037 奇蹟奇象篇

御神体の奇蹟

“之は始終ある。光明如来様が見せて下さる。現実においでになるのを知らす為である。之で信仰が深くなる。  (S23)

御書御神体に御神顔拝す

“御神体の上部、大光明如来様の大の文字の上方にお観音様のお顔を毎朝拝します訳。

“文字だけでなく、そこに観音様がおられる事を観音様が示され、教えて下さるのである。

御神体にお姿見ゆ

“私の母は最近大先生の御書体にお姿が拝め、その御姿が御書体によってはっきり見えたり正面、横向きや後向きに色々に拝めるそうです。又、分会長先生宅の大光明如来様にはお姿の外に龍神が見え、近頃又他に一体のお姿が見えるそうで御座いますが、この様に三体の御姿を拝めるという事があるものでしょうか。御伺い致します。

“無論、あっても当り前である。信仰を強くするよういろいろな奇蹟をやられる。(S24・5・26)

暗に御神姿を拝す

“昨年の十二月、私達の土地の教導所の例祭があり、私も参拝致しました。夜の八時頃、丁度御祭りが終ったと思ふと停電しました。その時、御軸のあたりに観音様の御姿が現はれて有難く拝しました。此れは何か意味が有るのでせうか。

“奇蹟を見せて下さったのである。字でもお姿でも、観音様がお出になる事を知らす為に見せて下さったのである。人間が信じないから見せて下さるのである。(S24・3・15)

御神体の奇蹟(御神霊お入り)

“お祭りしてある光明如来のお軸に朝日がさし込み、“光”の左の方へ五センチ位の円い光が当り、一分間位の間に“光”の字の中央に入って見えなくなりました。其後一週間位を経て次は“明”の字に同様に現われました。其意義を教えて頂きたいと存じます。

“神霊である。御神霊が文字へお入りになったのだと思う。神様は丸い。吉い事である。  (S24・7・27)

御神体に男女多数を見る

“昨年十一月三日に私方、大光明如来様の御霊鎮めをさせて頂きました。丁度その前日に光明如来様の御軸を拝して居りますと、大先生が太い筆で御揮毫中の御姿を拝しました。その後は薄暗くして御軸を拝しますと、白い着物を着た厳めしい男の方や、時には女の方も見られます。(此れは他の家の御軸を拝しましても見受けられます)これは如何なる訳でございましょうか。

“霊界では斯様になっている。大先生のお書きになられたものは、御神霊がうつっている。霊界でも此教えで救われた者が集ってくる。そこの家の高天原――。(S25・1・15)

御神体揺れる 

“御祈りを致して居ります時に、風もないのに光明如来様の御軸が左右に振れる事がありますが、如何なる意味で御座居ましょうか。

“神を信じない人に見せる為である。揺れる事はすべていい事である。御姿の観音様が抜け出たり、人に話をする事がある。(S23・10・25)

御神体礼拝時揺れる

“私の藤沢の教導所の大光明如来様の御神体が、夕拝の時に限り無風の場合でも前に揺れることが多いのですが、如何なる意味がございませうか。御伺ひ申し上げます。

“紙に字を書いたものでなく、光明如来様が生きておられる事を示されたのである。(S24・9・9)

御色紙自揺す―霊の喜び 

“三月二十九日より奈良へ出張中、私の教導所にて四月五日午後七時頃、御浄霊室にお掛けしてあります大先生様の更生記念の“寿”の御色紙の雲版が左右に揺れました。何か霊的なる意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“吉い事である。救われて喜んだ霊が知らしたのである。霊によっていろんな形をして知らす。普通はローソクで知らす。知らしたくて仕様のないもので、霊の感謝は大変なものである。

お供物の三宝倒る

“私の所属の教導所及び同所の熱心に布教している教導師五人に、最近度々不思議な事が起ります。八月初旬、私がその教導所に泊りました翌朝、大光明如来様御前に、御神酒と御神水と御洗米の御三宝が倒れて居ました。その後、右の如きことが度々起り、ここに泊る人は、最初の夜何者かに首をしめられる恐ろしさに眼が醒めます。教導師も同じような事があり、未だに続いて起ります。一同大変気にして居りますが、今後どの様に致しましたら宜敷う御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“御米やお水は間違っている。観音様は人間の御姿で、人間は生米などは食わぬ。人間と同じものを上げなくてはいけないと先に言った筈である。何か祟っている死霊である。いろんな原因の場合があるからはっきり断定は出来ぬ。間違った点はないか査べてみよ。(S24・9・5)

お供への蓮散る

“御神体の前にいけさせて頂きました蓮の花がもの凄く揺れまして、其の花は散らされてしまひました。霊的に何か関係が御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“蓮の華は、よせといふ事であらう。仏の花であるから、仏滅だからやめよとの事であらう。祖霊がやったものである。(S24・8・22)

蝋燭の光と霊示

“光明如来の御祭りの際に仏壇中でコトコト音がし、ローソクの光に異常があります。その理由をお示し下さい。

“先祖が喜んでいるので音がする。神様を拝んでると、ドシンと音がする事がある。音で知らされる事はよくある。神様が勇まれると、ローソクが揺らぐ。神様が知らさるる訳である。

身代り

“四月二十八日午後二時過ぎ、風のないのに戸が倒れまして御神体をお切りしましたことを深く御詫び申し上げます。同時刻に主人が工場で旋盤の機械にまき込まれるところを、ズボンだけまきこまれて事なきを得ました。御守護誠に有難う御座いました。

“之は身代りである。(S25・5・8)

光明如来様、消毒剤の非をお知らせ給う

“或る信徒の家の光明如来様の御霊鎮めの際に、参拝の全信徒の眼がしかしかと痛み出し、皆が不思議に思いました。すると一信徒が穀物の消毒剤の二硫化炭素を買って来て置いたのに気がつき、それを部屋外へ出しますと痛みが止りました。右の品は完全に封がしてあり、家へ持ち帰り、封を取って一日になっても以前の様な現象はありませんでした。総ての物質から霊気が出ているそうですが、右の場合は如何なる訳で目が痛み、又光明如来様の前とそうでない場合と違うのは如何なる理由によるのでしょうか。御伺い申し上げます。

“光明如来様がそういうものを使ってはいけないという事を知らして下さった。それで光を強くされた。穀物の消毒薬は間違っている。薬で病気を作って止めてると同様、間違った耕作をしてるから薬を服ます事となる。(S24・7・27)

御神体の揺れと蛇

“石川県の信者で、本年六月十八日夜の出来事で御座いますが、御神体に向って善言讃詞を奏上、お詣り致して居りますと、御神体が風もないのに「ガタガタ」と動きました。不思議な事と思ひ乍ら其の夜は明けました。翌晩八時頃に御詣り中、フト上の方を見ますと、御神体をお掛けしてあります釘の上に両方より直径一寸五分、長さ三、四尺位の青大将が二匹、釘を中心に頭をX型にのせ下を見下して居る事に気付き驚き、急ぎお詣りをすませ、奥の間に下り、二時間程経て行って見ますと、もう其処に居りません。其後今日迄姿を見せませんが、之には何か意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。 

