039 祭事篇 第二篇 諸神仏斎祀

御開眼御像の祭り方

“光明如来様の前に大黒様と木像の観音様をお祀り致したいと思ひますが、位置並に御祀りする方法に就いて御教へ下さい。

“台をして、観音様の方を高くする。(S24・1・7)

開眼の観音像、仏壇への祭り方

“御開眼して戴いた観音様を仏壇に御祀りして差支ないでせうか、又その場合屏風観音様と両方を御祀りする時、その祀り方を如何にしたらよいでせうか、御伺ひ申し上げます。

“屏風を一番上に、次が開眼の御像を置く。(S24・9・28)

損傷ある観音像

“観音様の御像がよく災難の身替りに立たれ御姿の御手や御足等が損じて居らるるものを御祭りして居る人が、御屏風観音様を御祭りされた場合此の御像は如何致したら宜敷う御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“損じている所を治すといい。損じている所は非常にイヤがられる。焼物の観音様は困る。それは、木彫の観音様にお移り願いますと、お願いするとよい。  (S24・7・12)

木彫観音様礼拝

“礼拝の仕方について

(イ)御神体の直前に御開眼を頂いた木彫の観音様をお祀り致しておすがこれは宜しいでせうか。 

(ロ)若し宜しいのでしたら礼拝の際御神体を拝する事により此観音様にも一緒に敬意を表はしている、との考えから特に観音像には礼拝しておりませんが宜しいものでせうか。

(ハ)ただ此場合大黒様には礼拝して観音像には礼拝しない事が一寸感じますが如何でせうか。

“(イ)光明如来様おかけしてその前に安置して差支へない。

(ロ)それでよい。一緒に礼拝する意味になる。

(ハ)構はない。光明如来様も木彫の観音様も同じものであるが大黒様は別である。

観音堂へ祭る観音像へ御開眼

“家の近くに金無垢の馬頭観音様の御像をお祭りした堂があり、先祖より代々私の家で奉仕しておりましたが、以前其の御像が盗難に逢ひ、今は阿弥陀様のお姿を御祭りしてありますので、今度観音様の御像に開眼して戴き御祭り致し度いと思ひますが、どの様な観音様を御祭り致したら宜敷いでせうか。御教示願ひます。

“心掛けていればすぐに来る。無理に探す要はない。然し観音様は光明如来様になっているし、阿弥陀様も帰るし、恐らく祀る要はない。又来ないであらう。(S24・6・6)

焼物の入霊

“酒乱の夫治癒す――。床に狸の木彫像ありき、その処置如何にすべきや。

“狸像は床の間の上にのせておけばよい。或はそうすると狸は苦しいかもしれぬがそういう場合は、又変った事が起るだろうから、そしたら外へ祭ればよい。私は焼物には霊を入れぬ事にしている。全然入らぬ事はないが非常に入り難くあまり効果的でない。故に観音様の焼物は撤去してもよし。

観音様と大黒様(みろく大黒天)

“大黒様と観音様の関係――。

“金銀財宝は観音様自ら扱はれなく、大黒様にやらせる。大きい程よい。渋井先生は欲張って大きいのを作った。私の家にも大きいのがある。これには神秘がある。十何年前、赤字が二、三ケ月続いた時、観音様にお任せして置いたら、ある銀行員が文久何年とか作の大黒様をもって来たのでいただいたら、それから黒字となった。それから趣味を持ち五十程手に入れた。ある時信者で、青山の高樹町山田元吉といふ古物商の店頭に、人間の顔より大きい三、四百年前の大黒様を譲って貰おうとした。十二月初め私も見に行った。主にたのんでも絶対に譲って呉れなかったが、十二月大晦日に譲るから来てくれと言ふのだった。その理由は夢をみて、大黒様が紫雲にのって、その家を出て行く夢をみた。そしてお金がなくて大晦日が越せぬから、いくらでもいいから金を貰ひたいといふ訳である。それでお礼金として三百円包んでやった。これから又一層大きく金が入る様になった。布袋和尚は支那の坊主で大黒様とは関係ない。

大黒様拝む事

“御神前へ大黒様をお祀り致して御座います場合、御神体へお詣り致します事によりまして特別に大黒様にお願い致さなくても御守護(物資)頂けると考へますが如何なもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“勿論そうである。光明如来様の御差図で働くのであるから、特別拝まなくてもよい。(S25・4・22)

大黒様の祀り方(称へ言)

“大黒様のお祭りの致し方をお教へ願ひます。

“特にどうといふ形式はない。光明如来様をお祭りした後、もっと簡単にすればよい。祝詞も奏げなくていい。「大黒天様守給へ幸倍給へ」と称へるだけでよい。大黒様は観音様の御命令で働くのであるから、直接人間の願いを聞く訳でない。御挨拶程度でよい。  (S23・10・17)

天照大神と恵比須

“大阪の今宮戎神社や西宮戎神社の如く、有名な恵比須様には附近に広田神社(祭神は天照大御神)が奉斎されてある由、尚従来恵比須様には有名な神社があるのに、大黒様にはあまり有名なお宮がない理由。

“天照大神の息子の蛭子尊を祭ったのが恵比寿である。それで近くへお祭りする。

観音像と法華

“観音様は唐金はウソである。木彫で金箔を塗る。法華経は必ず一代のもので、決して長くは続かぬ。―――――――――――  日蓮―すぐの処置は面白くない。本当は嘘で,光明如来様上座、日蓮下座にする。(S23)

ヒビある大黒御開眼

“大黒様(柳の木)のお開眼をお願い致し度く存じて居りますが、其の大黒様は素人の拵へたもので出来映はあまり良くなく、又頭の方に一寸ヒビが出て居りますが、お開眼のお願ひ出来得ませうか。

“構はぬ。開眼して戴ける。(S24・6・3)

