昭和二十八年五月御教え
五月五日
アメリカに行っている嵐という人の第二信が来ましたが、あっちもなかなか面白そうなのです。それを読ませます。
(米国通信二)【註 栄光二○九号】
お蔭話もありますが、日本よりか余計なおるくらいです。精神病が二人ばかり忽ちなおったのですが、今アメリカでは精神病が一番多いそうですから、アメリカ人の方で始まってくると素晴らしいものだと思ってます。もう一息だと思います。やっぱり順序としては日本人の方が先にお蔭をいただくというわけです。このお蔭話は栄光に出しますが、大分評判になりつつあるそうですから、いずれは白人の方にも拡がるに決まってます。アメリカ人の方に評判になったら、それはしめたものです。日本などよりはずっと早く燃え始めると思ってます。そうして今まで外国の宗教でアメリカに拡がるというのはありませんから、それは世界的の問題になります。そうすると日本も今さらのように騒ぎ出すだろうと思いますが、時期がもう余程近くなって来ましたから、大いに期待できると思います。二人の精神病とは、一人は喋らない精神病で、一人は喋り過ぎる症状なのです。そして片方はほとんどなおってしまったし、片方はもう少しでなおるというところまで来てます。非常によい事は、どっちも浄霊後間もなく血とか膿とかが下ったのです。これならもう本当になおったのです。無論霊的で、霊が頭に憑くのです。それで血や膿というものは、大体後頭部の下の方に固まったものですが、それが出るとすると根本的になおるのですから、大変よいのです。だから今後精神病の場合にはそういった血が下るような下痢があれば必ずなおります。浄化が強くなったからして、これからだんだんそういうなおり方が出てくるわけです。それで日本もやっぱりアメリカの流行を採り入れるのが好きですから、病気の方はどうか知らないが、とに角日本も精神病が非常に増えました。だから後頭部の附近を主にしてやるというようにすればなおります。それで今の病人の十中八、九まではこの辺(延髄)の毒です。延髄のどっちかが、どんな時でも持ち上がってます。大抵左の方が持ち上がっているのが多いです。つまり此処に熱が出て、そうして食欲が不振になるとか頭がぼーっとするというような事が多いのです。ですからまずこれからは病人は、一番目に延髄を見るのです。そうするときっとどっちかが腫れていて、必ず其処に熱をもってます。これがなおる場合にはほとんど下痢です。それで此処を浄霊すると、これが溶けて来て胃にはいりますから、幾らか胸が気持悪くなってムカつきます。それが原因になって出るのです。その順序を覚えておくとはっきり分ります。そこでまず後頭部が肝腎です。それで此処が悪いと信仰にはいるにも邪魔するのです。このために脳の血が少なくなりますから、そこに霊が憑って邪魔するのです。だから延髄を主にして、あとは淋巴腺です。これが又必ずどっちかが腫れてます。今年もこれから赤痢が流行(ハヤ)るでしょうが、大分赤痢が出て来てますが、みんなこれ(後頭部)が自然浄化で赤痢になって出るのです。ですからこれをやっておけば赤痢にも罹らないというわけです。
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それからあんまり気持の良くない話ですが、偶にはよいと思って書いてみました。
御論文〔⇒裁く勿れ〕【註 栄光二○八号】
偶にはこういう事も薬になるでしょう。
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それからこの間女の人の病気についてちょっと話したところが、聞くところによると、女の人は大変喜んだそうです。ああいう事を教えて下さると大変参考になるというので、評判が良かったのです。この間はざっとやったのですが、もう少し徹底しようと思いますが、あんまり徹底はできないので、これはなかなか難かしいのです。程の良いようにうまく説明しようと思ってます。婦人関係の病気もやっぱり頭が一番原因になっているのです。それで頭の毒が溶けて下に下がった場合、男の方は多く痔の方に行くのです。脊柱附近からずっと下がって行くのです。女は尾 骨(ビテイコツ)附近に溜まって、前の方に行くのです。ここが男と違うところです。それで女のコシケとかいろいろなもの、掻痒症とか、粘膜にカタルと言いますかオデキのようなのが出来るのは、頭の毒が一旦腰の方に行って、それが前の方に行くのです。ですから子宮が悪いというのは実は頭に原因があるのです。外の毒素もありますが、頭の毒素が一番下りるのです。そうして前からが出よいから、みんな集まってしまうのです。そうして一旦此処で溜まるのです。その溜まったのも早く溶かさなければならないというのですから、そこを目掛けて浄霊するわけです。そうすると非常に気持が良いのです。それから、よく足が吊るとか足の悪い人は、腰に溜まったものが両足の方に垂れて来るのです。それで薬によって、重い薬と軽い薬がありますが、軽い薬はももたぶとかももの外側です。よく歩き難い、転びやすいとかありますが、これは婦人には限りませんが、一切足のあがきの悪いという事はももの外側です。押すと固いです。大抵な人は固いですが、この固いというのは此処に毒が固まるのです。ですから此処を浄霊すると、ずっと工合がよくなります。それから、これから下に行って膝に行くわけですが、今度は膝の裏手に行くわけです。ですからももの外側と、その次は膝の裏で、それからふくらはぎから踵、足首です。それで毒のごく重いのは足の裏に溜まるのです。だから足の裏をつくと痛い、足の裏が痺れるという人が偶々ありますが、それは実は頭の毒が溶けて足の裏まで行くというわけなのですから、実に想像もつかないくらいです。それから結婚を嫌う娘さんの原因は、霊的ではつまり龍神の生まれ変りになってますが、これもあります。けれども龍神の生まれ変りの龍女はごく少ないので、大抵は病気なのです。病気のうちでも一番の原因になっているのは、頭の毒素が溶けて膣の附近に固まるのです。そうすると薬毒によっては非常に痛いのです。ちょっと触っても飛び上がるほど痛いのです。これは医学の方では膣痙攣と言いますが、これが案外多いのです。そこで結婚を嫌うのです。それにこれは人に言うわけにはゆかないので、実に気の毒なものです。幸いにこっちの方は医者と違って外からやってなおるのですから、そういう非常に結婚を嫌う娘さんは、お母さんなりがそういった意味で浄霊してやればよいのです。それから偶々無毛症というのがありますが、これも皮膚の中、筋肉に毒が固まって、それが邪魔しているのですから、これも外側からやればまずなおるわけです。十中八、九はなおります。偶に霊的のがありますが、これは余程信仰を深くやらなければ、なかなかなおりません。それでも年限がたてばなおります。今のは、大勢の前でも話よいような話をしたわけです。これは徹底して話をすれば、どこまでも分りますが、しかしそれほど分る必要はないし、大体浄霊は医学的のように詳しく知る必要はないから、このくらいで沢山だと思います。それで外の病気と違って、婦人に関係した病気は本人が訴える事ができないのですから、一番不幸な性質のものです。そこで神様は多くの人を救われるのに、そういう面は或る程度余計分らなければならないから話したのです。そうして頭と関連してますから、下の方を浄霊すると頭も非常に良くなるのです。というのは平均浄化が起こるからです。これは両方が直接に関係していて、直結しているわけです。そこで頭も良くなるから性質も良くなります。我儘とか怒りやすいという事もだんだんなおります。そのつもりでやるとよいです。それから頭でも、今のは後の方でしたが、人によっては前の方に相当毒がある人があります。これは額を触ってみれば熱がありますから、すぐ分ります。それで熱も、額の中から来る熱と淋巴腺から影響される熱と二つあります。中からの熱は、触ってみると芯(シン)から熱があるようにみえます。それから淋巴腺から影響する熱は、芯に熱がなく、どこか浅い感じがします。熱に力がないような感じがしますから分ります。そういう気持で、熟練すればなお結構ですが、普通でも大体分ります。それからこめかみに熱があるものです。この熱が非常に苦しいのです。こういうのはやはり横から浄霊するのです。それから頭の芯に熱がある人が随分あります。これは上からやればよいです。体と違って、頭の方は手は少し接近してもよいです。それから淋巴腺に熱の無い人はないくらいなものです。中耳炎は無論この毒が溶けたものです。それから歯の痛いのもやはりこれです。何処かに固まりがあります。それから舌が吊るというのもこれです。そういう工合で、これから病気に関係した事で今まで本などに書いてない事を時々話しようと思います。
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ちょっと面白い論文を読ませます。
御論文〔⇒墳墓の奴隷?〕【註 栄光二○九号】
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五月六日
アメリカに行っている嵐という人から報告が来て、大分成績が良いです。まだ日本人だけですけれども、もう少したつとアメリカ人の方にも拡がるだろうと思ってます。あの人はかたわら絵をやりながらやってますが、もう二、三カ月になるでしょう。二十二人かの入信者ができました。それで非常にお蔭があるので、日がたつに従って、ばかに発展すると思ってます。今度の報告で二人の精神病がなおったのがあります。一人は何年間とか沈黙しているのが普通に喋るようになったのです。又一人の方は朝から晩まで喋り過ぎるのですが、それも普通になって来たのです。これは完全になおったのです。というのは、どつちも浄霊を始めてから血膿のようなものを非常に下痢したのです。これなら確実になおるのです。やっぱり此処(後頭部)にあるのが溶けて出たのですから、頭の霊の曇がとれるからして、精神病の変な霊は抜けるか萎(シナ)びるかどっちかですから、完全になおるわけです。それに今アメリカでは精神病が一番多いそうです。ですからこれがアメリカ人に少し分るようになったら大変な事になります。無論そうなるに違いありません。それから癌がなおったとか、とに角今度のお蔭話が四つありましたが、みんな顕著なお蔭で、とに角アメリカに信者を作るのが一番肝腎なのですから結構だと思ってます。又、昨日の手紙ですが、サンフランシスコで前から栄光を送ってあったのですが、それを読んで是非入信したいというが、なにしろロスアンゼルスまでは三百哩からあるので大変なのです。それで御守を送ってもらいたいというので、特別に便宜上送ってやる事にしました。これがサンフランシスコに種をまく事になるわけです。ですから将来は大いに有望なわけです。それからあとはサクラメントはまだ本格的には教修を受けてないようですが、しかし御守をもらって、非常に熱心にやっている者が居るそうですが、いずれこの方面も始まるだろうと思ってます。それからハワイの方はだんだん増えています。今までに二、三百人くらい信者ができたようですから、今年一年たてば大変なものだろうと思います。そういうようでいよいよ外国方面に拡がり始めたという事は、面白くなって来たと思ってます。嵐さんの報告を読ませます。
(米国通信二)【註 栄光二○九号】
お蔭話は今度の栄光に出しますから、それを読めば分ります。今の精神病で血膿が下ったというのは、後頭部の固まりなのです。大体延髄附近です。此処がやっぱり脳の血管を圧迫して、そこで貧血しているために霊が憑るというわけです。ところが今ほとんどの病人は頭が一番多いのです。これはあなた方も知っているでしょう。そのための熱です。それで頭がぼんやりするとか食欲がないとか元気が出ないというのは、ほとんど後頭部にあります。だから此処にある固まりですが、此処はどっちかが必ず腫れてます。大抵左の方が多いです。それからその次は頚部淋巴腺です。これで大抵な病気はなおります。結核などでもこれ(淋巴腺)が多いです。だから胸の病気というのは間違っていると何時も言いますが、つまりこれが溶けて肺に浸入して、其処に固まりが出来るのです。そこで固まりがあるから胸の病気と言うのです。元は淋巴腺にあるのです。だからまず今言った所をやれば大抵な病気はなおります。延髄が一番目、淋巴腺が二番目、それから三番目は前頭部です。此処を触ってみると熱があります。熱のない人はないので、ほとんどあります。これは此処の中の熱と淋巴腺が影響する熱と両方ありますが、これは熟練しなければ見分けができませんが、大体上面が熱いのと芯から熱いのがありますが、芯から熱いのは前頭部の中からのものです。それから上面が熱いのは淋巴腺の影響です。それで上面の熱い人なら大抵淋巴腺に熱があります。それから脳天ですが、これは患者をかがまして、できるだけ奥の方をやるのです。それだけやれば体の方は大抵良くなります。まして精神病などはきっとなおります。それから目の悪いのもなおります。何時も言うとおり、目の悪いのは後頭部の真中で、此処に必ず固まりがありますから、これを浄霊すれば目ははっきりします。それから後頭部の固まりは下痢の原因にもなります。これからは精神病とまではいかなくても、精神病に近い人は沢山出ます。今でも沢山あります。ちょっと頭の変な人はみんなそうです。精神病でなくても、言う事のトンチンカンな人や、線を外れる人はよくあります。それから心得ておかなければならない事は、後頭部を浄霊すると胸が気持悪くなります。軽い吐気や胸がムカつく事がありますが、これは溶けたのが胃にはいるのですから、これも浄霊してやる必要があります。そうしてこれが済むと、今度は下痢になって出ます。その順序を心得てやればよいです。
