042 霊祀篇 第二篇 霊祀法式

毎日の唱へ言

“日々仏壇へ参って、お唱へする言葉を御教へ下さい。

“幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座世でよい。念被観音力を三遍でもよい。御屏風を奉斎してある場合は、幽世大神守給へ幸倍賜へ、の方がピッタリしている。(S24・8・18)

仏壇への礼拝

“朝夕仏壇に向っては如何致しましたらよろしう御座いませうか。

“幽世大神といってもいい。「惟神霊幸倍座世」はやめた方がよい。

仏壇への御称名

“仏壇に善言讃詞奏上の場合、御神体には祝詞と善言讃詞を奏上致すべきでせうか。

“幽世大神のみでよい。仏壇は幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍座世を奏げればよい。ふだんは善言讃詞を奏げない方がよい。つまり観音様に奏上するのと同じ形式ではいけない。失礼になる。(S25・2・23)

仏壇への御神名

“仏壇に善言讃詞を称へる時、大光明如来守り給へ幸倍給へと御読みして差支へないのでせうか、右御伺ひ申し上げます。

“之は決っている。変れば又示す。  (S25・5・15)

御屏風へのお供へと拍手

“御屏風観音様をお迎へし御祀りさせて頂きます時、御屏風観音様へのお供物の仕方に付御教へを賜はり度くお願い申し上げます。又日常は祖霊様の御膳だけで宜しう御座いませうか。それとも御屏風観音様にも特別の御膳をお供へするのが本当で御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。尚御屏風観音様をお迎へ致しました時の御祭りの際は二拍手で御座いませうか。三拍手で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“上等の台一つに差上げればよい。場合により、観音様の方はなくともよい。観音様に御守護を願ふ意味であるから、御無礼にならぬ程度の形でする。それより上等のもの一つでいいから観音様に先にお上げして拝む方がよい。観音様の礼拝は三拍手。次に祖霊は二拍手である。(S25・4・22)

仏壇の礼拝

“大光明如来様の朝晩の礼拝をする時は、仏壇の方は礼拝の必要はないのでしょうか。若しも御参りするのがよいとすれば次の点を御教え下さい。

一、朝晩礼拝すべきでしょうか。

一、天津祝詞、善言讃詞、御讃歌等で何れを奏上すべきでしょうか。

一、鐘は鳴らした方がよいのですか。

一、拍手をした方がよいのでしょうか、しないのでしょうか。

一、御燈明や線香には点じた方がよいのですか、不必要ですか。 

“光明如来様を拝んだ後、仏壇へ向って手を軽く二つ叩く。拍手はしない方が本当だが、今神界に復元しつつある。幽世大神守給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍坐世でよい。光明如来様を拝んだ後朝晩拝む。命日等の時は善言讃詞だけ。御讃歌もよい。霊によいもの。鐘は食上げる時でいい。(S24・7・25)

祖霊への挨拶

“御仏壇に御屏風観音様を御祀りさせて戴いて居ります。朝夕御観音様の御礼拝並に祖霊様への御挨拶の仕方を御伺い申し上げます。

“仏壇へ祭った観音様へは、祝詞を奏げる要はない。光明如来様に礼式する。祖霊は拝む気持だけでよい。  (S24・2・4)

礼拝の改変

“今回御礼拝の方法が変りまして、善言讃詞だけで宜敷いそうで御座居ますが、仏壇に向っては拍手の代りに鐘を鳴らした方が宜敷いので御座居ましょうか。又、各分会、本部で月並祭の際、祭壇を設けて居りますが、今後御祭りの方法は如何様にさせて戴いたら宜敷う御座居ましょうか。御教えの程御願い申し上げます。

“元来礼拝に拍手の要はない。騒音にもなる事もあるから、反って無音の方がよい。拍手は嘘で、鐘を鳴らせばよい。之は食物を上げた時の合図である。祝詞の場合は鳴らす要はない。霊界でも仏界は薄くなるので仏の形式を嫌がる。お祭法式は変らぬ。神道形式をやめるだけである。仏壇は普通合掌だけである。仏の方なら安全な訳である。仏そのままの形式も合わぬ。新形式出す迄にもゆかぬ転換期である。まだ早い。地球の転換期故、すぐという訳にゆかぬ。今転換期で、古いものが滅び、新しいものが生れる時である。(S23・12・11)

仏壇への唱へ事に就て

“仏壇に向って善言讃詞を唱へさせて戴いた場合と御讃歌を唱へさせて戴いた場合とは祖霊の方へどの様に響くものでございませうか。

“同じ事である。祖霊により好きずきがある。言霊の働きは同じ事である。仏壇へは普段は幽世大神を唱へる。善言讃詞などお祭りの時だけでよい。  (S24・11・14)

仏壇礼拝の仕方

“御仏壇のお参りの場合、従来は朝は祝詞、晩は善言讃詞をお奏げ致して居りましたが、幽世の大神様にお願ひ申し上げるだけでも宜しいので御座いませうか。今一度御仏壇に対する正しいお参りの仕方につき御教へを賜はり度くお願い申し上げます。尚御讃歌を毎朝夕お奏げ致します事は如何なもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“幽世大神守給へ幸倍賜へ、惟神霊幸倍坐世と奏上す。仏壇へ御讃歌を奏げるのは結構である。善言讃詞を奏げてもよい。(S25・3・22)

仏前へ天津祝詞

“朝拝の時御仏前にも、天津祝詞を申し上げて宜しう御座いますか。そして善言讃詞をも上げるので御座いませうか。

“仏前には天津祝詞を奏げてはいけない。神道の方ではないから必要はない。善言讃詞は奏げてもいいがその要はない。御讃歌は非常に祖霊が喜ぶ。二、三首でよい。(S24・10・28)

祖霊への祝詞

“私の家では屏風観音様を頂き仏壇に御斎りして居ります。そして毎朝祝詞を奏上して居りますが、又毎月仏の命日には御坊様に御詣りしてもらって居ります。それは必要のない事で御座いませうか。御教へ下さい。

“光明如来様に毎日祝詞を奏上し、仏様へも毎日奏げるのは高下がつかぬ。祖先としてはよくする程苦しい。(S24・7・18)

墓前で善言讃詞

“祖先のお墓参りの時、墓前で善言讃詞をお上げして宜しいでせうか。

“結構である。非常に喜ぶ。仏界の念仏は意味なくなっている。(S24・7・9)

心こめた念仏

“仏壇に習慣的に空念仏を毎朝晩おまいりする人と、十日に一ぺんでも心を込めてする人とはどちらを御先祖はお喜びになるでしょうか。

“心をこめるような人は十日に一ぺんという事はない。

御真言

“御真言も称へては不可で御座いませうか。

“唱へぬ方がよい。善言讃詞だけでよい。之は梵語で仏滅になってるから霊は嫌ふ。(S24・7・29)

新教徒霊への善言讃詞

“キリスト新教徒にして講習を戴き、最期迄浄霊を受けて死亡致し、葬儀はキリスト教的に行ひました霊前にて善言讃詞を奉唱させて戴いてもよろしう御座いませうか。

“善言讃詞は世界的であるから、何宗でも構はぬ。(S24・8・9)

法事に祝詞

“お葬式や法事に今の祝詞、善言讃詞を奏げてもよろしう御座居ませうか。

“葬式等で善言讃詞は奏げる程いい。祝詞と両方奏げればなほいい。霊がとても喜ぶ。そして霊界で早くよくなるのである。結婚式も両方奏げる方がよい。

彼岸等の善言讃詞

“お盆、彼岸及命日に御仏前に善言讃詞を奉唱させていただいてよろしうございませうか。

“斯ういふ時にはよい。(S24・7・9)