大きい大黒様開眼

“御開眼願の為持参出来ない程の大きさの大黒様の御開眼は如何して御願ひしたらよいでせうか。

“遠くても構はぬ。(S24・4・22)

大黒様塗直し

“御開眼してある大黒様を塗り直した場合、再度の御開眼をして頂いた方が宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。

“眼さえ手を付けなければそのままでよい。(S24・8・23)

お屏風の前に大黒様

“仏壇の千手観音様の御前に大黒様をお祀りするのは如何なもので御座居ませうか。

“之はいけない。全然意味が違ふ。  (S24・10・24)

大黒様と本床逆床

“御大黒様をお祭りする時、御観音様の御神体の向ってどちら側にお祭りするべきでしょうか。又床の間の本床、逆床によっても違うものでしょうか。

“向って右側。本床、逆床はアベコベにしてるのがある。同じでいい。厳粛でやる事は無理である。(S24・5・23)

大黒様の奉斎個所

“大先生様御宅にては大黒天像を御神体及び御神号の直前にお祭りして御座いませんが、一般家庭にあっては何処へ安置しお祭りしたのが一番よろしいのでしょうか。

“床の間の向って右、本部は意味が別である。(S24・7・3)

大黒様の奉祀場所とお供

“御神前に大黒様をお祭りする場合、御神体の正中か右か左か、孰れが正しいのでせうか。又床の間の都合により孰れでもよろしいものでせうか、尚御供へは大黒様にも御供へした方がよろしいでせうか。

“向って右、真中は不可である。お供へはお祭りの時に両方へお供へすればよい。

大黒様の唱号

“私共の家に御奉斎の大黒天神様に朝夕の御挨拶を「五六七大黒天神守り給へ幸倍給へ惟神霊幸倍座世」と申し上げて宜しうございませうか。お伺ひ申し上げます。

“五六七大黒天の名をつけたならいいが、普通なら大黒天神でいい。大黒天様でもいい。  (S25・4・8)

大黒様の称号と甲子

“お大黒様にお詣り致します時、何とお称え申し上げて宜敷いので御座いましょうか。

“大黒天様を唱えればよい。大黒天は印度名、甲子―子の日、鼠は外から引いてくるという。(S24・11・13)

大黒様称へ言

“前の観音会時代大黒様を「みろく大黒天神守り給へ幸へ給へ」と御拝み申し上げましたが此頃新しい方から質問が御座います。大黒様を御拝みした方がよろしゅう御座いましょうか。又御拝み致すとしましたら御神名を御教示御願い申し上げます。

“称え言はなくともよい。願言はよい。ミロク大黒天――。(S23・12・18)

大黒様祀る数

“大黒様は沢山お祀りしてもよいとの御言葉でございましたが、その際矢張り床の間でせうか。

“一つでよろしい。あまり小さいのはいけない。

大黒様多置

“大黒様は幾つも床の間へ置く人がありますが如何なもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“差支えないが、程度問題である。  (S24・12・23)

大黒様・恵比須の併祀

“御神前には大黒様だけをお祭りすれば宜しいのでしょうか。エビス様も併せてお祭りして居る方もあるようですが、どちらが宜しいでしょうか。お伺い申し上げます。

“本当は両方の方がよい。恵比須だけではいけない。大黒だけならよい。(S  (*)・11・23)

大黒・恵比須の祭り

“俗に恵比須、大黒と申されますが、よく大黒様だけお祀りされますが恵比須様はお祀りしなくてもよろしいのでせうか。

“本当は両方祀った方がよいが、場合によって大黒様だけでよい。恵比須だけではいけない。大黒様が主人なら、恵比須様は妻君といふ訳である。 

恵比須講

“十月二十日、及一月二十日に行はれて居ります恵比須講には如何なる意味が御座居ますのでせうか。

“あまり関心がないから知らぬが、恵比須は海の幸、大黒は陸の幸を表はしている。(S23・12・2)

三面六臂の大黒様

“三面六臂の大黒様はどういふいはれで御座いますでせうか。

“観音様が大黒様に化身する事があるが、それである。一寸観音様の感じである。

蓮上と俵上の大黒

“蓮の実の上に居られる大黒様と、米俵の上に居られる大黒様と御座いますが、如何なる相違が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“蓮の葉の上に乗るのは扱いが良過ぎる。印度では相当の位であるから、悪くはないが、米俵は相当している。主食の御利益を戴く。(S24・7・21)

大黒の槌・袋・俵

“大黒様の槌、袋、俵はどんな意味がありますか、又俵の状態が色々ありますがどれが正しいのですか。 

“槌は小槌だが、地面から出る宝という意味にもなる。エビスは海幸、大黒は陸の幸である。袋は、種々な宝物が入っている訳である。俵は米俵で、主食をもっている。俵の真中へ宝珠の玉がついたのや種々あるが、之は彫刻する人の頭で考えたものである。俵に風呂敷を掛けたのや、直に乗っているのや、槌を振ってるのも、持っているのもあるし、足を上げているのも種々あるが、作者の考えによってやったものである。又俵は一つのも二つのも三つのもある。(S23・10・27)

金の大黒様

“昭和二十年家内六人御教修を戴き、光明如来様をお祀りさせて頂きました家庭で御座います。昨年末弟二人に御教修をいただかせ度く御礼の用意のため屋敷内にある樫の木十数本を切り倒しましたが、その中には伐ってはならぬと言はれている大木もございました。伐ります時樵夫の一人が手に負傷し、運ぶ時傍の部落の道具屋のトタン張りの屋根をつきぬけてコンクリートの橋を割ってしまいました。これは代りの木を植えておわび致しました方がよろしう御座いませうか、お伺ひ申し上げます。又入信前父が金の大黒様を集めて信仰しておりましたが、入信後は一まとめにしてしまってしまひました。未だ御神前には大黒様をお祀りしてありません。その時より家庭の経済状態が悪くなったと申して居りますが前の大黒様はそのままでもよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“大黒様は、本当は木がよい。金は嘘で、金は観音様だけならいい。外のものはよすぎる。木の大黒様を代りに祭るとよい。  (S24・11・2)