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それからこの前婦人病について話した結果を二、三の婦人の告白で聞きましたが、ああいう話は今まで聞けなかつたし、非常に結構だというのです。これは一番の悩みの病気なのですが、それを分らしてもらったという事は非常に有難かったという話がありましたから、時々それについても話をしようと思つてます。婦人の病気については、医学的に本などでもいろいろ書いてあるが、あれはほんの上面で根本が分らないからして、やっぱり根本を知っておかなければ駄目なのです。それで今言った頭の毒が下がって来て、一旦腰に集まって、男は痔になりやすいのです。ところが女の方は腰に溜まった物が、痔の方でなく前の方に行くのです。これだけが男と違う所です。ですから女の方が便利と言えば変ですが、排泄の管が大きいだけに非常によいのです。男の方が厄介なのです。男の方は出血と言っても非常に重く見られますが、女の方は平気なものです。そういう点から言っても非常によいのです。ところがそれを知らないために神経を起こしたりしますが、女のコシケというのはごくよいわけです。そのコシケを悪いと思って止めたりするのが今までの医学の考え方ですが、それはとんでもない間違いなのです。そういうようでコシケに出ればよいですが、コシケでなく出るのが困るのです。これはつまり粘膜にカタルを起こしたり、それからシコリのような物が出来たり、それが横の方に来て、股の方に固まって、足が吊ったりする事になるのです。それからお腹がはるのです。それで凡て毒が下に下がって行って、お腹から足にかけて溜まって行くわけです。しかし頭だけでなく、いろいろと胸から下がって、心臓とか肝臓の附近などのも、やっぱり幾分下に下がります。だから下半身の病気というものは凡て毒が下がって溜まるというように思って居れば間違いありません。その毒がお腹に溜まると膀胱を圧迫しますから、その結果小便が近くなるのと遠くなるのと両方あります。遠くなるのは膀胱の尿の出口の方に毒が固まって尿道が細くなるので、そこでそういうのは小便が遠くなるのです。それからそうでなく外部から圧迫するのは近くなるのです。それは膀胱が小さくなるからです。それから腎臓の廻りに元気がないとか腰がふらつくとか力がないというのは、それが今度は腰の廻りに溜まって来ます。腰が痛いとか、直ぐにくたびれるとか、足が重いとか、よく不精と言いますが、女の人でもまめなのと億劫(オツクウ)がるのがありますが、億劫がるというのは腰から下が重いのです。重いという事は腰に一番固まりがあるのです。だから尾 骨の辺を狙って浄霊しますと、とても足が軽くなって歩きよくなります。従って歩いて息切れのする人などは非常になおります。息切れが腰に関係があるという事は全然気がつかない事です。だから自分でもそうですが、少し足が工合の悪い時は尾 骨の附近をやると非常に足が軽くなります。それで婦人病の中で女が非常に怒りっぽくなったり憂鬱になったり元気が無く不愉快なようなのは、子宮の辺の原因が非常にあります。そこで腰のが溶けて前の方に出ますから、そこで腰と前の方と両方やるのです。そうすると非常に気持良くなります。それで夫婦喧嘩というような点が大いに良くなるわけです。夫婦円満になります。ですからこれは大いに関心を持たれる事です。信者の人ですと自分で浄霊すればよいのですから、これは一番よいです。ただ信者にならない人はそういうわけにはゆかないから、外部からやれば、それで余程違います。それからよく結婚を嫌う娘がありますが、これは此処に原因があるのですから、そういう娘さんなどを普通の人間にする事は実に大した事です。これは医学の方ではどうにもならない事なのです。外部や医学的では全然駄目なのです。それからもう一つ知っておかなければならない事は月経不順です。月経が無いとか少ないというのは、貧血が一番多いです。それからあとは喇叭管の入口に毒があるために、つまり月経の通りが悪いのです。そういうのは月経が少なかったり不順だったりするのです。それから痛むのは、下腹と恥骨の中間辺りをやれば、おそらく固まりがありますから、着物の上からでも離してやれば必ずなおります。月経痛というのは必ずなおります。それから月経不順もなおります。貧血というのは、血が少ないので、これはそうはいきません。そのくらいにしておきます。
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それから小乗と大乗について、小乗信仰はいけないという事について書いてみました。
御論文〔⇒裁く勿れ〕【註 栄光二○八号】
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これはちょっと面白い書き方です。
御論文〔⇒墳墓の奴隷?〕【註 栄光二○九号】
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五月七日
アメリカに行っている嵐さんから報告が来ましたが、大分成績が良いです。これは第二信ですが、今読ませます。
(米国通信二)【註 栄光二○九号】
漸次あっちの方にも開けてゆくと思います。サクラメントも非常に熱心な信者が開拓しているようです。それからサンフランシスコに今度一人できましたが、これは種をまいたわけです。ですからこれからあっちの方も案外迅速に開けるのではないかと思います。それでハワイの方は素晴らしい勢いで開けています。もう二、三百人くらいは信者ができているようです。日本と違って、あっちは非常に分りがよいのです。素直と言いますか、気持良く開けるのです。とに角日本人が一番ひねくれているように思います。スレッカラシになっているとでも言うのでしょう。この嵐さんの方のお蔭話の報告が四つありましたが、今度の栄光に出します。なかなか素晴らしいお蔭があります。その中で精神病が二人ありましたが、これはどっちとも非常に早くなおったのです。一人は喋らないので沈黙しているのですが、これは気違いではよくありますが、黙まり込んでいるのです。それも数回で喋るようになりました。ほとんどなおってます。もう一人の方は喋り過ぎるので、朝から晩まで喋っているのです。これもあらかたなおったようです。どっちも確実になおってます。これはどっちも浄霊を始めてから間もなく血膿が下ったのです。ですからこれはもう確実になおります。それで今は精神病が、アメリカも多いとされてますが、日本も大変です。昨日かの新聞では日本の精神病は三百五十万人と言ってます。いろんな種類が書いてありますが、とに角確かにそのくらいはあります。今はむしろ結核よりも増え方がひどいです。それから今年は赤痢は大変な数に上るらしいです。今まででも随分数が多いようです。これは何時も言うとおり後頭部の毒です。今のアメリカの精神病で血膿が下ったという事は、後頭部から延髄の固まりが溶けて出たのです。これが精神病の因ですから、そういうようにしてなおるという事は根本的になおるのですから、確かな根治的ななおりですからよいです。それから赤痢はやはり後頭部という事はよく知っているでしょうが、なにしろ今の人は薬を入れては頭を使うから、どうしても薬毒が後頭部に固まってしまうのです。それで今は、精神病に限らず何処か工合が悪い人をみると、ほとんど十人が九人までこれです。必ず延髄の右か左のどっちかが腫れて固くなってます。そうして微熱が出て気持が悪いのです。それで微熱のために食欲が減るとか、気がふさぐとか神経衰弱的の症状があります。それからこれが溶けて咳が出て痰が出ると、ちょうど肺病みたいになるのです。ですからこれを浄霊するとほとんどなおって行くのです。ところがこれがなかなか頑固ですから簡単にはゆかないのです。余程根気が要ります。他の病気は、少ないのも少ないし、なおり方も非常に簡単にゆきますが、これが一番いけないのです。その次は淋巴腺ですが、これも又固まりが非常に多いのです。それで結核の人は大抵淋巴腺が多いのです。ですから胸の病というのでなく、首の病です。これが溶けて肺にはいって、それを医者が見て結核だと言うのですから、因は首ですから、首の病というのが本当です。まあ、サラリーマンにも首の病の人はありますが……。そういうようで、まず第一に後頭部を見る事と、第二は淋巴腺です。それで淋巴腺を浄霊するのは横から浄霊するのです。又場合によっては、指を二、三本当てがって、力をぬいてやると良く溶けます。それからその次には前頭部をみると、大抵な人は必ず熱があります。それで此処に熱がある時は額の中に浄化が起こっているのです。要するに中に毒があるのです。そういうのは暖かさが非常に強いのです。それから淋巴腺の熱が影響する熱もありますが、そういうのは淋巴腺をやれば額の熱は無くなります。それから額の中の熱は前頭部をやらなければ熱は冷めません。その区別は、ちょっとやって居れば分ります。それからこめかみに熱がある事がありますが、これは横からやればなおります。それから脳天に浄化が起こって熱のある人があります。まずこれだけやれば、体の病気でも大抵なものはずっと良くなります。それから息切れも覚えておかなければなりません。これは大体原因が二つあります。一番多いのは肋間神経痛です。胸から肺の周囲、背中の方にかけて毒があるのです。こういうのは押してみれば分ります。自分で押してみても分ります。それで押して痛いのは、其処に毒があるのです。そういうのは息切れがします。それで歩いたりすると浄化が起こって幾分溶けるので、それを肺の方で吸い寄せようとするので、これが息切れです。ですから押して痛い所を浄霊するとよいのです。息切れというのはいやなものです。喘息などもそういう訳です。それからもう一つは腰に非常に原因があります。尾 骨(ビテイコツ)の附近に毒が固まって、多く歩くと腰が痛くなって、そうして息切れがするのがあります。これは若い人より年取った人の方が多いです。そうしてその腰の痛いのは、結局腎臓ですから、そういう人は腎臓の所に非常に固まりがあります。それで腎臓の毒が溶けて腰に固まるのです。だからそういう人は腎臓を主にしてやるのです。ですから腎臓と肋間神経痛というように思えば、息切れの原因というものは分るし、その浄霊によってなおります。それからもう一つは、腰を浄霊しますと、女などはコシケになって出ますから非常に結構なのですが、男は下痢の方なのです。しかし下痢は余程沢山の毒でないと、男はそう下痢はしません。下痢は何と言っても後頭部の毒が一番です。そこで精神病などは此処が溶けて下痢をすると、これは一番良くなおるのです。ですから精神病というものは其処さえ溶かせば非常になおり良いものです。これから精神病は非常に増えますから、そこでそれを覚えておくとよいです。
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この前婦人の病気についてちょっと話をしたところが非常に喜んだ人があるそうですが、これはなるべく詳しく言いたいが、ちょっと話しにくいのです。かえって医学的の方が露骨に話よいのですが、浄霊の方はもっと上品に言わなければならないのです。これは実に肝腎な事なのです。しかし女はそれを人に打ち明けるわけにゆかないし、人に聞くわけにもゆかないので、一人で苦しんでいるのが沢山あります。又婦人の病気は此処が最も原因なのです。だから女の魂というものは子宮にあるという事はよく言われますが、全くそういう訳です。男は睾丸という事になってます。男の魂は睾丸という事になってます。“あいつは全然金玉がない”とか言いますが、これが一番肝腎なものです。それで頭と婦人の局部とは非常に関係があるのです。よく子宮内膜炎とか実質炎とか子宮筋腫、卵巣膿腫というものの毒は何処から出るかというと頭からです。それで女は頭の毒が腰に行って、腰から前の方に行くのです。男の方は多くそれが痔になるのです。ですから痔は男の方が多いのです。男の痔もみんなこれですから、痔をなおすには頭をやればよいのです。それで一番肝腎なのは後頭部です。前頭部の毒も、後頭部から前頭部に行き、又前頭部が溶ける時も後頭部から下がってくるのです。そういうようで、つまり人間の体というものは天地になっているのです。だから一番肝腎なのは、男でも女でも、此処から一旦腰に来ます。尾 骨の附近ですから、其処を浄霊すると下半身の病気は大抵なおります。面白いのは、足の悪い人は腰をやるのです。足は腰から分れているのですから、つまり足の因が腰になってます。だから足が歩きにくいとか重いとか、くたびれやすいというのは、足をやらないで腰をやるのです。そうすると実によくなおります。腰からずっと下に下がって足が悪くなるのです。その場合に鼠蹊腺、股から足の外側に毒が固まります。それから膝の裏に行きます。それからふくらはぎから足首に行くのです。それが急所ですから、足のあがきの悪いというのは、ももの外側がちょっと固いですから、其処をやると一番よくなおります。医学の方はそのくらいにしておきます。
