046 人事篇 第二篇 家相

家土地と霊格の相応、相応の重要性、新築と近親者の死、明主様の場合、住居は杉材可なり

“家を新築すると家人の誰かが往々死亡等することがありますが、霊的に何か関係がありますか。御教示願います。

“斯ういう事はある。(私など)引越すと一人は必ず死ぬ(その頃は浄霊出来なかったからだが)。浄霊出来るようになって、大先生などそれがなくなった。之にはいろんな訳がある。(その土地に)

一、浮ばれない霊があった場合とか、

二、その人が浄化に負ける場合。

(住む人間が、家より汚れてる時には、その家に追付く為浄化が起きる。その為医者にかかって死ぬのである)良い家になると、人間の霊的地位と相応せず、家に負ける時、人間の霊性が追付こうとして曇りを除ろうとして浄化が起る。桧普請をすると死ぬ人がよくある。桧は、神様に関係した事に使う木である。(人間が住むのは間違いである)木には位がある。桧造りに人間が住むと負ける。霊界では家が上で、人間が下になる。故に普通普請は、杉材が一番よい。死なない人は失敗する。(買う約束をした大谷別邸など野口潤が買って入ろうとしたら死に、それと同じのを伊豆の韮山へ作った。斯ういう例は沢山ある。すべて相応の理であって、身分不相応の事をすると何か災難がある)彼は、稲荷の帰りに崖から落ちて死んだ。人間は相応すればよい。相応しないと何かある。相応の家に住まぬと、すぐ故障が起る。(S24・6・25)

神社の木を神床に使う事

“謹んで御伺い申し上げます。氏神様の境内にあった桜の木の板で床の間に非常に良いのが出ました。光明如来をお祭りする床板にしたいと思うのですが、神様の境内の木は使うと悪いと忠告して呉れる人がありますが、それを使って神罰があるとか、不幸になるとか言う様な事があるでしょうか。御伺い致します。

“普通ではいけないが、光明如来様の床板にするなら差支えない。氏神様も非常に喜ぶ。神が正しい神なら、光明如来様の信者のようなものである。箱根道場の木は、秋田県の神社の神木五十本を買ったものである。東山荘の蔵の木は一本の松で造った。土蔵に使う木全部を一本の木で使った。こういうものは皆嫌って買手がなかったので安く買った。大先生の御用なら一向差支えない。

神社の木で学校作る場合(許可得る事)

“(口頭)神社の木を伐り、中学校を作るのはよいでしょうか。

“手続をとらなくてはいけない。神主を頼んで、その土地の重なる人が行って許可を受けなくてはいけない。此許可は政府の許可より重大である。特に大きな御神木を伐る時は、外に小さい木を代りに植えて、口頭で移ってもらうように言い伐らなくては祟る。一番祟るのは銀杏である。霊は龍神、天狗(鳥)、人間が霊を認めず手続とらぬから祟る。  (S23・11・17)

合併の神社後に校舎建つ事

“村内に八幡社が上中下の三ケ所に祀ってあるのを合併して、其の後に新制中学を立てるそうですが――。

“差支えない。同じ神とすれば差支えないが幾分ずつちがう。御神体を上中下とする。無断ですると道に外れるからいけない。御許しを乞うのである。

地鎮祭、自家で行ふ場合

“地鎮祭はどうゆう様式で行ひますでせうか。

“神主に任せればよい。その土地にいろんな霊がいる。地縛の霊とか、犬猫の霊などもいる。それを浄めるのが地鎮祭である。すると霊は満足する。でないと霊が怒ったりなどする。便所、物置等簡単な事は自分でやればいい。その場合、その所へ向って祝詞を奏げ、神様に建てる範囲のお浄めを願ふ。一軒の家を建つ時は神主を頼む。(S23・10・26)

地鎮祭のし方

“地鎮祭の正しい祭り方をお伺ひいたします。

“土地の汚れてるのを浄めるのである。今に方法を造る。今の所、大きい建築は神主に頼む。小さいものは、祝詞を奏げ、神様にお頼みする。

地鎮祭の二様

“地鎮祭につきお教え下さい。

“地鎮祭は大きい建物の時は神主に頼み、小さい建増の時などは祝詞をあげて、光明如来様にお願いすればよい。

地鎮祭と本教

“家を建てます時に、神官をよばずに簡単に地鎮祭をする方法が御座いますでしょうか。

“本当の住宅建つ場合、建増等でなく。他の宗教と違い、本教は力がある。(S24・7・18)

住居の地鎮祭

“最近長兄の住居を建てやうと存じますが、その折の地鎮祭は、従前通り神主に行って貰ふべきでせうか。

“神主にやってもらへばいい。  (S24・5・27)

宮前、墓裏の家、邪神不潔を好む

“宮の前、墓の裏の家はよくないと伺って居りますが、如何でしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“よくない。宮の前はそんな事ない。墓の近くは死霊がいて侵入してくる事がある。(餓鬼道の霊など空腹の為に来る等)光明如来様を祭ればよい。反って功徳になる。反って喜ぶ。宮の前は汚い商売はいけない。神様が出入するから、汚いと神様は嫌う。魚屋などそうである。邪神は汚い所を好む。神様は除けて通られる。それで災害が起り易い。宮の真前は最も悪い。(遮っているから人間はどちらでも出入するが、神様は几帳面で真直に出入される)(S24・1・18)

寺跡の住居 

“寺跡に住むのは差支えない。墓地でなければ差支えない。(S23・7・25)

寺の境内へ入る玄関先(霊と境界)

“今度家を求めますが、玄関先がお寺の境内に這入って居ります。尚玄関を出入りする時、無縁仏が見えますが、これは戦争中軍部が勝手にうつしたもので、骨はなく墓石だけです。大光明様を御奉斉すればこの様な家でもよろしいでせうか。

“玄関先がお寺の境内に入るのはまづい。境界の囲いをせよ。霊は囲いをすると入る事を遠慮する事になる。普通、霊はそこで止るから境界線を作ればよい。(S24・10・9)

墓地火葬場の材の使用

“昔から墓地や火葬場内の立木は、在家の建築材に使ってはよくないと言われて居りますが、如何なる訳でしょうか。又止むを得ず使用の場合は如何にしたらよいでしょうか。

“墓地、火葬場には霊が憑依している事があって、それが祟る場合がある。触ると怒る。墓に祀ってある霊でも、死に絶えるとか、閑却されるとか、無信仰で墓詣りなどせず、捨てられると、霊が淋しくて木に憑依する。そして木の実を食ったりなどする。龍神系とか天狗系などの人間は、木へ憑依した経験があり、訳なく憑くし、憑くのを好む。(S24・6・18)

