047 社会人事篇 経済

地上天国は急に出来ますか相場は一切の動き(想念)が表われる

“そんな事はない。すべて一切のものは一ぺんに行くものではない。和光同塵は今迄大先生のなされた事である。いろんなものは育つように行く。然し停止する事なく進んで行く。気候とてもそうで、段々暑くなったり、寒くなったりする。人間の方では一ぺんに変えようとする。階段を一ぺんに飛上ろうとするものが多い。その為に失敗する。必ず転落する。(二、三段一度に昇ろうとするから)(ヒットラーなどもドイツだけ治めていればよかった)共産主義の如き、一ぺんにスターリン一代でやろうとするが、之は嘘だからきっと駄目になる。相場でも一ぺんにパッとする事がある。そこに穴が出来る。然し又漸次立直る。一切のものは漸進的に行くのが真理であって、それに外れたものはない。相場の動きは大したもので一つの真理である。多勢の人間の想念等が一つのものに表われるものである。一切の動きの反映が表われる。他の政治経済等凡てそうなっている。インフレ 下がる 半分上げ 戦前物価水準右 中道 左 ブランコのようなもので、この揺れが今迄は大きくあった。(戦争など)その時に人間が苦しむ。みろくの世には、そのユレが小さくなる。然し、此揺れがなければ、進歩発達しない。(上ったものは必ず下る。多く上るものは多く、下る時は勢があるから、今に戦前よりもっと下る。暴落する。民主中道政治)(S24・11・14)

今後の日本経済とストライキ

“今後日本の経済界の変化及ストライキの動き等御垂示御願い申し上げます。

“経済界は段々よくなるが、物価暴落時代――所謂デフレが来るから下げは凄い。上げる時は十年掛るのが下げは一年である。気をつけるべきだ。法則として一旦半値になり少し上り、三段になって底をつく。そしてもう一段下って本当の底になる。之を二段底という。(最初一のリズムになっている)ストライキはもっとひどく相当あると思う。今は進駐軍の命で中止しているが、今に聞かぬようになる。共産党(ソ連)の世界政策は、ヨーロッパか東洋かどっちを先にしようかというにある。ドイツで喰止められたので東亜に来、中国、朝鮮も殆ど赤化状態である。ヨーロッパを第二とし、東亜を第一としようとした。今残るは日本だけである。それで全力を注いで攻撃しようとする。今度のストは一つの瀬踏みである。試験的になったものであるから前と異い悪質である。相当いろいろな工作をする。(S24・6・19)

光明世界に於る勝負事(社会主義の誤り)配給制、共産主義、理外の理

“光明世界にして戴いた時、現界に於ての勝負事の遊戯は、如何なる程度のものに変り行くので御座いましょうか。

“人間は出世したいという優越欲が大いにある。この競争心はなくてはならぬ。この点からいって社会主義は間違っている。この競争心を制える。なくそうとする。現在の配給制度は、戦争をする為止むを得ず変態的計画をとったもので、それを今以てやっている。之が社会主義である。之は頭に欠陥があるといわねばならぬ。本当のものでないが故に、終戦後は当然やめるべきである。その統制に従わぬという事、即ち闇をやる事は悪でない。寧ろ善である。二合五勺しか配給しないから闇をするんで、実際からいうと米は余るんで、余らないとすれば闇で売る訳がない。闇の根本は主食である。従而闇は政府が闇を作っているのである。配給制度は社会主義理論である。それに気づかずやっている事はよほど頭がわるい。民自党の方があたりまえである。共産主義は、人民を苦しむだけ苦しめて自暴自棄となる。そこを狙って宣伝する行り方である。闇は犯罪ではない。闇をせねば生きていけないような政治をしておいてそれを取締っている。政府の方が犯罪である。又すべて官営にしようとしているが、官営とは昔からいう士族の商法であって、すべて物には理外の理がある。やはり商法は、丁稚から上ったものでなくては役に立たない。相場なども全然理窟に外れるもので、理窟とは逆にするものである。理窟通りにすると必ず外れるものとしてある。世の中には理窟に合わぬ事が沢山ある。所謂ニニンが六も七もある。理外の理を知らなくてはならぬ。今の学問は理窟を教えるが、理窟だけでなく、次の理を知らなければならぬ。

神意通達の法―邪念が遮る、御神書の尊さ、昼は滅せぬものが出来る、悪人の役目、真の民主主義の在り方、神典や仏教の欠陥―諦観思想

“神典の主旨に通達するには私達は如何に勤めさせて戴けばよろしう御座居ませうか。

“神典とは昔ある古事記等である。神よりの現魂への命は誠心ならばひとりでに浮ぶ。之が通達である。邪念があるとそれを遮ぎる。後は大先生の御言葉を心に入れて判断すれば間違ひない。其為の今度の御本である。今迄の神典でも仏典でも夜だったので、本当の事が判らずかけなかった為に書いてなかった。だから名僧のかいたものは浅い。キリスト教のは現代的でいくらか判る。仏教に至っては殆ど判らぬ。言ふ人が判らぬから判る筈がない。此世は火宅とか、厭離穢土とか、仮の娑婆とか、生者必滅、会者定離などと唱へてあるから希望を失ふ。此世は汚ないといふのである。仏教の悟りといふのは諦めである。夜の世界は滅する。仏教は滅する。夜の世界は本当のものが出来ぬ。必ず滅する。空々寂々だといふ。昼間になると本当のもの、滅せざるものが出来る。五六七は順序が正しくなる事である。三六九―小中大。汚い所へ蛆がわく。強盗不良児など出るのは日本人全体が間違っている。皆よくなれば自然に消滅する。悪い人間も、どういふ役目をしているか判らぬ。民主々義は今迄の封建制打破の為にはいいが、それのみではいけない。アメリカは階級制、日本は民主々義を採入れるのでなくては、本当によくならぬ。

山口県に就て

“山口県は、霊界からいっても日本の入口である。故に関門海峡といふ。そこで一番仕事を初める所である。

日本人の発祥地と沖縄

“沖縄本島は住民の言に依れば、高天原とは此処の事で日本発祥の地と言はれ、又風俗、習慣、言語、宗教等は日本古代式で、左の如き事例があります。

(イ)文字の読方  與名原(ヨナバル)  大城(オオグエイ)中田(ナカンダカリ)

(ロ)言葉  ウソガミソオラヱ(どうぞ召上り下さいの意味)
沖縄言葉は文字は漢字にて書けば総て候言葉です。

(ハ)主都  首里の首里城は全く古代的の芸術品です。

右に依り何か古代史或は神代史其の他神秘に関係がありますのでせうか。御伺ひ申し上げます。

“見ても日本語でない。日本人の発祥地でもない。大和民族の根本地、発祥地は琵琶湖の東の方である。ナワは皆龍神の事である。それで、オキナワとは、大きい龍神の事である。大きい龍神が住んでゐたのであらう。本来、琉球の玉があったので琉球といふ。此玉が大変な意味がある。古代日本人が渡ったので、必ず日本文化は残ってゐる。(S24・5・25)

エアーポケットの霊的理由

“箱根の山はエアーポケットと聞きましたが、その急所は何山辺でしょうか。これは神秘的な理由が御座いますか。尚日本国のエアーポケットは何ケ所位御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“エアーポケットは、空気が渦巻いている。神秘的な事が全然ない事はない。お魚など、龍神が守っている事がある。来させないようにしている。飛行機を落すのは悪龍である。(S24・12・23)

スポーツで名を成す人

“スポーツの選手等で、非常に世間の人気を博する人がございますが、之は霊的にはどの様な意味でしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“祖霊が守護する。そして子孫を助ける場合がある。その人が前世に善い事をしたのに、名誉を得られずに死んだ。それで今度その得るべき名誉を与えられる。(S23・7・23)

特産植物と京都辺の地

“農産物に於ける特産物、例えば京都市上加茂の「加茂なす」「すぐき」の蕪等を隣村で栽培しても同様のものは出来ませぬが、右の原因について御教えを御願い申し上げます。

“土の成分が一個所へ固まる。凡ての物は一個所へ固まる性質のものである。凡ゆるものは一個所へ凝結するもので、それが方々へ特殊性能が出来る。日本でも京都辺の土は非常に良い。特に植物は優秀なものが出来る。地殻や地熱の放射状態がよい。霊的に言っても、日本は龍神の形になっている。京都辺は胸部になる。一番綺麗な所である。  (二十三年)(竹松等は京都がよい。膚が綺麗である。竹は外国にない)

妖精

“私共の一信徒から質問された事ですが、重症患者を浄霊してゐると障子の破れ目などが皆花に見え、その中に何百とも知れぬ人の顔がはっきり見えるので、患者にそれを尋ねるとやはり見えるといふのです。こんな事に二、三回出あったさうです。これはどんな霊的意味があるのでせうか。

“妖精である。妖精は、顔は子供の顔だと思ふ。花が咲いてる所に子供が沢山踊ってゐる。人間が行くと逃げる。凡ゆるものは生物化する。大友黒主の桜が亀になったり、三十三間堂のお柳など、訳があって、花が来た時、それに憑いて来たものと思ふ。(S24・3・20)

人間と蜘蛛(殺してよいもの)

“私は「くも」が大嫌いですが、殺すのも何だか気味が悪い様な気も致しますが、殺さない方がよろしいでせうか。御伺い申し上げます。

“殺してもよい。蜘蛛に憑依したり、人間がなったりするのもある。歌舞伎の土蜘蛛など蜘蛛の霊が人間になって悪い事をする。之は大きい蜘蛛である。畳二畳敷位あったのもゐた。人間がなったり、蜘蛛が人間になったりした。醜い姿のものは殺してよい。綺麗な姿のものは殺してはいけない。例えば鳥の如き人間の目を楽しますのと、虫を食ふ役目である。  (S24・7・8)