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それから何時も言う小乗と大乗についてちょっと書いてみました。
御論文〔⇒裁く勿れ〕【註 栄光二○八号】
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これはちょっと面白い論文です。
御論文〔⇒墳墓の奴隷?〕【註 栄光二○九号】
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五月十五日
再浄化について、今までも話しようと思ったが、あんまり話のしよい事ではないので、つい言わなかったのです。だんだんこれから再浄化が多くなりますから、そこでどうしても本当の事を言わなければ追いつかなくなって来たので、本当の事を言います。本当は再浄化というものは起こるべきものではありません。しかし起こるべきものではないと言っても、或る程度はやむを得ないが、再浄化で命が無くなるという事はありません。再浄化のあるのは、ほとんど結核ですが、医者から見放されて全然死ぬに決まったような者が助けられるとしたら、その命の恩は大変なものですから、如何なるものを犠牲にしても、命の代りとして感謝しなければなりません。感謝するという事は奉仕しなければならないのです。それをボヤボヤしているから、神様は横を向かれるのは当り前です。だから再浄化が起こるという事は、再浄化が起こるようにしているのです。それで今の人はやっぱり医学迷信のために、お医者でなおったのは非常に有難がるのです。ところが信仰でなおったのは有難味が少ないのです。というのは信仰でなおるべきものではないと思っているから、“なおったのは時節が来たのではないか”或いは“今まで沢山のんだ薬が効いて来たのではないか”というような解釈をする人があるのです。ところがお医者の方でなおったのはじき忘れるが、神様の方はそういう理窟に合わない事は絶対に許されないのです。しかし今までは和光同塵で、少しは許されて来たのですが、これからは絶対にお許しにならないのです。大本教のお筆先に“神厳しくなると人民穏かになるぞよ”というのがありますが、うまく言ってあります。それについてはっきり書きました。
御論文〔⇒信仰の合理性と再浄化〕【註 栄光二一○号】
命に関(カカ)わらない病気ならそうでもないが、命に関わるような病気がなおれば、命をいただいたのですから、なおってよい塩梅だと金儲けだとか相変らずな事をしていると、折角下さった命を自分の事に利用してしまう事になるので、つまり何時も言うとおり自分の命だと私有財産みたいに思ってしまうので、そこに大変なくい違いがあるのです。以前に、鉱山をやっている人で、相当に年をとった人ですが、心臓病で命の無いところを助かったのです。それで自分は一生懸命に神様のために働くと口では言っているが、何時の間にか山に行って、暫らく見えないからどうしたかと思っていると、その人は相当の資本家で経営者であるから鉱山に行っていたが、工合が悪くなってあわてて帰って来て、治療をしてもらうと良くなって、今度はよいだろうと思うと、又行ってしまうのです。そういう事が度々あったので、とうとう私は“あの人は駄目だから放っておけ”と言っておきましたが、それから暫らくして死んでしまいました。この人などはあんまり命を粗末にするので勿体ないくらいなものです。こういう人は滅多にありませんが、これに似たような事はよく聞きます。お蔭話などにもよく出て来ますが、難病がなおってそうして神様は大したものだと言いながら、この次再浄化で悪くなると医者に行くのです。そうして散々やってもらって、今度は前よりも悪くなって、やっぱりこれは神様に縋ろうと来る、それで今度なおると、そこで初めて分るのです。実に世話がかかるのですが、よくそういう人があります。だからそういった大きなお蔭をいただいて命を助かった人は、これから大いに注意してやるのです。そうすれば再浄化は余程少なくなります。そこで万一再浄化が起こった場合には、何故起こったかという意味を、今のような訳だという事を話してやるとよいです。大体どんな病気でも、なおればそれよりか重い病気が起こるわけはありません。第二の起こり方ですから、軽く済むわけです。ところが再浄化の方がかえって重い場合が多いのです。という事は人間の方が間違っているからです。
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それからハワイの方がばかに成績がよいのです。物凄いほど発展しているのです。最近来た安食さんの通信がありましたから、それを読ませます。
(ハワイ通信 その四)【註 栄光二一○号】
樋口さんの通信もありますが、それはもっとずっと長いから、それは今度の栄光に出しますから、それを読んでもらえば分ります。こういうような状態ですから、今年一年もたったら大変な事になるだろうと思います。アメリカでも、絵をやっている嵐さんが大分成績をあげてますが、この記事は今度の栄光に出ました。ところがアメリカはなかなかいろいろなやかましい規則があり、おまけにカトリックが勢力を張ってますし、医学の方はガッチリと堅固な垣根を作ってますから、なかなか厄介なのです。ですから「アメリカを救う」の本なども出来てますが、うっかり出して面倒な事になるといけませんから、まだ出さないのです。つまり医学の方は医学の方で、科学以外のそういう事はあまり信じていないのか認めていないのか、しかも他国からそういうようなものがはいるという事は非常に警戒するのです。それから又カトリックの方ではキリスト教以外のものは全部邪教となってますから、そこでこの方もなかなか警戒おさおさ怠りないので、余程考えてやらないと、ピタッとやられたらしようがないから、そこのところはゆっくりやろうと思ってます。ちょうど日本で私が最初やったのとやや似てますが、本当の事が分るまではできるだけ慎重にやろうと思ってます。ところで神様がうまくやりますから心配するほどの事はないが、やっぱりあせってはいけないです。神様がやっているのだからして、神様にお任せするのだから、あせらないでだんだんに順を追ってやって行くという事が一番よい事なのです。ですからハワイ全土に非常な評判になってセンセーションを起こすとすると、それが自然にアメリカに知れますから、そうなると、それはどんなものだという事になって、むしろ向うで来てもらいたいという事になるかも知れません。今のところハワイの信者はアメリカ人にはほとんど無いのです。支那人、朝鮮人、黒人系の信者が多いのですが、そのうちにアメリカ人の方にも信者がボツボツ出来て来ると思います。そうなるとそれが評判になってアメリカの方に反響して行きますから、そこで来てもらいたいという人民の希望が出れば、これは又アメリカは都合のよい事には民主的ですから、それを規則で縛(シバ)るという事はありません。そういう形になって行くと思います。それで又白人の方に分り始めたら、これは凄い事になります。それも時期の問題と思います。非常に面白くはなって来たようです。これも大本教のお筆先に“燈台下は真暗がり、遠国から解りて来るぞよ”というのがありますが、うまい事を言ってます。日本は燈台下で、遠国から解って来るというのです。それから“何事も遅れただけは一度になるから、そのつもりで居て下されよ”というのがあります。ハワイは遅れていたのです。だから一度になったのです。これは日本などはもっとずっと発展しなければならないのです。ところが邪神の方では今まで官憲を使ったり新聞社の言論機関を使ったりして、極力発展しないように押さえつけていたのですが、しかしもう押さえの力も薄れて来たという事は、近頃非常にやりよくなりました。言論機関の方でも好意を持って見るようになって来ましたから、それだけこっちの力の方が勝って来たのです。そういうようなわけで、今までとは違って、守勢から攻勢になったわけです。そうなってアメリカあたりに大いに評判になると、日本も又大変発展します。アメリカで良いとなれば日本人は無条件で有難がります。ですからいずれはそういうような事になるだろうと思いますが、日本は開闢(カイビヤク)以来外国崇拝だから致し方ありません。それについてちょっと書いたので読ませます。
御論文〔⇒病人氾濫の布哇〕【註 栄光二一一号】
この健康状態は樋口さんの通信によくありますが、盲腸をとり扁桃腺をとってしまうで、極端に手術をやってます。それでそれだけ強く固めてあるから、本当の健康体というのは無いのです。
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それからこの前は婦人の病の事を言いましたが、今日はよくあるものに息切れがありますが、この息切れの原因もいろいろあります。その主なものだけを話します。第一は熱のための息切れで、よくあります。この息切れは首の廻り、特に延髄附近に固まりがあって、これに熱が出て、そうして息切れをするのです。もう一つは肋間神経痛で、胸、横腹の場合と、それから腰の場合です。腰の場合は歩くと息切れをするので、不断はそうまでないのです。それから非常に強い息切れで、ほとんど息の止まるようなのがありますが、そういうのは肋間神経痛によるのです。そういうのは胸から横腹を押してみると非常に痛いのがありますから、それが溶けて、それを肺が引張り出すためのもので、そういうのは非常に強くて、ほとんど死ぬかと思うくらいのものです。その固まりを見つけてとってやるとなおります。これは苦しいのが酷い代りになおるのもピタッと早いです。それから歩いてなるのは尾 骨(ビテイコツ)の辺で、酷いのは押してみると痛いですが、これは割合奥の方ですから、押しても痛くないのもあります。こういうのは腰のちょうど真中の所をやるのです。そうすると歩いても不思議に息切れはなおってしまいます。大体今話したような原因です。ですからこの原因を分ってやればだんだんなおつて行きます。と共に他の方にも非常に良い影響が行きます。息切れというのはいやなものでして、呼吸が切迫しているのを側で聞いていても気持が悪いものです。又この息切れは命に関わるような病気に多いです。息をゆっくりするようなのなら、まず生命の危険はありません。それで息切れは息が苦しいから、咽喉だろうと思うでしょうが、咽喉のための息切れというのはまずありません。今言ったようなためです。私は以前にやった事がありますが、とてもハアハア言って、どうも駄目だと思ったようなもので、来るといきなり其処に寝転がるのでしたが、その時分はよく知らないからびっくりして、いろいろやってもどうも分らない。すると横腹の所に行くと、押すと痛いと言うので、これだなと思ってそれをやるとスーッと良くなりました。ですから息切れが一番酷いのは横腹です。腕の附根です。その次は胸で、横隔膜の毒が酷いです。これは骨の一番おしまいの所に毒が固まっている場合が多いです。又これは喘息の原因にもなります。だから喘息というものは、医者の方で気管支性喘息というのは咳が沢山出るものです。それから心臓性喘息というのは発作的に非常に息が切れるのです。それは今言ったように、ほとんど肋間が多いです。息切れの急所はこれで大体分ったでしょう。
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五月十六日
信仰について一番肝腎な事は、今まで宗教ではあんまり徹底してなかったのです。仏教にしても、仏教の「教」の字が間違っているのです。お釈迦さんが作った時には仏法と言って「法」なのです。それをどう間違えたものか、仏教という「教」になってしまったのです。ですから佛という字は人偏に弓という字を書いて棒を入れるので、弗という字ですが、弓というのは月の形になるのです。弓をしぼった時、或いはしぼらない時、これは月の形なのです。佛という字は、人間の法なのです。ですから人偏に弓を書いて霊体二本で貫ぬくのです。それが法になるわけです。それで法というのは何かというと、文字の解釈から言うとサンズイに去というのです。ですから水を去るのです。それで法というのは火で経なのです。ですから法は曲げられないと言います。つまり法は真直でなければならないのです。そこで佛の「法」は月ですから水になるわけです。そうして下の「法」が火になるわけです。ですから水火ですが、これは逆になるわけです。火水が本当だが、つまり夜の世界は水が上になって火が下になるわけで、逆になっているわけです。ですからどこまでも「法」というものが根本になるわけです。それを「教」の字にしてしまったという事は一つの間違いだったのです。だからだんだん仏教がくずれて来たというのは、これは「法」の力がないからです。それで「法」というのは何かというと、つまり乱れさせない事です。という事は間違いはさせないという事です。ですから何事にも法があるのです。日常生活にもチャンと法があります。これは前によく言いましたが、人間の行でも言葉でも、小いさい法があるのです。ですからそれに合わなければいけないのです。要するに理屈に合う事です。神様の事は理屈に合えば良いのです。ちょっとおかしく思っても、根本が理屈に合っていればそれでよいのです。理屈に合わない点が一つの間違いになるわけです。今話をしたのは再浄化についての一つの前提です。再浄化というのは一旦なおったのが再び悪くなるというのですが、これをよく考えてみると、どんな重難病でもなおったとしますと、今まで寝たきりだったり何も出来なかったりした人が、普通人のような行動ができるのですから確かになおったのです。それで再浄化というのは残りの毒素が排除されるための浄化作用ですが、そうすると最初の時よりもっと軽いのは決まってます。ところが最初の時よりも重くなって死ぬ事さえあるのは、これは理屈に合いません。ではそれはどういうわけでそうなるかという事を書きましたから、今読ませます。
