私が多くの肺患者を診査するに於て、実に驚くべき事を発見するのである。それは、拾人中九人迄は肺に異常が無いのである。而も、帝大、慶大、赤十字等の大病院の診断が、それであるに於て実に看過出来ない社会国家の大問題であると思ふのである。然らば、何故に其様な誤診が多いかを述べてみよふ。
先づ今日、肺患者を診査するに於て、残らずと言ひ度い程同一の症状である。それは、微熱と咳嗽と喀痰、血痰、喀血、不消化、下痢、盗汗等である。
そうして、夫等病症発生の原因は、何れにあるかを詳細に探査してみると、第一の微熱は、全然肺からではない。左右頸部の淋巴腺及び肺尖の上表、即ち頸部の付根から、肩胛部附近又は、背部へかけての膿の溜結からである。それで、最初其部へ掌を宛つれば、特に熱いので発熱の根拠が明白に判るのである。
そして、熱のある部分には必ず大小グリグリ状の溜結を発見する。随而、其溜結を本療法によって溶解すればするに従って解熱し、病状は軽快に向ふのである。此際何等肺の治療は為さないに不拘、軽快するに見て、全然肺とは関係の無い事を知るのである。
次は、肋骨の一枚一枚、多くは乳の附近であるが、之を指頭にて圧すれば、可成強い痛みを感ずるのであって、之は肋骨膜に膿が溜結してゐる證拠である。而も例外なく、此部に顕著な発熱があるので、非常に肺患と誤られ易いのである。即ちレントゲン写真には、疾患状に写り、聴診器にはラッセルが聴えるからである。
然し、之は決して肺とは関係が無いのであって、即ち肋骨より外部即ち皮下であるから、指頭に明かに触れるのに見て明かである。故に、之を解溶するに従ひ、熱は去り、痛苦は消失するのである。又、医家によっては、之を乾性肋膜と診断するが、之も大なる誤謬である。
次は咳嗽であるが、之も驚くべき大誤謬がある。それは、肺患が原因で出るのは、殆んど無いのであって、其大方が喘息である。喘息の原因が、医学では気管の疾患としてゐるが、之も誤りである。実際は横隔膜の下部、即ち臍部両側から上方へかけての膿の溜結の為である。此部を指頭で圧せば必ず硬結があり、痛みを感ずるのである。(稀には無痛のものもあり)故に此膿結を解溶するに於て、患部は柔軟となり、咳嗽は消失するに見て明かである。
又、此膿結は胃を圧迫するから、不消化は免れないのと、胃薬服用による逆作用に因って、消化不良になる事と、絶対安静による胃腸の沈滞の為と、此三つの原因に由って、甚しい食欲不振となり、それが衰弱の原因となるのは当然な理である。
次に喀痰、血痰、喀血、盗汗等は、多量に排泄さるればさるる程いいのである。何となれば、喀痰は膿の解溶せるものであり、血液は決して浄血ではなく、毒血である。之は自然浄化によって、排除されなければならない毒血である。
又、盗汗は水洗法の如うなもので、熱によって解溶せる毒素を、体内の水分が洗出して、外部へ排泄するのである。故に、之等を皆悉く病素を軽減すべき、浄化作用である。にも係はらず、医療は此浄化作用を停止しやうと努むるのであるから、一時は多少の軽快をみるも、実際の結果は病気治癒の妨害になる訳である。
次に下痢の原因としては運動不足者に対し、牛乳、肉食、肝油等を摂らせる為、脂肪過剰に由って、習慣性とまでなる下痢症を、それを又、止めやふとする其為の薬剤の逆作用等に由るのである。特に殺菌の目的で服用した強烈な薬剤で、腸を傷害する事がある。それが為の下痢は、頗る頑固性である。故に、一言にして言へば、滋養物過多に因って起した下痢を、自然療法なら治癒すべき事を知らず、薬剤で治癒しやふとする。
其結果としての逆作用の為であるから、医療が下痢を発作さすとも言へるのである。但し、例外として、粟粒結核及び肺壊疽の如き、悪性疾患の末期に於ては、其膿毒に因る腸粘膜の糜爛、即ち腸結核と称するものは、先づ治癒は困難である。而もそれらは衰弱甚しい為である事は勿論である。