“祖霊で蛇になっているのが喜んで御礼に来た。本当は床の間(下の方)へ来るのが本当だが、人が気味悪がるから他に来たのである。(S24・8・1)

御奉斎に蛇狂喜

“私の家は浄土真宗でありますが、娘病気の際特別の御利益を戴きまして入信し、大光明如来様を御祭りさせて戴きました。今月十三日(御盆の日)午後三時頃、娘と孫が大光明如来様の御祀りしてある部屋で昼寝して居ると、変な気配がするので急に目をさまして見ますと「青い斑点のある六尺以上の蛇」が這ひ上って来て、大光明如来様の大の字の所に、蛇は頭をすり付ける様に二、三度して下に降り、今度はコップの水を三度呑む様にして、次は五六七大黒の写真のある所に這ひ下り、次は地上天国の御額を掛けてある所に上って行く。あまりの事に娘は驚き妹を呼び、咄嗟の事に物差を以て尻尾の方を無意識に二、三回叩くと蛇は漸く下り、後を振り返り振り返り頭を上げて「キヤッキヤッ」と三回鳴いて庭へ出て行った相ですが、私が帰ると娘達は大騒ぎでありました。婿養子は平素から反対で「御寺があるのに観音様等信仰するから先祖が叱って居るのだ」と申しますが、私は「先祖が喜んで居るのだ」と申して居りますが如何でありませうか。御伺ひ申し上げます。

“結構な事である。蛇になった先祖が非常に喜んで、嬉しいあまり慕って来たのである。非常に嬉しかったものである。 (S24・8・18)

御神体横トカゲ光って見ゆ

“電灯の光の弱い所、深夜御書体の前にて善言讃詞を唱へて居ると、御書体の横にトカゲのようなものが真黒になって現われ、そのフチが白く光って見えるのは何で御座居ましょうか。お教え下さい。

“何かの虫であろうが、祖先の霊で、虫に落ちたものがあり、救ってもらいたい為に来た訳である。ただ夜の光線とすると、影で黒くなったのかもしれぬ。何れにしても救われに来たものである。縁が光っているのは、大分救われて、霊からいくらか光が出るようになったのである。

黒い円塊御神体附近に見ゆ

“九月上旬夕拝の時光明如来様の「明如」の二字の処に直径一尺位の真黒い円い物が見え、不吉な予感にかられ乍ら天津祝詞、善言讃詞を奉誦し終ると全く消え去りました。十月中旬又々夕拝の折どす黒い煙の様な物が御神体の床の間一面に見え、はっと思ひ前回同様に今度は二度、天津祝詞、善言讃詞を奉誦し終るや全く消え去りました。前後二回とも昼間妻と少し信仰上の事で浄化致して居りました。此の事は私一人見えただけで、妻は知りません。如何なる事でせうか。御伺い申し上げます。

“地獄霊などが救はれたい為に来る場合、見える時がある。悪い意味のみの解釈は出来ぬ。丸い黒い玉は地獄の霊で、雲みたいに沢山来たのである。光明如来様の光と祝詞で救はれたのである。(S24・11・26)

御光はっきり見ゆ

“最近資格者、信者の別を問はず誰が御浄霊致しても「お光」がはっきり見える様になりました。今迄はごく僅かの人にしか「お光」が拝見出来ませんでしたのに、最近の此の様な状態は如何なる原因によるもので御座いませうか。何卒御教示をお願ひ申し上げます。

“霊界の火素が強くなるからである。(S24・1・28)

浄霊中御姿の色変化す

“信者の家に於て主人が夜二時半頃妻女に御浄霊を受けて居る最中、御屏風観音様の御姿の色が初め赤で次に黄色となり、又次は黒っぽい紫色となりました。如何なる訳で御座いましょうか。尚、当主人は現在ひどい喘息で病んで居ります。

“観音様の霊がうつった。病気に対し御守護の必要上そういうお働きをされた。観音様の化身は沢山ある。そして必要の場合、そういう働きをされる。(が生れる)(S24・11・28)

死時鶴迎へに来る

“浄霊をうけて死亡した信者の最後の言葉に、鶴が沢山遊んでいて、その鶴が迎へているからそこへ参りますと言って息を引取りました。如何なる処へ行ったのでせうか。又霊は救はれていませうか。御伺ひ申し上げます。

“天国へ行ったのである。天国から鶴が迎へに来た。浄霊の為に、霊が向上したのである。(S24・12・25)

霊の争闘子の病に表わる

“去る三十日、二女裕子が背中が痛むとの事で、光明如来様御神前で御浄霊中悪感を覚え、ふるえ出しましたので天津祝詞を唱えました。其の時傍に居た長男達也が見た所によりますと、金色と赤色の経一寸五分位の玉が二個頭上より飛び上り、天井で暫くもつれ合っていたが亦下降し、頭中に入りました。間もなく合掌した手がふくらみ、掌中より金色と白色の二個の玉が飛び出し天井で消えましたところ、寒さが益々ひどくなり、大きくがたがた震えるので、次の間の仏壇の炬燵に入れて御浄霊を続け、天津祝詞三回、善言讃詞一回唱え、御讃歌「大慈大悲」を唱えさせて頂きましたら先祖代々の位牌より白い玉が出て裕子の頭の中に入り、続いて長女の位牌より亦白い玉が飛び出して頭の中に入りましたので、まだ何か出るかと思っていましたら、千手観音様の頭上にある御尊体が浮んで離れ、薄い金色の図形になられ、静かに進んで亦頭の中に入られてすぐ亦頭より出られ、仏壇の先手観音様の前に着かれたと思ったら観音様の体より金色の光が出て御屏風より静かに離れられ、裕子の頭の上に進ませられ後より頭上の尊体が従って進まれました。そして裕子の頭上に一寸お止まりになって、静かに頭の中に入られました。続いて頭上の御尊体もお入りになったら裕子の寒さが止み、背中の痛みが止まりました。翌三十一日の朝、裕子が又次の如き現象を見ました。仏間へ障子を突き破って十個ばかりの白と黄の玉が入り、部屋中を飛び廻り、仏壇に入り次に反対側の障子を破って外へ出ました。後で見たらどちらの障子にも十ケ所程箸で突いた程の穴が入ったり出たりした方向に向ってあいていました。之の現象は一体何を意味するもので御座いましょうか。

“ない事はないが珍しい。霊が物質の行動をした。霊界でいろんな事があった。子供を病気にして害せんとするのを助けようとするのとの闘争である。(S25・2・3)

額より白衣姿出づ

“光明如来と御屏風をお祭りした其の翌日、信徒が御浄霊を受けている折、額より抜け出た霊あり。白衣の姿と覚ゆ。亦、其の翌日同様にして牛三頭目に映ず。これは祖霊でしょうか。

“白衣―之は祖霊である。牛は祖霊とは限らぬ。ただその人とか或は祖先に関係はあるものに違いない。(その仲間であろう)光を放射されるようなもので、苦しくて出るのと、安心して出る場合がある。それで子孫を思って憑いており、光明如来様を祭ると子孫が栄える見極めがついた安心で出たのであろう。(S24・10・23)