桧造り

“住宅に桧材の柱、廊下等を用いる事は差支へありませんでせうか。又、総桧の建築は宜しくないとも申されて居る事もありますが、如何なもので御座居ませうか。

“桧木は、神社とか、神殿に使ふべきもので、他に使ってはいけない。総桧木の家の主人はきっと亡くなる。だから住宅には使はぬ方がよい。杉と松にするとよい。然し、米桧とか台湾桧はいい。木には位がある。桧木造りの家なら、住む人間が相応しなくてはいけない。桧木は霊が強い。大きい木にはよく霊が宿っている。大昔は、桧木を摺り合せて火が出たといふので桧木といふ。杉は軽い感じがして気持がよい。桧木の柱は固苦しい。黒紋付を着たやうな感じである。  (S23・12・2)

神殿の材

“檜が一番よい。  (S23)

桧の手入

“庭木として桧を植えてある場合、手入れの為梢を切ったりする事は差支へないでせうか。

“檜を建築に使ふのはいけないが、手入れしたって枯らしたって何等差支へない。私など、どしどし切っている。

桧材と納屋の建築

“五十七才の男子、昨年十二月上旬納屋を改造し、その際桧にて致しました。同時に本人が病気になりましたので、病院で診察の結果、幽門狭窄と言はれました。身体が少し衰弱して居ります為、手術を嫌って唯今自宅で御浄霊を致して居りますが、胃の左部に一箇の玉の如きものがありまして、之が処々へ移動致します。之等の症状は右桧の建築の支障で御座居ませうか。

“いけない。納屋へ桧を使ふのは大間違いである。桧は神様を祭る所などに使ふべきものである。先祖が忠告している。杉とか松とか、外の木ならよい。すべて相応しなくてはいけない。木なども凡て神様は区別して作られている。(S24・4・3)

神山荘の家相等観山亭の位置と石千引岩と下津岩根

“観山亭の所は最初の公園で、次に強羅公園が出来た。観山亭の石は一番大きい。早雲山が爆裂噴火した。そしてその時の落ちた石は神山荘付近に多く集注した。之は珍らしい。普通は溶岩噴火である。石は魔除けになる。千引の岩といい、門の側などに石を置くといふのもその意がある。又地の下に石があるのもいい。下津岩根に宮柱太敷建てといふ。門は戌亥、乾の門が一番いい。段に登って、左に左に行って左に玄関があり、これはとても家相上よろしい。又周りに山が取巻いているのもよい。(S23・6・23)

家相の根本

“建物の配置による家相の良否に付て「参り所」等にて種々言いますが、特に風向(建築配置)、建て方(建築様式)が家運の盛衰に関係ある様に申しますが、事実関係があるでしょうか。御伺い致します。

“風向などは関係ない。方角は関係する。只艮の方へは便所、湯殿等は作らぬ事で、これが肝腎である。邪神とか邪霊を働かさぬようにするのは艮を汚さぬ事である。成可清浄な霊気の来るようすべきである。杉を植えると病人が出ぬのが本当である。木と火になる。坤には水と石をおく。家相の根本はこれである。向きは差支えない。  (S24・5・28)

家相の基礎知識

“屋敷の下手が三角になって居りますのを出舟屋敷と言いまして悪いと申しますが、霊的に何か関係が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“之は悪いんでない、いい。舟の形はいい。ただ三角の方角のいい悪いはある。上手がいい。進む形となる。屋敷を逆にするといい。入口を逆にする。上手を三角にすると非常にいい。家の形は舟の形か鶴翼がよく、四角で、所々凸凹のあるのがいい。凹形とか、弯曲しているのは悪い。  (S24・5・21)

門の家相

“長屋門と申しまして、農家など多く道路に面した処に、長屋の様な構造で中央が門となり、両側は住宅又は物置になって居ります。これは余り良くないと申しますが、如何なるもので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“昔、出入口を大きくする為に、斯うしたのであろう。善い悪いはない。必要があればやる。門を入って突当りに何かないと門の意味はなくなる。中央に住居か何か、住宅があるべきである。家相にとって悪い。発展しない。  (S24・12・11)

T字型の棟と凶事(神様の家)

“住宅の棟がT字型になって居る家屋が御座いますが、大抵その内の家族に凶事が起りますが、如何なる訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“大して関係はない。迷信である。神様の宮などは、T字形はいけない。神様の家は、将来、斯ういう形につくろうと思う。(S24・5・21)

三角屋敷

“三角屋敷へ住みますと不幸が続くと言われておりますが何故で御座居ましょうか。

“三角屋敷は嘘である。四角が本当である。(東西南北)家の恰好、位置などは非常に関係がある。家の下に川の流れてるのもいけない。安定していない。完全だと魔がさすので――盈ちれば虧くるという。長谷川徳方とか、左甚五郎は智恩院に一個所、唐傘を入れたという。夜の世界ではそうだが、昼の世界には何でもない。完全でよい。(S  (*)・2・23)

三角屋敷の場合

“或信者の宅で御座いますが、屋敷が三角屋敷で東側と西側を小川が流れております。其の家の主人(三十七才)は最近頭が重く、仕事が出来かねて居り、以前よりこの家は、不幸続きで御座います。尚最近は井戸水が大変濁って参りましたが、三角屋敷、両側の小川、井戸水の濁りと家の不幸と霊的に何か関係が御座いませうか。御教を御願ひ申し上げます。

“三角はいけない。東西南北といって、家は四角が本当である。それが半分になっているから良くない。囲ひをやればよい。  (S25・2・2)

小川上の家

“福島県の農家で、炊事その他に使ふ用水用の小川の上に家を建てて御座いますが、之は差支へ御座いませんでせうか。お伺ひ申し上げます。

“水の上に建てるのはいけない。土の上が本当である。土の霊気が人間によい。ビルディング病はよくあるが、之は土の霊気と遠ざかる為である。部屋の中と戸外とは運動の気持が違ふ。土の上へ建ち、水の上へハミ出すのは差つかへない。(S25・4・12)

六畳二間の家不可なる理由

“六畳二間の家はよくないと伺っていますが、如何で御座いましょうか。

“六畳二間になるから、水の間になるから、水と水になる。それで火の働きがないから、その家は栄えぬ。うまく行かぬ。故に一畳を板の間にして五畳にすればよい。(S24・1・18)

床の間裏の便所

“床の間の裏手が便所になって居る家がよくありますが、如何でしょうか。

“床の裏が便所になっていても差支えはない。

竃の方向

“窯の向きを換へたいと思ひますが御教へ願ひます。左の図でが今の向きでありますがの向きに換へたいのです。如何でございますか。

“どんな向きでもよい。便利な使いよいのがよい。

竃の神

“私の家では昔より半坪程の「カマド」がありますが、そこを風呂場に致し度いと思いますが如何でしょうか。方角は卯と辰の間にあります。又「カマド」の土を何処へ捨てたらよろしいでしょうか。

“差つかえない。竃でも守護する霊がある。長い間竃を扱っていて、あの世でも竃を扱う霊など、竃の神になる。守ってくれる。  (S25・1・16)

