044 霊祀篇 第四篇 葬祭

葬婚参列の礼節

“お葬式に参列の後で用足しをしたり、お墓参りをしてはいけないといふ理由。

“お葬式とか、婚礼とかは人生の重大な儀式であって、参列したらそのまま帰るのが死者に対する礼節である。よく死汚れといって死者のそばへよると汚れるといふが、これは大した事はない。礼節は大事な事で、浄霊に行くにも用足しを先にすると効果がうすい。之は主客転倒であるからである。神社参拝も同様で、お詣りは先にする。それから用を足すのが本当である。

お骨を床の間に祀る事

“死後四十九日の前、お骨を床の間にまつる習慣の処がありますが、御神体をおまつりしてある場合は如何いたしたらよろしいでしょうか。

“之は一向かまわない所か、反ってそうした方がよろしい。それは観音様の霊光をいただくから早く霊は向上し良くなる。霊界へ行く法則として死後五十日迄はその家にいる事になっている。そして五十日目に家を離れて、霊界へ行くのである。そして最初は先ず寺へ行く。極善の霊は四十九日もいないで、死後直ちに天国へ行く。又極悪者は家にいないですぐに地獄へ急落する。普通は大体八衢に行くので、その際の霊は五十日間家にいるのである。その場合霊がお光をいただくと早く浄化させていただくから、右の観音様を祭ってある床の間に祭るのは大変よい訳である。そうすると天国へ行くにも早い。

死者霊の祀り場所(五十日間)

“死者の霊は五十日間家に居るのである。その場合、霊が御光を頂くと早く浄化させて頂くから、右の観音様を祭ってある床の間に祭るのは大変よい訳である。そうすると天国へ行くにも早い。(S23)

忌引中の参拝

“親族に不幸(死人)があった時、忌引中神社に参拝或は神社の鳥居等を通る事がタヴーとされて居りましたが、現在でも遠慮して参拝を差控へるのが至当で御座いませうか。

“その日一日だけでよい。神様は霊であり、人間も霊界へ行くのだから大した汚れはない。月経時に、神様の道具を触ってはいけないといふが、それも構はぬ。尤める神は、力のない二流以下の神である。妻君の場合、死んだ人に対しての礼儀として、一年間位は後妻は迎えぬがよい。大切なのは五十日間で、霊は霊界へ未だ行かないのであるから、よく供養すべきである。(S23・11・2)

四十九日間新仏動かさぬ 

“新仏のある家の仏壇は四十九日の間、中を動かしてはいけないといふ事をよく聞きますが、何か意味が御座いませうか。御教へを御願い申し上げます。

“四十九日の間、霊はその家にいるのであるから、動かされるのを嫌がるのである。四十九日過ぎれば構はない。新仏は、特によくしてやると霊界で違ふ。初七日など特によくしてやるとよい。(S24・7・12)

入信者の死体の温かさ

“入信して後死亡した人の体が、死後も大変温かいようで御座いますが、何故で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“入信すると霊的に異ってくる。霊が温かくなる。火素が殖えるのである。それで柔い。温かいのは愛の情動による。愛が出る。人間で、温かい感じのする人と、冷たい感じのする人がある。愛の中心は心臓で、心臓の活動が旺盛になれば愛が強い。心臓は霊界の火素を吸収する。心臓が強いと吸収力が強い。熱を吸収するのである。心臓が強いと肺が旺盛になる。寒い時は反って晴れるのは、水素が少いので熱の燃え方が少いのである。曇った時は暖かいのは水素が多いからで、水が多いと火素の燃える量が多い。(S24・3・11)

死体解剖

“医学研究の為、人体を解剖致しますことは文化向上に反って罪悪を積む事と存じますが、生前自分の死後死体の解剖を頼みました者と、依頼せぬ者が解剖されました場合とは霊界にて如何様に異なるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。又解剖した人、獣の霊は如何様にお祀りしたらいいでしょうか。

“本人の希望でしたのは、本人はしまったと思っても怨めぬ。そうでないと怒るのもある。霊は肉体をいくらやられても痛くないが、死骸は気にする。暫くの間は関連がある。それで嫌がる。故にしない方がよい。今は霊を認めぬから仕様がない。故に解剖は絶対いけない。医学そのものが間違っている。獣も沢山になると怨み、一つの個性をなす。名医の子孫は、皆不幸で、没落する。善意でも悪の手段になり、災や罪となる。(S25・3・1)

忌明の期間

“忌明に就いて――。神道に於ては五十日、又仏教の四十九日、同じく禅宗に於ては三十五日で忌明を行っている様ですが、最近仏教の方では、初七日にかたづけ仕事の様に行ふ家が多い様ですが、それで霊は満足するものでせうか。

“満足しない。五十日が本当で、七七―四十九日でもよい。五七―三十五日などといふのは皆略したもので、禅宗などもあまり霊界を知らぬ為に行過ぎがある。五十日間は家にいるのが、霊界の法律になっている。(S24・12・25)

忌明を早める事

“死後四十九日を以て忌明としますが、之が三ケ月に亘る時は、二ケ月目で切り上げて早めに忌明をする習慣がありますが、之には何か特別の意味がありませうか。

“斯ういふ事は間違っている。三ケ月に跨っても何でも四十九日にする。都合上変えなければならぬ場合は、早いのは構はぬ。おそいのはいけない。役人の出張命令などの場合も早目にして構はぬが、四十九日の場合はいけない。(S24・1・19)

四十九日の繰上げ

“人が死んで四十九日目が三月越しに渡る場合はいけないと申し、三十五日に繰上げて祀ることが御座いますが、御伺い申し上げます。

“四十九日でいい。(S24・12・11)

葬方式(本教式)

“家族の者が死亡した場合、五六七教の方式で葬儀してやり度いと思いますが、如何にしたらよろしゅう御座居ましょうか。

“未だ出来ていない。葬式だけは坊さんに頼む。霊さえ救えばいいのであるから、死骸の事は大した事はない。であるから、或時期までそうする。  (S24・9・6)

葬いの本教式

“各宗教でそれぞれ死者を葬ふ儀式があります。本教に入信し死せる場合、どの様に死者を葬ったら良いでせうか。具体的に御示し下さい。例へば「のりと」、次に御讃歌、次に何々の如くお願い致します。

“死骸は今迄通りお寺で葬ればよい。祝詞は、御讃歌だけでよい。死者とか仏に関係あるものを奏げる。(S24・8・17)

新仏の祀り

“今迄仏祭りは致して居りませんでした。新仏が出来ましたので、御先祖と共に御祭り致したいのですが、如何様に致したらばよろしいでせうか。又其の後の日々の御供養の仕方を御教示下さいませ。

“昔から決っている通りでよい。新仏が出来れば坊さんに頼む。そして言はれる通りやる。  お屏風をお祭りして、毎朝幽世大神様にお願する。(S24・3・17)

葬儀の祝詞

“葬儀の場合、霊魂に奏げる場合の祝詞は善言讃詞のみでよろしいのでしょうか。又は高天原祝詞と両方奏げるべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“両方奏げるのが本当だが、葬儀の祝詞があるからそれを奏げる。神道、仏教に分けてする方が本当である。(神道―祝詞、仏教は善言讃詞が先)(S23・12・8)

新霊への拍手

“人の死後四十九日の間は、位牌を御仏壇の中にお祀りせず別にお祀りする習慣のやうで御座いますが、都合により三十五日とか七日ですませる人もありますが、それでもよろしいもので御座いませうか。又その間の御参りの仕方は、やはり二拍手でよろしいで御座いませうか。尚新仏は一拍手が正しゅう御座いますか。

“霊は五十日間霊界へ行けぬ規則である。最初の一週間は一拍手でよい。音をさせない。以後は二拍手にする。馬鹿に苦しんだ場合、霊になってから霊がボンヤリしている。一週間位はまとまっていないからである。二拍手は体がないからである。霊は火と水である。(S24・7・2)