命日に唱へる事

“祖霊様の命日の時、お位牌に向って何かお唱へ致す言葉が御座いませうか。

“善言讃詞を奏げればよい。お唱への言葉になる。

祖霊への挨拶

“朝祖霊様に「御先祖様から皆様に御分ち下さいませ」と言葉に出して供物を上げる様と承って居りますが、同時に御挨拶にて、どの様な意味の事を申すのがよいでせうか。 

“特殊の場合はお願ひしてもよい。して悪い事はない。光明如来様にお願ひするのは結構である。先祖に関係した事をお願ひするとよい。重要な事のみお願ひする。一年に一度か二度でよい。

仏壇への願言

“仏壇に向っての朝礼の際「今日も自分がやらせて戴く人の救ひに対し霊界にある各霊位の御援助を御願ひ致します」と言ふ様な事は霊界に通じますものでございませうか。

“通じるが黙っていても一生懸命でやる。(S24・10・24)

祖霊への拍手

“御先祖様を礼拝いたします時も三拍手でございませうか。

“三拍手は火水土を表はしている。祖霊は体がなく、即ち土がないから二拍手である。(S23・11・12)

幽世大神への礼拝と拍手

“仏壇に御詣りする時、善言讃詞の後に「幽世の大神守り給へ幸倍給へ、惟神霊幸倍坐世」と奏げさせて頂き二拍手しましても、宜敷う御座居ませうか、御伺ひ申し上げます。

“拍手はしない。合掌礼拝する。(S23・12・21)

仏前の鐘と拍手

“御仏前の鐘は鳴らすと鳴らさぬのと何れが正しいのでございませうか。

“鐘は霊界への合図であるから鳴らすべきである。霊界の事はすべて二つである。祖霊の場合二拍手で音をさせない。  (S24・6・19)

叩鐘(仏壇)

“仏壇におまいり致します時、鐘をならし念仏を唱える事は今後致しません方が宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。

“祖霊への合図であるから、鐘は鳴らさなくてはいけない。(S24・7・3)

灯明と線香

“御仏壇にお参りする際に、御灯明とお線香をあげるのが本当でせうか。

“灯明は上げた方がよい。仏界は暗いからである。

線香

“御線香は大神様へ(イブシ)の意味と伺って居りますが如何でせうか。

“全然上げなくてよい。上げぬ方がよい。仏であるから、メシヤとなった以上、絶対上げぬ方がよい。  (S25・2・23)

墓参せぬ場合

“私の母は三十年前父と別れ他家に再婚後死亡致しました。爾後同家とは交際なく然も遠距離の為、墓参も出来ませんが如何致しましたら母の霊は救われましょうか。御伺い致します。

“墓参せずとも、自分の仏様へ戒名を作り祝詞を奏げてやる。(S25・1・16)

旅先での祖霊拝

“三十二才の男、二才より両耳病にて苦しみ二十二年お守を受け、光明如来様をお祭り致し、毎日光明如来様及び御先祖様に祝詞をお奏げしてましたが、耳より非常に膿の出が良く聴えも良くなって来ましたが、此度四月より開拓に出て開拓地より先祖様をお祭りして居ますが、例祭の日の外殆ど膿が出ず、聴えも非常に悪いのですが、如何なる原因ですか。

“位牌がなくては、先祖は来れぬ。出たらめな行り方だから、よした方がよい。事情で出来ぬなら、命日には祭ってある方角へ向って遙拝すればよい。

お下りを仏前に供ふ

“近所の方から仏様のお下りですから召上って下さいと果物や菓子を頂戴した場合、これを再び仏前に供へることはいけないでせうか。

“いけない。霊が抜けているから怒る。先祖を侮辱している。お初物を上げるべきだ。(S24・8・19)

御神餅を仏壇へ供う

“教導所と自宅と別々の場合、大光明如来様にお供えした果物や御花等を自宅の仏壇にお供えする事は如何でしょうか。又、その場合御屏風観音様をお祀りしてない時には如何でしょうか。

“そんなしみったれな事をしなくともよい。別々にすべきものである。(S24・8・23)

御供えをお供えする事

“御神体にお供えした珍らしい果物やお菓子等を再び仏壇にお供えしてはいけないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“いけない。食物は御用を足したのであるから、祖先に対しても悪い。吝嗇になる。(S24・11・21)

仏壇お供えの種類

“仏壇に対するお供物の種類に就きまして、生前の好物で御座いますならば何をお供え致しましても宜しゅう御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“何でもという訳じゃいけない。普通皆が食べるものならよい。(S25・5・11)

浄霊と慰霊

“御浄霊と慰霊について御伺い申上げます。

“慰霊は供養、浄霊は浄める。聖者の洗礼と同じ事である。光の放射により浄めるのである。

慰霊の道

“私の実父は一昨年六月十四日夕刻、品川沖に魚釣りに出掛け、六十四才で舟の中で死亡致しました。当時の医師の診断では心臓麻痺と言う事でしたが私は本教に入信以来追々霊界の父の事が気になります。霊を慰めるには如何にしたらよいでしょうか。御教示願います。

“一人でも多くの人を助けるのが一番功徳になる。(目蓮尊者の例)霊を慰めるには、霊の事を忘れて他人を救い、徳を積む事で、自分以外の他人を救う事が大事である。  (S24・5・4)

丁寧すぎる祀り

“或る地方ではお盆の時に普通位牌を全部仏壇の外へ出し、棚を造って御祭りする習慣になって居りますが、それでよろしうございませうか。又その場合仏壇へお祭りしてあります御屏風観音様は、そのままでよろしうございませうか。御伺ひ申し上げます。 

“丁寧にやった訳で悪い事ではないが、それ程にしなくともよい。却って祖先はいい気持はしない。あまり形式に捉はれすぎている。祖先は金かけてするのは寧ろ喜ばぬ。それよりは心からの誠を喜ぶ。(S24・8・12)

供物・霊食へぬ場合俗名で祀る事

“霊界へ行けば霊界の名でなくてはいけない。仏壇へ単に水を上げて、飲んでもらひたいといふ誠意とか、鐘を叩くとか、食べてもらひたいとか言はなくては、霊は食ふ事が出来ない。又、死んだお父さんとかお母さんとのみ言って上げると、外の霊は食へない。凡ゆる順序が違ふと、話をすると争ふ。(S23・7・21)

自宅か寺かの法要

“法要年忌等する場合、自宅でするのがよいでしょうか。又お寺でいとなむのがよいでしょうか。御念仏を唱えるのに矛盾を感じるという信徒に適切な導き方を御教え下さい。

“(どちらでもよい)法要せんとの心が通ずる。経済的に許すならお寺がよい。(その人の誠である。霊の住宅は寺だから、寺の方がよい)個人が住む所――。 念仏は嫌ふ。仏界はなくなっている。  (S24・6・23)

命日

“先祖とか仏様は、何時の日かいろいろ方式があるから、出鱈目ではいけない。(S23・6・27)

公報と霊媒による命日の相違

“主人の命日は公報によるものと霊媒を通じて自ら申しましたものと違ひますが、どちらを本当と致すべきで御座居ませうか。場所は一致しております。

“公報で間違った場合と霊媒で間違った場合とあるが、後者が多く当っている。(S24・6・3)

命日陽暦に変更の場合

“仏の命日が旧暦になっている場合、太陽暦に変えますにはどの様に致したら宜しいでしょうか。又、御祀りさせて頂くには如何致したらよろしいでございましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“身魂に断わればよい。(S24・7・3)

命日以外の祀り

“先祖のお祭りをして居ない人が新に位牌を作ってお祭りをする場合には、命日以外の日にても差支へないで御座居ませうか。又新規に仏壇を作る場合も同じで御座居ませうか。

“お彼岸などがいい。  (S24・6・3)