頭上より火の玉昇る(神の霊線)

“私が本年一月七日茨城県取手の補助教修をさせて頂きました時、その終了後、居合せた二名の信者が異口同音、教修中一受教者の頭上二尺程の所より金モール様のものが振動し、その後直径約二寸程の火の玉の様なものが次々と上昇するのを見たと申し出ました。又本月五日よりの成城支部に於ける教修の際には、第二日目の早朝、受教者が目を醒ました時に、眼前二、三尺の所を雲にかこまれた如き火の玉が、三ケ程次々と横に流れては消えるのを見ましたと申し出ました。これはどのような訳で御座居ましょうか。

“神様から光の霊線のようなものを下さる。それが見えたのであろう。近頃多くなった。(火の玉)火の系統の神が段々表われる。それで光が見える位強くなった訳である。今後、こんな事が沢山あるようになる。(S  (*)・2・4)

光玉飛び大音を聞く(乙姫)

“一月二十六日午后七時半頃、直径一尺位の火の玉が西から東へ三間位の青のろを引いて飛び、何万燭光もある様な光を発し、火花を散らして消へ、五分位後大きな音を聞きました。之は如何なる訳でせうか。

“火の系統の龍神である。人間に知らす為にやったものと思ふ。神(*)昼間になった為――。断定は出来ぬが、一月二十六日は龍宮の乙姫の誕生日である。乙姫に関係がある。霊界が昼間になるに従ひ、火素が殖えた為、斯ういふ事が出来る。

白骨水と化す(土の本質)

“嘗て墓に埋められて居りました骨壺を八年程経て掘出しましたら、壺は密封されて居りましたが、白骨変じて全くの清澄そのものの如き水と化して居りました。之は如何なるわけで御座いませうか。又これから観ますと、骨は水素の霊の体化したものの様に考へられますが、さう考へましてもよろしいもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“之は珍らしい。こういふ事は偶にはある。ない事はない。寧ろ之が本当である。水になるのはいい。何か信仰したのであらう。本当は人間の身体は水であるし、霊は火であるし、体は土であるが、土も根本は水である。創造の場合、軽きものは天となり、重きものは地となったとなってゐるが――。土は水が固修して出来たものである。  (S24・10・2)

大音して家揺れる、音による知らせ

“昭和二十三年四月十八日、光明如来様を御祭りさせて戴きました。昨年十二月頃より夜十時頃二回位小さい地震でも起ったかの様にみしみし音がして家が揺れるのです。それが毎晩なのです。何か霊的に原因があるのでしょうか。御伺い致します。

“木の割れるような音、ドーンという大きい音など、お宮などによくある。何かの霊が何か知らせたいとか、要求したい場合があって、知らせたい場合は、夢だとか、浮ぶとか、霊で知らすなどのような事がある。喜びを知らす時は音でよく知らす。喜びを知らすならすぐなくなる。霊が知らせたいが方法なく音によって知らす。も少し待てば何か判る。大龍など大きいのが来る時は、シューッと音がする。(S24・2・25)

霊の思念物質化

“去る六月二十二日は他界いたしました長男の満三年に当り、十三日に両親の命日でありますので仏間の写真の硝子を掃きました処、長男の向って右側に文字が四ツ浮き出ています。不思議に思い乍ら日々気をつけていましたが、命日頃には次第にハッキリ見えて参りましたが、判断いたしかねて二十九日岩松先生に見て頂きまして、「長生和楽」と判明いたしました。此の文字が三日目の七月一日から薄くなり、一週間位で殆ど見えなく成りました。この現象につき御教え願上げます。

“長男が霊界で救われて有難いのである。霊界を信じさせる為にやったもので、霊が強く思念すると或程度物質化する。(S24・7・18)

仏壇より御讃歌聞ゆ(霊の意志と言霊)

“お祖父さんとお祖母さんが入信なさって居られ、御屏風観音様をお祀りさせて戴いて居る家で御座いますが、先日未入信のお嫁さんが、御仏壇の中から何とも言へぬ静かな御讃歌をお奏げしている声をきかせて頂きました。それから三、四日たち近所の方が御浄霊をいただきに参りまして、やはりお仏間の方から実によい声で善言讃詞をお奏げして居られる声を聞かせていただきました。これは如何なるわけで御座いませうか。お伺ひ申し上げます。(以前この家は日蓮宗の熱心な信者でした)

“霊でやるのが聞えた。霊が聞かせたいといふ気持で言霊発すると、いくらか言霊が濃くなる。祖霊も信仰に入ってるのを知らせたい為だと思ふ。(S24・11・2)

壁に手の痕跡(怨念)、負ける事

“私の村の某古寺(曹洞宗)の事で御座いますが、明治初年の頃の事と聞いて居ります話に、当時其の寺の住職の世話をして居った老婆が、永の病床に就いたのに誰も面倒を見て呉れないので、到頭自殺しようと決心、其の時「ああくやしい」と右掌を其の寝室の戸板にピタリとつけたとか。ところが其の痕跡が歴然とつき、どうしても消えないで、現在では其の寺の名物になって居ります。それは私も何回も見ました。これは霊的に如何なる訳があるもので御座いましょうか。

“執念である。手なら掌から出て印象される。全く怨みの想念は恐ろしい。その為に霊も行く所へ行けない。京都の血天井の如きもそれである。普通の血液と違う。口惜しいなどいう想念は悪に属し、悪霊となるので、霊の毒素のようになっている。だから人から怨まれる事はいけない。感謝を受けるようでなくてはいけない。負けるは勝つというのはそれで、くやしいくやしいの想念は塊ってくる。負けた方はそういう障りがないから反って運がよい。恐怖もない。徳川家康などは負けて逃げたから天下をとり、長く続いた。秀吉などは勝ったから、怨みの想念があるから、没落が早かった。(S24・3・4)

胸より香煙みゆ(全身不随意)、救われし霊と線香

“二十二才の男、十三年前より全身不随で一日五、六回発作を起す人、二ケ月以前より浄霊を施して居ります。本人も家人も入信して、物を喰べるにも上手に喰べられるようになりましたが、四月二日浄霊中その本人の右の胸のあたりから線香の煙りのようなものが立昇りました。何を意味するものでしょうか。

“中風の霊である。二十や三十で中風の起る筈はない。五、六回の発作のあるのはその為である。霊界の線香の煙がみえたので、良い香りがする事があるが、霊が救われた為それを見せたのである。霊の居所と線香の在所と違う。霊が救われてると線香が届く。神様が来られると、いい香りのするものである。

烏窓つつき知らす(祖霊)

“昨年四月頃、私の取扱って居る信者の家の附近へ(石川県石川郡松任町)毎日五、六羽の烏が飛んで来て家並に一羽づつ止り、朝八時頃から九時頃までの間に窓硝子を割るまでつつき、其処を動きません。戸を開けると又次の戸に移り又割ります。追っても又すぐ来ます。御浄霊致しますとすぐ逃げますが又来ます。これが一週間続きました。これは如何なる理由でありませうか。御伺ひ申し上げます。

“祖先で、天狗界へ行ってゐる者で、烏を使って子孫に知らせたのである。然し、済んだからもうよい。  (S25・1・15)

汗かく阿弥陀(転生人霊)

“宇都宮の一向寺に「汗かき阿弥陀如来」という国宝の仏像が御座いまして、昔から此の仏像は何か凶事異変の前には必ず汗を流すと伝えられて居ります。附近の人の語る処によりますと、日清、日露戦争、関東大震災、近くは太平洋戦直前にも汗をかき変事を知らせたと申し、今尚参詣人が少くない様で御座いますが、何か訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“悪い事をしたり、罪を犯したりする人で、死の時に改心し、世の中の人に尽さなければならぬと決心し、本願を起す。そういう霊が地蔵や阿弥陀などに憑り、変事を知らすなどし、大勢の人の為になるようする。人間が動物になって、又人霊になったものなどもよくある。(そういう事をする)(S24・8・21)