白木位牌

“仏壇に御祀りする位牌につきお伺ひ致します。先祖、親、兄弟、子供等、白木にて先日六枚作り御祀りしました。白木でよいでせうか。黒塗の方がよいでせうか。位牌の作り方、お祀りの方法を御教へ下さい。

“四十九日過ぎれば、黒塗り金文字にした方がよい。お祀りの特別の方法はない。位牌立てて、言葉でいふ。善言讃詞を奏げる。(S24・11・6)

位牌に就て

“私の附近の曹洞宗の家庭では、位牌が古くなると白木の位牌を黒い位牌に書き換えますが、其の際位牌の真中に先祖代々諸精霊位と書き、(或は前からの先祖の位牌を使うこともあります)其の両側に新仏様の戒名を書き込んで祀って居ります。如何なものでしょうか。又白木の位牌のままで幾年も其のまま祀って居る家もあります。黒位牌を使うのはよくないと言われますし、白木のままで置くのも悪いと申しますが、如何でしょうか。正しい祀り方を御教示ください。

“白木の位牌は間に合わせであるから一年以上はいけない。黒位牌金文字に替えなくてはいけない。位置はそのままでよい。  (S25・1・27)

白木位牌の期間(仏壇の段数)

“私の主人は昭和二十二年十一月二十一日に帰幽しました。未だに白木の位牌ですが、それはいけないでせうか。又仏壇は一段になって居りますが、屏風観音と先祖の位牌の位置は如何致しましたらよろしいでせうか。

“白木の位牌は、早ければ五十日、遅ければ百日でやめた方がよい。仏具の位牌にした方がよい。仏壇は三段にする。一段ではいけない。三段が本当である。一様に並べる事はいけない。神道の八足でも三段が本当である。(略して二段の仏壇でもよい)(S24・2・15)

死者の写真かざる事

“生前の写真を記念に壁や仏壇に置くのは如何なものでしょう。死者の霊はその写真に憑いて居るものでしょうか。

“死者の写真は一年位外しておいた方がよい。一周年以後かけてもいい。掛けておくと想出すから、死んだ人が迷惑する。霊が天国へ行こうとしても引っぱられる。あまり忘れると薄情で困る。百日祭などに写真を出して、一生懸命拝むと、霊は来てそれで満足する。写真があって(見て)毎日来るようではうるさがる。先に海軍大佐で、生前頭の悪かった子供で、十位で死んだ。それが翌年祥月命日に生れた。先の子が死ぬ前、頭が悪いから今度は頭をよくしようと思った。学校の成績は非常にいい。

写真の祀り

“私の義姉は、先般夢で私の亡夫の霊に襲はれ、その都度「突込んで居る、突込んで居る」と繰り返して言はれ、「お前が写真を出して祀らないからだ」と言はれました。私は早速亡夫の写真を額にして掲げましたが、此の様な事があるものでせうか。又そうする(写真を掲げる)事は如何なものでせうか。

“そうする事はある。特に写真に憑って拝んでもらいたいといふのがある。写真は死んでから一年位かけぬ方がよく、一ケ年以後かけた方がよい。執着があるから、かけるのは喜ぶが、あまり執着して行く所へ行けぬのも困る。(S24・10・26)

写真を祀る事

“光明如来様の御祭をさせていただいて居ります。その後御仏壇の御供養は如何すべきでしょうか。又戦死した息子の写真を、光明如来様のお祭りしてある床におまつりさせていただいてもよいものでしょうか。

“写真を祀るのは結構だが、ただ執着しないよう心掛け、拝むならよい。

遺言に就て

“祀ってない霊がありますが、盆とか彼岸に祀るべきでせうか。

“一日も早く祀らなくてはいけない。霊は霊界へ行っても気になるからである。よく死ぬ時遺言したりなどするが、之は出来るだけ執着のないようといふ意味で、所謂浮ばれる為である。執着がなければ早い。  (S23・11・25)

死者への風習の意味(刃物、枕団子、左前、一本箸)

“人の死んだ場合、剃刀などの刃物類を白紙に包んで枕元におき、衣物を左前に着せ、一膳飯に一本箸を立て、或は枕団子を供える風習がありますが、之等を霊的に見て如何なる訳があるのでしょうか。御伺い申し上げます。

“刃物類は魔除けという。いろんな動物霊が霊に憑ろうとする。刃物は彼等と雖も恐れる。然しそれほどのものではない。左前に着るのも大した意味はない。寧ろ右が前が本当で、体が下、霊が前が本当である。人間の体がないから半分でいい訳で、一本箸にする。飯は少しでもいいという訳である。霊は一日に飯粒一つだけでいいと言っている。それで一膳飯にする。枕団子―白い団子は極簡素にする。あれならどんな貧乏人でも出来るという意味からで、霊では一つでも非常な御馳走だ。(S23・9・21)

北枕と刃物

“人が死亡致しました際、北枕にして枕元等に刃物をおきますが、之は霊的に意味のある事でございますか。右御教示御願い申し上げます。

“悪霊は刃物を嫌ふ。名人の刃物などは、霊が強く憑いていて力があるから、獣(魔)は近より難い。これは何でもない。(S24・1・8)

北枕と南北

“死亡した人を北向きに寝かせる意味。

“北―霊が強い。キが満ちてるから引く力が強い。死ねば霊になるから、霊は北を向くのが本当である。北から良い霊気が来ている。北は澄んでおり、南は濁っている。頭寒足熱といい、北は澄んでるから頭、南は濁ってるから足―が真理である。生きた人間でも北枕がよい。  (S24・11・19)

北枕と南枕

“死人を北枕に寝かせますが、何か意味が御座いましょうか。又、普通北枕に寝る事を嫌いますが、之はいけないので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“北枕の理屈からいうと、産む時には南向きでするのが本当である。(死ぬと体がなくなり、天国へ行くのは頭から霊が脱ける。生きてる時でも北枕がよい。)(S23・11・21)

死者の遺着に水かける意

“死んだ場合、その人の着物を家の外に北向に掛け、身内の者が水をかけて、三日間はその着物が乾かないようにする習慣です。何か意味がありましょうか。

“霊は死ぬと北に行く。霊界は北にあるといっていい。真北ではない。霊が着物を着てゆくようとの意である。

死水の意味

“死水は如何なる理由で呑ませるのでしょうか。

“霊界へ行くと最初は非常に喉が涸く。それで呑ます。呑みたいという水へ対する執着で、行く所へ行けない。五十日間その家へいるので、早く水を飲まなくていいようにしてやる。水なども無関心でやると霊は飲めない。飲ませようとする気持が大事である。

死水の理

“臨終に際し、近親者が死水をとるとて死者の唇を清水で濡らす訳。

“死んで霊界へ行く時は、喉が涸く。すぐは水を呑む事が出来ぬので、口脣が涸いたりなどして苦しむからぬらすといふので、大変意義がある。白木の位牌へ何より先に水を上げるべきである。 

臨終の水

“臨終間際に、非常に水を欲しがりますのは如何なるわけでございましょうか。又、墓参りの節、墓石に水を掛けますのは同じ理由によるのでございましょうか。

“水を欲しがるのも、欲しがらないのもある。他(ハタ)の人が呑ますのが多い。喉が涸く病気もある。墓石の水はよく知らぬ。上げる水は関係がある。霊界では喉が涸く。ただお役で上げては呑めない。人間としては、上げたものでなくては絶対呑めない。龍神は別である。

線香死時は一本 

“仏壇に御線香を上げる場合、死んだ時は一本、普通は二本又は三本と申す相で御座いますが、何か数に意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“何にも意味はない。死んだ時は多勢行くから時間がかかる。(S24・9・2)

死者に天蓋、葬と人徳

“遠州熊切村で、昔から死人が出来た時「カシャ」が降りて来て死人を持って行くといわれて居りますが、「カシャ」とはどんなもので御座いましょうか。又、霊柩車に天蓋として龍の形の物を必ず付けて行きます。天蓋は「カシャ」が降りて来た時、それを死人にかぶせれば「カシャ」は去って終うと言う事で御座いますが、天蓋は何か霊的に関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。 