二病児より黒白雲状のもの出づ

“相当ひどい痙攣を伴ふ百日咳の二人の子供を御浄霊すると、何れも右肩辺りから白色と黒色の雲状様のものが尾を引く様に出て行くのを見ましたが、白色であった子供は一度の御浄霊で治り、黒色であった子供は益々痙攣が多くなり、激化する様に思はれましたが、此の雲状様のものは、御浄化及び治癒と何か霊的に関係ありませうか。

“白色は良い霊、黒いのは悪い霊である。黒いのが出る所をみると、そこにいたものである。これは治りが悪い――浄化激発する故。治るには治る。体に曇りがあり、その曇り相応の霊が憑いていた訳である。

煙の如く人霊脱出(動物霊の脱出個所)

“先日父親(七十一歳)を御浄霊致して居りますと、突然全身に震へが来て身体が動かなくなりました。驚いて一生懸命御浄霊を続けて居りますと、額の辺りから煙の様なものが出たかと思ふと暫くして旧に戻りました。其の後何事もありませんが、如何なる理由でありませうか。

“人霊である。救はれて出たのである。動物霊は大抵手の指から出る。(S24・11・27)

浄霊中臍より白線出ず

“浦和集会所の小山教導師が大浄化を戴いている時のことで御座います。私が御浄霊をさせて戴いている時、臍の所より約一尺位の白線が七、八本ハッキリ出て上りましたのを見ましたので、アーッもう死ぬのかなと思って居りました所、其の後二ケ月の間にだんだん軽くなり、今日では元気に近所の御布教位出来る様にして戴いて居りますが、私の見た其の白線は何か霊的意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“白蛇の霊が憑いていたのであらう。よく火事で、蛇も一緒に焼死する事がある。(S25・1・12)

琵琶湖富士光玉の奇瑞

“丁度下図の日本地図の琵琶湖の辺へ上の方から実に綺麗な強い光の玉が降って来て(其玉はダイヤの様に光る玉です)其玉を見逃すまいと見つめて居りますと、富士山の辺まで行って又帰って来て、琵琶湖の辺で元の玉と一所になるのです。そして其まわり一面は五色か七色の迚も綺麗な点々とした色が見えます。何かの御知らせでございましょうか。平常は見えませんが、見ようと思って見れば見えるのでございます。あまり綺麗な為御伺い致します。

“伊都能売神は、霊は富士山、体は琵琶湖に金龍としておいでになる。それで琵琶湖と富士山を行ったり来たりしておられる。西村の信仰が復活するよう、先祖が神様にお願いして見せて下さる。大先生のお腹の玉と関係がある。富士  ビワ湖(S24・7・23)

琵琶湖龍巻四十分間

“昭和九年九月二十二日午後四時頃から約四十分間写真の様な龍巻が琵琶湖上(堅田浮御堂沖二浬の地点)に起りました。目測直径二メートル位の水柱は天に冲し、漸次北方へ移動致しました。場所は昭和四年四月二十一日の大龍巻と略同じであったそうで御座ゐます。如何なる神秘があるので御座ゐましょうか。御教えを賜りとうございます。又、此写真を撮影した千舟写真館は滋賀県下に知られた大きい店で御座いましたが、其後日ならずして衰微し、家人も全部死に絶えて、今は跡方もないそうで御座います。何か訳が御座いましょうか。

“四十分間というのは今迄に例がない。

庭一面光り輝く(入信して)

“私は昨年十一月夫婦で入信させて頂きましたが、本年二月中旬私宅に於て教修が終りました翌日、庭一面に積った雪が溶けかかって居りましたが、それに朝日が照り映え、その綺麗さは普通と異なり、庭も庭木も一面に恰度ブルーホワイトのダイヤモンドが輝く如く何とも言へない美しさに輝き約五分間程で普通の美しさに変りましたのを妻と二人で見ました。又、四月中旬頃、私が御神体と御写真の方に向ひまして光新聞を拝誦致して居ります時、私の背後の庭の中心に当る直径二間位の場所が恰度地中から照明された様に庭も庭木も照り映え、約五分位にてもとの通りになったと妻は申します。又、四月二十五日、私宅に於ける座談会の日、家族にてお参り致して居ります時、大光明如来様の「来」の御文字の高さの所の砂ズリの壁が五ケ所位大豆大のダイヤモンドの様に三分位輝いたのを妻が見ました。又、私は最近明主様の事を考へたり、フト頭に浮んだ時は時と場所を問はず涙が出て仕方ない場合が多く、きまりが悪くなる位で御座います。又、お蔭話を人に読んで上げます場合も涙が出て、ともすれば声がつまり困る事が御座います。尚、私は入信前は一升、二升と飲みました酒も、最近は三勺位飲みますと翌日はこたえる位に御蔭を頂き、入信前より健康状態は宜しく、神経衰弱な泣虫になったとは思はれません。以上の事実は如何なる訳で御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“之は神様がお喜びになって、そのお祝ひなのであらう。之は地に住んでいる龍神がするのである。此人に祖霊が憑って嬉しいのである。お酒はお腹のお客様が萎縮したのである。神格を得た祖先がある。(S25・5・22)

家の守護神

“先達ての台風で信者の家(家族の中三人だけが信者で御神体は未だ戴いておりません)の庭の欅の木が二本(周り三尺位)屋根に倒れかかって来ました。一本の方は枝をはらったりしてやっと起しましたが、もう一本の方は近所の人の助けを借りることにして、それにしてもお茶を呑んでからと一服し、三十分程して行ってみますと、その木が何時の間にかもと通りに起きていました。この事に就てお伺い申し上げます。

“奇蹟である。三十分ほどして起きた――之はある。その家の守護神が起すのである。木の霊を起したのである。珍しい事である。人々にも守護神がある如く、家にも守護神がある。御神体を戴いておればもっと軽くなる。信者の信仰の徳に因る。

火の玉部屋にあり

“奥さんのみ御守様を頂きまして半ケ月後の或る晩、午前一時頃より家の中に火の玉が一個約二時間程動いて居り、驚いて奥さんが善言讃詞を上げさせて頂き、約二十分程後に消えましたが、如何なる訳で御座居ましょうか。御守様を戴いて居りません御主人もともに見えたそうです。

“祖先で神格を得たものが、主人も早く入信させる為に見せたのであろう。今迄の夜の世の中では出来なかったが、此頃は霊界が変ったので出来る。今後不思議な事が沢山出る。  (S24・2・4)

爆音して障子紙切れ床にあり

“私は二十二年入信、その後腸結核の浄化あり、本年二月二十四日にはすでに危い所まで行きましたが、御守護に依り助けて頂きました。三月三日光明如来様をお祭り致しました。其の翌日正午頃、何か爆発する様な音がし、御神前の次の間の障子紙がカミソリで切ったように綺麗にはぎ取られ、その紙が御神前へちゃんと置いてありましたが、これは何かのお知らせで御座いましょうか。尚、此の光明如来様をお祭り致しました床には六所神社と書いた氏神様のお軸が掛けてありましたが、これは巻いて床の脇の方へ置いてありますが、それでよろしゅう御座いましょうか。右、謹しんでお伺い申し上げます。

“それでよい。氏神は三宝の上へ巻いておいた方がよい。紙は六所神社の神かも知れぬ。斯ういう事もある。(S25・5・3)