御論文〔⇒信仰の合理性と再浄化〕【註 栄光二一○号】
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それからハワイの方は非常な勢いで発展しつつあります。なにしろアメリカ式ですから、やたらに手術をし、盲腸をとる扁桃腺をとる子宮をとる、という工合で、ハワイの人のほとんどは手術しており、それを固めてあるから、みんなビクビクしているのです。それで救世教の事が分るにつれて、とても大変なのです。ですから今樋口さんも安食さんも寝る間もないくらいなのです。最近来た報告を今読ませますが、その前にその批評を書いたので、それを読ませます。
御論文〔⇒病人氾濫の布哇〕【註 栄光二一一号】
(ハワイ通信 その四)【註 栄光二一○号】
大本教のお筆先に“遅れただけは一度になるぞよ”というのがありますが、ちょうどハワイがそういう工合です。つまり遅れていたわけです。その遅れていた原因はやはり日本の官憲やジャーナリストの誤解のためにこっちの準備が遅れたわけです。それからお筆先に“燈台下は真暗がり、遠国から解りて来るぞよ”というのがあります。日本の方が遅れているのは燈台下だからで、お筆先どおりなわけです。それでアメリカの方はなかなか厄介なのです。というのは「アメリカを救う」の本も出来てますが、まだ向うに発表しないのです。というのは宗教で医学に関与するという事はいけないというような建前になっている事と、それから向うはカトリックが盛んで、ほとんどカトリックですから、これが又新しい宗教を非常に嫌うのです。キリスト教以外は全部邪教という工合に信じ込ませているために、救世教のように非常に素晴らしい宗教とすると非常な脅威ですから、どんな妨害的行為に出るか分りません。アメリカの偉方(エラガタ)のほとんどはカトリックですから、なかなか慎重にやらないと、かえって後がやりにくくなりますから、ゆっくり発表しようと思ってます。とに角その点においてハワイは非常によいです。ですからハワイにおいて救世教というものは、非常に大変なものです。今のところはアメリカ人はまだ無いので、教修者はハワイ在住の日本人、それからアメリカインディアンというような黒人、それから支那人、朝鮮人というような人達です。それで非常に素直で、実際の効果さえ見れば直ぐ安心して縋って来るのです。この点が日本と非常に違います。日本はどんなにお蔭があろうと、どんなに奇蹟があろうと、余程の事がない限り疑いが解けないのです。それこそお蔭話にありますが、重難病が助かって有難がっているが、再浄化とか家族の者が病気になると、やっぱりお医者に行ってしまうのです。実に訳が分りません。それでお医者に行って悪くなって、やつぱり救世教でなければならないというので、又こっちに来て、それから信仰にはいるというのが非常に多いです。こういうような点はハワイは断然違います。そこにもっていって日本は官憲が宗教を嫌いです。信仰が嫌いなのです。私は時々書きましたが、アメリカの偉い人、アイゼンハウアー、トルーマン、マッカーサーという人達は必ず“神”という事を言ってます。ところが日本の大臣や政治家にしても“神”という事は決して言いません。“神”と言う事は恥になるかのように思っているように見えます。そのくせ“馬鹿野郎”とは平気で言います。どうも“神”とか“信仰”というような事をああいう偉い人が言うと安っぽくなるように思うらしいのです。日本という国はそのくらい信仰嫌いです。それで又ジャーナリストというのは何か書くにしても、宗教をけなした方が偉く見られるのです。信仰という事を書くと時世遅れというのです。そういう事を無自覚に思われているのです。彼等の心境というのは安易なものです。それも無理がないところもあります。というのは日本の新宗教には実に馬鹿々々しいのがあります。踊る宗教とか爾光尊とか、近頃盛んになった立正交成会も、妙法蓮華経を(ウナ)唸っている恰好を見たらわれわれでも嫌(イヤ)になります。妙法蓮華経もよいですが、それを何時間も唱えて一体何になるかという事です。一つ事をそんなに唱えていて何になるかです。実際時間の空費にしかなりません。ですから新宗教というのは下らないものだという事になるのです。他教を悪く言うのは嫌(イヤ)ですが、悪く言うのではなくて、有りのままを言っているのですが、救世教の人ばかりですから差し支えないでしょう。PL教団はダンスが非常に御自慢になってますが、ダンスというのは、とに角常識から考えても、神様の前で男女が手を組んで踊るという事はどういう意味か分りません。それであそこの根本は「宗教は芸術なり」と言うが、それはそれに違いないが、宗教は芸術なりという事をどういうように具体化するかというと、それはお題目ばかりで実行はありません。それでこっちの方も宗教は芸術なりと言いますが、実際においてそれを現わしているのです。ですから理論と実際とが合っているわけです。尤もPL教団でもそれは知っているに違いないですが、芸術という事を具体的に現わすという事は非常に金が要りますから出来ないのでやらないというのですから、これはやむを得ません。だから宗教は芸術なりという事は非常に結構なので、それはべつに非難する事はありませんが、宗教は芸術なりと言ってダンス専門にすれば、ダンスが芸術という事になります。尤もこれも舞踏の芸術と言えば言えますが、どうもピッタリ来ません。それで新宗教のうちで一番多いのは日蓮宗です。ところが日蓮宗をやるのは結構ですが、しかし新宗教とは言えません。生長の家なども、私は前に「生命の実相」なども読んだ事があります。うまい事を書いてありますが、それも結局キリスト教と仏教です。お釈迦さんの言った事をうまく取り入れて、一つの説を作ってあるのです。ですからこれは普通の宗教学としてなら立派なものですが、新宗教という新しい点はありません。つまり綜合したという事が新しいと言えば言えますが、それでは根本が新しいのではなくて説き方を新しくしたというに過ぎないのです。どうも新宗教と認めるという事はちょっと難かしいわけです。これは何時も書いてますから信者の人はよく知っているでしょうが、とに角日本のそういうようなものを見ていると、インテリやジャーナリストが新宗教を軽蔑するのも無理はありません。若し私が、救世教教祖でなく普通人としたら、やはりそういうように新宗教を軽蔑するに違いないです。だから救世教の真髄が世間に知られていないから、こっちも十把一からげに見られるので、これも仕方がないが、しかしやっぱり良いものは良い、悪いものは悪いのですから、これも時の問題です。その時の問題として一番良いのは、アメリカに救世教が広まって行く時期になれば、それによって日本の知識人が分るという事になり、これが一番効果的です。そうなると日本人は、アメリカで騒ぐならこれはもう良いものに違いないと丸のみになってしまいます。それよりかしようがありません。尤も神様がなさる事ですから素晴らしい方法をやられるに違いないから、べつに気をもむ必要はないが、大体そういうような経綸になって行くわけです。
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話は変りますが、救世会館の晴々台の横の所に土を捨ててますが、その土がだんだん溜まって、最近行って見ると、とても広い良い地所が出来ているのです。ああいう土というものもなかなか捨場が要るのです。ところがあそこを捨場にしてやったところが、とんでもない良い地所が出来て、千坪くらいはあります。ちょうど晴々台の敷地くらいの広さになります。それで私は、これは神様の方で何かあるに違いないと思って考えてみると、やっぱり大変な必要があったのです。というのは会館が出来て、椅子席が千七、八百で二千は難かしいのです。それで廻りに立つとしても、会館の中だけで三千です。それから会館の廂(ヒサシ)のある所に二千として、結局五千で一ぱいです。ところが今お祭になると一万よりもっと来る事になるでしょうから、それでは困ると思っていたのですが、そうなると今言った地所が千坪になりますから、此処にテントを張れば、優に五千や一万ははいれる場所が出来ますから、其処に簡単な椅子でもおけば、まず相当に増えても心配ないというわけです。その時の私の話はマイクをつければ皆聞けますから、その点において大いに安心できたわけです。そうしてみると、やはり神様はそういったようにチャンと準備をされた事がよく分ります。そういうようで何時もながらの事ですが、神様の用意周到なのにはただ驚くばかりです。それに良い風景で、実に大したものなのです。ですから経済的に言っても、そんな良い所を只貰ったようなものです。土の捨場が自然に立派な物になってしまったのです。あの辺は価格としてはどうしても坪五千円の地価でしょうから、千坪として五百万円の物が只で出来てしまったのです。そういうようで驚いたのです。それで会館と展望台は一緒に出来てしまいます。それが出来ると共に、そういった足場がある時にやると余程安く出来るというので、場合によっては美術館もやってしまおうと思ってます。それはまだ決まったわけではないので、その時の模様でやるつもりです。
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箱根の美術館は大抵見たでしょうが、今月の二十五、六、七日に信者さんに先に見せようと思って今準備してます。やっぱり神様がやっているから浮世絵のいろいろな良い物でもチャンとうまい工合に出すだけの物が充分集まりつつあります。なかなか良い物が集まって来ました。それも桃山時代から現代までの物です。私は知らなかったが、現代と言っても、戦後はあまり無いが、昭和の初め頃にも版画で良い物があるのです。伊東深水(イトウシンスイ)の物で、実に良い物があります。そういう物を見ると、最近でもこんな良い物が出来るかと、実にびっくりします。
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五月十七日
熱海はいよいよ今日限りで、明日箱根に移る事になりました。箱根の美術館は別館も出来上がったので、今年は特に楽しみに思ってます。思ったよりも非常に良くなりました。別館が出来、橋が出来たりして、あの附近が非常に良くなりました。外国の古美術展をやり、浮世絵の展覧会も今月の二十五、六、七日の時までにすっかり出来上がる事になりますから、楽しみにしてよいと思います。それまでにすっかり完成して、二十五、六、七日は信者さんに見せて、二十八、九、三十日は特殊な人の、要するに内見というわけです。そうして六月一日から一般に見せるという事になっております。浮世絵の方も思ったより良い物が集まって、そういった趣味のある人も相当感心するだろうと思ってます。博物館からも版画を四十点ばかり借りる事になりましたし、エジプト、ギリシャ、ペルシャ、インドという海外古美術品も大分珍らしい物が集まりました。これは神様がやっているのだから、こっちが予期しない物がチョイチョイはいつて来るのです。ですから探したりいろいろ考えたりする必要はないから非常に楽なのです。
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再浄化についてですが、折角なおって非常に喜んでいるのに、今度は再浄化で、マカリ間違うと命までやられるのです。これは何とかしなければいけないというわけですが、これは大体分ってます。その原因は言いにくいものですから、今まで言わなかったのです。しかしそんな事は言って居られないので本当の事を知らせようと思って書いたので、今読ませます。
御論文〔⇒信仰の合理性と再浄化〕【註 栄光二一○号】
ですから再浄化もあるにはありますが、最初の病気よりも軽く済むわけなのです。一番最初浄霊を受ける時が一番重くて、それが一旦なおるという事は、それだけ一番大きな峠を越えたわけです。若しその次に再浄化が起こるとすると、最初より幾分か軽くなるのが当り前です。ところが軽くならないというところに人間の間違いがあるわけです。それは借金があるからなのです。なにしろ医学迷信で固まっているのですから。よくお蔭話にありますが、一旦良くなって、その次に自分が又悪くなるとか家族の者が悪くなる、そうするとお医者の方に行くのです。そうして散々やられているうちに悪くなって、二進も三進も行かなくなって、これはやっぱり救世教に行かなければならないと、そこで初めて分って、神様の方でなければならないという事が分るのです。そういう人が随分あります。これはつまり医学迷信が如何に人間の心をとらえてしまったかというわけです。だからこの点なかなか難かしいです。なにしろこっちは全然今までと反対の意味ですから、何百年も教育されたそれを一朝にして覆(クツガ)えすのですから大変なわけで、それだけ骨が折れるわけです。その代り覆えすだけの力を現すのですから、大変と言えば大変ですが、訳ないと言えば訳ないというわけです。実に今までに例のない事ですから、不思議なような当り前のような、その点なかなか変なようなものです。