“「カシャ」は火の車の事であろう。天蓋は、寺の天井に吊してあるが、極楽の形である。龍神などがついてるのは、龍神の偉力で、地獄よりいくらか良い所へ行く訳であろう。その人の徳により天蓋を被せられる事となる。大した意味はない。死んで立派な葬式を受けるなどはその人の徳による。世の中の為に尽す徳により立派な待遇を受ける事になる。(S24・3・11)

新仏と御神前等

“東北地方の一部で新仏が出来ますと、肖像写真や額をはずしたり、又は白紙を貼り仏壇を締めますが、何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“意味はあろうが大した意味はない。迷信の方が多分にある。神棚に紙を貼るが之は嘘である。余計接近した方がよい。光明如来様の部屋へ死人を寝かせ、光を頂くようにした方がよい。余り接近させてはいけない。勿体ないから。(S23・12・1)

死を二人で知らす訳

“人が死んだ時、二人で知らせに行く訳についてお教示をお願ひ致します。一人で知らせに行ったのを叱って帰したのを見た事があります。お教示をお願ひ致します。

“大した意味ない。一人じゃ心細いのだと思ふ。二人でなくてはいけない事を信じてる為叱ったものだと思ふ。

死者の葬法(遺品の同葬)

“形見分の法。信徒で亡くなられた人の葬ふ方法と順序等を御教示願ひます。

“今迄通りでよい。―遺品の同葬―本当はいいが、執着が残ってるから棺へ入れてやるのはいいが、何でも入れてやると、国家全体からいふと浪費になる。貴重品など国家の損失になる。女などよく箪笥の側にいる。形見分けなど考へ物で、特に執着の強いものなど、振袖火事などあり得べき事である。然し、遺品は人に着せた方が有用である。祝詞奏げて、浄霊して浄める。すると執着が薄くなるからいい。(S24・6・7)

火葬と土葬の良否

“火葬と土葬が人間生活の幸、不幸に関係があるものでしょうか。御教え下さい。

“都会などでは火葬もやむを得ぬが、霊もそれを知っているから差支えない。土葬に別に関係はない。ただ霊界へ行って、間違った事は気にする。(S24・2・26)

火葬と土葬

“町長現職当時、火葬場設置発起人が竣工と同時に死にました。何か因縁が有りますでせうか。又火葬は悪いでせうか。土埋の方がよいでせうか。御教へ下さい。

“死んだのは関係はない。本当は土葬がいいが、都会地では不合理であるなど、時代で火葬もやむを得ぬ。(S24・1・6)

実家に納骨した妻

“謹みて、御伺ひ申し上げます。分家した者が、其の妻が死亡致しましたが、何分新家の事とて石塔も立たず、妻の実家の墓に納骨致しました。其の後、後妻を迎へましたが、先妻の子(男子二十才位にて肺結核にて死亡)との仲も良く過ぎていましたが、それから家庭内の経済状態と健康状態が悪く成って参りました。墓相学上からも悪いと言はれますが、一人息子の死亡と言ひ、主人の喘息と言ひ、何か霊的な因縁がありませうか。御教示下さいませ。御願ひ申し上げます。

“よくない。結婚した家の墓でなくてはいけない。道に外れている。先妻の墓へ納骨したのがいけない。やり直して婚家先の墓へ移さなくてはいけない。法や道に外れてはいけない。墓相の問題はもっと小さい。これが根本である。

分家の遺骨

“分家に出た者の遺骨を本家の墓に入れる事は霊的に見て如何でせうか。

“よくない。分家は分家で独立している。やむを得ぬ理由があればよい。(S24・10・19)

母方へ子を葬った場合

“信者さんの妹で、四年前死亡し母方の寺に土葬してありますが、差支えはないでしょうか。

“これは本当は嘘で、父方へ祀るのが本当であるが、三、四年も経って何でもないのだからそれでよろしい。霊によっては満足しないのがある。何事もなければ、それで霊も満足している訳だ。

遺骸反対の郷里へ納めず

“本月初旬私の二女が亡くなりましたので、四十九日を過ぎましたら郷里の墓地へ遺骸を納めなければと思いますが、郷里の者はあまり此の尊い御力を信じられませず、むしろ反対をして居ります為、遺骸は現在の住所にて当分お祭りしてもよろしいでせうか。本人は御浄霊を喜んで霊界に往きましたので、反対する郷里へ、日の浅い中に納める事は如何かと思って居りますが、御指示御願ひ申し上げます。

“不可解である。然るべくやった方がよい。霊へ障るから当分これでよからう。今に判るもんだ。(S25・4・16)

他地に葬った遺骨の同葬

“墓地が狭いために父の遺骸を他に土葬してありましたが、今回「カラ塔」を作り、先祖代々の墓地に遺骨を納めたいと思いますが、如何でしょうか。

“結構である。出来ればそうした方がよい。然し無理にそうする要はない。新しい仏なら移した方がよい。それも厳格な意味でなく、出来たらやるという風でよい。

死者の納棺と墓石

“そのまま納棺するのが本当である。折るのはいけない。前に田舎の或婆さんで、一つ夢を三度位見た。鉄道で死んだ者がしきりに頭を下げる。近所で聞いてみると、此間死んだ人と判り、何か霊が言いたい事があるのであろうと寺へ行って掘出した。箱へ入れるのにアベコベになってる意味の事を霊が言った。それは首を千切られたので、首が胴へ着いてない。足の方へ着いている。それをちゃんと治してやった。死んでも体の形が順調でないと気にする。暫くの間は非常にそういう事を気にする。  墓相といってやかましくいうが、之はある。自然石は墓相の形になっていない。黒石は嫌う。黒は地獄、悪魔に相応する。天国は白になる。それで白い着物を着せて入棺さす。骨を蔵っておくのは非常に悪い。一日も早く納骨しなくてはならぬ。骨をしまっておくのは必ず病気になる。決る事が決らぬと霊も手続上行く所へ行けぬ。(S23)

骨の埋葬につき(納骨の順序)

“人間は死後自然に還元すべきもの故、火葬にして埋葬する場合、コンクリートで固めた「かろうと」の中へ入れる事は、永久にその儘の形が残りますので、骨は土の中へ直接埋めた方が自然に逆わなくて良いのではないでしょうかと人に聞かれましたが、如何なもので御座いましょうか。御教示賜わり度存じます。

“大した違いない。どちらでもよい。骨は仲々消滅しないものである。骨を順序よく入れてやる要がある。頭と足を一緒にするような事はいけない。エジプトの古墳には随分古いのがある。六、七千年のがある。掘ると死ぬ為恐れて掘らぬ。斯ういうのは今以て霊がいる。(S24・2・9)

脚を別に埋める

“兵庫県多紀郡日置村八上と言う処の永穂一雄さんが、腰から右臀部にかけて、昨年六月頃より痛み毎日悩んでおられます。腰が前へ曲らず、其の上右足が、膝を右の方へ拡げないと坐れないので御座います。御浄霊をお受けになって、少しは良いと申されております。或る日、此の方の奥様から聞いたので御座いますが、(其の家は両養子です)其の家の義母が右足を患い、原因は足指の小さい腫物からだんだん大きく腫れてそれが膿み、膝から下の筋肉が全部腐って爛れて無くなって了い、骨だけになったそうで御座います。膝から上は普通のままだったとの事で御座います。現われた膝から下の骨は、此の浮世の風に当って脆くもポロリと二、三日中に、自然に痛むこともなくとれて了いましたので、墓地の横の方に埋めました。其の後義母は、時を経て他の病気で昨年六月に死亡し、死体は村の共同墓地に埋めました。此の義母が死んでから痛みを感ずる様になったとの事で御座いますが、足と身体と別々の場所に骨を埋めたのでいけないのかも知れないと思って、足の骨を埋めた処を探しても見つからないそうで御座います。何か霊的に関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。(義母の霊は現在位牌を作って祀っています)

