぬなんてあんな信仰は駄目だといふ事になる。すると怨まれる。特に肺病などは余計にそうで、入信すると余計に浄化が強くなる。肺病は医者に散々かかつて、もういけなくなつてから本教へ来るので、薬毒がうんと溜つてる。それの浄化が起り、浄霊すると反つて死ぬ場合があるから、特に肺病は治つてから入信するようにしなくてはいけない。ただ生命に関係のない病気は病気の治らぬ中に入信してもよいが、生命に関はるのは治つてから入信すべきである。これなど順調だから屹度治る。そうすれば家の人も判る。又入信してすぐに又光明如来様を祀らせたりせず、段々本人が判つて信仰が進み、拝みたくなり是非といふ時になつてから祀るべきである。すべて物事は漸次進んでゆく事がよくそれが順序である。突然に変るのは本当でない。例えば新しく教導所をひらく場合、最初は出来るだけ小さくする。人間が赤ン坊から育ち一人前になる如く、又草木の種子が段々二葉から大きく育つ。それなら根が張り枯れたりなどしない。之が大自然の実相だ。私など此仕事は六畳一間から始めた。信仰も最初は種蒔であるから話すだけにしておく。それが育つに従ひ先方が耳を傾ける程度になつたら雑誌新聞をみせる。その中に教修を受けたくなり教修を受けさす。そのうち病気が治つたりなどして光明如来様お祭りする。此様なやり方で入つたのは信仰に動揺がない。急いで入信したのは所謂根が固つていないから動きやすい。之は如何なる事でもそうである。面白いもので最近新興宗教といふと本教が一番目指されるが、決して一番にならうと思つた訳ではない。之も最初は目立たぬよう出来るだけ大きく見せないようにした。此点世間とアベコベでその結果一番拡がつたやうだ。

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【問】三日月が下弦型になると、物価が下落すると謂はれてゐますが真実でせうか。

【答】之は相場師がよく言ふ事で、物価にはあまり関係はない。物価の動き、ツマリ上り下りは十年に一遍位に変る。然し月の変化もいくらかは関係があるやうだ。  注:((*1))  一九四一頁参照

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【問】言葉と言霊に就て。

(一)こちらの発する言葉が相手を益する場合には嘘、怒り、泣言の相槌等の言  葉を発してもよろしいのでせうか。

(二)神様から御覧になつた場合の良否は判らなくても、自己の所信を表現する  場合の言霊はどうなりませうか。

(三)お世辞の言葉、虚勢を張るための言葉、或は自己を卑下する言葉等は如何  なものでせうか。

(四)言葉は簡潔な方が宜しいと存じますが、時と場合により  空気を和げるた  めに、雑談冗談等を言ふ場合の言霊はどの様なものでせうか。

【答】(一)嘘はいけないが止むを得ない嘘もある。又昔から天下国家のために怒る  のは善いが、個人的の怒りはいけないとしてゐる。怒りを行動にうつすことは勿論  いけない。そうかといつて怒りを抑えて精神病になる人もある。怒り、嘘もすべて  臨機応変である。嘘にも善悪があつていゝ嘘はよい。よく入信しないと救はれぬと  言うような嘘はいけない。神様の事はどこまでも真実でなくてはいけない。目的の  ために手段を選ばぬといふ事は非常に悪い。泣言に対する相槌はうたなければなら  ない。慰める訳だからで、然しそれには限度がある。早く泣言を打切るやう智慧を  働かせるべきだ。

(二)神様の御覧になつた場合といつても程度問題である。誠のある程いい智慧が出  る。大抵は誠の心をもつて、常識的に考えれば善悪は大抵判る。たゞ大乗と小乗は  逆の場合があるから注意すべきだ。戒律宗教は小乗で、戒律によつて悪い事を防ぐ  のは本当ではない。戒律がなくても悪い事をしないのが本当である。要するに之も  臨機応変である。

(三)之も程度問題で表面だけじや反つて不快を与える。相手に快感を与える程度に  するのが原則である。よく喋舌のが下手で、信者が出来ないと言ふ人があるが、話  がうまくて信者が出来るものなら講釈師でも頼んだ方がよい。寧ろ喋舌るのが下手  な人に多く信者が出来る。私は常に思ふがユスリなどは実に話がうまい。それで功  を奏するから益々弁舌が発達する。嘘が進歩する。誠の人はどうしても実行的で話  は下手である。虚勢は嫌味である。人間はアク抜けなくてはならない。自己を卑下  するのは下座の行で或程度はよいが、卑下し過ぎる事はあまり感心出来ない。(四)冗談もうまいのは大いによい。場面を和げる。人間は人を笑はす位に話術がう  まくならなくてはならない。事務的な事は無論簡潔がよい。

