私はいつも宗教的の事ばかりかいているから、偶には方面を変えてみようと思い、これをかいたのである。即ち宗教家から見た時局観であって、最初先ず世界の情勢から取上げてみよう。知らるる如く昨年の今頃は、北鮮方面は休戦段階に入ってはいたが、まだまだ血腥(チナマグサ)い空気が漂い、海のものとも山のものとも分らない情勢であった。然もアメリカはアイゼンハウワー大統領の公約もあって、中共及び北鮮打倒の目的の為、大仕掛な準備を進めているという訳で、何時第三次戦争の口火が切られるか分らないという空気であった。処が新春早々晴天の霹靂の如く、巨星スターリンが地に堕ちた事であって、ここに世界の情勢は一変してしまったのである。
その時彼のマレンコフが後継者となったに就いては、世界の眼は一様にこう見ていた事は確かである。即ち彼はスターリンの方策をその儘持続するか、それとも全然方向を転換するかのどちらかであった。それが漸次ハッキリして来たのは後者の方であったので、それ以来というものどこ迄も平和攻勢の方針を採りつつ、今日に至ったのである。それが為流石米国の強硬政策も漸次緩和され、アイゼンハウワー大統領の原爆に対する協定会議開催となったのは知らるる通りである。そんな訳で世界の情勢は余程明るくはなったようで、当分大戦争の危険は解消しないまでも、延期されたのは勿論である。故にこれに就いてスターリン時代を一応検討してみるのも無駄ではあるまい。即ち当時彼スターリンの大芝居が当り、中共援助によって厖大なる中国を僅かの間に片附けてしまい、毛沢東をして全権を掌握させると共に、蒋政権をも一孤島である台湾に封じ込めてしまったアノ手際は、彼をして有頂天にならしめたのも無理はないといえよう。その為勢いに乗じて中共援助と同様の手段を以て、今度は北鮮を躍らして南朝鮮を席巻(セッケン)せしめ、朝鮮全土を統一するのみか、あわよくば日本にまでも触手を伸ばし、巧くゆけば東亜全部を鉄のカーテン内に治めてしまうという遠大なる意図のあった事は想像に難からないのである。
処がこれを洞察したアメリカは、急遽国際連盟を作り、非常手段を以て食止めたばかりか、将来を慮り先ず中共軍を激破し、南北朝鮮を旧に復せしめると共に、蒋政権をも昔通りに復活させるべく、ここに大々的戦備に着手したのはア大統領の深謀遠慮であった事は窺われるのである。そこでこれを知った中共もソ連も事態容易ならずとして、急遽平和攻勢に出でたのは誰も知る通りである。というのはグズグズしていて、若し国連から戦争を仕掛られたらそれこそ大変な事になる。何しろ中共と雖も長い戦争の為疲弊しきっており、到底勝目のないのは分っているからである。一昨昨年六月国連総会に於けるソ連代表マリク大使の休戦提案がその皮切りであった事は言う迄もない。そんな訳でソ連側は決して心からの平和ではなく、戦いを避けんが為の一時的方便にすぎないのは、その後の情勢によっても明らかである。それは停戦会談を故意に長引かせたり、目下の休戦会議の遅々たる歩み等にみても頷かれるのである。つまりソ連の肚は出来るだけ長引かせておいて、その間に充分準備を整え、絶対負けないという見極めがついてから、積極的態度に出るのは火を睹るよりも明らかである。
以上によって結果から言えば、朝鮮戦争はソ連側の失敗であったのである。然もその後米の準備は欧洲も日本も米の陣営内に入れ、着々軍備を整えつつある事で、全く壮観といってもよかろう。この形勢によってみても当分はソ連の方から仕掛ける公算はないと見てよかろう。従って冷たい戦争はまだまだ続くとみてよかろう。この意味に於てソ連が根本から世界平和の方針にならない限り、世界の空の晴れ渡る日はまだまだ前途遼遠であろう。
次は日本の時局批判に移るが、先ず吉田内閣の運命である。これも随分長く続いたもので珍しい内閣といえよう。その原因は吉田首相が偉いというよりも、現在の処首相級の人物が見当らないからで、つまり首相の運がいい訳である。これに就いて私の言いたい事は、今日の政治家の最も欠点とする処は、視野の小さい事と正義感の乏しいこの二点であろう。そこへゆくと吉田首相はその点先ず優れている政治家といっていいと思う。成程他に吉田以上の叡知、鋭さ、強さのある人は幾人かはいるが、遺憾乍ら大きさが足りない事と、正義を貫く勇気と信念に乏しい事で、どうもコセコセして利巧すぎると思うのである。それに就いても思い出されるのは、彼の明治から大正にかけての頃の政治家であって、そういう特長のある政治家も随分あったものである。どことなくボリュームがあって、信頼が出来る人が多かったのは、古い人は知っているであろう。という訳で今日のように薄っペラでオッチョコチョイ式の人物は余り顧みられなかったようであった。そうして今日吾々国民として最も要望する政治家は、重厚且つ太ッ肚で、大物型の人物であって、これは私ばかりではあるまい。そこで最後に言いたい事は、以上のような訳で現在の政治家は小事に拘泥しすぎ、つまらないと思う事柄に対しても直に問題にしたがり、会議の場合喧々囂々、容易に結末がつかない為、いつも問題山積している有様は、議会の会期延長のお定りがそれをよく物語っているので、これを国民からみると昔のヤクザと同様、喧嘩と縄張争いがお道楽のようになっている事実をみれば分る通り、洵に情ない今日の政界ではあるまいか。
(栄光二百四十八号 昭和二十九年二月十七日)