038 祭事篇 第一篇 御奉斎

天之御中主大神奉斎と観音様の祭り替え

“天之御中主大神をお祭りして居ましたが、観音様をお祭りするについては如何したら宜しきや。

“天之御中主大神は,お祭りして悪い事はないが,あまりに最高すぎる。そして観音様のように人間化しておられぬのであるから、「観音様をお祭りする事になりましたので、お許し願います」と言葉で言って処分させて頂くとよい。

御奉斎の意義

“教修をいただいたのみで光明如来様をお祀りしなければ救はれないのは如何なるわけでございませうか。

“光明如来様をお祭りすると一家の霊界は明るくなる。お祭りしないと暗いから地獄になっている。拝む度に霊が浄まる訳である。であるから、光明如来様をお祭りしないと信者とならぬ。門の外に居ると同様である。お座敷へ入らぬと天国にならぬ。教修だけで舐めてみるようなものである。  (S24・5)

長旅行に御神体放置のままの場合

“光明如来様、仏壇をおいてしばらく他所へ長逗留する時、家族のものが神とも仏とも思わず朝夕のおまつりはおろかお掃除もしてくれない場合は、光明如来様を一たんお巻きした方がよいでしょうか。お位牌は持っていって逗留先の家の仏壇におまつりさせて戴いてよいものでしょうか。

“おかけしたままでよい。旅行先で、その方角に向って祝詞奏げたり祈願する。霊はどんな遠くまでもゆく。(S24・5・13)

御神体雨漏りで汚る、御奉斎の合理的条件

“光明如来御書体御祭りの家にて雨漏りして汚れました。如何すれば宜敷いでせうか。

“訳のある事がよくある。家に相応しないのをお祭りしていると斯ういふ事がよくある。家に相当しなくてはいけない。一番良い部屋の床へ祭らなくてはいけない。又、家中一致してお祭りせねばいけない。反対があると反っていけない。又病気の治らぬうちにお祭りすると早く治るなどとして祭ってはいけない。生命に関はらぬ病気は差支へない。生命に関はる病気は、御光が強くなるから浄化も強くなる。衰弱しているのは、それで反って斃れる。であるから、これなども何か訳があると思ふから、査べてみよ。  (S24・1・6)

御神体譲り受けて御奉斎する事

“御姿、御書の御神体を他の人から適当な御礼金で譲って頂いて御奉斎して宜しいか、とよくたづねられますが、此れは如何致すべきでせうか。右、御教示御願ひ申し上げます。

“構はぬが、本当でない。悪い事はない。一時的早くお祭りしたい時など――。(S24・10・3)

御奉斎の家(部屋)ない場合

“昭和二十一年に入信した者です。只今は家がなくて、或る家の階下に間借りして居ります。光明如来様を御祭りしたいのですが、階下では具合が悪いので困って居ります。良い部屋が見つかる迄待つべきでしょうか。御教え願います。

“階下へ祭ってはいけない。一生懸命人を助けると、その徳により良い所が見つかる。その時まで待てばよい。(S24・3・17)

教導所の御神体御書体にすべきか

“教導所の御軸は御姿より御書体の大光明如来様をお祀り申し上げるべきでしょうか。

“書体でなくてはいけない。御画は別にお祭りするのはいい。今後御書体の光明如来様は信仰の対象とする。大光明如来御書は教導師以上でなくてはいけない。

教導所の御神体

“従来各教導所に雲上観音様、出世観音様の御尊像を御祭り申し上げて居りますが、大光明如来様の御書の御神体を御祭りさせて頂くのが正しいので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“どっちでもよい。小さい観音様はいけない。雲上観音か出世御尊像なら差支えない。新しく出来た。  (S23・11・1)

御文字の御神体――御神体と時期

“以前に光明如来様の御尊像の御神体をお祭りいたしておりました処、今年の春夢にて中島先生がお出でになられ「光明如来様の御文字の御神体に取替えた方がよい」と仰せられて夢が醒めました。私はお告げであろうと思い、光明如来様の御文字の御神体と取替えて御祭りさせて戴いております。此度床の間を大きく直しましたので、大光明如来様の御神体をお祭りすべきか、もとの御尊像をお祭り致してもよろしきか迷って居ります。如何いたした方がよろしゅう御座いますか。御教えを御願い申し上げます。

“大光明如来様をお祭りすべきである。御尊像は和らかすぎる。文字の方が強い。時期が進んだので、今は文字でなくてはいけない。画は体、文字は霊である。御神体は文字が本当である。(S24・9・22)

御書と御姿の御神体

“教導所に御書体のお軸(大光明如来、光明如来)をお掛けした場合と、お姿のお軸(出世如来、雲上観音)をお掛けした場合と、お働きが異うでしょうか。

“字の方が働きが強い。教導所は御書体でなくてはいけない。今、その時期になっている。中心は字でなくてはいけない。拝む場合は字だけ。字は霊、絵は体であるし、墨絵は霊、彩色は体である。(S23・10・13)

御書と御画の祀り方(御画の奉斎位置) 

“観音様の御姿の御軸と御書体の御軸と両方御祀りさせて頂く場合、御祀りの仕方はどの様に致したら宜しゅう御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“本当からいえば字が上、画が下である。御神体として祭るのは字を祭る。画はその次の部屋へ祭るを原則とする。(S23・12・18)

御字と御絵(階上と階下)、風化作用

“本当をいふと御字は霊であるから二階に、御絵は体であるから下に祭るのだが、今未だ時期が早い点がある。風化作用なども霊が抜ける。(S23・7・12)

御神体拝受して蔵っておく事(家屋求むる考えの誤り)

“大光明如来様を戴いて御座居ますが、未だお祭り致します場所が御座居ませんので、そのままにして御座居ますが、御守護戴けますでしょうか。

“蔵っておいては僅かしか御守護がない。場所を拵えてお迎えするのが本当である。光明如来様をお迎えしたら家が見付かるだろうというのは大間違いで、神様を利用する考えである。一旦お返ししてお詫びする。(S24・7・23)

御書体蔵っておく

“家族の者が御書体の有難味がわからない為家族の者に内密で戴く人が有りますが如何なもので御座いましょうか。(お祀りは致しません)

“蔵っておく為に出来てるんじゃない。外へ祭らした方がよい。(S24・12・23)

御神体をお借りする事(布教の場合)

“教導師が布教に出る際、他人の光明如来様を或期間お借りして差支えありませんでしょうか。御伺い申し上げます。

“大変な間違いである。お掛けしたままにすべきである。布教の際は、お軸がなくとも構わぬ。

一般信者の大光明如来御奉斎

“一般信者の方でも大光明如来様をお祭りさせて頂いてよろしいでしょうか。

“一般信者誰でもよい。お祭りさせなくてはいけない。大光明のお守様は資格者でなくてはいけない。立派な家には大光明如来様、小さな百姓家は光明如来様、その家の大きさ等によって祭る。

御神体貸す事

“私の教導所で熱心な信徒が一家全員浄化致し、其の家庭の奥さんが霊的現象にて(先祖が憑依して)光明如来様をお祭りして呉れと要求しましたが、然し其の家庭は豊かではありませんが、私の処の光明如来様が有りますので、一時お貸ししてお祭りしてあげれば其の一家、又は先祖は真から救われますでしょうか。

“貸してもよい。成可貸した方がよい。それだけ救いになる。蔵っておいては光明如来様のお働きが出来ぬ。

預った御神体

“私宅にて御世話致して居りました五六七教会中京の或婦人教導師、去年の十二月表装付の光明如来様を二体置いて帰ったままで、其の後再三おいで下さいと手紙を出しましたが一向に頂きに参りません。此の光明如来様は私宅に此の儘お預りして置いてよいものでせうか。お伺ひ申し上げます。

