伊ヱ戦争と自由主義者の錯覚

自由主義者の中には、斯ういふ説をなす者がある。それは、伊ヱ戦争に於て、伊太利軍が破竹の勢で勝利を得た事を利用して、伊太利が斯の如き勝利を得たのは科学の力である、故に、国家は科学教育を第一義とせよ、そうでないとヱチオピアになるからである、としてゐる。

何と小学生的の低級さではないか。其批判の余りの単純さはヱチオピア的の蒙昧でさへある。

然らば吾々はどう観るか。それは外でもない、自由主義国である英国の老耄(オイボレ)姿と、ファッショ伊太利の果敢な状を対照してみる、それの興味である。あれ丈経済的圧迫に抗する不屈と、そうして石油制裁に対し、奮然と地中海艦隊爆撃の豪語である。慄え上ってそれを愚図々々にして了ったのは英国ではないか。此事実は、自由主義が国家を弱体化す好モデルである。

次に仏蘭西を見よ。ナチス独逸へ対する彼の恐怖は何だ。宛(マル)でヒステリックの女ではないか。之も英国と同じく自由主義国家の末路としての好標本である。

之等の事実によって吾々日本人は、何を教へられた乎。それは寔に簡単である。世界の動向は、自由主義国家の衰滅を指してゐる事である。それと共に、非自由主義国家の抬頭のそれである。故に今日、自由主義が其華やかなりし時代を、如何に取戻さうとしても、それは、幕政を再現しよふとするよりも、至難であらふ事である。 本来、自由主義は個人主義の社会観であり、非自由主義者は全体主義の社会観である。

故に自由主義は分裂意識であり、非自由主義は協力意識であり、統制化である。 現状維持者のお題目は、自由主義だ。若し日本が、現状維持の国策を執ったら、それは第二の英仏になる事だ。東洋の盟主を放棄する事だ。然し、躍進日本は無限の発展と、強力国家たる事でなければならない。それには、自由主義の殲滅(センメツ)と共に、階級の和協と、軍民の一致と、国家の統制に由る全体主義でなくてはならない。

故に、ヱチオピア云々の論理は問題にならない。それよりか、英国たらんとする自由主義の其危険である。認識其ものだ。そうしてそれを排撃するそれが、論理として残る問題であらふ、と吾々は観るのである。

(昭和十一年五月三日)