“別々に埋めるのを霊が嫌がるのである。霊によっては非常に潔癖になり、振かえって気になる事があると、行く所へ行かない。何にも後腐れないようにするのが一番いい。義母さんの霊らしい。浄霊で治る。  (S24・10・1)

埋骨を切る

“私の実家では一代法華になって居りましたので、神社仏閣墓所をおがませないので、二十余年無縁になって居りましたので、市の経営の玉墓地をもとめたので、そこへお骨を持って来て呉れとたのまれましたので、掘り返しましたら、土葬のため骨が大きなため、骨がかめにはいらないので父がノコギリで切りました。如何にしておわびを致したらよいですか。

“大した罪にはならぬ。火葬にすると、焼くとよい。悪意でやった事ではない。理由があればよい。(S23・10・28)

骨掘り出して死亡

“会員の主人、本年六月シベリヤより復員、三十七才隣人の死亡せし折、墓地掘りをし、其の翌日より急に腰が痛み、浄霊を致しましたが四日間にして死亡しました。霊的でしょうか。又其の主人の母十数年前に死亡、三年前父死亡、共に寺に保管してありますがこれと関係ありましょうか。保管中の骨はどの様に処理すれば良いでしょうか。

“骨を永く置くのは極く悪い。早く処理してもらいたい、焼くか埋めるかしてもらいたいのである。霊は気にする。繋りがあるからすっかり処理せぬと霊界で行く所へなかなか行けない。綺麗に始末すれば、執着がなくなるから早く行ける。思い残す事のないのが一番いい訳である。早く埋めてもらい度い為病気にするのである。霊によって怒り易いのとそうでないのとある。よく墓地へ行っただけで病気になる事がある。以前或る所の妻君で、お寺参りに行くと霊の憑く人があったが、浄霊するとすぐにとれた。(S23・10・15)

埋骨せぬ事

“本年七月十三日、大光明を御祭りして以来、御浄化を戴いて居りますが、今月十三日朝九時頃、突然私の右頬に冷たい手がふれる様な気が致しましたら、急に舌がもつれて発音がわからなくなり、右肩と右頬が非常に痛み出し、又両手両足も重く熱っぽくて、水以外は何も欲しくありません。昭和十九年九月十三日に子供を亡くして、其の骨を埋めずにありますが、之と関係がありますか。御伺い致します。

“骨を埋めないと霊は非常に嫌がる。早速埋めなくてはいけない。その為ではないかと思う。骨を埋めないと、霊は霊界で行く所へ行けない。自分の死骸なども片づいていないとそれに引っ張られる。骨などいくらか霊線が残っている。骨とっておく人があるが大抵病気になる。風葬など間違っている。間違った事して始末すると、その罪を霊界で着て苦しむ訳である。(S23・11・15)

骨寺にあり

“左記事項御伺ひ申し上げます。

一、四十四才の男、色盲ですが御浄霊は如何なる箇所を主に致したら宜敷いでせうか。

二、戦時中に死亡した父親の骨が、まだお寺に預けてありますので、母親の墓へ一緒に埋めたいと思ひますが、如何で御座いませうか。

“骨を埋めないと霊は非常にイヤがる。  (S24・10・26)

未納骨や死体解剖

“亡夫と息子の遺骨を数年間納骨せず、お寺へ預けたままになっておりますが、霊的に障りになるものでしょうか。

“障りになる。霊が怒る。霊は非常に几帳面である。執着は一番いけない。一日でも早く埋めなくてはいけない。霊は非常に嫌がる。霊は執着が一番いけない。執着に関係する事は一番いけない。骨は一日も早く埋める。 解剖の如きは非常にいけない。本人の希望するのは構わぬ。(又バラバラになって死んだ時でも、人間の元通りの形にして棺に納めなくてはいけない。)器官の活動が判るので、医者は生体解剖をしたがる。(S24・2・14)

納骨埋葬せぬ事と解剖

“霊は非常に嫌がる。霊は執着が一番いけない。執着に関係する事は一番いけない。骨は一日も早く埋める。解剖の如きは非常にいけない。本人の希望するのは構わぬ。機関の活動が判るので、生体解剖を医者はしたがる。(S24・2・14)

赤ン坊アルコール漬

“先年流産致しました際、医師はその胎児を学術上の参考品として、アルコール漬にして病院に保管しております。入信後、それが気になってなりません。これは如何に致したらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“赤ン坊はそうでない。相当年をとって、物が判ったのは気にする。(S24・10・1)

アルコール漬

“医科大学や病院等にありますアルコール漬の嬰児や、切り取った身体の部分等漬けてありますが、是等の霊は霊界でいかなる状態になって居りませうか。御教示御願ひ申し上げます。

“非常に嫌がる。或時期まで霊も心得ているから諦めるが、嫌がる。(S25・5・15)

分骨

“分骨をして差支え御座いませんでしょうか。

“分骨はいけない。髪の毛や爪は分けてもよい。骨を分けるのは霊が嫌がる。(S24・2・12)

分骨埋葬

“新仏の骨を埋葬する場合、祖先の墓と家の近くに、二ケ所に分骨したいと思いますが、如何で御座いましょうか。御教示願います。

“分骨はいけない。霊は嫌がる。髪の毛や爪等はいい。どっちかへ、祖先の墓へまとめて埋めればいい。

分骨を祀る

“仏壇へ分骨を祭る可否。

“之はウソである。

歯の分骨

“私の地方(新潟県佐渡郡)では、遺骨を埋葬する場合、歯骨のみを高野山へ納骨し、他は寺の墓地に埋葬する習慣になって居りますが、これは如何なる理由に依るものでありませうか。又今後も続けて高野山へ納骨した方がよろしう御座居ませうか。分骨は正しいものでせうか。御教示下さい。

“歯は分骨しても構はぬ。四肢五体の附属物であるから、それだけやるのはよく出来ている。  (S24・10・16)

分骨と毛髪・歯

“祖母の御骨が仏壇にあります。但しお墓へは大部分納め、歯骨のみ御寺へ納める分として残してあります。御骨の納め方を御教へ下さい。又一定の時に御骨を納めないと病人が絶えないと聞きますが如何でせうか。

“歯なら構はぬ。(火葬)歯は納骨の要なく、一緒でない。先に埋めた所へ一緒に埋める方がよい。分骨はいけない。霊は嫌ふ。違った事があると霊界でスラスラ行かぬ。然し、仕来りがあれば、本人も承知の上であるから、差支えない訳である。一部をお寺へやるのは間違っている。お寺へ納めるとすれば本山の方ならよい。(髪毛、爪などは何処へもって行ってもよい)(S23・11・16)

分骨と仏の救い

“私は昨年一月教修を戴きました。私の母親は大正十二年に亡くなりましたが、昭和二十一年に分骨し身延山に納め、五拾年間の供養をお願ひして来たのですが、そのままで宜しいのでせうか。

“分骨したのは止むを得ぬ。霊を救へばよい。仏教ではもう救はれぬらしい。お経を嫌ふ。(S24・6・9)

分骨したもの

“分骨するのは如何でせう。

“分骨したのは、そのままでよい。

靖国社やお寺への分骨

“分骨はいけないとすれば、靖国神社或はお寺に分骨してあるのは如何に処置すべきや。

“差支えはない。分骨されると暫くの間は嫌がる。死後暫く骨と霊線が繋っているので、分骨されると離れるのにヒマがかかる。一つの骨なら、簡単に離れる。  (S24・4・2)

遺骨位牌と埋葬

“戦死者の遺骨が還って参りましたが、埋葬しようとして木箱の中を開けてみました処、白木の位牌に俗名が書いてある丈で御座いますが、字が違い、当字で御座いますので其の儘で埋葬するに忍びません。公葬や葬式も済んで居りますので、如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“普通にお祀りすればよい。坊さんに戒名を書いてもらう。戦死者など滅茶々々であるから問題にせずお祀りすればよい。墓へは入れてはいけない。何にも入れず石碑だけでよい。(S24・5・1)