旧暦の命日を変更

“最近迄の死亡者は其の死亡年月日が旧暦になって居りますが、之を新暦にて法要致したいと思ひますが如何したらよろしいでせうか。

“新暦でよい。旧暦はすでになくなっている。月の暦である。(S24・7・19)

三回忌七回忌等の必要

“三回忌、七回忌等の供養はした方がよいか。

“大いにした方がよい。偉い人になると、千回忌、千五百回忌等の供養をする。こういう霊は生れ更って来ているのがよくあるが、霊に供養すると、その光が生れ更った人に来る。よく世間で、原因が分らず出世する人は運が良かったというが、之等は右の様に供養によって霊が向上するのである。供養は仏式、神道どちらでもよい。唯供養する人の誠心一つである。生臭坊主にお経奏げてもらっても、真心あれば構わぬ。丁度どんな古い財布でも中味の金の値打は変りないのと同じ理屈である。以前私が霊を研究していた頃、霊に聞いたが、お経を奏げてもらっても有難くないとの話であった。それよりも祝詞を奏げてもらった方がどれだけ有難いか知れない。朝は祝詞、夜は善言讃詞を奏げるのである。敗戦により吾国の神道、仏法などもすべてキリスト教に切換えられるようになる。キリスト教大学なども目下設立している。キリスト教を布教すれば戦争の憂がない。我国の神道は戦争に利用するから始末がわるい。仏教などは惰力で行っている程度である。   (S23・11・2)

年忌年祭の期間

“年忌、年祭は何年まで勤めたらよいでせうか。

“何年でも構はぬ、五百年、千年祭でもいい。大抵生れ替るが、霊界の霊で生れ替ると生きてる人にいい事があり、幾度生れても連続して必ず本人の所へ行く。人間でも急に思ひがけぬ吉(ヨ)い事のある事があるが、それも右の関係なきにしもあらずである。(S24・4・22)

回忌数の限度

“法事に寺の坊さんを頼む時は、通常何回忌まで頼むのが宜しいでせうか。右御教示御願ひ申し上げます。

“出来るだけ長い間やる方がよい。古い仏ほどよいのである。中には現に霊界から生れ代っている場合もあるが、それでも供養をすれば、生きてる人は何分か倖せになる。故に何百回でも判っている限り供養した方がよい。古くて年代も何も判らぬのでも、まとめて供養して宜しい。之等は坊さんを頼まなくともよろしい。大体普通は十七回忌位でよい。 (S23)

年忌法要自家でなす事

“私の家の宗旨は仏立講でございました。処が私始め家族一同入信させて頂きましてからはお坊さんが頼んでも来て呉れませず、従って私も頼みたくありませんので、以後は先祖の年忌法要等寺の厄介になりませず、私が善言讃詞並に御讃歌を上げさせて頂いて居ります。墓所は多摩墓地でございますからお詣り出来ます。此の様に致して居りまして、宜しう御座いませうか。

“結構である。(S24・12・8)

年忌の際のお経

“先祖の年忌を行ひたい時、本教の信徒の家では家族の者が善言讃詞を御上げし、お坊さんのお経を上げて頂く必要は御座居ませんでせうか。御伺ひ申し上げます。

“本当は、善言讃詞だけでいいが――。(S24・7・18)

再生祖霊の礼拝

“祖霊の中に早く再生した霊のある場合、留守の祖霊を拝む事になりませうか。御伺ひ申し上げます。

“拝む想念は、その霊が霊界にいた時の霊界の所へ行き、そして生れ変った方へ行く。すると生きてる人が、それだけ恵まれるとか、運がいいとかいふ事になる。

蔭膳

“家族の中一人でも旅に出ますと、家でよく蔭膳を供えますが、霊的に如何なる意味が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“本人に通ずるから、霊的に大変いい。例えば旅に出て、食に困る時も腹の減り方が少いような事がある。(S25・2・21)

彼岸供養

“彼岸の仏様のお祭りは従来通りに行ってよろしう御座居ますか。

“従来通りでよい。

彼岸とお盆

“お彼岸やお盆は霊的に如何なる意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“今度の雑誌に出る。  (S24・1・21)

お盆の意味

“盂蘭盆と釈迦は言った。盆には、地獄の釜の蓋があくといふ。餓鬼霊など、どの位来るかしれない。(S23・8・16)

お盆の行事すべきや

“お盆の時の仏壇のお飾り付けは今迄の様に牛馬やまこも、茄子に蓮の葉、みそはぎ等お供へするのでございませうか。

“任意でよろしい。やった方が可いであらう。祖霊の中には、待遇を喜ぶ。(S24・7・9)

二回盆の祀り

“お盆に真菰でゴザを作り、御先祖様をお迎へする習慣の意味。尚本年は閏年でお盆(旧七月)が二回ありますが、地獄の霊は二回ともお越しになれるものでせうか。

“盆の行事はいろいろある。皆意味はあるが一々説明の要はない。盆が二回あれば、最初の一回でよい。

盆の墓詣り、神霊の速さ

“盂蘭盆の祖霊は七月十三日夜、墓場へ御詣りして御迎えし、十五日夜墓場へ御送り申すのが礼儀順序だと聞いて居りますが、祖霊はそれ迄に霊界より墓場へ来り少憩して居られるのでせうか。又祖霊は何れも神通力を保持し居らるる事故、若しも不敬の家庭にて、御送迎を失念、欠礼等した場合は送迎の礼儀をとらなくとも差支ないものでせうか。又御盆の時に祖霊に対する子孫の心構へ及御送迎の礼儀順序等を御教示下さい。

“直接家へ来るのだから墓詣りは必要はない。神通力はないが肉体がないから早い。東京岐阜三分、大阪まで五分位で行ける。高級になる程早く、観音様は瞬間で奇蹟神は代理神が行ふて救ふ。祖霊は誠を以て祀るを喜ぶ。供物もその気持がないと食はぬ。順序は常識で考へれば分る。(S24・8・16)

お盆の墓詣り、拝殿での踊り

“お盆には精霊を自宅へ御迎へする様に思って居ますが、お墓へ提灯、香華等を持ってお参りしますが、霊界から現界へ精霊が出て来られるのなれば自宅でもお墓でも喜ばれると思いますが、自宅へ来られるのなればお墓は留守の様に思います。お墓参りの意義を御教へ下さい。又盆おどりを村の氏神様の拝殿で踊る村がありますが、神仏同体と言ふ意味でせうか。盆おどりと祖霊との関係も御教へ下さいませ。

“地方によると斯ういふ所がある。お墓詣りは御丁寧な訳だが、そんな必要はない。それまでしなくともよいと祖霊は思っているであらう。神社の拝殿で踊るのは差支えない。ただ神の格による。祭神の資格が上の神様では拝殿では具合がわるい。(S24・8・25)

お盆の送迎へと墓参

“土地の風習にもある事と存じますが、お盆に先祖を御迎へ申す時、お墓にお詣りをして御寺から御迎へ致し、御送りする時は、海又は河へ御供物と共に御送り致します。御迎へはお寺から御送りは海へと、異った方向へ御送りしますが、之は単なる習慣で御座いますか。判らぬ儘に今迄続けて参りましたが、何か深い訳でも御ありでせうか。御伺ひ致します。

“之は習慣で、御丁寧にやったものであるから悪い事はないが、本当は家だけでよい。玄関まで送るのを、遠方の門まで送る訳で、祖霊は丁寧すぎるよりは普通を喜ぶ。(S24・8・18)

祖霊の送迎(霊の速さ)

“そんな要はない。直接家庭の方へ来られる霊は移動も早く、判りも早い。霊は軽い重いがあるが、大阪から岐阜位三分かかり、東京まで五分位かかるという。観音様など一秒の何千分の一か判らぬ。瞬間である。送迎は失念してはいけない。誠を以て迎えるのを喜ぶ。(S23)