家相方角と霊層界(婚姻、霊層の太線細線)天職使命と最上の道、最上の幸福下層霊と抵抗力(地獄の霊籍)明主様の御移転経路、神山荘の建設畳数、吉凶占い、鬼門の重要性

“家相方位。之はこだわっていい時と、悪い時と両方ある。霊層界百八十層あり。上(天国)、中、下(地獄)と三段あり、真中は中間帯で八衢という。之は現界と同じ、娑婆と同じである。人間はこの三層のどこかに居る。そこにその人の魂の本源があり、霊線が繋がっている。そうして運勢や使命も係わっている。地獄は人間の不幸の世界で、重軽はあるが階級の昇るに従い、楽になるのである。地獄の段階に魂がいると、何時災難を受けるか判らぬ。方角や家相はあるが、魂の居る所相当の方角や家へ住み、相当の境遇になる。故に、良い家に住んでる人は、それだけの段階にいる。自分の魂が下にあれば、どんなに足掻いても駄目である。霊層界の地位は始終変化しており、罪を犯したり、善い事をする事により変化する。大体に太い線、細い(小さい)線はある。太い線は突破出来ぬが、小さい線は始終上下している。それによって変化する。悪い事はしないといっても、ただブラブラしている人などは、それがやはり罪になる。やはり「理想世界建設に役立つ事をするのが最上で、その為に、それぞれの職業を与えられている。それに全力を尽す。それによって、天職使命を行うべきである。」そして尚その上に、人を助けると罪の消えるのが大きいから、霊層界はドシドシ昇り、逆に歓喜の生活が出来る。そして思った通りの、良い家へ行けるし、神様は、褒美を下さるのである。結婚などもそうで、その人の徳によって、妻君も良い人が来る。それで人間は、自分自身の魂を磨き、天国に相応する事が肝腎で、そうすれば悪い方へ行きっこはない。故に、家相方位はあるにはあるが、霊相応であるから、先ず霊を天国に置かなくてはならぬ訳である。霊の軽いのは天国へ上るし、重いのは低い所へ行く。低い所にいると、霊の抵抗力が弱いから、邪神にやられる。邪神は人を苦しめるのをとても喜ぶのである。運よく出世をするといっても、形だけの出世ではいけない。人を幸せにする幸福、之が一番の幸せで気持もよい。良心は神の分霊であり、気が尤めるのは、神様に叱られるのである。家相は良くしなくてはいけないし、知っておかなくてはいけない。神山荘の建設などは実に不思議で、神様が用意されたものである事が判る。方角で一番良い方角は鬼門である。故に、方角の良い方へ越すには鬼門がいい。今迄は、不正や悪をやる人は、反って悪いとしたが、これから良い事をする人は、鬼門へ行くべきである。私は、浅草の橋場に生れたが、之は浅草の東で、浅草は東京の東、東京は日本の東である。それから、山谷、京橋、大森、箱根というように、段々東から西へ行かれた。斯ういうように、私の方角などは決っている。熱海でも、東山から小倉別院へ、やはり東から西へお行きになった。(中略)吉凶の卜い。家相は鬼門が土台である。鬼門は一番霊気が来るので、間違った事は出来ぬ。良い霊気とは、神霊が濃い訳である。鬼門を汚すと、良い霊気を穢すから、綺麗にしておく事である。光明如来様を祀った所、紫色の霊気が棒のように立っているのが見えた事がある。霊気の来る所は、清くしておくべきである。鬼門には松や檜が一番良い。坤は、石と水がよい。事情の許す限り、両鬼門は良くする。又、道から下る所は不可、上る所は良い。下津岩根は非常に良い。ここの家相は非常に良い。(箱根)畳数は偶数でなくてはいけない。偶数は割り切れる。滑らかにゆく。何でも奇数は割り切れぬ。閊えるからいけない。三の数は不可。男は十八畳などよい。女は三畳、六畳などよい。総数が偶数になるのがよい。方角は易者と違い、主人の寝る所を本とする。家相は出る形がよい。之が理窟に合う。又、拡がる形もよい。吉凶占いは十二支が本で、之は人間の性格の主なるものを表わしたもので、確かにある。台所は鬼門を避ければ、後はどこでもよい。

霊状態と移転、土地、姓名、結婚、夫婦土地制定の基準、方角の中心鬼門詳説、家形霊界に於る夫婦

“土地、家相、姓名の善悪等非常にある。誰でも良を望むが、根本は―。或家に引越すのも偶然でなく、相応の理により、霊状態の良い時には善い所へ行く。霊層界の八衢以上にある場合、悪い事はない。第一、第二と霊の段階の通りの所へ住む。結婚も又、霊層界と極度に違う事はない。向上すると―霊が浄化されると上ってくる。すると前の家では相応せず、良い所へ越す事となる。霊が変ると、体が引づられる。従而、良い所へ行っても、霊が伴わなければすぐ出てゆく事になる。黙っていても霊さえよければ、良い所へゆく。夫婦の場合一方が向上し、一方がそのままの場合、どうしても一方が苦しみ、一緒に生活出来ぬか、でなければ霊界へゆく。霊界はすべて執着をとる所である。夫婦など愛し合う度の濃い程一緒におれない。抱擁しようとしても身体が硬直してしまう。その執着がなくなると一緒におれる。霊界では、神様のお許しを得て一緒に遇えるが、そうでないとなかなか遇えぬ。身魂の階級で違ってくる。土地は、附近に於て高い所がよい。故に、越す場合、その近隣の高い所がいい。坂の中途へ住んではいけない。家相も大いにある。矢釜しくいえば、畳数などもある。霊的状態が良ければ、悪い所へゆけぬ。家屋中心にみるのはいけない。主人の寝室を中心に考うべきだ。人間中心にする。寝る場所が安住の所である。鬼門が霊であるから木と火になる。木は気である。裏鬼門は体で――。艮から浄める力がくる。鬼門を汚すと霊気が曇り、妨げられ、邪神が災する。坤は物質が来る―濁るんではないが――。艮へ便所をつけたり、人の出入りをさせたりするのはいけない。乾の出入りは、日の上るのと両鬼門を避ける。広い所では、艮に庭をつける。すると病気災難を逃れる。坤は石と水をおく。すると物質が入る。家相では、この鬼門が一番大事である。家の全体の形はある。大森など鶴が羽を拡げた形であった。凹の字形の家相はいけない。

発展の家相

“家屋の屋根を改造する場合、草葺を瓦葺屋根にするのに、改造前より改造後の屋根棟が低くなると家相上良くないと云ひ伝へられて居ります。之は家相に依るものか、又は祖霊の御意に叶はぬ事にでもなるのでせうか。尚鬼門に庇を出したいと思ひますが、鬼門に触れる事は昔から絶対に禁じられた不文律になって居ります。此の場合、大光明如来様に御願ひして作業に着きましたら、鬼門の「たたり」はありませんか、御教示下さい。

“家相は凡て殖える事はいい。ヘッ込ますのはいけない。出すのはいいので、全然迷信ではない。凡ゆるものは、発展拡充の意味はよい。教会も出来るだけ殖やすと、信者が殖える意味になる。之は相応の理である。屋根など低くなるのは、上の方が低くなる事である。鬼門を汚すのはいけない。後は差つかへない。(S24・9・25)

十二支と九星、方角等と霊層明主様御入りになる家

“十二支と九星との関係に就て相性、吉凶等を言はれますが、その真否を承ります。

“あるにはあるが、信仰に入れば問題でない。寧ろ反対の場合が多い。(反対でよく当る)九星は配偶者にいふが、要は自分の霊的段階を上にすればよい。家相とか方向などよく世間でいふが、私は目茶苦茶に自分の推量で決める。ここの家の方向なども入る時は気に入らなかったが、入ってみると実によくなってゐる。坤の方向に流があり、石と水になってゐるから金が入る。大先生のお移りになる家は、門は必ず戌亥(巽か)である。宝山荘などワザと池を掘らした。(今迄の世界は夜で日がなく、すべて二段であった)早雲寮も辰巳に門を作る。今度は三段で、学校なども小中大―九年になる。今迄は三の数を用ひなかった。四年とか八年とか、中学年四年とか、三を用ひない。霊層界が天国の状態におけば凡てよくなる。今迄は之を徹底して説いてないから幸福になれぬ。信仰して不幸になる結果、神仏を否定するのがよくある。枝の神で利益を与える力がなかった。一番偉い神が月神であった。  (S23・10・27)

辰巳の働きと松柳

“方角の辰巳は、龍神になるから、金銀財宝の働きをする。客が多く来る。何か福分を持ってくる―というような意味になる。であるから、門の両脇へ松と柳を植えるといい。(S23・11・11)

乾方角の意味

“乾は家相上神仏の場所と定められて居ると言ひますが、此処が正しい祭の場所で御座居ませうか。

“そうでなくともいい。乾は初めになる。天といふ意で一番位が上としてある。乾坤といふ如き大した意味はない。支那から来たもの。臨機応変でよい。

二十八宿と牛

“日蓮上人の二十八宿日割鑑によれば、牛と言ふ星がありますが「此の星は深き所説ありて配当に加えず」とありますが、それはどの様な所説でありませうか。又今年は牛の年であり、今上天皇が牛年の生れでありますが、何か関係が御座ゐませうか。御教示下さい。

“二十八宿とは、月を割ったものである。日蓮宗のそれは普通と反対になってゐる。旧星(九星)の逆をやればよい。牛は、牛頭馬頭といふが、午と牛で、牛はが空抜けてゐるのが悪いとしてある。天皇は人民と同じ位になってゐる。実際的の影響はない。

恵水の御願、水と人間の善悪

“私の村は井戸の少ない村です。以前に少し水の出た井戸で今は水の出なくなった井戸があります。所有者は稲荷の信者です。其の人の娘が嫁いだ夫が、御光を戴き信者になりました。そこで若し御浄霊に依って井戸の水が出る様になると、村の者も大変助かるのであります。又、布教の為かういふ事は観音様に御願ひしてもかまひませんか。又、どういふ様に御願ひしたら此の願ひを叶えて下さるでせうか。御垂示下さい。

“皆が幸せになる事は、何でもお願ひしていい。信者が多くなると水が出るようになる。要は水を使ふ人間にある。人間が善くなれば水もよく出、良いのが出る。わるい人間がゐると――。  (S24・3・15)

井戸水の濁り(運命と木や水)

“三ケ月前より井戸水がにごります。

“井戸が濁るのは何か違った所がある訳があるから査べてみよ。でなければ字の額をかいて上げる事。以前坂井が、水が出なかったので「恵水」といふ額をかいてやったらよく出るようになった。水でも木でも、その人その家の運命に必ず大きい関係がある。大森で松が枯れた時災難があった。自分自身をみつめる事。順序が違ふとか不純な信仰とか何かあるか査べよ。(不純な信仰、間違った神祭、運命等種々関係がある)

井戸水の切れ解決法

“井戸水が早く切れるのは霊的に意味がありますか。

“溜るのが少くなる訳で、霊的にも物的にもある。水道が細いのに沢山汲めば、早くなくなる訳である。龍神が活動すると、龍は水を引寄せる力があるので、龍神など祀ると、水が多く出るようになる。但し、龍神に力の強弱があるので必ずしもそうでない。多くする方法はある。「恵水」の御額を掛けると水が出る。

曇と災害、神の愛

“災害の大小は曇の多寡による。曇が多ければ災害は大きく、少なければ災害も小さい。神様は人間を幸福に暮すよう造られたので、その為汚れは掃除するよう造られたのである。それを邪神は汚そうとする。そして人間を堕落させようとする。(S23・7・7)