遺髪遺爪

“戦死者の爪と遺髪の処分を如何にしたら宜しいでしょうか。

“普通のように墓の下へ埋めればよい。

遺品の埋葬

“戦死の公報があり、葬式も致し、仏壇にもお祀り致して居りますが、遺骨が帰らず墓は御座いませんが、親戚の意見もあり墓を作り度いと存じますが、その際何か遺品を埋葬する事は意味のある事で御座いましょうか。それとも墓は不要で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“墓は作った方がよい。遺品の埋葬は結構である。霊は何か物質がないと来難いものである。一番大事にしていたものなど、代りに埋めてやるのがよい。(S25・1・11)

焼失の分骨

“私の義兄で御座いますが、国は四国で長男ですが、妹に家督をゆづり、横浜に出まして私の姉と家庭を持ちました。昭和二十年三月四日国の実父が死亡致しまして、分骨して横浜の寺に預け、埋葬しない中に空襲にあひ、焼失してしまひました。この様な場合、どの様に致したらよろしう御座いませうか。

“責任はアメリカにあるのであるから仕方ない。霊は承知している。不可抗力である。(S24・3・14)

遺骨の祀り

“出征七年の私の息子の遺骨が還ったとの通知がありましたが、どうしても健在している様に思はれ、骨もらひにも参りません。仮に健在としても骨を祭るべきでせうか。

“祀った方がよい。他人の霊でも功徳になる。(S23・8)

死体防腐の可否

“昔から身分の高い人などの逝去した場合、よく屍体を腐らぬ様にして、そのまま埋葬致しますが、霊的に宜しい事でございませうか。右御教示御願ひ申し上げます。

“死者の気持にある。嫌ふ人と喜ぶ人とある。ピラミッドなど王の死体は腐らぬやうおいてある。然しこういふ事は本当ではない。(S24・10・3)

飲まされんとした人骨粉の処理

“私が病気(肺浸潤)の時に、母が妙薬だと言って、墓地から人骨を拾い粉末にして私の妻にあずけ、私に飲ませ様としましたが、全然飲みませんでした。母は既に死んで、何処から持って来たかわかりませんが、其の骨はどの様に処分したらよろしいでしょうか。 

“自分の所の墓地の隅かどっかへ埋めてやる方がよい。母の傍でもよい。霊によって気にするのとしないのとある。埋めて詫びした方がよい。風葬なども極間違っている。解剖など極悪い。(霊の希望ならよい)墓場も綺麗にする。霊界にも名誉があるから恥かしい。(S23・10・19)

切断骨の処置

“昭和二十二年十月入信致しました信者、戦傷にて右下腿部を切断致し、其の骨を現在そのまま所持して居りますが、如何処置致しましたら宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“どう処置してもよいが、惜しいようだから焼かずにとっておけばよい。(記念に)(S24・8・21)

死体硬直の因(死体の浄霊)

“肺結核にて死亡致した人ですが、死後硬直致し、納棺致す時非常に困りました。この人は教導師で昨年五月入信し、以後毎日浄霊を受けて居り、死亡一週間前より昼夜浄霊を続けて居りました。又、死後のりとを上げ、一時間程浄霊致すも一向やわらかくなりませんでした。如何なる原因でしょうか。此の様な場合はどうしたら良いでしょうか。御伺い致します。

“珍らしい事である。よほど大きな罪があるか、よほど強い薬が固まっているからである。斯ういう場合、頭をよく浄霊する。

屍体硬直の理

“人間屍体の硬直するのは、如何なる理由に拠るのでありませうか。

“熱がなくなってるからである。飴のようなもので、飴は熱があると柔かい。お浄めすると火素を入れるから柔かになる。

死人の髪伸と雀斑

“一、死人を土葬にした場合、暫く経って見ますと頭髪等が伸びていると言ふ事を度々聞きますが、如何なる訳で御座いませうか。

二、顔のみでなく全身に雀斑があるのは如何なる原因でせうか、御伺ひ申し上げます。

“一、死んでも形のある間は、いくらか働きの惰力がある。生きている時の生活力が少し残っている。毛は特別のものである。カミといふ。

二、血の凝結する痕である。死ぬと血が凝結する。凝結は方々へするものである。(S24・11・7)

死者と睡気、鼻血

“変死者の側へ近親者が参りますと、死人が鼻血を出す事が御座いますが、如何なる訳で御座いましょうか。又、人が死ぬ直前、側に居る者が眠たくなりますのは如何なる理由に依るので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“眠くなるのはおかしい。死者の霊が救われるんだと思う。一週間も十日も前に脱けるのもある。トンチンカンの事を言うのはそうである。副守護神だけになり、惰力で生きている。脱出するのは、本人が死を覚悟するからである。鼻血が出るのは、近親者が行くと、霊線を伝わって、生きた人の熱が行き、固まった血が溶けるのである。  (S23・11・1)

死者の鼻血(身内の者接近) 

“人が死んだ時に、その人の身内の人等が来た場合に、その死人から鼻血が出ると言ふことをよく聞きますが、之は如何なるわけで御座居ませうか。

“よく斯ういふ事がある。身内の人は霊線が繋っている。あつくなったり、余分な血があり、それが出る。出そこなって死んだのであらう。目上の人の霊線は頭へ行く。生きてる人の霊線は火素。よけいな血のある場合、その血が霊線によって出る。血が出切れずに死んだものである。(S24・6・19)

死骸より鼻血

“私の信者の話で、或る変死者の家人が其の変死現場に行き、死骸に向って言葉を掛けると、死後数日を経ているにも拘らず鼻血を出すと申します。此訳をお伺い申し上げます。

“霊線から生きた人間の熱が行って、血が溶けて出るんだと思う。

火葬の死体起上る理

“座棺にて火葬致します際、体に火が廻りますと急に立上る様になるそうで御座いますが、如何なる理由によるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“斯んな事はない。斯んな事があるとすれば霊がいくらか残っている。脱出し切れず、霊が完全に脱出していれば斯んな事はない。霊が脱出して後、執着により暫く霊線で繋っているのもある。いくらか神経が残っているのである。(死にたくないという執着など)(S24・6・21)

焼死体血による鑑別

“交通事故等で焼死した死体が区別出来なくなって居る場合、指を切って血をその骨に垂らすと、肉親の者なれば必ず骨に血が泌み込み、他人の場合は泌み込まぬと申しますが如何なる訳でせうか。

“そんな事はよした方がよい。仮に死体が百人位あるとすると、その人は指を切ったりなどして死ななくてはならぬ理窟になる。こういふ人は非常に曇った人で仕方がない。

死人と猫

“死人に猫を近よせるのを嫌いますが、霊的に何か意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“別に意味はない。猫がいると死人が動き出すなどというが、そういう事もあったろうが、大した意味はないから差支えない。(S24・1・21)

喉仏と後生 

“死体を火葬した場合、のどぼとけが残ると極楽往生又は後生がよいと申しますが、何か霊的に意味のある事で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“大した意味はない。(S24・8・11)

骨壺の水捨てる

“信者で御座いますが、御教へにより多摩墓地より高野山の菩提寺へ遺骨を移しました時、骨壺の中の水を捨てて了ひましたが、遺骨の一部が水に化しましたものを捨てますことは、霊が苦しむもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“そんな事はない。水は捨てて差支へない。(S25・5・12)

骨は水になるか、骨壺移動するか 

“瓶(カメ)に入れて土葬すれば長年の後には人間の体は全部水になると申します。骨も水になるものでしょうか。又埋葬した瓶が五十年間に二、三間位は移動すると申します。数百年も経てば相当移動していて、其の附近を探さねばならぬ事になりますが、「寄せ墓」を作るとすれば如何にしたら宜しいでしょうか。

“骨は水にならぬ。他のものは水になる事がある。骨は移動するものではない。ただ、地殻の移動する所では、そういう事がある。(S24・6・2)

死後二年頭髪伸ぶ

“二年程前に土葬にしました死人の頭髪が、二、三寸位長くのびて居るそうで御座いますが、如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“有り得べき筈はない。理窟がつかぬ。  (S24・1・21)