古井戸の上に家と不幸 

“古い井戸に鉄板をのせて、其の上に家を建てました処、その後不幸がつづくそうで御座います。龍神のたたりで御座いましょうか。如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“龍神の祟りである。理由のない水は、盗みとなるのを嫌う。(近くに代りの井戸を掘り、生米、塩、水を上げ、よくお詫びした方がよい)(S24・2・21)

無柱障子と不幸

“家の真中の柱に四方から障子、襖を閉め合ふのは、宮城県地方では不幸が湧くと申しまして、一方を壁にして三尺位離した位置に一本柱を立てて居ります。何か意味が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“少しは意味がある。障子は、外す事が出来るものであり、外した場合、柱だけになるから、家相にとって妙である。仕切があるから部屋といふ事になる。昔など、闖入者があると、障子ばかりなら逃げ場所がない。壁は二ケ所あると落つきがよい。  (S25・1・22)

鬼門移転 

“鬼門へ移転の可否。

“大変可である。

立退強要に遇う

“家主が経済上の事情から今私の借りて居ります家を売り度い為、やかましく立退きを要請して参って居ります。何とぞ家が賜りますよう御守護の程御願い申し上げます。

“人が嫌がるような事を聞かすと斯うなる。

移転につきすべき事

“一、住居移転を本年中に西の方角へ致し度いのですが、是には何もしないで移転してもよいのでありませうか。又若し必要な事がありますなら御教へ願います。

二、光明如来様の御掛軸と仏壇(阿彌陀如来)と同じ部屋を使用して差支ありませんでせうか。

“一、何にもしなくてよい。信仰に入っていれば、悪い所へ行く筈はない。霊層界のいい所へ行く。(S24・7・6)

洪水浸水の家への移転

“一の関の在で布教して居る者ですが、此所は不便な所で、常々一の関の町へ出たいと思うて居りました。然るに今度空く家が出来ましたが、其家は一昨年と昨年の大水、洪水のついた家で御座います。所は一の関市広街町十六番地にあります所で、私は其家に移って住んでもよいものでせうか。何卒御教示御願い申し上げます。

“移ってよい。早く越した方がよい。

古便所の処置

“新しい便所を作った場合、古い便所の処置は如何いたしましたらよろしう御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“埋めればよろしい。  (S24・6・2)

鬼門の便所等治す場合

“鬼門、裏鬼門が玄関、台所、便所、風呂場等にある場合、それを直す迄の期間どの様に処置したらよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“常識的にやれ。  (S24・12・28)

瓦葺屋根にして棟下る

“草葺屋根が腐朽しましたので瓦葺に改造したいのですが、瓦葺にすると棟が下るので、これは家相上よくないと言はれます。如何でせうか。尚改造する場合古材を用ふれば、右と同じ理由によりて家相上よろしくないと言はれます。如何でせうか。御教示願ひます。

“棟が下るといふ事は、草葺屋根に合ふやうに作った為、軟弱なのであらう。古材を用ひて改造するといい。国家経済としても、古材など出来るだけ役立てるといい。(S24・8・25)

建築不捗

“私は非常に道楽をした為、大変母(八十才)に心配をかけましたので、今頃少しは母を喜ばせたいと思ひ、家の普請を始めました。基礎工事を終り、その後職人の望み通り料金は支払ひましても、次々不足を言って働いてくれず、普請も捗々しく行きません。今回光明如来様を御迎へし、御守護を御願ひしたいと思ひます。建築の方は延期した方がよいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“要求通り職人に支払はぬのではないか。光明如来様の御守護を受けてどうといふ事はない。(S24・5・28)

清浄の気、北と天庭

“北海道の北端に於ても、清浄なる霊気は、やはり丑寅の方向から流れて居るので御座いましょうか。

“之は勿論である。北からの霊気は清浄である。清浄の気の元は鬼門である。キは霊であり、神の霊気。霊気の強いという事は、神の霊気の故である。北は人間でいうと天庭である。霊気の強い元がそうである。

国祖御出現後も鬼門ありや

“仏滅により艮神様はすでにお出ましになられたと承って居りますが、現在鬼門に便所、台所等のあるのは絶対にいけないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“鬼門はそういう霊気が発生する事に、地球は出来ている。地球の汚いものを浄化するように出来ている。ただ艮の金神様が御隠退の時、そこへ行かれた。それで綺麗にしておかなくてはいけない。(S25・3・18)

芦別山と鬼門 

“北海道北見は芦別山の北方に当ります。この場合鬼門は如何様になりませうか。

“鬼門はどの場合でも東北である。芦別は、神様が一時御隠退の因縁があるだけである。

鬼門の位置 

“鬼門は丑寅の中間の一線で御座いましょうか。それとも丑と寅の間を申すのでしょうか。御伺い申し上げます。

“同じ事である。(丑と寅の間)(S24・2・9)

鬼門に塩撒く事

“鬼門に塩気をおくと病人の絶え間がないと聞きますが、それは本当でしょうか。本当なればその意義をお話し下さい。

“塩をおいた方がよい。浄めの為であるから塩を撒いた方がよい。今迄は逆であった。邪神が大いに跋扈したので、邪神に都合のいいようにしていた。善人が悪人をみれば悪人であるが、悪人は善人をみれば悪人という。よく枇杷(や銀杏)を植えると病人が出来るなどというが、之は皆逆で、病人が出た方がよろしいのである。浄化作用であるから大いに結構である。(S23・10・17)

鬼門へ桧(松)

“鬼門の方に植えますのは男松、女松でなければ、檜ではいけませんでございませうか。

“本当は松の方がよい。桧も悪い事はないが松の次である。桧は神様に関係した物を作る用途である。原始時代、桧を擦り合せて火が出た。燧(ヒウチ)石の前には、桧を用ひて火を出した。桧の木は、霊の木であるから、神様の――。松は木の王、木のうちの神、龍神にもなる。雄松雌松、又松と柳を植えるといい場合もある。霊的状態が悪いと引越せない。

鬼門と坤

“鬼門を汚す事を戒めているが、之を汚して浄気を遮断すると、一家に悪魔が跳梁し得るのである。方角等の事を一般にいふが、之はどこまでも家を中心とすべきでなく、その家の主人のいる居間を基本にすべきである。人が住む為に家が存する訳である。鬼門を清浄にするには木を植えるといい。特に雄松雌松を植えるのが理想的である。坤には池とか井戸とか水をおく。石を置くのもよい。戌亥は人の出入する所とするのはよい。石は外国である。建築でも何でも石である。

教会方位の中心

“教会の家屋の場合、その家相方位は右のいずれを中心とすべきものでしょうか。

一、御神殿の部屋

二、神様をお祀りしてある床の間

三、その家屋の主人の部屋、右御教示御願い申し上げます。

“教会としては神殿を個人としては主人の居間を中心に測る。(S25・5・3)

方位の中心

“家相の方位を見るには、主人の居間の中心より見よと伺ひましたが、床の間のある場合は床の間を中心にすべきか。光明如来をお祭りしてある場合は、光明如来を中心にすべきか。御教示下さい。

