御 教 え 集 第三十一号

昭和二十九年二月御教え

二月四日(立春祭御教え) 

今日は立春と共に旧の正月の元日になるそうです。何時も、立春というが、早いように思うのです。とに角今年は大いに意味があるのです。まだ発表はできませんが、昨日、今日素晴しい事があったのです。いずれ話をしますが、それは神様の型です。それで、非常に目出度い事なのです。というのは、節分というものは“福は内、鬼は外”で、鬼の災いを避(ヨ)けるという、昔からの行事があるのです。そのために方々の神社仏閣で豆まきをやるのです。ところでこれは、前にも話した事がありますが、あべこべなのです。鬼というのは偉い神様なのです。艮の金神国常立尊という神様です。今日の御讃歌にも「常立の神」というのがありましたが、国常立尊の事を略して常立の神と詠(ヨ)んだのです。それからもう一つ「艮の神」という事も入れてありました。

そういうようで、つまり事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではないのです。そう古いことでもないのです。尤も三千年という事になってますから、三千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代があったのです。ところが非常に厳格な神様で、間違った事は許さないというために――大本教のお筆先などを見ると分りますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとてもやりきれないというので、こういう喧(ヤカ)ましい神様は押込めなければ楽はできないというわけで、押込められたわけです。押込めた方の神様は天若彦神というのです。これはよく天邪鬼(アマノジヤク)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪鬼と言って、つまり素直でない、何んでも横車を押すという性格の神様です。それで国常立尊という神様を、艮(東北)に押込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌(イ)み嫌(キラ)ったのです。尤も忌み嫌うわけです。人間の方が間違った事をすれば、そういう喧ましい神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろんな事をやったのです。そういうわけで、三千年押込められたとしてあります。

そうしてその神様が明治二十五年に大本教の教祖の出口直子という方に憑られて非常に怒鳴ったのです。出口直子刀自の口を借りて怒鳴ったのです。その第一声が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」というそれが最初の獅子吼(シシク)です。それで、大きな声をして怒鳴るので、気違い扱いにされて警察に引張られて、二十日か三十日間勾留されたのです。それが大本教の始まりなのです。その艮の金神という神様は、押込められて肉体の方は無くなりましたが、霊は霊界に行かれて閻魔大王になるのです。それで閻魔大王というのは、善悪、罪穢れを裁く神様、裁く御役目です。閻魔大王というと非常に恐ろしがられたのです。それが、本当は至正至直(シセイシチヨク)の神様ですから、そこで霊界に行っても、悪い人間が見ると恐ろしい顔に見えるのです。これは霊がそういう事を言ってました。それから心の善い人がゆくと非常に柔和な慕わしい優しい神様のお顔に見えるのです。これは面白いです。というわけで、そこで大本教のお筆先に「艮の金神はこの世の閻魔と現われるぞよ」とありますが、“この世の閻魔”という事は、現界の審判をなされるという事です。今までは霊界の、死んだ人を審判されたが、今度は現界で生きた人間を審判される。“この世に現われて”というのですから、現界に現われて審判をするというわけです。「今までは蔭の守護でありたが、今度は表の守護になるぞよ」とありますが、凡て現界的になるわけです。

では、それは何時かと言いますと、大体明治二十五年のは、霊界から現界に、つまり一段近寄ったわけです。霊界でも三段になっていまして、一段ずつだんだんと近寄って来るのです。それでいよいよ最後の段を済まして直接現界に現われるというのが今日からなのです。そうすると、今日は最後の審判の初日というわけです。恐ろしいですが、しかしそれはこっちに邪念があったり曇りがあったりすると怖いので、そうでなくてこっちが本当に正しく立派な心を持って居れば有難いのです。今まで悪い奴にいじめられたりしていた、それがいじめられなくなるから、善い人間には非常に結構です。それから「今度は善悪を立分けるぞよ」とありますが、これは私は始終書いてます。最近いろんな汚職事件が目茶々々(メチヤメチヤ)に現われて来ました。よくもそういった不正事件が出るという事は、今までに例がないように思います。これもいわゆる審判が近寄ったという事を現わしていると思います。それで、艮の金神様が表に現われるという事は、艮の金神様は火の系統の神様ですから、そこで非常に光が強いのです。やっぱり霊界が明かるくなるのです。だから今まで隠(カク)していたり隠蔽(インペイ)していたものが現われるのです。目に見えるわけです。そこでいろんなそういう事が出て来るのです。

それから今年から又一段と病気が多くなります。それと共に薬毒がだんだんはっきりして来るわけです。以前も言ったとおり、恐怖時代の一歩に入ったわけでもあります。そうなると救世教というものの発展が著しくなり、大いに発展するわけです。その段階に入って来たわけなのですから、大いに働き甲斐(ガイ)があるわけです。今まで押えつけられていたのが、その押えつける力が弱るわけです。今まで十回も二十回も話をしなくては分らなかったのが、今度は五、六回で分るというような意味になるわけです。そうかといって、神様の事は急に目に見えるようには現われないものなのです。つまり何んとなくジリジリジリジリ進んで行くわけです。今年、来年、再来年というように、年々早くもなるし、それからはっきりもして来るのです。とに角今年から神様が表になったという事は確かなのですからして、そこで救世教というものは今年から世界的に非常に知れてゆくわけです。言わば、いよいよ舞台に上ったわけです。今までは楽屋でいろいろ支度していたのが、いよいよ支度ができたので桧舞台に上るという事になるわけです。やっぱり芝居と同じですから、序幕です。

これはお筆先にありますが、「今度は三千世界の大芝居であるから、悪の役もあるし善の役もあるから」というのがあります。お筆先というのは実によく書いてあります。というのは、今まで随分教団の邪魔をしたり、いろいろ良からぬ人が入って来ました。ところがそういう人に“あいつは悪い奴だとか、あいつはいけない”とか言いながらも、結果においてはなかなか良い役をしてます。それは悪い人間でなければ出来ないような良い役をしてます。だから本当に御苦労様と礼を言いたいくらいです。これが丁度、今言った、善の役と悪の役と両方拵えてあるという事がはっきり分るのです。尤も芝居でも映画でも、ああいった脚本でも、善人ばかりでは芝居にならないので、悪人に善人が苦しめられるという、そこに一つの脚色ができるのですから、なるほど芝居という意味から見ると、悪の役も要り用だったわけです。そういうようで、神様がやられる事は実に深いです。ですから“あの人はああいう事をしているから悪い、間違っている”という事は、とても言えるものではないです。そう言っている人は、実はその人自身が悪い事をやっていて、悪い事を言われている人は良い事をやっているかもしれません。お筆先に「一生懸命、神のためと思い、間違うている事をしている人は、神も困るぞよ」というのがあります。“これが神様のためだ、これが本当だ”と言って一生懸命にやっている事が、案外神様のお邪魔になっているというわけです。

そこで人間、特に信者は、善とか悪とか決める事は大変間違っているのです。又分るものではないのです。ただ、自分が良いと思う事をして居ればそれで良いので、人が善いとか悪いとか言う、それが一番危険なわけです。なにしろ世界人類を救うというのですから、開闢(カイビヤク)以来ない大きな仕事なのです。お筆先に「大きな器には大きな影がさす。だから器が大きくなければ神の仕事はできんぞよ」というのがあります。余程大きな器で、要するに大局的に見るというわけです。“大乗の善は小乗の悪であり、小乗の善は大乗の悪である”という事は何事にもあります。私はこの間も書いて、栄光に出ていると思いますが、日本の忠君愛国の、天皇のため日本のためという事が実は悪なのだから、日本のため陛下のためのみを思うから大東亜戦争のようなものを起こしたのです。その“ため”と思った結果、朝鮮も支那も、方々の国も、みんな酷い目に遭うわけです。そうしてみると、我欲、自己愛という結果になります。だから世界人類のためという事が本当なのです。私は最初から忠君愛国的の事は全然言わなかったのです。どうしてもそれでは結局悪なのです。そこで世界人類というところに目標をおけば、これは本当に正しい事なのです。

この小乗的考え方が非常に難かしいのです。そこで、神様のために一生懸命になっていて実はお邪魔をしているという事は、やはり小乗的のためなのです。自分の小乗的頭で考えると、それはどうもいけなくなるのです。ところが大乗的というのは、要するに結果です。一人でも多くの人を仕合せにするというところに目標をおけば、別に難かしい事はないので、分るわけです。自分の家族の者でも、亭主とか女房とか親父とか娘とか伜とかが、どうも神様の事が分らない、何時も反対して困るという事は、或る程度は分らせたいと思ってもよいが、あんまりそれに固執(コシツ)するという事は、やはり小乗的考えです。それよりか、他人、世間の人間を多く分らせたいと思う事が本当です。そうして他人を一人でも多く救えば、その酬(ムク)いが自分に来るからして、自分の家族でも何んでも分るというわけです。よくお蔭話に“どうも自分の伜が分らない”とか、そういうような事がありますが、これはまだ本当の線に入ってないのです。だから自分の家族などは神様に御任せしておくのです。そうして何処までも世間一般の人を一人でも多く分らせなければならないという事です。それもこれも、その人によって分る時節がありますから、或る程度までは一生懸命にやっても、その先は神様に御任せするというようにしておれば、かえって結果がよいので、早く分ります。

そこで、こういう事があるのです。今言ったとおり、艮の金神様を押込める方の総大将が天若彦尊とすると、天若彦尊という神様は天邪鬼的で、非常に素直でないのです。いわゆるケツ曲りで、何んでも曲るのです。それで、その一派がずっと世界を支配して来たからして、人間の心というものが、みんなそういうふうに歪(ユガ)んで来たのです。だから、どうも逆になるのです。良いと言って奨められると、ちょっとあべこべになって、“あんまり奨めるから……そんなしつこく言わなくても、オレだって分らない事はない”と言って、逆に変に反対になるのです。そういう癖が非常にあるのです。特に日本人には多いです。という事は天若彦尊の系統が多いわけです。そこで、お筆先に「素直が一等であるぞよ」という事があります。というのは、あまりに人間が素直でないからです。いろんな事で聞いたり見たりしても、アメリカ人などは非常に素直です。だから一致するのです。日本人というのは、その点においては実に変ってます。アングロサクソンの方は、政党でも二つか三つしかありません。とに角政党でも宗教でも、何んでも日本が一番多いようですが、これは又実に、反対な、素直でない、一致しない、というのは、日本人の性格です。

ところが日本人というのは霊的に見ると一番高いのです。一番優秀なのです。だから、浄霊をするにも――今に世界中の人を浄霊するようになるでしょうが――日本人が一番治ります。それは霊が一番強いですから……。そこで日本という国は、邪神の方では一番に狙うわけです。ですから日本人が良くなると世界中が良くなるのです。世界の種みたいなものです。それを今の人は知らないから、かえって白人の方が良いと思っているのです。女の人などはアメリカの兵隊とか、そういったアメリカの人に惚れるのです。日本の青年の方が軽蔑(ケイベツ)されているのです。今の若い女性は、アメリカ人に身を任すという事を非常に喜んでいるようです。というのは一つの崇拝です。あっちの人が偉い、上等だと思っているのです。ところがナンゾ知らん、日本人が一番上等なのです。そこで、艮の金神様のお筆先にそういう事を非常に残念だという事が、よくお筆先にあります。ですから霊的レベルは、日本人は地平線より上にあるのです。日本人以外は全部下なのです。ところが日本人があっちの人を崇拝すると、やっぱり下に落ちてしまいます。ですから、これも――艮の金神様という最高の神様が下に落ちて、枝の神様が上にのさばって好き勝手な事をしている――「神も残念であるぞよ」という御言葉があります。それはそういう意味なのです。

それがとに角現界で三千年続いたのが、いよいよ表に現われるという、その機関が救世教です。そこで救世教が今年からいよいよ世界的に知れて来るわけです。これは神様はチャンとそういうふうな仕組になってますから、そうなる事は分ってます。それが、いよいよ今日がその初日になったわけですから、そのつもりで見ているとよく分るわけです。それで今年メシヤ会館が出来るという事は、その現界的に変化をする、転換するという事がピッタリ合うわけです。何時も言うとおり、熱海は体の方ですから、つまり現界的に現われるわけです。地上天国が、今年は会館と水晶殿、来年は美術館というように出来るという事は、とに角それからが本当に世界的に知れて来るわけです。日本から知れるのが本当ですが、なにしろ日本中が今まで外国崇拝になってますから、神様はそれを利用して、外国から先に分らせるという事になっているのです。お筆先に「燈台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがあります。一言にして実によく……寸鉄殺人的に書かれたわけです。そういうようなわけで、いよいよこれから面白くなって来たというわけです。

そうして、それについて、地上天国は、芸術が救いの一つの大きな役目をするわけですが、それはどういう訳かと言うと、地上天国が出来ますと、それは見物人が大変です。少なくとも日本人の半分以上は見に来るでしょう。この間のアメリカの新聞記者のグリリという人と、もう一人は名前は忘れましたが――観光事業の方を専門にしている人です――この人達の話では“アメリカに来ればどうしてもナイヤガラの瀑布を見なければならない。それと同じように、日本に来れば熱海の地上天国を見なければならないという事になる。岡田さんはそれほどには思っていないだろうけれども、確かに僕はそう断言する”と言っているそうです。ところが、私はそれ以上に思っているくらいです。そうすると皆見物に来ますが、その見物に来た人は霊的にはチャンと神様の方に結びつけられてしまうのです。そうしておいて、結びついた人の中にも色々な人がありますから――結びついた人は因縁のある人ですが、因縁のある人の中にも上中下があるわけですから――つまり結びついた人は救われる候補者になったわけです。選挙民の投票の札を貰ったようなわけで、政治に対する容喙権(ヨウカイケン)を得たわけです。ところが、なにしろ長い間に穢されてますから、その資格に落第する人があります。だからみんながみんな救われるわけではないが、まず或る数は救われるわけです。ですから、要するに地上天国というのは、神様のメンタルテストみたいなものです。そうして救われる人と救われない人との立て分けという意味もあるし、それから又見に来た人はみんなそこで或る程度霊は浄められますから、そこで救われる資格に、一つの印(シルシ)をつけられるわけです。だから神様はどうしても見なければならないような物を造られて、そうしてそういう方法をとられるという事は、実にうまいと思います。これが、宣伝ビラとか講演とかいろいろなものもあるのですが、一ぺんに多くの人を寄せたり、知らせたりするという事は到底できるものではないです。こういう素晴しい、見なければならないような物を造るという事は、実に何んとも言えない巧妙(コウミヨウ)な方法です。そう長くかかってもしようがないから、三年や五年の間に何千万人も来るだろうと思ってます。それほど評判になるわけです。