大音と光の玉(日と月系統の光色)

“私の関係信徒、海老野藤八氏の光明如来様の御祭りの翌日には、大変主人は苦しがり、当夜半二時頃子供の小便に目がさめて、何気なく表を見た折、突然トタンが落ちる音と共に、赤い目の玉の様なものが見えました。夫婦共見ました。後で気が付けば屋根のトタンは落ちて居りません。光明如来様と如何なる関係がありましょうか。御教示下さい。

“相当の神がお知らせになったのである。音で知らされる事はよくある。お宮の場合よく音をさす。光の玉というのは神の霊で、移動される時は玉になられる。人魂のようなものである。赤い光は日の系統、白色や紫色は月の系統である。(S25・4・25)

入信前仏壇に奇音を聞く

“毎年お盆の十三日より十五日まで仏壇にて、ジージーと言ふセミの啼き声の様な音がして、手をふれたり声をかけてもやみませんでしたが、私が此の道に精進させて戴く様になり、光明如来様並びに屏風観音様を御祭させていただきました今年のお盆には、私も郷里で色々と先祖のお祭をしましたが、以前の様な音は全然聞えません。入信した他の家にも同様な事が起って居ります。如何なる訳で御座いませうか。御伺ひ致します。

“祖霊が何か知らせたい。それでこんな音をさせたのである。信仰に入ったので、満足したので、その必要がなくなった。(S24・8・28)

寺の不思議(住職の霊示)

“私の村の真宗寺の出来事で御座いますが、昨年十二月二十三日頃より毎夜九時頃に御堂の方で拍子木の音が聞えます。御堂へ行ってみますと庫裏(クリ)で聞え、庫裏へ帰れば又御堂で音が致します。拍子木は三組あり、木の質によって音が異って居りますが、聞える音も三種の音が致します。その音が一月五日頃までして、それからは音がしなくなりました。因みにその寺の老住職は昨年二月に亡くなり、その後すぐに住職になった人は昨年春頃より本教に就いて研究して居りますが、未だに入信致して居りません。右の拍子木の音に何か霊的の関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。 

“老住職が霊界へ行って此教えを知ったので、現住職に信仰に入ってもらいたいのを知らせたい為、外に方法がなかったのでそうした。入信しなくてはいけない。でないと外のお知らせになる。(S25・2・15)

小音と共に光見ゆ

“父健蔵(五十三歳)、座骨神経痛にて今月十一日に教修を戴き、其の晩床の中に入り、十二時四十分頃、頭上にて電気のスイッチを捻った程度の音と共に直径約四十センチ位の金と銀の中間色の光が見えました。次いで十四日教導所に御参りに上りました。其の翌朝、五時頃、同じ様な音がして直径二十センチ位の前と同様の光が見え、一尺位下り消えました。何か訳が御座居ましょうか。

“神である。それ程位の高い神ではない。神が守護しているのと、祖先で神格を得てるのが喜んで知らす。霊が空間を行く時は玉になる。光のあるのは神格を得ている。人間のはボーッとしている。(S24・8・19)

患家への帰着に異音を聞く

“私の妹の主人が肺病で寝て居ますので、私が行って観音様の有難いことを話してやりましたが判りません。私が帰る時表に出ると、後ろの方で竹を割るような音がし、自分の家へ着くと又前の音と同じような音が致しました。何かのお知らせでしょうか。

“大した事ない。先方の祖先で、守護している霊で、送り迎えする訳である。

御奉斎屋根に火の玉

“私は只今大光明如来様を奉斎し、教導所として御用に邁進致して居りますが「今月二十日十八時頃、自宅屋上より直径二寸位の丸い眞赤な火の玉が一メートル程横に飛び出て、床の間の屋根の上に落ちました」のを隣家の人が直視したと申して居りますが、観音様と或いは霊的に何か関係がありましょうか。御教示下さい。

“関係ある。霊である。真赤な火の玉であるから、生霊の場合もあるが、観音様に憧れて遠くから来たもので、一たん止って又移動したので、祖霊の中で神格を得た人といったのは火の玉になって移動する。であるから祖霊の古いものである。観音様にお願いがあるとか、大光明如来様にお遇いしたいとかいう意味で、許されて来たものである。(S24・11・25)

光の玉舞い人に打つかる

“或る未入信の方で御座いますが、最近直径八寸程の丸い光の玉が何処からともなく家の中に侵入して、御光を頂いている方にぶつかると煙の様になって消えてしまふと申します。極最近は其の玉が蚊帳の上にて舞ひ廻って居るとの事で御座います。此の丸い玉は如何なるもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“祖先が喜んでるのを見せたいのである。龍神に言いつけてする。(眷族)(S24・9・12)

入信後、火の玉音立てて落下す

“兄の妻、入信後約一週間を経た或夜、未入信の弟(次男)が床についてから暫くして、御仏壇の前方六尺程離れた襖の処に直径約六寸大の青い火の玉の閃光がボッと音をたてて輝き、消えると共にその中から更に一寸位の芯とも思えるような火の玉が落下しましたが、それにに就いての変化は別に何にも起りませんでした。この火の玉は隣室に休んでいた母や弟(三男)も同様の状態で見たそうですが、同じ隣室に休んでいた長男夫婦は全然知らず、又この日は仏の日でも何でもないそうです。何か霊的に意味がありましょうか。

“祖霊で火龍になっているものが、入信したんでお祝いに来たのである。火龍はよく雷の働きをする。

無数の火の玉降る

“或る信者さんの実家で、其の家は未入信で御座いますが、八月十三日午后九時十五分頃、屋根の上一尺程の処より火の玉の様な物が数知れず裏庭へ降り、地上三尺程で無くなったそうで御座います。丁度お盆の前日であり、其の火の玉の大きさは昔の五十銭銀貨程で、小さいのは火の粉の様で、続いて三回降ったそうで御座います。此れは先祖の霊で御座いましょうか。或は火龍の働きで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“先祖の霊である。此通り来るという事を信じさせる為、霊もいろいろ工夫して見せるのである。  (S24・9・12)

近来の火の玉

“近頃よく火の玉の話を聞きます。私も正月早々でしたが、月の様な火の玉が空にパッと消えたのを見たのですが、何でありましょうか。

“(よく聞くが)、火龍が見えるので、日の系統の龍神である。(今火の系統の龍神が活動し出した)(S24・2・27)

石垣から光の玉と黒玉

“或る家の屋敷廻りの石垣の辺りから夜火の玉が出て、而も其の火の玉の中から黒い玉が飛び出したのを二回程其の家の姉妹が見たと申します。妹一人だけ入信していて、後の者は父母も皆未入信です。何か祖霊と関係が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“石垣に蛇の霊がいる。その辺で殺された霊である。火の玉の中から蛇が出たのである。上等の霊は光の玉になり、悪い方は黒い光となる。(S24・9・11)