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【問】動植物の病気も矢張りそれぞれの霊の曇りの浄化作用なのでせうか。又動物の霊界に於ては霊の向上等により変動があるものでせうか。

【答】此場合獣類、学問上は人間も動物にしてゐるが、動物と植物とは違ふ。植物には浄化はない。何故かといえば罪を犯す事はないからである。下等動物程罪はなく、罪は人間だけである。人間は自由を与えられてゐる。自由があるから地上の経綸が出来る。獣類とても人間は自由に使える。植物には浄化作用がないが、黴菌や害虫が発生するのは何故かといふと、植物は人間に支配されてゐるから人間の罪が植物に反映し、害虫等が発生する。松食虫なども人間が霊界を曇らすからである。すべて地球上凡ゆるものは人間本位である。一家が栄える場合とか徳を積んでる人の庭先の樹木は勢がよい。であるからその屋敷の樹によつてその一家の盛衰が判る。松は一番感受性がつよい。従而木には霊の向上などない。一切人間次第である。

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【問】狐や狸や猫の霊は多く憑依しますが、犬や猿の霊は如何でせうか。

【答】狐や狸は人間に憑き易い。中でも狐は一番憑き易く、性格からいつても人間に一番似てゐる。祖霊が何か知らせる場合よく狐が代りになつていふ。そういふ場合本当の事も嘘の事も言ふが、それは狐の性格である。然しそれを一概に祖霊と決めても狐霊と決めても間違ふ。その話の中で真面目な事は祖霊の言とみてよく、変な話は狐と思えばいい。狐は人間の言葉を聞く性能を持つてゐる。次は狸で猫は少ない。犬、馬、猿といふ順である。鼠や豚はあまりない。豚は人間に肉を供するのが使命である。天理教では牛肉はいけないが豚肉はよいとしてゐる。

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【問】  四十手、五十手とは。

【答】四十手、五十手、六十手といふが、年をとるに従つて毒素が手に集り固まる。それが痛むのである。之は浄霊によれば簡単に治る。

(地天九号  昭和二十四年十月二十五日)

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昭和二十四年十一月号

【問】二十二年度国勢調査の結果にみても婦人に長命が多いのは何故でせう。

【答】一家を支える主人即ち父親の方が一番身体を大事にする故早死する。大事にする息子程弱いし、どうでもいいと思ふ子供は丈夫である。今迄の健康法は逆であつたのだ。故に体は打棄つておいた方が長命である。

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【問】音楽もそれを弾く人の想念によつて言霊のやうな働きをなすものでせうか。

【答】勿論そうである。器楽を通じて指先からその人の霊が音律へ入つてゆく。笛など息から入る。故に音楽でも人格者や、信仰のある人のは感じよい。ラヂオでもその人の霊がラヂオを通じて働く。喋舌る声なども大いに影響する。或地点にゐて私が喋舌る言葉は全世界にひびく。どこでもとは言えぬ、その位置により違ふ。霊界には所々に高天原があり、都会もある。熱海、箱根も高天原である。そこで喋舌る事は日本中へひびく。以前東京丸ノ内の中央亭で時々講話をした。丸の内は(ス)で、其中央で大いに意味がある。今その時話した事が日本中に実現しつつある。

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【問】二十六才の男(信者)全国珠算競技に第一位を得た人ですが、「七桁」の暗算は会話をしながら隣りの部屋で読み上げたのを違ひなく寄せ、「八桁」になると耳を澄まさないといけないそうです。実に素晴しい才能と存じます。霊的に何か原因がありませうか。又天才とは如何なる理由に因るのでせうか。

【答】此様な人は計算の方面にすごい頭脳が働くので、生れ変る度に計算の仕事をするので、特に発達したものである。普通二十年か三十年の経験でそうなるのが何百年もやる訳になる。天才はすべてそうである。人間の頭脳は使えば使う程発達する。無限である。であるから何十万年も経てばどんなに人智は発達するか判らない。人間か神か判らない程に発達する。

