御 教 え 集 第十五号

昭和二十七年十月御教え

十月五日

今度の選挙に就いて滑稽な事は、公明選挙とか言つて違反者を出来る丈少い様にと、要するに公明正大にやらせ様というのでしようが、結果からみると反つて此前よりか違反者が多いのです。実に皮肉な話ですが、我々からみると当り前なのです。結局精神的に、つまり信仰的に――有神――神は在るという事を覚らせる以外に絶対ある筈はないのです。世の中に神が無いとしたら、それは知れない様にうまく買収して、それから又分らない様に御馳走をされたり、幾らか貰つたりしたくなるのは当り前です。私だつて、若し此世に神が無いと知つたら、上手にやります。兎に角それこそ絶対に分らない様に智慧を振つてやりますよ。だから色んなやり方をするのは当り前です。誰も咎める資格はないのです。咎める資格のある人は、信仰している人より外にないのです。だから兎に角根本を全然無視して、結果丈を一生懸命にやつているという今の文化は、実にナンセンスです。そういう事も結局は段々分つて来るのです。今聞いた話ですが、今度読売新聞でも宗教的な事をやる様なのですが、之は東京日日が前例を附けたわけですが、それで成績が良いのでしよう。それから現在の外国映画特にアメリカ映画は宗教的の事を少し入れないと工合が悪いという話です。私はそれ程注意してなかつたが、此間何かに書いてあるのを見ると、かならず宗教的のテーマがあるそうです。ですからそのような工合に、世界的の風潮がそうなりつゝあるわけです。まあ今度の仏教徒大会とか色んなあゝいう事も、其一つの現われだと思います。そうかと言つて、外国は日本と事情が違います。キリスト教一本ヤリですが、日本なんかは宗教デパートみたいなもので、世界的に例はないでしよう。日本とすれば今更既成宗教に救いを求めるとか何とか、そういつた気持は殆ど無いと言つても良い位でしよう。特に青年層は本願寺系の南無阿彌陀仏という事丈では恐らく満足出来ないでしよう。それで又既成宗教の説き方は、あまりに現代離れがしていて、そうして然も理論ばかりですから、実際的の御利益とかそういつた様なものはないからして、信仰しようと思うと、どうしても新しい宗教より外に行き処がないわけです。此頃新しい宗教が中々注目されて来た様です。之は非常に良い傾向ですが、そうかと言つて、只新しいから良いというわけではないので、それ丈の力がなければ一時的で、やはり永久に救われるとか永久に附いて行くという事はないとすれば駄目なのです。其点に於てメシヤ教は特殊の意味があります。あんまり自惚れる様な事を言うと誤解されますから、世間には言いたくはないのですが、信者の人は知つてましよう。それも要するに時の問題です。もうそろそろ………そういつた宗教を求めるとすれば新しい宗教となる。それで新しい宗教の内ではやつぱりメシヤ教は何処か違つているという様な事で目標にされますから、従つて何処から言つても指をさゝれない様に益々しつかりと、要するに宗教の指導者的、模範的という様な頭で、そういう気持で進んでいかなければならないと思います。要するに段々責任が重くなるわけです。私も、今迄やろうと思つた事が、段々やり良くなつて来るわけです。何しろ今迄にない事をやるのですから、余程こつちにそれ丈の勢力なり地盤が出来ないと誤解されます。今薬が毒だとか医者が病気を作るとか言うのも、小さな内に言うと、やつぱり頭が変だ、そんなものに触れる事は出来ない、という事になります。処が相当の勢力が出来てから言えば、成程それはそうかも知れないという様に、受取り方が真面目に、要するに軽蔑的の考えでないわけです。本当にあれ丈大きくやつているのだから、やつぱりそれ丈の理窟があるだろうという見方になつて来るし、それが大変なものです。大変な違いです。

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それから、あらかた書けましたが、アメリカに対してはやつぱり英文が良いと言うので、英文でやる積りですが、標題は「アメリカを救う」というのです。之はみんな喫驚するだろうと思います。アメリカで日本を救うと言うのなら、之は成程と思いますが、敗戦国でヒョロヒヨロしているくせにアメリカを救うなんて大それた、飛んでもない、と思われるかも知れませんが、中を見れば成程と思います。本当にアメリカは危ぶないのです。その危ぶないのを危ぶなくない様に救つてやろうというのです。それが、ちやんとした理論があり実績があつて、そうしてやるのですから、癪に障り乍らも往生しないわけにはいかないと思います。そう厚い本ではないです。何しろ世界の舞台に第一着手としての顔を出すわけです。大見栄を切るという処迄はいきませんが、顔を出してアッとさせ様という積りです。何しろアメリカの人などが夢にも思わない様な事を書くのですから、文章でも余程難かしいのです。おまけに訳するにしても非常に難かしいだろうと思つてます。だから出来る丈分り良く書く積りです。今、序論とその次を読ませます。

御論文  アメリカを救う〔⇒序論〕〔⇒病気とは何ぞや〕【註  栄光一七九号】

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話は違いますが、此間私は上野と三越の院展、青龍展を見たのですが、あまり酷いので我慢出来ないから書いたのですが、日本画の主なる人に配ろうと思つてます。それは、日本画が無くなつて来たのです。殆ど無くなつて来たのです。之は大変な問題です。というのは、やはり医学と同じで一種の迷信にかゝつて了つたのです。殆どみんな自殺です。それを可成り思い切つて書いたので、今読ませます。展覧会を見た人は分るでしようが、大問題です。

御論文〔⇒今や亡びんとする日本画〕【註  栄光一七八号】

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十月六日

此間、院展と青龍展に行つて見て、あんまり酷いので書かずに居られないから、書いて「栄光」に出して日本画の主なる先生達に送る積りです。何しろ日本画というものは亡びて了うのです。それを書いてみたのです。言いたい事を言つたわけです。

御論文〔⇒今や亡びんとする日本画〕

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之は一寸面白い論文です。

御論文〔⇒運命は自由に作られる〕【註  地上天国四十一号】

今読んだ通り、凡ての苦しみは浄化です。それで霊の曇が除れるのです。そこで今迄の宗教での難行苦行というのが、その方法なのです。というのは、普通世間で苦しむのは、止むを得ずなるのです。苦しみの方がぶつかって来るのです。処が難行苦行というのは、自分で一生懸命苦しむのです。それでも魂が磨けるのです。それでバラモン教の方は苦しんで悟が開けると言つているのですが、苦しんで悟が開けるという事は、曇が無くなると悟が開けるのです。つまり曇が無いから、物事が良く分るのです。すると悟が開けるのです。悟が開けるという事は、物事が分る事です。つまり真理が分るわけです。けれども真理にも色々あるのです。やつぱり上中下あります。だから、皆が真理と思つている処が極く下の真理というのが多いです。それで前よりも魂が浄まるのです。迷が少くなつて来る、判断力が出て来る。併し、迷というものは全然無くなるという事はないのです。どんな偉い人でも――私でもあります。只迷が無くなるのが早いのと遅いのとの異いです。私などは、迷つても半日位です。私は、物事をみると直ぐ結論が分るのです。ですから、斯うして庭や建築とか色々な事をみても直ぐパッと分るのです。首をひねる様な事はありません。若し其時パッと出ないと、考えないで放つたらかして置くのです。それはやはり時があつて、何かの時にパッと分るのです。というのは順序があつて、神様の方で、早過ぎると知らせないのです。それで時期が来ると分るわけです。ですから迷わないで分るわけです。処が今の人は霊が曇つてますから、どんな偉い人でも始終迷いに迷い、考えに考えているのです。で、あんまり考えたりするのに碌な智慧は出ないのです。だからやり損つたり、自分で求めて失敗を作つているのです。特に政治家方面などは……よく新聞なんかに出てますが、実にあまりに智慧が無さ過ぎる。という事をよく感じますが、それは霊が曇つているからです。そこで人間は、その曇を出来る丈除ると、健康になるばかりでなくやつぱり頭が良くなります。そこで頭を良くするのに、つまり曇り除るのに難行苦行をしなくても除れるというのは恐らくメシヤ教丈だろうと思います。之はつまり天国的宗教、昼間の宗教だから、明るいから早く曇が除れ、魂が磨けるから智慧正覚が得られるというわけです。即ち病気を治す場合に、疑つても何でも治るという事は、つまり難行苦行という事は要らないというのと、理窟は一つです。他力です。他動的です。そこに素晴しい値打があるわけです。そんなわけだから運というものは、霊の曇と平均するものです。つまり曇のある丈は、どうしても苦しみはぶつかって来るのですから、一切は相応の理と言つて、凡て何でも喰い違いはないのです。人間には、喰い違いがある様に見えるのは、つまり人間が上つ面丈を見て判断するからです。仮に一家にどうしても信仰に入らない人があつて、其人が反対したりするが、そうすると反対された人の方は、始終やきもきしてますが、そのやきもきする方に曇がある。其人に曇が無くなつて魂が浄まると、他の人が悩み苦しめる事は出来なくなる。すると其人は信仰に入る事になる。あの畜生、人を酷い目に遭わせやがる、あいつの為に飛んでもない事になつた、あいつは飛んでもない損をさせた。又いくら言つても入らないとか、そういうのはやつぱり御自分を見なければいけない。それはそれ丈の曇がこつちにあるからなのです。それに依つてこつちの曇を除つて呉れるのです。ですから自分を酷い目に遭わせたり苦しめたりするという人は、自分の曇を除つて呉れているわけです。浄化作用の仕事をやつて呉れているわけです。そこ迄来ると、感謝してもよい事になつて来るのです。此間裁判所で、公判が済んだ時に被告の感想を言わせたのですが、外の人は今迄間違つた調べをして、検事や検察官はけしからんと、今迄の言い足りない不満足を言つてましたが、私は今迄検察官や何かのお蔭で、私は大変磨かれた、其為に教団も堅実になつた、大いに御苦労であつた、それを感謝する。という事を言つたのです。で、何も迎合したり、そんな様な意味ではないのです。今言う様に、大乗的に考えればそうなるのですから、大いに感謝してよいのです。だから、考え方というのは其処の点です。そういう考え方が信仰の価値なのです。価値ではない、それが芯です。本当なのです。だからこつちに反対する奴は、私も一時は癪に障つたが、考えてみると其為に反つて結果が良かつた、という様に言いましたが、それが本当なのです。ですから、思う様に行かないという事は未だ自分に霊的に資格がないのです。で、霊が浄つて魂が浄まれば思う様にいくのです。そういう風に出来ているのです。思う様にいかないという事は、それは未だ自分に曇があるのです。その曇を苦しんで除らないで愉快に除るというのがメシヤ教の真髄です。それには人を助けるのです。そうすると人の感謝に依つて其人は始終光を受けますから、それでこつちの魂が浄まるのです。つまり難行苦行の代りに人を喜ばせ、人を助ける、それに依つて同じ結果を得られるというわけです。そこで人を助けるには、やつぱり話や説明や何かが上手(ウマ)く出来なければならないから、其為に御神書を読む。又御神書に依つて、色んな真理を知りますから魂も浄まります。それと共に人を救う力もそれ丈出ます。そうして人を救い、喜ばせ乍ら、自分も向上するという事になるのです。大本教のお筆先に面白い事が言つてあります。艮(ウシトラ)の金神は神代の時に人から嫌われて押込められたのです。それで、今に返報返しを致すぞよ――仇討(カタキウチ)です。それ丈では神様も人間みたいですが、けれども「艮の金神は喜ばして返報返しを致すぞよ」そういうのがある。喜ばして返報返しをするというのが非常に面白いです。仇討と言つても、忠臣蔵の様に上野介の首を取るというのではないのです。先方を喜ばすというのですから逆です。これが本当です。ですから私は大祭の余興の時に、講談の貞丈に“忠臣蔵をやつてはいかん”と条件を附けたのです。之は喜ばせて返報返しをするのとは逆です。私はそういうのは嫌いです。仇討という思想は非常に悪いのです。之を日本から絶対に除かなければいけないのです。けれども日本人はそれに非常に憧れるのです。曾我兄弟とか……と。その仇討思想を除らなければ、世界は平和にはならないのです。個人としても争が絶えないわけです。支那の言葉に「怨に報ゆるに徳を以てする」というのは非常に良いです。それから蒋介石が終戦後日本に非常に好意を持つているのです。日本に対しても良くしなければいけないというので、蒋介石は今以て日本から代償を取ろうとは思つて居ないのです。其為に今も台湾丈でも地位を保つて居られるというわけでしよう。そんな様な工合で、只信者は浄化作用というと、病気丈に限る様に思うきらいがありますから、それで話したのです。あらゆる苦しみというのは全部自分にあるという事を知れば良いのです。時間が無いから短い論文を読ませます。

