041 霊祀篇 第一篇 宗教家系と祖霊祀

御屏風観音様に「幽世大神」と唱え奉る理由

“仏壇に「善言讃詞」を奏上する場合、御屏風の観音様に対して「幽世大神」と申し上げるのは如何なる訳でありましょうか、御教示御願い申し上げます。

“観音様のお働きは極めて全般的で、どんなお働きも出来る。従而幽世大神の御働きも出来る。神幽現三界の御働きである。ただ裁きはなさらず、御守護なさる。如何なるものでも無差別的に慈悲を垂れ給うのである。閻魔大王とは裏表になるんで、閻魔は審判の役である。一つ神でもいろんな役になられる。閻魔でも今現界をやられる。先には外の神になされた。人間でも運輸大臣をやったり、鉄道大臣をやったりするようなものである。観音様を通して、幽世大神に通ずる。  (S23・7・18)

千手観音様に幽世大神とお称えする理、御霊写真に就ての史実

“仏壇の千手観音様に「幽世の大神守り給へ幸倍給へ」と奉唱するのはピッタリしないように思はれます(巖上に御座りになっておられます)が御解明御願い申し上げます。

“観音様は、神幽現三界に渉るお働きになっている。それ故幽世大神のお働きもされる。現在は幽世大神は外の神である。観音様が各神―幽世大神に御命令される。観音様でなければ幽世大神様にお願いする。そして観音様に伝え、観音様から幽世大神様に行った方が強い。事と次第によっては観音様が直接御守護下さる。幽世大神のお働きもあるからである。巖上には二つの意味がある。普陀羅迦山にお住居になった時、南の方が海の縁になっていた。それで南海大士という。そのお姿である。千手観音様の巖上は、先に雲上に描いたのを、神様に止められ巖上にした。雲は天上であるから、人間を救う事が出来ぬ。それで巖上にお下りになった。昭和九年、麹町平河町に治療所開業。赤坂に立派な美容院あり、その人の病気を治し、有難がり、観音の部屋を作り、そこで御守や画を描いた。その婦人は、恰度いいからとて、六畳で描いて戴きたいという。そこで千手観音を描いた。五大山に道教本部があり、二十年経つと日本に観音力を持った人が表われる――という。今年一月、東に表われてると霊感あり、素人写真に撮った。|円光|  │髯  │  |雲上|(S24・11・19)

千手観音様と幽世大神

“御仏前の千手観音様へ善言讃詞を奉唱せず、幽世の大神様とお唱え申し上げますことに就て御伺い申し上げます。

“幽世大神様は、霊界の係だから観音様にお願いしてもよい訳である。観音様にお願いし御手数をかけると勿体ない事も幽世大神様なら、霊界の事ならどんな事をお願いしてもよい。両方お願いしてもよい。  (S24・6・19)

お屏風拝受人に依頼して苦しむ(耳異常)

“私の不注意の為に何とも申し訳ない事を致しまして慎んでお詫び申し上げます。去る二月十八日かねて御屏風観音様をお願ひ致し、当日都合が出来て熱心な信者さんに戴いて来る様に頼んで置きました処、当日御面会の帰路紛失致してしまひました。誠に申し訳ございません。早速心で明主様にお詫び申し上げ、去る三月二十日御屏風観音様をお祀りさせて頂きました。この間二月二十五日突然私の両耳が耳鳴りの様になり、三月一日脳溢血症状となり耳は完全に聞えなくなり、口もきけなくなりまして其の儘死亡するかと思ひましたが、四日目に口は元の儘となり起きる事が出来ました。謹んで御礼申し上げます。爾後昼間は耳許で大声が聞え、夕方七時頃になると急に近くの声が聞える様になります。申し遅れましたが私の母が脳溢血で、右の様な状態で四日目に死亡して居ります。私の耳は元の様になり、又お救ひさせて頂けますでせうか。何卒御守護御願ひ申し上げます。

“屏風観音様を人に頼むのは間違っている。祖先が気に入らぬのである。(S25・4・8)

お屏風鼠が汚す(お取替すべき場合)

“私の仏壇にお祭りしてある屏風観音様を夜鼠が荒らし、御姿の上半身を濡らし染になって居ります。申訳ないと思いますが如何したらよいでせうか。御伺ひ致します。 

“取替へなくてはいけない。何か訳がある。順序が違ふのかもしれない。正しくなっておれば斯んな筈はない。不足しているものがあるか、余計なものがあるか、本当のものでないか、よく査べて判らぬ所を聞けよ。(S25・2・25)

お花を荒す鼠

“以前御仏壇の御供へを猫と鼠が盛に荒しましたが御屏風観音様を御祀り致しましてからは荒さなくなりました。処が最近に至り鼠が特にお花を好んで荒しますが之は何か霊的な意味が御座いませうか。お伺い申し上げます。

“何かのお知らせであらう。花の置場所などではないか。よく査べてみよ。花は向って左がよい。  (S25・3・22)

御屏風放り出す

“御屏風の御観音を信者の兄が放り出してしまひました。早速信者が教導所へ御観音様の御供をしておわびに参りましたが、如何したら宜しう御座いますか。御教示をお願ひ申し上げます。

“争ひの結果、屏風観音様をとったのであるから、よくお詫びすればよい。貼り着けたものや小さい軸になったものは処分してもよい。(S23・7・18)

お屏風を降す坊主

“真宗に属する家庭では毎月坊さんが回向に来ます。そして其の時、仏壇へ御屏風観音様をお祭りしてあると迚も之をきらい下段へ降したり等しますので、其の時だけ予め床の間の方へ祭り替えてもよろしいですか。そして床の間へ花蝶、山水の外、龍虎、犬猫等の掛軸がかゝっていても差支えないものでしょうか。お伺い申し上げます。

“坊さんを断わるといい。嘘言っている。阿弥陀はもはや印度へ帰っている。(S24・7・3)

御屏風奉斎の位置

“神道(神葬祭壇)に於て屏風観音は何処へ御祭りしてよいでせうか。

“仏壇と同様、祭壇の良い所へお祭りする。善言讃詞は神でも仏でも、どっちでもよい。  (S24・3・20)

仏壇なき場合のお屏風奉斎

“分家したばかりで仏壇が有りません。頂いた屏風観音は何処へお祭りしたらよろしいでせうか。

“仏壇を早速作る。本家だけでなく、次男も三男も祀った方がよい。(S24・3・20)

お屏風に硝子

“或信者の家でお祀りして御座います御屏風観音様に埃がつくからと申しまして、人形箱の様に硝子を前に入れて御座いますが、宜しう御座いませうか、お伺ひ申し上げます。

“こんな事をする必要はない。ガラスなど除らした方がよい。(S25・4・22)

売店への祭り

“私の家では、小観音様をお祭りしてありますが、別に設けた売店にも何かお祭りしたいのですが、その売店には何をお祭りさせて頂いたら宜しいのですか。

“屏風観音様は祖先を救う意味であるから、それだけではいけない。仏壇の中だけは極楽になる故、家中が天国になる訳には行かぬが、祖霊は喜ぶから、良い事はある。そうすれば、売店の方は枝であるから、どっちでもいい訳である。曼陀羅は大自在天とか大広目天などかくが、之等は悪魔の働きをした。毘舎門天などまだいいが、実にひどいものだから、処分した方がよい。(S23・10・28)

嫁入と御神体

“信者(鳥井キミエ)が昨日嫁ぎましたが、実家に居る時に戴いたお屏風観音様と御額を兄(実家の戸主)が「家へは祭らせないから婚家へ持参せよ」と申しましたので、お額は婚家の納得の上で婚家へお供させて戴きました。お屏風観音様はまだ婚家に話を致しませんが納得出来ましたらお供致して宜しうございませうか。

“嫁げばその家の人になるのであるから、此家の関係は薄くなるから、それでよい。

祖霊の祀り方

“幽世大神と紙で書いたものを祖先の後へ貼り付けて祭り、その前に御鏡あり。

“除っても貼っておいてもよい。観音は仏となっているから、仏の形式にする方がよい。全部神道で祀ってあるとすれば、他に先祖を祀らなくてよい。仏壇は不要である。もし一人でも仏の人があれば別にお屏風をお迎へし、仏壇に祀る方がよい。(S23・7・21)