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今ハワイの方は非常に成績が良くて、物凄いのです。今樋口さんと安食さんの二人でやってますが、あんまり忙がしいので可哀想なくらいです。これが他の仕事ですと、あのくらい忙がしいと参ってしまうでしょうが、こっちの方は幾ら無理をしても別に悪くないという事と、それに神様の御守護があるから、こたえないで頑張って通せるのです。
御論文〔⇒病人氾濫の布哇〕【註 栄光二一一号】
樋口さんの方は今度の栄光に出ますから、それを読めば分りますが、安食さんの報告もちょっと面白いですから読ませます。
(ハワイ通信 その四)【註 栄光二一○号】
アメリカの方はなかなか簡単に行かない点があります。ですから「アメリカを救う」の本も、だしぬけに出すという事は考えものだそうです。というのはアメリカの医学界では、宗教の方で医学にはいる事を非常に警戒しているのです。という事は科学以外に病気をなおす方法はないと思い込んでいるわけです。ですから宗教で医学に関する何かを言っても取上げないばかりか、やはり一つの迷信のようにして排撃するという空気が濃いのです。それから又宗教と言えばほとんどカトリックです。この方ではキリスト教以外の宗教は全部邪教だという事になってます。おまけに日本の新宗教などが来ると“とんでもない宗教がはいって来る、こんなものに迷わされてはいけない”という事になって、どんな事をして戸閉めをくわすかも知れない危険がありますから、その点を余程慎重にやらないと危ぶないので、アメリカの方はその形勢を見ながら徐々にやるつもりです。ところが神様は百も承知してますから、無理に広めようとしなくても、チャンとたやすく広まるような状態を作るわけです。それには、仮りにハワイが非常に発展すると、ハワイの人口が八、九十万でそのうち約半分が日本人ですが、今ハワイでの入信者は日本人の一世二世、それから中国人、朝鮮人、アメリカインディアンなどの黒人も大分あるようです。それからポルトガル人、メキシコ人が混じってます。アメリカ人にはまだ無いようです。とに角アメリカ人は、東洋人というのは自分達よりも劣等の民族だという先入観があるのだろうと思います。ですからアメリカ医学以上のものが東洋人あたりから出る訳がないと、やっぱり一種の迷信とかオマジナイというように軽蔑しているのだろうと思います。しかしこれも事実を見たら仕方がないですから、いずれははいって来ると思いますが、少くともハワイの人口の半分くらいが救世教信者になれば、これは大問題になりますから、それをアメリカの方で見ると、これは只事ではないというので、研究するとか調査するという事になり、或いは向うの新聞雑誌にも出るでしょうが、そういうように知れ始めたら大変なもので“では試してみよう”という事になって、一ぺんに拡がりますから、それまでの事だろうと思います。そうするとアメリカのいろいろな障碍はへでもありません。アメリカの民衆が良いとなると、向うは民主主義の親玉ですから、それこそ政府も何もないです。そういう順序になるのが一番良いですから、そういうようになるだろうと思います。それも案外早く来るのではないかと思います。というのはハワイの発展の仕方というのが、今読んだとおりですから、この勢いで行くと割合に思ったより早いです。一番良い事は、日本と違って実に素直なのです。病人がなおれば、なおったままを見て信ずるのです。しかもハワイの人間は米国と同じように一人残らず手術をしており、大抵な人は盲腸をとり、扁桃腺をとって居て、中には今もあったように、何年間もの腎臓結石が手術直前に一度の浄霊で白い小便が沢山に出て一日でなおってしまったというのがあります。あらゆる手術をしてそうして後を強い薬で固めてあります。浄霊だと非常になおりが良いのです。奇蹟が非常に起こるから、そこで日本と違って発展が早いだろうと思います。これはもっと深い所に理由があるのですが、これも知っているとよいです。それは日本人が病気は一番なおりにくいのです。これは霊的に言って日本人が一番上等に出来ているのです。という事は霊力の効きが悪いのです。人種の低いほどなおるのです。これをもっと分りやすく言うと、犬や猫、馬という動物は人間よりもなおりよいのです。ですから上等の人間になるほどなおりが遅いのです。これは私は今まであんまり言いませんでした。下手に言うと、講和以前だと日本民族の優秀性という事はアメリカで一番怖がっていたからです。そういう点もあります。だから向うでも黒人というのは非常になおりがよいのです。それから支那人、朝鮮人などもなおりがよいです。そういうわけですから向うの方が楽です。それから又今まで日本はいろんな宗教とか治療とかお灸とか、いろいろありますが、それが本物でなくみんないい加減なものですから、そこでこのために非常に警戒します。それから救世教で非常に病気がなおったと言っても、いやそれは何か神経でなおったのだ、救世教では何かうまい事を言って精神的にとられてしまって、それでなおったのだと思うのです。現に精神的救いだと言ってます。中には医者が肉体的になおし、宗教が精神的になおすのだ、これで行くのが理想的だと言うのが随分あります。そういうようで宗教に対する警戒心、丸のみにしないという点において日本は非常に難かしいです。だからなおって居ながら、なおった事実を信用するよりか疑うのです。なおるというのは不思議だ、何か外に訳があるのだ、というインチキ的な詐術的な方に考えを持って行くのです。だから日本で広めるという事は非常に難かしいのです。ところがハワイの方は全然そういう事はなく、実に素直に受け入れるのです。ですから今読んだように発展が素晴らしいのです。大本教のお筆先に“燈台下は真暗がり、遠国より解りて来るぞよ”というのがありますが、ちょうどそれに当て嵌まるわけです。そういうようでなかなか面白くなって来ました。
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それから話は違いますが、熱海の地上天国の会館が出来る晴々台の石垣の所に捨てた土がウンと溜まって、それを今片付けるために、低い所の大きな溝みたいな所に埋めてますが、最近行ってみると、その埋めた土で素晴らしい地所が出来てしまったのです。とに角平な所が千坪以上はあります。本当言うと、土の捨場というのが大変なのです。ですから土の捨場を金を出して捨てる事があるくらいです。ですからその低い所が捨場によかったのです。そうして立派な地所が出来てしまったのですから、一石二鳥です。そこで、神様があそこにそういう地所をこしらえるという事は何か訳がなければならないと思ったら、それは会館が出来上がって椅子席が千八百くらいしかないのです。そこで会館が出来てからになると信者が増えます。お祭という時には現在ですら制限しているのですから、できるだけ制限しないでみんな参拝させたいので、そうすれば大変な数になります。そこで廻りに立つとして結局三千くらいです。それから廻りのコンクリートの上に立っても二千くらいでしよう。或いはもう少しかも知れないが、とに角五、六千しか収容できないので、それではとても足りないのです。ですから一万として、あと五千くらい収容できるような場所が要るわけです。そこで今出来た地所がちょうどよいのです。此処にテントでも張って簡単な椅子でもおけば充分間に合いますから、一万は収容できます。そうすると今のところは心配はありません。私の話はマイクをつければ聞けますし、私が出張って、高い所から皆さんに面会する事もできますから、人員の増える点はその地所によって解決されます。やはり神様は実に用意周到だという事が分ります。ところがわざわざそういう地所を見つける心配をしなくても、気がつかずに、ただ土を捨てていってそういうのが出来てしまったのですから、さすがは神様です。それに又別な眺があって非常に景色がよいです。行って見れば分ります。ですから値打から言っても大変なものです。算盤的に言っては甚だいやしいですが、とに角評価としても坪五千円くらいはありますから、千坪として五百万円になります。或いは千坪以上になりましょう。それが土を捨てて思いもつかないものが出来てしまったのですから、全く大変な値打が浮いてしまったのです。何時もそうですが、今度の地所などには実にどうも驚いたのです。それで其処に立って見ますと石垣がずっと長く見えて実に壮観です。石垣を見るのだけでも相当な見物(ミモノ)になります。この石垣の石も大変なものです。それでみんなあそこから出た物ですが、この値打も、新規にやるとしても一億以上になるでしょう。今一箇で、運賃や何かを入れて二百円くらいはかかるでしょう。最初のうちで、運賃が一箇二十円で、百二十円くらいでしたから、今では二百円くらいになっているでしょう。それがあそこから出るのですから大変なものです。
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五月二十五日
美術館の別館も出来て、やっと神仙郷が完成したわけです。非常に順調に予定どおり出来て、そうして陳列する物もいろいろな種類を、神様はうまく集めてくれるのです。面白いのは浮世絵の屏風ですが、屏風は私の気に入った物が無いのです。よくある細かい絵のは私の所にもありますが、大きいのは無いのです。美人の大きい姿のを是非欲しいと思ったのです。それがつい一週間ばかり前に京都に仏像を見に行った人が、思いもつかず、肝腎な仏像と支那陶器の方は全然駄目で、浮世絵の屏風を見たところが、私が何時も言っているのを側で聞いているので、それに丁度よいというので、早速一つは買う約束をして、一つは急ぐので借りる約束をして、すぐ送るようにしたのです。それが昨日着いたので、昨夜陳列したのです。今日の二十五日からの信者さんのに間に合わせようと思ったところが、それに間に合ったのです。これはなかなか無い物で寛文美人と言って桃山時代の物です。ですからおあつらえ向きの物です。それが昨日二つとも京都から汽車で届いたのですから、実にきっちりと、うまく行ったわけです。他の物は今までに集まりましたが、その二つだけは、とても良い物で、滅多に手にはいらない物です。それが一日も違わないで来たという事は奇蹟と言えば奇蹟です。見れば分ります。私は浮世絵展をやるという考えはなかったのですが、去年の美術館の始まる頃は、掛物で掛けてあるのは五、六点しかなかったですが、今年の春頃になってから急に名品がはいって来たので、これは神様が浮世絵展をやれというのだろうと思ったのです。尤もいずれ別館はいろんな催し物のために造らなければならないとは思って居ました。ところが浮世絵が集まってくるので、これだなと思っていたところが、一応あらゆる種類を網羅したようになったのです。見れば分りますが、普通なら何年も何十年も心掛けなければ集まらないような物が集まって来てます。どうして集まったかと、皆びっくりして不思議に思ってます。それからエジプト、ギリシャ、ペルシャなどの物も去年の暮から今年の春に集まって来たのですがこれがなかなか無い物なのです。それが丁度一室並べても、まだ余るくらいに集まって来たのです。それでこれも神様がやれという訳だと思ってやりました。やはり美術館も御神業の一つの型になっているわけです。最初は東洋的の美術品、それから西洋の美術品というような工合で、御神業の発展もそういう順序になるわけで、やはり美術館が型になるわけです。美術館というのは天国のシンボルです。そういうようで非常に面白いと思ってます。それで大体美術館というもののやり方やいろいろ分りました。これはいずれ熱海に造る美術館の一つの見本のような考えでやったのですが案外よく出来たので、そういう安直な考えでなく、チャンと調ったものをこしらえたと見られるのです。二、三日前も、毎日新聞と東京日日新聞との幹部と専門の社員が両方で十人ばかり来ましたが、驚いてました。とに角日本でこれだけの優秀品を集めてある所は外にないと非常に褒めてましたが、それが瞬(マタタ)く間に出来てしまったのです。今報知新聞に谷川徹三さんの記事が続いて出てますが、世間では数十年かかる、少なくとも三十年はかかるというのに、それが僅か数年で出来たという事は実に驚くべき事だ、と書いてますが、正味から言えば三年くらいですから、それでこれだけのものが出来るという事は実に驚異です。これを見ても神様が万事やられている事がよく分ります。私はこういう物をこういうように集めるという事は、さっきの屏風だけは別ですが、他の物は計画や希望を持った事はないのです。そうして必要な物だけは自然に集まってくるのです。ですから非常に楽です。ただ方々からいろいろ集まってくるのを受け取って並べるという役目をさせられているようなものです。万事がそうです。それで今度別館が出来て、周囲の庭の工合なども、素晴らしいものだと皆驚いてますが、地形でも庭でも、高低でも前からそういうように出来ているのです。だから実に簡単なのです。