赤い光玉投票箱より出づ

“岩手県古城村農業協同組合の理事選挙中投票箱より赤い光の玉がスーッと二間位一つ飛び出しましたのを信者の一人が見て、不思議の余り側の人に知らせますと、其の人も見えたとの事で御座います。其の後、組合長が脳溢血で一ケ月半位で死亡致し、続いて職員が半月位後に同じ症状で急死致して居ります。右の赤い玉は何か意味が御座いませうか。又組合長の死と関係が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“深い霊的意味がある。投票に関係があり、組合長に対する怨みで、それが多数の怨みで、共同で組合長をやっつける。それで職員も巻添をくった。こういう事はない事はない。(S25・5・22)

お屏風観音様動く

“或信者で、昨年十月御屏風観音様をお祀りしました処、仏壇正面最高の所にお祀りしてございますが、必ず左側へ一寸位動きます。仏壇は水平で震動もない場所でございます。右につきお教えをお願い申し上げます。

“仏壇の位置や霊的関係によって、その位置でなくてはいけないのであろう。観音様の御分霊が移って御守護下さる事となる。祖霊で、霊界で極楽へ行ったもので、観音様の代理をする霊の因縁により、外の霊との振合い上、そうでなくてはいけないのである。故に動いた場所に変えた方がよい。

御屏風のお姿より黒塊出づ

“或る信者さんが仏壇に向って御讃歌を奉誦中、御屏風観音様の御姿の腹部より黒い玉が出て、肩の辺を伝って上にあがり、御姿の一番上の所でパッと消えたそうで御座います。此の黒い玉は如何なる意味が御座いましょうか。又或る信者が未入信の家の仏壇に善言讃詞を奉誦致しますと、仏壇内より自分の身体に向ってお玉杓子の様な形をした黒い物が沢山飛んで来まして、声が出にくくなりましたが、如何なる意味で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“屏風観音様のお腹の前の所に救われたい霊が来ていたのである。御讃歌を奏げたので、御遠慮して飛びのいたものであろう。黒い玉とは祖霊中の重要な人である。お玉杓子のようなものは皆祖霊で、救われたくて其処へ集って来た。丸いのが行くので跡を引くので、お玉杓子のように見えた。祖霊は仏壇へ入る時は小さくなる。(S24・11・22)

位牌向き変える(戦死者の安否)

“二十四歳、女の信者、今夏頃よりサイパン島で戦死した兄の位牌が、何時の間にか南の方を向き、真直に直しましても、又何時の間にか南方向きになって終い、気にして居ります。先日母親が三晩続けて戦死した兄の夢を見、それによると未だ生きているから動くのだとの事、如何なる訳でしょう。

“祖先がするのである。霊がやるんでない。このままで、光明如来様へよくお願いする。もし生きておれば必ず帰るようになる。時を待つ事である。

仏前で両手吸い着く(憑依)

“私は昨年十二月に入信させて頂いて居ります。それより仏様の前に座して手を合わすと、電気に掛った様に両手が吸い着く様になります。どうした意味でしょうか。

“憑ってる霊が有難いので掌を合わす。それで吸着くような感じがする。仏に祀られた霊で、仏の誰かに世話になった霊で、入信した者に憑るといい値打がある訳である。家来などの時、人間に憑ってやる場合が多い。(S24・10・26)

仏壇の供物蟻集る

“最近受教された方で御座いますが、今迄其の家の仏壇のお供物は何時も其の家の猫が食べて居りました。処が受教後早速誠をこめて仏壇にお供物を致しましたら、其の日一回に限って御飯の上に蟻が真黒になる程上って居りましたが、その後は猫が食べなくなりました。之は霊的に如何なる意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“祖霊が喜んで、猫に食べさせぬよう蟻を沢山寄らせた訳である。今迄は祖霊が食べなかった。形式的に上げたのであろう。(S24・10・22)

仏壇へ蝶出づ(三弥子様御生れの時)

“仏壇へお灯明を上げた時、時節でないのによく蝶が出る事がありますが、霊的に意味がありましょうか。

“蝶にはよく若い女の霊が憑依する。霊界で喜んでる女の霊が憑依してお詣りに来るんだろうと思う。大先生は、三弥子様がお生れになる前、大きな蝶が来てガラスへ止った事があり、今度生れるのは女だと思ったら、果して女の御子様が生れられた。

仏壇に五色虹

“新井金吾(三十二歳)、本年九月入信致しまして、去る十月五日光明如来様をお迎え致し、同家を水戸教導所にさせて頂きました。同人は入信以来仏壇に毎日善言讃詞をお上げしてお詣りして居りました処、光明如来様をお祀りしてより五日目頃に仏壇の後方の板に位牌の高さに金色に輝く五色の虹が出て、今日に至るも消えません。如何なる現象で御座いましょうか。

“(子供の身体を根拠としてやってもらう。祖霊の中の或ものがやる。)(?)(S24・10・19)

一寸八分観音安置すると倒産

“三島市本町の観音堂に「金無垢一寸八分の観音様」と称してお祭りしてありまして、今迄此の観音様を安置した家は三軒つぶれて居り、現に落ちぶれた家に縁起を書いた巻物があります。そして私がお参りを致しましたところ、浄化を受けた様な気が致しました。何か因縁でもありましょうか。又此の観音様についてお話を頂き度う御座います。

“一寸八分の金無垢の観音様はいくつもある。浅草の観音様も一寸八分の観音様だったが、之はなくなった。今は代りの一尺位のものである。木彫りの観音様で、金箔が塗ってある。住職以外の者が開けると眼が潰れる事になっている。晒しの布で巻いてあるものだと思う。昔戦人が観音様を始終守護仏として腕へつけた。頼朝、義経の如き大将分は純金であったが、段々純金でなくなり、一番下は六金で、之は沢山見た。戦場などで埋ったのを掘出したのがよくある。浅草寺の御本体は長勝寺にあった。年に一回約十八日間御開帳の時、浅草寺へ行った。長勝寺の住職は道楽者で、御本体を質に入れ、質屋へ預けた。それが大先生の家である。曾祖父様は養子を貰われたが、人に瞞され、財産を潰した為、人手に渡った。その後はどうなったか分らぬ。質問の観音様は、時処位を得る為なさるので、相当に祭らるべき待遇さるべき観音様をもった個人の家は潰れて、結局人手に渡る事になる。

安置の観音像消失す

“私の家には昭和二十二年六月、知人より一寸八分の木彫り箱入の観音像を頂き、そのまま仏壇に安置してありましたが、八月に至りて、箱中より取り出さんとして見ました処、不思議にも紛失して、御姿はなく箱のみとなり、今に至るも判りません。仏壇には先祖より伝わる木彫り阿弥陀像(千年以上も経過)があります。観音像のなくなった年の十一月に私は入信しましたが、何かの御知らせでありましょうか。

“仏壇に安置したのであるから無くなる事はない。何か訳があろうが、今は判らぬ。いずれ判る事がある。絶対ないとはいえぬが、滅多にはない。泥棒にとられる訳もない。何か霊界の方で入用があった。何か祖霊に関係がある。今度地天に寅吉物語を出す。人間霊化して飛行する。霊の物質化は沢山ある。物質の霊化もある。何れは人類も霊化する事も出来よう。今の科学は原始的である。  (S24・6・18)

仏像手折れてより不幸(三十前の胃癌なし)