それで、とに角これは、アメリカの新聞記者も言ってますが、今世界で私のやっている仕事ぐらいの大規模な有意義な事をやっている人はない、と言ってます。これは私は予期したとおりですが、とに角アメリカの人がそれだけ認める、発見したという事は偉いと思います。それは到底日本人などは足下にも寄りつけません。それで非常に期待して、出来たら大いに世界的に宣伝するという事を言っているのです。だから大いに張合(ハリアイ)があるわけです。けれども、神様の方から言うと何んでもない話で、着々とそういう品物を造られているわけなのです。今行って見ても、かなり大規模に素晴しいのですが、私の設計ではこれからまだまだずっと変ります。それは到底今見ただけでは想像がつかないくらいの立派なものになります。ですから話したところで、ちょっと想像がつかないから、話をしてもしようがないです。この間もグリリさんが何処かの大使館に行って話したそうですが、そういうのは是非研究したいというような事を聞いたそうです。“僕は何も言わない、とに角行って見る事だ、それより外に言う必要はない”と言っていたそうです。そういう工合で、全く私としても喋りようがないくらいなものです。なにしろ神様の計画はまだまだ到底想像がつかないくらいなもので、規模も大きいし、立派でもあります。

それで来年は美術館の建築にかかりますが、美術館は箱根とは全然違う様式です。大体はコルビュジエ式ですが、その外に支那風の所と日本風の所も取入れる事になると思います。これはあんまりケバケバしくなくて、あんまり新しがらない、ごく落着いた、西洋の中世的の気分、感覚を大いに取入れる考えです。そうして無論三階建ですが、三階の特別室などは、とに角日本美術としての代表的のような物を並べます。それで、アメリカあたりの知名の士を随分連れて来るそうで、ロックフェラーなどにも話しているようです。これは先の話ですが、無論アメリカにもああいう物を造りたいと言うに違いないですから、そうしたら私はアメリカにも設計して造ってやろうと思ってます。行くのは面倒くさいから、図面と話でやろうと思ってます。そうして無論美術館も、最初はそうはゆかないでしょうが、最初はあっちの相当な美術館を、今出来ているのか、さもなければ拵えるかしますが、そうして東洋美術の世界的の宣伝を本式にやろうと思ってます。去年やったような、巡回展覧会で各地を廻ったのでも相当刺戟はしたようですが、あのくらいでは、なかなか本当の紹介にはならないです。

昨日或る人――文化財保護委員会の役員をしており、京都の人です――が、日本画が殆んど油絵になってしまって、日本画というものが無くなってしまったという話からいろいろ話したのですが、それについて横山大観などが、大いに憤激して、東京の池の端に家を建てて、日本画の復活運動をやるというような事を言って、結局岡倉天心に返れというような意味を主にしてやるようです。それについて私は言ったのです。つまり日本画家、特に若い画家が油絵になってしまうという一番の原因は、東洋の良い物を見る機会がないからです。又見ようと思っても見る機関がないからです。ところが油絵の方は、どんな物でも見ようと思えば直ぐ見られるのです。そこでみんなパリーに行きたがります。パリーに行けば、昔からの有名な絵は直ぐに見られます。日本の展覧会でも、西洋の絵なら今直ぐにも見られます。ところが日本の良い絵とか、支那の絵は、見ようと思っても見られないのです。では、博物館はどうかというと、私は何時も国辱(コクジヨク)だというぐらいなものです。本当の日本画にしても支那画にしても、良い物はそれこそ一割もないくらいで、百分の一くらいなものです。外の美術館にはないし、個人の美術館があっても、みんな油絵です。ですからつまり見せなければいけないので、見せて初めて“これは良い物だ、これを真似したい”という意欲が起こります。ですからそういう物がないから、油絵の方に走ってしまうのだ。そこで、そういう良い物を見せるという、それを私はこれからやるつもりだ。と言ったら非常に共鳴して、“是非やってもらいたい”と言ってました。ですから今言う東洋美術の良い物を西洋に紹介すると共に、日本人に見せなければならないのです。そうでないと、日本画は無くなってしまいます。

この間栄光に書きましたが、展覧会に行って、私は最初入った時に――油絵は何時も後にあって、最初は日本画だったのですが――今年は油絵の方を先にしたと思ったのです。それで連れの者に“今度陳列が変ったのだね”と言ったところが、“これは日本画ですよ”と言うから、よく見るとなるほど日本画に違いないのです。絵具は日本のに違いないです。ところが絵を見たら油絵です。これは大変だというわけだったのです。しかし心ある者はそれを歎いているようです。ですからそれには本当に良い物を見せなければならないのです。私はそういう事を考えて、箱根美術館にも出さなかった良い物を相当とってあるのです。というのは、そういう物をやたらに出すといたむのです。特に絵はそうです。ですから絵は短期間でなければならないのです。ところが箱根美術館では時々陳列替えをするのは大変ですから、どっちかというと、それほどの物でもないような物を出していて、時々勝れた物を出すようにしていたのです。そういうわけで、本当のすごい物というのは熱海の美術館が出来たら本当に出すつもりです。特別室なども造って、ここは到底見られないというような物も見せます。これはアメリカの偉い人などが来た時に其処に招待して見せるつもりです。そうなると熱海の地上天国は無論世界的の話題になりますから、外国から来る人達も大変だろうと思ってます。そこで救世教というものが一ぺんに世界的になるわけです。アメリカの人は『箱根美術館』『熱海美術館』というのは本当ではない、『救世教美術館』とした方がよいと、非常に言っているのです。私もそうしたいのだが、なにしろ日本は新宗教というのは信用がないから、そうするとかえって天若彦的に考えられるから、そこで無事に、当らず触らずに『箱根美術館』『熱海美術館』としたのですが、いずれは『救世教美術館』という名称になるでしょう。もう暫らくはそこまではゆかないわけです。これからの大体の動きをお話したわけです。

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二月五日

再びジャーナリストの考慮を望むというのを書いてみました。この間書きましたが、もう一層徹底して書いたので、読ませます。

御論文〔⇒再びジャーナリストの考慮を望む〕【註  栄光二四九号】

今読んだようなわけで、あんまり現代の文化のレベルと掛け離れすぎているために結局分らないのです。つまり現代の文化よりか少し上ぐらいのものだと分るのですが、あんまり離れすぎているために、ボーッとしてしまうわけです。これも或る時期までは仕方がないとしても、だんだん時期が切迫するに従って、嫌(イヤ)でも分らなければならないわけです。それで、相当研究している人もあるようです。だからもうそう長い事はないと思います。昨日も話したとおり、今年から神様の方は表面的活動になりますから、救世教が分るという人も、増え方がだんだん著しくなるわけです。そうして分り出したら、それは大変なものです。天手古舞(テンテコマイ)をするぐらいに忙がしくなります。もう一、二年だろうと思ってます。丁度霊界の進み方がそういうような工合になりつつあります。それの一番の刺戟が自然農法と地上天国の完成です。それが丁度一、二年に迫って来てますから、もう一息だと思ってます。なにしろ今も読んだとおり、それこそ世界始まって以来初めての事ですから、なかなか大変な話です。釈迦やキリストのような人が二千年もかかってやったそれ以上の事を一ぺんにやってしまうのですから、それは大変な話に違いないです。それにしては、一方から見るとばかに早いのですが、そうかといって、つい人間の感情として、早く救いたい……又余程急がないと間に合わないのです。

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最近嵐という人からの米国画信が来ましたが、ニューヨークの何十階というビルディングに相当する所で、歩く所も相当あるそうですが、嵐さんはドンドン歩いたのですが、アメリカ人はみんな休むそうです。尤も所々に休む所があるのだそうです。それも、老人ならよいが青年が、アップアップいって休むというのです。実にアメリカ人の弱り方といったらすごいものだそうです。それは何かというと医学のためです。今はアメリカ人というのは殆んど、恰好(カツコウ)は丈夫そうですが、殆んど手術をしてない人はないです。盲腸を取るとか腎臓を取るとか、体の内部を片端(カタワ)にしてない人はないそうです。だから恰好だけは強そうに見えるが、その弱り方というものは酷いものらしいです。今度ニューヨークでアメリカ人が何人か信者になりましたが、なかなか面白い手紙です。今度の栄光に出ます。それで医学が進歩したと言って、アメリカ医学は大変なものだと言って、今の新聞広告の薬の広告を見ても、どうも“アメリカ”という事を出すのです。今盛んに出しているのは、アメリカの風邪薬だとか言って、随分広告料を使ってますが、本当の事を知っている我々からみると、恐ろしいくらいです。それだから救いの価値が大いにあるのです。アメリカは早いですが、そこで一、二年の内にアメリカに大いに発展され始めるだろうと思ってます。

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それから、暫らく時局について書かなかったので、書いてみました。

御論文〔⇒時局雑感〕【註  栄光二四八号】

これは大抵分ったような話ですが、どうも、政治家ばかりでなく、今の日本人の風潮(フウチヨウ)と言いますか、物を大乗的に見ないのです。つまり小さい事ばかりに囚われるのです。この頃はアメリカの新聞記者がなかなか救世教を注目していて、いろんな批評を聞くのですが、その見方が実に当っているのです。日本人はとても足下にも寄りつけません。ですからして、地上天国などが出来るのを非常に待っているのです。そうして、出来たら早速これを世界的に知らせようというのです。ところが日本の新聞記者というのはそういう考えは全然ないのです。若し救世教を注目するとすれば、“何かアラはないか”“何か攻撃する種はないか”と思うぐらいだろうと思います。それで他のいろんな新宗教や何かの有様(アリサマ)を見ると、救世教もそれと大した違いはないと思って、本当に見ようとしないのです。見るというよりか、むしろ想像です。だからそれに対して、日本の新聞記者のそういう点があんまり冷淡なので、アメリカの人の方が憤慨(フンガイ)してます。結局アメリカの方がこの救世教の事業に対して早く分りやしないかと思います。その方が早く発展しますから結構です。大本教のお筆先に「燈台下は真暗がり、遠国から分りて来るぞよ」というのがありますが、丁度そういうような事になるだろうと思ってます。

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昨日は立春で、一昨日は節分ですが、この節分というのは大本教に大変関係があるのです。最初大本教を開いた神様は国常立尊という神様です。この国常立尊という神様は、鬼門の金神と言って、鬼門に押込められたという事になってます。この神様について話してみます。この神様は元世界を支配していたのです。それで、あんまり喧ましい……と言うよりか、あんまり厳正で、厳しいので、とてもやりきれないというので、他の沢山の神様が艮(東北)に押込めたわけです。その神様は三千年の間隠退(インタイ)されて、その間霊界に居て閻魔大王(エンマダイオウ)となっていたのです。それが今度「艮の金神はこの世に閻魔と現われて、世の立て替え立て直しを致すぞよ」というお筆先があります。そういうわけです。それについて、最初のお筆先に「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ」という事と「今度は炒豆(イリマメ)に花の咲く時節が参りたから、神も嬉しいぞよ」というお筆先があります。節分には豆をまきますが、これは、その時の邪神の総大将が天若彦尊という神様ですが、その時に“炒豆に花が咲いたら再び出て来い。それまでは出られないように押込める”という事なのです。ですからしてあの豆まきという事はそういう意味なのだそうです。これは信じられない事はないです。ところが、それに対してお筆先には“今度は炒豆に花の咲く時節が来るぞよ”というのですから、炒豆に花が咲いたわけです。それが何時かというと、明治二十五年に始めたのですが、私は一昨日の節分の日に大変な神秘、奇蹟があったのです。それは、これからいよいよ国常立尊様が表面に現われるというわけです。「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ」という“艮の金神の世になりたぞよ”という事は、自分が世界の支配権を握るという事です。それが、今までは霊界だったが、これからは現界に現われるのです。それが一昨日その型があったのです。神様は凡て型でやり、型を見せるという事になってます。ですから一昨日現われた型というのは、私は三年も前から努力していたのです。それがだんだん延びていて、一昨日それがはっきり出たのです。それで私は非常に喜んでいるのと、大いに祝ってよいと思っているのです。では、その結果どういう事になるかというと、これは閻魔大王というのですから、審判の神様です。つまり善と悪とを立て分ける、善は栄え、悪は滅びるという御働きです。それがこれからはっきり現われて来るわけです。その点から大いに変るわけです。世界も、特に日本がそうです……霊界から言うと日本が元ですから……。ですから、つまり霊界が明かるくなるわけです。明かるくなるという事は、勿論火素が増えるわけですから、今年あたりから病気がボツボツ増え始めるわけです。それからいろんな悪い事も秘密な事も浮かんで来るわけです。最近いろんな汚職事件があっちからもこっちからも出て来ますが、これも今まででは珍しい事です。これもソロソロその最初の現われのように思われるのです。そういうわけで、或る時期にゆくと、病気の増えるのも……これは一ぺんになりそうです。ですからそうなったら、何時も言うとおり、とても忙がしくなりますから、今からその覚悟をしていてよいです。その代り信者の人でも、少しボヤボヤしていたり、或いは神様の言われる事に違ったりすると、手厳(テキビ)しくやられる事になるのです。それもボツボツは出ているようです。これはあなた方もよく知っているでしょう。それで、お筆先に「神厳しくなると人民穏やかになるぞよ」というのがありますが、これは非常に面白いです。そこで、人間が我を通して威張ったり、言う事を聞かなかったりするとやられる、という事がだんだんひどくなるわけです。そういうわけで、今までとは違って来ます。特に、来年一ぱいで熱海の地上天国が完成しますから、これが出来ると、それは現界的にはっきりして来ます。まだ出来かかりですから其処まで行ってませんが、まだボツボツというところです。熱海の地上天国もやっぱり型です。神様は何んでも型で見せますから、型という事をよく注意して見なければいけないです。それで、つまり型が育つのです。そういうようなわけで、大本教というものはやはり大変な意味があるのです。しかし、大本教の意味というものは、つまり私の仕事の準備です。「彌勒三会」と言って、仏教の方の言葉があります。「彌勒三会の暁」とか、或いは「彌勒三会の鐘が鳴る」という言葉がありますが、彌勒というのは、三人あるのです。それは日の彌勒、月の彌勒、土の彌勒というわけで、日・月・地になっているわけです。それで、彌勒の中心というのが伊都能売の身魂です。大本教の教祖という方は、「イズの身魂」と言って、つまり経です。これは父になるわけです。次の出口王仁三郎、聖師様という方は母の身魂になるわけです。だから、変性男子と変性女子と言って、女でいて男、男でいて女というわけで、霊と体とは違うわけです。それで、教祖の父と聖師の母との間に生まれたのが私になるわけです。ですから私が伊都能売というわけで、経と緯を結んだ真中が私になるのです。教祖の方は経ですから霊になり、聖師の方は緯だから体になり、それで霊と体を結んで力が生まれるのです。力というものは、霊体一致、霊体が結んで力を発生するのです。ところが今までは、釈迦キリストにしろ、ああいった偉い人は結んでなかったので、片方だったのです。釈迦は霊でキリストは体、釈迦は経でキリストは緯ですから、力がなかったのです。それで力というのは、一番は病気を治す事です。此処(掌)から出る、目に見えない、一つの気、火素と言いますが、この力というのが、つまり霊体結んだ力なのです。ですからこういう事がだんだん分って来ると実にはっきり分るのです。今まで随分偉い人でも、こうやって病気を治すという事はなかったという事は、力がなかったのです。という事は、霊体が結ばれてなかったのです。そして又、時期が其処まで行ってなかったという事です。この話はいずれだんだんにはっきり分るようにします。それで、神様は今まで、それをはっきりしてはいけないという事になっていたのですが、今度いよいよ節分から変ったのです。ですからこういう点もこれからだんだんはっきり説いてゆきます。そうするといろんな事が一層よく分ります。