御論文〔⇒爆弾を抱いている現代人〕

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十月七日

私は此間、院展と青龍展の展覧会を見たのですが、あんまり酷いので、思つた通りを書いてみたのです。今度の「栄光」に出して、日本画の主なる大家という人達に読ませ様と思つているのです。兎に角日本画というものは無くなりかけているのです。之が無くなつたら大変ですから、目を醒まさせ様と思つて書いたのです。今それを読ませます。

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  御論文〔⇒今や亡びんとする日本画〕【註  栄光一七八号】

此間言つた通り、今「アメリカを救う」という本を書いてますが、何しろアメリカを救うなんて本を出すと、アメリカの方で“日本を救う”という本を出したら、之は不思議とは思わないかも知れないが、敗戦国のヒョロヒヨロしている日本の奴が、アメリカを救うなんて生意気な奴だと、無論思うでしようが、こつちは全人類を救うのだから、アメリカだろうがアフリカだろうが、救うべき必要のある所はドシドシ救わなければならないので、別に突飛な事ではないのです。そういつた意味で反つて注目を引くだろうと思つてます。読んでみれば成程と思うに違いないのです。それで、あつちに出すにはやつぱり飜訳した方が良さそうですから至急訳して、あつちには飜訳の方を出し、それから日本人の方にも新聞広告なんかして大いに読ませ様と思つてます。それで出来る丈簡単に分り易く書いてある積りです。信者の人で未信者の人に見せるのに非常に工合が良いと思つてます。手取早く良く分るように、その意味で心血をそゝいで書いてます。此間一寸読ませましたが、此間は本当に仕上げをしてませんでしたが、今読ませるのはすつかり出来上つたのです。斯ういう風に書いたら非常に分り良いと思つているのです。

御論文  アメリカを救う〔⇒序論〕〔⇒病気とは何ぞや〕【註  栄光一七九号】

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「運命は自由に作られる」というのを書いたのですが、之は良く知つて置くと非常に楽になるのです。之は特に信者の人にも大いに必要ですから、今読ませます。 

御論文〔⇒運命は自由に作られる〕【註  地上天国四十一号】

よく、奥さんが信者になつていて、どうも親父は分らないと言つて煩悶しますが、親父が分らないと言つて煩悶するのが浄化作用なのです。その奥さんの浄化作用なのです。だから奥さんが浄化されるという事は、それ丈曇があるからです。ですからその奥さんの曇が除れると、その親父は反対出来なくなり、やつぱり信仰したくなるのです。やつぱり相応の理です。其点を良く知らなければならない。“あいつはオレがあんなに親切にするのが分らない、むしろオレを苦しめたりいじめたりする、けしからん”と言うが、それはやはり自分に曇があるからです。ですから人間の一切の悩み苦しみは、みんな浄化されているわけです。“あの畜生、人を酷い目に遭わせやがる、あいつの為になんて酷い目に遭つた”とかと言う“あいつ”というのは浄化作用をやつて呉れている人です。其点が分ると、自分を苦しめる人を恨む事が出来なくなるのです。それを知るのが人間には肝腎です。で、凡て浄化作用は苦しみに依つて除るという事に、昔からなつている。そこで信仰すれば良いという事になるが、信仰と言つても難行苦行をするのです。無理に断食をしたり水を浴びたり、苦しむ様にするのです。よく、お百度参りをしたり、襦袢一枚で町を駈出したりするのがありますが、あれでやはり魂が浄まるのです。処がそれは夜の世界の時代だつたから、どうしても地獄的に身魂を浄めるのです。処がメシヤ教はそれとは反対に楽しみ乍ら、苦しまないで浄めるのです。ですから美術館なんかというのはそういつた意味です。あれは、美術を見ていると、美術を楽しみ乍ら自然に浄まる。向上するのです。魂のレベルが上ります。それから御祭の時の余興とかもそうです。大体余興をする芸能人なども、大分信者になるのが増えて来ましたが、あゝいう人達が信仰が分り――まあ、信者なら結構ですが、そうすると其人は霊的にそれ丈高くなりますから、そういう人の言葉や声を大衆に聞かせると、大衆がそれに依つて楽しみ乍ら幾分浄化作用が行われるのです。神様のそういう仕組なのです。そこでメシヤ教は今迄と反対に、苦しまないでつまり楽しみ乍ら磨けていくのです。之が天国的宗教です。つまり昼間の世界の宗教です。之は大変な異いです。ですから私は何時も、苦しんでやる事に碌な事はないと言うわけです。私はその方針です。例えてみれば、私が物を造つたりしますが、そういう場合に苦心したり考えたりしないのです。ですから人が、之丈のものを造るのは随分苦心なさつたでしようと言われますが、返事に困るのです。併し信者以外の人には“中々骨折つて苦労しました”と調子を合わせて置きます。それから私は、何か考えて一寸考えが出ないと、止(ヤ)めて了うのです。それをどうしても考え通そうとはしないのです。止(ヤ)めるのです。そうして忘れていると、或る場合にヒヨッと気が附くのです。あゝ之だという事になる。ですから一寸考えて良い考えが浮ばないと止すのです。考えが浮ばないという事は時が来ないのです。それで時が来ると神様の方でヒヨッと知らせますから楽なものです。ですから、苦しまないで実にスラスラ順序良くいくのです。兎に角此の味というものは、今迄の頭では信じられないのです。ですから私は苦しむ様な事はしないのです。よく展覧会などに行つて思う事は、絵が苦しんでいるのです。だから、それが楽しみ乍ら画けば良いのですが、一生懸命画こうとか、なんとかの苦悩が画面に表われているのです。ですからそれを見てそれから受けるから楽な良い気持はしないのです。楽しみ乍ら画くとそれが画面に出ますから、それを見て楽しい気持がするのです。ですから展覧会などを廻つてみても、良い気持がしないのです。何となく変な気持がする。それは骨折つて画いてあるからです。そういう事は今の人は知らないのですが、メシヤ教はそういう事を段々教えるのです。そんなわけで運命というものは自由なのです。自由という事は、こつちの魂の状態さえ曇が無くなれば良いのです。曇に相応して苦しみは来るのです。だから伝染病が伝染すると言つても、濁つた血があるから伝染するのです。濁つた血が無いと黴菌は死んで了うのです。それと同じで、苦しみや禍もこつちに曇がなければ来ないのです。よく御蔭話で「高い処から落ちて助かつた」という事があるが、そこに曇があれば其時に死ぬとかするが、御守に依つて曇が減つているから、そこでどうしてもそれを避(ヨ)けて了うという事になる。一切は相応の理に依つて動いているのです。それを知れば楽にうまく行くのです。どうも、自分は之程骨折つても成績が上らない、という事は、未だそこに曇があるのです。成績が良くないという事は、斯ういう層(良い運命と悪い運命の上下の層)があるが、自分は此処(下の層)に居るから、良い運命は上を通り越して了う。こつち(下の層)は成績が悪い運命です。そういうわけです。

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十月十五日

つい四、五日前信者の小川菊蔵という有名な人で、自動車の方では一方の存在とされている人ですが、世界中を三カ月ばかり廻つて来たのです。其の人に会つて、あつちの事情を良く聞いてみますと、日本で想像していたのとは余程異う点があるのです。その異う点だけを一寸話しておいても参考になると思います。最初英国の方からドイツに廻つて、それからフランスに行つたのですが、フランスは美術的にはあらゆる点に於て、確かに値打があるそうです。確かにヨーロッパの美術国だ、という事が分つたそうです。それからイタリヤに行つたそうですが、イタリヤに行くとフランス処ではないのです。イタリヤの方はフランスより、未だずつと上だというのです。それはイタリヤの方が古い為もあると思いますが、絵画、彫刻は想像してもイタリヤの方が上かも知れないと思われます。日本で言うとイタリヤの美術は奈良朝時代の美術の様なもの――奈良朝から藤原時代の様なものでしよう。フランスの方は桃山から元禄といつた様な風でしよう。一寸見た所は非常に絢爛たるものですが、やはりイタリヤの方が古いのと、もう一つはイタリヤは宗教関係が多いです。ですからやはりフランスより上になるわけです。丁度京都がフランスとすると、イタリヤは奈良といつた様な意味かも知れません。だからイタリヤの美術を大いに研究する必要がある、という様な事を言つてました。そうして然も最近に至つて非常にイタリヤが復興して来たのです。私は世界の建築は、毎月新しい建築雑誌をとつてますが、今迄で一番感心したのはローマの停車場です。之は去年出来たのです。今迄のコルベジュエ式は世界中の色々な写真で見ましたが大して感心した事はないが、去年出来たローマのステーションは感心しました。私が拵えれば丁度そういうものを拵えると思つて、ピッタリしたのです。私がそれを褒めた処が小川さんも、自分もヨーロッパからアメリカの方を見たが、やはりローマのステーションが一番印象に残つていると言われてました。そんな様でイタリヤは非常に変つて来たそうです。先にはイタリヤというと、乞食の多い国の様に思つていたのです。よく町を歩いたりすると、非常に汚い服装をしたり、憐(アワレミ)を乞う様なものが沢山あつたという事を書物で読みましたが、今度行つてみるとそういう事はないそうです。それで町も清潔になつて、新しい建築もドンドン出来ている。それで国民も非常に文化的で、一種の溌刺たる意気があるそうです。私も此頃イタリヤを注目しているのですが、兎に角今の総理大臣が余程偉いのか何か、大分変つて来ました。それから西ドイツですが、あれが大変でドイツ再建の意気込は凄いそうです。電車や何かに乗つても、切符の外に決つて五円づつ、切符代と共に一つの奉仕金といつた様なものを出すそうです。それは何だというと、ドイツ復興の為の色々な資金だそうです。国民が自発的にそういう寄附をしているのです。ですから日本と較べると、とても日本は仕様がないのです。そういつた様な意気は日本には見られないと言うのです。只みんなずるい事をしたり、誤魔化したり、そういう事をしてうまくやつていこうという気風が漲つている。だから今のドイツ、イタリヤなどを見て来ると、とても歯痒い、何とかしなければならない、という様な事を言つてました。それからイタリヤはファッシヨが大分興つて来たそうです。今ではムッソリーニを神様の様に崇拝しているそうです。それでムッソリーニの家族が居るそうですが、そういうのは非常に人民が優遇して、大変世話をしているそうです。ムッソリーニは偉いのだ、只戦争をしたから間違つている、という意味で日本が東条を怨む様な、そういうものは少しもないそうです。それからドイツでも、やつぱりヒットラーを非常に崇拝しているそうです。ヒットラーは偉いのとドイツの為に非常に功績を残した。やつぱり戦争をした為にあゝなつた。というので、良い悪いは実にはつきり見ているそうです。只、ヒットラーを崇める様な事を言うと、米国や英国が煩いから表面には現わさないそうですが、国民の腹の中は――そういう国民感情になつているそうです。私なんかも、当時非常に感心した事は、最初ヒットラーがドイツから偉く仰がれたのは、失業救済です。第一回の欧洲戦争の後、非常にドイツが疲弊して失業者が多いので、それを救済する為にヒットラー道路というのを作りました。ドイツを縦貫して一直線に作つたのですが、あの道路を作るには失業者をみんな使つて、それに依つて失業者は救われるし、道路が良くなつた。今道路が一番良いのはドイツだそうです。アメリカより良いそうです。何しろヒットラー道路は一時間百五○キロで走れるそうです。アメリカにもそれ丈の道路はないそうです。私は先から思つていたのは、日本でも真中にそういう道路を作つてやると日本の交通は素晴しいものになります。私が総理大臣ならそうやります。それから私が総理大臣だとすると、日本位無駄な役人というのはないですから、之を半分にして了います。つまり官吏が多過ぎる為に仕事に果(ハカ)がいかないのです。あれは人間が多いと果がいかないのです。むしろ少いと能率が上るものです。そうして救済事業を沢山拵えて日本の道路を良くする。そうすると日本の交通は素晴しくなります。兎に角日本位道路の悪い国は、世界で一番です。殊に此頃バスが盛んになりまして、観光バスが熱海、小田原間を通る道等というのは寔に狭いです。一昨日私は鎌倉に行つて小田原と熱海間のそれを通つた時に、何しろ日曜の夕方でしたから、熱海から帰る人が沢山あるので、其バスが後から後から来て、其度に止つたり後退するのです。其為に丁度かれこれ二十分か三十分以上余計かゝりました。ですから普通小田原から熱海迄は一時間ですが、約一時間半位かゝり、驚いて了いました。道路も、有料道路を作るという計画があつてチビチビ始めてますが、兎に角日本はしみったれなやり方ですから、予算が何うだとか言つて思い切つた事をやらないのです。道路さえ良くすれば小田原、熱海間は三十分で行きます。そうすると普通一時間かゝるのが半分で済みます。それが日曜などというとあべこべにもう三十分余計かゝるという事になる。実に野蕃極まるのです。そういう点なんかも、今のヨーロッパの話を聞くと情ない様な気がします。