大黒様の顔

“大黒様の彫刻に上手、下手が随分ありますが、御開眼を頂けばお働きには変りは御座居ませんでしょうか。又口を開いて笑って居るのは余りよくないと言う説がありますが如何で御座居ましょうか。

“大黒様は笑ったのを選ぶべきだ、口を開けてるのは江戸時代のもので、現代のものは口を塞いでる、中には泣いてるのや、苦悶してるようなのなどある。之等は貧乏大黒である。(S25・2・8)

大黒様の顎髯

“彫刻師により大黒天神様に顎髯の有るのと無いのがありますが何れが正しいのでせうか御伺ひ申し上げます。

“正しいとか正しくないとかではない。顎髯は殆どある。あった方が大黒様の感じが出る。(S24・6・25)

種々な大黒様の姿

“私宅に大黒様二体御祭りしています。槌を持たれたのと、手を握られたのと御座います。いづれも御開眼を頂いて居ます。手を握った大黒様の御働きを御教示下さい。

“手が三本づつ出ているのは如意輪観音様の化身である。手を握っているのは、これから袋を開けるのであろう。別に大して意味はない。色々ある。笑ってるのもあれば笑わぬのもある。頭巾を被っているのや、烏帽子のものもある。(S25・1・17)

大黒様の槌の正常

“大黒様の槌を振り上げて居るのと居ないのと、どちらが正しいか。

“槌をふり上げるのが本当だが、彫刻師によって勝手にやっている。然し、どっちでもよい。

大黒様の疵と譲渡

“私がいくつも御開眼をして頂きました御大黒様の中には、色々の場所に瑕があったのはありますが、その中で鼻の両側より額にかけて細く割目の出来たのがあり、場所が場所なので特に気になります。之は何か訳があるので御座いましょうか。又此の様になったのは天然物だからなんでもないから是非お譲り願いたい、と言う方がありますが御譲して良いものでしょうか、併せて御教示下さい。

“譲ってもよい。割目は気になり、醜いようなのはいけない。うめて治すとか、新規にする。(S24・7・27)

大黒様剥色の直し

“大黒様の表面の塗ったものが、剥げて変色している個所があるのですが、同じ色に塗り直して宜しいでせうか。

“塗り治した方がよい。

大黒様の空洞とヒビ

“木彫の大黒様にヒビの入らぬ様に胴体の中をくり抜いて、空洞を作る方法が御座いますが、大黒様の御働きに差支へはないもので御座いませうか。又御開眼後にヒビの入った大黒様を修繕致します場合には、如何様な作法で致しましたら宜しう御座いませうか、御教へを御願ひ申し上げます。

“空洞を作っても差支へない。ヒビが入ったら埋めてやるとよい。(S25・2・11)

故人信仰の大黒天の処置

“二十年程前より姑様が大黒様を信仰し、五年前にその姑が亡くなりましてより不幸が続きました。今では光明如来様をお祭りして明るく暮して居ります。扨て右の大黒様ですが、どういふ風に御取扱ひしたらよいでせうか。

“結構である。光明如来様の向って右の方へ台の上に乗せて安置する。そして祭日には大黒様も共にお祭りする。ずっと簡単でよい。毎礼拝の時、お叩頭をする。そうすれば、斯ういふ大黒様も霊があるから、姑も大黒様も喜ぶ。(S24・3・17)

古刀と大黒様の処置

“或熱心な信者の家で御座いますが、本年六十歳の母親が二十三歳の時リョウマチを患ひ医療で思はしくなく或行者にみてもらひました処、古井戸(現在埋まって居ります)の中に刃物が入っていてその為だと申し、其の処置として古刀と大黒様を天照大神様の前へお祀りすればよいと申し、其の通り致しました処、何時の間にか病気が治りました。入信させて戴きまして右の古刀と大黒様が気になりますので如何処分致しましたら宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“処分しなくていい。二、三年経ってから御礼を言って処置すればよい。(S23・5・2)

神棚の撤去

“私の家では昔から中央北の方に神棚を設けて恵比須大黒様を御祭りして有りましたが、其の中の一番大きい一対(三寸五分位)のを弟に譲りました。其の後神棚には一、二寸位のがまだ五、六体有ります。神棚を取り除き度く存じますが如何なもので御座いませうか。又残った大黒様の処置等如何致したら宜しう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“神棚は取除いてもいい。小さい台に乗せておいていい。光明如来様の前か、近くの棚へ飾っておく。  (S25・5・5)

神社と神宮の別

“御祭神によって神社と神宮とあるようですが、何故でしょうか。

“神宮とは、人間を神に祭ったものであり、神社は神を祭ったものである。(S24・11・27)

神社仏閣の神体とその作者

“神社仏閣の功徳について。

一、そのお祀りしてある御神体は、その神仏と霊線のつながりるからでしょうか。

二、その御神体を作った方の霊徳も加味されますのでしょうか右御教示御願い申し上げます。

“一、霊線の繋り処でない。そこにいる。(いない時は代理がおいてある)大抵代理を置いてある。代りの、より強いのが追払って入るのがある。それより、他のものが入っている場合がある。浅草の観音様は、今は御本体はない。その為に盗まれるのである。代理が追い出される事がある。江の島の弁天様は狐がいた。成田も恐らく不動明王でない。狐であろう。善光寺の阿弥陀はいないであろう。

二、汚れたものが作った御神体は良い神様はお憑りにならぬ。(S24・2・8)

五六七と檜

“五六七、六六六、三六九も十八になる。十八は結んで開く。木は日本の意味。日本は木と火の意。日本の神を祀るのは檜で造る。檜を擦ると火が出る。昔から、檜は火事などでもとても燃えやすい。(S23・6・13)