“何か神様に御都合がある。(S24・12・3)

譲り受けた観音様お姿の御扱い

“昭和二十二年以前に渋谷に居りました農学士原と言う人の奥さんが、玉川で御教修を受けられましたが、第三日目は何かの御都合で欠席の止むなきに至りましたので御光は戴けませんで、御神体だけ戴いて来られました。昭和二十年九月頃私の父が世田ケ谷で右奥さんの御浄霊させて戴きました処、大変喜ばれ「家に御神体をしまってありますが、勿体ないと思いますので是非お宅でお祭りして下さい」と申して父に下さったそうですが、それで御礼を奉納し、当時或る会の先生に来て頂いてお祭り致し現在に及んで居ります。此の頃になり、大変な間違いをした様に思いますが、如何致したら宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“ただ掛けておくのは構わぬが、お祭りは、光明如来様をお掛けすべきである。(S24・7・22)

御神体のシミ(虫による相応)

“ある信者の家で、雨漏りの為御神体にしみがつきましたが、この御神体はこのまゝお祭り致して居りましても宜敷う御座いませうか。又夏季虫がとまり、御神体の隅の方にしみをつけましたので御座居ますが、如何致しましたら宜敷うございませうか。御伺ひ申し上げます。

“シミが着いてはいけない。表具屋で直さすとよい。御神体は家や座敷に相応しなくてはいけない。でないと斯ういふ事がよくある。(S24・5・2)

御書体の汚紙と浄化(御示し)

“信徒さんの家へお祀りさせて戴きました、光明如来様の御軸の光の御書体に紙が三ケ所位附着して居ります。お祀りした日から其の家の奥さんが腰の浄化を戴きました。尚お祀り後四ケ月後に矢張り奥さんが霊的状態の御浄化を強く戴きました。御書体と何かの関係が御座居ましょうか。

“御書体と関係があるのではなく、お示しである。

表装の過失(切る)

“新しい御神体を表具屋が表装致します際粗相致し、御神体を横に刃物で切ってしまいました。上手にはぎ合せて表装は致しましたが、そのまま御祭り致しましても御許し願えるもので御座居ましょうか。

“新しいのと替える。何れも皆訳がある。然し一概に悪いとのみはいえぬ。何かそのうち神様が知らす。(S24・7・1)

鶯御神体を汚す(お喜び)

“謹んでお詫び申し上げます。去月中旬、勝手口より鶯が入りアッと思う間に御軸の上に止り、大変と思いまして御神前に参りましたら、飛び立つ時に粗相して終いました。如何致しましたら宜しゅう御座いましょうか。尚汚しました箇所は「光明如来」で御座います。後は口頭にて申し上げます。

“非常にいい。光明如来様が大変お喜びになった。それを間違えた。経師屋で洗い落せばよい。(S25・3・28)

御神体に関する諸問(御字残して切除す)取替

“御神体に関して左の諸件につき――或る信者で、御神体が汚れましたので表具屋に修理を頼みました処、御文字の部分の紙のみを残して他の部分の紙をとり捨て、新しい紙に嵌め込む様にして表装し直しました様で御座居ます。勿体ない事ですので、御祭り申し上ぐる事は御遠慮申し上げ、御処分をして戴き度う存じますが、如何致しましたら宜敷う御座居ましょうか。

“切ったのはいけない。新規に取替える。(S24・7・1)

御神体汚した場合(お詫び)

“誤って御軸又は御屏風観音様を汚した場合如何致すべきでしょうか。

“汚した時は、よくお詫びして、経師屋にやり、綺麗にする。(S24・5・23)

御神体にしみ(修理)

“先日の大暴風雨で雨が漏り、御神体の御文字の上に「しみ」がついて了いました。色々反省させられ、只々恐れ畏む次第で御座いますが、この御神体の御取扱は如何致したら宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“字にさわっていないなら経師屋へ頼んで洗えばよい。さわっているといけない。(S24・9・11)

御神体破らる(時待つ)

“或る家庭では長男が御道に反対で、酒に酔った挙句、御神体に対し御無礼を働き御破り申し上げて仕舞ひました。如何致しましたら宜敷う御座居ませうか。

“時節を待つ。必ず破く事の出来ぬ状態になる。(S24・7・1)

離信又は死亡の時の御神体の処置

“何かの理由でお道から離れた場合、或は信者が死亡してその家族に信仰心のない場合等には、御写真、御神体、御書体等はどの様にさせて頂いたらよろしいでせうか。又信者が死亡した場合、土葬の場合御守りは如何致すべきでせうか。

“遺族の希望通りにすればよい。

御神体の紐切れる

“杉山俊雄という一信者の家で御座いますが、家柄が古く本人の父は八代目で唯今健在で御座います。昨年十二月十八日午前十時頃、お祭りさせて戴きましてから七ケ月位になります御神体の紐が切れまして床の間に落ちました。よくしらべて戴きました所、その紐は始めから非常に弱かった様に見受けられました。父は非常に骨董品が好きで、御神体が落ちます三日位前に義経の生い立ちからその最期まで書いてある武者絵の金屏風を御神前に飾って居りました。又現在は製材所を営んで居りますが、以前船を持って居り運送などを致して居りまして、その時船にあった「龍神(八大龍王)が憑っている鏡」を家の中に祀って居ります。十八日の朝、鶏に餌を与えに行きましたら牝鶏が一羽死んで居りました。これは何かのお知らせで御座いましょうか。或は想念の間違いで御座いましょうか。お伺い申し上げます。父は未だ入信致して居りませんが母と本人夫婦は入信致して居ります。

“大した事ではない。紐の切れるのもあり得べき事である。八大龍王は結構である。牝鶏の死ぬような事などよくある事だ。小さい事であるから気にしないでいよ。(S25・1・22)

虫糞のシミ

“御神体に黄金虫が糞を致しまして、大変「シミ」がつきましたので表具屋に頼みましたが、元の通り綺麗になりません。そのまま御祭り申し上げて宜敷う御座いませうか。

“酷い、気にならぬ程度ならよい。(S24・7・1)

御霊写真掲揚

“大先生様の「霊写真」を御掛けさせて戴いて宜敷いでせうか。又御掛けさせて頂く場合、御写真との位置は如何致すべきでせうか。

“霊写真は未だ掛けてはいけない。

御霊写真拝受の事

“奇蹟物語に御掲載の霊写真及び他の霊写真を何とか頂戴致す訳には参らぬものでございましょうか。御伺い申し上げます。

“上げない事はない。功労のあった人にと言っている。(S24・12・1)

叢書の御尊影

“信徒の中で自観叢書「奇蹟物語」の霊写真を切り取ってお祀りしたいと申す者が御座居ますが、よろしゅう御座居ましょうか。御教示願います。

“差支えないが本当のお写真を別けるから申込めよ。本にあるのを切取るのは嘘である。(S25・4・25)

御尊影の御奉斎

“御叢書第四篇巻頭の霊写真、御神影を御額に納めまして善く奉斎させて頂きましてよろしう御ざいませうか。

“差支えないが時期の関係がある。  (S24・10・19)

御尊影をアルバムにする事

“新聞、雑誌紙上掲載の御写真をアルバム等に御納めして宜しいでせうか。又最近は御写真を頂けませんため御額にお納めし礼拝してよいでせうか。

“アルバムはいけない。額は構はぬ。

新聞紙上の御尊影

“最近新聞等にて拝見致しました大先生様や御軸の御写真は如何致しましたら宜しゅうございましょうか。御教示御願い申し上げます。

“(信者なら)切抜いておけばよい。(S24・1・8)