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二月六日

今年の節分は非常に意味があるのです。私としても非常に大きな奇蹟があったのですが、それはまだ言うわけにはゆきませんが、いずれ話をします。この節分という意味は、大本教と非常に関係があるのです。ごく古い、神代というのですが、神代と言っても、空漠(クウバク)たるものでなくて、神格を得た人間が住んで居た時代で、いわばこの前の昼間の世界といったようなものです。その時に世界を主宰していた神様が国常立尊という神様です。この神様は非常に厳正な神様で、間違った事は許さないというような政策をとったために、非常に多くの神様――八百万の神――から、その時分でも輿論が、どうもあんまり喧ましすぎてとてもやりきれない、だから押込めてしまった方がよいというので、排斥運動、押込運動をした結果、押込められたのです。それで艮(東と北の間)の或る地点に押込めたのです。そうして、再び世の中に出て来られないようにというので、豆を炒ってまいて、その時に“炒豆に花が咲いたら出て来てもよい”と……尤も、炒った豆が芽を出すはずがないのですから……それを条件のようにして押込めたのです。それで非常に悪い神様としたのです。これは大本教のお筆先にありますが、「悪神、たたり神と申して、われを押込めたのであるぞよ」というわけです。それで、鬼門は悪神だからして、鬼門に向って越したり、いろいろな事をすると恐ろしいというような説を作ったわけです。それで何事も、鬼門は恐ろしいというように教育したようなわけです。それが今もって続いているので、人は非常に鬼門を嫌うのです。ところが事実は反対で、大変な良い立派な神様です。ただ、あんまり正しすぎたためにそういう事になったのですが、その根本はやはりその時に夜の世界になったわけです。そこで、国常立尊様は火の系統の神様ですから、夜の世界ではまず隠退しなければならない事になるわけです。それがまず、お筆先には三千年としてあります。それでいよいよ三千年たったので、今度は御自分が、時節が来たので世の中に出る、と……出るについてはいろいろな……お筆先には三千世界の大芝居という事になってます。この押込めた系統の神様……総大将は天若彦尊という神様で――これはよく天邪鬼という事を言いますが――その神様が総大将で、あといろいろな神様がその一派に属したわけです。その押込められた時には僅かな部下を連れて隠退されたが、それから命が無くなって、死んで霊界に行って、三千年の間閻魔大王になったという事になっているのです。お筆先には「今度は、われはこの世の閻魔と現われて、世の立て替え立て直しを致すぞよ」とあります。という事は、審判をされるという事です。今までは霊界の死んだ霊を審判したが、今度は生きた人間の審判をするという事です。つまりもう悪は許さないという事になるのです。そのために大本教というものをつくったのです。私が大本信者になって、そういう事をいろいろ……表面的の事も、裏面━霊的の事もすっかり分ったので、大本を脱退して、観音教から救世教というふうにつくったのです。お筆先の一番冒頭に「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ」というような事が書いてあるのです。“三千世界一度に開く梅の花と言って、梅というのは非常に重要な事になっているのです。それで艮の金神様は、霊界では閻魔大王となり、現界では観世音菩薩となるのです。観世音菩薩は兄(コ)の花姫になるのですが、兄の花姫は神界のお働きで、伊都能売の神になるのです。これは兄の花姫と木の花咲爺姫とありますが、兄の花姫というのは兄(アニ)の花と言って梅になるわけです。梅が先に咲くから兄(アニ)の花になるわけです。それから木の花咲爺姫というのは桜の花になるのです。この場合は仏界のお働きで、木の花咲爺姫は観音様になるのです。富士山に行くと木の花咲爺姫を祭ってあります。それであそこで絵姿を買う事になってますが、あれは桜の枝を持ってます。その富士山の木の花咲爺姫は頂上の真中に祭ってあります。頂上の上り口の右側にあるのが、久須志神社としてありますが、これは九頭龍権現と言って、木の花咲爺姫の守護神になるわけで、龍で守護しているわけです。これが最初私に憑った龍神です。それで、木の花咲爺姫は桜であって、これは仏の働きになるのです。ですから兄の花姫は神様の働きになるのです。それで木の花咲爺姫は仏の働きだからして、最初インドに出られたわけです。ですから仏の方では桜の花になってますが、これはそういう因縁になるわけです。そこで今年の節分は、いよいよ艮の金神様がこの世の閻魔と現われるという最初になるわけです。ですから、これから審判が厳しくなるわけです。けれどもこれは最初からパッとやるわけではなくて、神様の方はジリジリと、つまりだんだん育つようになって行きます。そのためかもしれないが、最近いろんな汚職事件が重なり合って出て来ましたが、こういうのも一つの現われではないかととれるのです。面白いのは、節分の日は大きな奇蹟があったのですが、昨日は小さな奇蹟があったのです。というのは、道具屋が古い掛物を持って来たのですが、それは支那の元時代の物で、今から四百年近く前に画かれた絵ですが、それが閻魔大王なのです。お供が廻りに居て、よく画けてますが、表装がいたんでいるから、それを直していずれ箱根美術館に出しますが、これも小さな奇蹟です。今まで閻魔の絵というのは見た事がありません。そういうようなわけで、神様の御仕組は一歩前進したわけです。今年の節分というのはそういう意味があるのです。それで、そうなった結果はどうだというと、つまり善悪の立て分けという事になっているのです。という事は、善の方が勝ってゆき悪の方が負けてゆくのです。そうすると救世教が発展するという事になります。こんなよい、素晴しい宗教が、こんなにグズグズしているわけがないので、ドンドン発展しなければならないわけです。しかし発展が遅いという事は、つまり悪の方が押えているからです。だから、これが分って、感心して、信者になり、人にもならせなければいけない、と、そう思っていながら、ついグズグズしているという事は、一方にそれを邪魔する霊があるからです。その邪魔する霊が、これからだんだん弱ってゆきますから、そうすると順調にゆくわけです。節分の意義を話したわけです。

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時局について暫らく話をしませんが、大抵時局は分ってますが、しかし急所だけを書いてみました。これを読めば一層はっきりするわけです。

御論文〔⇒時局雑感〕【註  栄光二四八号】

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それから今はよく新聞などに、米国の医学が進歩しているように、新聞広告なども、米国製の薬というと大変良いように思わせられていますが、つい二、三日前に来た嵐さんの米国画信の中に、ちょっと面白い事があるので読ませます。

(米国画信  六)【註  栄光二四八号】

昨夜アメリカのパテー・ニュースを見ましたが、黒人とアメリカ人とのボクシングで、黒人の方がウンと強くて、米人が散々やられて、三回共ノック・アウトされて、それこそ気息奄々(キソクエンエン)で、到頭参ってしまいました。あれを見ても、黒人とアメリカ人との体質の違いさは大変なものです。それで、黒人の方は進歩した医学のお蔭で育ったのではなくて、むしろ野蛮な育ち方です。そうしてみると、白人との体質の違いさは相当酷くなったものです。私も、白人と黒人とのスポーツの闘争を見ましたが、昨夜のようなひどいのはないです。そういうわけで、白人の弱り方はひどいです。外観の恰好はよいですが、さて実力となるとそういうようなわけです。というのは、西洋医学は形だけを丈夫にして、芯の強さというのは気がつかないのです。日本人などは昔から芯の強さがある国民性ですが、それをだんだんアメリカ式にやりつつあるわけです。今はアメリカ人で手術をしてない人は殆んどないそうで、大抵盲腸を取るとか、女なら卵巣を取るとか、内部的片端(カタワ)というのが大部分なのです。どうしてもこっちの医学、神霊療法を教えなければしようがないです。今年あたりからは、アメリカの方もそういうように神様がやられるに違いありません。今のは参考になると思ったから読ませたのです。

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それからジャーナリストに対する論文ですが、これはこの間書いたのですが、もう一層徹底して書いてみたのです。

御論文〔⇒再びジャーナリストの考慮を望む〕【註  栄光二四九号】

とに角問題は、変な新宗教が沢山ありますから、どうも救世教がそれに類似しているように思う、その点にあるのです。ただ、他の新宗教とは違う、救世教は別のものだという事を認識させる、それが一番肝腎です。それは神様も知りぬいていますが、時期が来て、熱海の地上天国が出来る事と自然栽培をする人が沢山増える事、という事で、“これは違う。なるほど救世教は大したものだ”という事が分るわけなのです。それも間もない話ですから、そう気をもむ事はいらないのです。それが丁度、さっきも話したとおり、節分から霊界が変るのですから、丁度言った事とよく合ってゆくわけです。実に、神様がやられる事ですから抜目(ヌケメ)がないわけです。それでお筆先に「今度は三千世界の大芝居であるから、善の役と悪の役と両方拵えてあるぞよ」という事があるのですが、これなどは実にうまい事を言われていると思います。というのは、悪い役をしているものが結果は大変な良い役をしているわけです。これはよく知っているでしょうが、救世教がこうして世の中に出て発展する一番の功労者は医者です。若し、医者が片端(カタハ)しから病人を治してしまったら、こっちは用はないのです。医者や薬が病人を作って苦しませる、それだからしてこっちの発展する意味があるのです。そうすると“医者はけしからん、薬という毒を瞞まして飲ませるのは、とんでもない話だ”と言っているが、実はそれがため、救世教によって神様が有るという事を分らせられるのですから、本当は悪く言う事はできないのです。人間の感情と見方……小乗的見方と大乗的見方があります。ジャーナリストが分らないという事は、やっぱり、結果から言うと必要なのです。そこで分らない者や、誤解した者に対して、逆な事を見せると喫驚しますから、それがやはり一つの必要でもあるし、面白い事でもあります。“救世教とか言って、戦後の波に乗じて、うまい事を言って瞞まして、あれだけの金を集めて、シャクに障る”と言う奴が、いよいよ地上天国が出来て、見て、ウワッと言って驚くのです。ですからそういうのを予期した者に見せるよりか、予期しない者に見せた方が、何んと言うか、張合(ハリアイ)があるわけです。大いに痛快味(ツウカイミ)があります。何時も言うとおり、人間は善悪は決められないという事はそこです。あれまでになるについて、随分悪い人間やいろいろな者がいろいろな事をしましたが、それはイクォールみんなプラスになってます。だからそれをよくみると、世の中というものは実に面白いものと思うのです。