新盆と旧盆 

“左に就て御教示下さい。新盆(七月)の場合と旧盆(八月)の場合と霊界に於ける待遇は違ひありませんか。仮に子孫が旧盆の処を新盆にしたりする様な事は如何なものでせうか。

“霊界の事は凡て早くするのは構はぬ。従而、新盆を旧盆にするのはいけない。法要なども早く変更するのはいい。(S24・8・18)

日の違ふお盆

“地方によりお盆の日が違ひますが、霊界では日が決って居るので御座いませうか。同じ霊を違った日で御祀りする場合、霊界からその都度出て来られるもので御座居ませうか。一番正しい日は何日で御座居ませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“その土地の習慣のままでいい、生きている時の記憶があって、お盆と思っている。霊界では、伝統や習慣のままにしてくれる。(S24・7・1)

月後盆

“御盆の御祭りに、新、旧、月遅れ等の別がありますのは何故でしょうか。

“月遅れは田舎、都会ではない。便宜上にしたのであろう。(S24・8・23)

旧盆の可否

“盂蘭盆を十月又は一ケ月延して行ふ村が御ざいますが如何でございましょうか。

“昔旧暦だったから、新暦と旧暦の間なら差支えない。  (S24・7・9)

本教の供養式

“私の夫は輸送船の船員でありましたが、昭和十八年十一月下旬、青島に行く途中、潜水艦にて撃沈されたらしく、今以て音信がありません。若し死んでいるなら、今年は七年忌ですので供養したいと存じますが、この御道での供養は如何様に致したら宜しいでございましょうか。

“坊さんにやってもらえばよい。冠婚葬祭も何れは本教でもやる。それ迄――。(S24・11・13)

水供養

“染色業を営む信徒、毎日多量に水を使用します故水供養をしたら如何でせうか。又水供養の方法。

“川の水など何にもする要はない。生野菜など上げ、祝詞をあげ、龍神にお礼するだけでよい。

変死地縛霊の供養

“変死人の供養の方法を御教え下さい。

“普通と同じようで、別に変った事は要らぬ。供養といっても、世間体やお義理等のみでやる、想念で大変違う。変死人などの罪の深い人間は早く助けたいとして充分にしてやるという気持でやると、霊に大きくそれが響く。地縛は約三十年となっている。供養をすると非常に早く、五年ですむのを半分位で出る。私などその場所へ行くとすぐに救われる。その場所へ行って、祝詞を三遍も奏げてやると大抵救われる。五、六回やってやると殆ど助かる。

溺死者の供養個所

“地縛の霊を供養致します場合、溺死者の時は投身した場合、又は死体の浮んでいた場所の孰れにて祝詞をあげるべきで御座いませうか。

“浮んでる所に霊は近い。判明せぬ場合は推定でいい。供養の気持が通ずる。(S24・8・1)

間引盛んな土地の救と祀り方

“昔盛んに間引が行われました土地を救うにはどの様な方法を取ればよいのでしょうか。又、其の霊の祀り方は如何にしたらよろしいでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“一人々々名がついていないので判らぬから無縁の霊であるから「三界万霊」でいい。土地の―万霊の霊というような位牌をつくり、仏様の一番裾の所へ安置する。毎朝食物を上げる、それでよい。(無論祀ってやろうという気持がなくてはいけない)(S23・10・18)

戦死霊の帰還と祀り

“戦死者の霊は御祀りしないと帰えれないものでしょうか。

“お祭りしなくてはいけない。お祭りすれば早く帰れるようになる。丁度帰還兵が、家がないと困るようなものである。霊も祭るという事は、居所を作るような訳である。お祭りすると、その想念が霊界でアッツ島へ通ずるから、早く帰れる訳である。(S24・4・2)

外地死亡者の祀り

“外地在住中、死亡せし者の墓の祀は如何にすればよいでせうか。お伺ひ申し上げます。又移動してもよいでせうか。御教示下さい。

“祭り方は普通の祀り方でいい。墓は理由さへあれば移動してもよい。(S24・8・25)

戒名等不詳霊の祀り

“三代前の祖先の生前の名前も戒名もわからなくて、今迄に一度の回向供養の行はれてない霊をお救ひしますには如何様にお呼びして宜敷いでせうか。又、良き供養の方法を御教へ下さい。

“生前の名が判った方がよい。  (S24・1・6)

生死不明者の祀りと再生

“私の主人七年前満洲に出征し、終戦後今日迄生死不明になっています。大方戦死しているかと想像しています。この場合死亡せるものと思って霊を弔ふ方がよろしいでせうか。如何でせうか。御伺ひ申し上げます。

“弔ふ方がよい。生れ代っていても、その人の法事をすると、生きてる人にゆく。(S24・12・25)

生死不明者の祀り

“生死不明の人は如何御祀り致しましたら宜敷う御座居ましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“坊主に戒名をつけてもらい祀る。生きていてもいくらか効果がある。(S24・2・21)

神道の祀り方(祖霊)

“仏教にては「何々家先祖代々之霊位」という位牌を作って祖霊様を御祀りいたして居りますが、神道の形式にてはどの様にして御祀りしたらよろしゅう御座いますか。

“神道にもいろいろある。いくらかずつ違っている。天理、金光など、霊の生前の信仰で祀る。でないのは仏で祭る。神道では祖霊神でいい。「先祖代々身魂の神」御霊の神。(S24・5・11)

天理教のお厨子

“亡くなった祖母と父が天理教の信仰を致しておりましたが、十年前に一家上京の折、父の妹が信仰いたしておりますので、おづしをあづけてそのままになって居りますが、かう言ふ神様は如何致したらよろしうございませうか。

“之も同様の処置でよい。  (S25・5・6)

霊名を幣束にかく事

“神道信者が先祖を祀るのに幣束を切って先祖の名前をかいてありますのと、木にかいてあるのとありますがどちらが正しい祀り方でせうか。尚その異る意味をお教を願ひ申し上げます。

“木にかくのが本当である。幣束にかくべきものでない。之はお浄めに使うもので「ヌサ」の事で太く切ったものである。之は細いもので、これを略したのが幣束で神道仏教共木へかくのが本当である。

朱塗りと白木

“神社の社殿に朱塗りのが御座いますが、特殊の謂れが御座いましょうか。

“檜でも差支えない。新しいのが朱塗りで、白木は古い形式である。(S23・9・11)

戒名と霊格

“戒名に格が御座居ますが、霊界に於て霊に関係が御座居ますのでせうか。

“一時的にはあるが、だんだん霊的資格になる。肉体的、外部的のものははがれ霊自体の想念になる。霊界に行った時は、現界にいた通りだが、罪穢と想念により段々装い変ってくる。(S24・2・4)

先祖供養の諸事項(位牌と墓地)

“先祖供養等に就て――。

一、位牌の順序正しい並べ方を御垂示下さい。又右の順序中、目下の者が先に死亡して居る場合どちらが上位でせうか。多数の位牌を止むを得ず同段に並べる場合は如何にすべきでせうか。

二、先祖の位牌の誌し方に「何々家先祖代々之霊」或は「何々家先祖累代之霊」と書いてありますがどちらが正しいでせうか。

三、私の地方では先祖代々の位牌として位牌堂を用ひますが差支へないでせうか。差支へないものとしましたら其の順序は如何にしたら宜しいでせうか。

四、位牌の塗色、型状は如何なるものが正しいのでせうか。

五、時により一般に大小まちまちの位牌が出来て安置してありますが、其れは差支へないでせうか。 

六、二ケ所の墓地を一ケ所の墓地にまとめる事の可否を御垂示下さい。又、世間よく多数の墓を一つの墓にまとめる場合、又は墓を移す場合は小量の墓土を持って来ると申しますが、其の場合、骨は其のままにして置いて差支へないものでせうか。