グラフのお姿額にする

“毎日グラフに明主様の和やかな御姿の御写真が御座居ますが、お額にして上げさせて戴いて如何なもので御座居ませうか。

“額にしてもよい。

御尊影の赤色除れる

“大先生様の御写真が赤褐色化致します事は化学的変化との御教へを以前戴きましたが、西萩集会所の御写真は本年七月頃より九月頃迄は大変赤くなって居り、九月十六日にこの家の持主が死亡致し、十月に入ってからは殆ど赤色がとれてしまひました。これは数人の方がはっきり認めて驚いて居ります。霊的に何か関係が御座いませうか。御伺い申し上げます。

“赤いのはお働きになる為霊が強くあった霊。写っていたのである。主人が亡くなりその必要がない故、普通の写真になった。神仏を拝むのと拝まぬのとは違ってくる。拝む程御力は強くなる。褪色的に赤いとすれば、先の人の想念がどっか間違っている。それで御写真も主人の気持が写ったのである。(S24・11・22)

御尊影の褪色とお取替

“成城の教導所に御祭りしてあります大先生様の御写真が最近色が褪せて赤っぽくなって参りましたが、御取替させていただいた方がよろしゅうございましょうか。尚、御取替した場合、御写真の処置は如何したらよろしいもので御座いましょうか。尚、その場合、まわりの表装はその儘にして、御写真だけお張替させて頂いてもよろしゅう御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“お写真は赤くなっても色が褪せても御顔が変らなければよい。変えてもよいが、その場合表装も新しくすべきである。(S24・4・21)

御尊影の奇瑞

“三重県桑名郡の信者高井善一さん宅の大先生様の御写真が、夜電気を消し(隣室の電気は点けたまま)薄暗く致しますと畳に三尺位の大きさにて左記の様にうつります。床の間に向って真中の手前に円光がうつり、それが動きます。左角に大先生様の御顔の姿のやうにうつります。円光の向ふに龍体らしい形がうつります。最初は淡く最近次第に濃くなって参りましたが、何か霊的に意味が御座いませうか。御教へ御願い申し上げます。

“御光が強くなると、だんだんいろいろな事がある。(S24・7・12)

御尊影と御神体の方向

“御軸を御祭りする方向はどちらが一番宜しいでしょうか。又どちらが一番悪いでしょうか。大先生様の御写真は御軸の真前に御祭りするのが宜しいでしょうか。又は横に御祭りすべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。 

“方向は何れでもよい。臨機応変でよい。横に祭った方がよい。床の上には何にも掛けるべきでない。(S24・1・28)

御写真と大黒の祀り場所

“大黒様は真中がよい。又は、出来ぬ場合は観音様の左がいい。床の間の真上には何にも掛けるべきでない。御写真は違い棚の方がよい。両脇が出来ぬ場合は真中でよい。(S23・6・28)

御神体の向

“私宅では光明如来様御奉斎の向に就いて――

“何向でも差支えない。神様には東西南北などはない。本来無東西。何処有南北という。

御奉斎の方位

“御神体を(御軸)御祭りさせていただく場合、方位に適、不適がありませうか。(例へば未申に御祭りすれば丑寅に面する如き)御伺ひ申し上げます。

“こんな事はない。方角は構はぬ。  (S24・3・4)

御奉斎の要項(八足台、御供え、位置)

“左記御祭りの件に就いて――  床或は置床、又は床なき場合を通じて八足台の必要の有無。生魚鳥、洗米、塩、或は水、お茶等供物の正しい扱方。平常の場合、月並祭、臨時祭等に光明如来、大光明如来、の御取替の正しき扱方。間数多く床が数ケ所ある場合、光明如来、大光明如来、御姿平常如何に御掛けしたらよいのでしょうか。御開眼を御願いした観音像或いは大黒様像は光明如来、大光来様の如何なる位置に安置したらよいでしょうか。

“八足台は神道の祀り方。観音様の方はお粗末の恰好でないものなら塗ったものでも何でも差支えない。床の間などに合ったものならよい。何でもよい。(置床でもよい)神道からゆくと塩と水、お米と饌米等上げるが光明如来様はそういうものは要らぬ。観音様は人間のお姿であるから人間の食べるものは何でもよい。塩や生米等は龍神の食べるものである。仏教の間は、神様は大抵龍神になっていた。これから、斯ういう物を上げるのは(本当で?)ない。魚などあっさり焼いたものがよく、牛や豚はやめた方がよい。凡て煮たり焼いたりした物がよい。お祭りの様式は新しいものを作る。それまでの間は適当の行り方で何でもよい。大光明如来様は一番の上座で、次は光明如来、次はお姿で文字は上座が本当である。お姿は次の順序になる。大黒様は前へ置く。御神体のちよっと向って右へおくと尚よい。それが本当である。臨機応変でよい。  (S24・3・16)

御奉斎形式(相応)

“初めて光明如来様を御奉斎する時の形式的要点を御教へ下さい。

“家が粗末で小さくて祭壇だけ立派なのも本当でない。立派な家でつまらぬ祭壇でも嘘である。身分に丁度よい形式でお祭りする。すべて相応していなくてはいけない。相応しないと、お下りにならない。形式とはそれ等に於て丁度よい所にある。

御奉斎の形式

“光明如来様御祭込みの形式をあらためて御伺ひ申し上げます。服装其の他について。

“形式は自然に適当な形式が出来てる。  (S25・2・3)

御奉斎の仕方

“光明如来様、大光明如来様の御神体の正式のお祭り方(御霊鎮の時、毎日の家庭に於ける時)を御教示願います。

“教導師から聞くとよい。  (S24・8・9)

神床を立派にする事

“真面目な一信徒、余り豊かでないので順次建て増すつもりで先づ六坪程の小さな家を建てましたが、床の間だけは立派にして大光明如来様を御奉斎申し上げたいと申して居りますが宜しうございませうか。右御教示御願い申し上げます。

“家に不釣合なほど立派にする要はない。相応の理である。(S  (*)・11・23)

床の間下の戸棚

“床の間の下方に戸棚が附いているために、大光明如来様の御神体の下方を少し巻いたままになって居りますが、差支へ御座居ませうか。右御質ね致します。

“戸棚をとればよい。床が上になっている。(S24・5・9)

床心の窓

“御軸を御祭り致したく思いますが、床の間の中央に窓がありますが如何が致しましたらよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“窓を塞ぐといい。板張って、壁をぬれ。

光明如来様御奉斎場所、大黒様の祀り

“光明如来様は客間か居間にお祭りするのであるが、居間にお祭りするのが本当である。大黒様は観音様の側へ祀るのが本当である。本当は甲子の日にお祭りするのであるが、最初は甲子にお祀りするので、後は光明如来様のお祭りの時に一緒にすればよい。(S23)

八畳、四半二室の時の奉斎

“荒井房吉(戸主、三十二歳)と申す信者で御座いますが、本人は本年一月、妻は昨年十一月入信させて頂き此の度御神体をお祀りさせて頂き度く存じますが、古い農家で八畳と四畳半の室が御座いますがどちらも床の間が御座いません。夫婦は四畳半で生活致して居ります。八畳の間には三尺の押入式の仏壇に御屏風観音様をお祀りさせて頂いて居りますがあとは四方が障子と唐紙の押入のみで御座いまして其処に中風の母親が休んで居ります為置床を造って御神体をお祀りさせて頂き度いと存じますが宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“四畳半はいけない。八畳へ床の間を作る。そしてその部屋へ寝かすと中風もよくなる。(S25・5・2)

