自観叢書 狂信 私が大本教へ入信後聞いた話であるが、大本教発祥の頃例のお筆先が信仰の中心であった為、お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。その結果実に笑ふにも笑えない喜劇が生まれたのである。其頃大本教の本元綾部の町... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 五、書について 私は絵と共に書も好きである。御存知の通り毎日数百枚の書をかく。恐らく私の書く書の量は古往今来日本一といっても可からう。お守にする光の書は一時間に五百枚をかく。又額や掛軸にする二字乃至四文字の書は三十分間に百枚は書く、余りに早い為三人の男で手... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 四、陶器 陶器に就てもかいてみるが、元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。古い所では黄瀬戸、青織部、青磁、染付、有田、平戸等で、美術的陶器としては彼の柿右衛門が始めたもので、次いで稀世の陶工仁清が... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 三、蒔絵 次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先づ外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来てゐる。勿論その... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 二、彫刻 次に彫刻の事を少しかいてみよう。昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違ひ、昔から名手は非常に少かった。ゆえに現代のみをかく事にするが明治以後今迄に見られない隆盛となった事は、展覧会等の刺戟が与って力あった事は勿論である... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 一、絵画 日本美術を語るに当って、絵画彫刻と美術工芸とを分けて書いてみよう。先づ日本画であるが、日本画の現在は危機に臨んでゐると言ってもよからう。事実容易ならぬ事態に直面してゐる事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であらう。日本画が幕末から明治時... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 尾形光琳 私は若い頃から絵が非常に好きであった。そうして古今を通じて私の一番好きな画家は何といっても彼の光琳である。光琳派の中では光悦も宗達も光甫も乾山も、それぞれ良い処はあるが、何といっても光琳は断然傑出してゐる。彼の絵ほど簡略にして而もその物の実... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 馬鹿肥りは病的だ 肥った人間をみると如何にも健康そうに見えるが、実は逆の場合が頗る多いのは事実である。その訳をかいてみよう。程のよい肥り方なら健康に違ひないが、そういふのは滅多にない。大抵は病的である。よく固肥りといふが実は之が怪しいので、之を私は小便肥りと... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 湯西川温泉 私は、或年の夏であった、目的は以前行き損った奥日光と塩原の中間にある湯西川温泉に遊ぶべく、途中上州の川治温泉で昼食をなし、そこから一里半山に入り、渓流に懸った橋を渡り、予ねて用意さしておいて牛車に乗り、全く牛の歩みの通り四里の途を六時間かゝ... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 奥日光から塩原へ 私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登ったが今その中で最も興味ある経験を一つかいてみよう。大正十二年即ち関東大震災のあった時の八月半ば頃、奥日光から... 2020.09.05 自観叢書