自観叢書

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日本美術とその将来 三、蒔絵

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先づ外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来てゐる。勿論その...
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日本美術とその将来 二、彫刻

次に彫刻の事を少しかいてみよう。昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違ひ、昔から名手は非常に少かった。ゆえに現代のみをかく事にするが明治以後今迄に見られない隆盛となった事は、展覧会等の刺戟が与って力あった事は勿論である...
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日本美術とその将来 一、絵画

日本美術を語るに当って、絵画彫刻と美術工芸とを分けて書いてみよう。先づ日本画であるが、日本画の現在は危機に臨んでゐると言ってもよからう。事実容易ならぬ事態に直面してゐる事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であらう。日本画が幕末から明治時...
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尾形光琳

私は若い頃から絵が非常に好きであった。そうして古今を通じて私の一番好きな画家は何といっても彼の光琳である。光琳派の中では光悦も宗達も光甫も乾山も、それぞれ良い処はあるが、何といっても光琳は断然傑出してゐる。彼の絵ほど簡略にして而もその物の実...
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馬鹿肥りは病的だ

肥った人間をみると如何にも健康そうに見えるが、実は逆の場合が頗る多いのは事実である。その訳をかいてみよう。程のよい肥り方なら健康に違ひないが、そういふのは滅多にない。大抵は病的である。よく固肥りといふが実は之が怪しいので、之を私は小便肥りと...
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湯西川温泉

私は、或年の夏であった、目的は以前行き損った奥日光と塩原の中間にある湯西川温泉に遊ぶべく、途中上州の川治温泉で昼食をなし、そこから一里半山に入り、渓流に懸った橋を渡り、予ねて用意さしておいて牛車に乗り、全く牛の歩みの通り四里の途を六時間かゝ...
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奥日光から塩原へ

私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登ったが今その中で最も興味ある経験を一つかいてみよう。大正十二年即ち関東大震災のあった時の八月半ば頃、奥日光から...
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アルプス紀行

今から廿数年以前私は登山熱の上ってゐた頃、日本アルプスの槍ケ嶽を目標に或年の八月半ば妻を連れ、汽車で先づ信州松本に着き大町を通って中房温泉に行き着いた。面白い事には中房の一里位手前から妻は女の事とて山間の嶮路を昇るのは無理だから人夫の肩を借...
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二人の盲の話

私が十二三の頃浅草の千束町に住んでゐた事がある。父は古道具屋をしてゐたのでその仲間であった。当時浅草一といはれた道具屋で花亀といふ人があった(此名は花川戸の亀さんだからである)此人は六十位の時に両眼つぶれ完全な盲目となってしまった。その話を...
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音曲

音曲に就ても少し書いてみよう。音曲といえば以前大阪では浄瑠璃といひ東京では義太夫といふ、それが王座を占めてゐた事は衆知の事で、忘れもしない大正の初め頃彼の有名な豊竹呂昇が大阪から毎月のように来ては、その頃の有楽座の名人会へ出たが彼こそ全く名...