御奉斎場所

“私の家は上図の様で現在八畳の床に光明如来様を奉斎して御座います。離れの六畳は店の二階で御座敷の中二階になって居ります。御座敷からわづかに高座敷になって居ります。今度大光明如来様を奉斎さして戴き度く存じて居りますが何れの床がよろしいでせうか。六畳の方は三尺床で貧弱です。

“一番良い所へ祭ればよい。二階家の下はいけない。それだけである。(S24・8・29)

御奉斎の家と神木使用

“本年六月私夫婦は生保内教導所に於て教修を戴き同時に幽世大御神をお迎へ致し、本月初め光明如来様をお祀りさせて戴きました。教修を戴く迄は私も妻も時々発作的に頭が変に成って居りましたが、教修を戴いてより殆ど平常に復させて戴きました。私の家は約二十年前軒下に落雷し、又昨年は家の中に落雷し其の時母は即死し私は倒れたまま暫く意識不明と成ったまま難をまぬがれました。七年前家を増築の際、隣部落の氏神(熊野神社)の建築に使用した神木の余材を「ナゲシ」に使ってあります。此の神木は其の儘でよろしうございませうか。又如何に処置すべきでございませうか。 

“普通はいけないが光明如来様をお祭りしてあれば差支えない。ただ之だけする。即ち熊野神社へ詣って、いつか知らずお断りなしで使ったのは申訳ないと断ればよい。断らぬから眷族が怒る。(S24・7・29)

床裏、脇の便所

“光明如来様や大光明如来様の御霊鎮めの場合、農村には左記の如く床裏、床脇便所のある床は勿体なく存じますが御許し願えましょうか。お伺い致します。

“差支えない。出来ぬ事は決してお尤めはない。(S25・2・5)

御神体と屋根修理

“御軸様を御祭りしてあります御部屋の屋根を修理又は塗り変への為に登らなければなりません時は、御軸様は如何致しましたらよろしう御座いませうか。

“そのままで構はぬ。御無礼にならぬ。  (S24・8・19)

御奉斎の屋根へ上る事

“光明如来様お祭りしてあって、屋根の雪を降したり修理する時、屋根に登ってよいでせうか。

“御神体はお外ししなくともよろしい。修理の為であるから御無礼などない。

御奉斎の階下に寝る事

“二階に光明如来様を御祭りし、階下に寝起きして居るのは宜しいでせうか。

“よろしい。(S  (*)・12・15)

御神体の前に像おく事

“掛軸の前へ像をおくのは大した意味はないが、彫刻がいくらか働く。彫刻にも大抵は霊が入っており、光明如来様の光を受けると力が出て非常に働きやすい。

御神体に観音像奉祀、紫の幕

“御軸の横に彫刻の観音様及大黒様等をお祀りしてありますが、あとから立派なものが入った場合、御取替しても差支えないでせうか。又床の間の上に紫の幕を張る事は――。

“何れでも差支えはない。

大日如来の奉斎位置

“先祖代々伝来の大日如来の御像御祭りの位置。

“大日如来より観音様が上。上というより観音様の方が大きい。大日如来は日のお働き。観音は日月地故大きい。

入信後も前神祀る(二信仰の誤り)

“五、六歳の頃の怪我で二十有余年来の慢性骨膜炎にて、現在迄金光教を信仰し、無信心ながら縋って居りました為金光様を祀って居りますが、差支えありませんか。

“光明如来様をお祭りしたら金光教は悪くはないが必要ない。金光さんは反って苦しむ。恐ろしくて引下りたいであろう。おかげを戴く場合も想念が別れる事となるから薄い。(S24・3・15)

大光明如来様と丸山神並祀

“丸山教信徒で御座いましたが、本教入信後、大光明如来様を御奉斎させて戴いて居りますが、未だ丸山教にて数代の御先祖は祀り、御神体と丸山教のお軸と同じ床の間にお祭りして居ります。戸主(信者)が馬にて時に怪我を致しますので、何か御無礼の事が御座いましての御示しで御座いましょうか。尚、床の間には祭壇を設けのヒモロギをお祀りして御座います。如何致しましたら宜しゅう御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“丸山教の神様が苦しむ。丸山教の神は外へやってもらいたい訳で、低い所へ下してもらいたいのである。一日も早くやめよ。丸山教の祖先で祭られ――右へ丸山――低くする。光明如来様は真中でなくてはいけない。並べるのがいけない。(S25・11・11)

御神体と氏神等並祭

“「お祭りのこと」に就いて御教へ下さい。中央に大光明如来様を、両脇に氏神様と戦没傷士並びに戦災死亡者の霊を祭る為に三社造りの神殿を造りました。中央と脇との境いは仕切ってありますが右様の形式でよろしいでせうか。

“ちよっとまづい。大光明如来様は仏であるから左右に仏を祀り、真中に祭るのが本当である。右釈迦|大光明如来様―之が本当である。左  阿弥陀|  産土神祀るのは未だ早い。五六七大神となると神様であるから、神様はそれから祭っていい。この祭り方とすると真中が御神名でなくてはならぬ。そして檜作りでなくてはいけない。普通は真中は  豊受大神|天照皇大神―  之が正式の形である。これでよいから真中に産土神|神様を祭る。御神体は檜作りである。書いてやるから持って来よ。

御奉斎と神棚

“神棚に付て、光明如来様をお祭りさせて戴いて居りますが、神棚を祭った方がよいでせうか。又祭るとしたらば、どの神様をお祭りすべきでせうか。

“光明如来様をお祭りすれば、神様を祀る要はない。光明如来様は仏のお姿でも、御本体は神である。神棚は不要である。光明如来の元は神で、何れは神になられる。  (S24)

不動像の祭位(仏壇)

“仏壇に不動様と観音様の像がお祭りして御座いますが、今度御屏風様をお祭り致しましたが、右の両像は其儘でも差支え御座いませんでしょうか。御伺い申し上げます。 

“不動様は、観音様の家来である。祀る場合は不動様を下にする。身分以上に待遇されると不動様は苦しむ。(S24・3・11)

御奉斎と弘法大師像

“私は今度新築の別宅に祭ってあった光明如来様を本宅へ移祭したいと思って居ります。別宅へは今度拝受した大光明如来様を祭らせて戴くつもりで御座います。就きましては本宅の方は床の間がありません。仏間は祖先が大変尊敬し霊験あらたかであると伝えられる弘法大師の等身大の木像と先祖の仏壇が安置されてあります。其の処へ光明如来様を御祭りしても差支えありませんか。又仏間で御祭りする順位を御教示願います。

“弘法は釈迦の弟子である釈迦は又観音の弟子である。  (S24・7・7)

御光嫌い御神体傷つく(反対者ある時)

“昭和二十二年八月受講、二十三年二月光明如来様を御奉斎、実父、夫、実妹共入信、実妹十九歳、実弟十四歳は入信致して居りませんが二人共非常に御光を嫌って居ります。昨年春頃より弟は極端に反抗的態度をとり、何時の間にか光明如来様に水を掛け、御書体を刃物にて全面に傷を付けました為にそれを気付くと同時に光明如来様を巻かせて戴きました。尚実妹の御光様を袋の外から矢張り刃物にて刳ってありました。中を調べさせて戴きますと御書体に全部傷を付けてあります。何ともお詫びの申し様も御座いません。弟の乱行の原因をお尋ね致します。尚仏壇には母と妹の位牌のみにて、父が分家だとて祖先の位牌を祀ることを承諾致しません。

