人間の再生には非常に遅速のあるものである。そうしてその再生の遅速は如何なる理由に由るかといふに、それは其人の意志に由るのである。例へば、死に際し現世に執着をもった者ほど早く再生するのであるが、然し、之は結果が良くないのである。何となれば、霊界なるものは、最も厳正に浄化作用の行はれるものであるから、霊界に長く居れば居る程浄化され、霊体は浄まるのである。浄まった霊体ほど再生して幸福者となるのである。此理によって早く再生する場合は、汚濁が残存してゐるから、再生の後現世に於て浄化作用が行はれなければならないからである。勿論現世の浄化作用とは、病気、貧乏、災ひ等の痛苦であるから不幸な運命を辿るといふ訳である。故に、生れ乍らにして幸不幸があるといふ事は右の理に由る事が多いのである。故に、決して幸不幸は偶然ではなく、必然である事を知らなければならない。然し乍ら、今一つの原因がある。それは死後の霊魂に対し、その遺族が誠意を以て懇ろなる法要を営むとか、又は遺族及び其子孫が人を助け慈悲を行ひ、国家社会の為に尽す等、善徳を積む事によって、祖霊の浄化作用は促進されるのである。
右の理によって、親に孝を尽すのは現世のみではなく、寧ろ死後、供養や積徳によって霊界に於ける親に孝養を尽す方が、より大きな孝行となるのである。世間よく「孝行をしたい時には親は無し」--といふが、之は全く霊界の消息を知らないからである。
又、生れながらにして畸型や不具である場合がある。それは霊界に於て、完全に浄化作用が行はれない中、再生するからである。例へていへば、高所から顛落して、手や足を折った場合、それが治り切れないうちに生れてくるから、手足が畸型であるといふ訳である。
又、早く再生する場合、本人の執着のみでなく、遺族の執着も影響するのである。世間よく愛児が死んだ場合、間もなく妊娠し生れるといふ例がよくあるが、それは全く、死んだ愛児が母親の執着によって、頗る早く再生したのである。従而、斯ういふ子供は余り幸福ではないのが普通である。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)