“構はず主人を中心にすればよい。(主人の眠る位置)(S23・10・17)

建家の方角と向

“家屋を建てるのにどちらの方向に向って建てたらよいでせうか。又馬屋、大小便所、風呂場等は本屋のどの方向に建てたらよいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“方角はどっちでも構はぬ。又何日でもよい。その人の霊的地位にあるのであるから、霊的な位が低ければ、どんな事をしてもわるい。鬼門だけ避ければ、外はどこでも構はぬ。

東北の方角へ建築

“倉庫を建築致し、そばへ便所を造りたいと考えます。現在東北が空地になってありますが、この方角に造って宜しゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“東北はいけない。東北は浄くしないといけない。清い霊気を妨げる。(倉庫だけでなく、どんな建物でもいけない)(S24・9・8)

本家分家の建築場所

“日の出の方向に分家を建てると本家が衰えると御教えを戴いて居りますが、本家より高い場所に分家を建てる事は如何なもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“日の出は上になる。本当はいけないが、臨機応変である。そう決めて思はなくてよい。高低は考えた方がよい。「鳥の家」は、言霊によって避けた。(S25・4・12)

北向の家 

“私の家の墓だけ北向きに建っていますので、ずっと以前或る人が「あれは家の為よくない」と言はれましたが、一時変へて又其のままにし、其の後ずっと忘れていましたが、其の中父は急死し、兄は戦死し、今では私と母二人になりました。此の頃になって母が昔の事を思い出して気にしています。私は別に気に止めも致しませんがどうしたら宜敷しいでせうか。御教示下さい。

“霊界では北が一番いい。だから、北へ向って拝むのが本当はいいのである。気になるなら南向きにする。  (S24・12・25)

鬼門と災の家

“私の家は昭和二年に建て、両親主人と四人暮しでありましたが、両親は家を建ててから二年目に、父は八十五才、母は七十四才にて死亡。其の後七年後に主人は結核にて死亡。私は其の後三年位暮して居りましたが、再婚しましたので他人に貸しました所、借主の家内が一年足らずにて、肺病にて死亡しましたので他へ移られ、現在の借主の家族は、又も三年位の間に妻と子息二人は同じ肺病にて死亡して居ます。この家の入口が北東の鬼門と思ひます。以前裏鬼門に便所がありましたから取こわしました。この家は早く建てたので近所より地盤が低いのです。如何したら無難に住める様になりますでせうか御伺ひ申し上げます。

“入口の鬼門は絶対に悪い。裏鬼門の便所の方はそれほどでない。表鬼門は清、裏鬼門は濁である。特に北は一番いい気がくる。東は太陽の出る所で、良い霊気がくる。之を汚してると止る。家が曇るんで、種々災が起る。又、結核の霊が残っていて、淋しいから引っぱる。光明如来様をお祭りして入信し、鬼門の入口を替へれば解決する。(S24・11・7)

艮の出入口と突抜け

“住宅の東に便所、牛小屋があり、鬼門の方角に出入口、裏へつつぬけになって居る等如何したら宜しいでせうか。二才の春、肺炎を病み、翌年春歩き初める頃、右足のみ発育不良。小児麻痺と言はれ歩く時足先が外側に向きます。(現六才)右の家相に関係ありませうか。

“出入口が艮で、突抜けになっているのも悪い。横へ曲るようにするなどして、突ぬけを防ぐといい。小児麻痺ではない。足の押して痛い所をやればよい。訳なく治る。痛くて他へ着けないのである。東の出入り口は結構で、迷信である。太陽の出入口は東である。鬼門はいけない。

一、金神様を封ずるといふ――、二、艮の仕事場

“左記に就いて御伺ひ申し上げます。

一、艮の方向に御不浄があり、家族の者に病気がありました時、この地方の祈祷師に祈祷をして貰ひましたところ、鬼門艮神のたたりがある故、そのたたりを封じ込めばさし障りは解消するとの事で、「封じ込み」をして貰ひました。それでさし障りが解消するでせうか。御教示下さい。その時、鬼門艮神を御まつりせよと金紙の御幣をもらひ、家の中にまつってあります。御不浄を取除く時、その儘取除いてよろしいのでせうか。その浄め方を御教示下さい。その際まつってある御幣はその儘まつるべきでせうか。

二、本家と離れ、艮の方向に畳表を織る仕事場の小さい別棟がありますが、家族の者に病人が絶えません。やはりさし障りがあるのでせうか。さし障りがあるとすれば移すべきでせうか。御教示願ひます。

“一、艮の神様を封ずる事は出来ない。そんな事をすれば飛んでもない事になる。一寸おじぎして焼却してしまへばよい。便所は一時も早く取除く。埋めた後きれいに掃除して、祝詞を奏げればよい。よくお詫びせよ。

二、仕事場もあまりよくない。いくらか障る。何れ取除いた方がよい。艮の方から流れる清い霊気を止める訳である。(S25・5・25)

鬼門で鍛冶場 

“家の鬼門にあたる所で鍛冶場をやりましてもよいものでせうか。

“鬼門はいけない。やめた方がよい。(S23・10・26)

井戸の方角(掘井の位置)

“一信者の家庭で御座いますが、昨年秋家屋を新築致し、分家致しましたが、最近井戸を掘りたいと申して居ります。井戸を掘るには如何なる方角が宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“光明如来様、御奉斎して、井戸をどの辺へ掘っていいかお知らせを乞い、掘らうと思ふ所を掘る。(S25・5・2)

井戸の方角

“家の方位方角は、其の家の主人の部屋を基準として決定すべきであると承って居りますが、井戸を掘る場合は如何なる方向に造ればよいので御座居ませうか。又井戸を掘った場合、水の出る出ないは其の人と何か霊的に関係のあるもので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“井戸は坤がいい。坤は水と石になり、艮は木と火になる。今度の会館も熱海の艮になり、山になってる。花園は坤になり、水と石である。熱海耶馬渓や青嵐峡がある。物質に恵まれる人は水が出る。徳をもっている。(S24・5・22)

東北隅の井戸

“私の家の近くに居られます酒井万次(丗九才)さんの御宅では貰い水をして居られましたが、去る五月三日、十四、五人の人と家の東北隅に井戸を掘りました。掘り終って竹筒を入れると同時に閾(シキチ)に腰掛けようとした万次さんが転り廻って苦しみ始めました。腹の上部が硬直し「胸に箱が入った。この箱を取って呉れ」と申します。気は確かです。浄霊させて頂きましたら四十分位で楽になり、翌日は普通になりました。其の後変りありませんが井戸を掘った位置が悪いのでしょうか。其の儘使って居りますが差障りありませんでしょうか。御伺い申し上げます。 