“それはいいが反対者のある時は時期を待った方がよい。早いからである。神様を嫌ったりするのは邪神がやる。神様を怖いのである。或時期までであるから時を待てばよい。本元の妨害はやりよくなったが末端が危い。(S24・8・9)

反対者ある時の御奉斎

“大光明如来様を拝受いたして居りますが、父が反対の為愚妻の里に御まつりして居ります。今度決心して自宅に御移し申したいと思ひますが、御移ししたら又御霊祭をして戴かねばなりませぬか。

“光明如来様御奉斎の場合、一人でも反対があるのはいけない。反って御無礼になる。  (S24・1・7)

無理解の御奉斎

“或会員、未だよく御道の事が判らず、不動様の先達の言葉を信じて、不動様の御軸を光明如来様の御軸と一緒に床の間に並べて御祀りし、又御開眼を頂いた大黒様も勝手の方へ片づけて了いました。如何致すべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“いけない。光明如来様をお祭りさせない方がよい。判るまでお祭りさせない方がよい。一家で光明如来様に縋るならいいが、誰か反対者がある場合は祭らぬ方がよい。その人達の想念がお光を遮る。(勿体ないから決して他のものと一緒にしてはいけない。)(S24・1・8)

家族不一致の御奉斎、苦しむ霊

“或婦人(四十九)、御祝詞を奏げて御浄霊致しますと憑霊現象をなし、横に倒れみぞおちの辺が苦しいとて頭に掛けたお光をかき破る様にもがき苦しみ、大人が三人位で押へても暴れますので祝詞を奏げて御浄霊する事が出来ません。本人は常に後頭部が痛みその都度御浄霊を希望するのですが、祝詞は奏げなくても宜しいものでせうか。夫は未入信で非常に無口の方で、家族が御神体を拝むのが気に入らず、御神体を取はずせと強ひますので、只今はずしてあります。床の間には現在古びた道了権現の木像がお祀りしてありますが、これと何か関係がありますでせうか。

“これはおかしい。御神体は家中で一致してお迎へするのでなくては絶対にいけない。それを神様が教へて下さるんだから、一旦しまっておいて、家中一致してから気持よくお祭りすべきである。祝詞は肝心であるから奏げなくてはいけない。変な霊が苦しがっているのである。あまり苦しがるのは時節が来ぬのであるから一旦やめた方がよく、救はれる資格が出来てからにする。無理は神に逆ふ意味になる。

反対の母兄の部屋(御奉斎)

“私は神戸に居住致します信者で御座います。私と妻はお導き頂きまして毎日感謝の生活をさせて戴いて居りますが、母と兄はどうしてもわかって呉れません。母は以前金光教信者で只今は「人の道」の熱心な信者で御座いますが、あの手この手と何とかして私達を引き込もうと致します。現在一軒の家に住み乍ら種々の事情が御座いまして部屋を分けて住い、別世帯になって居ります。御写真、御神体もお祀りさせて頂いて居りますが、私達の部屋には床の間が無くお祀りする事が出来ませず、兄、母の部屋には床の間が御座います。現在そちらにお祀りさせて頂き、少しでも母、兄が浄まりお話がわかって呉れればと考えて居りますが、益々反対で困って居ります。他家にお祀り致して居る様な感じが致しますが、このままお祀りさせて戴きましても差支え御座いませんでしょうか。御教えをお願い申し上げます。

“外の神様の祭ってある部屋はいけない。争いは決していけない。自分の部屋へ祭ればいい。時期を待てば神様がうまくやってくれる。(S25・5・11)

精神病者あっての御奉斎(粗忽の不要)

“二十一才より翌年二月迄精神病院等に入院し現在自宅にて療養中の二十三才の男、最近に至り乱暴をする様になり、家人は心配し御浄霊にてお救い頂きたく願っておりますが又お軸はお祭りさせて頂いて宜敷いでしょうか。

“粗相があるかもしれぬというような心配せず積極的に一日も早くお祀りすべきである。もし破ったとすればそれは訳のある事である。両親教修受け浄霊すれば治る。

観音講中への御神体奉斎

“観音講の連中がお道の話を聞いて、光明如来様を新しい御堂に御奉斎申し上げ信仰致してよいでしょうか。

“そうしてもよい。御利益はある。 

産後の危険症状(産土社に光明如来様奉斎)

“二十二才の人妻、五月十八日女子出産以来浄化中で先生方の浄霊を頂き、私もして居りましたが一進一退で昨今は遂に就寝したきりとなりました。病状は咳が甚しく白泡状の痰を吐き、胃が圧迫されて苦しみ熱が有り食欲は一回一杯位です。本人の姉は無信仰者で目下結核にて入院中で、父は脳溢血で他界して居ります。霊的因縁があるでせうか。又御浄霊法を御教へ願ひます。尚私は田舎の神職にて社務所兼住居に大光明如来様を御祭りして居りますが、氏神様は御喜びと思ひますが如何で御座いませうか、御伺ひ申し上げます。

“危い。請合はぬ方がよい。見当違ひをやっているのではないか。急所を発見し、そこだけやればズンズン快くなる。背中に塊がある。氏神は勿論お喜びで、寧ろ氏神がお迎へしているのかもしれない。光明如来様は、神様にもなられる。(S24・11・8)

遊廓で御奉斎

“最近遊郭の楼主が入信し、是非御神体を御祭り致したい希望で御座いますが、家の構造上二階は全部営業用に使用致して居りますので、階下の居間に御祭りする事は御許し戴けるで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“階下は絶対にいけない。もし掛ければ「光明」の書とか神体でないものならよい。するといくらか光は出る。掛けぬよりは出る。お屏風は仏壇の中であるからお許しがある。  (S24・2・21)

床の間なき家

“現在の自分の住居は板の間を入れて五畳半で狭い為、又上が低いので御軸も御祭りさせて頂けない状態で御座居ます。御写真と横額を御祭りさせて戴いて居ります。二年越しで方々探して居りますが仲々頂けませんで困って居ります。何卒適当な住宅を頂けます様御守護を御願い申し上げます。

“三尺の置床つくり光明如来様を詰めればかけられる。まだ新しい。(S24・1・29)

幾室にも御奉斎する事

“同一の家に大光明如来を奉斎した外に、他の室に光明如来様を幾体も奉斎させて頂くことは許されませうか。御教示を御願致します。

“小さい家なら一体でよい。大きい家は一体でも二体でも殖やして構はぬ。座敷などの大きさによって相応せしめる。幾体もの御奉斎は悪い事ではない。但し小さい家ではおかしい。(S24・7・27)

各部屋への御奉斎、仏壇の拍手

“一家に大光明如来様と光明如来様を部屋別に御祭りしてもさしつかえ御座いませんでしょうか。御指導御願い申します。お屏風観音様を御祭りしている御仏壇に御参りする時に光明如来様と同様に拍手うって御参りしてもかまいませんでしょうか。お伺い致します。

“差閊えはないが必要はない。否嘘である。一つでよい。沢山あれば人に貸してもよい。拍手でよい。仏壇へは二つである。(S25・5・7)

御神体と二床

“床の間が二つ御座います家で大光明如来と光明如来の御姿とそれぞれお祭りさせて頂いて宜しいでせうか。

“此要はない。いい方の床の間へお掛けする。(S24・12・23)

二神体御奉斎の供物(一床の間)