最善の曇解消法

“曇り解消の最善の方法について。

“人を助ける。その徳によって曇がとれる。これが最善である。(S24・1・27)

不漁の原因

“近来漁村は不漁続きで御座いますが、其原因は暖流の関係にあると謂われて居りますが、暖流の変化及び暖流、寒流に就て御教えを御願い申し上げます。

“之は人間的に解釈したものである。霊的には、漁村の漁師が本当の事をやっていない。釣の神様があって、漁は神様は下さるものである。漁師がどっか悪い事をしている。徳のある人は、物質が集まる。(S24・5・21)

銀杏切って死亡(祟られる資格)

“私の近くの信者、先代と相続人が天刑病で死亡したため夫婦養子を致しました。夫婦共四年前入信致しましたが、昨年の秋、直径一尺二寸位の銀杏を切りました所、間もなく義母が風呂の中で急死致し、本年春、子供が引きつけた様になり死亡、夏夫婦共相次いで胸の病で死にました。現在四才の長男が残って居ます。生前信仰により救われたいと努力なされたが、親類等の反対により思うに任せぬ状態でした。如何なる因縁でしょうか。御伺い申し上げます。

“銀杏に憑いていた木龍が怒ったのである。代りの銀杏を早く植えてやる。入信しても働かなくては何にもならぬ。碌に活動が出来なかった自分に、弱点があるから祟られる。(S24・9・16)

優曇華の咲いた時

“本年一月頃より、私の居間の天井に、二ケ所「ウドンゲ」の花がさきました。又今月初に店の入口の上に一ケ所咲きました。何か変った事があるのでせうか。御伺ひ申し上げます。

“日本ではうどん華を虫としており、動物といふ訳であるが、之は印度から渡って来た言葉で、インドでは本当は立派な花だといふ。三千年に一度咲くとしてあり、之が咲くと大変吉い事があると言はれる。日本では不吉といふ。そこの一家の霊界が曇ると、そういふ微生物が湧くので、それが形に表はれたのがうどん華である。即ちその曇の浄化作用があるのであるから、災難や病気等が起る訳である。故に普通の家で優曇華が咲けば、家の曇りと知って光明如来様によくお願いし、さういふ行をする。すると大難は小難になる。(S24・6・28)

うどん華(曇の虫化)

“うどんげの花が咲くと、何か変事が起ると昔から云われて来て居りますが、私の家では二回見ました。一回は姉の死ぬ前、一回は父の死ぬ前で、表格子や電燈の笠などに生えていましたが、本当にそうした意味のあるものでしょうか。御伺い申し上げます。

“実際ある。虫の卵という事になっている。不吉の前に咲くとか、曇が一所へ固まると虫になる。  (S24・7・3)

うどん華と曇り

“うどんげの花が咲くと、昔から必ず其の家に不吉な事があると言ひますが、其の家に対しての霊的関係があるのでせうか。天井裏や電燈の笠に出来る様です。御教示御願ひ致します。

“優曇華は虫である。その家に虫が湧くほど曇ってゐる。何れは浄化が起る。(S24・10・8)

浄化と優曇華

“一ケ月半位前に気付いたので御座いますが、私宅御奉斎の大光明如来様及大先生お写真向って左肩上の天井は「うどんげの華」が咲いて居りますが、霊的に如何なる理由がありましょうか。御伺い申し上げます。

“うどん華は浄化であるから、苦しみのある前に咲く。霊的にはいいが、体的には悪い。  (S24・9・27)

浄化の前知と夢(神は予知せず)

“教習生です。十一月三日に判然とした夢を見ました。来年の三月、五月、七月に台風、大火事等が起る状態の夢ですが、又霊界に起りつつある事象を承ります。

“不明である。恐らく正夢ではない。重大な天災地変でも、神様は知らせぬものである。知らすといけない。その土地などに汚れが溜っているので、人間が苦しまなければならぬ。人間が苦しまなければ、浄霊が出来ない。それを前以て知ると、折角の浄化が効薄くなる。

兄弟浄化程度の差異

“浄化の程度が兄弟で異るのは、祖先の罪穢の流れ方の不平等で御座いませうか。或は各々が現世で作った曇りの差異に依るものでございませうか。

“両方である。誰かが一家の罪を除る役になる。その人のズーッと前の世に非常な罪を犯した場合など、贖罪的に引受ける事がある。自分が先祖自身になる事もある。キリストとても自らの犯した罪を贖罪した。素盞嗚尊が政治を悪くした為、世の中は堕落し紊れた。万人を過らした罪により、万人の犠牲となって贖罪した。過らした人間を今度は自分が救ふといふのは当然である。霊的な事は複雑した事情があり、単純な見方で解釈はつかぬ。(S23・10・28)

不具出生増加と浄化

“世間よく不具の子供が生れますと、その家は良くなると申しますが、何か意味が御座いましょうか。又助産婦の話によりますと、最近不具の子供の出生が非常に多いそうで御座いますが、何か霊界の転換と関係が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“不具が出来るのは浄化作用であるから、それだけ罪が減り、一家が良くなる訳である。最近霊界は浄化が旺盛になった為、一家の罪が早く出てくる訳であるから、関係は大いにある。又、近頃神憑りが多くなった。(S25・5・1)

不幸続きの運命

“昭和二十年一月、震災の為母、弟死亡してより不幸続き現在に至りたるも其の間弟は戦死し、私復員後肋膜炎を病ひ三ケ月間にて治りしも、又も次弟肺浸潤発病死亡せり、其の後本年一月、私も盲腸炎引続き肺浸潤にて現在は快方に向ひ有るも、私又は一家の運命は如何でせうか。

“一家に非常にメグリが溜ってゐる。故に早く除らなくてはいけない。信仰を一生懸命にする―といふ事は人を救ふ。罪穢を消す事は苦しみによる。人を喜ばして愉快に救へる。(S24・11・26)

罪多き家 

“主人の弟は元中学校の教諭でしたが、後に会社員となり戦時中に豊橋の空襲で惨死致しました(昭和二十年六月)。当時弟は分家して居りましたが、妻の亡兄の嫁と何時しか良い仲になって居りましたが、待避壕を直撃されて生埋めとなり、二人共頭だけ地上に出て居りました為、首から上は焼けて頭蓋骨は脱落して居りました。弟の妻は、それ迄二人の仲を知らずに居りましたが、此の事件以来面白くないのか別荘に移り実母と一緒に居りましたが、暫らく後、本年五月弟の位牌を私共に返して再婚致しました。(子供はありません)一方、私宅では昭和二十年八月十九日、長男(現在十四才)が脳膜炎にて一時どうなる事かと心配した程でしたが、御浄霊の御蔭で治して戴き主人も子供二人も喜んで入信させて戴きました。本年五月十五日、家族揃って御面会を戴きましたが、十九日より主人が頭の病気に罹り、遂に二十四日死亡致しました。或る人の申すのに霊的因縁だと申されますが、如何なる事でしょうか。実は弟の位牌を返されたのが主人の死ぬ三日前であり、次々に頭の原因で病気やら死ぬやらで、私としても主人や弟の後生を弔いたいと思って努めて居りますが、子供の一人を以って弟の名跡を立ててやる事は如何でしょうか。又、私共母子三人は今後如何に進んだらよいので御座いましょうか。御教え願います。

“此家に罪穢が非常に溜っている。よほど徳を積まなくてはいけない。信仰を熱心にし、人を助ける。跡を立てるのは喜ぶ。(S24・7・28)

家庭の不幸

“子供六人あり、三人は死に、三人の子供の内一人は健在で、今は一年間病気に悩む息子と嫁に行った娘とあります。その娘は家庭円満でないので悩んで居ります。子供の病気の悩み、嫁の円満になる様に致すのには、如何したらよいでせうか。三人死んだ子供、二人結核、一人心臓病であります。右お伺ひ申し上げます。

“これこそ信仰を勤む外はない。浄化である。徳を積めば罪は消える。(蒔いた種を苅取るのであるから因縁である)(S24・8・28)

災多い信者

“私昭和十七年五月受講以来数々の御守護を頂き、主人一同受講、その上光明如来様御姿並に雲行観音様、光明様、又横額神風、神龍、地上天国、神世界、日月、真善美、光明世界様又御屏風観音様等御奉斎させて頂き、精進致して居りました処、昭和二十一年五月十四日突然次女紀美子(当時七才)疫痢症状の浄化戴き、当時私が産後二十四日目とて御浄霊が出来ませず、その当時の先生に御願ひ致し一生懸命に御浄霊頂いて居りました処、其の甲斐なく四日目に死亡致しました。爾来この件により親戚縁者の猛反対に会ひ、誠に残念乍ら一時中止致さねばならなくなりました処、同年八月頃御守護により現在の田中先生と結ばれ以後色々と復活に努力致して居ります。現在ではその後に次々に起る子供の浄化に対して、その都度御守護を頂き、どうやら信仰を続けさせて頂いて居る状態でございます。又最近ではとみに親戚の反対が激しく、昨日現在御奉斎の光明如来様御姿を、先生にお願ひして雲行観音様に代えさせて頂きました。この様な状態故、私も大先生の御面会には伺はれず誠に申訳なく存じて居ます。何卒今後の御守護を御願ひ申し上げます。又私の今後の進むべきあり方について、田中先生を通じて御教示下さいます様ひとへに御願ひ申し上げます。

“出版物を出来るだけ読み、時期を待つ。峠を越すと好転する。罪が多いから時期がかかる。  (S24・12・8)

燕作巣は本当でない(家の発展)

“昨年十月夫婦並に娘二人、入信させて戴きました。処が二十年余り毎年燕が当家に巣を掛けて居りましたが、今年は一、二度家に入って来たのみで巣を造りませんが、何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“燕が遠慮した。そこの家が本当に発展して活気があれば巣はつくらぬ。巣を造らぬのが本当である。鳥が同居する事になるから本当でない。(巣をつくるのはいけない)(S24・6・21)