“或る家で、七年前、仏壇にお祭りして置きました阿弥陀様と不動様の左右の手が折れてから、子供を九人次々肺病で亡くし、妻も死亡し、最期に残った娘も現在胃癌の為明日をも知れない状態にありますが、何か霊的に障りがあるので御座いましょうか。又、如何に処置致しましたら宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“三十前で胃癌というのは誤診である。胃癌は四十過ぎでなくては起らぬ。折れるとして、霊が憑依している時、手がなくては困るというので、気付かす為で、最初殺したのかもしれぬ。欠けた所は嫌がるから、仏具屋で治すといい。兄弟が死ぬと必ず次々連れてゆく。兄弟の霊が憑依したのはなかなか治らぬ。故にその霊の憑依をみた方がよい。(S24・5・1)

地蔵の祟り

“未入信の家で御座いますが、この親類には指の不具者が多く生れます。土地の人の話によりますと、五代前のお爺さんが俄雨に会い、地蔵堂に雨宿りを致します間に、地蔵様の指をいじって居ります内に指がぽろりと落ちましたそうで、その夜帰りましてから高熱が出て、遂に指を切断致しましたそうで、その後次々に不具の子が生れると申します。この祟りは地蔵の霊でございましょうか。御伺い申し上げます。

“地蔵は大抵人間である。変死者などを祀る。之等も人間の霊である。非常に執念深い。怒りっぽい霊である。之では地蔵の資格はない。入信すれば治る。光の為、そういう霊が災されぬようになる。  (S24・11・22)

未知の男に旧知の言葉出づ

“山下マツヱ(二十六歳)と申す未入信の者で御座います。米の配給所で見知らぬ男と会った瞬間に「あなたはここに居たんですか、暫くでした」と言葉が出そうになって、ハッと驚いて思い止まった時に、赤ちゃん男女二人の姿が頭に浮んだそうで御座います。其の時、男の方では「世の中には不思議な事があるものだ」と申したそうで御座います。変に思って後刻調べましたら、男は米の配給所に勤めている二十五歳の者との事で御座いまして、双方共未婚で御座います。右は前世の因縁か又は霊的関係があるもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“やはり霊的関係で、面白いものである。恋愛の動機になるのであろう。これだけじゃ分らない。(S25・5・11)

チャイコフスキーの「悲愴」奏者斃る

“一月二十九日付夕刊毎日新聞及び朝日新聞に次の記事が御座いました。「ストックホルム交響楽団が去る二十五日夜、チャイコフスキー氏作交響曲第六番“悲愴”を演奏中、クラリネット奏者が心臓痲痺で急死し、又英国のロッキンガム楽団は此の曲を演奏すると何時も楽団員が急死するから、演奏は厳禁すると発表し、同団では三年半前に同演奏中にホルン奏者が倒れ、数時間後に死亡している。ストックホルム楽団は、演奏数時間前に此の曲を演奏したからと言って死ぬ事はないと発表した」と報じて居ります。何か霊的関係があるもので御座いませうか。又毎回死ぬ者は管楽器奏者で御座いますが、何か意味のあるもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“チャイコフスキーはその曲を嫌がる。名が「悲愴」であるから霊が嫌ふ。それでやめさす。お岩など、劇化する際、お詣りしないとキッと何かあるといふ。執着強く、何百年も浮ばれぬのである。(S25・2・11)

安産の母死亡

“鄭さんという中華人で、昨年十二月お守様を戴き、本年二月十三日に安産いたし大変喜んだのもつかの間、一時間足らずの後、母親は死亡いたしましたが、如何なるわけでしょうか。この夫婦は二月七日に火の玉を見て騒いだことがあります。

“(何か訳がある。表面だけみてはいけない。もっと悉しく書いて来よ)(S24・2・14)

生後四ケ月姙娠状あり

“朝日新聞に記載されておりましたが、東京都で生後八ケ月の男の赤ちゃんからもう一人赤ちゃんが生れたといふ双生児の記事がありましたが、それは生後四ケ月目から赤ちゃんのお腹がふくれ、吃驚して手術をしたところ、赤ん坊に成長すべきものが出てきたといふ事で御座いますが、これは如何なる訳で御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。 

“姙娠最中死んだ霊が早生した。まだ消えない中に生れると物質化する。又は、赤ン坊が或大きさになった時に於て精霊が入った時に、誤ってそれをその子が呑んだ。紐に小さい穴でも開いていて、そこから入ってそれが育ったか、その二つである。悉しくその状態をみれば判る。新聞記事ではそれだけの判断する外ない。原因は想念にある。  (S24・10・21)

ろくろ首

“或る女ですが、夜寝ている間は首が伸び、朝になると普通になるそうで、何度結婚しても夫が皆逃げてしまうそうです。ろくろ首はどういう事なのでございましょうか。

“昔、ろくろ首はあったというが、子供の時見世物で見たが、この例を見ると事実らしい。いくらか伸びるかもしれない。鳥の霊である。鶴とか、七面鳥の霊が憑るといくらか伸びる。眠ると本霊が縮み、副霊が伸びるからである。歯ぎしりなどそうである。以前シャックリの人を治したが、七面鳥の霊で、格好もそっくりだった。(S24・2・4)

舌下顎に連結の小児

“生後一年三ケ月の女子、生れ付き舌の先が下顎に連結(約二分位の筋様のものにて)して居り、物が言えません。御浄霊にて完全になりましょうか。医師はその筋を切断すると生命が心配だと申すそうですが、如何で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“赤子だから固まりきっていないので、治らない事はない。親が一生懸命信仰して徳を積む事である。  (S25・5・17)

三子奇形、狸の書いた書

“前妻の子三人あり、皆奇病――

“餓鬼が憑いてる。時々意識不明になる。黒顔となる。黒皮となる。口開けてると口中舌まで黒い。墨のようである。服毒死の状態である。  「千里……」の額あり、霊憑りの娘が嫌がる。円覚寺の和尚が狸に食い殺され、狸が和尚に化けて書いた額との事である。相当偉い狸である。寺へ返すといい。祝詞を奏げてやってもいい。光明如来様をお祭りし、暫くしてからでよい。お祭りして一年位経ってから処分する。時々祝詞奏げてやると早く改心する。(S23・7・21)

犬の子を生んだ婦人

“群馬県渋川町にて、人間が三匹の犬の子を生んだのですが、これはどういう意味で御座居ましょうか。

“主人公か妻が犬の生れ替りで、犬の性が残っている為で、斯ういう事はないとはいえぬ。解答は出来ない。(S24・4・13)

河童胎ます

“北海道で聞いた話でございますが、河童が同じ女に三度も児を胎ませたという事ですが、河童は実在するので御座居ましょうか。

“実在する。此頃は減ったが、昔は随分いた。体がぬらぬらしている。体から水が出る。義理人情を知っている。子を生ませたのはよほど因縁がある。沼や水辺にいる。水へ入ったり丘へ上ったりしている。人間の子供位の大きさで、伝説で鼬の化けたものというが、そうではなく、河童という種族はある。母というのは、河童が人間に転生したものであろう。又人間が河童に再生する事もあり得る。(S24・2・4)

代々客死、系図見ると死ぬ

“私の知人の家に、八幡太郎義家の系図の伝った宅がありますが、此の家の人は代々家で死ぬ人がありません。又此の系図を開いて見た人はすぐ不意の死をするとの事ですが、何故ですか。又其の悪因縁をどうすれば切れますか。御教示下さい。