“一軒内に御神体二体以上御祀りしてある場合、お供物、祝詞奏上は御一体のみでよいでせうか。全部へ為すべきでせうか。

“床は一つでよい。同じ床に二体御祀するのは間違っている。両床の場合は一方へ御神体、一方へは書をかけた方が良い。書は霊、絵は体である。

二御神体の奉斎

“床の間が一つしかありません。玉持観音様と大光明如来様を同じ床の間にお祀りしても良いでしょうか。御伺い致します。

“二つ掛けてはいけない。どっちかでなくてはいけない。字の方がお働きがある。(S24・9・28)

田舎階下の祭り

“光明如来様を御祀りさせて戴き度いと申して居ります信徒さんの家が二階造りと成って居りますが、田舎の農家のことでありますので二階を物置の様に使用して居ります。階下の床の間に御祀りさせて戴いてよろしう御座居ませうか。尚床の上は人間の行けない様に囲を造らせます。

“いけない。(S24・6・9)

階下へ御奉斎、災続出

“昨年八月二十三日光明如来様をお祭りこみさせて頂きました。私は現在二階建の階下だけ借りて雑貨商を営んで居ります。昨年十二月来私の家の二階を借りて居る人の長男が九州の炭鉱で即死しました。其の後其の人の母(死亡者の母)が病気になり現在重態です。その病状は腹部に十三も腫れ物が出来て居ます。数日前その家に盗難も御座いました。そして家主も昨年十月頃より肺を患ひ重症です。どう言ふ原因で御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“階下の場合はお祭りしない方がよい。罪穢があるからでそれが原因である。(S24・2・10)

階下の奉斎

“只今お寺の本堂附属の部屋を借りて教導所と致して居りますが、其処は今秋頃立退く事になって居りますので、親類の土蔵を借りて御浄霊をさせて戴き度いと思います。其処の二階は現在物置で天井がなく、階下には床の間が御座居ます。其処に大光明如来様をお祭りさせて戴いて宜しゅう御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“絶対に不可である。お祭りせぬ方がよい。人間が行ける所より下ではいけない。

二階土蔵の家の奉斎

“信者の家でございますが、床の間がなく押入にお仏壇をお祀りして居ります。雪国の為に、二階を土蔵の様に使用致して居りますが、光明如来様御奉斎させて頂きたいと存じますが、如何様に致しましたら宜しうございませうか。

“いけない。二階を座敷にして床を作るならいい。(S25・2・18)

アパートの御奉斎

“アパートにおきまして、下の方にお祭りさせて頂く場合、御神体は如何いたしたら宜しいでしょうか。

“お祭りしない方がよい。人間が踏むから光が出ない。お守をかけるだけで時節を待つ。何れ独立してお祭り出来る家が見つかる事になる。

田舎家の奉斎(二階家離れた平屋)

“光明如来様をお祀りする場合、同じ様に二階があってはいけないとお聞きしましたが、田舎では客間やお座敷は二階がありませんが裏の方では必ず二階を作り、人が住んだり物置にして居ます。大きな家でも棟は一つになって居り殆ど光明如来様をお祀り出来ません。全部おはづし致しまして御書体にすべきでせうか。例一  例二

“斯ういふ場合下へお祭りしては絶対いけない。その座敷を離れた隣座敷ならよい。極よくはない。(S24・6・3)

物置等の下へ御奉斎

“九州の農家では二階物置又は天井裏に藁、薪其の他道具等を置いていますが、其の下の座敷に御神体をお祀りしては御無礼になりませうか。御無礼になるとすれば、如何したらよいでせうか。 

“二、三間以上離れてゐる所ならいい。物置の下になるから反ってお祭りせぬ方がよい。斯ういう所へ掛ける為の御神体ではない。御書体がある。但し普通の床より光がズーツと薄くなる。(S24・4・22)

二階物置の家の月次祭

“私は大光明如来をお祭りさせて頂いておりましたが、二階が物置となっています為一時御巻きさせて頂いていますが、月に一度の月並祭の際に当日は絶対に二階に上らない様に気をつけて御祭に掛けさせて頂く事は御許し願へますでせうか。

“これからお祭りの時だけお許し願つて下へ祭らして戴きたいと申し上げ、床の間へ物を置くのはいけない。物置きになる。花活けとか置物、楽器類等は構はぬ。  (S24・10・26)

二階物置の家の御奉斎

“田舎の藁葺屋根の家等では、構造上大部分御座敷の天井裏を物入れ等に使用致して居りますが、その部分を全然使用致さなければ御神体を御座敷へお祭りする事を御許し戴けますでしょうか。御伺い申し上げます。

“使用しない、何にも入れないならいいが、物を置けば物置きという事になる。床の間の装飾品のようなものは置いてもいいが、それ以外は置いてはいけない。物置になる。すると光明如来様の御光が強く出ない。(S24・3・1)

中二階の御奉斎

“私の家は農家で中二階(物置)に藁や薪が入れてあります。然し光明如来様をお祭りしてある床の間の上には乗せてありませんがよろしいでせうか。御伺ひ致します。

“一時はいいが考える要がある。あまり近くてはいけない。離れていればよい。

堤防より低い家の御奉斎

“私の関係しています信徒の方で光明如来様を奉斎したいのですが、家が川端にて道となっている堤防より低い為不敬になりはしないかと心配しています。奉斎してもよろしいでしょうか。御伺い致します。

“差支えない。家の中ではないから極よくはないが此位の事は差支えない。御奉斎してよい。(S25・2・25)

床の間の下の御奉斎

“有難い光明如来様を戴いてありますが、二階屋の下に住んでいるので御祭り(御霊鎮)出来ずにいます。床の間は上も下も同じ位置にあります。こうした一軒の家に住んでいる場合等如何にすべきで御座いませうか。上の人には度々事情を話したのですが駄目で御座います。人の話によれば下に神仏を祭る時は、天上に「天」とか「雲」と書いた紙を貼ると良いと言いますが如何で御座いますか。

“上が床の間ならいい。人間に踏まれる事はいけない。いくらかはいいが、神様が人間以下になると神の光は出ぬ。人間以下になると、人間の写真や画など掛けると、光が薄れる。最高の所へおく。下へ祭るといけない。止むを得ぬ時は、時節を待つ。必ず二階に人がおれなくなって、二階に行くようになる。(S24・1・6)

船に御神体

“約四十トンの貨物船を持ち、主人が船長、長男もその船に乗組んで一家入信の家で御座いますが、宅には御神体、御屏風観音様もお祀りして御座いますが、船には金比羅様、白幡の観音様をお祀りして御座いますが、此度船にも御神体に替る御屏風観音様をお祀り致したいとの御希望で御座いますが、此の場合如何なもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“お粗末になるから船の人がお守を掛ける事。(S25・2・21)

船室に御神体

“漁船の船室に御神体をお祭りさせて頂いて宜しいでしょうか。

“祀っていいが、する要はない。船室の上を歩くからいけない。(S24・5・23)

御神体掛け難い床の構造

“私の分会は北海道特有の建物で光明如来を御祭りする為都合の悪い事が多いのですが、左記の場合如何にしたらよいでせうか。御教示願います。

(イ)、仏壇がなくて光明如来を祭る床の間に位牌や御厨子等が置いる時。新たに仏壇を作る場所もない家があります。

(ロ)、屋根裏利用の二階がある為、階下の床の間は不適当と思はれが、階上は天井が低くて御掛軸がかからず、又床の間を作る余地がない様な時。

“(イ)、斯ういふのは光明如来様の横へ祀る。向って右へ台をしてその上へ仏壇を載せる。すべて神様の事は、余儀ない場合はそれで許される。無理などは神様は思はれぬ。 

(ロ)、屋根裏に何もなければよい。物置を使うとすると下はいけない。お祭りせぬ方がよい。二階屋根裏は天井が低いからお祭り出来ぬ。床の間でも物を置いてはいけない。そうすると物置になる。花活けなどは装飾品であるからよろしい。斯ういう所に祀ると御光が鈍る。御神体でない文字をかける外はない。その人の信仰次第で屋根裏でない所へ住める様になる。(S24・3・16)