キリスト教より改宗と屏風観音

“祖父の代に仏教よりキリスト教に改宗しました。今回メシヤ教入信、御屏風観音様を如何様にお祭りすべきか。

“観音様は仏教、基督教、神道何れも差支えない。先日アメリカ人が来た時、病気の治る事から、お守と霊線による霊光による説明したが、観音様は、ヱホバから来るといった。そうするとキリスト教と同じ事になる。故に仏壇のない場合は、如何なる家へお祭りするもよい。(S24・4・2)

キリスト信者も救はれる救世教の祀り

“或女の信者で御座いますが、主人はキリスト教信者で御座います。主人が死亡致しましたので妻は実家へ帰り主人を祀りたいと申します。実家は仏教で御座いますが此の場合、如何致しましたら宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“仏教で祀っても、霊はなかなか来ない。何れ冠婚葬祭の儀式を作るから、さうすれば先祖を祀る方法もとる。それまで待つがよい。メシヤ教は世界的であるから、どんな霊でも救はれる。キリスト教では祀らない事になっているから、キリスト信者の霊界にいるから、気にしなくてよい。(S25・2・22)

神道家へお屏風

“信者の者ですが、此度家内一同で、御屏風観音様を御奉斎させて頂きたいのですが、今まで神葬祭で先祖祀りを致して居りましたので、如何致したら宜しう御座いませうか。 

“神仏両方であるから差支へない。そのままでよい。(S25・3・3)

  ――――――――――  いけない。切るのはいいが引づるのはいけない。(S25・3・3)

神道神棚に御屏風

“信者加藤良子(二十九才)の家では宗教は神道です。仏壇は御座いませんので祖先を神葬祭にて神棚に祀ってありますが御屏風の千手観音様を戴きましたが、右神棚に祭っても宜しいでしょうか。又仏壇でなくてはいけないでしょうか。御伺い申し上げます。

“神棚で差支えない。  (S25・5・5)

神棚へ御屏風

“神道で先祖を祀って居ります信者ですが、善言讃詞、御讃歌をお上げして宜しいでせうか。又お屏風の御観音様をお祀りさせて頂けますでせうか。

“両方のお働きであるからどっちも通用する。屏風は仏壇へ入れる為に出来ているが、上げて悪い事はない。(S23・10・23)

お屏風と神道(膀胱結核衰弱)

“先祖代々神官であった本家から三代前に分家して先祖は神道でお祭りしてある家。三十七才の息子、昨年より腎臓と膀胱結核で、本年春より腰が立たず衰弱しています。昨年秋より浄霊をうけ中途で医薬を用ひたり(マイシンの注射もしました)その後又浄霊を続けています。この家の先祖は神道でお祀りをして、位牌、御鏡をお祀りしてありますが、このままで差支へないでせうか。屏風観音をお祭りしてよろしいでせうか。尚一人の伯母がこの家で亡くなり、この伯母の婚家は世継がなく断絶し、位牌はお寺で供養しています。何か霊的に病人の病気と関係ありませうか。お伺ひ致します。

“薬毒が固まっている。お屏風は祀ってもよい。お寺だけで供養してるのはいけない。小さいのでよいから仏様で祀ってやる。(S25・5・17)

神道家と屏風観音奉斎の要

“代々神道の家で、今回娘の結核が治った為是非屏風観音様を御祀りしたいと申して居ります。屏風観音様を御祀りする場所を具体的に御教へ願ひます。

“屏風観音様は仏教であるからお祭りしなくてよい。やはり光明如来様をお祭りする。  (S24・4・22)

阿弥陀と仏壇(阿弥陀帰印)

“御屏風観音様を御受けすると同時に阿弥陀様を御寺に預けた信徒の方がありますが、差支へ御座居ませんでせうか。御伺ひ申し上げます。

“差支へない。阿弥陀は印度へ帰っている。(S24・9・18)

お屏風奉斎曼陀羅蔵ふ事

“私は本教に入信以来、仏壇に祀ってあった日蓮宗の御曼陀羅や鬼子母神の御掛軸を、御礼を申し述べてから之を外し、仏壇の引出しに仕舞ひましたが何だか気になります。現在仏壇は、屏風観音様を御祀りしてありますが、その御掛軸は如何にしたらよいでせう。

“差支へない。観音様は釈迦よりも上であるから、日蓮でも遠慮して退かれるのが本当である。日蓮宗は一代法華といって、一代やればよいので、二代も三代もやると、きっと家は滅びる。華の教であるから長くやるべきものではない。お曼陀羅は大変間違っている。上へ大広目天とか大自在天をかき、天照大御神とか春日明神などは小さく下に書いてある。こういふ何々天など仏滅になれば印度へかへる。今は全然間違っている。(S24・4・28)

仏壇へ念仏 

“私は昭和八年頃、霊友会より別れた思親会に入会し、御曼陀羅と守護神として「天津晃大明神」を祭り朝夕御経を唱え先祖の供養をして居りますが、昭和十六年会をやめ個人的に自宅で供養をして居りました。

(イ)此の度光明如来様を御祭り致しましたので、此の「御曼陀羅と守護神」は如何したらよろしいのでしょうか。

(ロ)仏壇には屏風観音様を御祭りしてありますが、先祖様の供養は善言讃詞でよろしいのですか。又今迄唱えて居た処の南無妙法蓮華経や其の他の御経文は唱えなくてよいのでしょうか。御伺い致します。

“(イ)元の御座へお還り願い、焼いてよい。

(ロ)唱えてはいけない。南無妙は唱えぬ方がよい。仏滅になった昼間に電灯やローソクつけたようなものである。(S24・10・5)

祀る血族の範囲と仏壇へ祭る神仏

“私は幼少の時現在の養家先の養子となり、次兄は別家して居りましたが若死したのでその妻と結婚し、一人の子供は連子(成人迄養育し次兄の一時廃家した家をつがせる筈)して現在養家先で養育して居ります。右の様な家庭で次の点について御教示お願致します。養家先(禅宗で養父は真言宗の僧籍があります)にて実家(門徒)の父母の霊を御祭りする事は差支へ御座いませんでせうか。(実家では長兄が御祭りして居ります)家内の先夫の霊を御祭りする事(次兄死後一時廃家なし結婚当時養家先を別居して居りましたので仏壇を持って来て居りました)は宜敷いでせうか。私は昭和二十二年三月入信し、その後御屏風観音様を御祭り致して居り、観音様の像(唐金製)、お釈迦様、阿彌陀様(お軸、屏風)弘法様を御祭りして居りましたが、仏壇を買替へ狭いので観音様お像、阿彌陀様のお軸は、仏壇の引出に入れてありますが差支へ御座いませんでせうか。悪しき点はその処置方法を御教示下さい。因に養父は此の道に反対ではありませんが協力はして居りません。

“何れにしても祀ってやる事は結構である。唐金の観音様も蔵っておいて差支へない。屏風観音様だけお祭りすればよい。父母の方は時期を待つとよい。(S24・5・25)

祖霊供養最良の道霊衣と正邪の戦

“祖霊の供養は、坊さんを招んで拝むのもお寺で拝むのも供養になる。観音様―光明如来様をお祭りする時、祖霊も一緒に祀るのも供養だが、多くの人を助ける。これが一番供養である。親孝行は死んでからの方が大きい。子孫が徳を積むと大きく祖霊は救はれる。信仰して、神仏を拝むだけでは大した利益はない。神仏の目的は一人でも多く救ふ。幸福にする事である。宗教行為主義で、行為に表はさなかったら宗教の価値はない。救はれた人が感謝する。それが来るのが大変なものである。円い円光があるが、仏の持っている光を、も一つ多くの人の感謝が集って大きな光となる。人間は霊衣を持っており、それが厚くなるほどいい。厚くする程仕合せになる。不仕合せの時など殆どなくなる。霊衣を厚くするには多くの人を幸福を受ける状態に導く。すると感謝する、すると光になってくるから霊衣が厚くなる。霊衣が厚くなると悪い霊が憑れぬ。邪霊が憑るには憑るだけの状態にある。特に狐など霊衣に光があれば憑れぬ。邪神と正神との戦は、光の戦いである。神は光を発揮しやうとされ、邪神は光を遮らうとする。光明如来様は、光の仏様であるから邪霊が恐がる。光明如来の文字から光が出る。光が出ると全体の霊界が明るくなる故にお掛軸をかけると、どことなく明るくなる。掛ってない家に行くと何となく暗い。信仰者の作物がよく出来るのは、その田地全体が光となる。光には、熱が加はる。之は暖い熱とも違ふ。あついのは熱の体である。少し温いのは熱の霊である。故に、熱の霊がゆくから、害虫なく作物も育ちよいのである。曇っている所は、虫が沸き易い。この信仰は、科学的に説明が出来る。(S23)