“一、二、先祖代々を真中に、後面識のある霊は一人一人戒名刻み一緒でよい。父は左、母は右、事情により並べられぬのは致方ない。次に祖父母、後は兄弟、従兄弟と常識的にすればよい。一杯になったら古いものから整理し、先祖代々とか累代にする。どちらでもよい。

三、四、位牌堂は仏壇の中に祀ってあってもよい。ただお屏風を祀ってあればよい。昔からある通りでよい。金字に黒は極上等、位牌の大中小は順序だけ正しければ作った方がよい。

六、止むを得ぬ事情あればよい。祖霊にお願ひする。極古いものはいいが新しいのは置いた方がよい。霊界は几帳面で、霊はよく気にするものである。

お屏風と位牌の位置

“仏壇に御屏風観音様をお祭りした時、位牌や写真をどの位置にお祭りすれば良いでせうか。仏壇の中が一段しかない時は如何にすれば良いでせうか。お教示願ひます。

“二段にする。屏風観音様と祖霊とは格が違ふ。祖霊は一段下にすべきである。

位牌の順序と祀り方

“順序は、先祖代々が真中、後面識のあるものの霊だけは戒名を刻んでよい。父母を先祖代々の上位にする。一つの位牌へ二人つけてよい。成可二人並べた方がよい。その功績と業によって上位を定めてよい。常識的に考えてよい。子供など下の段でよい。並べ切れねば、古いのをやめ先祖代々と一緒にしてよい。目下の者などは下の端の方でよい。先祖累代でも代々でも、どっちでもよい。位牌堂は仏壇の中で差支えない。色などは、仏具屋で作る通りでいい。変った事してはいけない。昔の通りする。(S23)

位牌の順序

“或宗旨にて一つの大きな位牌の真中に先祖代々之霊位とし、その左右に多くの人の戒名をかき入れております。今度新しく位牌を作るのにどの様に致したら宜敷いでしょうか。

“これでよい。世間如何なる宗旨でもそういう事になっている。真中の先祖代々が大きすぎる。世間一般の大きさでよい。その家の系統のものを重んじて順序正しく祀る。他人は一番隅へ祀る。大きさも順序に応じて変える。すべて常識で判断する。

位牌の位置

“私の家では仏壇に左図の様に位牌が飾られて居りますが、「先祖代々霊位」の位牌を新たに作らないでよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。先祖代々  (御屏風)……信士“先祖代々で結構である。屏風観音様より下でいい。(S24・5・17)

位牌の順序(四つ以上の場合)

“位牌が「先祖代々之霊位」以外に四つ以上あります場合の御祀りの位置は、左図の様に中心から外側へ向って右、左、右、左とお祀り致しまして宜敷う御座いましょうか。御位牌の正しい祀り方を御教え御願い申し上げます。

“これでよし。向かって右が上位である。(S23・11・11)

仏祀の順序

“分家をした或る信者ですが、お仏壇を求め御先祖をお祭りいたしたいと思いますが、仏具屋でお位牌に何々家先祖代々と書いて貰えば宜敷いでしょうか。御祭りの順序を御伺い致します。

“同じ形式でよい。(S24・6・5)

先祖代々と里方先祖の合祀(大きさ)

“同一の位牌に主人の先祖代々の霊位と、妻の里方の先祖代々の霊位と書いてお祭りしても差しつかえないものでしょうか。又、嫁にいった場合、その実家の先祖を祭らなくてもよいのでしょうか。

“位置と大きさが区別してあればよい。先祖代々の位牌を大きくし、真中へ。妻君の里方の方は向って右へ小さく祀る。(S23・10・13)

実家、母方、婚家位牌の順序 

“私は森田家へ嫁ぎ、四年前に主人と死別しましたので、実家(八木家)に森田家の仏壇も共に移りました。又私の死んだ母は元菊地家を名乗りましたが、後八木家に後妻に参りました。現在八木、森田、菊地家共後をみる人がありませんので、従って八木家の仏壇には三家の位牌がありますがどの様な順序に御祭りしたら宜敷いでせうか。又先祖代々の位牌は各家別に造るのがよいのでせうか。併せて御教示下さい。

“八木、森田、菊地の順序である。位牌は別々にする。(S24・7・5)

肉親位牌の順(兄弟と妻の実家)

“祖父母と父母とは、祖父母の方が上座に(従って中央に近く)なるべきだと存じますが如何でしょうか、自分の兄弟姉妹と自分の子供の位牌とは何れを上にすべきでしょうか、例えば左図の如くで宜しいでしょうか。(向っての図)――父母――妻の実家の先祖代々―――先祖代々――祖父母――兄弟“勿論そうである。兄とか姉は上に、弟妹は自分の子より下でよい。図の通りではちがう。真中が先祖代々、その向って右祖父母、向かって左父母、右端兄弟、左端は妻の実家の先祖代々とかでよい。これは家とは、血筋が違うから一番下でよい。

兄弟祀りの順序

“左記五名の位牌を一つの位牌にまとめたいと存じます。配列の順序を御教示御願い申し上げます。長女、次男、三女、四男、六男 尚、この外に長男と次女は既に三十年を経過して居ります。

“此順序でよろしい。

  真中3

(S24・1・29)

年長の弟と兄の位牌順序

“兄が幼児に死に、弟が成人してから死んだ場合でも、兄の位牌を上座に致すべきでしょうか。

“たとえ赤ン坊で死んだ者でも、弟より兄、妹より姉を上座にするのが本当である。

姉妹妻の場合

“妹が死亡して姉が後妻にまいりまして、両名とも死亡した時の霊位の順序は如何にすればよろしいでせうか。 

“実家で祀る場合は姉が主になるが、婚家で祀る時は、妹が主になる。(S24・11・9)

兄弟姉妹の合祀

“御位牌を作る際、夫婦や兄弟、姉妹の際は一枚に致してもよろしい由で御座いますが、兄弟姉妹の場合三人以上でも一枚にしてよろしきもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“仲のいい方に一緒にする方が本当である。でなければ、兄より順にしたらよい。(S24・4・21)

面識霊併祭の順序に就て

“仏壇の御祭りの順序。向って右を父、左を母と致しますと、父が下座の様に思はれます。又子供の場合も兄を中央弟を右に妹を左にすると弟が上座になる様に思われますが御垂示を御願ひ申し上げます。

“これでよい。(S24・12・8)

地先祖霊位の位置

“三十八才の男、御浄霊を致しましたら其の方の本家の祖霊が立ちましたので、此の度本家と共に供養をさせて戴くのですが、本家には祖先と外に家敷を買ひ取りたる時の地先祖がありますので、其の霊位は如何に祀るべきでせうか。又地先祖の霊位と当主の霊位と本家の霊位との位置を御伺ひ申し上げます。

“地先祖は下の方へ祀ればよい。当家の霊はその下、本家の霊は真中。(S24・2・22)

霊位の意味

“先祖代々の位牌には霊位と記入する様御教えを戴いておりますが、霊位とは如何なる意味で御座いましょうか。又個人の位牌にも霊位を入れた方がよいもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊位は個人の位牌には入れぬ方がよい。霊位とは崇めた意味になる。神道の○○の命というのと同じである。大した意味はない。(S24・8・11)

先祖霊位の正しい書方

“御仏壇のお位牌で何々家先祖代々とか代々霊、代々之霊位、代々之霊、代々之精霊と言う様に、色々見受けますが、何れが一番正しいのでしょうか。

“普通は代々の霊位とする。それで適当と思う。理屈からいうと、代々の精霊が本当だが。

位牌等に官職をかく事

“御位牌の裏に戦死した人の官職を書いて居りますが、いけないので御座いましょうか。又、墓石にも官職を彫って居りますが、如何で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“良い悪いではない。何にもならぬ。霊界へ行けば全然なくなる。此世の官職が偉くとも霊界ではズーッと落――。(S24・3・11)

