私は曩に、治病光線として霊波の文字を用ひたが、之は近時ラヂオ等で用ひる音波の文字からとったのである。人間は誰しも霊衣即ち西洋でアウルといふ一種の光波を保有してゐるのである。之は、読んで字の如く、霊体の外殻に放射してゐる白色の一種の光線であって、丁度霊衣を纒ふてゐるやうなものである。人により厚薄があって普通人は一寸位の厚さである。病人は薄く、病気が重症になるに従ひ漸次薄くなり、死の直前には全然無くなるのである。世間よく影が薄いなどといふのは、この霊衣の薄い為の感じである。
又、右と反対に健康なる者、善徳を積める者ほど厚く、英雄、偉人、聖者などは特に厚く三四尺位あるものである。又何世紀に一人といふやうな大偉人に至っては、霊衣は相当大きなものであらう。そうして一般人にあっては、其時の精神状態及び行為によって差別が生ずるのは勿論である。其訳は、善を想ひ善事を行ふ時は厚くなり、其反対である悪を想ひ悪事を行ふ時は薄くなるものである。霊衣とは大体右の如くであるが、罕(マレ)には、之を視るを得る人もあり、又普通人であっても心を潜めて凝視する時、一種の光波の存在を感知し得るものである。
そうして霊衣の厚薄は人間の運命に大関係がある事を知らねばならない。それは霊衣の厚薄によって幸不幸の運命が岐れるからである。即ち厚い程永遠の幸福を得るに反し、薄い程常に不幸であるのである。然し乍ら薄い人と雖も、偶々幸運に見舞はれる事があるが、それ等は永続性がないから、間もなく本来の不幸者となるのである。又霊衣が厚く一時幸運であっても、その幸運を利己的の具となし又は社会に害毒を流し、人を殃(ワザワ)ひするやうな行為があるとすれば霊衣は薄くなり、再び元の木阿彌となるので、斯様な例は世間少くはないのである。
右の如く、霊衣の厚薄によって、幸不幸があるといふ事は、如何なる理由であるかを説いてみよう。
先づ、何故に霊衣の厚薄があるかといふ事から解説してみるが、人間は如何なる者と雖も社会の一員とし、社会生活を営んでゐる以上、断えず何事かを想ひ、又何事かを行ひつゝあるのは今更いふ迄もないが、それ等の想念行為を、今善悪の計量器で量るとすれば、人により善悪孰れかが多いか少ないかは当然である。即ち霊衣の厚薄は善悪の量によって、そのまゝ表はれるものである。然らば、それはどういふ意味かといふと、内的と外的との二方面があって、内的は自己が善事を行ふ時善を行ったといふ満足感と、自己賞讃の想念は光を発生するので、霊体に光が増すのである。その反対に悪を思ひ悪を行ふ時は気が尤める。即ち自己叱責の想念によって、霊体に曇が増量するのである。又外的は、他人に対し善事を行った時、其人の感謝の想念は光となって霊線を伝はり、此方(コチラ)へ放射して来るので此方の霊体に光が加入し、増量するのである。その反対に怨み、憎み、嫉み等の想念は曇となって来るから曇が増量するのである。此理によって人間は善徳を行ひ、多くの人から感謝を受くべきであり、決して人を苦しめ、憎悪の念を抱かしむべき事は避けなければならないのである。
以上の理によって、曩に説いた如く左進右退即ち善主悪従は、善の量が多くなる事であり、右進左退即ち悪主善従は悪の量が多くなるといふ訳である。此意味によって大戦争が発生し、大破壊が行はれるといふ事は、悪の量が霊界に曇となって堆積された為、自然浄化作用が行はれる其為である。
世間よく急激に出世をした成功者は成金輩が、何時しか失敗したり没落したりするのは如何なる訳かといふと、自己の手腕や力量によってそうなったものと思ひ、増長慢心し、利己的独善的な行為が多くなり、国家社会の恩恵を忘れ、感謝報恩の念が乏しくなるので光よりも曇が多くなり、いつしか霊衣が薄らぎ没落するのである。又何代も続いた名家や富豪などが没落するのは、元来、社会的上位にある者は、それだけ国家社会から尊敬され優遇されてゐる以上、それに酬ゆべき善徳を施さなければならないのである。然るに、己の利害のみ考へ、利他的行為が乏しいので、曇の方が増量するから、終には形体は立派であっても、霊体は下賎者同様になってゐるから、霊主体従の法則により、遂に没落するといふ訳である。
又、霊衣の薄い程不幸や災害を受け易いものである。それはどういふ訳かといふと、一例を挙げていへば、自己が従事してゐる仕事が成績が悪く、又失敗し易いのである。それは曇の多い場合、頭脳の活動が鈍く、判断力や決断力が正鵠を欠くからである。然し是に注意すべきは、曇が多量であっても悪智慧で成功する場合があるが、それ等は一時的であって決して永続性はないのである。
又、曇の多い程、浄化作用が発生し易いから大病に罹り易いのであり、又災害を受け易いのである。例へていへば交通事故の如きは霊衣の薄い人ほど災害を蒙り、厚い人は難を免れるのである。それは電車、自動車等が衝突する場合、電車自動車の霊は、霊衣の薄い人には当るが、霊衣の厚い人には当らないからである。よくそういふ場合は、撥ね飛ばされて疵一つ受けない事があるが、それは急激に霊衣に当る場合、霊衣の弾力によってそうなるのである。
右の如くであるから、人間は善徳を積み、霊衣を厚くする事が、幸運者になり得る唯一の方法である。故に、自分は生れながらに不運であるなどと諦める必要はないのである。そうして本治療を施術の場合、施術者の霊衣の厚い者ほど治療成績が良いのである。又、多くの患者を扱へば扱ふだけ治療効果が顕著になる事である。故に、本治療士は一人でも多く患者を扱ふべきで、それはどういふ訳かといふと、本治療は卓越せる効果があるから治癒した多くの患者が感謝する。その感謝の想念が光となって、治療士の霊体に入り、霊衣は益々厚くなるので、霊波の放射が強力になるからである。
故に、本医術の根本は、術者の霊衣を厚くする事である。それは短期間の講習によって或程度霊衣が厚くなり、施術の体験を多く積むに従って増々厚くなるのである。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)
霊波と霊衣