墓標建立に関する常識

“墓碑建立につきて、常識的に留意すべき事項、例へば方向、形状、盛土の高さ、石の種類、植樹の可否等につき――。 

“方向はどちらでもよい。その土地の地形により勝手な事も出来ないが、本当からいふと北向が一番良いが、之は大した留意する要もない。北向は神道でいふ事だが、霊の救はれる意味からいふと北向がいい。仏教に限らず大抵の宗旨は、西向が可いとしている。今迄の宗教は、大抵西の方から出ているから、西の方が本当かもしれない。石の種類は白い石ほどよい。ただ黒っぽいのは不可である。極上等の墓は白大理石を用ひる。植樹は、墓に植えるような常磐木がある。あまり高いのは不可で、花の落ちない木がよい。即ち、栂、槇、モチ、棗で、特にシキミがよい。檜は神社に用ひるが、墓でもよい。然し伸びるから適当でない。  (S23・12・21)

――――――――――――――  方向はどちらでもよい。その土地の地形によればよいが、本当からいうと「北の隅で南向」が一番よい。形状は普通の形でよい。自然石はいけない。形状は石屋の作る形でよい。盛土の高さは丁度よい高さでよい。即ち一尺五寸位である。石の種類は白い色ほどよい。黒っぽいのは不可である。極上等の墓は白大理石を用いる。植樹は墓に植えるような常磐木ならよい。余り高くなるのは不可で、花の落ちない木がよい。即ち槇、もち、かなめで、特にシキミがよい。

墓場・墓石の清潔(印相)

“墓場は霊の別荘であるから、綺麗にしておかなくてはいけない。人間の住む所を綺麗にして――。戒名の沢山ある墓は「先祖代々之墓」とし、横へ戒名をつける。他人の御堂や墓など綺麗にすると、祖先が感謝される。今迄霊の事を徹底的に教へ、信頼し得る宗教はない。 墓石は親より良い物を建ててはいけない。子がいい物を建てるには、親のをズーッとよくし、それから子のをよくする。向って右が上である。(先祖代々真中)墓石、白は天国、黒は地獄である。(印鑑で運命をみる人がある)水晶の判は滅びるなどいい、円い判を好む。栂はいい。  (S23・11・25)

堂中の墓、墓門を閉む(相応)

“御堂の中に墓(石碑)を入れたりすると、その家は亡びるとか、或は墓に門を作りその門を閉めておくとその家は亡びたり、家人が監獄に入ったりすると申しますが、如何でしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“墓は雨曝しでいい。御堂は神仏を祭るべき所で、格のある神仏でなくてはならぬ。人間の霊を祀るべきでない。反って苦しむ。よく祀るといいように思うが、取扱いがよく相応しないと非常に苦しむ。地獄の霊を天国に上げると苦しむようなものである。特に一ぺんに上げる事は不可である。墓石は雨曝しでいい。墓詣りの時に開け、ふだんは閉めておく。いたずらされる。お軸と同じ部屋に祀ってよい。(S24・4・13)

墓標

“私達夫婦は四年前に入信させて頂きました。微力ながら救世の業にお手伝ひさせて頂いて居ります。私の養父は十二年前に没し、最近墓地が落ち込みましたから修理致したいと思ひますが、如何で御座居ませうか。又現在墓標のみにて石碑が有りませんから、石碑は立てるべきか否か御伺ひ申し上げます。

“墓標は一時的のものである。早く建てよ。(S24・10・26)

回忌に塔婆を建てる事

“お盆や年回忌に、お寺或は墓地に卒塔婆を立てるのは、如何なる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“大体は一回でいい。丁寧にやる意味である。地獄で早く救われる霊はそれでいいが、さもない霊は何回もやるという意味である。(S24・8・11)

墓標別の習慣

“丹波地方の或一部にては、死者を埋葬した場所には墓碑を建てず、お寺の境内に建立して居りますが、其の敷地が一杯となりましたので、新に敷地を購入すべきか、普通の様に埋葬地に建てるべきか迷って居りますが、どう致しますのが宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“死後は墓所とか、決った所へ埋めるべきである。古老の死後そうせよ。(S24・3・11)

墓標を作る事

“墓標がこわれて未だ石碑も建てていませんが、自分で墓標を作って自分で書いて、勝手に何時でも建てゝ差支えありませんでしょうか。

“差支えない。早く建てた方がよい。でないと墓詣りしても、霊が来る所がない。(S24・4・28)

無縁墓標の移動 

“自分の屋敷内に無縁仏の墓標(二代位前の居住者で一家断絶の者)が御座いますが、離れて居る墓地へ移してもよろしいもので御座いませうか。

“後祀ってやれば構はない。

経済上墓石建てず 

“葬式後何年間も、経済的な理由から墓標だけにして石碑を建てられない方もありますが、之は如何でございましょうか。

“よくない。経済的理由という馬鹿な事はない。祖霊は必ず入るようにしてくれる。(S24・12・3)

遺言の墓石と遺骨

“亡父(昭和十三年死亡)が生前中、亡兄(長男満洲鏡泊学園生徒にて昭和九年戦死)の石碑を後日建立するため、墓地に先祖代々の墓及び祖父母の墓の隣りに、自然石をたてて場所をとってあります。こう言ふ場合、亡父の遺志をついで、亡兄の石碑を建てた方がよろしいでせうか。それ共先祖代々の墓に合祀した方がよろしいでせうか。尚遺骨は未だ仏壇に祭ってあります。

“亡父の遺志を伝えよ。遺骨は早く埋けよ。  (S24・11・6)

墓石建てるべき時期

“私の地方では墓石は七年忌、十三年忌の時に建てまして、それ迄は毎年塔婆を建てる習慣になって居ります。私の家は父の代に分家致しまして十二年前から五人の者が次々と死亡致し、未だ建てていないので御座いますが、何時建てるのが本当で御座いませうか。又先祖代々の墓石も造るべきで御座いませうか。尚経済的に余裕の無い場合でも一人一人墓石は建てなければならぬもので御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。尚現在家族全員入信致し、集会所として御用をさせて戴いて居ります。

“塔婆は一周忌経てば処分してよい。先づ一年経てば造らなくてはいけない。余裕があるなしに限らず一人々々したら大変である。(S25・1・12)

墓石直す時機

“昨年九月二十日養子が肺結核で亡くなりました。そして私の養父と実母が葬ってある墓石の西脇にほうむりましたが、其の後、墓石が西北に傾いてまいりましたが、之をなほしたいと思ひますが、時機と方法をお教示下さい。

“時機はお彼岸がよい。彼岸は節になっている。(S25・1・16)

石碑立てる事

“石碑を立てたいと思いますが、先祖代々のを一基立てれば各霊別に立てなくてもよろしいでせうか。御教示お願ひ致します。七年忌に当る新仏が二霊、最近の新仏が一霊あります。

“普通の墓の形を立てる。先祖代々―を真中にして、面識ある人は横へつける。面識ある人は先祖代々へ入れてはいけない。

墓石の色

“一、墓石の黒色は子孫に罪人が出るから悪いと申しますが真実でありませうか。 

二、又人像の墓碑を建てると家が絶えるとも申す人がありますが如何でありませうか。

三、霊を慰める意味で墓石につき型、色、方向等に特別な関係があるのでありませうか。御教示願ひます。

“一、黒石はいけない。白いのはいい。白か鼠色に是非替へる。地獄は黒である。(S24)

墓標の石

“私の家の墓石は天然石で出来て居りますが、其の儘で宜しいでせうか。

“自然石はいけない。  (S25・2・17)

墓石に神道名

“神式の場合、お位牌は俗名でなく戒名の方がよろしゅう御座居ましょうか。例えば墓石などにも何々の命となっておりますが、如何なもので御座居ましょうか。

“墓石は戒名でなくてはいけない。神界と仏界と違うから。今迄の神界もあまり余命はない。  (S24・7・23)

新墓石の書き方

“新規に墓地に石碑を立てる場合、左の何れが宜しいでせうか。御教へ下さい。

一、何々家の墓

一、何々家先祖代々之霊

一、右石碑に何人かの戒名を書いても宜しいでせうか。

“先祖代々の霊が本当である。戒名は書いてもよい。正面に先祖代々とかく。後、霊の位に応じ、順序正しくする。(S24・5・4)

