掻癢苦

人体に於ける痛みの苦痛は、誰も知る所であるが、掻痒の苦痛は体験者でないと判り難いであらう。実に病的掻痒苦は、痛みに劣らぬ苦しいものである。此疾患の原因としては薬毒、然毒、食餌中毒の三種であって、其中薬毒に於けるものから説いてみよう。先づ、掻痒病として、最も一般に知られてゐるものは彼の蕁麻疹(ジンマシン)である。此病気の原因の殆んどはカルシュウム注射である。此注射を行った者は必ず多少の蕁麻疹発生を見るのである。注射後早きは一年位、普通二年三年、長きは五六年を経て現はれるものである。然るに、医療は蕁麻疹を治療する場合、カルシュウム注射を行ひ、一時は多少の効果はあるが、時を経て必ず再発するのである。元来中毒的症状に対しては、その中毒の原因である薬剤を用ふるに於て、一時的効果はあるもので、彼のモヒ中毒患者が、モヒによって一時的苦痛を免れるといふ事と同様で、これは誰も知る処である。故に蕁麻疹は、薬毒が浄化作用によって、皮膚面から排除せられるのであるから、或期間苦痛に耐えて、放任しておいても治癒するものである。そうして蕁麻疹の症状は人によって種々あるが、何れも掻痒苦が伴ふから判り易いのである。又、アンチピリン中毒、或種の注射薬等に因る事もあるが何れも自然に治癒するものである。

次に、蕁麻疹に似而非(ニテヒ)なるものに、一種の発疹的病気がある。蕁麻疹の粟粒的なるに対し、之は粒状が稍々大きく、重症は豆粒大のものさへある。之は、軽症は局部的であるが重症は全身的に及ぶものもあり、掻痒苦甚しく、絶えず稀薄なる膿汁を排泄し、稀には、膿汁が局部的に集溜腫脹するものさへある。そうして経過は頗る長期間に渉り、早きは半年位より、長きは数年に及ぶものさへある。最重症患者に於ては、苦痛のあまり自殺を想ふものさへあるといふ、実に怖るべき疾患である。そうして治癒後と雖も、多くは局部的に残存し、全治する迄に数年を要するものである。 此病原は全く陰化然毒であって、真症天然痘が急性であるに対し、之は慢性天然痘ともいふべきもので、種痘の為浄化を弱められたる結果である事は勿論である。故に、重症患者の最盛期に於ける皮膚面をみれば、天然痘に酷似してゐるのである。

次に、魚類中毒に因るものに、蕁麻疹的症状がある。これは、局部又は全身的に紅潮を呈し、発熱、発疹、掻痒苦があるが、二三日で必ず治癒するのである。これ等は勿論、食餌中毒で、腸に関係があるが、之を誤って、医家はカルシュウム中毒による蕁麻疹へ対しても、原因は腸にありとなし、腸の療法を行ふが、的外れであるから、何等の効果はないのである。

(明日の医術 第二篇 昭和十七年九月二十八日)