光新聞

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寸言

産制論者は「子供の数は一夫婦で二人乃至三人が適当」-といふが、之は可笑しな話である。子供は死なないといふ事を前提とするならば兎に角、二人や三人では全部死亡するといふ事もあり得る訳である。とすれば、子のない不幸な家庭がウンと殖える事は勿論であ...
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信仰は信用なり

抑々宗教信仰者は世間無数にあるが、真の信仰者は洵に寥々たるものである。然らば私は真の信仰者とは如何なるものであるかを書いてみよう。如何程立派な信仰者のつもりで自分は思っていても主観だけでは何等の意味もない、どうしても客観的にみてのそれでなく...
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悲劇を滅する

此世の中に於て人間が最も厭ふのは悲劇であらう。悲劇を全然無くする事は不可能であるが、或程度軽減する事は敢て難事ではない。それに就ては先づ悲劇なるものの正体を検討してみよう。事実、悲劇なるもののその原因の殆んどが病患からである事は厳然たる事実...
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宗教は奇蹟なり

宗教と奇蹟は切っても切れない関係にある事は、昔から幾多の文献によっても明かである。もし奇蹟のない宗教でありとすれば、それは最早宗教とは言はれない。何となれば奇蹟は神が造るのであって、人間の力では一個の奇蹟も造られ得ないからである。故に奇蹟の...
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産制問題の別の観方

今日本が切実の問題として論議の的になっているものに産児制限問題がある。いうまでもなく此問題の動機は敗戦による国土狭隘になった結果として、八千万人口を養えるだけの食糧が二割乃至三割位が不足する。といってそれだけの不足分を補えるだけの国土を拡張...
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日本人の泣寝入癖

日本人程泣寝入りをする国民は、他の文化国に類を見ないそうである。然し之は無理もない、昔から泣く子と地頭に勝たれないと言われる通り今もその封建的遺産が残っている為である。一例を挙げれば新聞雑誌の中傷的記事で迷惑をしても、新聞屋に睨まれると又ど...
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瑞泉郷の梗概

現在、熱海の西南、梅園の奥数町の地点に約四万坪の土地を選び、地上天国の模型を造りつつあることは、既に発表した通りであるが、此地を開発するに従ひ、実に何万年前より神が準備されたといふ深い仕組が犇々(ヒシヒシ)と感ぜらるるのである。それは全体の...
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本教は神道か仏教か

標題の如き疑問に就てよく質かれるから、茲に説明してみるが、抑々観世音菩薩の御本体は、今は時期尚早の為深くは発表出来ないが、一流の神様には違ひないのである。茲で神と仏に就て説明するが、何千年前世が替った時があって、すべての神々は仏として化現さ...
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光新聞11~20号

■光新聞十一号 昭和二十四年五月三十一日・本教は神道か仏教か・瑞泉郷の梗概・日本人の泣寝入癖■光新聞十二号 昭和二十四年六月十一日・産制問題の別の観方・宗教は奇蹟なり・悲劇を滅する■光新聞十三号 昭和二十四年六月十八日・信仰は信用なり・寸言...
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寸言

医者が患者に対していう言葉は実に徹底しない例えば「そうする事になっている」「そういわれている」「そうする事がいいとされている」「効果がある訳である」「学理上そうなる」-というように、決してそうすれば必ず治る、というような、断定的の言葉はない...