普通ならいろいろな技師だとか専門家が首をひねって苦心惨憺しなければならないのが、私は全然そういう事はないので、ほとんど行き当りバッタリで、その時にフッと浮んだとおりをやっていて、余程前から計画していたように出来るのです。むしろ私のは、いろんな地形だとか道とかが自然に出来ているのです。美術館が出来たためも幾らかはありますが、今度駅から早雲山までコンクリートの道路を造るという計画が始まって、これは電鉄とか旅館業者というような人達が計画したのですが、教団の方も大いに賛成して、大体電鉄、旅館、教団と、この三つが主になって金を出すし、いろいろな計画に参加し、美術館の所だけは始めましたが、今月の二十八日に上の方から工事に着手するはずです。そうすると駅から早雲山まで自動車でズーッと行けるようになります。そうなると、ケーブルもよいですが、やはり時間がありますから待たなければならないし、又途中で停車をしなければならないとなると、自動車の方は一ぺんに行きますから、又便利です。その通り道が丁度美術館の所を通る事になります。それであそこが強羅の銀座通りという事になります。ですから日光殿の方の道は裏通りになるわけです。そういうような事も神様の方では前からチャンとそういう段取りをつけてあるわけです。ですから地価が一度に上がって、あの辺は坪二、三千円するようです。美術館の隣の渋井さんの所などは大変な値上がりをしてます。あれは私が買わせたのですが、全部で七百坪かあります。今の相場で坪二千円としても百四、五十万円以上二百万円近くするでしょう。そういうようで昔からある今までの宗教でこういう宗教はありません。弘法大師が高野山に、日蓮上人が池上をやり、当時山の中を探してあれだけのものを作るのを、教祖が亡くなって何百年もたってからああいうようになったのです。ところが救世教は私が生きているうちに、まだまだどんな大きなものが出来るか分らないという事を比べたら大変な違いです。だからこれからもいろんな発展や、いろんな事が素晴らしいスピードで目覚ましいものが出来るのです。今度の箱根の美術館も、外国の方に大分知れて来て、今年は外人も随分来るだろうと思います。それから日本にも大分知れつつあって、六月一日から浮世絵展をやりますが、今月でも観覧者が大分多くて去年の何倍か来てます。ですから浮世絵展が始まったら大分来るだろうと思います。そこにもっていって毎日新聞あたりが宣伝すれば、これは又非常な効果があります。世の中に非常に知れると思います。しかしもう大分知れて来たようで、そういう事はあなた方も感じるでしょう。全国的にとに角素晴らしいものだという事が知れて来たのは確かです。熱海の方は去年の暮か再来年あたりに多分出来上がるだろうと思いますが、これはこっちの約三倍くらいの大きさです。これが出来たら目覚ましいものです。こっちの美術館はこれでは狭くて品物が並べきれないのです。それでこういう事を知っている人は、あんまり良い物が多過ぎるので草臥(クタビ)れてしようがないから、もっと少なくしてもらいたいと言ってますが、一般の人はそうでもないでしょう。なにしろ狭いので、今度熱海の方に出来ればゆっくりと見られるようにします。それから交通の便利から凡てが大したものだろうと思います。美術館の話はこのくらいにしておきます。
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ケーブルの向う側に、今山を手に入れてあります。ずっと先の事になりますが、此処に本当の本山をこしらえます。日光殿は前にも言ったとおり仮(カリ)ですから、本当の持場(ジバ)と言いますかそういうようなものを造る計画があって土地を買ってあります。だんだんに基礎ぐらいを近々に着手しようと思ってます。これも以前に非常に安く、最初五千坪買ったのでしたが、今では十倍くらいになって千五百円からもっとします。こっちは金儲けが目的とすると随分儲けたわけです。そういうようで、神様の事はもっと先の事までいろんな計画はあり分ってますが、あんまり先の事まで知る必要はないし、人間はあんまり先の事まで知らない方がよいのですから、このくらいの話で止どめておきます。
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それから毎年朝日新聞で米作の日本一を募集してますが、今年は自信のある人は是非出品した方がよいです。去年の一等は十五俵三斗三升二合でした。この人は香川県の大川義則と言う人ですが、そこに聞きに行ったところが、あれは硫安のような物をウンと入れたのだそうです。そうすると一年だけはとても良く出来るそうです。ところが来年になるとガッタリ落ちて駄目になるそうですから、どうしても三年か五年くらい続けた平均点をとらなければ本当の意味がないという事を今度の栄光に書きました。そういう一年限りのものではスポーツのようなもので、競技に勝つというだけだから実際の意味はないわけです。ところでこっちの方の去年の自然農法での一番は十八俵です。しかしこの十八俵は他のと混じったのです。何でも三カ所ぐらいの水田を混ぜてやったので、そのうちの推定で一番多いのが十八俵で、平均するともっと少ない田もありますから、そこのところがちょっと正確を欠いてますが、とに角十七、八俵はとれてます。そうすると去年の一等を追い抜いてますから、今年は驚くべき結果が出るだろうと思います。ですから自信のある人は是非出品してもらいたいと思います。これで一等になると、日本中に自然農法の素晴らしい事が分るから非常によいです。朝日新聞に広告が出てますから読ませます。
(五月二十一日付朝日新聞神奈川版掲載の記事)
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それから最近こういう事がありました。ちょっと気のつかない事で重大な間違いがあります。それを読ませます。
御論文〔⇒信仰の合理性について〕 【註 栄光二一三号】
これは栄光に出すから個人的秘密という事は書いてありませんが、個人的の間違いというものも大変悪いのです。それは二人子供があって、三人目を姙娠した時に医者に行って人工中絶をしたのです。それはどういう理由かというと、まだ子供にお乳を飲ましている時に後の子供が出来ては、お乳を飲ましている子供に非常に悪影響が行く、だから出してしまった方がよいと誰かに言われたのを信じてやったのです。信者としてそんな出鱈目な事をしたという事はなってないです。その罪もあるのです。一つの罪ですから、余程御詫びしなければなりません。何の罪かというと子殺しの殺人の罪です。その事は言ってやりました。それからその人の信仰も全然なってないし、それを指導すべきその支部長なりがボケているわけです。この個人的秘密の方は滅多にありませんが、今の病気の時に一々支部長を煩わせるという事が大変な間違いだという事を知らしたのです。大体自分の家族は自分が浄霊する以上、他人を浄霊して信者にするという事が本当ですから、小児麻痺というようなのなら支部長とか古い幹部に頼むという事もありますが、肺炎くらいは放っておいてもなおるくらいのものです。それを支部長を煩わせるという事は、一度か二度ならまだしも、今年の二月から五カ月も支部長が行くという事は、支部長もどうかしているし、片方も信者になってから二年くらいたっているのですが、どうかしてます。これではしようがないので、うまくなおるはずがありません。だから浄霊者も、風邪引きとか腹下しくらいは何でもないが、少しグズグズしてなおらないという事は必ず何かがあるのですから、それを発見して御詫びをするのです。御詫びをすると、それだけで浄霊しなくてもなおってしまいます。そういう事で出鱈目な事が案外多いのです。それでこういう注意を書いたのです。そういう事に気がつくという事も、その人の智慧正覚が進んでいれば直ぐ気がつきます。つまり智慧正覚でそういう急所を発見しないと無駄な事をし、骨折って結果が悪いという事になります。そういう場合ちょっとした事でも、それが非常に影響するのです。ついでに話しますが、以前或る人で、支部長ではあるが将来中教会長になりそうな支部長で、その人は肺病か何かがなおって入信したのです。再浄化が起こって、それも大した難かしいものではありませんが、あんまり酷いから私も助けてやろうと思ってしてやりましたが、その時叔父さんか何かが持っている支那陶器を、お気に入るか入らない物か見ていただきたいと言うのです。しかし腹の中ではどうも買ってもらいたいかで、スーッとした話ではないのです。それで、見たところが良い物ではないので、値打にして二、三万くらいな物です。金を出して買うのはいやだが、貰うのなら貰ってもよいというくらいの物です。それを言ったところが、ではと言って叔父さんの所に持って帰ったのです。本当の誠があれば、それでも是非差し上げたいと言うのが本当ですが、それを神様を陶器の鑑定家扱いにしてしまったのです。私はそれでこれはいけないと思ったのです。この一点で全然駄目です。明主様がお気に入った物なら是非差し上げるというのが本当ですが、そういう態度ではないのです。それから少しやってやりましたが、だんだん悪くなって、その事がありますから、これはいけないと話してやりましたが、死んでしまいました。そういうようで、ちょっとした事でその人の想念と信仰の程度というものが分ります。この想念というものは徹底しなければなりません。そこにちょっとでも曇りのようなものがあってはお蔭はいただけません。それも半年や一年ではそこまで行きませんが、もう何年もやっていてそこまで徹底しないというのはいけません。今の話も、支部長なり中教会長なりがそういった理窟が分っていないというところに、工合の悪い面白くないところがあります。とに角病気をなおすとか、その人を救うという事は、ただその人を健康にするだけではないのです。健康にすると共に立派な人間にするという事が最後の目的ですから、ただ体が丈夫になって働くというだけでは人類は救えません。つまり霊肉共に健康な人間にしなければならないという事が根本です。
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五月二十六日
美術館は大抵見られたでしょうが、あなた方も驚いた事と思います。とに角去年の今頃は浮世絵の掛物が五、六幅くらいあったようなもので、あとはほとんど無かったのです。それがまだ一年たつかたたないうちにあれだけの物がポカポカと集まってしまったのです。今度毎日新聞と東京日日新聞で後援する事になったので、四、五日前に両方の新聞社から十人ばかり来ましたが、その人達が浮世絵のコレクションとしては日本一だろうと言ってました。これだけ良い物が集まった所はないと言うのです。それが早く集まってしまったのですから実に人間業ではありません。手際の良い事はさすがに神様のやる事だと思って、私が感心しているのです。べつに、どういう物を探すとか頼むとかしたのではないので、道具屋が手にはいり次第に持って来るのですから至極楽です。ただ待って居ればよいのです。だから人間業でない事はよく分ります。本館の方のエジプト、ギリシャ、ペルシャなどの品物もなかなか無い物です。これは持っている人でも、一人でやっと二つか三つくらいのもので、そういう美術品は専門の道具屋というのがないのです。あんまり扱わないのです。それが変な所からヒョイヒョイとはいって来るのです。私はそういう計画は全然なかったが、次々にはいって来るので、これは神様が今度は美術館にこれを並べろというのだなと思って、ああいうようになったのです。それで集まってみると一室にはいりきれないくらいです。今度の別館が出来て、あの辺の流れと言い、橋と言い、木の工合と言い、今度上の方に橋がかかって、そういう地形もまるで初めから計画的にやったような工合に出来てしまったのですが、ああいうものは私はべつに計画的にやるわけではないので、気がついたその都度にヒョイヒョイとやっているので、甚だ楽なので、私から言えば何でもないわけです。ところが普通の目で見ると、ああいうように出来るのはやっぱり余程苦心惨憺して、頭を煩わしたというように見られますが、私の方はそんな事はないので、一つ出来るとその次という工合に考えも何もしないので、その都度行き当りバッタリみたいにして出来てしまうのです。ところが今までは、個人の美術館もありますが、成金とか財閥という人達が一生かかってやっと造ったのです。尤も目的は違います。今までの人は財産保護とか、一生のうちの記念とか、或いは家の誇りとか、そして自分が楽しむために集めた物を特殊な人に見せたいというくらいの、どっちかというと個人的考えの方が多分にあったのです。ところが私は、そういった物を私蔵しておくという事は嘘で、やはり多くの人に楽しませるというのが本当ですから、そういう目的でやったのです。ところが世間にあるのは一生涯かかってやっと造つたようなものですが、私の方は僅か数年で、正味三年か四年でフワフワとしたように出来てしまったのです。そこにやはり神様がやられる事と人間のやる事との違いさがあるのです。つまりこう(御浄霊)やって病気がなおるのと同じ事です。そういうわけで、今日見られるでしょうが、浮世絵などもそういった専門の道具屋が持って来るので、私もびっくりしてます。こういう物が浮世絵にあったかと思う物があります。それは現代の浮世絵もありますが、深水とか、名前を違えてかいてありますが、山村耕花のも大分あります。