“東北隅の井戸は極わるい。替えた方がよい。埋めたら松を植えるといい。西南がいい。やめるべきだ。元通りにせよ。そのお知らせだ。艮は火と木、坤は水と石の霊界の法則になってゐる。今の花園でも東北から水は出さぬ。西南が渓流と石になっている。逆にするとうまく行かぬ。  (S24・5・25)

排水と方角

“排水の流れに就て、私の家は丑の方向に勝手の流しが有りまして、北に向って流れて居ります。そうしてT字形に成って戌亥の方に掘り溜めて有りますが、河川迄連絡有る下水へ出る様にするのが正しいので御座いましょうか。御教え下さい。

“排水は便宜上どうでもよい。鬼門の方だけは、成可避けた方がよい。(S24・2・15)

艮へ下水

“一、人間は皆何かの生れ変りであっても、以前の事が解らないのは如何なる訳でせうか。

二、農家で下水がなく、裏手へ穴を掘って下水をしみこませて居りますが、丁度それが艮の方へ当って居て、何処へもまわし場所がなかった場合、光明如来様をおまつりしてをれば宣しいでせうか。

“二、絶対にいけない。(S23・10・12)

鬼門の流し

“台所の流しが鬼門に当って居ります場合は如何したらよろしいでしょうか。

“替えなくてはいけない。特に北は霊が強い。(S24・12・8)

便所の方角 

“現在私の家では艮にあたる所に便所が御座居ます。之を北の方又は卯辰の二ケ所に候補地がありまして、成可く卯辰の方角に移し度いのですが、何月何日が宜しう御座いますでせうか。

“卯辰の便所ならいい。(S24・2・12)

真北の便所

“昭和二十二年十月、焼跡へ普請をして住みましたが、翌二十三年主人が膵臓癌で死亡、又本年私が子宮癌となり、病院にて手術後レントゲン療法を行い、入院中より御浄霊を頂いて居り、お蔭さまにて大変元気になりましたが、左の事に付き迷って居ります。御教導下さいませ。便所が真北と真南にある。戌亥に当る方に半焼の倉があり、戌亥は主人が使わなければならないのに使用人を入れてある。湯殿が戌亥にある。台所が西にある。尚、不幸続きの原因は何で御座居ましょうか。為すべき事、改めるべき事がありましたら御教導下さいませ。

“真北はちょっと悪い。戌亥の位置は差支えない。罪穢を減らす外はない。それ以外にない。(S24・7・3)

方位除け

“新築の家正鬼門に便所あり、居住に当り如何なる処置、例へば「方位除け」等をすれば良いでせうか。御教へ下さい。

“「方位よけ」は出来ない。壊して外へ建てるのである。

家の鬼門を叩込む事 

“家を新築する場合、鬼門の方角を少し叩込まないと魔がさすとか言いますが、何故ですか。御伺い申し上げます。

“之も意味ない。鬼門には鬼瓦などをやる。悪い世の中であるから、良い神は怖い意味でそうする。  (S24)

本命殺の方角(宝山荘は暗剣殺)

“本命殺の方角があるというけれど、之れは実在するでしょうか、如何でしょうか。

“実在するが非常に結構である。大いに行って災があった方がよい。今迄悪いという方へ行った方がよい。つまり浄化が強いのである。玉川時代、暗剣殺へ引越したが、治療禁止を受け浪人になった。十三ケ月経って許された。十二年十二月――、十三年から発展し基礎が出来た。浄化作用は早い程よい。おそいほど一ぺんに来るから悪い。だから悪い方へ越す方がよい。大体、悪い方へ越すのは、その人の霊的状態により、その状態に接近してゆく。いい嫁も、悪い婿もそうである。  (S23・10・24)

暗剣殺と玉川事件

“暗剣殺大将軍と申されるのは何の現れで御座いませう。家の此方向をかまふと大きい災厄があるといふのは事実でせうか。

“暗剣殺など馬鹿々々しいものである。日蓮宗で使っている暦があり、それにある。暦と事実とは反対になっている。仏滅や大安等もその反対である。先に玉川へ越した時、明主様は暗剣殺に行かれた。之は悪いから止めてもらひたいと言ふ人があった。その後、治療禁止などもあった。一時苦しんだが、後非常によくなった。やはり浄化作用であるから心配ない。ただ、艮を避ければよい。何にも気にする事はない。(S24・7・27)

増築と方角(大将軍と姫金神)

“家を修理又は増築等の場合に、其の場所の方角と其の年との関係で、色々の事が起ると申しまして行いませんが、如何なる訳で御座いましょうか。(例えば今年は西の方は大将軍、東の方は姫金神と申す神様がいらっしゃるので、西と東の方角の修理や増築等は出来ない。若し之を無理にやりますと種々凶事が起ると申して居ります。)そうして此の神様は同じ場所に三年間宛お住いになって居られると申して居りますが、大将軍、姫金神とは如何なる神様で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“これも迷信である。大将軍は国常立尊様の長男である。(天理教は此神が憑った)神代に親の言う事を聞かず、間違った事をした為にその罪を償う為に、天理教をつくり、救ったという事になっている。姫金神は金神の娘という事だが、いい加減なものである。こんなのはどっちへも解(ト)れる。暗剣殺は悪いというが、以前玉川へ引越した時、易者が之は悪いといったが、やはり警官の圧迫を受け(十一日間豚箱へ入った)たが、之は私の浄化作用であった。此玉川で今日の基礎が出来たのである。あまり斯んな事を気にする人は、あまり運がよくないようである。(私はすべて神様任せである。要は魂の向上である。方角で運が決るとしたら、易者は一番幸福になる筈である)(S23・11・21)

方角と病気 

“本年六十九才の私の父ですが、三年以前より胃痙攣が持病で、其の頃御嶽様に御伺い致しました。其の時「オモカリ様が上られなかった」と言って私の家に来て戴けませんでした。父も「俺の病気は重病だから仲々治らないんだ」と言って居りました。二十二年始めより御浄霊によりよくなっておりましたが、一昨年の五月大きな浄化を戴き、それ以来体がしびれ、特に手足がしびれ足に力が入りません。御浄霊はもう二年も殆ど毎日の様に行っております。目下大分良い方ですけども、足の先に力が入らず歩行不自由です。如何なる理由でございませうか。又本年四月屋敷の丁度西南の隅に鶏小屋を建てましたが、方角が悪いからとの事で、目下建てたのみにて其儘にしてあります。此の様な物でも原因がありませうか。又は取り除けて呉れと言って居りますが。

“そういふ事はない。足先に薬毒が残っている。真北隅ならいい。西北は石おくといい。又池を掘る。但し病気との関係はない。(S24・12・25)

六畳三間の家は凶か

“六畳三間の家は悪いといいますが。

“とんでもない。そんな事はない。今迄は体主霊従であるから総てが反対である。鬼門は悪いとされていたが逆であった。(S  (*)・11・11)