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二月七日

今年の節分について、もう少し詳しく話をしてみます。前にも言った事がありますが、節分というのは、古い時代に国常立尊という神様が世界を支配していたという事になっているのですが、その時分の事だから、世界と言ったところで全部だかどうだか分りませんが、まず日本を中心にして相当広範囲に支配していたに違いないのです。それで神様と言ったところで、やはり人間なのです。しかしその時分の人間は非常に霊が高かったのです。その時分は昼間の世界の終りぐらいだったのですが、ところが長い時代にだんだん人間が、夜の世界のために穢(ケガ)れに穢れて、霊的にレベルが低くなったわけです。それでよく「天神七代、地神五代」という事がありますが、天神時代というのは、天の神様……神道の方で言うと「天津系」「国津系」或いは「天津神」「国津神」と言いますが、天系です。大体日本民族は天系なのです。その天系だった頃は天照天皇という最後の天皇が支配していたのです。それで、これは何時かも言いましたが、天照天皇が日本を逃げて、皇后様だけが残って、それが天照大御神と、こうなっているのですが、それよりか前に国常立尊という神様が支配されていたのです。その神様は非常に厳格で、つまり至正至直で、ごく正しい事でないと許さない、というような事のために――これも神道の方にもありますが――大勢の神様が一致して押込めたのが節分の晩としてあるのです。その押込めた方の総大将が天若彦という神様で、そうして、もう国常立尊は世の中に出られないようにというので、艮(東北)の方角に押込めたとなっているのです。そうして、艮に押込めたからして艮の金神という御名前にもなり、艮の金神国常立尊となったのです。そうして節分の晩に豆をまきますが、“炒豆に花が咲いたら出てもよい、さもなければ永久に押込めてしまう”というわけで、それから炒豆をまいたのです。それは三千年としてありますが、いよいよ三千年たって、その国常立尊様が再びこの世に現われるその機関として出来たのが大本教です。ですから大本教のお筆先に「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ」という事を教祖は獅子吼したわけです。最初大きな声をして怒鳴ったのです。それで気違い扱いされて警察に留置された事がありますが、そういうわけで気違い婆さんにされたわけです。それが明治二十五年の一月元日です。ですから“梅で開く”というが、梅というのは、花は五弁になってます。これは五大洲を形取(カタド)ってあるのだそうです。ですから“一度に開く梅の花”というのは、世界が一度に開くという事なのです。ところが今年の節分は、いよいよ艮の金神様が表になる、つまり今まで三千年隠れていたのが表面になるのです。それで、大本教を開いたのは、霊界がそうなったのです。ところが今度は現界がそうなる。という事になったのは、この節分にお知らせがあったのです。それはいずれ言いますが、今はまだ言う事はできません。一年ぐらいは言う事はできないのです。それはやはり梅に関した奇蹟なのです。それは私は三、四年前から準備していた事ですが、そういうようなわけで、いよいよ表になるという事と、それからお筆先に「今度はこの世の閻魔と現われるから」という事があるのです。というのは、御隠退になっている時は、霊界に行かれて閻魔大王になるのです。閻魔大王というのは要するに霊界における審判の……今で言う検事総長とか最高裁判所長というような、そういった……裁きの最高の地位です。ところが“この世の閻魔と現われた”というのですからして、今度は現界的の裁きをされるわけです。これが審判です。これが又面白いのは、立春の日に京都の方の道具屋が閻魔大王の絵を持って来たのです。それで私は“ハハア、神様は、いよいよ国常立尊様が現界の閻魔の御働きをされるという事だ”という事を思って買いました。それは支那の元時代の絵ですが、閻羅王と書いてありますが、支那では閻魔大王の事を閻羅王と言うのです。吉田松陰の書いたものにもありますが、「精神一到何事か成らざらん。われ王侯を得ずんば、死して閻羅王とならん」という事がありますが、王侯というのは大名の事を言うのです。やはり日本でも閻羅王という事を言われたわけです。それで、家来が二、三人居ましたが、いずれ美術館に出します。神様は凡て型で見せますから、その閻羅王の掛物によってお知らせになったわけです。そういうような事があったのです。立春の日には、その掛物は知らなかったのですが、その掛物は午後に来たのです。それでこの節分から非常に浄化が強くなるという事を言いましたが、やはり合っているわけです。そういうようなわけで、今年から又非常に霊界が明かるくなるわけです。明かるくなると、善の方は非常によいですが、悪の方は反対に非常に苦しい事になります。最近いろんな汚職事件が出ましたが、こんなに一度に次々に出るのは今までに例がないでしょう。これもやっぱりその一つの現われというように見られない事はないです。そういうようなわけで、鬼門を非常に嫌(キラ)って、鬼門は怖いように言いふらされたのは、今言った天若彦の方からそういう宣伝をしたわけです。それで「福は内、鬼は外」と言いますが、「鬼」というのは、つまり鬼門の金神、艮の金神国常立尊様という事になるからして、実は、一番善い神様、一番立派な神様です。それで面白いのは、大本教の発祥地の綾部では、豆をまく時には「鬼は内、福は外」と言うのです。それはやっぱりその時分から天若彦に対する反対のやり方だったわけです。そういうようなわけで、鬼門に越したり、鬼門の方を嫌うという事は、人間が正しい人がなかったからです。大抵穢れている人や、肚の本当でない人がそっちに越せば、やはりそういった気を受けるから、浄化が起こるわけです。それで浄化というのは災難や苦しみですから、そこで嫌ったというわけです。だから本当から言えば、若し方角をかまえば、鬼門に越すのがごくよいのです。ただ病気と同じで、一時浄化作用が起こりますから、そこで怖がるのですが、そのために後がよくなるのです。ですから他の宗教は、豆まきというと非常に盛んで、むしろ宣伝的にやりますが、救世教は絶対にやらないという事は、そういう根本的の理由があるからです。

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時局については暫らく話もしなかったし、一応知っておく必要がありますから書いてみました。

御論文〔⇒時局雑感〕【註  栄光二四八号】

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ジャーナリストに対しては、この間も書きましたが、まだ書き足りないような気がするので、もう一層突込んで書いてみました。これも時の問題で、そう長くは続かないと思いますが、しかし言うべき事は言っておかないといけないと思って書きました。

御論文〔⇒再びジャーナリストの考慮を望む〕【註  栄光二四九号】

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二、三日前にアメリカに行っている嵐さんから手紙が来ましたが、その中に、アメリカ人が非常に弱っている事が書いてありますが、参考になると思いますから読ませます。

(米国画信  六)【註  栄光二四八号】

何時も言うとおり、医学は駄目です。一昨日パテー・ニュースを見ましたが、その中にボクシングで黒人の選手とアメリカ人の選手と両方闘かったのですが、アメリカ人の弱い事、手玉にとられてました。丁度猫が鼠をオモチャにしているようで、立ち上ればやっつけられ、立ち上ればやっつけられしてました。それで黒人の方は白人より小さいのですが、立ち上ればぶつかるというように三度ともそうで、白人をノック・アウトしてしまいました。私はよくボクシングのニュースを見ましたが、一昨日のぐらい馬鹿々々しいのは見た事がないです。それで、帰ってからこの手紙を見たので、アメリカ人が如何に弱っているかという事が分ったのです。ですから今年あたりからアメリカの方が大いに発展するだろうと思いますが、そうしたらいよいよ分る時期が来ると思います。ところがそれを知らないから、日本人はアメリカ崇拝で、化粧品の広告から何んでも“アメリカ、アメリカ”を出してますが、実に馬鹿々々しくて見て居られないです。この手紙の中にあるもう一つの面白い事は、アメリカ人の信者が三人できたのですが、何病気か非常によく治って、大分働くような事が書いてありました。そういうようなわけで、今の科学文明のボロがこれからだんだん出て来るわけです。さっき言ったとおり、艮の金神様がいよいよ働かれますと、そういった事がみんなはっきりしてしまうのです。薄暗い所に明かりがさしたようなものです。そして、お筆先の中にこういう事があります。「善と悪とを立て分ける」――という事は、つまり善人はますますよくなり、悪人はますます悪くなるという事で、そういう事がこれから現われて来るのです。ですから汚職事件というのはその一つの現われでしょう。そうなると病人が増えるのと、浄霊の治り方がよくなるのと両方で、どうしても発展するわけです。ですから或る時期に行くと――と言っても、もう間近ですが――非常に信者が増えると共に、世の中に知れて来るというわけです。特に地上天国が出来るのと、自然農法が知れ渡るに従って拍車(ハクシヤ)をかけるわけですから、いよいよ面白くなります。この地上天国についても、アメリカのジャーナリストと言いますか、そういう方面が非常に注目して来たのです。その話は、もう少し具体的になって来てから話しますが、こっちが知らない内に先方で調査して非常に研究してます。それでそのアメリカ人が大分各国の大使などにも知らしているようです。これは面白いので、こっちで何も頼みもしない内に先方で活動しているのですが、やっぱり神様が宜しく働かせているのでしょう。ですから、もう少したつと、その方面がなかなか面白くなるという情報が最近よくありますが、大分楽しみになって来たわけです。

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二月十五日

よく聞かれる事ですが、“これから世界はどうなるのだ。戦争はあるものか、ないものか。つまり原子爆弾の戦争、これはなくて済むものか、どうしてもあるのか”という事を時々聞かれるのです。それについてザット話をします。一応は心得ていてよいと思います。これからの世界の動向を見る時に、一番の急所はソ連の考え方です。とに角今世界をアメリカがリードしているようですが、そうではないので、本当はソ連がリードしているのです。ソ連次第で平和にもなり戦争にもなるのです。ソ連というのは世界のダダッ子です。これが暴れるか大人しくなるかという事で、世界中の人間が不安なわけです。では、一体ソ連の考えはどういう考えであるかという事をザットお話します。勿論伝統的に世界制覇(セイハ)が国是(コクゼ)のようになっている国です。これは前のロマノフ朝時代からそうなのです。その点は、共産主義になってからも変りがないのです。ただ手段が違うわけです。これは説明の要はありませんが、大体共産主義というものは、マルクスが唱え始めた主義です。そこでそれをレーニンが具体化と言うか、実行に移したわけです。その根本は世界制覇であって、ただその手段が、ナポレオンとかヒットラーのような暴力でなくて、思想によって世界を制覇しようというわけです。そこでその背景としての軍備であって、どうしてもやむを得ない時には軍備を使うが、しかしそれは損だから、できるだけ思想を使うという事になっているのです。その方法として学者と労働者ですが――これは共産宣言にもありますが――。この学者と労働者をおどらしてやるというわけで、これは日本に一番現われてます。学者というのは学校の教授連です。特に大学の教授が中心になってます。だから学校の生徒を共産カブレと言って騒ぐのは滑稽(コツケイ)なのです。生徒は先生次第です。だから生徒をつるし上げたところで仕方がないのです。つまり学校の教授なのです。これについて一昨年でしたか、今の木村保安庁長官が、長官にならない時分に箱根の美術館に来て、私は一時間ばかり会って話をしました。その時に――あの人は共産主義がばかに嫌いなのです。共産主義に対する非常な反感を持っているので、それがあの人が保安庁長官になった一つの理由だろうと思っているくらいです――私は、共産主義をやっつけるのは、結局新聞と大学教授……これだけの頭の切り替えができれば何んでもない。という事を言った事がありますが、そういうようなもので、結局大学教授と新聞特に大新聞が、共産主義を蔓延(ハビ)こらせないような頭になれば、そう心配する事はないです。今一番心配するのは大学教授と大新聞の中にいる赤の分子で、これだけを気をつければよいのです。他には何も力になるものはないのです。大学では、京都大学に根強いメンバーがあるのです。だから京都大学には今もって始終ゴタゴタがあるのです。では、一体大学教授なるものが、なんでそんな宣伝をするかというと、日本が共産国家になれば政府が変りますから、その政府になれば、日本をそうするのに骨折った人の論功行賞がある場合に、大学教授は少なくとも知事くらいにはなれるのです。中には国務大臣ぐらいになるでしょう。それが一番出世が早いのです。それでなければ、教授連中が正直に講義して、安月給をもらったところで、大した出世の道はないのです。大学の総長になるという事は大変ですから、一番手取早(テツトリバヤ)い出世は日本を共産国にして、その政府の重要な職になるという事なのです。ですから、つまり日本の国家とか国民という事は頭にないので、自己が出世する事だけです。それには政府を変えてしまうという事が主なる目的なのです。それはすっかり話し合って、通じてやっているのです。それはごく中心ですが、その他に、良い考えでやっているのもあるのです。本当に世の中を良くするというのには共産主義が一番よいという考えです。これも理窟はあるのです。それは、神はないと、神を無視する無神思想とすれば、理窟よりないから、理窟でゆけば共産主義が一番よくできているのです。“最大多数の最大幸福”というのですから、つまり中以下の下層階級が一番多いのですから、それを幸福にするというのが共産理論の根本です。しかし事実はまる呑みにはできないのです。というのは、中共などが共産国家になったところで、人民全部が菜ッ葉服を来て、ああいう着物を着ようとか、こういう着物を着ようという個性は非常に圧迫されているわけです。丁度昔の朝鮮が白い一定の形をした服を着てましたが、それを中共が真似したようなものです。その代り、食うだけは心配なく、学校は只で行けるし、教科書も只でもらえるし、税金なども日本のようにビクビクする事はないです。だから、大多数の者は相当幸福です。その代り、少し頭のある者や腕のある者は困るのです。どうしても政府の重要な人間にならなければ個性を発揮する事はできないのです。しかし理窟から言えば、多数の人間が幸福になるのだから、理窟はよいです。その点においては、この理窟を壊すという事は難かしいために、今もってああいった学者階級、学生というものが共産主義を非常に讃美(サンビ)するわけです。これはわれわれの方で宗教的に言えば全然違いますが、物質的にはそうなるのだから、そこでどうしても若い学生などがそれに乗りやすいわけです。そういう意味と、それから労働者階級ですが、これは賃金だけの事です。今までよりも賃金を増やせというわけなのですが、それには資本家を困らしてウンと賃金を上げる、それにはお前達共産主義になれというのですから、これはどっちかと言うとたわいないもので、根強いものではないのです。しかし、一つの外郭団体として、なにしろ数がありますから、相当大きな役目はしているわけです。この間の新聞にも出てましたが、武力革命で相当根強くやっていて、以前は密輸してましたが、今は製造しているのです。何処か山の中に籠(コモ)ってやっているのでしょう。とに角武器の製造という事は大分関心を持ち始めたようです。そうして結局日本の武力革命をやろうと思っているのです。今話した事は、ごく根本的ではない枝葉的な事で、根本はどうだというと、これはソ連です。共産主義というものも一つの宗教で、これは無神宗教です。だから本山はつまりクレムリンですから、本山の意向というものは、これはスターリン時代からそうですが、アジヤを鉄のカーテンの中に入れようというのが大方針なのです。そのキッカケとして朝鮮問題を起こして、北鮮から南鮮を併合(ヘイゴウ)してその形勢によっては……アメリカがあれほど腰を入れなければ……日本を侵略するつもりだったのです。急にアメリカがあれほど一生懸命にくい止めをやったので、あれはソ連の方の見込違いなのです。あれほどアメリカが急に力を出してくい止めるとは思わなかったのです。釜山まで押込めて、それこそ海の中に落してしまって、朝鮮全土はソ連の勢力範囲に入れるという事が九分九厘まで成功したので、いい気持になっていたところが、アメリカが連合軍を作ってくい止めるばかりか、アメリカの方で積極的に中共の方をやっつけてしまおうという政策をとったのがアイゼンハウワーで、そうしてアイゼンハウワーは大々的軍備にとりかかって、南鮮、日本とやって、蒋介石は勿論、遂には中共を包囲して大攻撃をやろうとしたのです。それで、中共は今まで散々やって疲れているから、大攻撃をやられては大変だから、アメリカの手を緩(ユル)めなければならないので、あの時の大使マリクが休戦会議を唱え出したのです。そうしてとに角アメリカの鋭鋒(エイホウ)をくい止めなければならないという事で遮二無二(シヤニムニ)平和攻勢というのをやったのです。だから、アイゼンハウワーなども非常に計画が違ったのです。だからそれを最初のとおりにやろうとしても、なにしろ英国からフランスあたりが、とても戦争を嫌うからして、アメリカに対して猛運動をやったわけです。チャーチルなども随分やったようです。そのためにアメリカは、世界の輿論(ヨロン)がピッタリ合わないとしっかり腰を入れてできないから、それではというわけで、とも角も緩めたわけです。その点はソ連の方は成功したわけです。しかし幾ら平和攻勢をしても、平和にしようというのではないし、平和になったのではないのです。つまり引延ばしで、時を稼ぐためです。そこで朝鮮会談にしろ、今やっている四国会議にしても、中共を入れろという事を頻りに言ってますが、それは中共を入れないという事は分ってますから、それをそういう事を言っているのは、引延ばしです。そうして引延ばしをやっていて、中共が疲れているのを回復しているわけです。今回漸(ヨウ)やく疲れが治ったので、方針を変えたわけです。というのは、ホー・チーミン軍が印度支那を攻撃してますが、それが今度は相当強いのです。これには中共が相当武器を援助したのです。今まで無いような武器を使っています。そこで、たまらないのはフランスです。フランスは七、八年あれをやっているので、大変な金を使って、将校などを殺し、フランスは今ヘトヘトです。だからフランスの内閣が変るのはそれが最もの原因という事になってます。そういうわけで、ソ連の目的は印度支那をやっつけて、今度はタイ国をやろうとしてます。ですから最近タイ国は国境線に非常な軍備をしてます。タイ国をやっつけて、今度は印度を狙っているのです。そこで印度は、いずれはやられるという事が分っているから、ネールは余程以前からお世辞をつかってます。ですから、そうなったらインドとは平和的の条約を結ぶという事になるでしょう。そうしておいてイラン、イラク、アラビヤの方に進出するわけです。そこまでゆかないまでも、或いは印度ぐらいまでで一時止(ヤ)めて、今度は再び南朝鮮と日本ですが、或いは南朝鮮の方は後にして日本の方を先にするかもしれません。だから、今はまだまだですが、いずれは日本は非常に危(アブ)ないのです。それが薄々(ウスウス)分っているから、そこで日本の軍備を大いに充実しようと思って、アメリカなどが非常に吉田内閣にやってます。それで渋々(シブシブ)ながら政府も軍備をやりつつあります。ところが、ソ連の方が来るそれまでは日本に軍備を充実させてはいけない、日本を弱らせなければならないというのでやっているのが社会党左派です。共産党はそうでもないが、とに角表面立ってやっているのが社会党左派です。しかし左派は、とに角日本をやっつけようというばかりでなく、日本はソ連にくっつけておこうというわけです。ですから鉄のカーテンの中に入る、要するに第二の中共になれば、ソ連は日本を攻撃する事はないのだから、そこで軍備の必要はないと、再軍備反対を一番唱えてますが、社会党左派の方針でゆけばそれには違いないです。ところが、そうすると日本は共産国になりますから、日本人で共産政治の方を喜ぶ人はずっと少ないと思います。やはりアメリカのやり方に賛成する人がずっと多いです。そこで共産主義の方もそう急いではいないのです。今これからやろうというのは、今言う中央アジヤ方面をすっかり手に入れておいて、日本と南朝鮮を孤立的(コリツテキ)の形にして、できるだけアメリカが援助しないような妨害をするという事や、何んとしても日本はアジヤの急所ですから、肚の中では一番に日本を目掛(メガ)けているのです。又それが分っているから、アメリカは日本を非常に援助しているのです。ところがアメリカが援助しては工合が悪いから、アメリカを非難するような宣伝も大分してます。そういうようで、これからの世界の動きは、そういうふうに動いて来るわけです。これは霊的の事ではなくて体的の方です。むしろ常識的の方で、丁度ラジオのニュース解説のような話ですが、大体それだけを知っておけば、これからの見当がつくわけです。神様の方の、霊的の方は違うのです。これはだんだん分りますが、神様の方はなかなか神秘明かすべからずなのです。しかし救世教の進み方によってだんだん分って来ます。そして今言った事も、結局神様の世界の御経綸ですから、それでよいのです。共産主義というのは、神様の大きな御用をしているのです。大本教のお筆先に「細工は粒々、仕上げをごろうじろ」というのがありますが、そういうようなものでしょう。