御奉斎と祖霊

“二年前腎臓結核でお救ひ戴きました信者で御座いますが、その後三回も死ぬ程の御浄化をお救ひ戴いて居ります。その間に御屏風観音様をお祀りし、お位牌もととのえました。最近また御浄化がはげしく息ぎれ呼吸切迫で身動きも出来ぬ様になりました。第八問の御質問の老夫婦の例を聞いておりますので、過去帳をしまってあるのではないかと尋ねますと、その瀕死の病人が苦しげに、頭で仏壇の方を示しながらしまってある。過去帳を祀ってほしいと申すので御座います。早速その過去帳を出しておまいり致しますと、スーッと楽になって間もなく息を引きとりました。この過去帳はお位牌を作りました時、おことわりもせずにしまった由で御座いますが、今後如何様に取扱ひましたら宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“光明如来様をお祭りしてないといけない。その家の霊界が明るくなれば位牌だけでよい。でないと祖霊も迷ふ。(S25・3・22)

祖先救はるる道

“特に救はんとせずとも徳積めば救はれる。(目蓮上人の例)自分自身より主とした所は他人であり、世界人類で自国さへよくなればよいといふこれも間違ひである。

地獄のわが子救ふには

“私の弟は中学四年の時、学徒通年動員として軍需工場に入りましたが、昭和二十年四月十二日B29の大空襲に際し、爆弾の破片が腹部に入りたるまま一昼夜苦しみ、遂に死亡致しました。地獄に落ちていると言はれる此の霊を救ふ方法をお教へ願ひます。

“一生懸命徳を積めば助かる。自分の子を救う為には、他人を救ふべきで、利他愛が大切である。大乗で行く。目蓮尊者。  (S24・8・16)

法事、年忌の繰延べ

“死人が出来ました時に日取を宵取りと申しまして一日前の日から計算致されますが如何なる訳で御座いませうか。又法事年忌等は繰上げはよいが繰延べてはいけないと申し、御祝はその逆を申しますが如何なる訳で御座いませうか。

“死人は霊であるから、霊を扱ふのであるから、霊は一日前位に脱けるものであるから、それでそんな仕来りをつくったものであらう。繰延べは絶対出来ない。霊は年忌や法要を待っている。決った時にやらぬと規(キマ)りが乱れる。そして無期延期みたいになってしまふ。無期延期になると、来年か五、六年後まで待たなくてはならぬ事になる。早いのは構はぬ。御祝は体の方であるから逆にする。然し逆でなくていい。やはり早くていい。之は遠慮する気持もあらう。(S24・6・22)

変更は断るべきである

“私の家では日に三度仏壇に供物を上げて居りましたが、或日お昼を一回だけ抜かしました処、その夜半三才の長男が気ちがひの様に叫び、如何程あやしても何の効果も御座いませんでした。身体にも異常は御座いませんでした。仏壇に三度三度の供物が荷になりますが、やはりこれは続けるべきで御座いませうか。御伺ひ申し上げます。 

“之はお断りすればよい。だまってしたからで、黙ってやるのは違反であるから気附かしたのである。朝だけ一度だけでよい。「これから朝だけにする」と、大先生の御命令といふ事は絶対いけないが(あれは軍隊語であり信仰のそれでない)御注意でとか思召しで一回にすると言って断る。(S24・8・12)

長男が祀るべし

“私の父母現存、私も父も長男です。父方の先祖は、父の弟(五男)が祀り、母方(長兄の子現存)の先祖は私が祀って居ります。私の家内中に浄霊で中々解決せぬ病人続出。前記に関係があるものでせうか。如何なる処置をすればよろしいか。御伺ひ致します。

“長男が祀るのが本当である。祀らぬからである。祖先は一軒でもよけい祀るほどよい。

位牌のみの祀り

“入信二ケ月の信者ですが、子供二人を亡くして居りまして、郷里で祖母がお祀りして居り、夫婦は都会に出て来て、会社の寮の一室を借りて生活していますが、其の様な場合お仏壇なしでお屏風観音様を頂き、お位牌だけでお祀りしても宜敷いでせうか。お位牌は「先祖代々の霊」と子供達二人のは一つにしても宜敷いでせうか。御伺ひ致します。又仏壇を買ふとしましたら、おりん、花立、線香立、御掛軸等これまでの仏式の通りにしなければいけないでせうか。お伺ひ致します。

“仏壇がなくてはいけない。人間と同じ事で野天では住めない。(S25・4・17)

他宗霊の祀り総説

“仏教の家庭が二、三代前から宗派神道に改宗し、今回更に此のお道に入信した場合、祖霊の祭り方は如何致すのが正しいので御座いましょうか。御教えを御願いいたします。 

“神道に改宗しても、祖霊はすぐに改宗する筈がない。未だ仏界に居て、その中のいくらかは神道へ入るのもいる。仏壇など改宗すると非常に怒る。それで災難やなどが起る。であるから改宗しても仏はそのままにしておく。自分だけが改宗する外はない。観音様は何派でもよい。凡てに共通している。之は何教の霊でも喜ぶ。両宗派のある場合は、両方へ別々に屏風様を祀るとよい。キリスト教へ入ると、祖先の礼拝をやめるので非常に怒る。神道の人も観音様を拝んでもよいが神社神道は延喜式で祭る。大体、産土の神がその御用をする事になる。宗派神道は、教祖が一つの範囲を作って救う。今迄の神社の祭神の神名は本当のものではない。代理のようなものであるが、その名前で、その神社のやり方でよい。今迄は仏界でした。そして神道は殆ど存在さえ認められなかった。今度は仏界が消滅し、神道が確立する。キリスト教で死んだ霊は、仏教で祀る要はない。霊の希望による。俗名○○の霊でよい。祖先の中へ入れてよい。斯ういう点は、今はっきり出来ぬ。将来世界的になるといいが、今一般的に種々になっている。それが宗派に現われる。(S23・8・21)

仏滅後の祀り方

“現界の仏滅後、祖霊の祀り方に就いて。

“仏滅になった時に話す。(S24・8・9)

宗旨替へと祖霊への影響

“宗旨変へをしました場合、祖先の霊にいかなる影響を及ぼすものでございませうか。

“仏教同志では大した事はないが、仏教から神道へ替へるのは大分違ふ。特にキリスト教は余程ちがふ。軽々しくは出来ない。不賛成の祖先が多いから変へてから怒る。以前祖先が怒って娘に憑り、裸になって大暴れしたのがあった。治療で治って子供まで出来た。之は先祖が大本教を嫌がり、それに狐が憑って母親を意見した。故に自分だけがその宗派をするのが間違いない。霊でも生きた人間と同じ事である。(S24・2・4)

仏界霊は神界へ行くか

“仏を祭らず神だけ祭る宗教があります。そういう家の霊は、死んで直ぐ神界へ行けるのですか。又そういう家で死んだ者の霊が憑依した時、どういう様に霊を祭ったら宜敷いか。勿論戒名がありません。御教え下さい。

“仏界で祀られた霊はすぐに神様の所へ来ない。何年先になると判らない。ひどいのになると仏壇を壊すのがある。以前大本信者でそんなのがあった。父親に憑いて精神病に――そして又娘に憑いた。(私の家に居った)(S24・2・27)

仏霊神界への祀替え

“仏界の霊は神界へ祀ってもすぐ来ない。何年先か判らない。或は中には怒るのもある。(S23)

