顕幽不離

人間は死後と雖も、現世に於ける一切は其儘持続するので、死の苦痛と雖もそのまま持続するのである。これに就ての一つの実例をかいてみよう。

以前私の部下に山田某といふ青年があった。或日彼は私に向って『急に大阪へゆかなければならない事が出来たので暇を呉れ』と言ふのである。見ると彼の顔色、挙動等普通ではない。そうして彼に理由を質ねたが、その言語は曖昧で不透明な点がある。私は霊的に査(シラ)べてみようと思った。勿論其当時私は霊の研究に没頭してゐたからでもある。先づ彼を端座瞑目させて霊査法を施すや、彼は非常に苦悶の形相を表はしノタ打つのである。無論憑依霊である。私の訊問に応じて霊の答へた処は次の如きものである。『自分は山田の友人の某といふ者で、大阪の某会社に勤務中其社の専務が良からぬものの甘言を信じ、自分を馘にしたので、無念遣る方なく悲観の結果毒薬を仰いで自殺したのである。然るに自分は、自殺すれば無に帰すると想ってゐた処、無になる処か、死の刹那の苦悩が何時迄も持続してゐるので、あまりの予想外に後悔してゐる。それもこれも専務の奴が元であるから、復讐すべく山田をして殺害させようと思ひ、自分が憑依して大阪へ連れて行かうと思ったのである。』此言葉も苦悶の中から途切れ途切れに語り終った。そうして苦脳を除去してもらひたいと懇願するので私はその不心得を悟し、苦悩の払拭法を行ふや、霊は非常に楽になったと喜び、厚く謝し兇行を思ひ止る事を誓ひ去ったのである。右憑霊中山田は無我であったから、自己の喋舌(シャベ)った事は全然知らなかった。私が霊の語ったまま話すと、驚くと共に危険の一歩手前で、救はれた事を喜んだのであった。之によってみても人間は如何なる苦悩に遇ふも自殺は決して為すべからざるものである事を識るべきである。

次に霊界に於ては神界、仏界の外、天狗界、龍神界、兇党界なるものがあり、順次書いてみよう。

(天国の福音 昭和二十二年二月五日)