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それから最近のアメリカの話を聞きましたが、それは成程大きな建物や機械的には便利だそうですが、面白くないそうです。楽しむとか、そういう気分は起らないそうです。只仕事本位という様な工合で、さっぱり面白くないという様な事を言つてました。それから英国は或る点は非常に良いそうです。というのは古いですから非常に伝統を重んじてますが、併し今はあらゆるものが非常に不足してますから、そこで経済的方策を採つている。ですからロンドンなどにはあまり流線型の自動車は走つてないそうです。十年も二十年も前の古い自動車が多いそうです。それで調べてみると機械は良いそうです。機械はアメリカ、イギリスでも出来ますし、アメリカの最新式のもありますからそれを使つてますが、箱は経済的に扱つている。だから日本なんかの方がずつと新しいそうです。兎に角日本は見栄坊で虚栄心が強いから、そういう点は思い切つてすばしこく、体裁(テイサイ)を作るのです。それで英国は非常に疲弊している。疲弊しているという事は私は先から言つているのです。労働党内閣が出て社会主義政策をやったのですが、社会主義政策をやったら国は衰えるに決つているのです。優勝劣敗というものを無くして、怠る者も働く者も同じ様に扱うという、要するに公平にして不公平です。だから不公平が公平で、公平が不公平という事は世の中には沢山あります。社会主義政策も或る程度は仕方がないが、社会主義的にしたら国は衰えるばかりです。で、英国の労働党の政策は、凡てを官営にしたのです。私営を非常に少くして、大きな産業はみんな官営にしたのです。あれを打遣らかして置くと、もつとあらゆるもの――製鉄も官営にしたのです。チヤーチルが出て止(ヤ)めたのですが、あれで英国は助かつたのです。それでそういう事が明らかです。日本も社会党が今度の選挙で先よりか投票が増えましたが、日本人は丸つきりそういう事は無関心です。只つまらない宣伝に乗つたりして、それに乗つて社会党の左派やあゝいうのに投票を入れたりするが、実に情ないものです。社会党左派というのは共産党です。共産党と内通してやつているのですから、要するに合法的共産党です。斯ういう話をすると政治論の様になりますから、この位にして置きます。

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今度の「アメリカを救う」という本は出来ましたが、飜訳の関係上何うしても今日迄に仕上げなければならないというので、半月ばかりで拵えて了つたのです。だから随分骨が折れました。飜訳する人は一番上手いのだそうですが、何うしても今日迄にやつて後半月で飜訳しようという予定で今日迄に書上げたのです。最初は理論的に書いて、それからアメリカの報告の統計を書いて、それから一つ一つの病気を説明して、それから病気に対する実例、つまり御蔭話を多いのは六例、それは多い病気にです。そうでない病気は三例の御蔭話を附けて、それを一冊にしたのです。今最初の理論丈を読ませますが、之は急いでやりましたが何しろアメリカの大統領始め識者や医者、そういう方面に出すのですから、余程考えて入念にやらなければならないから、心血をそゝいで書いたのです。

御論文  アメリカを救う〔⇒序論〕〔⇒病気とは何ぞや〕【註  栄光一七九号】 

今米国で一番困つているのは癌ですが、癌は非常に簡単なものです。その説明を一寸読ませます。

御論文〔⇒癌〕

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十月十六日

「アメリカを救う」という本がやつと出来て、之から印刷にかゝるのですが、飜訳の方の都合で非常に急いで半月ばかりで拵えなければならないので、随分馬力をかけてやつたのです。之が出来たら日本や米国の各方面に配ろうと思つてます。何しろ、米国の方で日本を救うという本が出たのなら、之はありそうな事ですが、敗戦でやつと講和になつて未だヒョロヒヨロしている日本が米国を救うというのは飛んでもない話ですが、之を見て驚くだろうと思つてます。それで反つて興味を引くのではないかと思つてます。薬毒に就いても、何しろ米国では薬に一番大騒ぎをしてますから、薬毒に就いて徹底的に書いた積りです。何時か序論を読ませましたが、今度は余程完備したので、もう一ぺん読ませます。

御論文  アメリカを救う〔⇒序論、⇒病気とは何ぞや、⇒種痘と薬毒〕

之を読んだらアメリカの人は驚くだろうと思います。薬を一番大騒ぎをやつているのですから、目が暈んだかと思うでしよう。それから又、今アメリカで特に自慢しているのは手術ですが、手術も相当やっつけてます。

御論文〔⇒手術に就いて〕

之に一つ一つの病気に就いての説明と、それに対する御蔭話を、多いのは六例少いので三例位出したのです。之を良く読んだら、大抵往生すると思います。おまけに米国の人は日本人よりか伝統に捉われません。白紙になつて読むから非常に効果があると思います。其話は此位にして置きます。

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つい此間信者の人で小川菊蔵というバスの販売を非常に大きくやつていて有名な人が、今度世界中を廻つて歩いた其の時の色んな見聞記を聞いたのですが、中々参考になりました。色んな細かい話を聞きましたが、結局引括るめて言うと、今一番素晴しい勢は西ドイツだそうです。西ドイツはとても国民に元気があるのです。非常にドイツ復興に熱心で、日本なんか較べものにならないそうです。尤も私は去年新聞で西ドイツの出超に驚いたのですが、去年は三億弗プラスになつたのですが、それで喫驚したのです。今度小川さんから聞いてみて成程と思つたのです。というのはドイツ人は一番優秀だぞという一つの自信が強いのです。それが動機です。それから美術はフランスが一番良いと思つていたそうですが、イタリヤに行つて驚いたそうです。フランスよりイタリヤの方がずつと上だそうです。之はその筈です。フランスの美術は新しいですが、イタリヤはもつと古さがあるのです。それはエジプトやギリシヤが一番古いですが、発展していません。日本で言うと埴輪でも見る様なもので未開発時代の美術ですが、ローマ時代に至つて絢爛たる美術が生まれたのです。それが残つている為に、日本で言うと丁度奈良朝時代の美術の様なものです。それからフランスは京都風です。そういう様で古さがあるから良いのです。特に驚いたのはイタリヤも非常に国民的誇りを持つているのです。つまり自分の国はローマ華やかだつた昔の頃は、やはり欧州では一番文化が発達した国であるというその誇りが今以てあるのです。で、現在フアッショが大分興つて来たそうです。それに就いてムッソリーニはイタリヤでは非常に崇拝されているそうです。ムッソリーニの家族がローマに居るそうですが、それは国民から優遇されて良い生活をして居るそうです。それからドイツでも、ナチスは今地下運動的に相当勢力を持つているそうです。で、ヒットラーもムッソリーニも国民の心の中では中々非常に崇拝されているそうです。只ヒットラーもムツソリーニも非常に偉いので、ドイツ、イタリヤの誇るべき人であるが、只戦争をしたからいけないので、その失敗丈で他の事は非常に良いという事を考えているのです。特にドイツで驚いたのは道路が良いという事だそうです。自動車屋さんだから余計そういう事に気が附くのでしようが、ドイツのヒットラー道路は一時間百五十キロのスピードが出せるそうで、そういうのはアメリカにも無いそうです。あれは私も驚いたのですが、ドイツが第一次欧州大戦後失業者が多く、其時ヒットラー道路と言つてドイツを縦貫するものを作つたのですが、何時かの映画を見ても分ります。それからみると、日本の道路を見ては呆れて了います。だから私が総理大臣になれば官吏を半分にします。官吏が多過ぎるから能率が上らないのです。今官吏の費用が五百億位あるでしようから、半分にすれば二百五十億で済みます。そうして日本に縦に道路を作つて、あとは枝をつければ良いのです。そうすれば日本の道路問題は解決します。どうも、チビチビとしたり、曲り角を削る位のしみったれな事をやっている。日本は思い切つた事をやらないという事は、一番は国民的誇りがないのです。小川さんも言つてましたが、日本人はそういった様に国民的誇りがない為にフワフワして、外国的の事が良いと思つているのです。私は之をぶち壊さなければならないと思う。日本の国民的誇りを自覚させなければならない。それを知らなければならない。処が今迄はそれを知る人も知らせる人も無かつたのです。之は私は、講和にならない内は言えないから言わなかつたが、もうソロソロ言つても良いでしよう。兎に角世界中で一番優秀な国民は日本人です。金(カネ)に譬えれば、白人は銀に相当するが、日本人は金なのです。それ丈の異いさです。それだから今度「アメリカを救う」という本を出したのですが、アメリカ人というのは、我々からみればずっと下なのです。そういう自覚がないから、アメリカの真似ばかりし、或いはヨーロッパの真似をしているが、それは国民の自覚がないからです。自覚と言つても、取つて附けた様なものでは仕様がないのです。此の事は本当なのです。それを今迄日本人は知らなかつたから、英・米の真似ばかりしていた。だから真似は一番上手くなつた。真似は鋭いものです。真似と贋物作りは世界一です。それから巾着切の上手いのは日本が一番です。それは外人に対する日本の国民的誇りでは……。ですから私はそれを段々直し、説いていきます。此間文士で相当に名のある人ですが、其人との話で日本の小説に就いて私は斯う言つたのです。日本人の小説は上手いがスケールが小さい。只面白いのを作つて有名になつて、金を大いに儲けて大いに贅沢をするという考えで、社会の為或いは人類の為に何うするかという主張というものがない。だから日本の小説はそこに目醒めなければならない。そこにいくと西洋の小説は実にスケールが大きい事と、人類愛的に素晴しく智性が高い点があるのです。そういう話をしたのですが、どうも日本人はそういつた様な御座成(オザナリ)的で、その日暮し的の状態です。その代り色々な種類は多いです。然しそれを纏めた力強さがないという事は、今言つた国民的誇りの自信がないという事です。之も私は段々時節に応じて発表する積りですが、日本人の内に又素晴しいものがあるのです。この一番素晴しいのは大和民族です。この大和民族の文化的智性というものは実に素晴しいものです。それが今迄隠れていた。というのは神武天皇以来色んな戦争で、平和より戦争の方が多かつたのです。それから権力争いです。そういう事の為に下積になつていた。私は大和民族の頭領なのです。ですから之から愈々大和民族が出て来るのですが、大和民族というのは日の系統です。今迄の世界というのは月の世界、夜の世界だつたからして、月が出ている間は太陽は地球の裏側になつて暗闇(クラヤミ)になつていたというのが、今度愈々太陽が出て、月の夜が隠れて了う。そこで昼の民族というのが大和民族です。大和民族の中心というのが私です。それで日の神様が守護しているのです。それで火素が出て病気が治るという事になるのです。今迄は斯う(御浄霊)して病気を治す事は出来なかったというのは月の光だからです。月の光というのは太陽の六十分の一ですから、今迄の宗教では治つても六十分の一です。闇の夜であつたのが、愈々太陽の光が出たら月の光は消えて了うのです。太陽の光ですから六十倍病気が治るというわけです。それですから馬鹿に良く治るという事は当り前で不思議はないのです。

