鍼と灸点

すべて治療といふ事は、病気は汚い物が溜るんですから、水で洗ふか火で焼くか、どっちかの方法であって、灸は一時火で焼く意味でありますから、相当の効果はあるのであります。然し勿論、体的燃焼であるから、治るとしても一定時であって根本的ではないのであります。且又、灸は体の火であるから、非常に熱いといふ苦痛があるから、理想的ではないので、真の治療法とは快く治ってゆかなくてはならないのであります。

鍼は、矢張り浄化作用を一時止めるので、薬剤に由る毒素療法と同じ意味なのであります。血管の太い所へ鍼を打つと其部の筋が脹れる。其為血液の流動が妨げられるから浄化作用が停止する。それで一時的苦痛は緩和されるといふ訳でありますが、其腫れが引くと、再び元通りになって悩むのであります。

灸治法

灸治法には、古来からある艾灸(モグサキュウ)と、近来相当行はれてゐる温灸との二種であるが、是等は、薬剤療法よりは確かに効果はあるのであるが、之も体的が主であるから、完全療法ではなく、一時的の場合が多いのである。且つ人間は造化神が造ったものの中でも、最優秀品である。其皮膚の色沢、滑らかな肌、隆起曲線の美しさに見るも、到底、他の動物とは比較にならないのである。特に、婦人の玉の肌と曲線美に到っては、美の極致であるとも言って可い。彼の西洋画家が、裸婦を以て美の極致とするのは、全く其通りである。故に、人間としては神から与へられたる所の皮膚は、弥が上にも美しく丹精を施すのが、神に対する報恩であり、至情でなくてはならない。そうして此美を、一年でも一月でも長く保持すべく、心掛くるのが本当である。 然るに何ぞや、灸の如きものを据(ス)える結果、点々として火傷である醜き痕跡止め、一生涯一種の不具者になると言っても可いのである。斯の如く、神の芸術品に対しての冒涜の罪は、必ずや 何等かの刑罰を受けなければならないのは当然であるから、仮令、治病の効果は相当ありとするも、それ以上の苦悩の因を作るのであるから、到底賛成し難いのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)