位牌の文字と地(金字)

“位牌は黒地に金文字で戒名を書くのが正しいのですか。或は金色の地へ青色で書くのが宜しいので御座いますか。お伺ひ致します。

“金地金花といって、仏像でも経文でも金でかく。位牌もそれからとったので、金字が本当だらう。(S24・10・3)

位牌の地と文字(赤文字・白文字)

“御位牌の中に金地に黒文字を書いたものと、赤文字、白文字を書いたものが御座いますが、正式のものは黒地に金文字が本当で御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“黒地に金文字、金地に黒文字、どちらでもよい。赤文字、白文字も悪い事はないが、右が本当である。(S25・4・22)

位牌の記名

“仏壇の位牌は、戒名と俗名とどちらがよろしいでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“無論戒名である。霊界の名である。(S24・1・18)

位牌に数霊記入の可否

“左記の事に就て御伺ひ申し上げます。私達の位牌の建方は亡父母二名にて一枚、亡弟二名にて一枚、又其の後亡くなった子供たち二名にて一枚、亡弟夫婦(分家した)とその子供で一枚、以上四枚の位牌をつくりたいと思ひますが、或は各々一名づついたした方がよろしう御座いますか、御教示願ひ上げます。

“一枚でよろしい。此位はよろしい。(S25・5・7)

連記の位牌

“祖父、祖母(二名)更に祖母一名都合計三名の連記の位牌がありますが差支へ御座いませんでせうか。銘々にすべきでせうか。

“銘々でなくてよい。

改姓の位牌

“以前「安保」という姓を名乗っていました家が三代前から「豊田」の姓に変え、その後死亡した者は各々位牌をお祀りしてあるそうで御座いますが、先祖代々の位牌は「安保」の姓にすべきか「豊田」の姓にすべきで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“両家の名をかく位牌でよい。  (S24・3・1)

位牌と墓標の軽重

“祖霊を供養する場合、墓標と位牌の何れを重視すべきで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“位牌の方が上である。位牌は家の中で、祖霊は毎日来られる。墓は家の外で、お詣りの時だけ来る。(S23・11・11)

位牌の持歩き

“私は昭和十九年九月入信させて戴き今では日々感謝の日を送らせて戴いて居ります。入信後十一才と五才の男子を死亡させ、主人は戦死し、只今は私と十三才の男子二人の家庭ですが御用の為諸所に住居を移しますので、或る誠有る信徒の家に子供を預け、仏様もその家で御祭りを御願ひ致し、月に一度位、御参拝に帰って居りますが、御位牌を私の行く先々へ持って参り御祭りした方が宜敷いでせうか。御教示下さい。

“位牌を持ち歩くのは絶対いけない。仏は反って喜ぶ故心配はない。(S24・7・6)

割れた位牌、行方不明者の祀り

“私宅の仏壇の位牌に就て御伺ひ致します。

一、位牌の割れたのがありますが、自分で書きかへて納めてよいでせうか。

二、位牌の中に四人分「行方不明」として「今月今日」祭るとしてありますが年代不明です。如何致しましたらよろしいでせうか。寺は火災で過去帳は焼失しました。

三、他の位牌の上に紙を巻いて別の命(*)号が書いてありますが、自分で別の板に書きかへてよろしいでせうか。

“仏師屋へ頼めばいい。行方不明の人は仕様がない。先祖代々の位牌へ入れればよい。早く祀った方がよい。(S24・11・15)

廃位牌の処置

“位牌を新に作りかへた場合、そのまま祀って宜しいでせうか。その場合、前の位牌はどの様に致すべきでせうか。

“前のはやいてよい。(S24・12・3)

位牌祀り切れぬ時

“一、病体の信者に対し、遠縁の無縁者の死霊が憑かる事がありますが、之等を祭る事になりますと、お位牌の数が増へ大変複雑となる場合が御座居ますが、此の場合如何致しましたら宜敷いので御座居ませうか。

二、家庭の複雑している場合、御祭りしきれない程御位牌の数が多くなる事が御座居ますが、此の場合どの位の処で止めて宜敷いもので御座居ませうか。

“位牌は一つでよい。他人の霊は合同的に祀ればよい。「諸霊」或は「無縁の霊」と書いて祀ってよい。是非祀らねばならぬ霊は名を書いて祀る。「三界万霊」とよく書くが、個人としては諸霊でよい。遠縁や無縁の霊はじきに除れる。先に墓詣に行くと病気になる人があった。こっちの魂が信仰したり徳を積んでると、いくらか光る。すると墓所等の暗黒の所へ行くと光を頼って憑る。斯ういふのは浄霊するとすぐに出る。先に八戸へ寝た時、馬が沢山来る夢をみた。後で聞くと馬の産地と判ったが、之は馬が救はれたくて来たのである。

位牌整理

“私の家は分家にて当主で三代目、位牌の数が多く大部分は繰り出しにてお祀りしてありました。御言葉によりますと、面識ある先祖は銘々お祀りする方がよいと承りましたが、家は仏壇が小さく、一々お祀りが出来ません。如何致しましたら宜敷う御座いますか。 

“仏壇を大きくすればよい。でなければ整理する。先祖代々へ繰込むのである。(S24・11・27)

藩命で神式とし没落す 

“十月六日に御伺い申し上げました狐に災いされた者で御座居ますが、御教示の如く調べて見ましたが、私共では稲荷の札以外何も祀った事は御座居ません。然しながら次の様な事がありました。廃藩置県の際、藩主の命により、仏に関する物は位牌に至るまで一切取壊し、以来祖先の祀りは神道で禰宜さんに祀ってもらう程度で御座居ました。私の本家は昔庄屋で御座居ましたが、最近は一族全部が没落し、どの家も主人が死んで行く有様で御座居ます。又、旧藩主家も殆ど断絶の有様と聞いて居ります。之も何かわけがあるので御座居ますか、御伺い申し上げます。

“位牌取壊しの為祖先が怒ったのである。そんな事すると霊界で祖先が苦しむ。それで祖先が病気にしたり殺したりするのであるから、早速仏様を造る。今にキリスト教も祖先を祀る事となる  (S24・11・6)

位牌と病人関係

“私の関係の信徒で林はなと言う人の仏様は変って居ります。即ち祖先の位牌中、全然別人の法名が表裏に書かれてあります。現在二十二才の娘が六年前より結核にて療養中で、昨年八月二十五日入信したのですが、呼吸が苦しくてなりません。前記の位牌と何か関係ありましょうか、又今後如何にしたらよいでしょうか。

“病気に関係がありそうだ。裏表別にしなくてはいけない。直ちに正常の形に戻すべきである。(S24・8・8)

戒名とキリスト教

“仏教で言ふ戒名とは何ういふものでせうか。キリスト教信者に於ては戒名と言ふものはありませんやうですが、それは現世に於て洗霊を受けるからでせうか。戒名の有無は霊界ではどう違ふのでせうか。

“仏界の名である。死ぬ事を往生といい、霊界へ生れると現界で生活する上に必要の名は要らなくなる。そして霊界の名が出来る。之が戒名である。キリスト教は緯の教であるから全然違ふ。仏教は経であるから霊界を重要視する。日本でもキリスト教の霊界はある。日本の霊界は違ふ。キリスト教で死んだ人はそれで差支へない。キリスト教になっても、仏教は従来のままにしておかなくてはいけない。

戒名院号

“戒名や院号は如何なる意味のもので御座いませうか。霊界の位階に関係するものでせうか。或いは又、金額の高下に依りて戒名や院号が貰へる様ですが霊界に於てもその様になるものでせうか。