キリスト教徒霊の祀り

“二、三代前からキリスト教に改宗した家庭が受教修した場合、キリスト教徒であった祖霊をおまつりする方法は如何でございませうか。

“キリスト教は緯で仏教は経である。緯といっても少しは階級はあるが、大体平面である。そのためにキリスト教では祖霊を祭らない。従而キリスト教徒の祖霊は祭ってないから関係ないので、祭らずにそのままでよい。観音教へ入信して祭る場合はその家の祖先の信仰した宗で祭ればよい。又その祖先が神道で祭ったのと、仏教で祭ったのとある場合は、両方の式で祭らなくてはならない。その場合俗名によって祭るのは不可である。霊界へ行った以上は霊界の名をつけ、それを使はなくてはいけない。右様にして神道なら神道で祖霊を祭るとすぐ来ないが、暫くして来る。キリスト教信徒の祖霊も霊界にいて暫くすると、祭られた方がよいといふ事が判ってくるから、その祭壇へ来る事になるのである。

キリスト教徒の位牌

“キリスト教徒が御道に入信した場合、既にキリスト教で葬ったその家族の位牌、戒名等はどの様に致したら宜しいでせうか。

“復活すればよい。 (S25・5・13)

神式仏式で別々に祀った父母(大本教)

“私は三男に生れ、十年以前母をつれ分家し、既に其の時父は死後九年目にて、長男は大本教の神式にて祖霊を祭りました。母は二年前分家たる私方にて死亡致し、私は仏式で母の霊を祭りました。母の死と共に父の霊を私の家に移し、仏式で祭っています。それから家族の中誰かが絶えず病気になります。神式の父の霊と仏式の母の霊と一緒に祭ったのが悪いのでしょうか。長男が祭るべきを分家の自分が祭るのが悪いのか、父母の霊が各どうなっているのか、御教示下さい。

“霊の希望通りにしてやる。神式仏式のみではいけない。はっきり分けた方がよい。長男も仏式と大本式と両方で祀らなくてはいけない。光明如来様は、神界仏界両方になる。

同居兄弟の悩み(異宗派霊合祀)

“四十一才の兄と三十五才の弟家族と母と妹あり、兄が家を嗣ぐ予定なりしも渡満し、この度復員して二家族一所に居るも、兄の方、胸と神経衰弱にして常に二家族折合悪く、このまま居ては死んでしまふと申し、兄が近所に出様かと申しつつある所で見てもらひましたら祖父の時に長男が東京に出て死に祀ってなく、次女が家をやり迷ふて居るとか、霊的に関係あるものでせうか。兄が家を出ましても先祖を次ぎましたらよろしいでせうか。禅宗の先祖様に、途中から入信致しました金光教のお霊を一所に祀って居ります。やめた方がよろしきでせうか。

“罪穢がうんと溜っている。それが除れなくてはならぬ。一人でも多く助ける。罪が減ってゆけば自然になくなる。自分自身磨ければよい。これは絶対いけない。別々に祀らなくてはいけない。禅宗の方は長い。光明如来様をお祭りして、元の御座へお還り願ふ。薬止めては余計苦しみが増すから、生命を失ふかもしれない。(S24・3・22)

天理教霊の合祀

“私の家は祖父の代より天理教で、本教に入らせて戴きましたので、天理の御神体を御宮に御納めしました。未だ御霊様(位牌形のもの)だけ残して居りますが、勿論戒名はありません。そのまま仏壇に入れて他の仏様と一緒に入れてよろしいでせうか。その一体だけが天理の御霊様で他は仏戒名の位牌であります。如何致したらよいでせうか。御教示願ひます。

“仏壇へ入れてはいけない。やはり天理教で祀る。生きてるうちの信仰による。  (S24・5・6)

改宗の祖霊祀り(天理教)

“私の家は祖父の代迄仏教でありましたが、祖父が天理教に改宗し、祖父の死後父が引続いて天理教を信仰して居ります。私は二男ですが天理教の信仰を捨て本教に入信させて戴き、最近急に仏壇を祭りたい気持になりました。父が天理教で先祖を祭り、私が仏壇を祭っても先祖の霊は迷はないでせうか。又自分でお祭りをする際、何と唱へたら招魂が出来るでせうか。天理教信者で亡くなった祖父や母の霊は如何すればよいでせうか。

“仏壇を祀れば、天理教でない人はそれを拝む。父は天理教で拝むのが本当で、祖父が仏教で、両方やらねばならぬ。霊界で仏壇にしても天理教の人はすぐに入らぬ。仏界に居る仏もある。故に両方祀らなくてはならぬ。よく神道に入って仏を放棄する場合、非常に祖霊は怒る。

二代前改宗者の祀り

“二代前より仏教より神道に先祖をお祭り変え致しました家の分家ですが、大先生様のお話を伺ってより、此の度新に仏壇を作って仏にてお祭りさせて頂いて宜しいでしょうか。又此の家は最近光明如来様をお祭り込みさせて頂きました。

“仏から神道に祭り替えて間がなければ元の通りにしていいが、二代ともなればそれぞれ両方ならいい(両方で祀る)。(S24・6・23)

金光教改祀の祖霊如何にすべきや

“私の家は二十年程前に真宗の信仰より金光教の信仰に入り、其の時仏壇は売却致しました。昨年夏より五六七教の信仰に入り金光教とは本年春手を切りました。就きましては仏壇を新に買求めるべきでせうか。

“金光教に改宗しても、仏壇に祀られたものは仏教を信じている。金光教の新信徒になって、中には金光教が良いとするものもいる。仏壇撤去によって反って祖先は怒る。その為に不幸が起った事が沢山ある。五六七教の中へは金光教も真宗も入ってるからどちらでも構はぬ。ただ五六七教の祭形式が出来てないから。(S24・8・15)

両宗霊の祀り(大本と真宗)

“私は大正六年、綾部の皇道大本に入信し、その際浄土真宗を改宗して大本祖霊社に祀り代へ致しましたが、昭和二十二年台湾から引揚の際、現地にて御霊の御引取りを願ひ、その御霊代を焼却致しました。その後、大本教改称の愛善苑に復帰せず、本年七月二十一日、本教に入信させて戴きました。只今仮りに御先祖代々之霊と紙に書いて御祀りして居りますが、大本入信前の御先祖は浄土真宗に、大本入信後の両親と家族は大本式にお祀り致すべきでせうか。或は全部一応浄土真宗でお祀り致すべきでありませうか。御教示下さいませ。

“浄土真宗の人はその式で――  大本信者はその式で祀る。然し本教信者はどちらでもよい。本教は天国を作るのだから一番救はれる。面倒でないやうにすればよい。

両宗式の祀り

“神道である郷から真言宗の家に嫁ぎ郷方の先祖をお祭りしたい場合、仏式で一緒にお祭りしてもよろしいでせうか。

“神道と仏教では、全然違ふ。  (S24・8・29)

神式霊の仏式祀替へ

“三重県宇治山田市宇治浦田町に霊祭会と言ふ神式でお祭りした墓が有ります。それを静岡県富士郡富士町へ墓石及び骨を移転させたいと思ひますが如何でございますか。勿論こちらへ祭る時は仏式で祭りたいのです。家の方は仏壇及び仏式の戒名でお祭りしてあります。御伺ひ申し上げます。

“神道で祀らなければいけない。然し、事情があればよい。(S24・4・9)

神道霊の改祀

“今迄神道を信仰していた人が御道に入らせて頂いた場合、御先祖の御祀りや御位牌等は如何致したら宜しいでせうか。右御教示御願ひ申し上げます。

“そのままでよろしい。但し最近の位牌を撤廃するのは、祖先が怒り、災がある。

神仏両式祖霊を御奉斎

“隅廣範(大光明如来様御奉斎)の妻ミサヲは結核で三ケ月前入信させて頂き、目下姙娠七ケ月で腹の子供は大変丈夫だと産婆は申して居りますが結核の浄化は激しく衰弱して居ります。此の家は代々神道で御座いますが夫婦は今まで信仰に無関心で子供を三名亡くし、内二名は仏式でお祀りしましたそうで御座います。今度御屏風観音様をお迎え申し上げたいと申して居りますが、此の場合神式でお祀り申すべきで御座いませうか。尚神式と致しますと前の仏式で致しました二名の子供の位牌は如何致しましたら宜しう御座いませうか。又仏式で子供をお祀りした事と母親の病気とは何か関係が御座いませうか、御伺ひ申し上げます。

