産制問題の別の観方

今日本が切実の問題として論議の的になっているものに産児制限問題がある。いうまでもなく此問題の動機は敗戦による国土狭隘になった結果として、八千万人口を養えるだけの食糧が二割乃至三割位が不足する。といってそれだけの不足分を補えるだけの国土を拡張する事は、現在の処不可能である以上どうしても人口を減らすという消極政策をとるの止むなき事情にある事は明らかである。然し乍ら之に対し、宗教的立場や人道的見解からの反対者も相当あるにはあるが、科学的常識的見解からすれば、産制論の方が実際的であり、政府も之を採上げざるを得ない事は自然の成行であろう。

茲で吾等は産制法によらない積極的な別な方法を提案しようとするのである。尤も此方法は大戦前、独伊や日本の一部の識者が唱えられてはいたから知る人もあろうが、吾等は此説を一層徹底した、而も最も平和的なものに改変した案を提供し当局者に向って注意を促さんとするのである。

熟々此広い地球上を見渡してみれば人口の配分があまりにも不均衡である事実を認めない訳にはゆくまい。アフリカ、アメリカ、アジヤ等の中に幾百哩に及ぶ荒野は到る処に散在しているかと思えば、日本の如く指頭大の地域に八千万もの人口が稠密(チュウミツ)して、人道に反する産児制限を行はなければならないという悲惨な事実は洵に不公平ではあるまいかとさえ思はれるのである。此意味に於て此不公平を是正し、日本の人口を適宜に配分すべき方策を要求するとしても、敢て不当ではないと思はざるを得ないのである。

理屈からいえば、以上述べた事は決して不合理とは思はれないが、茲に問題がある。それは日本が過去に於る如き侵略戦争が禍ひし今以て世界各国は警戒の眼を放たない現状である。随而日本が人口問題の悩みに打つかっている事を知っても容易に解決に乗出さないという事も無理のない訳である。然らば此難関を突破するにはどうしたらよいかを考えてみるに、それには先ず日本人が平和愛好の民族である事を心の底から安心出来得るやうにさせる以外に方法のない事は勿論で、断然此政策を実行すべきであろう。然らばその方法は如何なるものであるかを以下かいてみよう。

今、日本が侵略主義の徹底的排除と共に平和愛好国民たる事を力強く示すとしたら何よりも宗教によるより外にない事である。宗教こそは世界共通の理念である以上、之に異議を唱えるものは自他共にあるまい。といっても御座なり的や政策的に表面だけの贋信仰ではいけない。そういう欺瞞は何時かは化の皮が顕われるに決っているからである。どうしても根本政策としては一大宗教運動を起すのである。勿論宗派を問わない事で、或宗派に限るとすれば、大多数の信仰者を短期間に得る事は困難だからである。ただ斯ういう事は言える。例えばキリスト教信者は白人の領域に、仏教信者はアジヤ、神道信者は其他の領域に、というように別ける事も一つの方法であろう。

以上述べたように、宗教人でさえあれば、戦争観念や侵略思想のない事は勿論で、如何なる民族とも協調和合なし得るであろう。それによって日本人が世界的信用を贏ち得る事である。そうして愈よ実行の段になるとすれば、各宗団から厳重なる人選の下に適当の移民数を選抜し連合国当事者と協調して決めればいいであろう。

右の方法を立案して連合軍総司令部に提出、協賛を求めるのである。茲で知らなければならない事は、欧米に於る有識者の間にも、日本の旺盛なる人口増加に就ては至大なる関心を払っている事は疑いない事実であるから、日本が前述のような人口政策を提唱するとしても何等疑念を挿む事なく、寧ろ当然事として案外容易に受入れられるかも知れないと想ふのである。勿論重大問題であるから、急速に成果は得られないであろうが、根強く繰返し運動するとすれば、何れは有利な結果を得る事は期待し得るであろう。

敢て、右の如き国策を、政治家や有識者に向って問ふ次第である。

(光新聞十二号 昭和二十四年六月十一日)