“人間が死ぬと同時に現界の名は消える。人間社会に通用する名は効力を失ふ。必要はなくなる。往生――改めて霊界へ生れると名が付かなくてはならぬ。霊界の赤ン坊である。それが戒名である。戒名は長い程良いといふが、之は生きてる人の慰めが多い。全然関係なくもない。いくらかある。金をあげて良い名を貰った方がいい。良いといふのは長い名である。

戒名称号に就て(俗名での祀り)

“寺院に於て檀家に院号や居士、大姉等の称号を数千金で与えて居ります。霊は此の様な称号を貰って喜ぶでしょうか。又戒名でなく、俗名で祀っては悪いでしょうか。

“仏界はそういう事になっている。俗名はいけない。霊界へ行けば、仏名にならなければならぬ。仏界の姓名であるから、そうしなければいけない。すべて相応の理で、時と場合に合って行かなくてはいけない。

戒名と俗名

“戒名で祀られる場合と、俗名で祀られる場合が御座居ますが、霊的にどういふ違ひが御座いますのでせうか。

“俗名ではいけない。  (S24・2・4)

戒名の了と家の不幸

“御位牌の戒名に了の字が書かれてあると、了は終りの意であるから不幸があると言われたそうで御座いまして、その御宅では、祖父死し、父死し等不幸続きで御座います。果してそのような事が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“死人に不幸はない筈である。(戒名は死んだ人につけたもので、生きた人に関係はない)死んだ人だけの働きであるから、その家に不幸がある訳がない。不幸外の意味で気にする事はない。  (S24・8・11)

生前の戒名

“生前に戒名を頂く事は。

“生前に、早桶を買っておくのと同じ意味になる。

戒名変更

“私が指導して居る信者で、父親が死亡した時「永暇遊楽禪定門」と申す戒名をもらって位牌を祭って居りました。その後住所が変更になりお寺をかへました。その時戒名の字句が遊び人の様な感じがすると言ふ理由で、その戒名を「信光永楽信士」と改名してもらひ、新戒名をきざんだ石碑を建ててお祭事を営んでおりますが、位牌は元のままで今以てかへて有りません。これでは霊が迷ふ事になると思はれますが如何で御座いませうか。又どちらの戒名がよろしいのでせうか。

“元の名にすべきである。

二重戒名

“或信者の宅で先祖の御祀り替を致しました処、一人に対し二つの戒名が出て参りました。一つは死後相当期間たちましてより大金を出して上位の戒名を貰ったとの事で御座います。この場合どちらの戒名で御祀り致すべきで御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“大した問題でないが、上位の方にした方がよからう。斯ういふ事をするのは悪い事ではない。先祖を、より向上する為やった事であるからわるい事ではない。(S25・2・12)

郷里と住居地の戒名

“兵庫県出石町の人が神戸市に在住していて三年前に死亡し、神戸で葬式をし、戒名を貰ひました処、郷里の出石町の寺からも戒名を送って来ました。墓地も郷里にあり祖先と一緒にお祀り致したいと思ひますが、戒名はどちらに致しましたら宜敷しいでせうか。

“出石町のお守の方を用ふるのが本当である。

戒名他宗でつける

“未入信の者で御座いますが先祖代々浄土宗にて供養致して居りましたが、転住の為、移転先で浄土真宗で戒名を戴き、只今迄供養致して居りますが位牌は御座いません。元の浄土宗にて供養致し度いと申して居りますが、如何すれば宜敷う御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“元の浄土宗でよい。浄土は、法然から出ている。浄土宗は過去帳でやり戒名がない。(S25・1・22)

僧侶を嫌ふ霊の戒名

“善言讃詞又は祝詞によって救われた霊で、戒名のない場合、非常に僧侶を嫌うものに対して、戒名をこちらの方で作らせて戴く訳にはいかないでしょうか。若しよろしい様で御座いましたらどの様に書いたらよろしいので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“坊さんを嫌うといって、霊界は仏界の方が多いからそれでよい。霊の好き嫌いがあるが、霊界がそうなっている以上、それに準ずべきである。定っている事はそうしたほうがよい。(S23・9・21)

戒名教師つけてよいか

“或る婦人が妊娠七ケ月で、或る事情の為秘密に堕胎致しました。其の後、再び妊娠致しましたが、八ケ月の早生児でありました。出産以来泣き続け、両手、両足を曲げたままで伸ばせません。此の度御浄霊を受け、手足は自由になりました。現在、生後五十日であります。御教を戴いて、前の子供の戒名をつけ祀り度く思いましたが、御寺では正式に葬式もせぬものに名をつける訳にはゆかぬとの事で、やむなら僧侶の言うまま、母の名前の位牌をつくり仏壇にまつりました所、子供の泣く事は止み、よく寝る様になりましたが、之は如何致したらよろしいので御座いましょうか。此の場合、教導師の先生が戒名をつけてよいので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“悪い事はないが、何にもなかったらこのままでよい。罪を犯して、チャンと行く事が出来ぬのである。戒名は坊さんがつけるべきものである。教導師は、生きてる人を扱ふものであるから自ら使命が異る。(S24・8・11)

戒名つける事

“俗名で仏壇に御祭りしてはいけないと伺いましたが、戒名は誰でもつけてよろしいものでしょうか。仏式で葬儀を行わなかった場合、僧侶に戒名をつけてもらわねばならないでしょうか。

“僧侶は、仏界の名をつける資格をもっている。僧侶のない土地では普通人がつけてもよい。(S24・5・23)

つけてくれぬ戒名

“信者大塚トヨの家に生れてすぐ死亡した為、祭られずに居る二男一女が御座いますので、寺で戒名を付けてもらってお葬式をする様に申しました処、寺では三児の為に「家門先亡累代諸精霊」と言う位牌をつくりまして、お経をよくあげてやったからこの御位牌を祭ればもうこれで充分だと申しまして、どうしても三児の戒名を付けてくれないと申します。この様な場合如何に致しましたらよろしう御座いませうか。

“それでよい。

仏壇祀る部屋と居間

“仏壇はどこの部屋に祭るが理想的か、又仏壇を祭ってある間より奥の間へ家族の者が休んでも先祖へ対し失礼に当らないか御教へ下さい。

“床の間――光明如来様をお祭りしたその部屋でもよく、次の間でもよい。奥の間でもいいが、そこで眠るのは順序からいってよくない。仏間を作って、家族が別に住むのは構はぬ。霊は伸縮自在だから狭くてもよい訳である。祖先だから原則としていい所へ祀るべきだが、なかなか部屋は、注文通り行かぬものであるから臨機応変にする。よく床の間に仏壇の置いてある家があるが、別に悪くはないが、床の間は神か仏かを祭るべき高天原である。(S23・11・17)

仏壇の位置(艮)

“家の都合上やむなく御神殿の中心から丑寅の方角の部屋に仏壇を置いてありますが、如何なもので御座いましょうか。

“主人の寝る所を中心に、主にする。艮に仏壇があっても差支えない。(S25・2・3)

神床に仏壇

“光明如来様を奉斎してある床の間の右側(向って)に仏壇が御座居ますが、差支え御座いませんでしょうか。御伺い申し上げます。

“他に仏壇を祀る所がなければ差支えない。(あれば避けた方がよい)(S24・8・5)

(床の間) 床の間へ仏壇おくのは結構である。祖先が光を浴びるから救はれる。(S23)

仏壇の位置(階下)

“二階に光明如来様を御祭りし、真下の階下に仏壇を置いてあります。外に適当な場所がなく、真上は人の踏まぬ処だから差支えないと思いますが如何でありますか。御伺い申し上げます。

“仏壇ならよい。成可光明如来様に近い所がよい。床の間の端でもよい。光明如来様の部屋のどっかが一番いい。(大黒様のある場合向って右)(S24・7・25)