“観音様は神と仏両方であるからどっちでも構はぬ。(S24・10・12)

真宗と仏立講(仏立講の発祥)

“私の家は真宗高田派でしたが、昭和八年東京に移り、知人の熱心な勧めに依り本門仏立講に改宗しましたが、その後二人の子供を亡くし此の宗旨にて葬りました。先祖の位牌は真宗に依り田舎に居る妹が世話を致して居ります。その後本教に入信させて頂き数々の御守護を授けられ、光明如来様も奉斎させて頂いて居り、今は総てを観音様におまかせ致したいので御座いますが、今後御先祖の御祭りは如何致したら宜敷いでせうか、御伺ひ申し上げます。

“元の真宗でお祀りすればよい。同じ仏教でも真宗と禅宗なら余り変らず同じようなものだが、南無妙法蓮華経は全然異ふので先祖は嫌がる。子供が死んだのもその関係があるかもしれない。先祖が気に入らぬのである。仏立講は根本から悪い。之は日正上人といふ日蓮宗の坊主が、一番最初流行神にするには花柳界に限るといふので、吉原の女郎屋へ拡めた。そして女郎に盛んに弘めた。つまり遊廓で発祥したので、そこで発展した。そして次に柳橋の芸妓屋へ拡めたのである。殆ど狐である。それ故、之を信仰するのは花柳界の女郎かヤクザとかで、悪い事をするにはいい。狐の守護であるから善い事をするには適せない。真宗のお寺へ祀ってお屏風観音様をお祭りすればよい。(S24・6・27)

真言より禅宗へ改宗

“ある信者で御座いますが、先祖代々真言宗で御座いましたのを、今の主人の親の代に都合により禅宗に変更致し、墓地も禅宗の寺の一角を求め、只今そこにお墓が御座います。併し入信いたしましたので此の度真言宗にかへりたいと思ひ、禅宗の寺に話しましたところ、お寺で仲々檀家を抜いて呉れません。其の家では子供が亡くなっておりまして、早速位牌も作りたいと思って居りますが、其の様な場合如何致したらよろしう御座いませうか。 

“大して問題でない。同じ仏教であるから大体同じだが、真言の方が派手なだけで根本は釈迦の教である。今度位牌をつくる場合も禅宗でよい。真言、禅宗等は大乗、陰で、日蓮は仏の中の小乗で火であり自力で、他は全部他力である。(S24・6・22)

宗旨変への戒名更へ

“昨年故人の戒名で、金額により上下のあるのはよくないとの知人の勧めによりまして、立正交成会に入会致し新たな戒名を一律に付直して頂き御祭り致してありますが、家は代々西本願寺の浄土真宗で、立正交成会のは日蓮宗なのです。宗旨を変へ又故人の戒名を変へました事は祖先の仏様に対して悪い事なのでせうか。又悪ければ立正交成会から頂きました御札は如何致したらよろしいでせうか。

“祖先は怒る。勝手に人間が変えるのはいけない。早速止めるべきである。立正交成会のお札は、お礼して焼いてしまふ。(S24・9・13)

異宗霊の合祀

“現在湯ケ原に在住の婦人、代々禅宗で、お寺は山梨にありますが、主人死去の際遺言により小田原の日蓮宗の寺に葬りました。今回これを一つにして現在の湯ケ原に纏めてお祀りしたいと思いますが、如何にお祀り致しましたら宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。 

“霊が日蓮宗を信仰していればいけない。霊次第である。光明如来様をお祭りして三年経てばよい。霊に口頭で言い納得させるのである。(S23・12・21)

両宗での祀り

“六十三才の男、ふだんより頭重く他人に会うのを嫌い、背中に常に悪寒を感じます。御浄霊四回にて背中は少々温みを感ずるようになりましたが頭の重圧感は取れません。此家は以前より真言宗でしたが、先代より日蓮宗に替え日々の拝礼は日蓮宗、法事等は真言宗で行って居ります。何か祖霊の警告でしょうか。

“祖霊の警告も浄化もある。日蓮宗とまぜこぜにすると祖霊は非常に迷惑する。両方へ行かなくてはならぬ。日蓮宗を嫌がるのもある。(S24・12・3)

両式で祀る事

“私の長男は十九才で七年前に、長女は十八才で三年前に夫々胸部疾患で死亡致しました。此の二人は仏式で葬儀し、現在神式と仏式で一緒に祭ってありますが差支えありませんか、御伺い申し上げます。

“両式で祀ると霊は両方へ行ったり来たりしなくてはならぬから霊は迷惑する。本人はどっちが好きか、信仰のない場合祖先から伝わった宗教に祀ってやればよい。(S24・6・28)

神道霊の祀り

“先代から神道に変りました場合、先々代以前の仏の御霊は如何に御祭り致しましたらよろしう御座いませうか。又先代一代だけが神道で現在又仏教に変りました場合、又先祖にキリスト教の人が居りました場合は如何に致しましたらよろしう御座いませうか。

“神道の人だけ神道で祀る。古いのは差支へない。(S24・7・19)

信仰は独自

“祖先のお祭りに就きまして、代々仏式でありましたが祖父のみ神式であります。祖母が若し帰幽すれば如何がすべきでせうか。

“祖父が神式なら後神式でなくてはいけない事は決してない。子孫は仏教でも何でもよい。どっちでも都合のいい方がよい。親子でも夫婦でも  信仰は独自である。(S24・8・15)

神仏耶の祖霊の祀り

“一、私の家は昔は仏式(何宗かわかりません)で五代前の主人が寺の住職と喧嘩をして神式に替えたそうです。私の夫の代に分家し北米カナダに居る時長女が死亡、キリスト教で埋葬し、帰朝後十二年前霊友会に入会、先祖と長女及びその後死んだ次女も多摩墓地に霊友会のの方式で祭りました。昭和十八年本教に入信、昔通り祖道に祭りかえました。一昨年死去した主人は神式で神主に来て貰いました。昨年三月光明如来を御祭り致し、本年一月次男が死去した節は宝山荘の先生に御伺い致し仏式で致しました(仏壇は未だ造ってありません)が御先祖様と主人の神式(お祭壇あり)、長女のキリスト教、仏式の次男をどの様に御祭り致したなら宜敷いでせうか。又最近屏風観音も頂きましたが何処へ御祭りすれば良いでせうか、御教示を御願い致します。

二、前項に申しました長女(カナダで死亡)の墓はカナダにあり遺髪と爪を主人の実家に送りましたが、実家では信州の墓地に埋めましたが、今ではあとかたもなくなって居ります。どうしたら宜敷いでせうか、御伺い申し上げます。

“仏壇の中に屏風観音様を祭れば仏壇だけでよい。観音様の中には神仏耶どっちでもよい。(S24・7・5)

神道霊の本教祀り方

“神社神道の信者が亡くなった場合、夫々俗名にて○○命と付けてありますが、その家庭が此のお道に入信した場合そのままでお祭りしてもよろしいもので御座いませうか。御教へをお願ひいたします。

“神社神道は差つかへない。○○命とか○○姫といふのはそれでいい。教団がもっと発展してからその方法を決める。未だそこまで時期が行っていないのでやむなく伝統的の――墓へ詣ったり神道等の行り方によっている。  (S23・8・21)

無仏壇の祀

“床の間の違ひ棚に仏壇もなくして先祖をお祀りしている部落がありますがそれで宜しいのですか、悪いのですか。

“神道なら仏壇はなくてもよい。神道はお宮である。人間が外に、野天にいる理屈になる。 

別祀の祠(神道祖霊)の処分

“祖父の代に祖父の弟が戦死致しまして、自宅では仏式により祀ってありました処、霊が出て参り、自分は神式で祀られているのでこんがらがって困る。実家の裏の山の岩の処へ祠を造り祀って呉れとの事で、祖父の代よりその通りにしておりますが、此の祠は何時までも御守りしなければならないでしょうか。御伺い申し上げます。