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次に今騒がれているのは汚職問題ですが、これについて書いてみました。これは無神連中とすれば、汚職問題が出るのが当り前です。神様が無いとすれば、できるだけずるい事をして、自分が贅沢(ゼイタク)したり出世した方が得(トク)です。私でも、若し神様が無いと知ったらそういうふうにします。その方が得です。ところが神様を知ったらそういう事はできないので、損です。やっぱり神様の言われるとおりやっている方が得ですから……。信仰を算盤上からゆくようですが、それでも結構です。結局人間は算盤上からゆけば一番よいのです。一番間違いないです。日本が戦争に負けたのも、つまり算盤の失敗です。実に算盤上から言って合わない事をやったのです。しかし、算盤と言うと大変卑(イヤ)しく聞こえますが、神様の方でも算盤です。つまり大中小と比べて、やっぱり神様は大の方に一番力を入れるのです。丁度医学や薬が悪いと言ってますが、それがために失業したりして苦しむ人よりも、病気が無くなって健康になる人がずっと多いですから、多数の人の方の利益を図(ハカ)った方がよいわけです。“小の虫を殺して大の虫を助ける”というわけで、これもやっぱり算盤です。

御論文〔⇒汚職の母体〕【註  栄光二五○号】

これは新しいお説教ですが、汚職問題などで騒いでいるのは滑稽(コツケイ)なくらいです。それで、汚職問題の原因は無神思想に決まっているのですから、その無神思想を少しもやっつけないで、結果である汚職だけを騒いでいるのです。これを二十一世紀ぐらいになったら、二十世紀の奴らはなんて馬鹿だったろうと……丁度われわれが徳川時代の封建時代の事を見るのと同じような感じがするだろうと思います。今よく歌舞伎芝居などを見ても、屁のような事で腹を切ったりしてますが、ナンテ馬鹿々々しい事かと思います。しかしその時分はそれが立派な忠臣として讃美されたわけです。ですから汚職問題も、もう五十年か百年たつと、やっぱりそれと同じように見られると思います。それから、医学についても今まで随分書いて来ましたが、今まではあんまり思いきって言うのは、誤解したりいやに目をつけられたりするから、こっちもなるべく柔らかくしてましたが、もう時期も変って来たし、そういう事を言っていては追付かないから、思いきって医学について批評してみました。

御論文〔⇒私は告白する〕

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二月十六日

今日は、世界の情勢について少しお話をしようと思います。世界はこれからどうなるのだというような事を時々聞かれる事があるのです。そこで大体の見当をつけるという程度で、お話しようと思います。朝鮮問題も、片(カタ)はつかないが大体平和の色が大分濃くなって来たには違いないが、そうかと言って、本当の平和が来るとは思えないです。というのは、今の世界は結局ソ連が引摺(ヒキズ)っているようなものです。他の国は平和を望むという以外に別に何もないのですが、ただ“ソ連という国が、どうも気味が悪い。一体どういう考えを持っているのか。どうしようというのか”という事は世界中の誰もがそう思っているでしょう。ただスターリン時代と余程変っては来ているという事は分ります。スターリンは英雄的のところがあります。僅かの間にソ連を統一した腕のあるところは、丁度ヒットラーによく似てます。そしてヒットラーよりもスターリンの方が考えが深いです。要するに利口(リコウ)だったです。そのために、ドイツの国家を瓦解(ガカイ)するようなあんな愚(オロ)かな事はしなかった。しかしそのやり口は或る程度以上、相当に似ています。これは今までのああいった、つまり武力を行使する、とに角平和的でない英雄の一つの型でしょう。そういうようで、とに角世界の情勢は変って来たが、しかしこれから一体どうなるか。今ヨーロッパでは四国会議という事をやってますが、あれも結局においてソ連が時を稼ぐというだけのものです。大体ソ連の最初の目的というものは、アジヤ全体を鉄のカーテンの中に入れようというのが目的なのです。今でもやっぱりその目的でやっています。その手始めとしたのが、中共が主になって北鮮をおどらして、南北朝鮮を合併させて、その情勢によっては日本まで手を伸ばそうというような野心も、無きにしもあらずと思われるのです。そういうわけで、ただ朝鮮だけではなくて、結局アジヤ全体を鉄のカーテンの中に入れて、その次には世界の覇権(ハケン)を握(ニギ)ろうというわけです。ところがアメリカが国際連合を作って、ウンと努力したので、とに角くい止めてしまったのです。それでなければ、釜山まで来たのですから危なかったのです。とに角押返して敵の目的を打倒した、瓦解させたという事は確かです。ところがアイゼンハウワーが大統領になって、どうしても中共を本当にやっつけなければいけない、中共政府を打倒して、朝鮮を元通りに南北を一つにし、一方蒋介石を立たして両方から攻め、そうして朝鮮も中国も元通りにしなくてはならない、それには大いに準備をしなければならないというので、あらん限りの大攻撃の準備を始めたわけです。それを知った中共は、これは大変だ、それに相当長い戦争をしたために随分疲弊(ヒヘイ)しているのに、ここで又アメリカに大仕掛にやられたら一溜(ヒトタマ)りもない。そうするとソ連の目的もふいになってしまうから、これはどうしても遮二無二アメリカの鋭鋒を押えて、要するに緩和政策(カンワセイサク)をしなくてはならない。というのが、一昨年ソ連の大使のマリクが提案(テイアン)したわけです。それから休戦とか停戦とか、いろんな事で来たが、結局、なにしろソ連の考えというものは一時的でただアメリカから、戦争をしかけられたら大変だ、勝ち目がないというので、本当の平和ではなくて、一時の曖昧(アイマイ)極まる、ただ戦争だけをしないというような形を作ろうというわけです。だから朝鮮会議にしろ結局有耶無耶(ウヤムヤ)になっているわけです。今度のヨーロッパの四国会議でも結局有耶無耶です。なにしろ肚の中から平和にしようというのでなくて、自分に都合のよいように一時的敵の攻撃を避けようというのですから、変な形です。それでも、英国やフランス、特に英国などは本気で平和になりそうだとやってますが、これはチョットおかしいと思うくらいです。そういうようなわけで、結局中共は、今までの間大分戦争を停戦していたために回復して来て、力が出て来たのです。そこで方針を変えて、朝鮮の方はそのままにしておいて中央アジヤの方をやろうというので、最近はホー・チーミン軍が攻勢の態度(タイド)に出たのです。この間の内はフランスの方が大分危なかったのですが、アメリカが飛行機や何かをウンと出して助けたので小康(シヨウコウ)は得ているようですが、なかなか楽観はできないです。さっきのラジオニュースではB29を二十機急遽(キユウキヨ)印度支那の方に送ったとありました。そういうわけで、これからあの辺が大分ゴチャゴチャするだろうと思ってます。若しか印度支那がやられると、今度はタイの方に出ますから、そこでタイでは今非常な防備をしているようです。若しタイがやられると、今度は印度になりますが、印度は戦争はしないから、ただ柔順にソ連の配下(ハイカ)になるというわけです。そうすると鉄のカーテンはアジヤの中央に拡がるわけです。それでは大変だというわけで、アメリカも腰を入れて来るでしょう。しかしあんまり腰を入れると、第二の朝鮮のようになりますから、米国の輿論が承知しないわけです。ですからアメリカも非常に難かしいわけです。アイゼンハウワーも随分頭痛はち巻だと思います。そういうわけで、ソ連の考えは……しかしソ連の考えどおりになるか、ならないかは今分りませんが……結局印度からイラン、イラク、それからとに角アラビヤまで攻略(コウリヤク)して、そうして日本と南朝鮮を除いた一つの垣根を作る、要するに鉄のカーテンを作るという計画なのです。そうなると今度は日本と南朝鮮を何んとかしなくてはならないという事になりますが、今度は恐らく日本の方にすぐにかかりやしないかと思います。日本の方にかかった方が有利です。日本さえやっつければ、南朝鮮は挟(ハサ)み打(ウ)ちしてしまいますから何んでもないです。そこで日本をできるだけ骨を折らないようにやろうというので、それには日本の内部を弱らせなければならない。それには日本の中に潜(ヒソ)んでいるいろんな共産党の連中をおどらさなければならないというので、非常に活躍してます。そのために最近の新聞などを見ると、軍器を作っているのです。ピストルとか機関銃だとかを方々の山に隠(カク)れて拵えているという事が出てます。それと、一方盛んに、日本の製造工業を邪魔しなければならないので、ストライキを起こすべく非常に活躍しているというわけですが、それは方々に実によく現われてます。それから、青年特に学生を大いに赤化しなければならないというので、それには学校の教授、教員というのをおどらせなければならない。それを大分やろうとしているところを、政府が見抜いて、教員のいろんな……思想的に警戒しなければならない、と、そのため方々に問題を起こしているようです。そういうような工合で、平和だとか、大分世界が緩和されたとか言って、日本は油断(ユダン)している事はできないわけです。ここ当分はよいでしょうが、その先はなかなかで、とに角ソ連が日本を最後にやっつけるという考え、計画はドンドン進みつつあるのですから、それを見抜いたアメリカとしては、大いに軍備をしなければならないというので、日本の軍備に対して非常な努力をしてます。そうすると、日本に軍備をさせてはソ連としては一番困るから、その軍備をさせないように邪魔しなければならない。その総大将が社会党です。特に表面に立っているのが社会党左派です。左派の鈴木茂三郎君などが“軍備は要らない”という事を建前(タテマエ)にしてます。それはそれに違いないです。というのは、鉄のカーテン内に日本を入れようというのですから、そうすればソ連が日本に戦争をしかけるという事はないから、安全ですから軍備の必要はないわけです。とに角日本はソ連の配下になるか、或いはアメリカの配下……配下という事は言えません。アメリカは民主主義ですから……それになるか、その国民の考え方です。だからそういう事も、とに角日本人がみんな知らなければいけないのです。そうして、そうなると日本人は、共産主義がよいか民主主義がよいかという事を考えてみると、とに角共産主義というものは、それこそ一握りの人間が支配するのですから……。殊に中共などは一握りではない、何本かの指で押えているようなものです。大体毛沢東に周恩来に朱徳と、この三人が牛耳(ギユウジ)っているようなものです。そうして国民全体が菜ッ葉服を着せられて、やられてはたまらないです。それはただ労働して生きているばかりの生活ならそれでよいでしょうが、少し心ある者は満足できないというものですから、これは考えるまでもないです。日本の将来はそういう運命におかれているという事だけを知っておけばよいのです。