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【問】西洋人の生れ更りがあるとのこと、その霊は西洋の方から来るのでせうか。又西洋人にも日本人の生れ更りがありませうか。

【答】どちらもある。アメリカ人など日本人の生れ更りが随分沢山ある。以前西部劇の有名な映画俳優でロローといふのがあつたが、日本人そつくりだ。例えば外人で日本へ来た者、日本人の妻君をもつた者が、その因縁で死後日本へ憧れ生れてくる。日本人でもアメリカに憧れたものはアメリカ人として生れるのである。

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【問】代々仏教の家にて母がキリスト教に帰依しており、死後キリスト教で祀つて欲しいと申しますが如何致したらよろしいでせうか。

【答】無論そうしなければいけない。すべて生前信仰してゐた宗教に祀るべきである。

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【問】自由主義の世になり、婦人の社会進出が目覚しくなつて来ましたがその正しい在り方について。

【答】女は原則として家庭を治め、子供を産み、育てるのが本来の使命である。然し封建時代は、余りに女性を認めなさ過ぎ、不公平であつたから、神様は今迄より権利を与えて下されたのである。然し外で働く女性もなくてはならぬ。勿論少数は必要である。代議士になる女性はそういふ意味である。東洋は経であり、西洋は緯が本来であるが、五六七世になると東洋は今少しく婦人は上へ行き、西洋は今少し下へ行く事となり丁度よくなるのである。

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【問】老人と若夫婦との同居と別居はどちらが宜しいでせうか。

【答】別居の方が本当である。子供が成年になれば親から離れるのが本当である。動物でも歩ける様になれば離れる。あまり長く親の傍にゐると子供の活動力が伸びない。

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【問】御道の会員や患者にしても婦人の方が多いのは何故でせうか。

【答】女の方が第六感が働く、男は六感が鈍い。信仰は六感の働く方が判りが早い。又上流の人程六感の働き方が鈍いから入信しない。大抵二の足をふむ。之は副守護神の物質欲が強いので、入信を止めるのである。

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【問】妻が姙娠の場合、夫が悪阻の状態をする例があり、その場合妻は何事もなく平気でおりますが、これは如何なる訳でせうか。又一般夫婦の場合、お互の浄化を引きうけ合ふ様な事があるでせうか。

【答】これは当り前で、夫婦の霊線が一番強く太いから、妻の悪阻は夫が引受けると、反対に夫に罪があつて浄化をせねばならぬ。夫が浄化の為一家の生活に困る場合、それを妻が引受ける場合もあり、親の浄化を子供が引受ける事もある。ひどいのは子供の生命まで犠牲にする場合もある。

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【問】現在三十五才の婦人、娘を連れて再婚一年程前より月経停止、それより体の調子悪く同時位よりお乳が出るやうになり、搾れば今でも出るさうです。主人は先妻との間に一子が出来たが、産後二三日で他界、先妻の方でも主人の方でもこれを祭つてないとの事です。お乳の出るのと死んだ子供との間に何か霊的関係がありませうか。

【答】子供の霊が祀つてないため、後妻である此人に憑いた。赤児は乳をのみたいので祖霊の中の正守護神が霊的の乳を出して霊の子供に飲ませる。それがいくらか物質化して現実の乳となると解釈すべきである。早く祀らないと色々な事をやる。肩がはる場合、赤子の霊がをぶさることがよくある。乳にブラ下る事もある。そういう場合も赤児の霊が吸うからいくらか乳が出る。以前悲しくもないのに涙が出る人があつた。此人は流産したのが祀つてなかつた。それを教えてやつたら其場で気持よくなつた。これは流産した子供が憑いてゐた。

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【問】夫婦で妻の縁類の方は次々と御教修を頂きますが、主人の方は一向に頂かない場合がありますが如何なる訳でせうか。

【答】霊統の関係である。こういふのは妻君の霊統に因縁あり、その多くはその霊統の祖先のうちに熱心な観音様を信仰してゐる人のある為で話が判り易く、その霊が手伝ふからそう言ふ信仰の人は成績がよい。

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【問】御簾の由来について。

【答】以前偉い人特に天皇が家来に会ふ場合簾を垂れた。貴人を崇める形式である。床の間もそういふ意味のものである。神武天皇以前はそうであつたらしい。それが自然に民主的になり、簾なしにお目にかかれる事になつた。昔のお雛様などみても高く四角い所へ畳を敷いて縁に模様があり、それに座して簾を垂れる。天理教主などは今でも簾の中からお授けするそうである。