子と父の墓の大小

“子供の墓(既に出来ている)より、父の墓を小さくしては不可でせうか。

“父の墓より子の墓を大きくしてはいけない。位置を下の場所へ祭るのはいい。

墓地の玉垣

“墓地の玉垣を造り、それより家に不幸が絶えぬのですが、取り除くべきでありませうか。

“玉垣は造るべきである。  (S24・5・25)

墓石の屋根

“墓石に屋根を造れば不幸が続くとの事で御座いますが、霊的に何か意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“意味という訳でない。墓石に屋根を作るのは嘘である。屋根は人間の住む家にし、雨露を凌ぐ為にする。霊になればそれは問題でない。霊を扱うのに、体を扱うような事をするので、手数の掛るのは止めた方がよい。(人間以上)今一つ位のある神は屋根を作る。一般庶民が作るのは嘘である。(S24・7・21)

人姿の墓石何度も倒る

“或る信者の御宅で四、五代前に子守を雇ひ、その子守が亡くなりましたので実家へ帰さず、家の墓地へ骨を納めました。そして人間の姿を刻んだ墓石を立ててありますが、最近この墓石が何度となく倒れ、其の度毎に家の誰かが頭を病みます。墓石を元通り立てると頭がなほるさうで御座居ますが、人間の姿を刻んだ墓石に何か関係があるので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“文字の墓石でなくてはいけない。それを知らしてるのである。本人は反って苦しいのである。祖先より立派にしてはいけない。位置を下にしたり、字を小さくしたりする。骨長ければそのままでもよい。(S24・6・2)

墓地の大木、骨刺すを知らす 

“或家で主人が大変頭が痛く、続いて腰が痛くなりましたので、或神様に見て貰ひました処、墓地に大木の根が来ているから、祖霊が知らせているとの事で御座いましたので、墓地を掘り起して見ますと、松の木の根が頭蓋骨と腰骨を貫いて居ましたので、早速根本を切り取り始末を致しました処、病気が全快したとの事で御座います。こんな事はあり得る事で御座いませうか。又有ると致しますと、現在林の中に土葬にする地方が御座いますが、如何致しますれば宜敷う御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“こういふ事はある。死んだ骸は、或時期まで、霊界の霊と霊線が通じている。それで斯ういふ事があると或程度霊にも苦痛があるので、こういふ事をして気づかしたのである。墓のまわりに大木などあってはいけない。墓の近くにある場合は、墓の方へ行く根を切ればよい。(S25・2・11)

墓の移転

“屋敷内に墓があったのを家を建てるのに移転しました。それから次々と死人が出たり不具者が出来たりして、現在子供二人不具者があります。主人は今度の戦争で戦死しました。石塔はそのままで移転した処にあってよろしいのでしょうか。又その因縁を切るには如何にしたらよいのでしょうか。私は最近御光を戴いたもので御座いますが御教え下さい。

“移転する必要のある場合は、言葉で先祖へ向ってお願する。そうすれば差支えない。止むを得ぬ事は仕方ない。霊も納得する。そうすれば何でもない。そうしないのは、先祖の納得がゆかぬのではないか。因縁は切らぬようにすべきで、切ってはいけない。よくお詫びして、光明如来様にお願して、祖先が承知するようして戴く。

墓石除去、骨在所不明

“土木工事のため墓石を取除きましたので、骨の在り場が判明しないのですが、何うすれば良いでせうか。

“之は無断強制立退のようなものである。墓石を取除く時に、お断りしなくてはいけない。無断でやれば腹が立つ訳だ。(S24・4・28)

新墓地への移転

“以前よりの墓地が狭いため、此の度寺の近くへ新墓地を求めました。以前の墓地は一年五ケ月土葬して御座いますが、新墓地へ移したいと思ひます。この際如何が致したらよろしう御座いませうか。

“分家だから構はぬ。祖先があると簡単にゆかぬ。(S24・8・9)

墓地移転

“東京にお墓がありまして、住所は新潟の為思う様にお墓参りが出来ないので御座います。お墓を移すことの良否をお教え下さい。最近死亡した子供のお骨は、新潟のお寺にお預けして御座います。

“やむを得ぬ事情なら、移転するもよい。(S24・6・29)

墓地のみの変更

“私の郷里高野山附近では、死体を埋葬いたしますと一年忌に石碑をその埋葬した上に建てます。処が私の妻が三年前に亡くなりまして、只今迄石碑を建てておりません。私は今度分家を致しまして、転宅と同時に近くのお寺にて墓地を求め、妻の石碑を(遺骨を埋葬していない)新しい墓地に建て度いと思います。如何なもので御座いましょうか。この場合の注意をお伺い申し上げます。

“差つかえない。高野山が遠い為であるからお墓詣りなど行くのに便利な必要から――という理由があれば祟ったりなどしない。霊を無視するような事は怒る。(S25・1・17)

動墓と災

“私の先祖は伊勢の山田奉行を務めて居りました頃、遠藤と名乗っておりましたが、中村家を嗣ぎましてから遠藤の姓を廃籍致し、中村家を嗣ぎ、分家して現在に至ったのですが、私の処には現在、遠藤家と中村家の先祖をお祭りして居ります。私は普段体が悪いので、或る所でお伺ひ致しますと、先祖の墓を動かしたからと言はれました。私もお墓を動かしたと言ふ事を聞いて居りましたが、確実な事は分りませんが、本当に動かした事が悪かったのでせうか。動かしたのは両家共で御座います。如何なものでせうか。

“動かして悪い事はない。不可抗力の事情、止むに止まれず動かすのは差支へない。それは祖先としてよく知って居り理解する。人間の勝手で動かすと怒る。それで気づかせようとしていろいろやる。之は古くなっているから今更必要ない。詫びればよい。此信仰に入れば差支へない。  (S24・3・4)

墓移動

“先祖代々の墓を移動するには如何致したらよいでせうか。

“理由があれば霊も移動を承知する。(S24・2・20)

墓石移動して家運傾き霊に襲わる

“安田ミヱ、女、二十九才、此の人の家は三代前迄は豊かで地所も相当持って居りましたが、段々悲運におちいり、家屋敷も人手に渡り、わずかの家になりました。今から十五年程前に土地がせまい為に、先祖の墓石を寺に納めてしまい、其の後は堆肥の置場所にしてあります。二年前入信、昨年二月に光明如来様の御祭りをさせて頂きました処、最近左の様な事実がありましたので、墓石と何か関係がありましょうか。又如何したら良いでしょうか。

一、八才の女児、夜中に急にふるえ出し、真赤な顔をし、歯を喰いしばり、苦しそうな状態であったのが、御光を頂いた一同が御浄霊をさせて頂きましたが治らず、祝詞を奏げますと終りの頃には右の子供が一緒に唱和する様になり、治って仕舞いました。後で子供に聞いてみると、白い着物を着たおじいさんが来て、手を掴んで連れて行こうとしましたので恐しかったと言いました。

二、母親は或る夜中に、苦しそうにうめき声を出しますので、揺り起してみますと、次の夢を見たと申します。 「買物の帰りに男の人がついて来て、家に入ると同時におぶさってしまいました。いくら叫んでも離れず苦しいので、一生懸命娘の名を呼んでいたのだ」と又この夢以来毎晩の如く「寝床の上に人が上って来て苦しくて困る」と言います。又此の母親は咳がひどく、体が疲れ、特に二ケ月前に転んで肩から腰を痛めて、さわる事も出来なかったのが、御浄霊で楽になりました。

“先からあった所を移動するには、手続きをしなくてはいけない。寺に納めても墓石へ来る事が出来ず困る。白衣の人は祖先の一人である。連れてゆこうとした為に苦しんだ。祝詞を奏げたので満足した。おぶさったのは、男の子が霊界で育った、子供の時の想念が残っていておぶさったのである。墓詣りして許してもらいたいといって断る。そして善言讃詞を奏げる。でないと、墓石はうつっても、うつる事ができない。(S24・5・4)

