未知の世界

私は之から、未知の世界を説かふとするのである。未知の世界とは、いふ迄もなく死後の世界である。人間は如何に幸福であり、如何に健康であっても、何れは死といふ事は、絶対免れ得ない運命である事は判り切った話である。或西洋の哲人は曰った。『人間は生れると同時に、死の宣告を受けてゐる。』-と蓋し至言であらう。

昔から安心立命といふ言葉がある。然し乍ら、それは生命のある期間だけの安心立命を称へるのであるが、私の考へでは、それだけでは人間は心から満足し得らるるものではない。真の安心立命とは、死後は固より未来永劫を通じての安心立命でなくてはならないのである。

然らば、そのやうな永遠的安心立命なるものは得らるべきものであるかといふ事であるが、私は確信を以て応へるのである。それは死後の世界の存在を知る事によって可能である。勿論死後の世界とは、一度は必ず往くべき処であるが、一般人としては、人間は誰しも、現在呼吸してゐる此娑婆世界のみが人間に与へられたる世界であって、他に別の世界など在りよう筈がない--と確(カタ)く信じているのである。然るに何ぞ知らん、未知境である別の世界は、厳然として存在してゐる事である。従而、人間なるものは現世界から死後の世界即ち霊界へ往き、霊界からまた現界へ生れるといふやうに、二つの世界を交互に無窮に往来してゐるのである。

然るに、厄介な事には、霊界なるものは、人間の五感によって識る事を得ない、--虚無と同様である為信じ難いのであるが、何等かの方法によって実在を把握出来得れば信じない訳にはゆかないのである。それは私が霊と霊界の存在を確め得た--その経験を読むに於て何人と雖も或程度信じ得らるるであらうし、此事を知るに及んで、真の安心立命を得らるべき事は疑ひないのである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)