神宮の自然石造り―本当の宮造り

“伊勢神宮がすべて自然石を以って御造営されておりますのは如何な訳で御座居ませうか。

“神代の時代の行い方を引継いでやっている。刻んだのは文化が出来てからで、原始時代は石矢、石刀のみしか出来なかった。お宮でも鉋をかけた宮は嘘で、丸木で造ったのが本当である。昔はチョウナで剥いだような、簡単なものであった。鉋はそう古いものではない。

神輿担ぐ意味

“各地方の神社の祭典の際、お神輿をかついでお祝い致しますが、特別に意味が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“土地の氏神が年に一ぺんづつ、受持区域を巡視する、人間の方で、氏子が巡視をお願する―御招待するのである。お通り願うと汚れや悪霊に対し効果がある。神輿とは神の輿で担ぐ時に神様がお懸りになる。(S24・5・1)

祭礼と神輿

“毎年町村の神社の御祭りの時、山車をひいたりおみこしをかついでまわりますが、何かいわれがあるのでしょうか。御伺い申し上げます。

“年に一遍神に感謝する。又、人間の心も神に近づける意となる。西洋でも謝肉祭をやるが、神をお慰めする意である。お神輿は、神様が廻られる訳で、神様が盛装して、氏子内を巡幸する意である。(S24・10・5)

神社の礼拝

“神社礼拝の仕方。

“一般神社にはきまりはない。その時と的によって臨機応変にすればよい。改まった場合はのりとをあげる。神社には天津祝詞|  │をあげる。寺院には善言讃詞|  産土神社には、産土大神守り給へ幸倍給へ、一般神社はその祭神の名を唱える。(S23・7・25)

川名の神秘、神社に就て

“富山県に神通川、静岡県に天龍川がありますが、何か神秘的伝説が御座いましょうか。御開示の程を御願い申し上げます。

“神秘的な事のあるのもあるし、何かの具合でつけたのもあるので、はっきり言えぬ。例えば、川に龍巻が起って天に昇るので天龍川とか、神社があり、御詣りするにはその川を渡らねばならぬとか、神様の所へ行くので神通川という風の事で命(ツ)いたものもあろう。神社など荒廃した所は沢山ある。出雲朝の出来た時、その前にあった神社を無くそうとした政策をとった事がある。神武天皇が統治した当時、素盞嗚尊以前の神の社を捨ててよくなった。一番古いのは鹿島・香取神社で、その以前のも沢山あったが、殆どなくなった。(S24・12・1)

神、稲荷等の合祀

“私の地方では宅地又は宅地附近に其の家の天主様、稲荷様、三峯甲羅山其の他色々の神仏を三尺四面又は九尺に二間位の祠にして祀ってあります。信仰して不幸の家もあり、不信仰でも割合に栄える家もあるのは何うした理由でありますか。

“いろんな神を雑居さすのは大変間違っている。神様の所へ稲荷を祀ると人間と狐と一緒にいるようなもので、良い神様は決してお出でにならぬ。それで大抵は狐だけが残る事となる。すると人間は狐より下になり、地獄になるから碌な事はない。先祖代々から伝った稲荷は先祖が稲荷になったもので、之は座敷へ祀ってよい。天主様というのは天照大神であり三峯山は日本武尊である。今迄の神仏は力が薄かった。丁度木綿糸のようなもので、頼りなくて仕様がない。それで沢山纒めて祀る。所が光明如来様は一本の太い綱のようなものである。であるから、之等は整理するといい。それは光明如来様を祭り一年位はそのままにしておく。すると光明如来様の御光によって恐れて逃げる神もあり、喜んで磨かれる神もあり、そこに居たい神もあり、いい神になるのもあって、自然に片づく。急いでやるとアダするのがある。

祭りの出鱈目と災害

“静岡県志太郡稲葉村の産土神様は天満宮と今川の六人の落武者をお祀りした六社大明神との二社でありましたのを明治四十一年其の筋の命により合併し御祭神も小産名彦命となりました。其の為か明治四十三年の大洪水以来毎年夏季出水の度毎に被害を蒙ります。尚祭神社名を変更した神官は一昨年以来中風にて半身不随となって居ります。何か霊的関係が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“合併して小産名彦命とつけるなど、まるで滅茶苦茶である。元通りに祀り替へるべきである。すると中風も治るし、洪水の被害もなくなる。菅原道真はなかなか力がある。(S25・2・12)

大神宮様の祭り方(神の階級と祭り方)

“大神宮様を高い所に棚をつり、お祭りするのは如何なる訳でせうか。

“大神宮様は最高の神となっているから、高い所へ祭るのは当然である。よく店先などに吊ってあるが、これは何にもならぬ。その上へ人間が行かぬ所へ祭らなくてはいけない。大神宮など、三段にしてお祭りする。皇大神宮を大きい宮とし、その両脇に豊受神宮などを祭る。そうでないと神様はお出でになれない。―――――――――――  神様は階級があり、階級が違うと神様は来れぬ。(S23)

天祖と産土神併祭

“北海道、特に南部に於ては産土神並に天照大神の神棚を茶間にお祭りしてありますが、これで良いものでせうか。又二階の有無に拘らず階下にお祭りする習慣が御座居ます。これで良いものでせうか。お教へ下さい。

“階下は絶対にいけない、茶の間でも外に適当な部屋がなければ差支へないが、その家の一番良い所へ祭るのが本当である。産土神だけなら簡単でいいが、天照皇大神様の場合形を造らなくてはいけない。檜作りでお宮を作りお祭をする。 豊受大神|  天照大神―と少なくとも一間の床の間を作ってお祭りしなく  産土の神|てはいけない。天照大神より光明如来様や観音様はよい。何となれば天照大神様に病気などお願は出来ない。尊く、崇められる神様である。観音様は、救いの為どんな活動でもなさる仏名であるから、お尤めなどはない。さほどに厳格ではない。(S23・10―――S24・4)