仏壇の位置(仏間)

“仏壇の位置は家のどこが適当でせうか。二階のある場合、又床の間と次の間のある場合等。

“家によって難しい。一番良い所へ光明如来様を御奉斎し、その次に仏壇を祀る。立派な家なら仏間がある。これは家族の住居より光明如来様に近い所へ作る。二階のある場合は是非二階にする。

仏壇の置場所(御神床)

“二階に光明如来様が御祭りしてあって、下の部屋に仏壇がある場合、仏壇は二階にお祭りすべきが本当でせうか。又下の部屋でも良いでせうか。御尋ね致します。

“光明如来様御奉斎の床の間はいけない。それ以外ならいい。下へ祀ると人間が踏みつけるようになるからまづい。(S24・10・27)

階下の仏壇(処分せよ)

“私の家では仏壇を階下にお祀りしてあります。余り大きいので二階にお祀り出来ません。小さいのとお換えしてもよろしいでしょうか。或は又階下の大きいのはそのままにして、小さいのを新に買って二階にお祀りしてもよろしいでしょうか。お伺い申し上げます。

“下ではいけない、一日も早く下の仏壇を閉めるか処分する。小さくとも二階へ祭る。祖霊を踏んでるようなものである。(S25・4・17)

階下の仏壇

“仏壇は階下に祀ってもよろしいでせうか。

“階下ではいけない。

階下の仏壇

“仏壇を御祭りさせていただきますのに、二階家でも真上に居間がなかったら階下でもよろしいので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“何としても二階へ祀るべきだ。(S25・5・18)

仏壇上物おいて障りあり譲り受けた御神体神光薄れる

“最近祖母の法事をした翌日より子供が風邪のお浄化を頂き、食欲なく熱が一週間以上も下らぬので何か霊的な戒告ではないかと考へ色々調べた所、仏壇の上に物がのって居り、早速お詫びして除きました所、翌日より食事を少々頂き、熱も下り始めたが未だはっきりしません。お祭りしてある光明如来様は或信者が以前お祭りして居たが死亡したので、譲り受けお祭りしたものです。この為、御神体は或は汚れているのではないかと心配して居ます。子供の病気は主人が不熱心なため祖霊の戒告かとも思はれ、御神体に御無礼がある為かとも思ひ祖母の霊と関係あるかとも考へますが如何でせうか。

“斯ういふ場合、支部長などに訳を話し、御神体は当方へ持って来て浄めるとよい。無断でやると順序を過る。神様の事は出鱈目や思いつきは許されぬ。仏壇の上などそんな物置いてはいけない。物を置くと物おきになる。花生けとか置物、香炉などならよい。物置にするとズーッと光が薄くなる。子供の治りの悪いのは主人公が熱心でない為で、大勢の人が拝むと神の光は強くなる。威光が出る。

霊と順序

“主人も長男、妻も長女であり戸主の為に姓が違い居りますので、別々に祖先を祀って居ります。家庭には男の子供が家に居る事が出来ず、他で暮らす事になりますが、之は別々の霊があるので其の為かと思いますが如何なるものでしょうか。

“順序が違う。仏壇を一つにし、主人の祖先を上に、妻君のを下へ祀る。霊に関係した事はどこまでも順序を正しくしなくてはいけない。(S24・2・22)

留守番霊の時所位

“御位牌の留守番の霊の霊界での時所位はどこで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“みんなの代表者になっているから相当の所にいる。大した――でないが中位であろう。(S24・8・11)

新憲法による結婚の場合の仏壇

“結婚した場合、新憲法では夫婦がお互に実家の姓を名乗ってもよろしいとされておりますが、其の場合仏壇は別々にお祭りしなければいけませんでせうか。御伺ひ申し上げます。

“憲法と霊界と違ふ。関係ないから今迄通りである。(S25・2・23)

仏壇等の大きさ

“今まで先祖からの大きい位牌だけを祭ってありましたが、今度新しく小さい仏壇を造りました。今までの位牌では大き過ぎるので、小さいのと換へて先祖に御断りしてお祭り致したいと思ひますがよろしう御座いませうか。又大きい位牌は如何が処理致せばよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“仏壇や位牌は、その家に相応すべき立派さにすべきである。今迄の大きいのは蔵っておく。  (S25・2・15)

檜作りの仏壇

“檜造りのお仏壇は障りが御座居ましょうか。お伺い申し上げます。

“桧作りはいけない。仏壇は塗らなくてはいけない。(S24・7・23)

仏壇の塗り

“御仏壇は金箔と黒塗りと白木と何が一番よろしうございませうか。御伺い申し上げます。

“白木はいけない。中は金箔、外は黒塗りがよい。(S25・5・6)

仏壇のガラス張り

“仏壇のガラス張りの可否。

“仏壇にガラスは調和がわるい。一月に一ペン掃除する位でいい。おまけに先祖はガラスのない時代の人だ。

鶴亀

“仏壇の中のローソク立に鶴と亀が有り、亀の上に鶴が来て居りますのは如何なる訳で御座居ませうか。又目出度い時に鶴が歌の中にも有りますが鶴と亀についてお教へ下さい。

“長命する事を意味してる。鳥の中で鶴は一番首が長い。鶴亀は空と地になる。(S24・11・7)

新仏壇の祀事

“新に分家で仏壇を作り、先祖のお祭りを致すのですが、別に坊さんをお願ひする必要はないでせうか。

“これでよい。坊さんを頼む要はない。霊によってはお経を嫌ふ。善言讃詞など希望している。

仏壇を買ふ日

“私は三男に生れ分家致しました。分家後御嶽教の信者でした。その当時御嶽教の先達の話を聞き、祖先の御霊と父親の御霊を霊人として御祭り致し、今日迄祖霊の礼拝を毎朝致して居ります。只今では御嶽教は致して居りません。霊を仏壇に納めたいと思ひます。命日でもない日に仏壇を求めてもよろしいでございませうか。 

“何時でも買ふのは構はぬ。仏壇を買った方がよい。(S24・2・2)

古仏壇の使用

“分家致しまして仏壇を新しく作り御祀り致したいと思って居りました処、親戚にて旧い仏壇を譲って呉れると申して居りますが、如何なるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“古いのでも構わない。(S25・5・11)

霊友会の過去帳焼ける

“私の妻四十八才、肋膜にて昨年五月より療養中を本教により救はれ、本年四月入信。私も本年五月二日入信させて頂きました。其の翌々日長男が肺結核の為国立療養所へ入所して居りましたが、病気の急変のためすぐ来いとの知らせにより、私が家を出た後長女(二十才)が心配して先祖にお経(観音経)を唱へて居りますと、突然ボーと明るくなりましたので、見れば昭和十一年以来信仰して居りました霊友会の過去帳と御曼陀羅がローソクの火で焼けてしまひました。而し霊友会でつけて貰った法名だけ焼け、俗名の書いた下段の半分だけ全部残りました。如何なる訳で御座いませう。尚長男も一日も早く退所させ、本教の御浄霊に依り夫婦協力し合ひ救はせて頂き度いと存じますが如何でせう。すぐ出してもよいでせうか、御教示下さい。

“祖先が霊友会を嫌がって焼いたのである。祖先で入信したのが止める為に焼いた。よく霊友会を嫌ふ。一日も早く退院した方がよい。然し私の方で指図したと言ってはいけない。(S25・5・17)

仏壇修理と不吉

“私方の仏壇の阿弥陀如来様の仏像が、少々破損致して居りますので修理を致し度いと思ひますが、平素仏壇をいじると家の誰かが死んだり、不吉の事が起ると聞きますが如何にすれば良いでせうか。御教へ下さい。

“よく斯ういふ事を謂ふが迷信である。何でもない。破損は修理した方がよい。(S24・8・18)