病家と生花

“病人の居る家の生花が直ぐ枯れてしまいますのは、其の家に何か霊的な関係が御座居ませうか。お伺ひ申し上げます。

“ある。病人が出来るやうなのは、霊界が曇っているから、木や草花なども勢がない。花を活ける人によっても違ふ。明主様などが活けられるともつ。活ける人の霊が入るからである。(S  (*)・2・23)

鼠暴れる訳(有害と有用)

“私方一昨年入信、大光明如来様を奉斎致して居ります。昨今鼠が暴れ益々殖えて行く状態ですが如何なる訳でせうか。如何すれば絶えるものでせうか。御教示願ひます。

“此家の霊界が曇ってゐる。鼠が暴れるのは畜生道が多少ある訳である。霊界が曇ってゐなければ鼠などは暴れない。その人の信仰により、光が強くなったり弱くなったりする。大光明如来様にお願ひして、徳を積む。それによって曇が除れるに従い暴れなくなる。  (S25・1・25)

鼠虫等人間に害を与えるのみのやうに見えて、実は有用の訳があるのである。極悪いと見える事でも神の眼からみて非常に良い事をしてゐる事が沢山ある。鼠等その家の霊界が清まればズッと出なくなる。家が浄まるといふ事は、光が増す事である。(S23)

なめくじ発生

“流し元や台所の様な湿気の多くあるような場所に、なめくじが無数に出て困って居りますが、如何なる原因でしょうか。又此には何か霊的関係でもあるのでしょうか。御教え願います。

“家の霊界が曇っているから(虫など湧き易い)で、無論、湿気もあって湧く。光明如来様をお祭りして信仰に励めば段々湧かなくなる。(松の虫なども、日本の霊界が曇っているからである)(S24・7・25)

毎晩ヤモリ出ず

“ヤモリが天井を這い廻り、毎夜の如く畳の上に落ちて来まして、二匹位は殺して居りますが、之は如何なるわけのものでしょうか。又後を絶つ方法を御教示願います。

“家の霊界が曇っている。急にはとれるものでないから、段々曇が除れるから少しの間である。(S24・8・25)

猫育たず

“私の家では何回猫をもらっても育たぬ訳。

“猫は飼はぬ方がよい。祖霊の中で嫌ふのがゐる。無理に飼ふと碌な事はない。

土地と人の霊層(人間移動と霊清濁)土地の災の二原因

“私の近所に於て十数軒軒並に病気で苦しみ、且種々の災難を受けて居る家があります。土地に何か因縁があるのでしょうか。他に何か理由がありましょうか。お教え下さい。

“両方ある。土地に関係がある場合で、池や沼の後へ家を建てると、龍神がいて気をつかす為やる場合もある。又土地には明暗両方あって清浄な所と汚ない所とある。人間が移動する場合、相応の理で汚い者は汚ない所へ寄ってくる。綺麗な者は綺麗な所へ寄る。霊界の曇ってる所へは汚ないのが集って来る。そこは浄化が起り易いのである。曇ってるものはどうしても嫌な事のある所へ集る。そして一つ所へよって浄化される。お筆先に「銅クズの身魂は一所へまとめ焼いて灰にする」とあった。であるから人は自分自身を清め、高める外はない。

土地的障りの三原因とその解決法霊と場所の曇相応の絶対性(移転災)

“本住居地(浜松市瓜田町下組)は、極めて暗き落着きのなき土地であります。特に此の土地(二十四家)の中には精神病者六人あります。先日までほとんど各家共盗難及び災難が非常に有ります。原因と因縁を御教示下さい。

“斯ういう所はよくある。霊界には曇った所と、曇りの少い所とある。人間が移動する場合、その人に相応した所へ行く。身魂の曇った人は、いくら良い所へ行こうとしても、良い所へ行けず、一所へ集る。徳を積んで磨かれてくると、その場所に居れなくなる事がある。よく大火事で焼ける家があるが、之などもその人の曇の程度に相応している。之は眼に見えない話だが、非常に確実で絶対である。曇った所は霊の力が弱まり、思うように行けない。曇った所に当る。又、沼や池など埋めて家を建てる場合、龍神が気づかす為に、その土地へ災難を与える。(火事になる事がよくある)墓地跡などへ建てると、救われない霊がいて、墓場がなくなると居所を求める。大体此三つである。曇った所にあたる半分か三分一の人間が、光明如来様をお祭りすればズッと少くなる。霊の力が弱まると思うように行けない。その御光で、邪魔するものも出来なくなる。先ず、信仰して徳を積む事である。

霊憑り多い土地の因縁

“山口県長門三隅(萩から約一時間、古戦場)長崎県五島(墓を粗末にしてゐる傾向あり)右二ケ所は極端に霊憑りの患者が多いので御座いますが、土地の因縁でせうか。それとも教導師に霊の事を分らせる為でせうか。御伺ひ申し上げます。右御教示御願ひ申し上げます。

“之はその地方の霊界が曇ってゐるからで、動物霊が働いてる。曇ってゐると動物霊の力が出るから活動が出来る。といふのは、その土地に位の低い力の薄い神が祭ってある為である。故に大先生の御書体をおかけすればよい。御書体をかける程発展をするのである。

在外邦人と駐日外人の浄化(地域と浄化の強弱) 

“在外日本人及び駐日外人の肉体の浄化作用は、在住地域の浄化作用に支配されますか。

“(その通りで)所により浄化の強弱がある。霊界も群になっている。浄化の強い所と弱い所がある。曇っているのと澄んでいる所とある。大先生のおいでになる所は、浄化が強い。或る程度を越すと健康になる。(S24・2・23)

風水浄化続発

“新年になりましてつづいて凾館をはじめ長崎、愛知に風、水の浄化作用が起りましたが、その意味を御垂示御願い申し上げます。

“その辺の霊界が曇っている為である。

宗教の力と方角や祟り、本命とは(移転)、霊の力と災、暦の根本

“家がなくて苦しんで居る者で御座いますが、ようやく手頃の売家が見つかりました所、地主が地所を貸しませんので地所だけ探しましたら、それが戸主の本命にあたるのです。移してよいものでしょうか。昔から本命にむかって行くと非常に不幸が多く、命さえ取られると言って人々が嫌って居ります。本命と言うものはどんなわけですか。又、本命に行くと悪い事があるでしょうか。御教え下さい。

“霊に力が出れば全然障らぬ。差支えないから都合のいい所は自由にやっていい。方角や祟りなどにやられるような、力のない宗教では駄目である。暦など月を主にしてある。祟りなどにやられぬ。

牛馬に関する言伝えと霊強くせよ

“以前より他家で飼育している牛が逃げて来て、家の中に這入ると不吉の事が有り、馬がはいるとお目出度い事が有ると伝えられて居りますが、或る四十四歳の男子の信者の宅で御座いますが、今度で三回牛にはいられました。第一回の時は間もなく祖父が死亡し、二回目は祖母が死亡致しましたそうで御座いますので、今度も大変気にかかって居りますが、霊的に何か関係が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“牛頭、馬頭という事をいうが、馬と牛とは妙な霊的の意味がある。馬は陽で牛は陰としてあるが、こういう事は半分位迷信がある。祖霊が何か悪い事を知らす為に、斯ういう事をしないとは限らぬ。斯ういう事があるのは、主人の霊が弱いので、そういう影響を受けるし、ちょっとした事でもさわる。霊を強くする―それには信仰である。  (S25・2・2)

災難未然にすむ(宿命的災難)

“私の家業は建具製造工場として雇人も数人使用して居りますが、昨年三月頃夢でサイレンの音が聞え、驚いて起きて見ますと、事実、工場の中の残火から失火して燃え上りつつあります処を発見し、家人で他人に迷惑かける事なく鎮火しました事も御座居まして、御利益を頂いて居ります。有難く御礼申し上げます。重なる家庭内に時々災厄があります事は、如何したら無事に御救い願えるでしょうか。御教え下さい。

“災難は大体人間は決っているもので、何才の何月何日何があるか決ってる。そこで大難は小難にまつり替えられる。此人は運命づけられているが信仰で軽く済まされてる。無難になる程の状態になっていない。一番無難は夢で知らす。死んだ型をする。

大難避けらるるか 

“光明如来様にお願いすれば避けられる。霊だけで済む。大難は小難に祀りかえてもらう。大難は小難、小難は無難にされる。最も軽いのは夢ですまされる。(S23)

人間の災難と身代り

“庭の松の木が家の棟をこしますと、同時に不幸続きにあひましたが、昔からの言い伝へによりますと、庭の木が家の棟をこしますと悪いと申しますが、それが原因で不幸続きがありますのでせうか。お伺ひ申し上げます。

“これは迷信である。人間の災難は決ってゐる。大難を小難に祀りかへていただく場合もある。それで松が身代りになる事がある。

藁人形の呪と信仰(明主様人型の御浄霊)

“藁人形に釘を刺して人を呪ふのは、どの程度迄相手に影響を与へるもので御座いませうか。なかなか治らぬ時は、如何致したら宜しう御座いませうか。右御教示願ひ上げます。

“呪など観音教に入れば何等効はない。私は曽って、人間の形をかいて、名をかき入れ、浄霊した事がある。或程度効果があった。これは救ふ方である。藁人形は悪い。  (S23)

呪への対処

“昨年子宮癌手術致しました。現在は左足が神経痛の状態でございます。他の婦人がうらんで人形で釘を打ち祈って居ります。その場合如何致したらよろしいでございませうか。御伺ひ申し上げます。

“観音様の御守護があれば何でもない。

竃と病人 

“私は熊本県の村落ですが、転宅及び竃の移転をすると、家に病人が急に出来たり災難が次々起ります。此の場合どんな手続をしたら良いのでせうか。移転前になすべき手続を御教へ下さい。特に妊婦のある家は、竃の移転は絶対とされて居り、現在迄に私の知って居ります限りの家庭では、出生児の顔面特に鼻の下が切れて居ります。如何な訳で御座居ませうか。御教へ下さい。