それから岩田専太郎という、私は全然聞いた事がないもので、今でもこんな物が出来るかと、昔とは違った味があります。その他役者の物で清忠とか、素晴らしい物が来てますが、それは今度の陳列変えの時に出すつもりです。そういう事も全然知らないのですが、やはり神様はいろいろ多方面に並べた方がよいというので、神様が集めているわけです。肉筆などでも、私はああいう物があるという事は全然知らなかったのです。特に大奇蹟と思う事は、屏風で今までこれはという物が無かったのです。他の物は揃ったが、屏風だけは満足ができなかったのです。というのは六曲の屏風で大きな人物のが是非欲しいと思ったのですが、それが無いのです。どうも細かい物で、側に行って見なければ分らないような物が多いのです。大きい寛文美人と言って、寛政、文化、文政時代の美人が、浮世絵では素晴らしくて一番良いのです。それで神様がどういう訳かな、おかしいと思っていたのですが、この間仏像と支那陶器の専門の人が京都に行って、浮世絵の屏風を二つ見かけたのです。それで私が不断から話しているのにピッタリ合うので、一つは値段を聞いて買う約束をし、一つは至急に要るから貸してくれと言って借りて来たのです。若し買わなければ借り賃を出すからと、損料で借りて来たのです。それがあの二つです。大きい美人が踊っているのが画いてあるあれなのです。私はああいう物が欲しかったのです。やはり桃山から徳川初期あたりの女の風俗というものが一番良いです。その時分の特別の、着物の模様から、踊りの姿からが何とも言えない良さがあります。それが丁度あれになるわけです。ところが信者さんに先に見せるつもりで居ましたが、一昨日京都から送った物が着いたのです。ですから一日も違わないのです。私の思うとおりの物が一日も違わずに来たわけですから、なるほど、さすがに神様だと思って、何時もながら驚いたわけです。それからその隣にあるもう一つのは、これもそれと同時に来たのです。花見鷹狩という屏風で有名な物です。日本に有名な屏風が三つあつて、その一つで重美になってます。この二つが並んだのですから申し分ありません。今まで一番困っていた屏風が丁度おあつらえ向きに二つ、しかも前の日に来たのですから、面白いと思います。そういうようで、全部奇蹟で出来るのです。だから去年見た人は分かるでしょうが、一年たつかたたないうちに、別館にしろ、あの辺の環境にしろ、景色にしろ、まるっきり変ったという事は、奇蹟に次ぐ奇蹟でほとんど神様がやっているのです。ですから私は操(アヤツ)り人形みたいなもので非常に楽なものです。そういうようなわけで、信者でない相当偉い人が来ますが皆びっくりして感心して褒めてます。浮世絵の中でも版画を四十枚ばかり博物館で出品してくれましたが、陳列変えをしなければならないので、半分だけ出してあります。その中の北斎の富嶽三十六景もなかなか手にはいらない物で。余計には無い物です。完全に三十六景纏まっているのは、今のところ日本に三つしかないのです。そのうちの一つがはいったのです。もう一つはいっているが、ちょっと面白くないので、今並んでいる方が初期に出来た物で、それにしたのです。それから広重の五十三次も滅多に無い物です。これも奇蹟的に集まったわけです。これは去年集まって、その時に話をしましたが、その時私はそういう物には趣味も関心もなかったので、浮世絵専門の道具屋が来て、浮世絵を持って来たというので、版画のような物は別に趣味はないからと言ったが、これは前から聞いているから、広重の版画の初版があったら買ってもよいと言ったのですが、明くる日にびっくりして来て、昨日広重の初版という事を伺って帰ったら、昨日持って来た人がある、実に相談したようだと言うのです。それが馬鹿に安くはいったのです。これが浮世絵の版画を買う初めです。それでその道具屋は版画専門ですが、五十三次の初版を欲しいと思って四十年前から心掛けてやっと見つかった。ところが昨日先生から広重の五十三次の初版なら買うというお話を伺って帰ったら、それが来たので、どう考えても不思議だと言うのです。そういうような事はチョイチョイあります。又兵衛の山中常盤という巻物がありますが、これは有名な物で、アメリカ人などもよく知ってます。この間アメリカ人で浮世絵の研究家という人が来て、見せたら非常に喜んで、又来るような事を言ってました。そういうようで奇蹟で出来た美術館です。いずれ熱海にも出来ますが、箱根ですら日本一だと言って非常な評判になっているのですから、熱海の方は箱根の三倍くらいの大きさになりますが、これは本当に世界一です。無論アメリカにもイギリスにも無いだけの値打のあるものが出来ます。並べる品物も、やっぱり神様がやっているのですから、べつに考えたり、いろいろ苦心して頼んだりする事はありません。さだめし素晴らしいものを造るだろうと思ってます。まるで人事のような話です。それからいずれ京都には仏教美術館を造ります。この間京都の博物館の館長が言っていたそうですが、救世教が仏教美術館を造るそうだが、弱ってしまったと言うのです。そうすると京都の博物館も太刀打ちができないと言うのです。とに角神様の方が政府に勝ったのですが、これは当り前ですが、気持が悪くない事はありません。本当言えば、政府が救世教を支配しているのでなくて、神様が政府を支配しているのですから当り前ですが、そこまでは気がつかないでしょう。美術館の話はそのくらいにしておきます。
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それからあんまり気持のよい話ではありませんが、最近子供の病人で思うようになおらないという事があり、それは根本的に間違った点があったのです。これは沢山ありますが、それに気がつかないで、よいつもりでやって成績が悪いという事がありますが、それを教えるに非常によい例ですから今読ませます。
御論文〔⇒信仰の合理性について〕 【註 栄光二一三号】
個人的間違いは秘しておくと書いてありますが、これが又大変な事なのです。二番目の子供を産んで、七カ月くらいたった時に又姙娠したのですが、そのくらいで姙娠すると前の子供が育たないという事を人から聞いて、それを信じて堕胎したのです。今は姙娠中絶という体裁(テイサイ)のよい言葉がついてますが、実は堕胎をしたのです。ですから母親に言ったのです。堕胎というのは殺人だ、我が子を殺すという子殺しの罪になるから、それも子供の病気に関係しているのだと言ってやりました。今朝か昨夜聞いたところによると、肺炎の子供は死んだそうです。ですからそれも大いに原因しているわけです。というのは神様の方では、折角与えた子供を殺すという事は、それではお前には子は要らないのだろうから、そういうのに与えた子供は、やはり召し上げるという理窟になるわけです。理窟に合わない事をすれば理窟に合わない結果になってしまいます。少なくとも信仰にはいって居ながら堕胎などをするという事は、とんでもない罪を犯したのです。それも、あとのやり方が理窟にあっていて、そうして非常に悔悟して、自分はとんでもない間違った事をしたと言って御詫びをすれば、或いは助かったかも知れないが、そういう事も支部長はあんまり言わなかったらしいので、私がそう言ったらびっくりしてました。そうすると支部長のやり方が最も間違っていたのです。それでも支部長がそれに気がついて、心から御詫びをして、父親か母親に子供の浄霊をさせるというようにすると、助からない事はなかったが、神様は厳しいのです。しかし理窟に合えば、神様は愛ですが、理窟に合わなければ神様はどうしようもないのです。神様は御利益を幾らでも与えたいのです。ところが資格がないのです。例えてみれば金銭にしても、神様は幾らでもザルなり財布なりに入れてあげたいのですが、この財布の中に汚たない物があるから入れられないのです。それを掃除すればよいのです。ですから人間の方で命を助かりたい時には、人間の方で助かる状態にすればよいのです。それをしてないから、神様の方にも規則がありますから、神様自身がその規則を外す事はできないから、助けたくても助けられないという事になります。大本教のお筆先に“お蔭は御自分でとりて下されよ”というのがあります。それで慢心と取違いを非常に戒しめてあります。至る所で“慢心取違いをして下されるなよ”というのがあります。これはよくあるが、信者になりかけの時には、オッカナびっくりでやると、よくなおるのです。ところが“もうオレは大分偉くなった”という考えでやると、あんまりよくなおらないのです。それはもう慢心だからです。ですからオッカナびっくりでやる時は神様のお気持に適うのです。それを“もうオレは大丈夫だ”というようになったら駄目なので、そこに注意する事です。これは凡てにそうですが、“もうよい”と思うと、もういけないのです。それでオッカナびっくりしているうちはうまく行くのです。これは誰でもそういう経験はあるでしよう。私などでもそういう事があります。今の話は慢心ではないので、取違いですが、“慢心と取違いに気をつけて下されよ”というのがお筆先にありますが、この二つが非常に肝腎なのです。この話はそのくらいにしておきます。
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それから「救世教奇蹟集」はもう出来たので、これから印刷にかかろうと思ってます。その結論はちょっと面白いから読ませます。
御論文〔⇒救世教奇蹟集 結論〕【註 地上天国四十九号】
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それから自然農法の話ですが、朝日新聞で毎年米の日本一を競技的に募集してます。去年一等になった人は反当り俵にして十五俵三斗三升二合です。この人は香川県の人ですが、そこに尋ねて行って聞いてみたところが、これはつまりスポーツ的に一年だけウンと穫ろうというので、いろんな肥料などを充分にやって、無理にそれだけの成績をあげたので、来年はガタ落ちがして、とても駄目だという話だったのです。そうしてみると折角朝日が骨を折っても、実際上の意味はないわけです。ですからどうしても三年とか五年を平均して沢山とれなければ駄目です。そういう意味の事を今度の栄光に出しました。ところで去年の自然農法の一番は、栄光にも出てますが約十八俵です。これは三カ所のが混じったので正確には分らなかったが、一番余計とれた所の田が十八俵という推定が混じっているのです。何斗何升とまで行かなかったのは甚だ遺憾ですが、これほど穫れるとは思わなかったから、それほど慎重にやらなかったのでしょうが、これは仕方がありません。今年は自信のある人はもっと正確に収穫をして出品した方がよいと思います。是非出品してもらいたいと思います。その事について新聞にも出てますが、その新聞の記事を読ませます。
(五月二十一日付朝日新聞神奈川版掲載の記事)
若し朝日の方で一等をとれば、自然栽培が一度に知れますから、非常に重要な事ですから、そのつもりで自信のある人は是非出すようにして下さい。
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五月二十七日
美術館は見られたでしょう。自分で言ってはおかしいが、思ったより立派に見られただろうと思います。去年の今頃はそういう計画は全然なかったのです。尤も品物も浮世絵が五、六幅くらいなもので、それが夏を過ぎた頃からバタバタと集まって来たのです。それで神様が浮世絵展をやれというのだろうと思って、それから計画し始めたのです。それから外国の古美術品は今年の春頃からポカポカと集まったのです。これは私は夢にも思わなかったのです。大体日本や中国の物は始終集めたりいろいろしてましたが、エジプトとかギリシャという物は、ほとんど見た事もないような物でしたが、それがドンドンはいって来るので、神様はこういう展覧会もやられるのだなと思って、それから見られたとおりの物が出来たのです。そういうような訳で、全然神様がやられているので、私は傀儡(カイライ)と同じ事で、まるで神様に操(アヤツ)られているのです。だから非常に楽なのです。何にも考えないのです。まあ予想はしますが、計画という事は何もしません。ぶつかり放題でやっていて、これだけのものが出来たのですから、実に面白いものです。四、五日前に毎日新聞と東京日日新聞の美術に関係した記者連が両方で十人か来ました。今度新聞にも出すでしょうが、これだけの浮世絵が集まっている所は、日本では此処が一番だろうと言っておりました。ですから僅か数カ月で日本で一番というように集まるという事は、神様の手際(テギワ)のよい事には驚きます。ですからそういう方面の専門の人なども、普通世の中の金持とか財閥という人が何十年もかかって集めた物で美術館を造る。無論公開はしませんが、定期的に僅かの間やるというようなもので、そういう美術館と比べても、此処ぐらい多方面にいろいろ集まっている所はないと思います。その点においても日本一です。ですからこれが三年や五年で出来るという事は到底考えられないと、この間も谷川徹三という人が言ってました。ですから世の中では随分不思議に思っている人が沢山あります。神様の事を知らないからそう思うのも無理はありませんが、“随分骨を折っているだろう、苦心しただろう”という事を言われますが、本当言うと苦心も何もないのですから楽なものです。