世界救世教、岡田茂吉、御神書、御論文、明主様

信仰雑話

信仰の醍醐味

私は信仰の味に就て世人に告げたいのである。天下何物にも味のないものはない。物質にも、人間にも、生活にも、味の無い物は殆んどあるまい。人生から此味を除いたら、文字通り無味乾燥全く生の意欲は無くなるであろう。従而人間が生に対する執着の根本は、味...
信仰雑話

善を楽しむ

私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。先づ一家の主人公である...
信仰雑話

悪の追放

悪とは何ぞや、言ふ迄もなく自己の利益の為に他人を脅かし、苦しめ、社会を毒する行をいうのである。此悪の為に、個人は固より社会全般に損害を与える事は、蓋し大なるものがあろう。人事百般大なり小なり悪による被害者たらざる者は一人もあるまい。例へてみ...
信仰雑話

敗戦の教訓

日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。成程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だ曽て経験せざる混迷状態に陥った事は吾々の記憶に新たなる処であるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は悲観する処ではない、大いに楽観す...
信仰雑話

宗教と芸術

今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺むる時、文芸美...
信仰雑話

宗教と政治

政治と宗教とは大いに関係があるに拘わらず、今日迄余り関心を払われなかったのは不思議である。寧ろ宗教が政治に関与するを好まないばかりか、反って政治から圧迫されて来たというのが終戦以前までの実状であった。之は古往今来各方面に見らるる現象で、宗教...
信仰雑話

常識

抑々、真の信仰とは言語行動が常識に外れない事を主眼としなければならない。世間よくある神憑式や、奇怪な言説、奇矯なる行動等を標榜する信仰は先づ警戒を要すべきである。処が多くの人はそういう信仰を反って有難く思う傾向があるが、之等は霊的知識の無い...
信仰雑話

正しき信仰

支那の碩学朱子の言に「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(...
信仰雑話

世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。政治の貧困は誠が貧困だからである。物資の不足は誠が不足してゐるからである。道義の頽廃も誠のない為である。秩序の紊乱も、誠のない所に発生する。凡ゆる忌わしき問題は誠の不足が原...
信仰雑話

序文

私は約三十年、信仰生活を続けて来たが、其長い間殆んど茨の道であった。官憲の圧迫、借金の苦しみ、病苦との闘い等々、筆舌に尽し難きものがあった。人間としての凡ゆる苦しみを体験したような気もする。その半面神の守護、人々の支援等も尠からずあって、苦...