二階家の一階の御奉斎

“二階家の一階を借りている者は、已むを得なければ一階にお軸をお祭りして差支え御座いませんか。右御教示の程を御願い致します。

“一、二階とも信者が奉斎する時は、下の方は押入などの下の方へ普通の御書体の軸をかけるのがよい。光明如来様は御神体であり、光明の書は文字通り光を発揮するのみである。踏まない床の下ならいい。人間の踏む所だったら絶対いけない。斯ういう人も霊界の低い所へいる故、徳積んで待てば必ず祭れる所へ移れるようなる。(S24・10・8)

蚕室下の御奉斎

“東濃地方(岐阜県)の農家は大抵二階が蚕室になって居る為、光明如来様は階下にお祭りしてあります。此の様な場合如何にさして戴いたら宜敷いでせうか。御教示を御願い申し上げます。

“光明如来様が虫より下になるから人間より未だいけない。御神体でない書ならよい。「光明」だけならよい。無理せぬ方がよい。(S24・7・26)

御神体の移動、地縛霊(借りる事外す事)

“本月二十二日光明如来の御神体を先生より御借りして、浄霊の研究会を行いました。その夜二時頃私の六才になる女の子が急に発熱し、上方をみつめおどおどした様子をした後起上り、窓の方を眺めて「子供が来た来た」又「子供がかくれたかくれた」と言って恐がりますので、早速浄霊致しましたが嫌がりました。その様な事が二ケ月程以前にもあり、その時は「ゲラゲラ」笑ひ、水を沢山飲み「二人子供が来た来た、水をかけるかける」と恐れ、おどり廻り善言讃詞を奏上すると「行った行った」と言ひ、暫くして前に述べました様に子供が来た等と申し、約二時間程で平常になりました。此の外時々発熱した事があります。右は霊的原因で御座いませうか。又如何に致したら宜敷いでせうか。御教示下さい。(因に前に住んでいた方の子供が附近の川へ落ちて死んだ事がある相です。)

“御神体を借りてお掛けするのはいけないし、外すのもいけない。会の時に掛け、外して帰るのはいけない。早くお祭りしたい場合御神体を貸す事は構はぬ。そして又代りが出来たらお返しするというのは構はぬ。特殊の場合以外は移動してはいけない。霊界で迷っている子供の霊が助けてもらいたいのである。やはり地縛の霊でその辺でウロウロしているのである。来た時は祝詞を奏げてやるといい。

御神体の教修所移動

“教修会の時教導所が狭いため旅館等借りる場合、一時大光明如来様を旅館の床の間にお祀りして教修会を開いて居りますがよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“真善美のようなのがいい。これをその都度かける。御姿御神体等は、普通の家でも移動するのは原則としていけない。(S24・12・23)

供養の為御神体外す事

“右同人の家で近隣人との交際で隣保班の総供養の式をやってくれと頼まれましたが、床の間は既に光明如来を祭ってあります。右の式をやる為一時その御軸を取はずす事は如何でせうか。式の時掛ける軸は阿弥陀の掛物なので、本人も気が進まない様です。右御教示下さい。

“よけいお軸があった方がよい、光明如来様は日、阿弥陀は月日と月位光がちがう、霊は日の方をどれほど喜ぶかしれない。丁度電燈を外し、ローソクをつけるようなものである。その説明をしてやり判らなければ断はる。(S24・3・16)

御奉斎と葬式に阿弥陀掛ける時

“富山県地方は葬式の場合床の間に阿弥陀様のお軸をおかけして式を致します習慣になって居りますが、此の場合御神体は如何様に致しましたら宜敷う御座いませうか。御伺い申し上げます。

“阿弥陀をかけてはいけない。その間だけ隣へ掛けるといい。横へかけるといい。(S24・5・2)

神は順序なり(祖霊戒告)

“光明如来様に対し今年二十一才になる男児が突如発作的に危害を加へたその前後の詳細は次の通りです。八月四日光明如来様に朝の御膳を上げて挨拶をすませ(天津祝詞はその時は唱へず)午前八時頃椎野(母)さんが又家の周囲に御祭りしてある弁天様に禊抜ひをして、一家を丈夫にしようと頼んだ。特に今年二十一年になる実という男児を特に丈夫にしようと願った。この男児は不断は内気でおとなしく、仕事をして体がつかれると憂鬱になる。その時はお浄めを願うが母がやってやらなかった。その日も御浄めを願ったが忙しくてやってやらなかった。その時近所の方が御浄めを依頼したので御浄めをやってやった。その時次の部屋にその男児がだまって入り本を読んでいた。午後三時頃椎野さんが御浄めを終り仕事をしに下に降りた。その時突如発作的に行動を起したのであります。これは如何な事でしょうか。

“此人の考え方は間違っている。弁天は光明如来様からみると姪位になり、力は極ない。だから弁天様は、御挨拶する位が本当である。位置転倒している、その為である。祖霊が気をつかす為に破らしたものである。神は順序なり―で人間の祭り方や想念によってちがう。位の高い神様も、下位の位に置かれると――。大先生様の御位を下げようとして邪神はいろいろ手を尽す。(S23)

御奉斎してから盗難

“御神体を祭祀してより度々盗難に遭いますのは如何なるわけで御座いますか。御伺い申し上げます。

“信者となれば、盗難に遭はぬのが本当で、必ず間違った事がある。(S23・10・19)

お祭り方と盗難

“私は昭和廿三年一月廿七日入信しました。其の後、母も妻も妹も続けて入信しました。最近四月頃よりぼつぼつ盗難に合うのです(梅、柿、ひよこ)が、どんな方法をしたら防げるでせうか、大体に於て同じ人が盗む様です。

“浄化である。又お祭りの仕方など違っていると光が薄い。そういふ為もよくある。祭り方などを、よく査べるとよい。光が強ければ、そういふ事は起らぬ。(S24・8・17)

御奉斎の家の訪客皆欠伸す

“私の家は農業をやっています。現在光明如来様をお祭りさせて頂いて居りますが、私の家に客が見えますと十人の中七、八人迄「アクビ」をします。之は如何なる原因でせうか。

“斯うなるべきである。光が家中に漲ってゐるから、曇のある人は、光の為に浄化が起る。悪の霊が幾分出る。それが欠伸である。これによっても霊界に光が放射されている事が判る。(S25・5・5)

御奉斎と出入の人足

“大光明如来様をお祭り致し、教導所として布教に従事させて戴く様になってから、今迄足せわしく遊びに来て居た近所の人達が全然来なくなりましたが、如何なる訳でせうか。御伺ひ申上げます。

“来る人は、御光に憧れるのである。来ぬ人は、光が怖くて来ぬのである。(S24・11・8)

小鳥集る御奉斎の家

“私の家の屋根(草葺)に、今年春より雀が三、四十羽位来て巣を造って困り居ります。何かの知らせでしょうか。

“吉祥である。(雀のお宿であろう)  小鳥は天狗界の天狗の眷族である。木葉天狗が修業に来るのである。(御光を頂きに)烏天狗の親玉は羽黒山である。(S23・11・25)

盗難の防止

“土木請負業をして居りますが最近材料や器具が盗難にかかり相当の損害を受けました。之を防止したいと思って居りますが如何にすればよいでせうか。御伺い申し上げます。

“光明如来様をお祭りする。お祭りすると、光が家中に漲るから、動物霊は光を恐れるから、御祭してある部屋へはどうしても入らぬ。  (S24・2・17)

