明日の文化

私はこれから、霊及び霊界に就て、凡ゆる方法を以て、約二十年間の研究によって得たる成果を発表しようとするのである。

元来、霊なるものは、空漠として無に等しいものである以上、今直ちに実證的に確認し得られる方法はないのであるから、勿論学問として唯物的に成立させ得る事は困難である。然し乍ら、曩にも述べた如く、停止する事を知らない科学の進歩は、学問的に、機械的に何人にも把握出来得るやうになるであらう事は信じて疑ないのである。

吾々が今日、大なる恩恵に浴しつつある現代科学と雖も、その初めは其時代の先覚者達が、夢にも等しい空想を描いた事が基礎となり、それが終に現実化し、学問的重要分野と成った事は明かな事実である。此意味によってみても、霊の存在が確認され、霊科学が学問としての重要部門を占めるやうになる事も時日の問題でしかあるまい。

例へていふならば、今日野蛮未開人に対し此空間には空気なる物質が存在するといふ事を、如何程説明しても信じないであらう事は今日の文化人に対し、霊及び霊界の存在を説明するとしても信じないであらう事と等しいと思ふのである。

然し乍ら、霊の実在を知る事によって事物を観察する時、洵によく透徹し、矛盾や撞着等の懼れのない事である。のみならず唯物的科学を批判する場合と雖も、その根源の剔出(テキシュツ)が容易である事である。此様な素晴しい力の発現はそれ自体が真理であるからである。此意味に於て、現在進みつつある世界の大転換も、其後に於ける新しく生れるであらう新文化に対しての想像もつくであらう。

然らば、大転換以後の文化とは如何なるものであらうか、それは勿論、霊的文化の発生と、その飛躍であらねばならない。そうして霊と物質との関係が或程度闡明する事によって、既成文化の躍進も亦素晴しいものがあらう。それは勿論、時は戦後であり、発生基地は、日本でなくてはならないのである。

そうして、空気が機械文明の発達によってその実体を把握し、人類に役立つものたらしめたと同様の意味に於て、今より一層機械が発達した暁、霊の実在を測定し、それを有用化するといふ事も、決して夢想ではないであらう。

ただ私は、霊と病気との関係を研究しつつ、畢に霊なるものの実体・因果関係等を知るに到ったのである。そうして、それ等は人間の病原のみではなく、森羅万象あらゆる物の変化、流転等にまで、密接な関係のある事を知り得たのである。然し乍ら此著述は、病気の解決が主である以上、大体その方針を以て説き進めるのである。

そうして、霊的科学を有用化し、人間の健康に対し、驚くべき偉力を発揮出来得るやうに大成さしたその事が、此日本医術なるもので、只だ時代より先んじた迄である。

又、霊なるものの実在を人類に知らしめる第一歩としては、霊の実体を誰の眼にも見得るやうな方法が生れなければならない。それに就て、私は一のヒントを与へようと思ふのである。先年、或本に書いてあった。西洋の霊科学者の一人が霊衣を見得る方法を発見したといふのである。それはディシャニンなる薬剤を硝子に応用すれば、霊を視得るといふのであるが、之は、充分の成果は挙げ得なかったとみえて、其後立消へになったやうである。

爰で、考慮すべき事は、写真のレンズである。西洋に於ても日本に於ても、幽霊写真なるものが、今日迄相当映写されてゐる。私も相当多数見たのであるが、真なるものと偽なるものとの両方ある事である。然るに科学者は、霊写真は全部作り物であるとなし、又、霊の研究者は、大抵真(マコト)とするやうな傾向があるが、私のみる所では、偽(ニセ)もあるが、真なるものも確かにあるのである。従而、写真のレンズは人間の肉眼よりも数倍物体映像の力即ち密度に対する敏感性を有してゐるのであるから、此理を推進めレンズの一層進歩した物が出来れば霊の映写は可能となるであらう。

右の如く、精巧なるレンズが成功するか又は新しい光線の発見があるとすれば人体に対し、今日のX光線の如き装置を以て霊視する時、霊衣及びその曇は掌を指す如く視得るであらうから、その曇を施術者より放射する光波によって解溶するといふ状態をみた時、如何なる唯物論者と雖も、霊医術の価値を信じない訳にはゆかないであらう。爰に到って初めて、霊科学は学問の一分野となるであらう。

そうして右の原理は、X光線の反対でなければならないのである。それはX光線に於ては、骨とか金属とかいふ、密度の高いもの程光線が透過せず、それが顕出するのであるが霊を浮び出すにはその逆で、物質的密度の高い程通過し、霊の密度の高いもの程捕捉顕出するといふ方法でなければならないのである。

又、右以外、写真の乾板を進歩改良させる方法である。例へていへば、今日の赤外線写真の如き、特殊の映像法の発明であって、それは現在の乾板でさへ、偶々霊が映る位であるから、左程難事ではないと思ふのである。従而、其方面の専門家諸君に対し、研究を望むものである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)