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今のは世界の情勢ですが、今度は、問題はもっと小さいが、とに角国民の身近に起こっている問題は汚職問題です。それについて書いてみました。 

御論文〔⇒汚職の母体〕【註  栄光二五○号】

汚職問題というのは、今度知れただけではホンの氷山の一角で、これをホジクリ出したら大変な騒ぎになります。昨日私はある人に会ったのですが、聞いてみると、一番最初ヤリ玉に上げられたのは山下汽船ですが、これが本当に拡がってゆくと、商船も郵船もやられてしまうわけです。そうなったら大変だし、それからもう一つ、前の池田蔵相などが喚問される事になっていてゴテゴテして、さっぱりラチがあかないのですが、あれについても聞いてみますと、池田が喚問されると、どうしても重光に火がつくのだそうです。そう言えば最初改進党が威張って、大いにやるらしかったが、急に腰がくだけてしまったのです。それで今改進党はその点はまるっきり自由党と同じようになってしまったのです。自由党と了解し合ったような事になってしまったのです。それは重光が危ないからです。そうすると、この問題が拡がると政治家の親玉が片っ端しからやられてしまう事になります。そこで政府は非常に困って、これを何んとか骨抜きにして、グジャグジャにしてしまおうと思っているのです。そこで社会党の方はそうはさせまいとして大分活動しているようですが、しかしこれは社会党は数が少ないですから到底形勢を挽回(バンカイ)する事はできないですが、しかしこういう事については、さっき社会党を悪く言ったようなものだが、又良い働きもしているわけです。政治界と経済界というのは、全く腐りきっているのですが、この根本原因というものは、やっぱり無神思想です。神は無いというだけの話なのです。神が無いとすればそうやるのが本当です。私でも、神が無いということを本当に知れば、できるだけずるく、うまい事をして出世をしようとします……出世をするかどうかは分らないが……。ところが神様を知ってしまった限り、これはどうしようもないです。良い事をするよりないです。それで、同じ良い事をするなら、できるだけ大きく良い事をする、つまり世界的良い事をするというそれが救世教になったわけです。そういうわけで、何んとしても、問題は神が有るか無いかというそれだけの話です。ところが神が有るか無いかということを教えるのが宗教ですが、宗教と言ってもいろいろありますが、本当にしっかりした、そういう神様を認めさせる力ある宗教は、大いに援助するのが本当です。ところがそういう宗教の本当の面が分らない点がありますが、分らないという事は、本当に調査研究しないから分らないので、そういう事をしないで、頭から“宗教なんて迷信だ、いけない”と決めているわけです。そうすると、悪い事をした方が得だという事になりますから、悪い事をすることになるのです。どんな偉い人でも、教育がある人でも、それを認めない限りそうします。ただ偉い人は上手にやる、引掛らないようにやるというだけのものです。それが天下の政権を握るというわけです。今天下の巨頭にしても、ただ引掛らないようにやるという、上手で智恵があるだけです。それだけの智恵があれば、国際関係においてもうまくゆくでしょう。ですから今の世の中としてはそういう人も必要は必要だが、ただそういう人が多いと世の中がうまくゆかないわけです。うまくゆかないと人民が苦しむというわけで、日本などがうまくゆかない……とに角現在としても金が無くなってしまって、どうしても緊縮政策をしなくてはならない、不景気になってしまうわけです。その点においてはアメリカの方がずっと唯心思想が多いです。それは何が何んでも、日曜に教会に行くとか、或いは日常でも神様という事を非常に口にしてます。私は時々アメリカのジャーナリストに会いますが、そういう点は実に日本人とはこうも違うかと思うくらいです。ですからアメリカ人に宗教の話をすると、実によく分るのです。特に私の話には共鳴するのです。私も先の話には大いに共鳴します。日本はそう急にはなかなか思うようにはゆかないが、とに角もう少し神様が有るという有神思想がなくてはいけないと思います。それによってどのくらい世の中の汚れを防ぐか、つまり浄まるわけです。そうすれば一切がもっとずっとうまくゆくわけです。今ストライキなど沢山起こるが、これは共産党の手下ばかりでなく、幹部とか指導者的の人がやっているので、多くの人は食えないからです。物価は上るし、生活には困るとすれば、それによって悪い思想を注ぎ込まれるのだから……。しかし生活が楽になれば変な誘惑には引掛らないというわけです。その点においてアメリカは非常に日本の経済を助けるという態度に出てます。昨日の新聞などにも、今度一億ドルの軍需物資を注文するという事ですが、これは確実のようです。そういうわけで、とに角日本人に、何んとかしてもっと神様の実在を信じさせる事が一番肝腎です。

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それから今度静岡民報という地方新聞で、地方新聞としては古くからやっている新聞です。静岡では「静岡新聞」と「静岡民報」の二つがありますが、静岡民報で来月の一日から三カ月にわたって私の事を物語り的に出す事になったそうです。それも別にこっちが頼んだわけではないので、突如として先方から言って来たのです。それでこの間最初の原稿を読んでみると、面白く書いてあります。それでこっちも賛成したわけですが、昨日その予告が出てましたから読ませてみます。

(静岡民報二月十五日付「世界メシヤ教物語」)

この人は全然知らない人で、今度初めて知ったわけです。どういうわけでこういう計画をしたのかと思ってます。けれどもマイナスではなくプラスになる事は分ってますから結構だと思います。最初の書いたのを見たが、非常に面白い事が書いてありました。その中に、「教祖が出て来て、喋って、浄霊して帰る、それを見ていると非常に早い。丁度田舎の親父さんが汽車の時間が遅れそうなので急いで歩く。そういうようだ」というのです。それなどは非常に愉快です。なかなか興味本位で、それに筆もうまいです。三カ月続けるというのですから、なかなか面白いです。不思議に思うのは、私と会った事もないし、会って話をしそうなものだが、それで三カ月も続けるというのですから、何処からどういうふうにやるのか、全く神様みたいなものだと思います。

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二月十七日

今一番騒がれている問題は汚職問題です。今朝の新聞では、有田二郎という代議士が家宅捜索を受けたり、逮捕許諾請求問題で、政治界の方に火がついたわけです。そうすると又大きな問題になるわけですが、とに角霊界が明かるくなったせいか、目茶々々にああいう暗闇(クラヤミ)の罪が明かるみへ出て来たわけです。それについて書いてみました。

御論文〔⇒汚職の母体〕【註  栄光二五○号】

今読んだような工合で、問題は神様を知るか知らないかだけの話なのです。一昨日ある人から聞いてみると、池田勇人をこの間から喚問するすると言われていながらグズグズしているのですが、聞いてみると池田を喚問すると、今度は重光が喚問される事になるのだそうです。そうすると、自由党も改進党も目茶々々になってしまうのです。それで何んとかしていろんな対策を講じているのだそうです。そういうようなわけですから、これがだんだんゆくと、何処まで拡がってゆくか分らないが、遠慮なく拡げれば日本の右翼は全滅になってしまうわけです。そうすると社会党の方が頭を持ち上げて、政治界をリードする事になりますが、それでは折角今始めている軍備に大いに支障を及ぼす事になりますから、そこで或る程度で食い止めなければならない事になります。食い止めるとすると、司法権の方、即ち検事の連中を押えなければならないのです。ところが検事の連中にも社会党の分子が大分あるのです。社会党の分子というよりも、むしろ共産分子ですが、それも相当あるらしいのです。しかし、それよりかこれよりか、検事連中、裁判官連中としては、大いに手柄になりますから、それで腕を見せるというような事で、若い連中などは、徹底的にやっつけてやろうという分子も大いにあるのです。一方アメリカに対する方は、もういい加減でくい止めなければならないという事になって、政府も大いに苦境(クキヨウ)に陥(オチイ)るわけです。結局或る程度でぼやかすだろうと思います。それに対して輿論は――これは新聞や何かも大いに怒鳴るでしょうから――パッとはしない代りに、随分ゴテゴテするという事になると思います。今日の有田召喚というのは政治界に火をつけたわけですから、これがどれくらい拡がってゆくかという興味もあるわけです。ところでアメリカはアメリカとして日本の軍備を必要とし、そして又日本でも首脳部は軍備に対して大いにこれを充実しなければならない理由があるのです。それはどういうわけかというと、ソ連の方針はこういうわけになっているのです。朝鮮問題はソ連の方から言うと大失敗なのです。あの時の計画では、アジヤ全体を鉄のカーテンに入れてしまおうというのが、スターリンの主なる目的だったのです。それを、東の方からやろうか、西の方からやろうか、或いは中央からやろうか、という三つの内の東の道(北にもかかってますが、大体東です)をとったわけです。そこで中共を援助して、そうして大体その仕事を中共にさせようとしたわけです。それで、最初北鮮をおどらして南鮮にあのとおり向ってやったところが、南鮮は案外脆(モロ)く、忽ち釜山まで進撃してしまったのです。あわよくば朝鮮全土を呑んでしまって、そうして日本を狙おうともしたのです。ところが九分九厘までいって、アメリカの方が国際連合をつくってウンと反撃したので、それがうまく成功して到頭ソ連は追いつめられた結果、あの時マッカーサーは一挙(イツキヨ)に北鮮を全部やっつけてしまうというところまで来たのですが、この時にトルーマンが弱腰で、あそこで止してしまいましたが、しかしあれも奥の奥は神様がやっているのだから、あれでよいわけなのです。そうしておいたけれども、結局蛇の生殺しですから、これを徹底させなければならない。それにはどうしても中共をやっつけてしまう事です。無論北鮮をやっつけて朝鮮を元通りにし、中国も蒋介石を大いに援助して元のように蒋介石の中国というようにすべく、そういう作戦を立てて大攻撃の準備を、アイゼンハウワーになってから着々始めたのです。そこで中共も、散々戦争をしてヘトヘトになっているところに、今度大仕掛にやられたら一溜りもなくやっつけられてしまいますから、これは大変だというわけで、これを何んとか一時押えをしなければならないというのが平和攻勢で、これが一昨年ソ連の大使のマリクが停戦会議を提言したわけです。そういうわけで、つまり本当に平和にしようというのではないので、ただ一時アメリカの計画をくい止めるというわけで、あの時に頻(シキ)りにアメリカの御機嫌をとるような態度に出ました。そこでだんだん交渉していたけれども、結局本当の停戦交渉も、結ばれたような結ばれないような、変な工合になっていました。そうして今盛んにモロトフが四国会議で活躍してます。モロトフは中共を入れて五国会議にすると言ってますが、それはできない事は分っているのですから、結局ソ連の方は時を延ばしているのです。時を稼ごうというわけです。それを英国もフランスも平和ができるかの如く、楽観したり悲観したりしてます。尤もフランスというのは屋台骨が傾むきかけているから、腰がすわってないから、ただ平和でさえあればよい、あんまり国の面目を傷つけない限り、何んとか平和にすればよいという、意気地無し態度がよく見えるのです。そういうわけで、一方ソ連の方はそうしながら、今度は中共の方はドンドン戦いの瘠痍(ソウイ)を治しつつあったのです。それで、漸やくこの頃中共の方も傷が治ったので、今度は第二の作戦に取掛ったのです。それが仏印です。ホー・チーミン軍をウンと援助しているのです。今度はホー・チーミン軍の武器などもこの前とは違って、なかなか今まで使わないような、戦車のようなものでも、相当充実しているようなのです。だから大分勢いが猛烈で、かなりな地点まで進撃しました。そこでフランスは、やはり七、八年に及ぶ戦争のために非常な損害を受けて、もうくい止める力がないので、今度はアメリカが大分乗出して来ました。しかしアメリカも下手に乗出すと第二の朝鮮戦争になるというので、大分輿論が喧ましいのです。けれども第二の朝鮮戦争になっても、これは仕方がないのです。或いはなるかも分らないという形勢になって来ました。つい二、三日前の新聞に出てましたが、B29を二十機急遽飛ばしたというような事ですから、なかなか容易ならぬ形勢になって来たわけです。そこで若しホー・チーミン軍が仏印をやっつけてしまえば、今度はタイに出ますから、そこでタイの方でも最近国境線に非常に防備をやっているようです。そうして今度はソ連の狙い所はタイから印度です。印度もいずれはそういう時が来ると大変だというわけで、ネールは随分ソ連にお世辞をつかってました。印度は戦争でなくて、平和条約を結ぶ事になるでしょうから、そうすると、とに角中国から印度まではすっかり中共の勢力範囲になるわけです。そうしてソ連の方の肚はイラン、イラクからアラビヤまで行って、とに角日本と朝鮮を除いたアジヤの鉄のカーテンというものをつくる計画なのです。そうしておいて、一番手強(テゴワ)い日本を最後にするわけです。そのときには南朝鮮よりも日本の方にかかるだろうと思います。日本を完全にやっつけてしまって、完全にアジヤを自分の手の中に納めようというわけです。それは間違いないです。この事はアメリカの方は知ってますし、勿論日本の政府も知ってますから、そこで大いに防備を固めなければならないというわけです。それには、今の汚職問題をあんまり拡げて、自由、改進の保守派の方をあまりにひどくやると、今度は社会党の方が政権を握らなければならないという事になると、その軍備に対する大変な支障を及ぼしますから、この問題も或る程度以上には進めないという……これは大乗的考えから言うと、どうしてもそれより他にしようがないのです。ところがソ連の方では日本を強くしてはいけないから、どこまでも弱めなければいけないという考えで、いろいろな方策をやっているわけです。その中心が社会党左派で、鈴木茂三郎がそれです。どうしても日本を弱めなければならないので、そこで再軍備反対とか、或いはアメリカを排撃しろとか、どこまでもそういう政策をとっているのです。一方そういう政策をとりながら、一方盛んにストライキを起こして、日本の製造工業を弱めなければならないというので、ストライキ戦術というのはそういう根拠(コンキヨ)からやっているわけなのです。しかし労働者はそんな考えはないので、ただ賃金さえ上ればよいのです。だから今の方々のストライキを見ても、賃金闘争です。大きな目で見ると、日本をソ連が呑む、結局やっつけて、そうしてアジヤ全部を鉄のカーテンに入れる、そうしてしまえば、今度はソ連がヨーロッパをやっつけるのは訳ないです。そうしてアメリカを孤立してしまって、それで世界制覇の大目的は達成されるわけです。そこでアメリカは、そうなっては大変だからというわけで、日本を援助しなければならないというので、日本はその目標になっているわけです。つまり鍵になっているわけです。と言っても、今が今そういう事態にはならないが、若しか中央アジヤがやっつけられれば、次はそういう事態が起こらざるを得ないという事になります。それには、日本を強くするか弱くするかという事なのです。それで、強くしようというのが右派であり、弱くしようというのが左派なのです。大体この間も言ったとおり、社会党左派の目的は日本を第二の中共にしようというのですから、第二の中共にすれば、とに角日本はソ連から戦争をされる憂いはない、従って軍備の必要はないというわけなのです。どういう訳で左派が軍備不必要を唱えるかというと、ソ連という敵が無くなれば軍備の必要はないのです。ですから理窟はあるのです。ただ日本の人民が、共産政治の方がよいか、それともアメリカの資本主義がよいか、どちらかというと、まず日本人の大部分はアメリカの方がよいと言う人の方がずっと多いわけです。我々もそうです。共産主義の方を嫌う人の方がずっと多いです。けれどもそこまでみんなは知らないから、軍備があれば戦争になる、そうすれば亭主や伜が引張られる、或いは青年は自分が戦争をするのは、命がけだから嫌だ、というそういったホンの利己愛で、自己的の小乗的の考えの人は相当多数あります。しかし結果が、共産政治の下に支配される人民になるという事が分れば、どうも賛成する人はないだろうと思います。それをもっとはっきり分らせるべく新聞などが書けばよいのですが、又その新聞記者や何かの中に、今言う共産治下の人民になるのを好む人が大分あるらしいのです。そこで甚だはっきりしない点があるのです。それで、我々が共産主義を嫌いなのは、共産主義は無神、無宗教、無神主義のカチカチで、こっちは有神ですからどうしてもくい違って来るわけです。今の話は本当の常識的の、ラジオ解説みたいな話ですが、神様の方は又秘中の秘と言うか、その奥には奥がありというから、結局これでよいわけです。共産主義も結局大きな御用はしているわけです。神様の方は又別としても、今言ったような事だけは大体知っておく方が、これからの世界の推移が分りやすいですから、話したわけです。