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十月十七日

此間も話しておいた「アメリカを救う」という本を、約半月ばかりで急いで書き上げたのですが、飜訳の上手い人が居て其人の色々な仕事の都合で、どうしても今月半(ナカバ)迄というので一生懸命書いたのです。何しろ大統領始め各著名人に読ませるのですから、出来る丈分り良く、少しも破綻がない様に極く入念に書いたのです。何しろ彼等が思つている事や、又教育した事とは全然逆ですから、それを成程と思わせ様とするのですから非常に難かしいのです。おまけに米国の医学というのは、あの通り新しい薬や手術や、色々とそういうもので骨を折つているのです。それを全然ぶち壊そうというのですから非常に書き悪(ニク)いのです。それでも否定する事は出来ない様に書いてある積りです。そこに一つ一つの病気に就いて、御蔭話を多いのは六つ少いのは三つ挿んでありますから、理論と実証と両方で分らしてありますから、反対する事は出来ないのです。五章丈が理論になつてますが、之を今読ませてみます。

御論文  アメリカを救う〔⇒序論、⇒病気とは何ぞや、⇒種痘と薬毒〕

未だ二章ありますが、之をアメリカの人が読んだら喫驚するだろうと思います。それで病気は薬でなければ治らないと思つているのです。之丈言えば、相当腹に堪(コタ)えないわけはないと思います。或いは問題になるか、センセーションを起すか、相当反響があると思います。

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それから今度、メシヤ教の信者で代議士に三人当選したのですが、之は、非常に骨折つた信者さんもある様ですが、私からも……御礼と言いますか、信者の労を犒(ネギラ)います。兎に角宗教で、然も新しい宗教で三人も国会議員が出来たというのはないそうです。メシヤ教丈だそうです。之からも、教団は直接政治的に関係はないから効果はないとしても、その教団の対外的信用です。例えば何処かで講演しても、現代議士という意味で非常に重きを置く、つまり信用ですが、それに大いに良い影響があるという事は確かです。やはりそういう必要に依つて神様がそうしたのですから、非常に結構だと思つてます。昨日一人来て、非常に喜んで居ました。

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それから明日私は京都方面に二晩泊りで行きます。名古屋に寄つてそれから京都、奈良へと、そういう予定です。之は皆知つているでしようが、嵯峨に将来の地上天国の土地と………。一寸見た丈で未だ充分見てないから、今度は充分見て………、未だその外にも、其の附近に手に入れなければならない所がある様です。神様はあの辺に中々深い計画がある様です。その用と、それから京都の美術館で浮世絵の展覧会があり、そこに私の処から五点ばかり出しました。私も非常に見たいですし、何しろ大分大仕掛の様です。来年は箱根の美術館で、今度別館を造り始めましたが、別館が出来たら浮世絵展覧会をやろうと思つてます。大分浮世絵の良い物も集まりつゝあります。之は神様の計画で、そういう時には必ず浮世絵の素晴しいものが、頼みもしないのにひとりでに集つて来るのです。それで之は浮世絵の展覧会をやれというのだなと思うのです。そういう様で、相当素晴しい展覧会が出来る筈です。猶未だ外にも色々ありますが、大体その用件で行くのです。聞いてみると、嵯峨の土地というのは、最初手に入れた処は一万八千坪ですが、あの辺が平安朝時代の文化の中心だつたそうです。藤原時代の色んな絵に山が画いてありますが、今度の地所の周囲に二つ三つ山があつて、それを画いたものです。それからよく水に月が写つたりしているのは、広沢の池を画いたのです。それから其処の地所の前の通りは蔦の細道と言つて、よく巻絵なんかにあります。そんな様で、あの附近一体は藤原時代の当時の偉い人の住居があつたのです。歌人などが多かつたのです。紫式部とか清少納言という人達があの附近に住んで居たのです。そういう様で、あの附近が、何処となく落着いた、雅(ミヤ)びた感じがするのです。私はあそこに「平安郷」と名前を附けましたが、そんなに深い事は知らなかつたが、丁度名前が良く合つているわけです。つまり平安朝文化の中心です。奈良朝文化は仏教文化ですが、平安朝文化は仏教文化でない芸術的な文化の発祥地というのは、やはりあそこなのです。だからその点に於て歴史的にも非常に意味があるのです。ですからいずれはあの辺がそういつた意味での新しい、むしろ世界的といつた文化が、あそこを中心に出来るのかも知れません。神様が色々計画なさって居るのですから、段々時の経つに従つて分つて来ます。そんな様な意味で、非常に楽しみでありますし、面白いと思います。話はその位にして置きます。

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十月十八日(名古屋市金山体育会館に於て)

京都に行く途中で立寄つたわけですが、今度京都に参ります目的は、嵯峨の土地が手に入りまして、それを見て色々な計画を立て様と思います。それが主なる目的で、外に美術に関係している事も色々あるわけです。土地に就きましては、去年の春初めて京都に行つたわけですが、其時に将来京都に地上天国を造らなければならない、という結局神様の思召しです。それが分つたので、京都で平な土地、何万坪という……それは今精しく言えませんが、それと大きな池です。斯ういう注文をしたのです。すると去年の秋に行く前に、丁度適当した所が見附かったから見て呉れというので、去年の秋に見たのです。すると思う通りなのです。そこで、値段を聞いてみると馬鹿に高いので、とても手が出そうもないのです。それで私は、放つたらかして置け、今に神様が何とかするからと言つて置いたのです。処が最近になって非常に先方で売りたがっているというのです。値段も非常に安く手放すというので、それでは買つた方が良いというので最近買つたのです。そこは一万八千坪の土地に、百坪位の立派な家が建つているのです。丁度そこを泊る場所にして、そうして色んな計画をしようと思つて居りました。どうせ信者さんが大勢来られると、そういうのは急に建てるわけでもないから、その点を一寸思つて居た処が、つい四、五日前に其土地の真ん前に、地所が千何百坪、建物が二百坪位で、その建物に畳を敷くと百畳位のがあるというのです。大勢来てもよいのですから、神様は抜目はありません。値段も安いというので、早速それも手に入つたのです。それが決つたのが昨夜なのです。昨夜京都から電話があったのです。今日、そういう事は予定でなく来る筈だったのですが、それが前の晩に、必要だった所が見附かったのです。それが決るという事は、実に神様のやられる事は一日の喰違いもありません。実に大きな奇蹟です。それで丁度明日それを見て指図する積りです。ですからあっちに行つて信者さんが来ても、百畳敷位あれば大抵不自由はしないだろうと思います。別に御祭とか、熱海でやっている様な大勢面会という様な事はありませんから、丁度適当している所です。神様のお知らせは、京都方面に就いても色々ありますが、それは知れては工合が悪い事で言えませんが、あそこの経綸というものも面白い点があります。段々調べてみますと、丁度広沢の池の直ぐ傍ですが、最初の土地というのは池の縁(フチ)からずっと拡がっているのです。処があの辺が昔の平安朝文化の発祥地だそうです。奈良は仏教文化の発祥地ですが、そうでない一般的文化の発祥地は平安朝です。其次が東山時代、足利時代の文化です。其次が桃山時代の文化です。京都は三段階になっています。後は徳川、明治からの新しい文化です。そういった様な三段階の文化を基礎として、其後西洋文化の影響を受けたりして出来たのが、徳川から明治、大正となっている。とすると嵯峨の土地というのは非常に意味があるのです。その様なわけで、神様の方では余程御仕組があるらしいのですが、まあ段々分つて来ます。

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それから之は前から話しようと思つている事ですが、やっぱり時期が来ないとはっきり話す事が出来ないので言わなかったのですが、時期が来ましたから今日初めて話するのです。之は昔から、西洋での余程古い……キリスト教だろうと思いますが、「東方の光」という事を言い出したのです。東方の光というのは、人の口から口へとずっと話されているのです。東方の光というのは漠然としていて今迄は本当に分らなかつたのです。その東方の光に就いて今日話そうと思つて居りますが、東方の光というのは私の事なのです。それは色々ありますが、一番はっきりしている事は世界の東が日本です。極東と言いますから、東には間違ないのです。日本の東は東京なのです。東の京(ミヤコ)としてあるのですから東に違いありません。東京の東は浅草です。浅草の東は橋場という所です。私は橋場という所で生まれたのです。橋場で生まれまして、それから転々として西へ西へと、斯うして来たのです。最初は、千束橋という所がありますが、それから日本橋です。浪花町という所があります。それから京橋の木挽町という所がある。それから大井という所ですが、今は大田区の大井と言うのです。それから大森、玉川。それから箱根、熱海で、今度は京都に、と数えると八つになっています。八つで西へ西へとなっています。今度は何処かと言うと、九州です。未だ時期が来ませんが、いずれ九州に地上天国が出来るのです。其次が支那に出来るのです。それからエルサレムです。あそこでお終いです。ですから西へ西へと行くわけです。エルサレムに地上天国が出来た時が、世界の地上天国の初めになるのです。それからが世界が統一されるのです。之は私が言うのではなくて、昔ユダヤの方でそういう予言があるのです、エルサレムでは、将来世の中を救う人が此処に来られるという事で……四つの門があつて、四つの門の内三つは常に出入りは出来るのですが、一つの門丈は“開かずの門”と言いまして出入りが出来ない。段々西へ行つて、あそこに行く時に初めて開いて、開かずの門というのは消えて了うのです。そんな様なわけで一種の予言ですが、予言というより確言と言つた方がよいでしよう。間違ありません。若し嘘を言つたら、私は嘘吐きになりますから、殴られはしないでしようが、全然信用を無くしますから、嘘は言いません。今迄の色んな世界の文化などを見てみますと、みんな西から来ているのです。大体宗教でも、仏教にしろキリスト教にしろ神道にしろ――神道も西から来ている。大体日本の神道というものは、神武天皇系で之は九州の高千穂です。それから後は出雲系です。そんな様な工合に一切の宗教が西から来ているのです。只一つ丈東から出たのは、仏教では日蓮宗です。何時も言う通り、仏教はみんな夜の教え、月の教えです。その内に只一つ丈日蓮宗が日の仏教だという事を言つてますが、日蓮が初めて「日」という事を唱え始めたわけです。そこで唱え始めたのが安房の清澄山という所です。尤もあそこで生まれたのです。安房の小湊の誕生寺というのは、日蓮上人の生まれたのを記念して言つているのです。私が昭和六年六月十五日に安房の乾坤山日本寺という所に三十人を連れて行きましたが、其時に初めて黎明になったという事を言つてますが、其前に日蓮上人はその乾坤山から一寸行つた所で、初めて「妙法蓮華経」を唱えたのです。日蓮宗は六百五十年とも言うし七百年とも言いますが、妙法蓮華経を唱えられてから七百年で、死んでから六百五十年です。その位前に既に仏界には日が出たのです。昼間の世界の第一歩が始つたわけです。で、この「東方の光」というのは、つまり太陽です。昼間の世界になるという事は、太陽の照らす世界という事です。それで私の此処(腹部の中央)に光の玉があるのです。此の玉が東方の光です。今言つた様な東から段々西の方に、或いは中天に登つていく……と、そんな様な工合で、東方の光という謎が茲に於て解けたわけです。斯うやれば本当に治るという事は、之から出ます。それで胸に光を放射されているわけです。