天祖産土神の奉斎と御神体

“左記事項を御伺い申し上げます。

一  天照皇大神、豊受大神、産土神を毎日朝礼すると承っておりますが大光明如来様と孰れを先に礼拝するのが順序でしょうか。

二  私の関係している信徒で現在宝山観音像と光明如来様御書体を奉しておる者ですが、一つ座敷に二つの床の間がありますが、孰れを主にしてお祭りすべきものでしょうか。この上大光明如来様御書体を奉斎する場合は前記御二体の内どちらをお納めするものか、而して大光明如来様と観音尊像とを孰れを主にしてお祭りするものでしょうか。

“一、本教ではそうでない。神道の方である。他教でやるに違いない。

二、光明如来様を主にし、厳上観音は下にす。大光明如来様は又上にする。(S24・10・5)

霊格と祭り方

“家を引越しました時、古く祀ってありました地の神様を町内へ差上げて町内の神様として裏の方へ祀って貰っていました処、その後不幸が続くとの事で御座いますが、如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“お気に入らないんだろうと思う。町内神は産土神である。自分に相応せぬと困る。霊界では、霊そのものの霊的地位は大体決っている。上でも下でもいけない。こういうのは霊が苦しい。産土の神の資格がないからである。(S23・11・11)

氏神への挨拶(柏手)

“氏神様への御挨拶は如何に念ず可きか御教示御願い申し上げます。

“産土大神守給へ幸倍給へ――でよい。御礼と御守護を願う。(神様だから)惟神霊幸倍坐世でよい。拍手など鳴らさぬ方が本当である。(祝詞も普通の声でよい)(S23・12・28)

氏神の観音様移転に付

“十一面観音様遷宮の件。静岡県周智郡水窪町、鎌倉家(当主重太郎)の氏神様として、十一面観音様をお祭りしてあります。御社が水窪町内の善住寺の境内に隣り合せて御座いますが、今度町当局より話しがありまして観音様の御社の敷地を善住寺に譲り渡すようとの交渉が御座いました。事情に依りまして、或は譲り渡さねばならぬかと存じますが、其の場合、観音様を何処へ御遷し致したら宜しゅう御座いましょうか。鎌倉の家の中へお迎えして宜しいもので御座いましょうか。又は他の場所へ御社を建てて御遷し致すべきで御座いましょうか。因に此の観音様は行基菩薩作の木像で御座いましたが、大正五年三月一日火災にて消失致しました処、後から同じ木像を作りまして再興致しましたもので御座います。中央に十一面観音様その左に毘娑門様、右に不動尊様を御祭りして御座います。

“鎌倉という家の中へお祭りした方がよい。仏滅の世になれば観音様もなくなる。先のままでよい。

氏神社の移転と氏と産土神

“私の実家には仏壇の外に御先祖を御祀した御社が裏山に御座居ます。それはその邸に移って来た先祖が七百年前の箒刀を御神体としたものです。処が五代前霊覚者の話で代々女が生れても育たないのはその剱が災しているというので剱山(四国の高山)へ御納しました。その後は世継(男)に中風が多く次男以下不幸の生涯を送っています。私は最初の女として育ち幼時尼になれと言われました。今は結婚して子供もありますが、相続人の兄も中風の気があります。或行者はその社に、四ツ足が居りそれが原因だと申します。御社を如何にしたら宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。

“剣山へ移したのはよくない。それは氏を祀ったものである。氏と産土神とは違う。その最初に行った開拓者で、分家が沢山に出来る。宗家の先祖を祀るのが氏神である。後世になって氏神を昇格して産土神とする事もよくある。剣山へおさめたものは元通りにする。そういうお知らせかもしれぬ。光明如来様をお祭りして徳行すればよい。女嫌いで、男好きという武張った人であったかもしれない。新しく御神体をかくのもいい。○○明神とし、毎月、日を定めて祀る。(S24・5・25)

産土に祝詞、自殺減る

“以前、御伺い申し上げました光映会下仁田教導所前の諏訪神社の事につき、再度御伺い申し上げます。御言葉を戴きましてから毎日祝詞をあげて居りました処、今月一人は飛び込む前に人に助けられ、もう一人は飛び込んでから助けられました。諏訪神社の御力を強くして戴いたのだと考えますが、龍神の方はそのままにしておいてよいのでしょうか。御伺い申し上げます。

“龍神はそのままでよい。産土神は月一回お祭りすればよい。賽銭と祝詞だけでよい。(S24・8・23)

氏神御札の処置

“或信者の家で氏神様の御札が配られたので頂きました。如何致したらよろしいでせうか。

“それはたたんでしばらく光明如来様の前へ台の上にのせておいておけばよい。そして一月か二月位経ったら御礼を一言って焼けばよい。

観音像の石彫と雨曝し

“私の寺に石の観音様が道端に沢山置いてありその背部に南無阿弥陀仏と刻んであります。どう取計ったらよいでしょう。 

“観音様の像は一番いいのは黄金の一寸八分で之が本当で、そうでなければ木で彫って金箔を塗るんである。その他カネも石もいけない。又大体外へ雨ざらしにするのもいけない。こういう事を知らずに石で彫ったものである。信宗では観音様は阿弥陀の慈悲の表われという、即ち観音様の本は阿弥陀という、そういう意味からそんな風に書いたものと思う。昔から観音様の事は御秘仏になっているんで本当の訳を知らない為にこんな事をしたのである。右様の訳で雨曝しの所へ祀るのはまづいので、雨のあたらぬような堂でも作って奉安するといい。阿弥陀の文字は削らなくともいい。

古い観音の祭り場所

“光明如来様を最近におまつりさせていただきます事になって居ります私の信徒の家で、五日ばかり前に余所(ヨソ)から大変古い観音様と龍神様とその下に子供の居ります御軸を戴いたので御座いますが、家の者は何も分らずに戴いたので御座いますが、それを掛けるのをいやだと申して居りますが、それは元の家に返した方が宜しいもので御座いませうか。