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【問】道祖神に就て。

【答】地蔵尊と同じもので、道六神ともいふ。昔、道を造つた人を祭つたものもある。道しるべの神である。

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【問】或信者の家庭で地上天国の御文字の御額の附近の天井で、四五晩パリパリと木の裂ける様な大きな音が致し、無気味に思つておりました処、或日御額の御文字の左肩が五、六寸突然剥げました。何か御示しでせうか。経師屋も実に不思議だと申しております。

【答】悪魔が苦しいから剥したものであらう。文字迄は流石に恐しく剥がさなかつたのである。

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【問】昭和二十二年入信し、二十四年一月御神体をお迎え申上げました。今回次の神様を処分致したく思ひますが如何なる方法にしたらよろしいでせう。 

(イ)井戸神様―井戸の傍にあり、毎年一回氏神様よりヘイシンの入替をする。

(ロ)荒神様―屋内

(ハ)神明様―屋外、鏡の裏は天照大神の文字を記してある。等合計十一神あるが略す。

【答】これは整理した方がよい。丁寧にやれば一つ一つ大御酒をあげお供物して祝詞を奏げ、口頭にて今度光明如来様をお迎えしたため元の御座にお帰り願ひます。長い間御守護の御礼を言ひ、翌日処分すればよい。おいておく神は一柱もない。大黒様は光明如来様の前、向つて右に台を作つて安置する。妙西禅尼は戒名をつけて仏壇へ祭つてやる。鏡はしまつておけばよい。これなどはまだ少い方で、多いのになると三十も四十も祀つてゐるのがある。いつも言ふ通り今迄神の力が薄い細い糸のようなもので、一本では心細いから何本もまとめて太くして掴まるのである。光明如来様なら一本でも太いから安心といふ訳である。

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【問】建築の場合、棟木を継合せる時、頭と頭を継合せると長男に障ると申しておりますが何か訳がありませうか。

【答】之は尾と頭尾と頭と繋ぐのが本当で、切つた木でも猶霊が残つてゐるからである。凡て逆は不可である。だから私など部屋に品物をおくにも法に叶つた置き方をする。よく神様の本の上に小説などをおくと何か障りがある。すべてに順序がある。以前宝山荘にゐた頃、或部屋へ入ると誰でも気持が悪くなる。これも調べてみると私の色紙の上に普通人のかいた色紙がのつてあつて、順序が間違つてゐたので、取除いたら何ともなくなつた。よく階段の上から目下に挨拶される時は困るので、私は急いでその人の位置まで上つて挨拶をする。凡ゆるものに法がある。言葉でも仕事でもそうである。木なども格のある木とないのとあり、格のあるのは庭の上座に植える。私の造る庭はそういふ点に注意してあるから、気持がよいのである。言葉に順逆がある。心得てゐると自然人に好感を持たせる。「法に叶ふ」とはその事を言ふのである。今の世の中で政治でも人事一般がうまくゆかないのはそういふ点が出鱈目であるからである。

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【問】栃木県芳賀郡逆川村の或家で、「こんにやく」の花が咲くごとに家人が死亡しておりますが、何か関係が御座いませうか。又「こんにやく玉」を盗んで栽培致しましても育たず、尚他人の土地へは繁殖しませんが、何か原因がありませうか。

【答】何か霊的のものだ。蒟蒻玉といふのはよほど意志のあるものと思はれる。植物によつては動物的のものもある。之は意志のある植物で、霊的といふより寧ろ神秘的である。以前植木屋に聞いて試したが人語の判る植物がよくある。花が咲かないので今年咲かないと切つて了ふといふと必ず咲く、実に不思議である。壇の上を小児の形をしたものが多数踊つてゐるのが見える人がある。之は妖精といつて西洋に多くある。之等は植物と動物と密接したものである。淋病の淋菌「ゴノコツケン」は動物性の時は伝染するが、時が経つと菌が苔のように植物性になると伝染しない。これが酒などのむと又動物化するのである。

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【問】歯石が早く出来る人と遅い人とがありますがどんな原因でせうか。

【答】歯石のたまる人は歯が軟いからで、軟いのは弱いからでといふことは身体が弱つてゐるからである。最近小学生は九割虫歯があるといふから如何に弱体であるか寒心に堪えないのである。

(地天十号  昭和二十四年十一月二十日)