“先祖で頑固な者が居て、自分の先代が戦場で死んだので、自分も外で死ななければならぬと思い、死んでからも、頑固の為にそういう風にする。又、系図を見られるのを嫌がる為である。(S23・11・22)

軸より鳩出づ 

“私は三十年日蓮宗を信仰致して居りましたが、此の度八月御観音様にお救い戴きました。御神体はまだお祭りして居りません。前に日蓮宗より戴きましたお軸を床の間にかけて居ります。二十六日夜、床の間でバタバタと音がするので床の間を見ますと、鳩が数十羽、そのお軸より出て参りまして、暫くする内にその鳩が又お軸の中に入って行ってしまいましたが、これはどの様な訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“曼陀羅はいけない。南無妙法蓮華は不可。こういう鳩は日蓮宗のお寺にいた鳩で、日蓮宗のお世話になって、鳩が霊になって(そのお軸に憑いていた)仏滅は二、三年で変る。(S24・10・2)

掛軸の龍と眼病、供水消失

“望月利永(三十四歳)と申す信者で御座いますが、二十一歳の頃より次第に眼が見へなくなりまして、現在は殆ど失明に近い程で御座います。医師は手当の方法がないと申して居ります。当人の眼は瞳孔が普通より小さくなるのと、見え難くなるのと平行してゆくと申します。一見底翳の様にも思はれます。此の宅には龍の掛軸が御座いますが、其の前に一升入り程の器に水が供へてありまして、一ケ月に一升近い水を飲みほして居ります。器に水がなくなりますと夢に龍が現はれ、水を要求すると申します。又夢は必ず本人が見ると申します。先日、夢で直径一尺とも思はれる蛇の上に女神が乗り、其の神様を信仰して居りますと、蛇は家より出て雲に乗り何処かへ行きました。蛇の去った後に新しい家が出来た様な夢を見たと申します。此の兄妹の眼と掛軸の龍と何か関係が御座いませうか。

“光明如来様をお祭りしなくては駄目である。無論目と関係がある。夢はそのお知らせである。(S25・3・21)

火柱に就て

“長野県飯田市外及び愛知県挙母町に於て火柱を最近見ました。火柱とはどう言う現象でしょうか。又其の火柱は横六寸、高さ三メートルで立ちました。そういう家は焼けてなくなる事実がありましたが、何か霊的に関係が有りますか。

“火事のある前は霊界で火事がある。時が経つと現界へ写ってくる。霊界の火事が偶に見えるのが火柱である。光の火柱と燃えるような火柱とあるが、観音様を祭った家などは、光の火柱が立っているのを見る場合がある。先にそういう事があった。普通の火柱は火事の前兆とみるべきである。(S24)

火燃ゆるを霊視す

“本年二月、天国会総本部高天閣御神前に泊めて戴きました夜の出来事で御座居ますが、御神前の前方の屋外で火がボウボウと燃え、木の下枝の高さ迄も焔が上り、約三十秒間で消えました。  外はまだ薄暗く「ああ、もうすぐ日の出だ」と思いつつ見て居りまして、夢ではありません。之は霊的に如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“之は、燃え上る意味を知らされたものである。(S24・10・22)

日月瞼に見ゆ(小宇宙)

“五十六歳の女、数日前に朝、床に入って眼を閉じたら、左眼のみ一銭銅貨大の太陽の光が見え、眼を開いたら何にも見えず、又閉じたら同じ事で、三度目には両眼に月光が見えた。再度眼を開いたら同じ事を繰返したが、何も見えなかったのです。何か意味がありますでしょうか。

“之は心の眼が開いたという訳で、大変よい。人間の眼は日月になっている。右が月、左が日で、明になる。人間は小宇宙といって、宇宙の小さい型になり、身体中何かの型になっている。

遠州灘の海鳴り

“遠州に七不思議が御座いまして、其の一つに遠州灘の海鳴りと申しまして、年中ドロドロ鳴っております。海鳴りの音により雨になり風となると言う事で御座います。岸に出れば沖で鳴り、沖に出れば岸で鳴ると申し、何処へ行っても其の音のしている所が判りません。何か霊的に関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“海底の深部に孔があり、水が落込むと渦巻になる。その音である。

船幽霊(水死霊)

“長崎港外手熊の沖合では、船幽霊と申しまして、丁度座蒲団位の大きさの四角なものが船底に吸い付くと、何んなに櫓を漕いでも、船は少しも動かぬそうで御座います。その様な場合、火の燃えさしを海中に突っ込みますと、忽ち船幽霊は消散して動くことが出来ると、附近の漁師達は申して居ります。又その附近では度々難船が有ったそうで御座います。果して船幽霊とは有るものでございましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“溺死した霊が救われたい為になるのである。溺死すると底に沈むから、非常に寒い。火の気を少しでも入れると、ちょっと温まるからやめるのである。施餓鬼の如く、よく供養してやるとよい。  (S25・2・11)

船中霊に襲わる場所(霊の憑る人)(水死霊)

“大浜海岸の或所に舟を繋留して寝ると何時でも、誰でも、何かの為に胸苦しく、全身が重くなり、驚いて目を醒ますと全身汗びっしょりになって居るが、只一つ満栄丸と言う船だけは(持主は榊原伊三郎)一度もその様な事なく、平気で寝られるとの事ですが、如何なる意味でしょうか。

“水死した霊がいる。相手により、霊が憑り易いのである。霊に要求があるので、大抵は無縁になってるから、祀ってもらいたい訳である。霊は反って心の良い人に憑る。祀ってくれる可能性があるからである。

蛇猿を嫌う船神

“船乗りが航行中、蛇と猿の話を致しますと船が目的地に着かぬと言って非常に嫌うそうで御座います。その意味は、船神様が蛇と猿が非常に嫌いの為お怒りになられ、この様な祟りがあるとの事で御座います。この神様とは如何なる神様で御座いましょうか。 

“琴平別の家来で、蛇と猿にひどい眼にあったのがあったんであろう。それで嫌うのである。  (S25・1・21)

海坊主

“漁場でよく海坊主といい、海上に坊主の様なものが現われると、決って不漁となり、又それを押切って漁に出ると難船するそうです。如何なる訳でしょうか。

“海坊主とは大蛸の霊であろう。海の主になっている。蛸は普通の魚とちがう。海に住ってる所を勝手にまわるのを嫌がるのである。又、人間にも憑依する。姐妃のお百などそうである。

水に浸すと足浮腫む

“那須地方に二、三ありました事で御座いますが、水の中に入りますと非常に寒気がし、水に浸って居ります脚が浮腫むとの事で御座いますが、何か霊的原因が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“水中の毒素の為と思う。那須山噴火の際硫黄が着いて土に沢山含まれている。それ故に木は潅木のみである。土に滲み込んだ硫黄が水にあると思う。(S24・3・1)

お光奉持者のみ映る

“お光を戴いた方と阿弥陀様の御守りをかけた方と一緒に、或る木の所で写真を写しましたので御座いますが、写して戴く二人の位置は阿弥陀様のお守りをかけて居る人は木に登りお光を戴いて居る方は其下に居て写されましたが、焼付けして見ますと、お光を戴いて居る方のみ写り、他の方は少しも姿が写りません。何か霊的に原因が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。(又、焦点は実に良く合って居ります)