“霊の執着によって、一時的に斯ういふ事もあるが、永くは続かぬ。今はもうない筈である。  (S24・5・28)

法隆寺、松山城等の焼失宗教建築の焼ける因由 

“法隆寺や松山城などの焼けますのは何の御浄化なので御座いましょうか。

“法隆寺は、仏教美術の元で――仏滅の表われである。松山城は、天守閣を残して焼けたのは、そこの所が何か汚れている為の一つの浄化である。罪穢のある所は焼かなくてはならぬ。多く伽藍などの焼けるのは、そこへ住んでる神主や坊主などが、間違った事をして汚すとか、普譜の金の無理が残ってる等である。之等は民家と違いよけい清くなくてはならぬからである。(S24・3・14)

火事の真因

“本年一月昼、光明如来様を御祀りしています信者の家が、原因不明の出火をしましたが、軒を少し燃したのみにて大事なく消し止め、大変な御利益と感謝しています。ところが火災の十日程前より鼠が全然居なくなり、不思議に思っていたそうですが、火災後今日も未だ鼠が居ませんので、災難が来るのではないかと心配していますが、如何なものでしょうか。又此の火災は如何なる意味がございますでしょうか。御伺い申し上げます。

“火災はすべて、罪穢が溜る。汚れる。物質の霊が汚れる―その浄化である。人間の病気と同じである。焼ける所を御守護で、大難を小難にして戴いた。そう心配しなくともよい。(S25・2・25)

火柱の火難避けられるか

“今月七日の御面会の時、火柱は火災の前兆の場合もあるとお教え下さいました。そういう火柱の現象が表れて了えば、どの様にしても火災は避ける事が出来ないものでしょうか。

“避けられる。光明如来様にお願いすると、霊だけですむ。お蔭戴くと小さい型ですむ。(S24・2・27)

火災多生の原因

“本年は非常に火災が多い様でありますが、如何なる訳でありませうか。

“物質的の火の洗霊である。汚れが溜ると、焼き払はなくてはならぬ。人間の不注意などもあるが、根本は汚れを焼かれる浄化作用である。(S24)

火事の因縁(焼死者の行く霊界)

“父が結核にて死亡(昭和十九年)し、一年後弟の不注意に依り火事になり、三才の子供が焼死致しました。如何なる因縁によるものでせうか。又焼死した子供の霊は如何に供養致したなら宜しいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“火事――罪穢が溜ってゐる。一つの浄化である。焦熱地獄へ行く。五六七教会の方―。  (S24・7・16)

信仰と火災火災時の対処

“火災は先に霊界で焼ける。そして霊が体に映る法則により、現界で火事になる。然し、入信した人は大丈夫である。龍神がやる事もある。祝詞を奏げ、光明如来様にお願いすれば大事に至らぬ。(S24・3・19)

地震時の態度

“地震についていろいろ取沙汰されておりますが、若し地震が起きた場合、教導師は如何なる態度をとるべきでせうか。

“臨機応変にやれ。

人間の努むべき事

“人間として努むべき事は、人間に対しては感謝されるようにし、神の目的に沿ふべき事である。神はその恩賞として御褒美下さる。

人を警戒する事

“相手を信じすぎた為、幾度も失敗を繰り返しましたが、然し乍らその為に次の相手を警戒するというのは本当でないと思われます。かかる場合、どういう心構えで進むべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“警戒してよい。大いにした方がよい。然し警戒し過ぎてはいけない。程々にすべきである。実に巧妙なる手段で来る。警戒は良い事である。もし騙されれば此方も損だし、先方も罪を作る。大本のお筆先に、我よし―という事がある。又人よかれの精神でなくてはともある。人が幸せになる。健康になる事を願う心、之が尊い。絶えず自分で自分を批判すべきである。物は結果であるから――。(S24・4・13)

故障起る事業、順調と故障

“順調にゆけばいいが、故障が起ったらやめるという風でよい。神様の事はきっとそうである。スラスラとゆくのでなくてはならぬ。

口と出世(口の使い方根本理念)

“無口の者は出世が遅れると言われて居りますが、如何なる訳で御座いましょうか。

“遅れる。口は喋舌る為に出来ている。それを使わぬのは本当でない。ただ人の話も聞かなくてはいけない。人の話も聞き、自分の口もきく―という風でなくてはいけない。無駄に使うのは勿体ない。何か役をしないといけない。神様の事など言うのも結構であるが、あまり固くなるから冗談もいい。人を好い気持にする事が一番で、人を脅かしたり、悲しませ、滅入るような事を言うのはいけない。よくある事である。(S24・8・6)

処世の嘘(善事の為の嘘)

“臨機応変である。信仰なら正直にしなくてはならぬ。今迄は嘘の世界であるから嘘を吐いていいが、人に被害を与える嘘はいけない。そして善い事をする嘘も重なると罪になるので、いい事によってカバーするようにせよ。(S23)

偽り言の必要(正直な嘘)

“少しの偽り事、隠し事等あってはいけないという事を御身を以て御諭し下さる為、今度新聞に出た様な事があったのだと教えられましたが、他にも意味がございましょうか。

“そんな事はない。もし偽り言がないならば一日も人間生活は出来ぬ。それ故、正直な嘘をつくようにせよ。偽り言や隠し言でも善の結果になればよい。先にイプセンの小説に隠し事をないようにする事にしようとして、夫婦で秘密をいい合った。最後に夫人が自白したのは、夫を愛していない、今でも昔の人を愛していると言った。それでやはり一家は秘密があった方がよいと言った。要するに、結果に於て善ならよい。(S24・12・13)

嘘つき迷信、信用の重要性

“日本人の無欲性。隠し果(オオ)せるという迷信。立派な人と信用されれば――。一時的うまい事で誤魔化す。タッタ一つの嘘で全部が崩れる。そういう人間が多い。教団にも沢山ある。信用を受けてからなら、どんなうまい事、良い事でもある。それを大局からいうと、ヨクない、欲ない。  (S25)

対談中の眼の置場

“他人と対談、座談致します場合に、自己の目の置場は何処に在るべきでしょうか。又その場合、長上に対し、対等の者に、下の者に対し如何にすべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“どこでもよい。(その時の場合による)美人と語る場合、外は見れない。変な顔の人をみつめるのも悪い。多勢の場合(信仰にあまり関係はないが、社交的に三人四人の人と話する時は)一人の人に話するのは他の人に不快を与えるから注意すべきで、故意に眼をそらすのは良くない。何事も程々にする。信仰が向上すると、すべて程よくゆく。根本は、相手を気持よくさす事で、自然でいい。円太郎馬車のように、脇目もふらずというのも具合が悪い。(よく相手の顔をみない人があるが、之はその人の心に何かあるか、勿論生れつきみない人はある。悪事をする人は、やさしい顔している)平沢の如きその例で、顔の優しい、いい男は油断出来ぬ。(之は御婦人――)(S23・11・18)

一喜一憂(神にもあり)

“一喜一憂は、信心の世界にはない筈ですが、発展する時は気分が浮き浮きし、発展が止まって居る時は気が沈むのは、副霊の働きでせうか。

“一喜一憂のあるのが当り前である。ないなら木石同様である。感情のあるのが本当である。神様とて一喜一憂はある。副霊のみではない。良いとか悪いといふ訳にはゆかぬ。私などは極端な心配はしない。前途は長いから自分で調節する。大きく悲しむのを、或範囲に止めておく。

愛の表わし方(淡白の味い)

“可愛い子供に、可愛くてたまらない様な気持で強く抱き締めたり、苦しみを与える様な行為や、自分の使用人でも特に信用している人間に困難な仕事をさせるような、およそ愛の心と反対的な心は、どんな心なのでしょうか。

“之も程で、いくらいい事でも程がある。程度を越してはいけない。子供が迷惑せぬ程度にしてやめておけばよい。凡そ極端な行り方はいけない。気候でも寒過ぎても暑すぎてもいけない。食物でも甘すぎても辛すぎてもいけない。あっさりした処に味がある。一番飽きないのは白米と水である。人間でも同じ事である。

同情と表現(無条件の同情)

“「同情」の気持を、どの程度実際の行為に移すべきかということは、難しい問題だと存じますが、この点について御教示下さいませ。

“実際の行為は、出来るだけの程度で具体的にすればよい。いろんな判断が必要である。行為に表わしては不可の場合がある。(その人が苦しむ事によって救われるから、同情すると神意に添わぬ。此点が難しい。乞食にくれるのはわるい)慈善も過ぎると怠け者を作る。戦傷不具者などは助ける要がある。無条件の同情は病気である。之丈は何が何でも助けてやるべきだ。(私など、どんなものでも、屋敷の者は誰でも苦しい時はする)(S24・1・28)

愛憎の活動

“同情、憐憫等、愛の活動の場合でも他の面に憎しみの活動が起る場合が有りますが、其時霊の状態はどうなって居りませうか。

“愛も憎しみも人間にはあるが、憎しみの活動があってはいけない。あまり窮屈に考へると自他共に苦しむ。(S24・12・3)

主師親

“主師親と道法礼節とは――。

“主は主神、最高神、本当は神の事。終戦迄は天皇の事をいった。一番有難い偉い方といふ事。道法礼節――信仰雑話の順序―の中にある。(S24・11・13)

主師親に仕え奉るとは

“主、師、親に仕えるにつき、その心得の相違につき御教示御願い申し上げます。

“之も悟りより外ない。はっきり言えぬ。人間として最高の御方という事になる。今迄は天皇をそう称していた。主師親(おや)は、神が人間に生れたという言葉である。(S23)