“蔵っておけばよい。掛けたければ他の所、下の座敷などにかければよい。

稲荷社祀に異議あり紛糾す

“或町の素封家某氏(某銀行頭取で今家運大変傾きつつあり)の地内に、其の家で代々祀って居りました稲荷を、その町内で町として貰い受け祭る事になりましたので御座いますが、其処の地所をその素封家より貰い受ける事が出来ません為、町の一総代の家で預る事になり、今より二年前、倉の中へ仕舞い込んで御座います。但し、或神主さんに稲荷の霊に還ってもらう様お祭りはしてあるとの事で御座います。 其の後町では色々ともめる事が起きますので、此の度矢張り町でお祀りする様にしようとの事で、前記素封家に元の祠の御座いました地所を町として買い度い旨申し出ましたが、「或事情でどうしても売れない地所である」と断られ、町では、それなら「永代借地せよ」と要求する等、此の事で紛争が起きて居ります、この様なものは町の人の向後の幸の為、如何様に致すのが宜しゅう御座いましょうか、御教え賜り度く、御伺い申し上げます。

“町でも――。国魂の神から分霊を貰えばよい。イヤなのを祀るのはいけない。イヤなのは、ほかに訳がある。何でも無理をしてはいけない。人の嫌がる事などは、執着があるから決していけない。皆快くするのでなくてはいけない。(S25・1・12)

近隣祭神のお詣り

“私の屋敷つづきに橘姫の祭神で市民が龍宮さんと呼びお参りして居りますが、私等としてお道でお祭りした方がよろしう御座いませうか。

“祀る要はない。自分がその系統の訳でない。日に一ぺん位のお詣りはよい。位階を上げるのはいいと思ふ。

御堂への祝詞

“私は一教修者で御座いますが、最近田方郡凾南村に行き同じ村柏谷と言ふ処に白雲あたご地堂と言ひ、毎月廿三日村の人が集りお経や線香を上げて居りますが祝詞や善言讃詞を上げた方がよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“行く要はない。(S24・12・23)

八幡祀の宮

“私の家の上に先祖様より祭っている八幡様とか言ふ小さい神社があります。毎年十月二十日を祭日として祭って居りますが、此のままにして置いて宜しいでせうか。祭りの方法等御教示下さい。

“それでよい、八幡様は応神天皇である。今迄通りでよい。

荒神様

“よく台所に荒神様のお札を貼ってお祀りして御座いますが此の神様はどの様な神様で御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“台所の神である。入信している家では祀る要はない。(S25・5・2)

鳥居のいはれ

“鳥居の形には何かいはれが御座いますでせうか。

“大した謂れはない。鳥のとまったものに違いない。岩戸開きの時鶏が鳴いたので岩戸開きといふ意味。日本より古くユダヤにあるユダヤ民族が持って来た。

鳥居と五色の吹流し

“鳥居の意、又稲荷様には特に多数の赤鳥居を建て尚、稲荷祭りの際五色の吹流しを用いる訳。

“いろいろな説があるが、結局最初岩戸開きの時、鶏が止ってケッコウケッコウと鳴いて岩戸が開いたという、そういう所から起ったのであろう。これは日本のみではなく、ユダヤにもある。稲荷などの場合は装飾的なものである。五色の吹流しというのは、昔の記録によれば五色人といって、世界中の人種は五色あった、五色の人間が一年に一ぺん、一所へ寄ったという、五色人とはそこから出たのであろう。(S24・4・2)

狛犬

“神社の前に狛犬がかざられているのを時々見受けますが、何の意味があるのでしょうか。

“番人である。魔除けというような意味である。(S24・5・13)

寂所の地蔵

“昔の人は何々山の峠とか又淋しい所に、御地蔵様を建てた様ですが、何か訳が御座いますでしょうか。御伺い申し上げます。

“淋しい所は悪い奴が出たりなどする。そういう為にお地蔵様などを建てるのである。悪い奴も仏様を見るとちょっと仏心が起るからである。(S24・6・27)

賽河原と地蔵

“賽河原と地蔵菩薩の話をよく聞きますが、あれは本当で御座いますでせうか。

“本当であらうが正確ではない。賽河原は子供の地獄、地蔵尊は阿弥陀の化身で、教の時は法蔵、地面の上で救ふ時は地蔵となる。

地蔵の起源と由来

“地蔵の起源と由来を御教え願います。

“阿弥陀の化身である。阿弥陀如来は元法蔵菩薩で之は地蔵菩薩で救いの為に菩薩になられたものである。観音様が光明如来となられたようなものである。起源は不明である。仏教渡来後であるから千三百年以後である。

石碑頭の地蔵像

“墓地で石碑の頭の上に地蔵尊の石像が刻んで御座いますが、その儘で宜敷う御座いましょうか。猶、地蔵尊は何神様の化身であられ、如何なる御働きをなされるので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“この儘でよい。阿弥陀の化身である。極楽浄土に救う働きを持つ。それが地蔵として街頭へ進出した訳である。変死者などあった場所へ祀るが、そういう救いの仕事をする。

大神と八百万神併祭(甘茶供養)

“日蓮を信仰していた人で、現在八百万の神を一つ社に大神様として御祭りしてあります。今御光をいただき入信させていただいて居ります。大神様を如何しておきましたらよいでせうか。又先祖、地先祖に甘茶供養して居りますが、之も如何で御座居ませうか。

“甘茶供養は四月八日だけでよい、八百万神と大神様はちがふ。立派な神様は八百万神と一緒においでにならぬ。全部処分した方がよい。光明如来様お祭りしたから、ここにお出の神々は元の御座におかへり願ふといふ。  (S24・3・2)