人相と運命

“「人相と宿命」について何か関係があるでしょうか。御教示御願い申し上げます。

“人相はその人の運勢や使命などが出ている。で、人相で宿命が当る事がある。人相が変るのは、運命の方も変る。善い事してるか、悪い事をしているかというのは人相ですぐに出る。善い事をしていると晴々している。変な事をしているとキョトキョトしたり、目付が晴々しない。画相などはよく当る。疣などでも分るし、耳、眼、鼻等でも。顔は代表であるから表われる。  (S24・11・7)

顔形違う訳

“同じ兄弟姉妹でも、それぞれ顔や形、或は気持にまで相違のありますのを霊的に御教示下さい。

“凡ゆるものは変化するように出来てる。神様はそのように造ってある。これでよい。変化がなくてはいけない。二十億の人間全部顔が違う。(S24・9・13)

良姓名、良家相と努力

“姓名や家相のよい人と、そういふ事は全く知らずに真面目に働いている人とは、どちらが神様の御加護を頂けるものでせうか。

“まじめに働いている人の方が御守護頂く。いくら家相がよくても、自分だけのもので他の人の為に働かぬのでは役に立たぬ。故に両方良い方がよいが、どちらかといふと努力である。

霊と指紋

“霊と指紋の関係に就て御説明下さい。

“霊的には指紋に限らず、人間は全身凡てが特徴のあるもので、指紋も一つ一つ皆それぞれ個性がある。研究すればいろんな意味があるに違いない。皆流紋は救世主という説もあったが之はそうではない。流れているのは水、纒っているのは火の働きという事は出来る。拇指も人差指も各々使命が違う。兎に角霊的に関係のある事は事実である。要するに此世に生れたその人の印しである。ホクロ、疣、耳の形、位置など運命に関係がある。眉毛と眼の間のホクロは親の財産を潰す。口辺一寸以内のホクロは食うに困らぬという。口辺、鼻柱にホクロのある者は必ず陰部にホクロあり、男は女難、女は男難ありとしてある。(S24・12・28)

人相手相

“人相、手相と人間の運命と何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“今話した通りで、関係がある。すべて相応の理により決っている。画相もよく当る。(S23・12・1)

眉間のほくろ(天庭)

“仏像の眉間の「ほくろ」には何か意味があるので御座いましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“人間の中の一番肝腎なのは天庭で、顔の真中である。神の霊線はここから通ずる。それを表わす為である。(S24・6・23)

額央のホクロ

“上額の中央、鼻柱の上部にホクロのある人がありますが、此の様な人を今日迄見まするに、何か霊的にわけがありそうに思われますが、御伺い申し上げます。

“霊的に訳がある。白毫―で――。前の世で非常に徳を施したとか、神格を得たとか、仏の位になったとかいう事であろう。(然し幸福は)ホクロは非常に意味がある。目と眉毛の間のホクロは、必ず親の財産を減らすとか、潰すという。涙嚢辺―目尻辺のを泣ボクロといい、憂え事が多い。口の辺にあるのは、食うに困らぬとか、運がいいとかいう。鼻柱などにあるのは、陰部に必ずホクロがある。女難の相などという。二号の女などに多い。之も相当意味があるようである。(S24・1・24)

ホクロの増大と増加 

“顔面に有るホクロが自然と多く成って来ます。浄霊に依り解消するのでせうか。又期間はどの位かかるのでせうか。

“ホクロは大きくなる事はあるが、多くなる事はない。目の下のホクロは泣ボクロといって良くない。鼻から下のが可としてある。口の周りは多い方がよい。(S  (*)・12・15)

ホクロと運勢

“ホクロについて世間でいろいろ申しますが、この存在、位置は人間の運勢と関係があるのでせうか。

“関係は非常にある。口の廻りは一番いい。きっと運がいい。着ボクロもある。口辺のホクロ、特に女は運がいい。首のホクロもいい。眉毛と眼の間のホクロは必ず親の財産を減らすか潰す。(S24・5・25)

ホクロ多い程可なり

“「ホクロ」「ソバカス」「クスベ」はどの様に違ふので御座居ませうか。特に眼の下、口のまはり等に「ホクロ」「クスベ」のありますのは、意味がある様に申しますが、霊的に如何なる意味があるのでございませうか。お伺ひ申し上げます。

“口辺のホクロは非常に良い。運がいい。女でも境遇のいい女など皆ホクロがある。生活に困ってる女にはホクロがない。目の下の涙道は一番わるい。鼻柱附近のホクロは男難や女難がある。眉毛と目の間にあるホクロは親の財産を潰す。目から上のホクロは、宗教的因縁があるといふ。ホクロは人間の運命に関係がある。ソバカスの女は美人が多い。一種の毒素である。ホクロは多いほどよい。腕にホクロがあると、腕を使ふ仕事をする。(S24・5・2)

“疣は、画相といふのがあって意味がある。(先天、後天とある)治る疣は、その人の罪もあり、運命的の事もある。生れつきの疣も決ったものがある。ほくろも大変(役してる)。口の端にあるのはきっと運がいい。頸の周りのを着ボクロといふ。之等は運のいいのは事実である。前の世に徳を積んだ(しるしである)。それに善果を与える印ともいふべきである。(S  (*)・8・7)

「つむじ」の巻き方

“「ツムジ」の右巻と左巻の霊的意味、又運命との関係――。

“運命には関係ないが、霊的には関係がある。右巻は女、左巻は男であるから、女の分子の多分にあるものは右巻、男の分子の多分にあるものは左巻である。前の世の関係で、前の世のそれが、現世に表はれる(S24・7・11)

つむじ(明主様御臍と耳)

“「つむじ」が一つある人と二つある人とあり、又横の方にある人が御座いますが、人間の性質と特に何か関係が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“私もはっきり知らないが、つむじ曲りというから素直じゃない。臍でも変なのがある。人間の身体は無意味じゃないから、研究すればきっと何かある。私は皮肉が好きだが、私の臍はちょっと横にある。女の美人は臍がよい。臍に魅力がある。ホクロ、疣、鼻の形、凡て運命に関係がある。私は若い時から、耳がよいと賞められた。(S23・12・1)

つむじの位置

“頭の「つむじ」の位置と数は、何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“頭の中心は臍と同じような意味である。臍は絶対的中心でない。曲っている。私など一寸位曲っている。人の真似が嫌いである。それで医学を発見した。つむじ曲りなどは、脱線的な所がある。二つあるのもあるが、一つが本当である。(S24・7・21)

つむじの複数、二人が一つになる場合あり

“曲ったり二つある人がよくある。人間が生れる場合、滅多にないが二人が一人に生れる事がある。この時は二つつむじの場合がある。非常に仲がよいとか、親子で、特に親しい男女関係で、非常に親しい、一つになりたいと思ふ時(双方の希望で)一つになる。(S  (*)・8・7)

つむじと性格

“ぞくにつむじまがりと申しますが、つむじの位置と人間の性質と関係が御座いますでせうか。

“真中にある方が素直かもしれない。私は、臍が曲っているが、そんな性質はない。不明である。大した気にする事はない。(S24・3・4)