無理の別 

“信仰雑話に無理はいけないと御垂示を賜はって居りますが、光新聞には無理はする程よいと御垂示を賜はりましたが、これに就きましての相違を御教示御願ひ申し上げます。

“之は混同してゐる。身体の無理は健康によい。信仰雑話の無理は違ふ。(S24・4・9)

道法礼節

“道法礼節について御教えを賜り度く御願い申し上げます。

“信仰雑話「順序」の項にかいてある。  (S24・2・11)

時所位

“時処位という語につき詳しく御教えを賜り度く、御願い申し上げます。なお御讃歌に地所位という御文字が使われてありますが、地と言う文字を御使用になる場合は、何か特別の意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“時所位にあう事。(S24・12・1)

三尺流るれば水は清し

“「三尺流るれば水は清し」という諺は何んな事を諷しているものでしょうか。

“淀むと濁るという意味で、水に限らぬ。人間でも、怠ければ濁るという意味である。 (S24・2・14)

美人薄命

“生霊が来たり帰ったり致しますが、二度と来ない様にする浄霊法を御教へ下さい。

“生霊は美男とか美人に多い。美人薄命といふのは生霊の為である。女の嫉妬の生霊が曇らすとか、男の色欲による執着などが集ってくる為に、美人でゐて運が悪い。

親子、夫婦、主従一世

“親子は一世、夫婦は二世、主従は三世と謂われて居りますが、如何なる意味で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“本当からいえば全部一世である。夫婦、親子でも、霊層界が違えば、アノ世へ行けば別々になる。然し同じ位なら、同じような所へ行く。(S24・7・1)

二度目という事

“私の方では、辰年生れの娘は初婚不幸(未亡人となる)にて、再婚すれば幸福になると伝えられ、事実其様に思われます。如何なる理由で御座いましょう。

“結局、迷信である。ただ斯ういう事はある。人によって物が二度目でないといけない人がある。大先生などもそうで――。大本教の説では、今度は第二の岩戸開きだという。これは実際に於てそうである。結婚に限らず。聖書にも、メシヤの前にニセメシヤが出るというが、事実斯ういふ事はあった。故に人によって二度目の人がある。可成多い。(S24・7・27)

職業与えらる

“光明如来様をお祭りしてよくお願いすると新しい職業を与えられる。観音様が見付けて下さる。職業紹介所より確かである。(S23・7・25)

納税苦も浄化、解決の道 

“私は時計貴金属小売商人ですが、一般社会情勢が悪い為何処も同様でありますが、納税に追ひ立てられ、日も之足らず努力して居りますが、仲々完納はむづかしく困って居ります。処が私は長男(六才)が病気の為或る人の世話にて入信させて頂き、家の中が明るくなり、又他人をも次々御導き致して居りますが、浄霊と商売上の事とを調和させるのに時間が足らず、税の方は何時になったら解放せられるのか判りません。今営業をやめるにも止める訳にも参りません。如何にしたらよいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“納税で苦しむのも浄化である。人を助け、徳を積むうち税の方も完納出来るやうになるし、商売もうまくゆく。アクセクしても必ずしもうまくゆかぬ。神様にお任せせよ。去年の税問題などびっくりしたが、神様に伺ふとお笑ひになったので安心した。(S24・8・18)

納税苦御救の御願

“去る五月光明如来様を御祭りさせて戴き、色々御守護を戴きました。有難く御礼申し上げます。税金の事で御伺い致します。私は昨年の申告二十五万円に対し五十万円の決定が参りました。他家より借りて十万円を分納致しましたが、之以上はトテモ払う事が出来ません。税務代理弁護人を立て、行政裁判をしてはどうか、と勧められるのですが此の裁判は勝てるでしょうか。私共は八百屋で御座いますが、今年の申告は昨年より四割多い予想と税務署より通知があり、一方商売は昨年より悪く、その申告を如何にしたらよいか悩んで居ります。何卒御教示お願い致します。

“渋井さんに聞いた方がいいであろう。余り考えないで成行に任せた方がよい。競売をして新規蒔直しにしてはどうか。よく光明如来様に軽くして貰うようお願いすれば何とかして下さる。私は借金差押の経験あり。  (S24・6・28)

二業成功の見込

“私は木工挽物業と農業を兼ねて生活をして居りますが、木工業の希望に成功出来る可能性が御座いましょうか。

“入信して光明如来様にお願いすると自然に浮ぶ。(自分でどうすればよいかが)神様からよいように仕向けられる。(S24・3・15)

勤務不安への方針 

“私は鉄道の方へ勤務して居ります。行政整理又は降職で強く頭を悩まされますが、今後如何に心掛けましたら最後迄勤め得る事が出来るでしょうか。

“勤務してよければ勤務するようになる。替えた方がよければかえるように、神様が順序をつけて下さる。(S24・11・27)

夫失職、妻の就職

“主人が自動車会社に勤めて居りましたが、人員整理で止める事になりましたので、私が職業に就いたらと言って居ります。如何にしましたら宜しう御座ゐますか、御教へ願ひます。

“借金は絶対してはいけない。光明如来様に、どうしたらいいかお伺ひする。すると心に浮ぶか、他動的に決る。(S24・11・6)

材木商の永続性

“材木屋、製材業者は何代も続かないと、火災と怪我の多いのは如何なる理由で御座いませうか。

“大した意味はない。こんな品を取扱えば、倒れたり怪我が多い。人間力としては、防火設備をする。怪我は、御守護によれば殆どなくなる。

新企画の行り方

“私は農業のかたわら馬を飼育し、馬車業を経営して居りますが、今度馬車業を切替えて温室栽培(フレーム苺)を経営したいと思いますが、前途の状況は如何で御座いましょうか。(同村の数人の温室栽培の経過を見ますれば良い成績である様ですが)

“順調にゆけば好いから続け、故障が起れば神様が止めるのだから止める。凡て新しい企画はそのようにすべきである。(S24・8・16)

勤務と通学(楽しむ環境作れ)

“機関車の乗務員勤務の余暇に大学に通学して居ります。私は最近精神的な悩みと労働の疲労とで勉強も気乗りせず悩んで居ります。どうしたらよいでせうか。

“之は過重、無理である。楽しんで、面白くやれる環境を作った方がよい。

職業選択のお伺

“私は今迄農業と土木請負業をして居ります。どちらがよいか御教へ願ひます。

“人に相談するのでなく、自分の思ふ通り、興味のある方をやればよい。(S24・10・28)

営業不振の解決

“私が関係致して居る信徒の方で、従業員約三十名を使用、鉄工所を経営され、時節柄経営困難で悩んで居られます。此際信仰者として如何なる態度で進まれたが宜敷いでせうか。又その方をお導きさせて頂くのには如何致したら宜敷いでせうか。御教示を御願ひ致します。

“先づ、営業を縮小する。何でも手一杯やるからいけない。「貧乏の原因」(光十五号)を読め。  (S24・6・27)

行詰りの事業生かす道

“私の村は山林地帯が多く、耕地が少い為農業のみにては生活が困難なる土地にして、然も工業は無く代々貧農の土地であります。私は昭和二十一年より土地の工業振興の為木材業を兼ね、木材加工業(木製玩具、寝具、建具、其他輸出向木竹加工)を始めましたが、周囲の有志の助力に依りますます発展致し、昨二十四年私の事業を資本金壱百万円の株式会社とし、現在工員三十名、其の他家庭の副業として下請三十名を使用して居ります。此の不況下にあっても経営の合理化を計り、従業員一丸となって事業に専心、経営を続けて居りますが、此の経営の欠陥は高金利、日分二十銭の借入金が五十万円ありますので、其の金利の為に折角の好成績を修める事業も無になってしまひます。又近頃は県の農政課から輸出品の製作依頼もありますが、現在の高利金を使用してゐては其の方に努力をうばはれ、輸出の様な大きな仕事に努力する事も不可能な現状です。此の五十万円を返済すべく出資者を求めて努力致して来ましたが、今日の金づまりでは人を得る事が出来ません。然し乍ら現在の工場企画を小にし其の金を生み出す事も出来ません。私は如何なる方法にて進んだら宜しいでせうか。私の事業に投資して精神的に片腕となって働いて下さる人はないでせうか。今の世の中にそんな事を考へるのは不可能でせうか。勿論前記しました欠陥を除けば経営も合理化され、利益も上り、又土地の工業振興にも大いに其の成果は上ります。村当局は村民全員は最大の関心を持て私の業績を見守って居ります。当地の工業振興の為私は生命をかけて事業に当って居ります。私の生命は事業の為に費す覚悟です。私の生命である此の事業に、私の日夜崇拝している大先生のお教へをお願ひ致します。

“出発点が間違ってゐる。出来るだけ事業を縮小する。小さくやる。大英断して、新規蒔直しのつもりで借金を清算する。それによって生きてくる。(S24・12・8)

営業の将来

“私は胃病の為二十日間食事が出来ませぬ時、光明如来様に御縋りして全快させて頂き、感謝致して居ります。尚私は三年前より自動車修理工場を経営して居ります。現在営業状態は普通ですが今後如何になりましょうか。御教示下さい。

“どうなるか、世界的の事なら兎も角、個人的の事は、一生懸命やれば繁昌するし、怠ければ繁昌しない(のはあたり前である)が信仰していれば悪いようにはならぬし、悪い事になれば、よい事のある前提になる。(S24・11・17)

借金営業行詰り打開の道

“私は二十一年七月二十一日入信致しました者です。昨年一月より多額の借金をして、古着商店を経営して居ります。十月頃までは殊の外順調に千客万来の盛況に益々気を良くし、今一層大奮発と更に借金を増額し、商品を多量に仕入れ意気込んで居りましたが、十一月以後世相一変し、元価を二、三割より五割を切る値にても仲々商品は捌けず、全く行詰りを生じ、此の儘で推移したならば、元金の返済は疎か利子も支払不可能となり、家屋、宅地迄人手に渡る結果となり、自然消滅の外なく、前途甚だ暗澹たるものあり、毎日光明如来様に熱願して居りますけれども、何か起死回生の良策は無いものでしょうか。御教示御願い申し上げます。