フワフワとしているうちに出来てしまったのです。それでああして出来上がってみると、地形も、流れがあったり、土地の高低、廻りの環境など、まるで計画したように実によくなってます。よい加減にヒョッと浮び放題にやっていて、随分前から計画してやったように、凡ての調和の点なども実によく行ったと思います。前は薮みたいであった事を考えると、今の紅葉が植わっている苔庭は、去年の春あたりはまだ薮だったのですが、それが忽ちにしてああなったのですから、そういう事は世間にないだろうと思います。しかしよく考えれば、世界人類を救うという神様の目的ですから、こんなものは何でもない事で、朝メシ前です。お茶漬みたいなものです。しかし今までそういうように神様が力を現わした事がないから驚くわけです。それで時々私がびっくりする事があります。というのは、今まで浮世絵はいろいろ集まってよいと思ったが、ただ屏風だけは、これはという物が無かったのです。ですから私は、神様はどうしたのだろう、おかしいなと思っていたのです。それで二十五日から信者さんに見せるべく準備していたのですが、ついこの間京都の方に仏像と支那陶器専門の人が、一つの方は私はよく知っているが、値段とかそういうものの交渉をしようと言って出掛けたのですが、その目的の物は先方の事情があって話も相談もできなかったのです。ところが思いもつかず浮世絵の屏風を二つ売ってもよいという事になったのです。それで私が不断から浮世絵のしっかりした、特に人物の大きいのが欲しいと言っていたのです。屏風などは細かいのは多いが、大きいのは少ないのです。それが見付かって、二十四日に京都から送って来たのですから、一日も違わないのです。それは真中に大きなのが出てますが、その隣にあるのは花見鷹狩というので、こういうのは滅多に出ない物ですが、それが両方共二十四日に送って来たのです。それで神様はさすがに手際良くやると感心したのです。それでもう浮世絵の種類は充分調ったわけです。そういうようなわけで、実に面白いように集まるのです。それから私は浮世絵という物は、昔の物、多く徳川時代であって、近代の明治この方の浮世絵はあんまり無いと思っていたところが、別館のはいって直ぐの所に並べてありますが、そういうのがなかなかあるのです。それがつい一月くらい前からポカポカとはいって来たのでびっくりしているのです。特に深水の版画は非常に良い物で、昔の物に負けないくらいの物で随分惚れ惚れするような出来です。それから名前は変名になってますが山村耕花(ヤマムラコウカ)のも五、六枚あります。それから岩田専太郎(イワタセンタロウ)、それからまだ並べないが、近代の俳優の物で、鳥居清忠(トリイキヨタダ)のもありますが、それは素晴らしい物で、昔の写楽よりもっと出来が良いくらいな物です。これは陳列変えの時に並べます。近代の版画でも変った面白い物があります。窓際にある三枚ですが、あれは田舎に居る画家で、自分で画いて自分で版を彫ってやった物ですが、非常に面白い物です。この人の版画はアメリカには非常に好かれるそうです。それから北斎の富嶽三十六景もなかなか無い物です。偶々あっても二版三版物で、初版というのは滅多にないのです。あれは初版なのです。私はそれもべつに探したという物ではないのです。第一、北斎の富嶽三十六景は話には聞いていたが、見るのは今度が初めてというわけです。それから肉筆の中にも随分有名なのがあります。面白いのは、去年も出したが歌麿の裸体のですが、これは浅草に小林文吉というその時代の浮世絵の蒐集家が居たのですが、震災で全部焼いて、あれ一つが他所に貸していたのでそれが残ったのです。ですからあれは焼いた事になっていたのですが、去年フッと出て来たのです。そういうようで、あの品物の中には奇蹟的な物が随分あります。それから外国の骨董というのは、これは持っている人は滅多にないのです。持っていても二つか三つくらいなものです。しかもこの専門の道具屋というのがないのです。ところがあんなにあるので、どうして集まったかと皆びっくりしてます。壊れかけたカケラみたいな物はよくありますが、あんなに完備した物はほとんど無いと言ってよいです。特にあの中のエジプトで出来た王姫は、石像でこれは珍品です。なにしろ三千年くらい前の物で、作も非常によいです。外国のエジプト美術のカタログを見ても、あのくらいのはちょっと見当りません。そういうわけで、実に奇蹟美術館です。神仙郷はこれで大体出来上がったわけです。いずれ熱海の美術館は箱根より約三倍くらいのものを造る予定です。これは無論世界一は間違いありません。此処は狭いからして、大きい物は飾れないのです。仏像の大きいので飾りたいという物を予約してありますから、熱海に出来たらそれも飾れます。それから支那陶器などももっとありますが、飾りきれないのです。それでなくてさえ多過ぎる多過ぎると皆が言うのです。あんまり多いために疲れてしようがないと言うのです。この間も専門家が“他の美術館に行くとクズが沢山ある、よく見ようと思うのは僅かだからよいが、此処のはクズが無くて一品揃いだから骨が折れるから、もっと少なくしては”という事を言いますが、今度の熱海の時はそういう事を言われないように出来ますが、その代り広いから、かえって骨が折れます。今度は足まで草臥(クタビ)れます。熱海の美術館の設計は大体出来てますから、来年の暮か再来年の春あたりに出来ると思ってます。箱根の美術館も大分世間に知れて来て、観覧者もだんだん増えつつあるようです。今年は余程増えたと思います。それで外人の方にも大分知れて、今年は外人も大分来るような話です。それからもう一つは、美術館の方に道路が出来てますが、これが早雲山まで一直線に鋪装する事になってますが、これが強羅の中央道路になるわけです。ですから美術館のある所が、丁度銀座の四丁目というようになるわけです。強羅なども将来随分開け、箱根と言えば強羅というようになるだろうと思います。今日の新聞に出てますが、強羅はそうでもないが、下の方は湯が非常に少なくなって困っているというのです。大体半分くらいになったようです。湯本などの宿屋では沸かしている所があるそうです。そんなわけで箱根の中心が強羅という事になりつつあるわけです。それでこの道路が出来ると早雲山をグルッと廻って湖尻の方に行けるわけですから、近き将来箱根廻りというのは非常に便利に簡単にできるわけです。東京からも他の土地からも来る人はますます増えるだろうと思います。そうなると日帰りで充分来られる事になります。ですから美術館なども日帰りで来れるようになるとドンドン人は来ます。一晩泊りになるとどうしてもよく来ません。そういう計画でやったのです。おまけにますますバスが進歩して来るし豊富になって来るでしょう。バスの横腹を見ると、とんでもない所の名前が書いてあります。ですから美術館なども、とに角箱根の呼び物という事になるわけです。この話はそのくらいにしておきます。
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それからこの前“信仰は理窟に合わなければいけない”という事を言いましたが、それに関連した事がありましたから、その事を書きましたから今読ませますが、つまり浄霊の場合に、今まで出鱈目が多かったのです。その出鱈目では、そこに理窟に合わないと、骨を折ってそれだけの効果がないのです。それに丁度よい例がありましたから今読ませます。
御論文〔⇒信仰の合理性について〕 【註 栄光二一三号】
つまり浄霊でも出鱈目ではあんまり効かないのです。それですから私なども、不断家内などがどんなに苦しんでいても、決して向うでやってもらいたいと頼むまでは絶対にやってやらないのです。“此処が苦しいから”“此処が痛いからやっていただきたい”と言えばよいですが、人間というものは変なもので謎をかけるのです。“ああ此処が気持が悪い”とか“此処が苦しい”と言うのですが、私は知らん顔をしているのです。向うが頭を下げるまではやらないのです。それはべつに意地が悪いのでも何でもないのです。そうでなければなおりが悪いのです。一番悪いのはよく押し売りをします。“さあやってやろう”と言ってやりますが、それがいけないのです。尤も赤ん坊は別ですが、分別がある以上は先方が御願いすると言ってからでないとやっても効果がないのです。ですからそれをよく心得ておかなければならないのです。丁度何かの場合に御利益をいただきたいと神社仏閣に行って、どうかお助けいただきたいと言うのなら御利益をいただけるのです。それをその辺をボヤボヤと行ったり来たりして居れば、何をしている、と神様だって横を向かれます。というのは人間と神様の地位に高下のある事を忘れてはいけないのです。それから“なおしてやるから御礼しろ”とか、又“なおったら信仰にはいらしてもらう”というのならよいですが、“なおったら信仰にはいってやる”というのは、どっちが上だか分らない事になります。大体、なおったら御礼するという事も、今までは神様を傭って使うようなもので、賃金をやるようなものです。これだけの仕事をするから、これだけの賃金をやろう、という事では神様だって横を向かれます。そこがなかなか難かしいのです。又あんまり御利益のないのに金を上げろというのもいけない事です。前に、天理教の教師で、病気で苦しんでいる時に幾ら幾ら金を上げれば助かるという事をよく言うのです。それでその幾ら幾らを上げるのですが、なおらないで死んでしまう事がありますが、私は、それでは神様がやっているのではなくて、神様の取次者が詐欺をやっている、とよく言った事がありますが、これは御利益があって本当に有難いという感謝の気持で上げるのが本当の事で、受け売り仕事でさせるのはいけないのです。しかし又、それだけの御利益があり、命まで助けてもらいながら、それを忘れたり、余計なつまらない金にはウンと使って、御礼の方には少しばかり上げるという事も理窟に合いません。ですからこの前も言ったとおり、理窟に合わなければいけないという事です。ですから今の支部長に浄霊をやってもらうという事も、全然いけない事ではないのですが、それはごく苦しい時とか、病気が分らない時は支部長に聞いて浄霊してもらえばよいですが、そうでなくて自分でやればよいのを支部長の手数をかけるというのは間違っています。それも病気によっていろいろありますが、肺炎というのは放ったらかしておいてもなおるくらいですから、父親か母親がやればそれで結構なおるのです。それを早いうちから支部長に頼むとなおりが悪いのです。かえって父親や母親がやる方がより早くなおります。というのは、支部長というものは多くの人を助け、御神業を発展させるという事の考えで居るべきであって、そこが外れているから、骨折りながらうまく行かないというわけです。ですからただ無茶苦茶に浄霊してもいけないので、そこに筋が立たなければいけないのです。“神は順序なり”と言うから、その筋を立ててやれば割合楽になおるのです。そういう事は今まで割合に話しませんから、そういう間違った事が起こるわけです。これは肝腎な事ですから今話したわけです。
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それから「救世教奇蹟集」はすっかり出来上がったので、これから出版にかかりますが、これは素晴らしいものです。教修を受けた人は必ずこれを一冊は持っているようにしなければならないものです。今までの奇蹟で、ごく素晴らしいものを選り抜いて載せてあるし、その説明もしてありますから、未信者に見せるには一番刺戟するわけです。だから将来これは二十世紀のバイブルになります。その結論はちょっと面白いですから読ませます。
御論文〔⇒救世教奇蹟集 結論〕【註 地上天国四十九号】
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それから朝日新聞で毎年募集している全国の米の多収穫で、去年の一等は俵にして十五俵三斗三升二合でした。ところがそれをよく調べたところが、無理に一年の収穫を得るためにいろんな肥料をウンと使って、丁度麻薬と同じ事ですから、ばかに威勢よくさせたようなもので、来年はガタ落ちだそうです。これは尋ねて行った本人から聞いたのですから間違いありません。そうするとただ競技のための増収ですから実際としては意味がありません。だからどうしても三年か五年の平均をとって立派な収穫を得れば、それこそ役に立ちますが、そうでなければしようがありません。それとしても自然栽培の方ではもっと穫れます。去年の一番は十八俵ですから、今年はそれ以上穫れるに違いないから、自信のある人は是非出品した方がよいと思います。その朝日の広告を読ませます。
(五月二十一日付朝日新聞神奈川版掲載の記事)
去年の一等は香川県の人です。そこで去年の一等が十五俵三斗ですから、それ以上でなければ面白くないですから、それ以上の確信のある人は出品すればよいです。自信をもって出品できる人は余計には居ないでしょうが、しかしもう救世教の中にも自然栽培でよく出来る人は幾人かあるでしょうから、そういう人はふるって出品されなければいけません。それでこの募集で一等をとれば、それは自然栽培は一ぺんに広まります。これは一番よい機会ですから、そのつもりで大いにやってもらいたいと思います。
(教二十二号 昭和二十八年六月十五日)