既祀神の処置

“私の家では昭和二十一年迄、松尾大明神、白龍大神及不動様を二十年ばかり祀って居りましたが、御光を戴きましてより前記三神を祀る必要がなくなりました。今後如何にすればよいでせうか。 

“一年はそのままにして置き、お祀りしておかへりを願ふ。光明如来様をお祭りしたから元の御座へお帰り願ひ度いといい、其の後処分する。神の中にも執着のある神があり、それが除れるまで一年位そのままにして置く。その方が、そのまま穏かで障りがなくていい。(S24・3・15)

既祭神の処分

“私の家では御先祖の時より、御嶽様と秋葉様及稲荷様を祀って居りましたが、昨年十二月光明如来様を御受けし、床の間の真中に御祭りし、両脇に御嶽様と秋葉様を祀って居りましたが、教導所の先生が御山に帰って戴きなさいと言はれたので五月三日御祭をして、御山に帰って戴きました。現在は光明如来の御軸の下に、前記神様の御軸をまいて三宝の上にのせてありますが、之でよいのでせうか。御伺ひ致します。

“光明如来様御奉斎後一年経ってから処分する。(S24・5・28)

浄化されるとは執着がとれる事である。凡ゆる神仏、稲荷等の処分は直ちに処分してはいけない。二、三年そのままにした方がよい。(S23)

不動・弘法等の処分

“不動明王、弘法大師其の他の教祖、宗祖のお姿を画いた軸を御祀りしている方が処分を致したいと申して居られますが、どんな風に処分をさせて頂きましたら宜敷う御座いますか。御教えを御願い申し上げます。

“光明如来様をお祭りして、普通一、二年経てば処分してもよい。よく御礼を言って、元の御座にお帰り願うと言葉で言えばよい。不動も弘法も偉いのであるから、もっと早くていい。一週間か十日位でもいい。龍神や狐などは一、二年を要する。神仏によって臨機応変に解釈すればよい。(S24・2・1)

移転時の神仏処理

“立不動尊と高倉稲荷と日蓮像を唯今お祭りしてある家が、今度他所に移転するに就きまして右の神仏を如何致したもので御座いませう。尚此人は教修を最近頂きましたばかりにて光明如来様はお祀りして御座いません。

“光明如来様をお祭りすれば処理していい。(S24・3・22)

多祭神処分の言葉

“拍手は四柏手。ここにお鎮りになっている皆様に申し上げます。祝詞を奏げ、長い間の御守護を謝し、観音様をお祭りしたから、今日限り元の御座へお帰り願います、といふ。言霊に唱へてもらはぬと、神様は帰れぬ。(S24・3・22)

神札等処分

“光明如来様奉斎と同時に、家にあった以前の神様を神宮にお祭りして頂かなくて全部焼却しましたがよろしいでせうか。

“神官が祀る要はない、資格がない。今迄の事をお断りする、黙ってやると或程度悩まされる。(S25・4・26)

諸神札の処理

“私の家は何代も続いておりまして何時の頃お祭り致しましたものかわかりませんが、家の東に伏見稲荷、遠山八幡、津島島三社とそれから石碑にて秋葉、金比羅、宇賀神、甲子、廿三夜、庚甲、馬頭観世音が四ツと杉の木にお山の神様がお祭りしてあります。昭和二十三年四月に神主をお願い致しまして、今迄の御守護の御礼を申し上げて帰っていただく様にお祭りをお願い致しました処、それは出来ないと申しまして、いつきまつりてと祝詞をあげお祭りして下さいましたがそれ以来お祭りもせず、お屋根やおふくらもいたみ、お庭もあれて居りました処、此の度村の方で石垣を作ってつつじの木を植えてきれいにして下さいました。一家五人入信致しまして昭和二十三年四月に光明如来様を、昭和二十四年五月には大光明如来様を御奉斎させていただき一家揃ってお道のために御用をさせていただいております。この沢山の神様をお祭りしてございますが如何いたしたらよろしゅうございましょうか。御伺い申し上げます。

“自分で祀りをし、帰ってもらう。神主には、資格がないから出来ぬ。(S25・5・6)

神符等の取扱い

“私事二十四年三月入信、五月光明如来様を御祭りさせて頂きました。以来数々の御利益を頂き居り、一人でも多くの人に此の福音を御伝へさせて頂く様努めております。就きましては従来信仰して居りました山神様、八幡様、村社といふ様に種々の御神符が沢山祭前にはりつけてありますが、如何に取扱ふべきか。御教示願ひます。

“整理した方がよい。何にも必要なく、反ってさっぱりしない。一まとめにし祭壇に安置し、御守護御礼して、元の御座へお帰り願ふと申す。(S25・2・5)

御札の処分

“天照皇大神宮及びその他の神社の御札又は「南無日蓮高祖大菩薩」等と記載してあるお寺の御札等を処分するには、如何致したらよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“今迄の御守護の御礼を言って、元の御座へお還りを願ふのである。(S24・9・17)

御守札の処分

“昨年十二月二十日、煤払いを済ませまして神棚に各所の神社の御守護札が祀ってございましたのを御礼申し上げて御焚上げ致し、お宮はねずみの巣になっておりますので、同じくお焚上げ致しました。尚、小さい祠が二つ残っております。扉を開いてみますと、一つは「天地之神守利給幸倍給」と書いてございます。他の一つは「岡田弁才天」と書いてございます。私の家は祖父が分家して岡田の家(絶家)を継ぎ、現在の家を建て、祖父の代にお祀りしたものとおもわれます。右の祠はどの様に致しましたらよろしいでしょうか。

“お礼をいってお焚上げすればよい。

大本教神号処理

“私は以前大本教信者で中華民国青島支部長をして居り、引揚の際大神様、祖霊様、守護神其の他を全部焼却して帰りました。帰国後、御神体がない為自分で御神号を書き毎日礼拝して居りましたが祖霊様の御神体がなく御祭りしておりませんから気になって居りました。昨年十一月入信し光明如来様を御迎え致しましたに就き大本教の御神号を処理したいと思いますが其の方法をば御教示願います。