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此間も言つた通り、今「⇒アメリカを救う」という本を書いてますが、もう大体出来て今飜訳にかかってます。まあ日本はよいですが、アメリカの方には出来る丈多く見せたいと思うのです。それには英文にした方が良いというので今訳してます。それに今アメリカの方は非常な病人ですから、一々病気の原因や治し方や予防を色々書きましたが、その治すのには、やはり私の霊の力でなければ、或いは早く治すには駄目だ、と。それにはいずれこちらからそういう人が行く。遅くとも来年の上半期中には行くから、待つて呉れと書きましたが、只斯うやった丈で治るという事を説明しなければ先方は納得がいきません。それにはやはり私に光の玉がある……西洋の人はエホバなら分りますから、エホバから与えられている其の光の玉に依つて治る。という事も精しく書きました。やはりそうしなければ徹底しません。そこで、之はキリストの話になりますが、キリストは「天の父の霊によつて、救いをやる」という事を幾度も聖書で言われてます。ですからキリストはエホバの子になるわけです。それで私の力はエホバの直接の力というわけです。私から言えばキリストは子供になるわけです。今信者がやっているのは、キリストが行つていた事を盛んに行つてますが、此前も八年とか眼が開かなかったのが、二分ですっかり見える様になったというのがありましたが、今度「栄光」に出します。それから十三年位足が立たなかったのが二十分で足が立つて翌日には立って歩く様になった。というのがありましたが、キリストが行つた、聖書にある様に盲の目が開き、跛(ビツコ)の足が歩けたという事がありますが、私の弟子が今やっているのです。此事実で、今私が話した事は間違ないのですから信ずるより外はないのです。そんな様な工合で之から段々、神様が色々な方法を以て救の業をされる。私はその執行機関です。どうしても霊ばかりでは世の中は救われない。世の中は物質で出来てますから、それには生きた人間が唱道しなければ駄目です。そういう仕事を私がさせられているわけなのです。ですから時の経つに従つて追々それが具体的に現われて来ます。今度の“アメリカを救う”という本も、見ると喫驚するだろうと思います。日本が敗戦国でヒョロヒヨロしているのに、アメリカの方で“日本を救う”とはありそうな話ですが、やっと未だ講和になるかならないかという碌(ロク)に腰も立たない様な日本が“アメリカを救う”なんていうのは生意気千万だ、と言うでしよう。ですから余程自信がなかったら出せるものではないですが、私は人類を救う上に於て、アメリカ人だろうがソ連人だろうが……共産党も世界では脅威とされてますが、何でも救わなければならない。スターリンが救世教信者なら話もし易いが……。併し兎に角人類を救うに於ては、あらゆる間違つた点、人類に不幸を与えるとか災(ワザワイ)を与えるというのは、全部除かれなければならない。そういう事は今迄なかった。実際的にやる人はなかったし、又出来ようとも思わないし想像もつかないですから、私が斯んな事を言うと、信者は信じますが、第三者としたら、大きな事を言うなと思うでしよう。併し之丈信者さんが居るのですから、頭が変だとは思わないでしようが、余程変つたものだと言うでしよう。けれども何と言われても思われても、真理を行つているのです。自信があるのです。そうでなければ私共には言えません。だから絶対的な信念があればこそ何ともなく言えるのです。いずれメシヤ教というものが世界的なものになりますが、そうすると大いに張合(ハリアイ)いがあります。此間信者で小川菊造という自動車の方をやっている人が、世界を廻つて来ての帰朝談を聞きましたが、其人の話では兎に角ドイツ、イタリヤは非常な勢で復興しているそうです。その意気の盛んな事は日本人は足下にも追附かないと言つてました。というのは、国民的自信があるのです。イタリヤにしても、ローマ時代のあゝいった文化を持つている国であるし、又ムッソリーニが非常に崇拝されているそうです。戦争をした事は悪いが、あとはみんなイタリヤの為になっていると言うのです。又ドイツでもヒットラーは戦争したのは悪いが、あとは実に良い。マイナスよりプラスの方が多い、という考えを持つているそうです。ドイツの方は表面的でなく裏面的にナチスの運動もあるそうです。ドイツ魂が何で世界の他の国に負けるものか、きっと復興してみせるという、燃えるが如きものだそうです。電車に乗つても、乗客の方で五円宛切符の外に金を出しているそうです。ドイツ復興の為と言つて、国民が自発的に出しているというその一事を思つてみても、如何に強い国民的信念があるかという事が分ります。日本に至つては、小川さんが言う様に自信がない。フラフラしている。中には米国が良いとか、ソ連が良いとか、英国が良い、という様にみんな外国より下になっている様な日本人が居る。誇りと言いますか、プライドがない。それが一番歎かわしい。日本が一番偉い、良い国になる、という心がないからいけないと言つてましたので、私も共鳴して、そうでなければいけないと言つたのですが、その意味で“アメリカを救う”というのを出して、アメリカ人を偉いと思わせるというのではないですが、立派な国ですから救わなければいけない。其為に日本人の中で、兎に角“アメリカを救う”と、アメリカを下に見ていると言うか、或いは自信満々として、日本人でもそういう人があると思つて、読んでみると事実間違つていないという事が分つて来る。すると日本人を馬鹿にする事はない、我々も考えなければならない、という様な感じを多少は受けさせられると思うのです。ですから兎に角ドイツ魂とかアメリカ魂とかアングロサクソンとか、そういう良い魂というものを、戦争中の大和魂では困りますが、日本人の腹にもっと文化的な平和的な信念と誇りを持つて戴きたい。私は美術館を造りましたが、美術館もその積りです。あゝいう事は日本人が昔から如何に勝(スグ)れているかという事を見せたい為です。だから美術は日本美術を主にしている。そういった根本になるのです。美術館も、二、三年の内に熱海にも造る積りです。熱海のは名実共に世界一で、何処の国にも負けないという美術館を造る積りです。“アメリカを救う”というのも、病気を治すのはアメリカが世界一となってますが、段々日本が、あらゆる面に於て日本は素晴しいものだ、と言う様にしたいと思うのです。之は軍国主義的な事ではなくて、世界中の人に楽しみを与えるという意味でやるのですから、其点根本に於て違うのです。兎に角今話した様な自信を日本人が大いに持つて貰いたい。之を希望するのです。信者の人もそういった様な気持で、平和的には日本人は偉い、世界の何処の国にも負けないという事です。又日本人の頭脳も素晴しいものです。日本人は文化的優秀性を持ち乍ら、今迄武器をとつて日本人の天性でない様な事をさせられた。其為に折角の文化的優秀性を殺したのです。日本人に、今言つた様な武器をとらせないで筆をとらせる様にすれば、私は世界の何処の国にも負けないというものが出来ると思うのです。其点で私は神様から知らされている。斯ういった病気治しでも、日本人が一番治る事は分つているのです。之を以て世界中の病人を減らす可く、将来やる時が来るだろうと思つて居ります。大分話が長くなりましたから、この辺で失礼します。

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十月二十日(京都劇場に於て)

今日は時間が割合にありますから、ゆっくり話が出来ると思います。昨日浮世絵展覧会を見ましたが随分沢山出てました。皆さんも見られたでしようが、集めた点では驚きました。併しずっと見ますと、やはり私の方で出したものが一番良かったです。出したのは四点ですが、有名な「湯女」と、歌麿の「入浴の図」と、それから「南蛮屏風」という外人の風俗を画いたもので小さい屏風です。それで先方でも昨日は博物館の浮世絵専門の人で、近藤市太郎という人がすっかり説明してくれました。又京都新聞の社長、編集長も話してくれましたが、やはり私の方の三点が一番優秀だと言つて居りました。この種類の内で一番良いという事を非常に褒めていましたが、私の方であゝいう品物は別に大して関心を持たなかったのですが、丁度箱根美術館の開館と前後して手に入つたのです。中々容易に手に入るものではないですが、頗る簡単に手に入つたという事はやはり人間業ではありません。神様は寔に気が利いていると言いますか、そう思つて驚いた位です。来年は箱根美術館に別館を造ります。別館ですからずっと小さいもので、五間に八間という会場です。来年の開館早々に浮世絵展覧会をやる積りです。勿論、数は京都のから言えば何分の一かも知れませんが、品物に於ては今度の京都以上だと思つて居ります。そういう様な物が大分手に入りましたし、或いは手に入らんとしている様な状態です。到底一寸手に入らない様な物が、不思議に入つて来るのです。実に面白いものです。そんなわけで、来年を楽しみにして貰い度いと思います。

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今度こちらに来た目的は知つているでしようが、嵯峨の土地と、それから最初手に入れた土地のすぐ前に、少し小さいですが手に入つたものがあるのです。そういう点に就いて非常に奇蹟があるのです。それを話しますと、最初の方は前に話した通り一万八千坪です。それに百坪位の家が建つているのです。その家は何だかはっきりしなかったのですが、昨日行つて見ますと非常に良い家なのです。何だか拵らえかけの様な話があったのでどうかと思つていた処が、立派に出来上つて人が住んで居りまして、住むとしては別に手を入れなくても良い位に完備して居ります。それで大変喜んだのですが、来年の春はあそこに住まれる家なので喜んでいるわけなのです。あそこは私が少し位滞在するのには充分ですが、唯信者さんが大勢来た時に困るのです。どうしても庭に一寸張るより仕方がないのです。すると、最近五、六日前に直ぐその前の処に地所が千数百坪、建坪が二百坪余りの家があるのです。それを昨日見た処が、中々間数があるのと、どういうわけで出来たのか座敷が立派で板張りが多いのです。只それに畳を敷けば随分大勢の人が入ります。ですから信者さんが可成り入つて休む事も出来るし、寝る事も出来るのです。実におあつらえ向きの家といった様なものです。それが急速に、それこそ三日か五日で決つて了つて、十七日の晩に決つたという電話が京都から来たのです。丁度、私がこちらに来る前の晩ですから、実に神様のやられる事は、一分の隙もないというわけです。始終奇蹟には慣れっこになってますが、それでも今度のには可成り驚かされました。昨日見ますと、庭なんかも今は薮の様に生い茂つてますが、すっかり手を入れると中々良い庭です。家の普請も私は、良い加減値段も安いからバラック位の物と思つた処が中々そうではないのです。相当見られる建築です。ですから、其処に畳を敷いて一寸した処を直す位で立派に役に立つのです。庭なんかも奉仕隊の人達が生い茂つた草を刈るとか広い庭にすれば、実に良い庭になると思います。それで来年の四月に来る積りですが、それ迄に草刈りをやって貰えばすっかり見通しがつきます。之は京都の教会の方なんかゞやってくれると思いますが、まあ、そんな積りです。それで来年の春に来て五、六日こちらに居て色々計画を立て様と思つて居ります。