“いつまでもという事はない。五六七世の始まりまで此の儘でよい。五六七世の始まりは神仏は一つものになる。(S24・4・21)

祖先祭り整理(異宗霊)

“私の祖先(おじいさん)は丸山教信徒の為一人丈け其の人の遺言に依り現在神棚に祭ってあります。他の祖先は禅宗で仏壇に祭ってありますがおじいさんの霊も禅宗に合致御祭りさせて戴いても差支えありませんか。差支えがないとすれば其の方法を御教示願います。

“霊界に於る祖父の考えによる。差支えない限りそのままにしておけばよい。一つだけ神棚を置いて今迄通りにしておく。新しいものを今にお作りになるから、それまではそのままでよい。(S25・1・25)

御用の為祖霊を次男に祀らす事

“私は長男で両親に死別後、北海道で本教の普及の御用をさせて戴いて居りますが、両親の位牌並に先祖の霊のお祀りは郷里(滋賀県)の次男にまかせてあります。此の場合如何様に致したらよろしいでせうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“之はよろしい。人を助ける為に自分が出来ず次男に任すのであるから、両親も霊界で喜んでいる。(S24・6・8)

反対家族ある時の先祖祀替

“会本部に奉仕又は修業している者で、家族が此の道に理解なき為先祖を祀りかえてやる事が出来ませんが、本人達は一日も早く先祖を祀ってやりたいと願っている場合は、如何なる方法をとったら一番よろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

“神様にお任せしておく。機会あれば話をする。後光明如来様にお願いする。(S24・7・3)

反対ある時のお屏風祭り

“お仏壇を整理して御屏風の御神体と御先祖様をお祀りしたいのですが、同一家族中に反対する人があり思ふ様に出来ません。然し一日も早くお祀り致したい場合、暫定的に別に小さなお仏壇を作りお教の通りにお祀りしてもよろしいでせうか。

“結構である。反対のある時に祀ると反って霊が邪魔するから暫定的にお祭りした方がよい。

反対のある埋葬地と祀り

“私が御導きさせて戴きました信徒の家で、最近その主人が(後呂(ウシロ)家と申します。)亡くなりましたが、その主人が山田家より後呂家に養子に来た人であり、その家は分家でありますので、今度葬る事に就いて本家始め親族の者が相談した所「後呂家の本家の墓地に葬ったらよい」といふのですが、その妻女(信徒)の希望として「新しい分家の墓地を作りその処に主人を葬り度い」と申して居りますが、これはどちらへ葬る事が正しいでせうか。御教示下さいませ。亡くなった御主人は本教信徒ではありません。

“養子先の墓地に埋けるのが本当だが、あまり本家が反対すれば逆ふのはまづい。先方の言ふ通りにして霊だけをこっちへ葬る。或時期まで反対者があると霊がそっちへ引っ張られるから苦しむ。臨機応変である。(S24・11・15)

戒名のみで祀る

“私は一昨年九月より昨年九月までに主人と子供二人を亡くしたもので御座います。私は祖先のお祭りをしたいと思ひ親戚にお願ひ致しましたが、主人の姉妹が反対で「血統の続いていない者には祭って貰いたくない」と断はられ、現在は主人の妹の子供がお祭りしています。私は祖先の戒名を書いてお祭りしています。今後如何したらよろしいでせうか。

“やむを得ぬからその程度でよい。(結構である。)(S24・10・26)

祖先祀る者多い方よし

“私の祖先は代々神社の社掌でありました。父は当時警察官吏であり、家の整理の為職を辞し、叔父の死後は頑固で、無神論者であった父は社掌も廃し、川越家の代々の位牌等も山奥の田舎の家に預けたまま放置してあり、私と別居して居ります。私も長男故、川越家先祖代々の霊位と書いた位牌を作り、妻の位牌と共に祭ってありますが、如何でありませうか。

“之でよろしい。お祭りする人は出来るだけ多いほどよい。  (S24・6・28)

私生児として実父母の祀り

“ある信者さんで御座いますが、最近まで自分の身の上に就て本当の事を知らないで居りましたが、五、六年前結婚致しまして凡ての事がお判りになったそうで御座いますが、その方は私生児で、生れて間もなく或る家に養女にやられ、その家にて一人前にして戴き他家に嫁ぎましたが、その折自分が私生児であった事が初めて判りました。お道に入信致しましてからいろいろ仏様の事が気にかかりますが、その方の実父母は亡くなって居るとの事で御座いますが、此の場合お祀りしてあげた方がよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“無論お祀りした方がよい。(S24・10・2)

不明母の祀り

“私が教導して居る信者で、子供の時に父親に死別し其の後母親に捨てられたのです。大きく成ってから母親の居所が判明したので迎えに行ったのですが、他の男と世帯を持って暮して居るので来てくれません。其の後母親はどこで暮して居るのか全然消息不明に成ってしまったのです。或る所で見てもらった処、其の母親は七日の日に死んでしまったと申されたそうです。それから毎月七日を命日として心から其の霊を祭って居るとの事です。それで良いので御座いましょうか。又は現在地のお寺で戒名を書いてもらって其の霊をお祭りした方がよいのでございましょうか。

“七日にお祀りするだけで結構である。

離婚の父方の位牌祀るべきか

“幼い時父母が離婚いたし母に育てられ現在にいたりました。仏壇のお位牌は母方のみが祭ってあります。父の方の先祖は祭らないでよろしいものでせうか。

“父も祀らねばいけない。事情によって判断する。(S24・5・13)

養父の位牌の祀り方

“私の妻は結婚する前に他家に養女として行っておりましたが、私と結婚するので廃家して現在に及んでおります。只今仏壇には取敢えず養父の位牌をお祭り致して居りますが、如何致したら宜しいでせう。

“先祖の位牌を大きく、小さく養父の霊とかいておくとよい。(S24・3・19)

夫婦の位牌

“一体の位牌に先祖代々の霊、父母、祖父母等一緒にお祭りしてよろしいでせうか。

“面識なき祖先は先祖代々でよい。夫婦の場合一つ位牌でよい。位牌を移す場合は言葉でよい。  (S23)

不和離婚霊の合祀

“私の祖父母は父が子供の時に離婚して、父は祖母方で生長致しました。今月十五日、開拓地先で思ひもかけず祖父(未知の間柄で死後十二年)を祀って居る遺族に会ひ、祖父の写真及戒名等を見せて貰ひました。丁度同じ頃、只今産褥中の妹にそれらしき霊が頻繁にかかります。又私もその土地へ行く時船中で夢に老人の写真が前に倒れかけたのを突差に受け止めた夢をみました。「祖父は中風で死去して居る由」ですが、此の霊を祀って上げてもよいでせうか。不和が原因で離婚したらしいのですが祖母と同じ仏壇に祀っても差支へないでせうか。御伺ひ申し上げます。

“差支へない。霊界へ往くと争はいけない事が判るから、その心配の要はない。写真が倒れかけたのは、中風が未だ治っていない。祀ってもらふ時期が来たものである。(S24・11・18)

内縁者の祀り

“千田ヒデノという信者、夫養子を迎えましたが、長男が戦死したのみならず、夫も行方不明となりました。其の後、鈴木清一郎という人と内縁関係を結び二人の子供が出来ましたが、鈴木清一郎は死亡致しました。此の場合、如何様にお祀り致しますのが正しいので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“鈴木という人も次に祀る。順序さえ立っていればよい。  (S24・5・1)

結婚直後実家で死亡の霊祀り

“最近肺結核で亡くなりました或る信者の妻で御座居ますが、結婚直後発病して亡くなる迄実家で病臥しておりましたが、納骨は実家の墓地に致しましても宜敷う御座いませうか、御伺ひ申し上げます。実家と婚家との宗旨は違ひます。

“間もなく亡くなったら実家でよい。(S24・5・2)