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昨日聞いた話ですが、農業特集号は案外歓迎されるそうで、百万部では足りないだろうという事を頻りに言われましたが、大変結構だと思います。これは無論、腹の減っているところに食物を見せたようなものですから、飛び付いて来るという事になります。丁度時期によく合ったわけです。そんなわけで、これが売れるだけは日本が救われるのですから、大いに喜んでよいと思います。

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二、三日前に分った事ですが、「静岡民報」で三月一日から救世教の事……というが、私の事ですが、三カ月にわたって連載するというのです。これはこっちで頼んだわけでもないし、どういう考えか知りませんが、突然話があったのです。一昨日の新聞に予告がありましたが、なかなか面白く書いてありますから、読ませてみます。

(静岡民報二月十五日付「世界メシヤ教物語」)

それで、最初の原稿を二十枚ばかり読んで見たのですが、なかなか面白く書いてあるのです。非常に興味津々たる……といったようなものです。その中でも、私が非常に愉快に思ったのは、面会の時に一度此処に来たのですが、その時に、「話が終って、浄霊して、それから此処から出るその恰好は、丁度田舎のじいさんが汽車の時間が迫って急いで歩くような、そういう恰好だ」と言うのです。なかなか面白く書いてありました。ただ、私は別に会った事もないし、教団の人とそう詳しい話も聞いたようでもないのですが、三カ月も連載するというのですから、どういう材料で、どういうふうに書くか、非常に興味があると思うのです。それから、どういう考えでそういう企画を起こしたのか、それも分らないのです。だんだん分るでしょうが、決して先に邪念がないという事はよく分ります。マイナスよりプラスの方が多いという事は認められます。そういうわけで、願わくば、もう少し、東京あたりの大新聞とまでゆかなくても、中新聞ぐらいのところに出たら尚良いと思うのですが、けれども、とに角地方新聞でも、そういう事によっていずれは東京の新聞なども、オレの方でも出してみようかとか、或いは有力な雑誌とか、そういう方のジャーナリストを刺戟する点も幾らかあると思います。何んにしても、チョット出すのではなく三カ月も連続的に出すのですから、幾らか小説的と言いますか、何か面白いと思います。別にどうこうでなくて、非常に興味があると思います。又信者さんなども大いに楽しみだというような事もあるでしょう。今の新聞に写真も出てますが、大変よく出ているという事です。良い悪いは、自分の事だから分らないが、若くは写っているようです。

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二月二十五日

最近ハワイ教会の落成式について、あっちの新聞に出ていたのですが、よく書いてあります。「ハワイ報知」というのです。それを読ませます。

(ハワイ報知二月十五日付掲載「世界メシヤ教布哇教会落成式」)【註  栄光二五二号】

写真も載ってますから見たい人は後で見て下さい。それに最近更に隣の地所も少し手に入れたようですが、着々というよりか驚異的に発展しつつあるのです。それから二、三日前に来た手紙に、ロスアンジェルスでも大分お蔭が著しいので、ジリジリ発展しつつあります。特にそのお蔭が、日本よりか多いのです。例えてみれば病気が非常に治りがよいのと、治り方が早いのです。そして再発が殆んどないのです。だから発展し出したら、到底日本どころではないと思うのです。非常に急速に大きくなるだろうと思います。それはどういう訳かというと、原因があるのです。日本の病気は非常に――しかし医者からみれば浄霊の方はばかに早いですが――長引くとか、再浄化が起こるとか、三度も四度も起こる人があります。それはどういう訳かというと、漢方薬のためです。漢方薬の量が多いために、それを排除するのに非常に手間(テマ)がかかるのです。ところがハワイやアメリカの方は漢方薬がないので、全部西洋の薬ですから、薬毒の量が非常に少ないのです。そこで取れやすいのです。それは、十何年とかいうのが三回か五回の浄霊で大抵治ってしまうのです。そして治ったきりで、あと丈夫でドンドン働けるのです。それは薬毒の量の原因です。だから、よく結核には再浄化が多いのですが、これは薬の量が多いためです。結核は最初は普通の病気と逆ですが、最初は西洋の薬で散々(サンザン)やったがどうしても治らない、そこで大抵漢方薬をやるのです。これは西洋と漢方と両方の薬ですから、非常に量が多いのです。それで、結核の再浄化というのがあるのです。そういうわけで、確か一度書いたと思いますが、近年“日本人の寿命が延びた”という事を言われてますが、これもそのためなのです。近年になってだんだん漢方薬を飲まなくなって、西洋の薬になったからして、そこで量が少ないから寿命が延びるというわけです。ですから病気で死ぬという事はないので、衰弱で死ぬのです。病気のための衰弱ですから、病気のためとも言えますが、直接は衰弱で死ぬのです。衰弱で死ぬという事は、長引くから衰弱するのですから、長引くという事は薬の量が多いからです。そこで漢方薬というのは、ある点においては西洋の薬よりか恐ろしいです。チビチビという奴は毒は少なくても、やっぱり非常に大きな量になるからして、浄化で排泄する場合にも暇がかかるから衰弱を増すのです。それから西洋の方は勝負が早いから、治るとなるのも早いわけです。それから致命的になる事が少ないです。そのために寿命が延びたというわけです。それから結核の死亡率が減ったという事も薬の関係ですが、ところが昨日の新聞にも出てましたが、癌とか脳出血というのが非常に多くなった、それで結核が去年まで三位だったのが、今度は六位になったというような事が書いてありました。これらも、その薬の関係です。薬、即ち今の抗生物質というのは副作用が割合少なく起こるというのです。その代り結核の増加率は少しも減らないで、ますます増えるのです。ただ死ぬのを延ばすだけのもので、病気が治るのではないのです。病気が治るという事と、死ぬのが延びるというのとは、似て非なりで、違うのです。病気が治るという事は、ピンピンしてしまうという事ですが、ピンピンしないで、ただグズグズ生きているというわけです。そこでハワイやアメリカの方が治りがよいわけです。そういう事は思いもつかない意外な事なので、そういう事を知っていると、これからアメリカの方のお蔭話を見てもすぐ分ります。

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今世間の問題は汚職問題ですが、これがだんだん拡がって、今朝のラジオでも、大分又拡がって、他の汽船会社の方にも火がついてゆき、それから大野伴睦なども引張られそうな事を書いてありましたが、何処までゆくか分らないほどです。大分浄化が強くなったためもあるのです。それで、こういう問題も凡て浄化作用なのです。病気は肉体的、こういうのは社会的・国家的です。この間汚職問題について書きましたが、これを別の面から見たのを書いてみました。

御論文〔⇒疑獄は浄化作用なり〕【註  栄光二五二号】

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何時も病気について医学の間違いを書いてますが、今までよりごく強めて、かなり際(キワ)どいところまで書きました。これで急所は言い尽くしたつもりです。

御論文〔⇒私は告白する〕

それから薬について、ちょっと気がつかないのですが、一体薬というものはどういうものだという事をはっきり書いてみました。

御論文〔⇒薬剤は科学か?〕

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二月二十六日

この間ハワイの本部の落成式があって、その時の模様が「ハワイ報知新聞」に出たのを読ませます。ハワイにある二つのしっかりした新聞の内の一つですが、割によく書いてあります。

(ハワイ報知二月十五日付掲載「世界メシヤ教布哇教会落成式)【註  栄光二五二号】

写真も出てますが、見たい人は後で見たらよいです。最近になって隣地の相当の坪がうまく手に入ったので、いずれ其処にはもっと大きなものが建つ事になるでしょう。そういうような工合で、ハワイ布教を始めたのが去年の今月ですから、丁度一年です。それまではあっちには別に何も無かったのです。本当に縁もゆかりもない所に、言わば突如として行ったようなもので、それが一年たつかたたない内にこれだけになったという事は実に早いです。つまり時期が来たわけです。何事も時期がありますから、時期をみるというのが一番肝腎です。うまくゆかなかったり失敗するという事は、時期に当嵌(アテハマ)らないからです。植物の種を蒔くにも、野菜や米の種を蒔くにも、やっぱり時期があります。今度の特集号も非常に売れて、足りなくはないかというくらいなのですからして、これも時期なのです。丁度去年あれほどの凶作で、これからどうしてよいか分らないと、迷ってどうにもならない時に“これだ”という事を見せるのですから、飛び付くわけです。食物が無くて腹が減ってフラフラしているところに御馳走をやるというわけで、飛び付いて来るというわけです。ですから骨折って無理にやるという事は、時期が来ない時に無理をやるから骨が折れるのです。私は骨が折れる事はよせと言っていますが、楽に楽しみながらやる事がよいのです。そうすればうまくゆくに決まっています。ですから楽にスラスラゆくのは時期が来ているからうまくゆくのです。苦しまなければうまくゆかないという事は苦痛の迷信です。苦しまないで、普通にやるというのが一番よいのです。それが本当です。これについて一番分るのは、絵の展覧会などに行くと、画家というのは、大いに苦心惨憺(クシンサンタン)しなければ良い物が出来ないと思っているのです。そのために非常に苦しむのです。その苦しむのが画面にチャンと出ているのです。我々が行って見て、楽しもうとするのが、そうでなくて苦しみが現われているから、苦しみがこっちに迫って来るのです。見ていて楽しみな良い気持にならないのです。要するに苦痛を移されるようなものです。これはみんな苦痛迷信の結果です。今の人はその点なども大いに知らなければいけないのです。ところが、どういうわけでそういう苦痛迷信が起こったかというと、つまり今までは夜の世界であったから暗闇(クラヤミ)ですから、暗闇で物を探(サグ)ったり物を見ようとするから苦しいわけです。どうしてもそういう事になるわけです。ところが昼の世界になると一目で分るから、掴(ツカ)まえようと思えば、直ぐに掴まえる事ができるというわけなので、そこが大変な違いです。

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エリス・グリリという人より最近箱根美術館を管理している野木さんに手紙が来たので、あの人が翻訳したのです。私は、これだけ訳する事ができるという事は初めて知りました。

(グリリ夫人からの御礼状)【註  栄光二五一号】

このグリリという人は非常な日本好きで、去年ですか家を買って日本人と同じような生活をしているのです。畳で、坐って、日本食を食べるのだそうです。何時か私が会った時に聞いたことですが、「日本人の中には非常に勝れたところがある、他の民族にない良いものがある。それを自分は研究したい。」それで、自分は一生日本で暮すという覚悟だという事も言われていたくらいですから、日本のために将来非常に良い仕事をされる方と思ってます。これから大いに救世教のために世界的に紹介もし、観光外人などに対するいろんな仕事をされるだろうと思ってます。