“よくある事である。いくらでもいいから、一日も早く売る。そしてそれだけの金を確保し、一時整理する。僅かでも確保して新規蒔直しにする。そうでないと生きない。犬死一番である。それ以外にない。後再び借金しない事。出来るだけ浄霊して、商売をよしてもよい。徹底的にやらねばいけない。(S25・1・26)

仕事の継続と止むなき借金

“消極的の借金はいけないと御教示を頂きましたが、借金しなければならない時でも、其仕事を止める訳にいきません場合、御教をどう考へるべきでせうか。

“出発点さへよければこういふ事態までゆかぬ。不確実なものに手を出すのは間違ってゐる。(S24・12・3)

時局と商業

“私は最近入信戴いたものです。商人でしたが昨年より膨大な税金の為、本年になって特に営業困難となり、現在の処どうにも法が付かず休業の已むなきに至る事を予想されますが、今後時局と商業との関係に就いて御教示下さい。

“時局の事は予言になる。税金は近き将来緩和される事はない。益々苦しくなろう。本当に御利益を戴けばうまくゆく。先の事は心配せずお任せする。うまくゆく。(S24・2・15)

船舶業の将来

“本年三月に船舶運営が民間に委譲されるので御座いますが、此の機会に船具販売業を始め度いと考えますが、時機と今後の見通しに就て御教示を御願い致します。

“これから船は沢山出来るからいいに決っている。大いにやった方がよい。(S25・1・23)

陶磁器製造の将来

“私は陶磁器の製造及び輸出を業とするものでございますが、陶磁器の輸出につきましては今後如何なる状態になりますでせうか。現在工場を二ケ所有し、七拾人の職工を使用致して居ります。

“アメリカの注文取消しが原因である。何れ又要るから、縮小した方がよからう。世界的不況が来るから、半分位に縮小した方がよい。(S24・10・6)

味噌醸造と経済の将来

“味噌、たまりの醸造を営んでをりますが、食糧公団より五、六倍の設備拡充を要求されてをります。将来の日本経済並対外事情を考へる時不安に思います。如何致しましたら宜敷う御座いませうか。

“別に不安はない。味噌、醤油は何時でも食べられる。どんな経済にならうと使はない事はない。  (S24・5・26)

織物業不振の方針 

“私は現在絹織物業を経営しているもので御座居ます。私の娘、去る二十三年二月入信致し、光明如来様を御奉斎させて頂いて居ります。昭和二十三年、二十四年と指定生産を割当てられて、銘仙や布団縞を織りました結果、昨年六月絹織物の統制解除となったので、組合ではストック品が沢山出来、(マルコウ)で糸は買ってあり、反物は (マルコウ)よりずっと安くないと売れない為、その差額が赤字となり、私の家では二十万近くの借金が出来てしまいました。昨年春頃より小幅物は落ち行く状態なので、大幅織機を取り入れて織り始めましたが、これも赤字になるばかりです。今の処どうする事も出来ず機械もほとんど動かない状態でございます。何とか精算して商売を換えようか、又やめてしまってお道の為御用させて頂こうか、でも精算すれば殆ど何も残らない状態になり、妻子を養って行かねばならず、とつおいつ悩んでおります。如何させて頂いたらよろしいでしょうか。

“早く整理しなくてはいけない。まだまだ安くなる。一生懸命信仰して人助けを決心すればそう困らずにゆく。(S25・5・6)

牛乳の使用の将来 

“私は副業として乳牛を飼育して居りますが、将来性がありませうか。又五六七の御代になっても牛乳は用いるものでせうか、御教示下さい。

“五六七の御代になっても用いる。副業にしていていい。牛乳で赤ン坊を育てる事はなくなるが、味をつけたりするのは差支へない。(S24・7・5)

材木の処理

“息子は呉服反物の配給所を営み、私は無職ですが少し畑を耕して生活して居ります。今度都合に依り今明年の中に山林の立木を売りたいのですが、如何なる時機に売却したらよいでせうか。

“一日も早い方がよい。だんだん安くなる。(S24・7・6)

営業権の売否

“私は受講以来花柳界で商売を致しておりますが、此の度教導師補の御資格を戴き、商売がいやになってしまひました。家屋、地上権、営業権等売ってしまひ度く存じますが、宜しく御守護御願ひ申し上げます。

“早く売った方がよい。こういふものは安くなるから一日も早く売った方がよい。

  (S24・6・29)

養蚕の将来、無肥料増産

“(イ)岐阜県の山間の高冷地(約標高八百米)に於ける米、麦、蔬菜、養蚕、畜産、林業等の農家の経営の将来に就いて御教示を御願い申し上げます。

(ロ)無肥料栽培を試験程度にやって居るもので御座いますが、今年の秋の農作物の収穫は例年作を保ち得るで御座いましょうか。

“皆よいが、土地に適、不適かが問題である。

(イ)養蚕は日本ではいけないようだ。新しい繊維が出来つつある。養蚕はやめた方がよい。藍も―インデゴー(印度藍)が来て、日本の藍は駄目になった。その後独逸から藍が来て完全にいけなくなった。(四国で藍を作ったが)

(ロ)かいてある通りやれば例年作以上になる訳である。肥毒があればそれだけ減る。植物は土の成分を吸う性能があり、それが肥料を吸うようになっている。それを本来の性能に戻すのである。(S24・1・26)

養蚕業

“私は蚕を飼って居りますが、現在まゆが値段安にて引合ひません。今後養蚕を継続すべきか否か、御教へ願ひます。

“養蚕はやめた方がよい。  (S24・9・28)

船名

“私が経営しております漁船、現在の船名は龍栄丸と申します。此船は前船名長栄丸と申しておりました。非常に縁起のよい船でいつも大漁でした。然し昨年の鰯は全国的に不漁で、関東、東北地方はことに甚だしく、別に船名を変へた事が災ひしたとは思はれません。右の船名につきお伺ひします。

“龍安丸がよい。龍栄丸はいけない。船印はTはツキヌケヌからいけない。(マルイ)がいい。  (S24・3・19)

訴訟の可否

“私が疎開地に居住している中、私の方の戦災地を他人が勝手に占領し、家を建て、公然と暮しています。再三再四明渡しを要求致しますが「行き所がない」とか「暫く待て」とか同じ様な事を言って、以来三ケ年になりますが明渡そうとも致しません。毎日腹立しい思いをしています。裁判所へ訴えて取戻しの強行手段を踏んでやろうかと思いますが、こちらは観音様の御用をさせて頂いているのに、左様な事は「悪」「自我」の働きになるかと迷って居ます。如何なもので御座居ましょうか。御尋ね申し上げます。

“臨機応変である。告訴しようと思えばそうする。その人に罪穢があって、思うようにゆかぬ為である。告訴も悪い事でない。

正当防衛

“正当防衛は罪になりますでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“実際のそれなら罪にならぬ。(越えると罪になる)(S24・1・28)

同居解放について(人間世界の行り方)

“私の家は三世帯の焼出された人が居りますが、私の方から出る様御願ひした方がよいか、又は自然に出る迄黙って居た方がよいか。私は夫に戦死された子持です。私の将来の為にはどうしたらよいので御座いませうか。

“決める訳にはゆかない。臨機応変である。その人の関係である。親戚にしても濃いか薄いかなどがあり、性質も物の判る人かズウズウしい人がある。然し困る場合は言ってもいい。ただ争が起ったり、無理するといけない。それは神様に任せた方がよい。人間の世界は、人間がいろいろする。人間の道を尽して後、神様にお任せする。(S23・11・15)

同居より解放されたし

“長男が亡くなりました為、家族五人が弟の家に厄介になっておりますが、商売上別れ度く思いますが、何れにすべきや御教示下さい。

“信仰してお願いすると、別れる方がいいよう、都合よくなる。(S24・5・26)

医大在学中入信、卒業の可否

“小生医科大学四年に籍を置いて居ます。二十二年十二月入信以来勉学しつつ信仰し始め、漸次学校より脱却し現在では殆ど講義、臨床、外来には出席してない状態です。間もなく卒業試験も始まり、来春卒業する予定です。今月五日、父親が私の教導所に来て、転出証明書持参復学し、其の間卒業可能な範囲で信仰を続け、卒業の暁献身的に救いの業に邁進する様奨めるのです。一時的でも両親を理解安心せしめる為一応復学する様に見せ、観音信仰を絶対に続け、時期を見て転換し身心共に晴々とした境地で救の業の御手伝いをする事は、現在に於ける観音信者として如何なる罪悪となるでしょうか。又霊的に見て私の立場は如何なるものでしょうか。

“卒業した方がよい。医大卒業生という肩書があると、人が信用するから将来よい。父が希望するのであるから、是非そうすべきである。

外語勉強(世界語)

“この御道の信者が外国語の勉強をすることはいかがでございましょうか。特に英語が一種の世界語として流通している今日、英語を練習する機会のある信者が英語を会得して置くことは、救世教の世界的発展に備えて有意義なことと思われます。

“無論そうである。大いにやった方がよい。英語は一番肝腎で、世界語は何れ新しく出来る。伝統もあり、頭の良い悪いもある。(S25・5・23)

刀剣処理

“家に刀剣が二振(新刀、中古刀)ありますが、如何致しましたらよろしいでせうか。

“当局に届出れば何でもない。

釜鳴り

“お餅を蒸す時にお釜がうなる時が一度ありましたが、これはどういふ原因でせうか。又それが何かの前兆といふやうな事は無いでせうか。

“之は大して意味はない。(S24・1・27)