婚家へ先夫の位牌

“近く再婚する会員ですが、先夫の位牌を嫁入先の仏壇におまつり致した場合、理解なき家人より反対されはしまいかと案じておりますが如何致したらよろしいでしょうか。

“嫁入先へ位牌は持って行かない方がよい。たとえ理解があっても反対するであろう。

先夫を婚家で祀る事

“或る信者の婦人、先般来大浄化を戴いております。処がその婦人の実家(未入信)でも病人がありました。そして或る祈祷師におがんで貰った処、婦人の先夫の霊が出て祀って欲しいと申した由で、その婦人は早速先夫の霊を現在の婚家の仏壇に祀りました。先夫はその婦人の実家で死亡致したもので、祀るなら実家で祀るべきで、現在の主人及びその家族の気持から推しても祀る事は不可ない様にも思われますが如何なもので御座いましょうか。又他の祈祷師の言を軽々に信ずる事も如何かと思われます。如何すべきか御教えを御願い申し上げます。

“(実家に祀った方がよく)先夫の方はまづい。その人による。その人に変な気があると障る。  (S24・8・11)

再婚時前夫の位牌

“他家に再婚する場合、前の主人の位牌は如何したらよろしいので御座いませうか。

“再婚する以上位牌をもってゆくのはまづい。その系統の者にお守(モ)りを頼むとよい。自分とは関係のない事にした方がよい。(S23・10・28)

実母と継母の祀り

“私の実母が早く亡くなった為、母の実妹が継母として家に迎えられ、其の後継母も亡くなりましたので、位牌は父と母二人を同一位牌に祭って居りますが三人一緒でも差支えありませんでしょうか。又別々にお祭りするものでしょうか。順序を御伺い申し上げます。

“霊の性格による。嫉妬の憂がなければ一緒でよい。先妻を隣へ、ちょっと離れた所へ継母を置く。(S25・5・5)

本後妻の併祀

“私の父は三人妻をめとり、本妻と後妻は死亡し骨は二ツ並べて埋め、戒名も石塔へ二ツ並べて刻んであります。父も三番目の母も現存はしていますが死亡の節は如何様にしたらよろしいでせうか。四人一所でもよろしう御座いませうか。

“霊の性質による。執着のある霊で、憎み合ふのは困る。本当はよくない。(S25・2・3)

先妻祀り

“私は昭和五年最初の妻細井こめと結婚しましたが一年二ケ月にて子供を死産し、本人も昭和六年六月五日死亡致しました。同年七月十日その妹を妻に迎えましたが、一年足らずにて同七年離婚致しました。その際位牌を返してくれと言ふので、妻の実家に返しました。その後昭和七年妻を迎へましたが、昭和二十二年十二月三十一日に死亡致し、種々不幸が続きます。昭和二十二年十月入信、光明如来様を御祀りして御守護を御願ひして居ります。最近最初の妻の事が気になります。やはり位牌を作り祀った方がよいでせうか。若し祀るとしたら前妻と後妻の位牌はどう言ふ順序で祀るべきでありませうか。御伺ひ申し上げます。

“気になるのは祀ってもらひたいと霊が要求するのであるから祀ってやるとよい。前妻を良い位置にし、後妻を次の位置にする。(S24・5・18)

先妻後妻の奉祀順位

“私の母は私が五才の時、父と不和に成り里方に帰り病気となり離縁され間もなく世を去り、後二度目の母をむかえ現在健康で別居しております。父は三年前世を去りましたが、其の父の位牌にならべて、離婚された母の戒名を書いて御祭りしてもよろしいでしょうか。

“よくある。先妻も後妻も祀ってやれば結構である。主人と先妻を並べ、後妻は先妻の前へ祀った方がよい。(S23・10・23)

後妻も一位牌にしてよいか 

“戦災にて焼失したため新しく位牌を作る場合、従来は別々にしてあった夫婦の位牌を一枚に並べて書いてよろしいので御座いましょうか。若し後妻のあった場合は如何致せばよろしいので御座いましょうか。又兄弟姉妹の場合数名分一枚にしてよろしいので御座いましょうか。御伺い申します。

“夫婦は一枚にしてよい。戦災で死んでも、後妻はあっても。霊によっては嫉妬の強いのと、そう思はないのとある。それで後妻は別の位牌にして側へ置く。最初は先妻のをおき、先妻の位牌の前に後妻の位牌を置く。姉弟のは一枚にして結構で、上下の位置さえ気をつければよい。(S23・8・21)

後妻の位牌

“夫婦の位牌は並べてお祀りする様にと伺って居りますが、亡夫に後妻があった場合、その後妻の位牌はどこに置くべきでせう。

“その傍へ置いてよい。然し順序は正しくなくてはいけない。順序が狂っていると霊が苦しむ。注意すべきである。供養の時来るから。

夫婦霊位牌の書き方

“夫婦共に死亡した場合、その戒名を一基の位牌に並べて書くのと、二基の位牌に分けて書くのとはどちらが宜しいでせうか。

“どっちでもおなじ事であるが、一基の方が手数がかからなくてよいだらう。

夫婦後妻養子霊の祀り

“同じ仏壇でよろしい。妻の霊は夫の霊より次の位に祀る。一方だけ祀るのはまづい。すべて左が上座である。夫婦の位牌は並べた方がよい。先妻と後妻の場合、本当いふと夫の好きな方を先にすべきである。養子の場合は女を主にした方が本当で、これは養子の方が女になるからである。(S23・6・28)

後妻の子が父母祀る式

“先妻は結婚後数ケ月で他界し、後妻は永く連添った後他界して居ります場合、後妻の子が両親を祀ります場合お位牌は父と後妻(実母)とを一緒にし先妻を別にして祀りたいのは子供の情として当然と思はれますが如何なもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“これでよい。(S25・3・22)

分家での祖霊祀り

“私の家は分家で(本家は浄土宗)現在仮の仏壇を造り朝夕御参りして居りますがその必要は御座いませんでせうか。仏壇の位置は床の間の光明如来様の横で差支へ御座いませんでせうか。又位牌の位置は御屏風観音様を御祭している時如何様に致したら宜しいでせうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“分家でも祀らなくてはならぬ。屏風観音様は一番中の一番の上が本当で、祖先の位牌はその一段下である。(S24・7・16)

分家での祀り 

“岩手県の農家の信者の家で御座いますが、其の家の本家が十数年前に北海道へ移住する時、先祖より伝はる古い位牌を三軒の分家に分けて預けて行きまして、数年前より音信も絶へ行方知れぬ為、位牌を其の儘各分家でお祀り致して居ります。今回仏壇の整理を致しますのに本家のを如何様にお祀り致しましたら宜敷う御座いませうか。分家でも先祖代々の位牌を祀って居りますが、本家の位牌も共にお祀り致します場合順序は如何致しましたら宜敷う御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“分家の跡をつぐのは、長男が跡を継ぐやうなものである。(S25・2・12)

分家した場合の主祀祖霊

“私の母は元来横関家の娘で同家の後とりでしたが、母の実母が亡くなって継母の連れ児が横関姓を名乗ったので、母は私を連れて絶家を買って分家となり、新たに皆川姓を名乗りました。私はどちらの先祖をお祀りすればよろしいのでせうか。又両方祀る時どちらを上位にすればよろしいでせうか。

“皆川家を第一にすればよい。

養家先での祖先祀り

“養家先でも自分の実家の先祖の位牌を作って御参りする必要がありませうか。(勿論実家の方では兄が先祖は祭っておりますのですが)

“養家先でも位牌を作ってお祭りすれば結構だ。しないよりはズーッとよい。祀る人が一軒でも多い程祖霊は喜ぶ。供養する人が多い程向上するのである。(S24・4・28)

実家へ帰っての仏壇

“別家した弟が家庭の都合で実家へ帰ることになりましたが、二つの仏壇をどの様にお祀りしたらよろしう御座いませうか。弟が家を預る場合で御座います。御教へを賜りたく御願ひ申し上げます。

“実家へ帰れば一つでよい。(S24・11・22)

異宗の両親妻が祀る

“私の家は東本願寺派ですが、妻の実家は日蓮宗です。両親が死亡した場合、妻の家の習慣として嫁いでいるものの許へも報恩のために位牌を貰い受け御祭りする事になっていますので預いて参り私の家の仏壇にお祭りしてありますが、一緒に御祭りして差支え御座いませんでしょうか。御伺い申し上げます。

“あまり感心はせぬが、そういう事情なら差支えない。別々に出来るなら結構である。(S24・9・16)