つむじの意義―三人分の頭の働

“人間の頭のツムジが二つ又は三つもある人がありますが、霊的に特に意味があるのでせうか。

“ない事もないが、大した意味でもない。一人で二人も三人もの働きをする訳であるから、三人兄弟として、二人死ぬ時、三人分の頭の働きをする様な意味になる。(S24)

つむじ(前世の印)

“私は頭の上にツムジが二つあり、右前頭部生際の毛が上外方に流れ、ツムジ様に思はれます。私の長男は、私の入信二年後、生れてすぐ死亡、三年後に生れた次男の頭のツムジと生際が同様です。又私の姉が嫁入先で、私の入信満七ケ月後生んだ長男も又同様です。此の三人同様ツムジ型の因縁を御垂示下さい。

“因縁であらうが、知っても仕様がない。前の世の一つの印しである。頭は祖先である。祖先の生れ更ってくるのであるから、二人分を一人でやるとか、いろいろな意味がある。(S24・9・7)

耳と幸福

“耳の形状は幸、不幸にも関係するといはれていますが、何か意味がありませうか。

“無論幸、不幸に関係がある。耳だけではなく、口でも目でも鼻でもさうである。耳は特徴があるから一番形が判り易い。研究すると運命に関係がある。耳たぼの大きいのは金持になるといはれている。私は大きいので大いに金持になるといはれたが借金で苦しんだ。然し今は公的だが金は入る。仏像なども輪を垂れているが、耳朶の垂れてるのがいいとみえる。

百握り

“私も家内も二人共右手が百握りですが、どう言ふ宿命がありますか。お尋ね致します。

“手相学上良い。(S24)

指紋と運勢

“指紋と運勢とは関係がありますか。過日無指紋の人が二名(之は母子)愛媛県下で発見されました。かような事象は如何なる訳でしょうか。

“指紋と運勢は関係がある。(指紋のみでなく、人間の身体全部に表われる)(無指紋は河童の生れ更りである)  (S24・6・25)

肩下に一毛生じある夫婦

“私も家内も右手の肩より二寸位下った所に、一寸五分位の毛が一本生えて居り、私のは黒、家内のは白色で霊的に何か関係がありませうか。

“前の世の紀念が出てるのである。自惚れるといけないから、前世はこういふ者だといふ事を知らせてあるのかもしれぬ。

左利と性格

“生れ付き右ききと左ききと御座いますが、これはその人の性格に関係あるものでしょうか。

“性格とは関係はない。(S24・5・23)

二重瞼

“一重瞼と二重瞼の人が有りますが、霊的に関係が御座居ませうか。御教を賜り度く御願い申し上げます。

“霊的にはない。二重瞼は、皮膚が柔く、伸び易いのではないか。(S24・5・22)

眉間の青筋

“子供の時、眼と眼の間に青筋があると癇癪持と言っておりますが、如何なものでしょうか。

“此通りである。見ただけでそうである。普通の人でも癇癪を起すと青筋たてる。嬉しい時は顔に喜びが溢れる。本能的のものである。

太陽暦と太陰暦の本義

“太陽暦と太陰暦との比較及人間生活への関連について、御垂示御願ひ申し上げます。

“太陽暦は、日を中心とし、太陰暦は、月を中心にしたものである。夜の世界は、月が中心であるから太陰暦にした。昼間が近よって太陰暦がなくなるのも相応の理である。であるから、太陽暦を使ふのが本当である。小規模農業では八十八夜に種播くなど旧暦を使っているが、廃止になった。(S24・11・19)

五六七世の暦 

“現在の暦は五六七の世にはどの様に変るので御座いませうか。大の月、小の月、平年、閏年はどう変るのでせうか。

“まだ急いで変へる必要はない。その頃になると自然に変ってくる。変るのはたしかに変る。

将来の暦

“将来太陽暦、太陰暦何れになりませうか。

“昼の世界は、太陽暦になる。

旧暦の発祥

“旧暦は中国に於て始められたと申しますが左様でせうか。

“旧暦は支那で起った。之は月暦とも陰暦ともいい、月を本位とした。之によっても夜の世界といふ事が分る。

暦と十二支

“午年生れとか亥年生れとかいろいろ申しますが、十干や十二支は如何に考へたら宜しいでせうか。

“十二支――。暦はあまり当てにならぬ。信仰に入ると大抵逆になる。

十二支の神秘創造の順序 

“十二支に就て教へて下さい。

“十二支は人間の性質の中に入っている動物の特性を表はしたものである。神が人間を造られた時、最初に虫、次は鳥獣、人間といふ順序に造られた。そして虫の中で一番初めに造られたのが蜻蛉である。そして、凡ゆる物の性質を採入れて人間を造られた。それ故人間の性質や肉体の中には、凡ゆるものの種類が採入れてある。それで人間の手前の獣の性質は皆人間にある。十二支はそれから出ている。全部入れたら大変だから、代表的獣を選んである。之は実によく出来ている。十と十二は神秘がある。十は五五で火、十二は六六で水、霊体となる。日本は火の国故数が十となる。外国は水の国故十二を用ひる。(1ダースなど)十二支の性質を分けて天源術といふのがある。淘宮術ともいふ。天源術の判断の仕方をとって出来る。人間の性質や運命は大中小の三つしかないといふ。宿年、生月、生日により運命や性格を判断する。それと人相である。十二支の表はれは人相にも表はれる。之は実によく当るもので、研究すれば面白いと思ふ。次に方角は、艮坤などと便宜上別けてあるにすぎぬ。大して意味はない。易学は相当の学問で、大体孔子が大成したもので、周時代(四千年前)のものを孔子が完全なものにしたのである。数字の働きは実に大したもので、すべて割切れる数がよい。十畳は火と水、八は火、六畳は水、水の方は次になる。八畳は腹切りの部屋といって、昔は八畳の部屋でしたものだが、今はそんな事はない。

十二支と星

“十二支と星に就て、暦にある通り解釈致してよろしゅう御座いますか。

“暦はあまりアテにならぬ。全然出たら目ではないようだが、関心を持つ要はない。信仰に入ると大抵逆になる。十二支は信仰雑話にある。(S24・12・23)

十干十二支の意味

“十干十二支は如何なる根拠によって用いられているのでせう。

“干支―エト、霊体(エト)は、エが本当で陽。午は一番陽である。男の霊が女に生れ、女の霊が男に生れる事がある。そんな場合、丙午でもよく調和している。「髪結の亭主はきっと怠け者」といふがかういふのは丙午でいい訳である。釈迦は変性女子といった。それで一生妻帯しなかった。それを真似した坊主もある。十二支は、人間は最後に出来た動物故、それまでに出来た鳥や動物等も全部そんな性格を持っている。それを十二種に分けたものである。明主様は天源術からいふとゴーホーローになる。