墓地へ校舎建築

“中学校舎建築に付、祖先代々の墓を移転致すのでありますが、墓つちを持って移転するを可とする僧と、骨まで持って行くべく言う僧と二人有りますが、何れがよろしきや御伺い申し上げます。

“骨まで持ってゆく方がよい。土だけ持って行っても仕様がない。後へ学校など建て、骨があると執着のある霊は嫌がる。霊は潔癖になるので、死後汚ないものや醜いものがあるのを嫌がる。寺の跡などへ建てると、死人が出来たりなどする。(S24・10・23)

墓地の土を移す事

“田舎の墓地を東京に移し度いと思いますが、お坊さんの話によれば、その墓地の土を持って来れば宜しいとの事ですが、それで宜しいでしょうか。尚宗旨の変更はありません。

“理由があれば差支えない。(S24・12・3)

遠隔地の墓

“私の祖先の墓は生地にあり、弟の墓は現住地にあり、生地と七、八十里離れているので、御用の都合で一年に一度か、二年に一度位しか御詣り出来ません。法事の時参れない場合は、仏壇の祖先の霊に御ことわり申し上げれば宜敷いでせうか。又若し現住地を替る場合、墓はそのままとし御寺に御願して置けば、祖先の霊に失礼にはなりませんでせうか。又私と妻は夫々先祖代々の位牌を作りました。其のまま仏壇に御祭して宜敷いでせうか。それとも御寺か何処かで御霊入をして頂かなければならないでせうか。併せて御教示を御願ひ致します。

“遠くにあってどうしても行けぬ場合は、誰か代りをやる。代りがなければ祖霊に断わる。誠が通ずればよい。身魂入など意味ない。家で戒名にお供へし拝めばよい。(位牌は霊界名)(S24・6・28)

墓地遠隔と宗派の別

“私の家は元浄土真宗で、父は分家を創立しましたので、郷里の島根県に母、長兄及び三兄だけの墓がありました。七年前父が死去した時は東京に住んで居りましたので、遠方の為次兄が一家の墓を宗旨違ひでしたが、東京の禅宗の寺(母の実家の菩提寺)に移しました。其後二兄は持病で死亡し、私が不在の為母方の親戚が二兄を禅宗で葬りました。それ故位牌は、二兄は禅宗の戒名ですが他は全部浄土真宗であります。私が改めて墓を祀り直すには、父の郷里迄行かねばなりません又二兄の戒名を改めるには如何にしたらよいでせうか。御教へ下さい。出来る事なら東京附近の浄土真宗の寺に墓を移したいと考へてますが、現状のままで差支へないでせうか。御伺ひします。

“浄土真宗で祀られた霊が多いから、それで祀るのもよく、遠いから近くへ祀るのも亦良い。出来るだけさうしてやった方がよい。(S24・5・17)

霊の救いの効果(遠隔墓)

“墓参に行かなくとも、善言讃詞をその霊に奏げてやる気持で奏げる。そうすると離れていても霊へは届く。出来るだけ祀ってやった方が功徳になる。霊の感謝は非常なもので、きっとお道の為働くから、寧ろ生きた人間より霊を救った方が効果的である。

墓場を作らぬ家

“元士族(知行百石取の武士)の家庭でありますが、先祖よりの言ひ伝へにて「墓場を造ると必ず家庭に異変がある」と言はれ、代々墓を造らずにありますが、如何でせうか。此の家の一統は総て同様にして居りますが、霊的に何かあるのでせうか。御教示願ひます。

“墓場を作る事を嫌がる霊があるとみえる。何事もなかったらそれでよい。(作りたくなったお知らせがある。)  (S24・8・8)

別々の墓

“父母と妻の墓があり、お参りして居りますが、私の息子が戦死し他のお寺へ墓を造りお参りして居ります。別れていてもよいでしょうか。お教え下さい。

“之はよくない。外へ祀るのが本当である。事情により一時はそうしてもいいが、将来は一緒にしなくてはいけない。(S24・12・27)

納骨せるものの墓

“私の父並びに兄の墓はなく、京都西大谷納骨所に納骨してありますが、墓は造った方が良いでしょうか。御教示下さい。

“そのままでよい。ただ仏様だけは作る。お屏風観音様をお祭りすればよい。(S  (*)・7・8)

古墳発掘

“神聖なる土地を発掘し、科学的にもとづく研究を達せんとする学者と、信仰の対象を単なる物として扱はれる信仰への侮辱を感ずる宗教家、此の解決は如何になさるべきでせうか。

“ツタンカーメンの墓などはすごい。査べると必ず死ぬ。やりたければやる。科学者の立場ではやるのが本当である。汚して困るのも尤もである。(S24・9・23)

古墳発掘の怪―解決の道

“左記に就いて御伺い申し上げます。

(イ)私は只今奈良県にて潅漑用溜池を築造して居る者ですが、私のしている工事場は飛鳥朝以前の古墳が散在し、これを取壊して十年以前より工事を初めましたが、現在所員で発狂状態の人があり、家族が不動様信者に見てもらいますと、数多く今迄に取壊した古墳の内、一人の立派な方と祖霊が懸っておられるとの事で、其の時古墳の霊が言った事は、今迄に所長を二人殺し、今此の者に懸っている事。今合同で祀っている所は大変居づらいので、他所にて自分一人祀ってもらいたい事。一人祀らないなら今の事務所の幹部を殺すこと。以前自分を祀っておった五輪塔の石を土の中から掘り出す事。等を其の信者が神憑りに成って言ったそうです。此の内事務所の所長が二人死んだ事と合同祀した事は事実でありまして、事実と一致して居ります。右の不動様の信者の言は信じねばならないでしょうか。若し信ずるとすれば、古墳の霊は如何お祀したら良いでしょうか。五輪塔の石は数多い古墳の事です故見当が付きにくく、何処に埋れて居るか解りませんが如何したら良いでしょうか。又今後、工事上古墳を壊す場合は如何したら良いでしょうか。尚人夫三人が工事中変死し、子供一人が水死し、一人が爆破の石で心臓が破れて死んで居りますが、之等の霊は如何したらよいでしょうか。古墳の石棺、土器は如何処置すべきでしょうか。 

(ロ)只今所員で杉本廣成と言う者が、昨年八月頃より大変喋り出し一月末頃頭痛がすると言って帰宅し、発狂し十三日程普通人と同じ状態が続き、六日間失神状態になり、周期的にこの状態が起ります。失神する時は半日位で除々に黙り込み、食事をとるのみで六日過ぎ、良くなる時は半時間位で普通人となります。失神の時は食事は臭、色、湯気を嫌ひこれ等の有るものは食しません。

1)これは祖霊、古墳霊が懸る為でしょうか。

2)如何すれば良くなるでしょうか。

自分も昨年神経衰弱を起し、浄霊により良くなして戴きました。今から思うと古墳霊が憑いて居ったのでしょう。無き命助けて戴き有難う御座いました。

“不動信者の言った事は本当である。古墳には偉い人がある。偉い霊が祟っているのである。人間で偉いのは霊界へ行っても力がある。霊のいう通りにしてやる。五輪塔が判らなかったらよく光明如来様にお願して、五輪の塔を掘らして戴くようお願してすると自然にその気がして掘る事になる。霊の言う通りにしてやる。此人に関係があるから祀ってやる。戒名でいい。それに関係した人は出来るだけ入信するといい。箱根辺り随分危い事がある。(S25・4・17)

祀った墓石の処置

“昭和十四年、土掘作業中「享祿二年十一月吉日妙西禅尼」と書いた墓石が掘出されましたので、其処にお堂を建てお祭してありますが、作業中邪魔になりますが、処分致すには如何致したらよろしう御座居ますか。お伺ひ申し上げます。

“邪魔でない所へ移す。事情を言って断るのである。人の踏んだり近よったりせぬ所へ囲いをしてやる。 (S24・6・2)