“御礼をして焼けばよろしい。此間大本教から提携してくれといって来たが断った。宗教はそうゆくものではない。成り立たない。救ってもらいたいなら、個人的に応じてもいい。(S24・5・6)

大本教の処分

“大本教の前の神様を御祭して有る方が教修を戴き、神様御祭りさせて戴きますれば、大本の神様及守護神、祖霊様等の御処分の方法御教示御願ひ申し上げます。

“大本の神は処分した方がよい。神様にお礼を言ってお帰り願って焼く。守護神などもよい。  (S25・3・23)

出口師書の処置と墓地なき場合

“先日御教へ頂きました私の実家の母、故柴田よねの遺骨で御座いますが、柴田家の墓地が複雑致して居りますので、栗田家の墓地に埋葬する様との御言葉を頂きましたが、私共は栗田の分家の分家で御座いますので、墓地が御座いませんがどう致したらよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。猶大本教出口氏の書はどの様に致したらよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“出口師の書は蔵っておく。日蓮宗に関係したものは置いてはいけない。狐がそれを本拠にする。一番近い所の墓地がよい。出来なきや霊は我慢する。(S25・3・28)

霊友会で祀りし戒名の処分

“元霊友会に居りました方で仏壇に他家の戒名まで百数十名もお祀り致して居ります。その後その家では病気と怪我が絶えません。偶々本教の話を聞き縋って参りましたのですけれど、今迄の霊友会当時の過去帳は如何致しましたらよろしいでせうか。

“霊友会でやった事は全部よす。霊友会では自分の祖先を全部処分する。他家の分は処分焼却し、自家のもののみとする。過去帳は焼却してよい。(S24・8・9)

遺杖やお札の処分

“私は昨年六月発病、医師より心臓脚気と名付けられ起きる事も出来ませんでした。昨年九月教修を受けまして今年一月初旬よりよだれが出るようになり病状やや軽快致しました。二月十八日例祭日に先生の浄霊をいただきましたところ隣の家で祭っている稲荷の子であると言い、翌日午後亦自然に霊が浮き光明如来様をお迎えしないと先祖が救われないと必死に頼みました。二十日に光明如来様を御迎え致しました処、二十二日夜十時頃、突然光明如来様が稲荷であるから御嶽様に処理してもらうと言い出しましたが、本人は御軸にふれる事は出来ません。昨年十月にお祈りしてもらったお札(御嶽様)が右の様な事を言うといっております。亦御嶽教を信仰して居って其後死亡した兄の杖があります。右のお札と杖の処置及今後の浄霊法を御教え下さい。

“杖はとっておく。いくらか執着があるとまづい。お札は処分していい。人間の言葉で言ってもらわぬと帰れぬ。(S24・2・26)

強打せる身体の震え、お題目のお返し

“私(二十八才)は二十二才の時、材木運搬中転び脊髄と肩と膝を強打致しまして医療を受けて居りましたが、一年程経ってから身体が震えが来まして段々震えが大きくなり止まらなくなりました。父は私が2才の時に死亡致しましたが、感電死したと聞いて居ります。一家は前に日蓮の熱心な信者でしたが、お屏風様を御祭り致しまして日蓮のお軸と像を行者のところへ返しに母が行きました処、行者が大いに怒って居ったそうですが、其の後母と姉が非常に反対をし始めました。体の震えと父の死と関連が御座いましょうか。又母姉の反対は日蓮行者との関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。今後宜敷く御守護御願い申し上げます。

“身体の震えとは関係はない。放置しておけば治る。打った所へ固まっている為に震える。そこを溶かせばよい。医療で、内出血を固めた。固めて筋を押すので、そこを溶かす。日蓮宗へ題目などを返すのはいけない。こっちで処分する。光明如来様をお祭りして、暫くの間処分せぬ方がよい。反対者のあるのにお祭りするのは御無礼になる。(S25・4・28)

神体不明の宮に応処

“私の家には昔より神体不明の神様を竹林の中に祀ってあります。最近行者が年一回の御祭を致し、社の方向を西に向ける様申しました。如何なるわけでありませう。又向を変へる必要がありませうか。私は本年五月光明如来様を御祭りし、一生懸命信仰して居りますが、前者も従前通り御祭りすべきでせうか。

“宮の中を開けてみれば何神か判るであらう。普通の神なら、紙へ名が書いてある。大先生に言はれたといって開けてみよ。方角はどっちでもよい。なほすとすれば、光明如来様の方へ向ける。今迄祀ってあったものなら、その通りにする。宮によっては空っぽのがよくある。(S24・8・17)

宮の処分

“以前日蓮宗の行者に依り内神を祭り、更に外宮を作りましたが「幣そ幣そ」だけで神様の名前が書いてありません。その時正式に神様の名前をつけて祭込みするには更に修業が必要だと申して居りました。その頃より私は本教団に入会し、光明如来様を祭りその際に内宮(清宮安女姫大禅神)は氏神に御還ししましたが、外宮はそのまま残って居ります。此の暮には之も御還ししやうと思って居ります。土台のコンクリート等は如何に処分したらよいでせうか。

“処分してもよろしい。本当は一年位経ってからがよい。

女観音の石宮の処置

“転居致しました処、庭の一隅に女観音と刻まれた高さ二尺、巾一尺位の石宮があります。之は如何なるもので、如何に処置したら、宜しいでしょうか。家には大光明如来様をお祭りして居ります。

“字だけで、中はないなら庭の一番いい所へ安置しておけばよい。作った人の気持が入っているから、いくらか霊線が繋っている。処置すると怨んだりなどする。女観音とは、木花咲爺姫になる。どっちかというと、女性の働きが多いようである。  (S24・3・20)