御奉斎と共に引つけ

“昨年十一月光明如来様をお迎へいたしました信者の御宅で丁度御迎へ致したその日から、三才の娘が引付ける様になりました。月並祭例祭の度に矢張り引付けます。他の子供も皆なかん性です。如何御伺ひ申し上げます。

“霊界で迷ってゐた霊が、光明如来様をお祭りしたので助けを求めて子供に憑る。普通此様に解釈してよい。又、子供に前から祖霊が憑ってゐたのが苦しいので引つける場合もある。大した心配にならぬやうに段々治る。引つけるのは癲癇の一種で、死んだ霊が頭へ来る、前頭部の浄霊で直に治る。そういふ霊は大抵変死急死の霊で、子供に憑る。頭を中心に浄霊すると段々治る。霊が浄まり救はれ、霊界の良い所へ行くか。娘の守護神になる。  (S24・10・16)

御奉斎の時暴れる脳患者

“二十六才の男、終戦後無口になり、時々一人言を申しますので、脳病院に入院致し多少良くなり、退院し自宅にて働いて居りました処、母親が入信致し御光を頂きました其の日から一人言を云いつづけ、御軸光明如来様、御奉斎の前夜には「皆殺してしまう」と云うて「なた」を振り廻しあばれました。御浄霊に依て救はれませうか。

“救われる。お祭りするのが怖いから脅かしたものである。近しい人が熱心な信仰に入り、出来るだけ天津祝詞を奏げてやる。浄霊は頸部である。(S24・11・5)

ヌラ吐き浄霊中も乱暴する精神病

“当年二十一才の女、昭和十九年入信二十三年一月頃より仕事に手がつかず、ぶらぶらして居りましたが同年四月光明如来様を御奉斎させて戴いてより「ヌラ」を吐き神経衰弱的発作等の御浄化を戴き床に就き、時折乱暴する事もあり常に御浄霊を戴いて居りましたが最近に到り、両親は勿論浄霊者に対してまで乱暴する様になり食事の際、御飯を御膳の上や下に散らして食べる様な状態になりました。御浄霊により御救を戴く事が出来るでせうか。御浄霊の方法等御教へ下さい。

“龍神はヌラが特徴である。竜神が苦しいのである。それはどうしても徹底させなければいけない。竜神に罪があり、光明如来様のお光で苦しむので、精神病的の事をやるのである。徹底さして越すといつ、乱暴するのは長くない、成可被害を蒙らぬように注意する。乱暴するのは長くて一ケ月、大抵は一、二週間位続くものである。天津祝詞と時々善言讃詞、御讃歌を奏げる。だんだん竜神の罪が減って行けば苦しまなくなる。(S24・11・15)

御奉斎後御浄化続く

“御奉斎以来家内中誰か必ず浄化を頂き、連続的に床に就く様になりました。特にその人は未亡人で主人の命日の廿三日頃になると、心臓が非常に苦しくなり起きておれてくなります。浄霊は入信以来連続的にして居ますが段々烈しくなって参ります。主人は七年前、メチールで死亡如何すべきでせうか。

“御奉斎したりすると、家の中は光が強く、浄化は強くなる、そして順々に浄化する。つまれ早く浄化されるから結構である。主人も早く救はれたい為に憑くのであるから、死の時の苦しみが映る。のりと奏げてやるとよい。

御奉斎後発熱、医療にて下熱

“鹿児島県鹿屋市の会員で教団に入信以前より不動様を信仰し祀って居りました。光明如来様をお祀りして一ケ月位の後その長女が発熱浄化あり、お浄めした時はすーっと熱が下りますが、直ぐ発熱し、その様な事を約十日程続けて居ったので、家人が行者に見て貰ったら、不動様が観音様に信仰換へをしたのでお怒りを受けて居ると聞き、お浄めを止めて医者に掛ったとたんに熱がすっかり下ったそうです。どういふ訳でせうか。またその後の処置はどうしたらよろしいでせうか。

“光明如来様をお祭りして浄化が起った、光を受けたので毒が解け初めたのである。不動様は光明如来様の家来であるから喜ぶのが当り前で、もし怒ったりなどすると、観音様にトッチめられる。非常に結構だから感謝すべきである。背中故それを浄霊すればよい。医者へ罹れば曇を戴き、熱は下るが、何れもっと大きな病気になって発生する。今の中浄化した方がよい。借金したようなものである。

階下に真神の御書体

“信者さんで御軸をお祭り致し度い人でございますが、二階に他人が住んで居りますので立のきを請求中であります。其間引越し致しますまで、私の以前に戴かして戴きました御軸の真神か大光明の何れかを貸して戴き度いと申されます。如何でございましょうか。又、お貸しすると致しますと、大光明をお貸し致しました方がよろしうございましょうか。御伺い申し上げます。

“真神はいけない、神がある。大光明ならよい。(S24・7・23)

御額掛ける場所

“光明如来様御祭りしてある床の間「おとしがき」の所へ横の御額を御かけする事は差支へないでせうか、又ここの所へ普通の額のあるのは取りはずさせるべきでせうか。

“床の間の正面なら差支えない。意味のいい、高い意味がよい。普通の額は取外すべきである。(S  (*)・12・5)

二家庭の時階下奉斎

“二階のある場合下の部屋に光明如来様をお祀りする事はいけないと承っておりますが二階と下とで違ふ家庭でどちらも光明如来様を戴いてゐる場合、階下の家庭の人はどうしたらよろしいでせうか。

“額はかけない方がよい、未だ軸ならよい。(S24・5・13)

寺院本堂へ御書体掲揚

“寺院の本堂に御書体(御額)を掲げさせて頂いても宜しいでせうか。

“お額は結構である。

仏壇上に御書体

“仏壇の上に御書体のお額を掲げさせて頂いてよろしいでせうか。

“結構である。

御額の順序

“御書体(御額)を掛けさせて戴く場合、その位置はどの様に致すべきでせうか。日月、光明界、真善美、地上天国、神龍、神世界、観音光、光明浄地、神風。右御教示御願ひ申し上げます。

“御書体の額を掛ける時の位置は、床の間の真上はいけない。真上以上の一番良い所、違棚の上など極いい。外の人の書いたものや写真などはいけない。日月は一番上、光明界も上、次に地上天国、次に観音光―之は仏の光であるからそう上でなくてよい。神世界はズーット上で、光明浄地は下でよい。龍のついたのは下でよい。神風は何処でもよい。掛けるのは向って左が上である。

御額の順序

“光明世界、光明、春光、真善美、地上天国、建設、金龍、神龍等の御額のおかけする順序。

“順序があるにはあるが、こういう文句なればどこへかけても構はぬ。

御書体の順序

“左の御書体を部屋に掲げる順位がありませうか。如何に御掛けしたらよいのでせうか。御教へ願ひます。地上天国、五六七、日月地、神霊境、善徳等。

“順序はない。

御書体のシミ

“昭和二十年九月拝受致しました「日月」の御額で、只今は自宅の教導所に御祭させて頂いて居りますが、拝授の時より向って右に上図のような点が大小二つございます。何か意味がございませうか。

“書体はシミがあっても差支えない、墨が飛んだのであろう。絵は飛んではいけない。

船へ御書体

“住居にお軸をお祀り申し上げると共にその人所有船の船長室にも何か御書体をおかけしてお祀り致して宜しいものでせうか。

“船に祀ってはいけない、船は必ず人間に甲板などその上を踏まれるからどんな書でもいけない、船長がお守様を頂けばそれでよい。