肺結核

中体の主要機関は、何といっても肺であります。右肺は大きく左肺は小さい。それは、心臓が左にある為で心臓は日に相応し、肺臓は月に当る事は前にお話致しました。症状としては、微熱又は高熱、咳嗽、喀啖、血啖、喀血、食欲不振、下痢、盗汗、息切、疲労、胸痛、首及び肩の凝り等であります。先づ、発熱の原因は種々ありますが、その「熱発部」としては淋巴腺及び耳下腺、頸腺、首の付根、肩部、脊部、胸部、腹部、腰部等であります。診査の際、掌を宛つれば、熱のある個所はよく判るのであります。その熱発部を指査し、特に痛む個所は水膿溜結であって、それを溶解すべく「熱の工作」が起りつゝあるのであります。胸部の熱発は、胸骨に水膿が溜結してゐる証拠であって、指圧すれば必ず痛みがあります。之等の症状の場合先づ「肺尖加答児」又は「肺門淋巴腺」といはれるのでありますが、吾々の見る所では此際肺には未だ異常はないのであります。

所謂、肺患になる迄の順序を述べてみませう。最初、浄化作用に因る水膿や毒血が頸部の周囲に滞溜しますが、それの浄化作用が風邪であって、それを繰り返しつゝ、胸部の水膿溜結に迄及ぶ、それから進んで心窩部の両側臍部辺にかけて水膿が溜結する。之が喘息の原因であって、咳嗽や息切がおこるのは勿論、喀痰も伴ふのであります。尚進んで腹膜部迄水膿溜結するのでそれが腸を圧迫し、又は水膿排除作用によって、下痢症を起すのであります。肺患の場合の咳嗽も、殆んど此喘息の為が大部分であります。尤も肺患そのものからの咳嗽もあるにはありますが、それは肺炎の予後『肺臓内に残存せる喀痰』による場合と肺壊疽、肺臓癌、粟粒結核などであります。もっとも『頸部、肩部、胸部に於ける熱発』による咳嗽などもありますが、それは軽微であります。

茲に喘息に就てお話致します。此病気は誰しも咳が出る為、気管がわるいやうに思ひますが、原因は意外にも気管ではなくて、前述の個所であります。故に、此部を指査しますと、水膿溜結がアリアリ判って、相当痛みを感ずるのであります。之を溶解するに従って、漸次、咳嗽は減少してゆくので、指圧しても無痛になった時は咳嗽も消滅した時で、昔から不治とされた喘息も、本療法によれば確実に全治するのであります。此病気は、最も治癒し難いとされておりますが、実験上先づ70パーセント位は治るのであります。

そうして、衰弱が甚しくない限り順調に治癒しますが、相当の日数即ち普通二、三ケ月から六ケ月位を要するのであります。肺壊疽、肺臓癌、粟粒結核等は、稀な病気ですが、悪質であります。初期なら全治するが、二期以上は先づ不治と見なければならないのであります。

先づ、肺結核の初期から述べてみる。之は感冒の時に述べた如く、感冒の浄化作用、何回もの停止によって溜結せる毒素が青年期の活力旺盛時代に入り、防止不可能になって解熱法も効果ないといふ状態である。この時は殆んどが肩部(特に左肩)頸部の下辺に溜結せる毒素の浄化作用としての微熱である。

療法として絶対安静、栄養食、注射、服薬、頭冷、湿布等であるが、之等は何れも浄化作用停止法であって、安静は胃腸を弱らせ、服薬、注射、頭冷、湿布等は何れも漸進的衰弱をなさしめるので熱は下降し、熱が下降するから毒血が溶解しないから喀痰は減少する。喀痰が減少するから、そのポンプ作用である咳嗽が減少する。一見病気が軽快に向ふやうにみえる。其際患者が安静を破って運動すると発熱する。それは運動によって活力が出るから、浄化作用がおこるからである。

斯様な状態で幾月も幾年も持続する内、追加物たる薬毒の浄化作用が起るのであるが、此薬物浄化は高熱を伴ふものである。長い安静によって相当衰弱せる患者が高熱に遇っては、その衰弱は非常な速度を増し、終に死に到らしむるのである。此末期に於て、薬毒集溜個所は全身に及び、特に肋骨、胃腸、腹膜部、咽喉部、腎臓部、頭部、股間淋巴腺等である。

ただ肺だけは、何処からでも一旦肺にはいって行くのです。頭でも手でも脚でも、何処の固まりでも、溶ければ一旦肺にはいって痰になって出るのです。ですから肺病は胸の病と言いますが、表面に現れたのが胸だからそう思ってしまうのですが、そうではないので、体中の病といってもよいです。それは頸から肩から腹から背中から、溶けた毒はみんな一旦肺に行くのです。唯その場合、多く溜まっている処と少なく溜まっている処の違いはあります。そこで肺病で一番多いのは頸の廻りです。ですから私は結核というものは頸の病だと言った方がよいと思います。又頸の廻りに溜まった毒というものは必ず熱が出ます。それが溶けて痰になるのです。

〔浄霊箇所〕
胸の下、肩、頸の廻り、腎臓

(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)