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大体京都の文化は、良く見ると三段になっています。最初は平安朝の平安文化と、それから東山文化即ち足利時代のものと、桃山文化です。丁度藤原、足利、豊臣と三段になっています。此の京都の文化というものはそれであり、それから江戸に移つて元禄を中心とした華やかな文化時代が生まれましたが、兎に角それ迄は丁度三段階になっています。仏教の方は奈良の方に早く出来た文化ですが、そうかといって今更新しく仏教文化を採り入れるという必要はありませんが、今の三段階の文化の良い処、特異な処、そういうものを採入れて、その模倣と言つては仕様がないですが、やはり現代の二十世紀としての感覚に依つて、その三段階の文化をよく調和させて、現代の人にもすぐに受入れられる様な、古い懐古主義的なものではなくて、そういった懐古的なものを採入れると共に時代感覚にピッタリ合つた様なものを造ろうと思つて居ります。理屈丈言うと結構ですが、一寸之で人間的には難かしいわけなのです。古いものと新しいものとの調和ずれのない様にピッタリする様なものを造るというのは難かしいものです。牛車に自動車のエンジンを附ける様に難かしいものです。それを無理なく反つて良いという様にするのですが、神様がやるのですから卒(ソツ)はないと思います。つまり今迄の宗教などはそうですが、神様というのは芸術的には縁遠いものゝ様に思われていたのです。処が大違いで、兎に角神様は芸術には最も重きを置いているのです。唯今迄は世の中で芸術的なものを造りたいと思つても、夜の世界で地獄の世界だから、そういうのを拵らえても仕様がないし、条件が揃わないから拵らえないのです。それで最高の神様は時を待たれたのです。愈々時が来たので神様は本当の御心を発揮されるわけです。之からは人間の理想としていた様なものがドンドン出来るわけです。そんな様な意味で、大いに楽しい世の中が出来るわけです。

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処でそういった芸術や美術というものも結構ですが、何よりも彼によりも、分り切つた事ですが先ず人間の健康が第一です。そこで人類から病気を除き、健康人間ばかりの世界にするというのが根本ですから、それを根本にし乍ら芸術の世界を作つていくわけです。今第三次戦争というのを恐れていますが、之は今膏薬張り的に各国が軍備を充実するという一時凌ぎしか出来ないのです。実は根本的に戦争のない世界、戦をするという人を抑え附けるというのでなくて、戦をしようという人を無くすというのが根本です。それには健康人間を作るのです。つまり戦争したいとか、或いは自分一人が偉くなつて、自分の国が立派になって他の国は犠牲にしても仕方がないというのは精神が病気です。健康人間ではないのです。健康人間というのは霊体両方が健康になるのです。処がそういった慈悲も情もないという人間は精神が不健康です。精神が病(ヤマイ)です。ですから精神病人です。唯、気違病院に居る様な精神病とは違つて、もっと立派な精神病なのです。そういう人が間違つた思想をもって、社会をぶち壊したり、大勢の人に不安を与えたりする事を好んでやる。それを好むというのは人間性ではなく獣性です。仲間同士で喰い合いして、自分が少しでも好いものを喰う考えしかないのです。処が今他民族を虐げても、大勢に不安を与えても、自分丈が良ければという考えは獣と同じ事ですから、人間性というのは余程萎靡しているわけです。麻痺しているわけです。というのはやはり精神病です。ですから精神病の人類を健康にするという事が根本です。

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私は今「⇒アメリカを救う」という本を書いてますが、もう大体出来上つて印刷にかゝる事になって居ります。アメリカの人に一人でも多く見せる為には、やはりどうしても飜訳しなければならないので、今訳しています。そうして英文の本も作る事になって居ります。日本文の方は来月か再来月辺りに新聞広告を成る可く余計する様にして、日本人が肝腎ですから、日本人にも分らせたいと思つて居ります。“アメリカを救う”という本を出すと、アメリカの人達は日本の奴やっと講和になって敗戦後ヒョロヒヨロしていて、講和になる早々アメリカを救うなんて生意気千万だと思うでしよう。アメリカで日本を救うという本が出るならば成程と思いますが、ヒョロヒヨロしている日本が、アメリカを救うなんていうのはとんでもない奴だ、生意気千万だ、と思うかも知れません。併し却つてそうする方が興味を引きますから、向うにも売れるし、読ませるという事になると思います。大統領始め、有識者、医学関係者には只配る積りです。そうするわけは、兎に角こちらの信者がアメリカですっかり調べた処病人が余りに多くて、然も年々非常な勢いで増えつゝあるのです。ここでアメリカの人が気附かないとしたら、アメリカの人は平和を維持するという事は出来なくなる懸念が大いにあるのです。世界人類を救うとしたら、アメリカを救うという事が一番効果的です。何しろ今アメリカの文化が世界をリードしているからです。アメリカが分れば世界はみんな分ります。特に日本人が一番分るでしよう。何でもアメリカの真似をするのですから、日本を救うというのは反つてアメリカを救う事が必要だと思つて居ります。つまり日本人の舶来崇拝病というのは今以て中々根強いのです。だから日本としては舶来病を救わなければならないのです。それについて最近信者の小川菊造という人ですが、バスの方では中々有名な人です。その人が今度世界中を廻つて歩いたのです。バスの研究だとか、色んな研究に行つたのだと思いますが、つい此間帰つて来て、その帰朝談を聞いたのですが、外国の現在の状態に就いて色々話してくれました。中々参考になり面白い事があります。そこで一番驚く可き事はヨーロッパを見た時に一番感じたのはドイツとイタリヤだそうです。その内で特に目覚しいのはイタリヤだそうです。イタリヤはムッソリーニを神様みたいに思つているそうです。ムッソリーニ崇拝熱というものは中々馬鹿に出来ない。ムッソリーニの家族を国民が随分優遇して、手厚い世話をしているそうです。そんな様なわけで、近々フアッショの団体が相当持ち上げて来るだろうと言つてました。それからドイツではやっぱりナチスは裏面で相当色々な計画をしているそうです。でも之はアメリカから非常に悪い様に見られてますから、あまり表面には出せないそうです。ドイツでもイタリヤでも成る程ヒットラーやムッソリーニが戦争したのは悪いが、外の事は非常に良い。だからあの人達の良い処は学んでそれを採り入れ、大いにやらなければならないという、其処の判断力が非常に正確なのです。そこで戦争以外の事は今でも指導者として崇めているという事です。そうしてドイツで私は驚いたのですが、西ドイツが去年の出超が三億ドルでしたから、到底日本等は追附きません。半分に切られた西ドイツ丈で三億ドルの黒字を出したという、つまり産業に対する活動力というのは大変なものです。特に感心したのは、小川菊造さんの話ですが、電車に乗りますと切符の外に五円宛ドイツ復興の為の費用として国民の方で出しているそうです。之を思つても如何に国民が真剣になつて国を思つているか、という事が分ります。そんな様なわけで、イタリヤには戦前は乞食が沢山いて憐(アワレミ)を乞うとかいって、乞食国と言つてましたが、今度行くとそうではなくて溌剌たる意気に燃えて将来大いに発展するという事が漲つているそうです。近代イタリヤの事情等新聞なんかを見てもそういう点は大いにあるのです。私はイタリヤには大いに関心を持つてますが、つい此春、外国の建築の写真を取寄せてますが、イタリヤのローマのステーションが新築されたのですが、それを見て驚いたのです。実に良く出来ています。私がステーションを頼まれゝばあゝいった設計をするでしよう。ピッタリしているのです。それでイタリヤ侮る可からずという気がしました。小川さんも言つてましたが、やはり世界中を見て歩いてローマのステーションが一番良いと言つてました。アメリカでもそういう建築はなかったと言つてました。之は一度何かで見られると良いです。様式はやはりコルベジュエ式ですが、ステーションとしての役目が理解された様式になっているのです。けれども私が熱海に造るメシヤ会館は、コルベジュエ式を宗教的に表現した荘厳味のあるそういった様式にするつもりです。コルベジュエ式というのは宗教と反対の様式ですから、実用一方でホテル、官庁という処に適当しているのです。ドイツと言いイタリヤと言い、ドイツなど例のヒットラー道路というのがありますが、ヒットラーが第一次戦争後ドイツが非常に疲弊して失業者がたくさん出来た。それを第一としてドイツの縦貫道路に失業者を使つて拵らえたのです。ヒットラー道路として有名ですが、そこを自動車で走らせると一時間百五十粁出るそうです。アメリカでもそういう道路はないそうです。そんな様な工合でドイツでもイタリヤでも、ドイツ魂イタリヤ魂とか言つて国民性が強いのです。プライドを持つているのです。処が日本を見るとそれがないのです。日本人は中々理屈は言つてますが、実に誇りがないのです。日本人というのは特にそうです。アメリカの此処が良いドイツの何処が良いと言つて外国の真似ばかりしてフラフラしているのです。しっかりしたものを掴んでいないのです。その為に年中社会は安定していない。政治にしてもそうです。大政党である自由党等も、やはり鳩山だとか吉田だとか言つて両方で妥協が出来るかと思うと又崩れるという様にフラフラしている。斯ういうのは恥ずかしい事です。アメリカの経済的援助を頼むにしても先ず日本の経済の安定がなければ困るというのですが、自分達が安定させないのです。今日の日本人というのは誠に信念がないのです。そういう点に於ても今度の“アメリカを救う”という本は、アメリカ人を救うと同時に日本人も救うという一石二鳥の効果があるのです。日本人を救うというのは、日本人の考えをです。つまり或程度はアメリカ人より偉いという事です。アメリカの医学を何だ彼だと良く言つているが、日本人の内でも中々馬鹿にならない、アメリカの文化より上のものが生まれたという処を見せて、日本人も中々馬鹿に出来ないという……自尊心ではいけませんが、自信です。それに対して相当の効果がありはしないかと思うのです。それについて私が言い度い事は、日本人は世界で一番偉いのです。日本人は一番優秀であるに不拘それを今迄現わさなかったという事は、長い間間違つた偉い人です。要するにその時代々々の権力者が天下をとりたい為にやったのです。徳川期になって戦争も、漸く平和の時代が来た位で、それ迄は戦争が多かったのです。長い間の戦国時代です。徳川時代になって平和になったが、自己の主権欲の為に自分が長く天下を掴みたい為に、続けたい為に人民を圧迫したので、人民の内で偉いのが出ると危険を感じてそれを圧迫して了うというので、日本人に偉いのが出ないようにして雁字搦めにして続いて来たのです。それが明治になると跡切れしましたが、併し違つた意味の封建制です。その封建制から生まれたものが軍閥です。軍閥が今度の戦争によつて国威を輝やかそうという……ヤクザの親分みたいで、縄張りを拡げようと思つて最初はアジヤをやろうという内に逆上せあがって、今度はアメリカをやっつけようという事になって、今度ひどくやっつけられたのです。当り前の話ですが、一時は日本も苦しめられましたが永久の日本を考えれば非常に良いのです。信者の人には言いましたが、日本の将来を考えれば実に結構です。その為に漸く民主々義になって日本人の偉い事を遠慮なく出せるという事になったのです。私の口から言うのは可笑しいですが、終戦迄は宗教的な事は何にも出来なかったのです。日本浄化療法という民間療法で漸く仕事をしていたわけです。それが終戦になった為に信教の自由が許されるという様なわけで、宗教的な運動も出来る様になり、今日の様に発展し、“アメリカを救う”という本も出せる様になったという事は要するに日本人の優秀性を思う様に発揮出来るという日本になったわけです。美術館にしてもそうです。今は日本人で偉い人はないですが、昔日本人の中にはこういう文化的に優秀な、高い頭の人がいたのだ、又日本人の美的感覚は之程勝(スグ)れていた、という事を外国の人達に見せたいという意味が多分にあったのです。箱根とか熱海という外人の来る処を選んだというのは、私が選んだというのではなくて、神様が選んだのです。私はその仕事丈をしたのです。日本人の勝れた点が世界的にだんだん現われて来るのです。湯川博士もその内の小さな一人なのです。ですから日本人で外人に負けない様な偉い人が出ます。そんな様なわけで日本人の自分自身の誇り、或いは再認識です。そんなに俺は偉かったのかという事を悟るという事が大いに必要なのです。私はそういう方針で仕事をやっています。ですから信者の人もそういう頭を持つて下さい。それから之はみんな知つている事ですから今更言う事はないのですが、病気を癒す事丈は断然世界一だという事は分つてますが、何しろ世界中で一番偉いものだとしているのはキリストです。併し私の弟子はキリスト位の奇蹟は毎日やっているのです。今度の御蔭話に出ますが、八年も眼が見えなかったのが浄霊二分間で見える様になったというのです。キリストに勝るとも劣らないと思います。又十三年間足が立たなかったのが、二十分の浄霊で翌日は歩ける様になったというのがありましたが、キリストに一つも負けてはいません。ですからキリストが何万人何十万人と出来て来ると日本はどんなに偉いか分ります。桁が違つて来ます。というのは科学的に言つても分るのです。キリストが治した力というのは月の光です。今迄色々な偉い人が奇蹟を現わしたのは月の光です。今度私が始めたのは日の光ですから、日の方は月の六十倍の光があります。だから今迄より六十倍の奇蹟が出来るわけです。私の弟子がその位の奇蹟が出来るのは不思議ではない。当然の事です。そんな様なわけですから、之から救世教が先達(サキダチ)になつて日本人の偉さを世界中に見せるという段取りになっているのです。何にもそういう希望でやっているのではないのですが、元々日本人にはそういう優秀さがあるのです。それが今迄押しつぶされていたのです。だからそうなるのが当り前です。偉いと言つても戦争に勝つ偉さではないのです。むしろ戦争を起さない様にする偉さです。此の偉さは自慢しても思つて居ても決して苦情は来ません。武器の発明の偉さで自慢するのは大変な間違です。武器を発明する偉さというのは、世界を戦争で苦しめる……と、それを防ぐ為にそういう武器を造るという事に於ては結構なものです。原子爆弾もそうであれば結構です。そうでなく、己れの国丈が偉くなろうというのではとんでもない偉さです。泥坊する偉さより泥坊を掴まえる偉さの方が良いのです。平和的の優秀さは偉ければ偉い程世界の人達が有難がります。日本人の優秀性というのは、文化的平和的の優秀性です。それを現わすのに一つの価値として私は地上天国を造つているわけです。特に京都という処は最もそれに適当した処です。箱根、熱海は風景は良いですが、外に何もないのです。処が京都は歴史的に素晴しく、色んな文化的のものが豊富にあるのです。地形と言い、気候と言い、先ず良い事が備つているのです。特に京都で良いと思う事は風のない事です。之が地上天国を造る上に於て非常に良いと思います。東京とか外では、風の為に非常に埃がたちますから汚れます。ですから風が強く当らない様にするとかいう事で非常に悪いのです。京都などの庭園では砂利を敷いてますが、外では出来ないのです。砂利等は飛んで了いますから、箱根でもコンクリートで道を作つたのですが、あれは実に不趣味です。やっぱり小石を敷かなければ本当の味は出ないのです。併しそうしなければ仕様がないですから、芝の間にコンクリート路見たいなものを造つたのです。それから木とか竹とかというのは外のものより良いです。木とか竹とかあちらで家を拵らえても京都のものでないと駄目です。兎に角、京都のそういった条件というのは将来の為に神様がチャンと備え附けられたのです。ですから色んな事が備つている。京都は山の形と言い松の工合と言い、あらゆるものが実に美の都です。ですから名前を「平安郷」と附けましたが、平安郷という名前を附けてから良く調べて見ると、あそこが平安文化の中心地だそうです。あの辺りから生まれたのだそうです。聞いて見ると藤原時代の絵巻物とかに山等があるのはあそこの山です。あれを画いたのです。それから水に月が写つているとか、歌にそういったものがありますが、あれは広沢の池だそうです。道路が蔦の細道というのだそうです。特に絵巻物等に蔦の細道という有名な絵巻物がありますが、それです。そんな様なわけで、あそこが平安文化の中心だそうです。神様はやはり其処をチャンと選ばれるというのは面白いです。そういった様な意味で平安文化と東山文化、桃山文化というものを良く調和させ様と思います。併しガラスやセメントを使わなかったら駄目ですから、そういうものは近代的材料を使いますが、それも無理がなく調和を破らない程度に於て使います。どんなものが出来るか知りませんが、兎に角アッという様なものが出来ると思つています。来年の春あたりからボツボツとりかゝる積りです。まだ色々話したい事もありますが、そうかといって纏つた話でなく、時間がかゝりますし、私も大分顎が疲れましたから此辺で止(ヤ)めます。