妻の実家の霊祀るべきや

“私は三男で分家の身で御座います。今度先祖をお祀り致したいと思ひますが、その際妻の先祖もお祀り致すべきでございませうか。お伺ひ致します。(妻は実家を相続すべき身で先祖のお祀りをする人はありません)尚お祀りの際お供物等は如何致しましたらよろしうございますか。御教示お願ひ致します。

“無論妻君の先祖も祀る方がよい。絶対にお祭りした方がよい。お供へは普通でよい。(S25・4・27)

実家の位牌祀るべきか

“他家へ嫁入りした場合、実家の御位牌は「先祖代々」だけで宜しいでせうか。或はその他の位牌があればお祀りすべきでせうか。

“実家に委せておけばよい。嫁に行ってからまで実家の事を心配する要はない。

嫁いでからの養家の位牌

“養女先より実家へ帰り他家へ嫁いだ場合、養女先の御先祖の位牌をお祭りする必要はないと存じますが如何で御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“他家へ嫁いだのであるから、養家とは縁が切れているのであるから、先の位牌は祀る要はない。  (S24・6・28)

再婚時の位牌

“再婚の場合、先妻の先祖代々の位牌は祭っておくべきでせうか。祭っておく際の位置は何処がよろしいでせうか。

“婚家先の次へ祀る。位置は相応した所がある。(S24・6・3)

祀らぬ祖先を婚家で祀る事

“或る人が祖先のお祭りを全然致しませんので、その伯母にあたる方が婚家先の仏壇に一緒にお祭り致したいと申して居りますが、如何で御座いましょうか。御教えを賜り度く存じます。尚、実家で入信していない場合に婚家先で実家の祖霊を御祀りしても宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“差つかえない。何か怨みを抱いているの――。 (S24・9・11)

実家と婚家の両位牌

“信者、加悦つや(六十五才)宅で来る十九日御屏風観音様をお祀りさせて頂きますが、主人はすでに死亡致し子供が授からぬ為主人の友人の子を貰いましたが、一昨年肺結核で死亡致しました。(当時三十九才)二人の位牌は御座いますが先祖代々の位牌が御座いません。此の様な場合、加悦家先祖代々のお位牌と加悦つやの実家の安田家先祖代々のお位牌と両方お祀りさせて頂いた方が宜しゅう御座いましょうか。右御伺い申し上げます。

“どっちでもよい。順序を間違えるな。  (S25・3・18)

反対者ある祖霊の祀り

“私の母は村上家の相続人でありながら曽我家に後妻に嫁いで(先妻の子、三男一女あり)二子を生みました。そして兄は村上家の後継者として村上姓(母も未だ村上です)を名乗り、私は先妻の子と同じく父の姓を名乗って居ります。母は嫁ぐ時に村上家の仏壇を持って来て祀って居りますが、先妻の長男は村上家の仏壇を祀る事を嫌ひます。同居して居りますので、別居して村上家の仏壇を祀る方がよろしいのでせうか、御伺ひ致します。

“その方がよい。反対者があるとき祖先は非常に嫌ふ。(S25・5・25)

長男が祖霊別祀

“郷里で末子(未入信)が、先祖伝来の仏壇に先祖代々の位牌を祀って居り、長兄(信者)は事情により別の処で世帯を持って、別に新しく先祖代々の位牌を造り、御屏風観音様を御奉斎し御祀り致して居ります。長兄は先祖伝来の仏壇と御位牌を祀るべきで御座いませうか。  現在の儘でも差支へ御座いませんでせうか。尚、現在長兄は心臓と腹膜重態で御座います。御教へを御願ひ申し上げます。

“これでよい。先祖代々の位牌ならよい。(S24・8・1)

生家養家何れを祀るか

“現在私の主人は山本の姓を名のって居りますが、実は川村家に生れ生後間もなく山本家に参りまして成人致しました。山本家の子供が虚弱なる為、若しその子供が死亡致しました時は主人が養子になる筈で御座いましたが、その子供が成人して其の必要がなくなりました。然し主人が成人致しました時には自分の本当の両親の顔も住居もわかりませんので、自分の意志で山本に戸籍を移したので御座います。現在私は或る事情から夫婦別居致して居ります。此の度御教修を受けさせて戴きまして初めて祖先の供養の必要を知り、先祖代々の御位牌を作らせて戴かうと思ひますが、山本、川村のいづれの先祖をお祭りしたら宜敷う御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“どちらにするか光明如来様にお願いすると浮んでくる。(S24・10・22)

断絶の実家の祀り

“私の実家では一族全部死に絶へました。(大部分は脳溢血又は心臓痲痺で死んでいます。)その施主は一人もいない為、私が婚家先で供養いたしたいと思ひます。仏壇は別にすべきでせうか。又は同じ仏壇に併祭致してもよろしいでせうか。又位牌のならべる順序をお教へ下さい。

“誰も祀り手がないのであるから併祭ではいけない。独立した祀り方をする。順序は真中が先祖代々、左が上の人にする。祖先のよほどの罪がある。(S24・3・17)

実家全滅の位牌

“妻の実家全部死亡の為、当家の仏壇の中へ妻の実家の位牌を入れるべきか、仏壇を二ケ並べて御祀り致すべきか。

“どっちでもよい。祀ってやれば功徳になる。(S24・7・11)

本家復興と仏壇

“本家が一時没落した為、仏様を弟の家で祭って居りましたが、最近本家が復興致しました。此様な場合仏様は本家で祭るべきでせうか。

“勿論本へお戻り願ふ。(S24・4・28)

他家姓を名乗った場合の先祖祀り

“兵隊逃れの為、縁もゆかりも無い家の姓を名乗っている場合は、やはり霊的にはその家の子孫なのでせうか。又先祖代々の霊を祀る場合、どちらを祀るのが本当で、何れを主に祀るべきでせうか。

“兵隊逃れの為なら仮のものである。そこの子孫ではない。大した因縁でない。両方祀った方がよい。広く祀る方がよい。養子に行った先の先祖を主にするといい。

帰化人の先祖祀り方

“帰化した朝鮮人で妻は日本人、先祖を御祭りする場合「何々家先祖代々之霊位」として御祀りすればよいのでせうか。

“帰化したとすれば日本流でよい。(S24・7・11)

朝鮮人の死後 

“朝鮮人(信者)で、従来位牌を御祀り致した事が御座居ません。今度お祀り致したいと申されますが、如何様に致しましたら宜敷う御座居ませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“朝鮮人が死ねば朝鮮の霊界へ行く。日本で祀って、朝鮮の霊界へ行って――。日本で祀ると反って厄介である。(S24・7・1)

面識の範囲

“仏壇に先祖を祀る場合、面識ある方の御位牌は如何なる順序に御まつりさせて戴いたらよろしいでせうか。

“面識といっても身内でなくてはいけない。従兄弟位迄でよい。常識的に祀ればよい。(S25・5・27)

供養と戒名 

“私は主人と主人の母と子供三人北鮮に生活して居りました処、母は昭和十九年十一月に死亡、昭和二十年八月疎開を決意し主人子供と共に汽車に乗ったところ爆撃に会ひ、私は仮死の状態になり気がついた時は病院の中に居り、主人子供は居りませんでした。それ以来未だに何の消息もなく既に死亡したものと思ひます。私は今引揚げて一時実家に身を寄せて居りますが、現在住友家を守る人は私以外にないのです。右の事項に就いて御伺ひします。

一、住友家先祖代々の霊供養を行い度いと思ひますが位牌はどの様に準備したらよいでせうか。主人、子供の位牌は夫々作らなければならぬものでせうか。

二、戒名はどの様にしたらよいものでせうか。

三、私の実家では先祖代々霊供養は昨年十月させて戴いてあるのですが、今度若し住友家の霊供養をするも一軒の家で仏壇が二つになるのですがそれで差支へないでせうか。

“面識あるものは位牌を作らなくてはいけない。菩提寺へ行って、坊さんに戒名をつけてもらい、簡単に祀ってもらふ。実家は後にして嫁入先を主にする。供養すれば婚家先の祖霊は非常に喜ぶ。  (S24・2・15)