十二支と再生

“十二支と人間の再生とどんな関係があるものでせうか。

“再生とは関係はない。人間の性格は、非常に関係がある。

十二支と運命

“人間の運命は十二支に左右されますでしょうか。

“十二支には左右されぬ。一部分と思えばよい。人間の性格の代表的なものを十二選んだものである。その中、悪い性格が出れば悪くなる。信仰に入ればよくなる。(S24・1・26)

十二支の働

“十二支も平均して働けばいいが、獣の悪い方を表はす。三輪、畑、人相―相性は違ふ。猿―特徴は出しゃばる。(S23)

十干、十二支、五行と丙午人間の性能と混血明主様と淘宮

“生年月日、姓名、人間には判らぬ。神秘的の事は判り難い故、世間的によく、これにより、運命判断するが、五行が土台で、後十二支で、十干は木火土金水が兄弟―になる。陰陽といってもよい。之等は根拠がなくもない。あり得る事だ。丙午は、え―兄、丙は火の兄で一番陽。又十二支では午が一番陽である。女は一番陰となるべきなのを、陽陽陽となる。それで強いから、どんな男にも勝つといふ。強いといはれる。今は男女同権であるからよい訳だ。十二支――。人間の性質中には十二所ではなく、いろいろある。そのいろんな生物の総合せられたものが人間で、最後に造ったのが人間である。人間でも、最初のものより、最後のものが上等である。故に、鳥の真似でも、魚の真似でも出来る。アフリカの土地など、最初に出来たものである。純血といって尊ぶが、之は逆で、純血ほど劣等である。混血の多いほどよくなる。日本人は殆んど混血で、朝鮮、支那、白人(信長時代等)之から白人の混血が行はれれば又よくなる。一そう優秀となる。人間という動物が優秀となる。天源術(淘宮)といい、生年月日で判断する。なかなかよくあたる。人相見も研究する。年月日を、十二支に分ける。大輪、中輪、小輪といっている。大先生は合、法、老で、年、大輪―月、中輪―日、小輪が合ってるといはれ、銀行家に養子に懇望された事がある。

八卦や占いの当否と信仰、明主様と石龍子

“八卦又は占い等は、信用の出来るものでしょうか。迷信ですか。

“絶対信用も出来ず、出鱈目でもない。一つの感応であるから、身魂の磨けた人が誠心誠意でやれば当る。(昔はそういう人がよくあった)或程度当るものである。 但し信仰のある人は違う。反ってアベコベになる。以前私は(千葉の○○○を通った時)石龍子にみてもらったが、よく当ったが、全く逆に合った。人相は体的に出来てるもので、唯物的に見る。信仰に入ると霊的になるから逆になる。であるから、信仰している人は、八卦や人相見の必要はない。(S23・10・17)

生年月日による判断

“生年月日の数を種々組合せ、独特の計算法で人間の運勢が非常によく当り、当人も余りによく当りますので恐ろしい程だと言う事を聞きましたが、此の様な人は何か霊的な素質を持って居るので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“五感以上のものが働くのである。

今年の運勢

“本年一月四日付下野新聞に本年の運勢について記事が掲載されて居りました。その大要は「本年は寅年で変転極まりなく余りよい年ではない。凡そ政治や経済上にも悪い卦が出て居り、宇都宮附近に於ては大火の兆、数十年来の大水害の卦が出て居る。まあ大きな変化は免かれない」との記事でありました。人心は動揺し大きな関心を呼んで居りますが、之について何か御教示を戴き度く御願い申し上げます。

“大火事や水害などは沢山あるから、斯ういっておけば間違いない。易も丸呑み出来る。地上天国や光などに今年の事が出てるからそれを読めばよい。(S25・1・16)

易の癸亥

“私は本年七月入信、十月には大光明如来様を斎らせて戴きました。今迄自分の趣味で易の本を種々読みましたが、其の中に癸亥の年、又は月には世の中に何か変動が起るものと書いてありますが、癸亥の年(大正十二年)には関東大震災がありました。本月は丁度癸亥の月になって居りますが、何か変った事があるでせうか。御伺ひ申し上げます。

“大して根拠はない。気にせぬ事である。変動あれば、浄化であるから、結構である。(S24・11・18)

友引とは

“友引の日に葬儀を行わない世の慣わしになっていますが、之には根拠がありますか。

“友引などはない。友引の日に又ありはしないかという想念が働いてそうなる。それが相当の働きをして、無信仰の罪多い家などはそういう事もあるが、本当はない。(S24・12・27)

三りんぼう

“三りんぼうとはどう言ふものですか。お教へ下さい。

“斯ういふものは、信仰者に必要はない。暦などは馬鹿々々しいものである。日蓮宗に二十八宿があり、之をみると反対になっている。仏滅が一番いい日になっている。であるから大して意味はない。(あまりアテにならぬ)(S23・10・17)

天源術

“天源術の十二支、滋、結、演、豊、奮、止、合、老、緩、惰、練、実に就て御垂示御願い申し上げます。

“簡単にいえば子丑寅の十二支の如き性格が表われる。滋―鼠、金を貯めるのが好きな人に多い。額は四角い。青筋などが立っている。結は一つ事に固着する。物をかえるのが嫌い。勤人などにいい。滋の顔色は、顔に艶がない。光がない。(色白い)演は男性的。女でも演のあるのは男らしい。軍人などに多い。割合身体が大きく――。豊―顔は黄色味を帯びて、中肉中背である。うまい物を食ったり、面白い物をみたり、特徴は物が延びる。決断力薄く、朝寝坊である。大先生は合、豊、老である。合は赤い顔に多い。金が入っても皆使う。太っ腹で、楽観的である。老は涙もろく、情が深い。豊は運がいい。物質が入る。「顎が尖っている。気が小さい。要心深い。取越苦労をする。慈悲が深い。」合、豊、老  小輪―一から二十まで。中輪―二十一から四十。大輪―四十一から六十までをいう。緩は非常に出しゃばり、顴骨が高い。何でも口を出す。止―シ、綺麗で嫉妬深い。女でもシが働くと美人である。老―取越苦労。悲観的。顎尖ってる。慈悲深い。気小さく、要心深い。奮―男性的で、聞かない気である。緩―猿のように狡猾である。惰―身体は小さい。人受けがよい。新しい人と近くなるにいい。商人などは小成功する。練―怒りっぽく。顔が青い。怒胸に蓄え、意地悪である。実―重厚でおとなしい。男によい。(S24・1・19)

亥と木の関係

“天源術(信仰雑話中)に於ての十二支を滋、結、演云々とありますが、亥は、私達は木の根と教を易師より受けましたが、御著書では実(木の実)とありますが、之はどういう事でしょうか。

“何かの間違いである。亥と木とは関係はない。(S24・7・23)

気学

“気学と申すものは、どの程度に信用の置けるもので御座居ませうか。

“よく当るが絶対のものではない。こっちの霊が弱いと、いろんな影響を受けるものである。信仰はそれを超越しているから触らぬ。   神は絶対の力があるからである。(S24・2・22)