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十月二十五日

此間京都や奈良の方に行つて来ました。それに就いて手に入れた嵯峨の土地ですが、今度あの辺を見ると非常に良い所でして、まあ一番良い所かも知れません。山とか、そういったものゝ工合が丁度良い所なのです。それで家も案外立派な家で、私は手を入れなければならないかと思つた処が、そんな事は必要なくて其の儘で立派に住める家なので、来年の春は其処に数日間居る積りです。それで最初は、薮になってますからボツボツ土地の整理をします。私が住むには丁度適当な家なのですが、只皆が来た時住む様な所がないのです。処が丁度其の前に良い売物があつて、地所が千六百坪で建物が二百坪位あるのです。其処にも行つて見た処が、間数が幾間もあって、只何ういう訳ですか座敷は板の間が多いのです。其処に畳を敷けば立派に住めるのが幾間もあるのです。信者さんが其処に泊るわけですが、実に適当なのです。庭も非常に良いのですが、薮になってますから之を立派に手入れし掃除すると立派になります。然も値段が馬鹿に安いのです。半分値です。それが今度京都に行く前の晩に決つたのですから、実に神様のは一日も違わないわけです。ですから其処を見に行くにも非常に張合があつて良かつたのです。で、其処は広沢の池の釣の権利と舟を浮かべる権利がついているのですから、釣をやりたければ自由に出来るわけですから、あそこに信者さんで釣に来る人もないでしようが、釣の好きな人は来ると良いです。魚は随分居るでしよう。

「養魚する様で御座います」

市の方でもあそこを何とかという話です。市は勿論あそこを観光地とするのでしよう。メシヤ教に対して何か言つて来ましたか。

「メシヤ教が買つたという事は、未だ発表してをりませんので」

あそこは市と提携してやると、思い切つて面白いものが出来るのです。池がそう深くなければ、真中に島を作ると良いのです。そうして支那式の橋をかけると素晴しいものになると思います。池は只水がある丈では面白くないのです。そういうわけで、あっちもボツボツやりますが、併し順序から言えば箱根から、今度は熱海ですから、熱海が主になるわけです。それで今度の美術館の浮世絵展覧会を見ましたが、私の方で四点出しましたが、その内の三点は展覧会の圧巻でした。数は沢山ありましたが、之はという物は幾らもありません。勝(スグ)れている物としたら、やっぱり私の方で出した物の内の三点で、之は勝れています。ですから京都新聞の社長と主筆、それから東京の博物館の浮世絵の主任、その人達が非常に期待して呉れ、非常に感謝してました。それで京都の新聞にもメシヤ教に関する事が出てましたが、それと言い、東京の新聞にも時々出ているものを見ても、メシヤ教に対する認識が余程変つて来ました。それはみんな知つているでしよう。ですからしてもう一息という処です。外の新宗教とのレベルの異いさが、未だ一寸位の異いです。新宗教の内ではメシヤ教となってますが、あらゆる宗教の内でも全然頭角を抜いているという処迄に未だ行つてないのです。只割合にインテリの信者が多い事と、それから新宗教の内では一番しっかりしているという位の程度です。之らも非常に早いです。今度京都に行つて色々、体的、物質的という面も相当あり、霊的から言つても非常に変つて来ている。昨年でしたが、然も事件後でしたから、そういう点もありますが、二年そこそこで、丸で空気が異つて来ました。そういう事も段々早くなりますから、もう今後一年経つと余程の異いになって来ると思います。

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一番の急所と言いますか、之は病気です。病気はメシヤ教の浄霊……と。メシヤ教でなければ治らないという空気が出て来たら俄然として発展します。未だ時期がそこ迄行つてませんから、それに就いて色々やってます。今日の東京日日を大体見て来ました。宗教と病気という事に就いての座談会ですが、各宗教からの医学博士が出席してましたが、メシヤ教からは岡田道一さんが出てました。それでそういう宗教と医学に就いて、世の中が関心を持つて来たという事は確かで、もう医者では駄目だ、メシヤ教の浄霊でなければ治らない、という事が社会に知れたら大変です。神様が良い工合にやりますが、それが一番の急所です。そういう意味に於て、今私は書いてますが、“アメリカを救う”というあれは殆ど出来ました。アメリカは無論そうですが、日本人も大いに注目を払うだろうと思います。アメリカを救うなんて、一体何んな事を書いてあるだろうかという好奇心が起るのです。それに就いて、此の前の次を読ませます。

御論文  アメリカを救う〔四、⇒手術に就て  五、⇒浄霊医術〕

色々の病気がありますが、その内で結核が一番肝腎な事なので、つまり科学的に説いたのです。医学の方は科学的ではないのです。医学の方は、何と言うか、機械的、推理的と言つたものでしよう。

御論文〔⇒結核〕【註  栄光一八○号】

之を飜訳してます。そうして英文の方をアメリカに送るのですが、斯ういう風に言つたら或程度は分ると思います。日本と異つてあっちの人は其点は分りが良いです。何の位解るか分らないが、兎に角珍しい説だ、研究しようという人も出るでしようし、反響は面白いと思います。さっきラジオで聞きましたが、今年のノーベル賞はストレプトマイシンを発見した米国の医学者でワックスマン博士と言つてましたが、我々から見ると実に情ない感です。こっちはストレプトマイシンなんて、あゝいうものを飲ませるのがいけないと言う。それがノーベル賞を貰うのですから、如何に世界的に逆になっているかゞ分ります。ですから之が分つたとしても、ノーベル賞受賞は合つてないかも知れないです。何故ならばそんなチッポケなものではないからです。新しいそういった物が出来なければ追附かないです。そうかと言つて今はノーべル賞以上のものが無いから、そんな事は考える必要もないですが……そんな様なわけで、結論は未だ仕上つてませんから、ダブっている処があるでしようが、一寸読ませます。