又、此症状は大抵喉頭結核を併発するもので、茲に至っては、先づ絶望と見るの外は無いのである。然し、是等の患者は、百人中一二人位であって、衰弱の為肉は落ち、肋骨は数えられる程にて特異症状は、喀痰の悪臭、肺部の喘音、喉頭結核に由る食物嚥下の不能、発声不能、頻繁な下痢、呼吸困難、起居不能等である。
然し乍ら、右の如き末期の症状以外の歩行に堪え得る位の肺患なら、先づ治病率は八十%は確実である。医療に於ては二十%も困難であると思ふのである。何故に、斯の如き好成績を挙げ得るやといふに、それは肺に異常が無いからである。
斯の様な、肺に異常の無い患者を、肺患と誤診する結果、第一に患者の意気を沮喪(ソソウ)させるのである。第二に薬剤の服用と注射及び動物性食餌等に於て、血液を汚濁させるから、それによる浄化力欠乏は、自然治癒力の減退となり、尚又、解熱剤に因る解熱は、病原たる膿の解溶停止となり、治癒力を弱らせる結果となるのである。
又、絶対安静は諸器能の活力を減退さすに於て、病気に対する抵抗力衰滅となる等、悉く病気治癒でなく、病気悪化となるのである。搗て加へて、誤療の為、長年月に亘るが為に、医療費の負担が経済的窮乏に陥らしめるから、それに因る精神的打撃も拍車を掛けるのは当然である。
斯く観じ来れば、現代医療は肺患防止又は撲滅に非ずして、正に肺患増加法である。噫、寔に恐るべき重大事であって、是に気付く者が今日迄一人も無かったといふ事は、不可思議以上である。
最後に附加へるべき重大事がある。それは、結核撲滅は欧米に於ては、相当の成績を挙げてゐるといふ事で、之が抑々の誤謬の出発点である。何となれは、白人種と黄色人種とは、格段の違ひさが有る事で、それは、黄色人と黒人との違ひさと同一である。
元来、各々の人種は、歴史的、伝統的に健康に適合すべき食物や方法が、何千年に亘って、自然的に形成されてゐる事で、之が実に貴重なるものである。それは、人為的に作ったものではなく自然に造られたものである。故に、それに従ふ事に依ってのみ、其国民は健康であり得るのが必然である。
それの抑々の原因としては、明治以来欧米文化を無差別的に採入れた弊からであって、今日迄其取捨選択迄に到らなかった為でもある。それが終に其時が来たのである。観よ、政治に於ては、機関説問題を生み、国体明徴となり、日本精神の高揚となり、文教の日本的革新とまでなった事は、人の知る所である。勿論、医学もそれに漏るる筈はなく、西洋直訳から一歩も抜出られなかった。
此学問にも、革新の来た事は争ふべくもないのである。それが吾人の主張と実行であり、日本的医術となって生れたのは言ふ迄もない。故に独り肺結核のみではない、乳児死亡率の世界一も、弱体児童の驚くべき数字も、根源に其誤謬と欠陥の伏在であるからで、それを発見匡正(キョウセイ)する事より他に、日本人の健康は解決さるる筈がないのである。
就中、最も寒心すべき弱体児童激増の原因は何か。それは其養育方法が、西洋式であるからである。日本の児童は、西洋人ではない、日本の児童は日本人である。然るに、直訳医学と直訳衛生は、日本人の児童を西洋人の児童と同じ養育方法を可いと信じて、それを行ってゐる。之が根本的誤謬である。
滑稽な事は、味噌汁と餅菓子は、西洋の医書には無いから、直訳医学者は之を不可としてゐる其結果、子供に牛乳を飲ませ、チョコレートやキャラメルを奨めるといふ愚かさである。故に私は大声疾呼して、弱体児童の防止は、日本的に養育せよ、と言ひたいのである。又、それと倶に、肺患の養生法は、日本人式にせよ、と言ふのである。
それによって、其効果の顕著なる事は、私が拾余年以来、実験して誤りがないのである。故に、私は曰ふ。現代医学は、西洋医学ではない、西洋人医学である。それは西洋人の健康と西洋人の肉体を基本として、研究されたものだからである。
(昭和十一年五月三日)