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今一番の問題は汚職問題です。とに角後から後から社会的に相当有力な人達が引張られる……まだまだもっと大物が引張られそうな事が出てますが、なかなか、自由党の方で防ごうと思っても防ぎきれないような事になるのではないかと思います。どうも問題はもっと一層大きくなるのではないかと思うけれども、そういう偉い人達の様子を見ると、あべこべをやっているのです。これが本当から言えば、正直に“こうこういう悪い事をした、申訳ない”と言って出ればよいのですが、それだけの勇気のある人は、おそらく今の世の中にはないと思います。何処までも、どうしたらうまくごまかせるかという事を一生懸命にやっているわけです。というのは、つまり「神が有る」という事を信じないからです。だから人間の目さえごまかせばうまくゆくと思っているのです。それについて書いてみました。

御論文〔⇒疑獄も浄化作用なり〕【註  栄光二五二号】

この中に前号と前々号という事を書いてますが、前々号というのは書いてありますが、前号というのは次のが出るのです。順序が逆になりましたが……。

御論文〔⇒再び汚職の母体〕【註  栄光二五一号】

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それから、さっき読んだ時に話をしようと思ったが、ハワイと、最近ロスアンジェルスの方にも大分開けて来たのです。それで、あっちが早く開ける一番の原因は病気が非常に治りよいのです。治ると共に、治りきりになって再浄化がないのです。これは日本と大変な違いです。それは何が原因かというと、こういう訳なのです。日本の病人と言うと変ですが、特色は、薬毒の量が多いのです。だからして固まりを溶かして其処だけは出てしまうが、後の後続部隊が溶けたりする浄化作用が起こるのです。ですから長いのです。しつこいのです。ところがあっちの方はさっぱりしているのです。というのは日本人は漢方薬のためなのです。漢方薬は量が多いですから、そこで毒は漢方薬より西洋の薬の方が強いかもしれないが、量から言うとずっと少ないので、百分の一か千分の一です。そこで治りがよいのです。あっちのお蔭話を見ると、何年間も病んだ者が四、五回の浄霊で治るのです。ですから分り出したら日本とは比べものにならないスピードで発展してゆくと思います。大変結構です。そこで、日本人の再浄化というのは、漢方薬を沢山飲んでいるためとみれば間違いないです。なにしろお茶の代りに飲むというのがあります。よく浄霊しても、痰が出る洟が出る、下痢や嘔吐という事がひっきりなしに出ているので、それでだんだん衰弱して参ってしまうという事があります。再浄化というのはそれです。近年日本人の寿命が延びたという事も、それと同じ原因なのです。つまり以前は漢方薬を沢山飲んだのが、近来殆んど西洋の薬になったからして、害が非常に少ないのです。それだからして、どうしても寿命が延びるのです。面白い理由ですが、寿命が延びたというと医学が進歩したというように思いますが、そうではなくて、毒の飲み方が少なくなったというわけです。ですからそう考えると、むしろ漢方薬の方が恐ろしいです。それが今度ハワイやアメリカの病気の治り方で実にはっきり分ったのです。丁度農作物の肥料と同じ事です。尤も自然栽培というのもこの理窟をおしていって発見したものですが……。そういうようなわけで、これから浄霊の場合に漢方薬に注目して、どういう薬をどのくらい飲んだかという事を、時によっては聞く必要があります。けれどもただ漢方薬の方が毒が緩慢(カンマン)な性質であり、鋭くないです。しかし神経痛などは西洋の薬です。だから近来神経痛が非常に多いという事は西洋の薬の関係です。注射などは最も神経痛の原因にもなるし、それから何時も言うとおり、消毒薬というのは必ず痛みになります。痛みの病気はまず殆んど消毒薬と思っていれば間違いないです。ところが消毒薬でも、此処なら此処が痛むから此処に消毒薬を入れたかと思うと、そうでもないのです。例えば頭が痛い人が、手足を手術した時の消毒薬が頭に上っていって、其処に固まるのですから、とに角痛みのときは一通り手術を聞いてみるのです。そうすると一番よく分ります。この頃大分聞きますが、歯の痛い人は必ずと言いたいほど盲腸を取ってます。盲腸の手術が歯痛に一番現われるのです。これは思いもつかない事です。ですから歯が痛くて浄霊して、一回か二回で治るのなら其処だけのものです。大体歯の痛みの原因というのは、歯を抜く時や或いは歯にセメンや何かをつめる場合に、その前に消毒薬を塗りますが、それが原因です。これは前に何かに書いた事がありましたが、歯医者に行って歯につめる場合、必ず前に消毒をしますが、そうすると必ず痛みます。その消毒薬が腐って出ようとするからです。それが痛みになるのです。だから何も消毒をしないですれば決して痛みはありません。これも実に馬鹿なものです。ところが一回や二回で治らない場合には盲腸の手術を聞いてみるのです。この盲腸を手術した時の消毒薬がだんだん上って行って、胸を通じて歯から出ようとするのです。これは、歯の痛みの原因が盲腸の手術という事は、世界的の大発見です。ノーベル賞以上です。ですから私が今までのいろんな発見を数えてみるとノーベル賞を何十という事になります。ところがあっちは、現代の科学を審査する方で、こっちはその科学では分らないですからしようがないです。審査員を教育しなければ駄目です。そういうようなわけで、漢方薬の悪いという事をよく知らなければならないのです。ところが漢方薬を薬と思わないような人が沢山あります。よく患者に“これは薬毒だ”と言うと、“私は子供の内に飲んだきりで、飲んだ事はありません”“あなたは漢方薬はどうですか”と言うと、“それなら飲みました。それもやっぱり薬毒があるのですか”という人がよくあります。というのはお茶代りに飲むからです。中には波布草をお茶代りとして飲みますが、これも毒があります。一番毒が強いのはゲンノショウコです。そういうようで、非常に長くかかったりしつこいのは、まず漢方薬とみて間違いないです。

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二月二十七日

ハワイ本部の落成式が「ハワイ報知」という新聞に出たのですが、なかなかよく書いてあります。ハワイに二つの新聞があるそうですが、その一つなので、信用はできる新聞です。

(ハワイ報知二月十五日付掲載「世界メシヤ教布哇教会落成式」)【註  栄光二五二号】

写真も出てますから見たい人は後でゆっくり見られるとよいです。  ハワイを始めたのは丁度去年の今月です。しかし本当に活動を始めたのは二、三カ月先からなので、しかも最初行った時には殆んど無人の境に行ったようなもので、別段何もなかったのです。本当に無から有を生じたようなものです。それが一年たつかたたない内に千名以上の信者が出来たのですから、殆んど世界にも例がないでしょう。しかも教会建設費約十万ドル、日本の金にして三千六百万円ですが、それが全部ハワイの信者から出たので、私は一文も出してないのです。ですからなかなか大したものです。この勢いで進めば、今年一ぱいぐらいたつと、素晴しい、ちょっと想像もつかないぐらい発展するだろうと思ってます。その原因をよく考えてみると、ちょっと日本と違う点があるのです。それは何かというと、非常に病気の治りがよいのです。それと、再浄化とか、そういうややこしい事が、あとあんまり出ないのです。きれいに治るのです。ちょっと不思議ですが、それはどういう訳かというと、向うの人は漢方薬を飲んでいる人が殆んど無いのです。それで、これは皆経験しているからよく分るでしょうが、日本の病人が浄霊で治りながら、後から後から薬毒が出て来るのです。実に薬毒が多いのです。これは何故かというと漢方薬なのです。それで西洋の薬は毒は強いが量は非常に少ないのです。だから取れやすいのです。この点がだんだん分って来たのです。ですから結核などで再浄化がよく出ますが、あれは何かというと、西洋の薬もありますが、結核などの人は最初は西洋の薬でやっているがどうしても治らないので、迷って、大抵は漢方薬を飲むのです。ですから結核の再浄化というものは漢方薬が主な原因です。そしてお茶の代りに飲むようなものですから、非常に量が多いのです。取っても取っても後から後から出て来るのですが、これはみんな漢方薬です。ですから、こうなると、西洋の薬よりも漢方薬の方が恐ろしいです。近来日本で“寿命が延びた”と言いますが、これはそれなのです。以前は漢方薬のために寿命が縮まっていたのです。早死していたのです。ところが近来に至って西洋の薬になって漢方薬はずっと減りましたから、それで寿命が延びたわけです。つまり前には毒を多く用いたから早死だった。それで今度は毒を少なく用いたから延びたというわけです。少ない毒も全然止めてしまえば、もっと延びます。実に人間というのは馬鹿なものだったのです。薬を全然止めてしまえば、人間は百以上は生きます。丁度肥しをやって米を穫れなくしているようなものです。薬で寿命を縮めていたのです。ですからハワイあたりはそのために非常に治りがよいのです。そうして、治ると、後いろんないざこざがないのです。治りきりになってしまうのです。だから、それらの人がドンドン活動するのです。それに、ごく最近ロスアンジェルスの方もお蔭話が時々来るようになりましたが、それも非常に治りがよいです。それこそ、十何年ぐらい煩(ワズ)らっていたり、或いはアメリカの大病院でアメリカの有名な医者が四人も見放したようなものが、一週間かそこらで忽ち治ってしまうのです。だから本当にあっちに知れるに従って素晴しい発展になるだろうと思ってます。

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それから、エリス・グリリという人が手紙を寄越したので、それを翻訳したのですが、これは箱根美術館の野木という女の人に来て、この人がチャンと翻訳したのですから、なかなか英語ができるのです。今度初めて知ったのですが……。

(グリリ夫人からの御礼状)【註  栄光二五一号】

グリリという人は日本が非常に好きで、日本の家を買って、永久に日本に住むのだそうです。ですから、やっぱり畳で日本食で、日本人と同じような生活をしているわけです。将来この人は非常に救世教のために働くようになっているのです。今でも大分活動しています。各国の大使館などに行って“救世教というものは素晴しいものだと、非常に宣伝しているわけです。これは私の方で一言も頼んだわけではないので、つまり私の仕事に非常に共鳴して、本当に世界のためだという気持でやっているのですから、実に素晴しい人です。いずれはアメリカの新聞などにも堂々と書くはずになってます。だから熱海の地上天国が出来たら、外国に知れるのも忽ちだろうと思ってます。この人の他にも、シモンズという人がやはりそれと同じように期待しているのです。みんな神様が用意された人達です。だからとても分りが早いです。

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今の一番の問題は汚職問題ですが、今までにこんなに一度にいろんな種類の汚職が出た事はないでしょう。汚職インフレです。それについて書いてみました。この前書いたのとは又違う見方で書いてみました。

御論文〔⇒再び汚職の母体〕【註  栄光二五一号】

汚職問題も浄化作用ですが、おまけに霊界がだんだん明かるくなるにつれて、ああいう問題が発見されやすくなるのです。それを書いてみました。

御論文〔⇒疑獄も浄化作用なり〕【註  栄光二五二号】 

こういうようなわけで、綱をたぐってゆくと幾らでも出て来るのです。ですから造船問題にしても、全部と言ってよいと思うのです。つまり言うと、腐った水に虫がわくようなもので、全体が腐っているからして幾らでも虫がわいている、それから、後から後からわくのです。だから今いろんな輿論を聞いてみても――二、三日前の晩のラジオで町の声を街頭録音で聞きましたが――みんな憤慨(フンガイ)したり、それから新聞などにも出てますが、“こうしなければいけない”と言ったところで、結局肝腎な「神」というものを認めない限り何んにもならないのです。人間は神を認めて、神様が見通しだという事を知ればそれでよいのです。他の事は別に必要ないです。それが、ややこしい、“ああしろ、こうしろ”と言っているだけでは何んにもならないです。肝腎な「神が有る」という事を唱える人は本当にないのです。そういう事を言うのは救世教だけなくらいでしょう。他の宗教でもそういう事は言っていませんから……。ですから九分九厘と一厘の仕組と言いますが、世の中全体は九分九厘の腐り水みたいなものです。そうして救世教が一厘でだんだん浄めてゆくわけです。そこで神様は私に、それを浄められるだけの力を与えているわけです。だから随分思いきった事を言いますが、それは言うだけの自信がこっちにあるから言うので、随分ひどい事を言いやがると言って突込もうと思っても突込めないのです。それは、こればかりでなく、不断から医学の事も随分ひどい事を言ってますが、何か突込んで来る人があれば結構だと思って待っているが、そういうのは無いです。突込めるような人があるとすれば、その人は気違いか、さもなければ、ものほど知らずというような人だろうと思います。ですからこの救世教なるものは大変な存在という事になります。今のところは一般に分らないでしょうが、だんだん分って来れば、文明は引繰返ります。大本教のお筆先に「今度は手の平を返すぞよ」とありますが、丁度手の平を返したようになります。つまり、こっちが本当だと思って一生懸命になっているのが、こう(反対)なってしまうのですから、今まで考えていた事が全然反対になってしまうのです。信者さんはみんな手の平が返った人です。その目で見ると世の中の間違っている事が実によく分ります。ですから私は前に「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と言った事がありますが、今のいろんな汚職問題などで苦しんでいる人を見ると、実に愚かというよりかやっぱり“超愚”の方です。それがよく分ります。

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昨日石丸悟平という人に会ったのですが、立派な本を持って来て、“一つ教祖の非常に肝腎な、是非知らなければならない事がこの本に書いてあります”と言うのです。観音経の講義か何かを書いてあるのです。立派な本でした。それで喋り出したから、私は“観音様はいいです。観音様は私に始終かかって直接教えてもらっているから。むしろ世の中で観音様を解釈しているのと大変に違っている事があるから、私の方でその違っている事を話してもよいが”と言ったら、“それではしようがない”と大笑いだったのです。しかしその人は、宗教の方ではちょっと有名な人ですが、その人でさえ実に浅いです。一言で先の方が破られてしまいます。私は随分思いきった事を言いますが、これはしようがないわけです。ところがこれがみんなに分って来れば、思いきった事でも何んでもないので、当り前の事で、実に平凡な事ですが、世の中が平凡まで行ってないから、平凡な事を大変な事に思っているのです。昨日の人も、私の言う事が実に飛躍(ヒヤク)していると言ってましたが、飛躍でも何んでもないので、地面の上の人が、ちょっと地面より高い所に上ると、随分高いように思います。というのは、先の方は地面より下にいるから、地面よりちょっと上でも随分高い所に見えるわけです。

(教三十一号  昭和二十九年三月十五日)