御論文〔⇒結論〕

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十月二十六日

「アメリカを救う」という本は、もう大体出来たので今飜訳の方をやらせてます。日本文の方は来月あたり印刷にかゝる積りです。徹底的に書きましたが、割合にアメリカの人は良いものは良いと、あんまり伝統に捉われるという事はないですから、非常に解るだろうと思つてます。日本人は解つていて分らないという人が多いのです。“成程それには違いないが、そういうわけにはいかない”という理窟です。此前の次のを読ませます。理論は五項目あつて、此前は三項目迄読んでますから、その次を今読ませます。

御論文  アメリカを救う〔四、⇒手術に就て  五、⇒浄霊医術〕

近来米国では結核が一番増えて来たそうですから、結核の理論を精しく書きました。何ういう訳かと言うと、ストマイとかパスとか、あゝいった様なつまり固める薬が色々出来て、一時抑え附けられる為に結核の死亡率が減つたと言つて喜んでいるのですが、死亡率が減つたという事は、死亡を延ばしたわけです。固めて延ばしたわけですから、此の浄化が来ると、延ばした丈薬毒が――無論延ばしたという事は毒が強い薬ですから、その浄化が起ると、以前より悪性の結核が起るわけです。日本も遠からずそうなりますから、見ていれば分ります。悲しむべきナンセンスです。其為に米国は結核が激増しますから、それを良く分らせ様と思つて精しく書きました。

御論文〔⇒結核、⇒伝染病、⇒結論〕

今聞かれた通り、随分こっぴどく書いてありますが、別にこっぴどく書こうと思つたわけではないのですが、先様(サキサマ)の方がこっぴどいから書かざるを得ないので、まあアメリカの人も之を読んだら相当驚くだろうと思つてます。若し之が非常に向うの人の注目を引く事になったら、非常に売れるだろうと思います。非常に売れて、ドルを出来るだけ獲得したい……と。之は一石二鳥で、少し欲張り過ぎますが、併し悪い事でなく良い事ですから、それに先方も之を知つて助けられるとしたら、御礼しても良いと思つてます。御礼の方は戴くわけにはいかないが……。そうしてアメリカが之を問題にする様になれば、それこそ日本人は大騒ぎをやって問題にしますから、無論日本人を助けるにも非常に有意義なものになるかも知れません。 何しろ日本人は未だに西洋崇拝で、舶来物でなければいけないという観念がこびり附いてますから、之も大いに壊さなければならないと思つている。それで“アメリカを救う”という題は、今、日本人はアメリカから救われたいという精神で一杯です。その反対の方はソ連に忠義を尽さなければならないという思想です。ですから、それというのは日本人の劣等感で、日本人は人の厄介にならなければならないとか、つまり外国人の御厄介にならなければならない、或いは外国の思想、それが進歩したものだという風に、兎に角ソ連崇拝もアメリカ崇拝も、結局に於て日本人の劣等感が根本です。ですから、この劣等感を段々打破らなければならない。というのも理由がなく、只独善(ヒトリヨ)がりでは何んにもならないが、実を言うと日本人は世界で最優秀の民族なのです。で、今迄戦争や封建的の武士道だとか、あんなもので日本の優秀性を異つた方面に発達させたのです。ですから私は武士道は大嫌いです。武士道というのは、つまり自分さえ良ければ人は何うでも良いという、利己的観念の非常に強烈なものです。昔は、自分の殿様とか将軍とか、そういったものに忠義を尽すという事が武士道であり、御維新この方は天皇に忠節を尽すというのが武士道の根本になってました。其為に日本人は敗戦という様な憂き目をみたのです。ですから武士道というものは一日も一刻も早く葬むらなければならない。それだから私は忠臣蔵というのは大嫌いです。処が此頃忠臣蔵が頭を持上げて来た。それで私は余興の講談とか浪曲で……講談が多いですが、忠臣蔵をやらない様にという事を注意しているのです。処が日本人はあれが好きで、此頃復興的にいくらか頭を持上げる様な形勢がありますが、困つたものです。それから今度の「栄光」に出した“⇒今や亡びんとする日本画”というあれも、やっぱり結局に於て西洋崇拝です。日本の画家迄西洋崇拝に陥つている。それですから私は油絵は高級家具だと書いてます。怒るでしようが、高級家具だから高級家具と言うので、別に悪く言うのではありません。芸術ではないのです。芸術と美術工芸の中間の物だと書いてますが、あれは画くのではない。塗るのですから、塗るという事は一種の細工ですから、工芸品の性質を多分に含んでいるのです。あれは主なる画家だとか美術の関係者にみんな配りました。画家の二百何十人というのにみんな配つたから、読んで有難がる人と、腹が立つ人と、色々あるでしようが、併し段々西洋崇拝というよりか――西洋崇拝も良い処があります。良い処は崇拝しても良いですが、日本人の劣等感を無くしなければならない。日本人崇拝でなければならない。それで私は美術館に日本美術を多く出してあるという事は、日本人崇拝を教える事です。昔の日本人は斯ういう偉い人があったという事を知らせるのです。ですからして日本人は、今言つた様な封建精神が戦争に依つてぶち壊されましたから、之から民主的になつて来た以上、平和的に非常に立派な仕事をしていくのです。それで結局西洋で驚いて日本崇拝という事になるのですが、それは時の問題です。ですから私は余程前――二、三十年前から分つたのです。このヒントを得たのは大本教の為ですから、其点は非常に感謝してます。それで段々自分が神様だと言われる様になってから、それがすっかり分つて来ましたが、講和になる迄はウッカリそういう事は言えないから言わなかったのですが、講和になって独立してみれば、そういう事も思い切つて言えるから言つたわけです。何しろ西洋医学に頼ることは、やはり一つの西洋崇拝思想が多分に出ている。ですから薬でも、外国で出来た薬なら喜んで買おうと……ヒドラジットが出来た時など、早くアメリカから来れば良いと何の位待つて居たか分りません。そういう様で日本人の劣等感というのは酷いです。ですから私はボツボツそういった事を知らせ様としているのです。いずれ熱海に出来る美術館は世界一を狙つてますから、段々医学が分るにつれて、段々西洋の方で分つて来ますから、之が第一日本崇拝です。それから「文明の創造」の本が出来ると、あれは医学以外に色々な文化方面に、現在の文化よりずっと進んだ文化ですし、それから美術だとか色々な点で、西洋から日本崇拝をさせる積りです。積りと言つても、之は私がやっているのではない、神様がやつているのですから仕方がありません。で、日本人は何故そういう事があるかと言うと、之を人種的に……先にざっと書いてありますが、之を本当の事を言うと分るのですが、未だ発表するのは早いので、もう少し経つたら発表します。そこで日本人の優秀であるという事は、根本の神様から説いていくと分るのです。それこそ破天荒の説で、面白いのは面白いです。そうすると本当に分るが、併し日本人の内でも、本当に優秀なのは少いです。丁度百人に一人位の割合です。之が日本人の中に居るのです。これが約三千年の長い間抑え附けられて来た。それが、今度メシヤ教に依つて現われて来るのです。ですから斯う(御浄霊)やって病気が治るという事は日本人丈なのです。日本人というよりか、日本人の内の又一層特別の日本人ですが、それ丈がそういう事が出来るのです。ですからずっと以前、何千年も前は、やっぱり之で病気を治したものです。それが或る事情に依つてその日本人が下積にされた。斯ういう事も段々時期の進むに従つて発表していきますから、それを楽しみにして貰いたいと思います。話はこの位にして置きます。

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十月二十七日

最初に注意したい事は、此頃又浄霊に少し力が入る様です。みんなではないですが、人に依つては力が入る様です。之はそういうものなのですが、御蔭話にでも御守護の電報にでも、それが良く出ているのです。「一生懸命に浄霊しても、何うだ」という事があるが、一生懸命浄霊したらいけないのです。治りが悪いのです。だから先に随分言いましたが、決して一生懸命にやってはいけないのです。一生懸命と言つても、腹の中は一生懸命でも良いですが、その一生懸命が手に出て了うから力が入るのです。ですから軽い気持で力を抜くのです。そうすると治りが良いのです。斯う(御浄霊)やって、どうも治りが悪いなと思つたら、力が入つているのです。益々霊界が変つて来て火素が増えるに従つて、余計そうなるのです。つまり人間の力というものが邪魔するのです。力を入れると折角の霊を邪魔して了うのです。それ丈治りが悪くなる。ですから私なんかでも、始終力を入れない様にしてます。そうすると、とても良く治る。今迄の人間は大抵な事はあべこべをやっていたのですから、之なんかも理窟から言うとあべこべです。何でもなく治る様な事が割合に治つてないが、それはみんな力が入るからです。今は非常に火素が増えてますから、病気は非常に簡単に治るのです。あなた方でも、大抵な病気は簡単に治ります。どうも治らないという事は力が入つているのです。

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「アメリカを救う」の此前の次の原稿を読ませます。

御論文  アメリカを救う〔三、⇒種痘と薬毒  四、⇒手術に就て五、⇒浄霊医術〕 

この内の結核丈を特に徹底して書いたのです。近頃アメリカで非常に結核が増えて来たのです。というのは近年色んな新しい薬が出来ましたが、新しい薬が出来て以前より良く効くのです。今度ノーベル賞を貰つたのは、ストレプトマイシンを発見したワックスマンという人ですが、そういう薬の為に浄化停止しましたから、それが段々浄化が強くなるに従つて、つまり固められなくなって来たという為に結核が増えて来たわけです。未だドンドン増えます。日本も、つまり抑え附けて去年あたりは死亡率が減つているが、之が抑え切れなくて一遍に破裂すると、今度は悪性の奴がドンドン出ます。そういうわけで結核を特に出したわけです。

御論文〔⇒結核〕【註  栄光一八○号】

未だ色々ありますが、今日は時間がないから話も出来ませんが、之を日本丈でも各大学や病院、療養所、そういう処に配ろうと思つてます。之は原子爆弾です。兎に角問題を起すだろうと思つてます。問題が起ればしめたものです。何故と言つて、非常に売れますから……チヤタレー夫人などは、あんなに裁判になってから非常に売れたのです。あれがなかったら、そんなには売れません。之が問題になれば大いに売れます。大いに売れゝば一人でも余計読みますから、問題になる様に願つているわけです。今英文に飜訳させてますが、飜訳が出来たらアメリカに配る積りです。アメリカでは尚更問題になると思います。今迄も現在も有難がっている医学が、之でいくと全然形無しですから……そうしてアメリカの人は日本人と異つてあんまり伝統的に捉われないから、新しいものでも良ければ直ぐ取附くという非常に公平な見方をしますから、あっちこそ必ず問題になるだろうと思います。あっちで問題になれば、尚更大したものです。世界的になります。そうすると日本人が有難がって、兎に角昔、何でも文化は支那からというので、医学迄漢方薬を有難がつていた位ですから、アメリカで斯うだというと、日本人は余計有難がりますから非常に面白いと思います。「結論」は此次に読ませますが、徹底的に息の止まる様に書いてあります。やっぱり、早く世界中に分らせなければミロクの代は出来ませんから、兎に角病気の無い、病無き世界にしなければならない。それには思い切つて斯ういう風にやらなければならないのです。斯うして置いて、来年になってこっちの浄霊する人があっちに行けば良いので、まあ一つの宣伝広告にもなるわけです。

(教十五号  昭和二十七年十一月十五日)