“間違っているから、間違っている方を消したのである。写真はなかなか奇蹟のあるものである。  (S24・5・2)

新年祭の鏡餅黒変す

“淡路南部に於ける大社教では、新年の御祭りで御供への鏡餅が、お供へして間もなく真黒に染まり、未だ嘗てない事だと騒いで居り、祭主も五、六月頃を警告致して居ますが、祭神が何か知らせるのでせうか。

“今年から霊界の変る表はれで、素盞嗚尊が昼の世界になると御隠退になる事を知らしたものである。尊は月の神で、裏が素盞嗚尊で、表が月読尊である。

発音する甕置き不幸起る

“六人家族で、その中一名一昨年入信しました。家に七百年前の伊部焼の甕がございます。その甕に水を一杯入れて杓をつけておきますと、夜になると時をきめて杓が「カランカラン」と鳴ります。昔から其の種の甕のある家は必ず不幸が続き、死に絶えた家も御座います。現在骨董屋も此甕を見てよくないと申しております。之は霊的に何か関係が御座いませうか。

“甕に霊が憑いている。よく霊の希望を知らす為に音をさす事もある。又作者の霊が憑ってる場合もある。又その甕の為に間違いの起った霊の時もある。光明如来様をお祭りした床の間へ置き、花を活けてやるといい。霊がいるとすれば非常に喜ぶ。古備前であろう。 

飯より光煙出づ

“或る信者(娘)が炊きたての御飯を食べて居りますと、何か変な臭いがしますので箸でまぜました処、パチンと音がして花火の様な光と煙が出て、その後、御飯の一粒が黄色に変って居りました。曾てその娘の母親もこれに似た様な事が御座いました。これは如何なる訳で御座いましょうか。尚、この信者の両親は未入信で、仏壇も御位牌のお祀りは出来て居りません。如何なる訳で御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“娘の霊線から親が分るようになる。霊的のものではない。霊的では解釈出来ぬ。何か爆発物が入っていたものだろう。(S24・5・1)

人魂の走向

“世間俗に言う火の魂(人魂)が西の方に向って行くのと、東の方に向って飛ぶのとがありますが、どう言う訳ですか。

“人魂は、死ぬ時――前か直後に自分の親しい人とか遇いたい人の所へ行く。人間でも凡ての霊は丸くなって移動する。故に東でも西でも方々へ行く。肉体から放れた当分は、霊が濃いから人目に見える。死んで年数が経てば見えなくなる。

二蛇中に見ゆ人魂 

“去る二月十五日、東京大森、古田浅太郎宅にて、普通言われる人魂に似た直径十五センチ位のほの白い火の玉で、中に蛇みたいなものが二匹トグロを巻いた様な状態のものを見ましたが、何で御座いましょうか。

“人魂であろう。蛇霊が二匹憑いてる人の霊である。(S24・2・27)

病死霊自動車で帰る

“先月別府に於て、病院で死んだ霊が電話で自動車を呼んで自宅へ帰ったという事がありましたが、果して幽霊が右の様な行動を取らなければ自宅へ帰れないものでしょうか。尚、その後、運んだ運転手は病名不明で床について居りますが、その幽霊の話をする度に熱を出して苦しむそうです。右について御教示願います。

“これはあり得る事である。死の二、三日前、霊だけ脱出するのがあり、抜殻で堕性で生きている事がある。死ぬ前にボケるのは本守護神が抜けているので、副霊だけで生きてるのである。であるから、之も否定も出来ない。

僧に救霊を乞う

“挙母町に在る善光寺と言う寺で御座いますが、この寺の和尚さんが寝ますと、夢では無く頭の所に地獄の霊が救って呉れと言って頭をつつくのだそうで御座います。和尚さんは恐ろしさで寝る事も出来ず、鐘や木魚を叩くのだそうです。そうしますと、霊は帰って了うそうで御座います。此の寺は、昔幽霊が来て着物の片袖を置いて行ったとの事で、今だにその片袖が残って居るそうで御座います。何か霊的に関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界で苦しみ、僧に助けてもらいに来るのである。経を上げてやるといい。なさけない坊主である。 

亡妻の手見ゆ、家の怪

“或る信者の妻は結核で昨年死亡し、本人は養子の為実家に帰り、二回目の養子に行きましたが、食事の時に亡妻の手が出ると言うので居たたまらず、二回目の婚家先も帰って来ました。お光は頂いて居ります。其の家は後を継ぐ者がなく、売家になって、買った人がこわしに掛りましたが、大黒柱の上に多くの仏が見えたとかで、買った人は寝付いてしまいました。人の噂では「ゴーッ」と言う音がするとか、赤い着物を着て立って居るとか申しますが「浄霊によって亡くなった者は救われる」と聞いて居りますが、先祖の霊が家に執着を持って居る為で御座いましょうか。今後どの様にして行けばよろしいでしょうか。(買った本人は両親ともありません)御伺い申し上げます。

“斯ういう事はよくある。英国の幽霊の指紋は有名である。(心霊研究に行った人は土産にもらってくる。私も見た事がある)妻の手が出るのはこれであるから、嘘でない。家に執着があるのである。光明如来様にお願いしてやれば、どうともしようと差支えない。祝詞を奏げて、今度ここへ家を建てるから除いてもらいたいと言う。(S24・9・8)

無出血出産と燃えぬ赤黒塊

“田中静子(二十五歳)五月二十七日女児を誕生致しました処、子供は健在ですが、本人は産時は身体は白蝋の如くして、産後は一滴も出血がなく、後日腹膜症状にて全身腫脹致し、七月三日腹部に痛みを覚えつつ死去致しました。その人は六月入信し、勿論御浄霊を戴いて居りました。火葬の際直径五寸位の柔らかい弾力性の赤黒い塊が残り、金棒で突いても壊れず、遂に燃え残りました。皆不思議に思って居りますが、此の塊は何でありましょう。御教え願います。

“身体がピンピンしてから入信すべきである。産後本を読んだりなどして頭を使う事はいけない。その赤黒い玉が血液を吸収したんだろう。それは霊である。霊の物質化したものである。何者の霊か判らぬ。龍神で、人間に生れたい為に長く憑っていた。他の子供が出来たんで、龍神が脱け、龍神が居た時の人間になるべきものが残ったのである。物質化した時、龍神に関係したものが一番強い。そのままにしておいて差支えない。すべて霊は玉になる。(S24・7・7)

死体より酒塊出づ 

“広島県在住のある未入信の人の話によりますと、その人の村に大酒呑みが居りまして、死後医者が研究の為解剖致しました所、腹部より一つの医学上不明の塊が出まして、それをコップに入れ酒を注ぎますと、どんどん吸ってしまったそうで御座います。酒呑みは腹中の霊が吸うと御教えを頂いて居りますが、この事は如何解釈致しましたら宜しゅう御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“霊が物質化したか、生きているかである。これでみると、酒呑みの原因はよく判る。(S25・4・12)

肛門より藁屑出づ

“死後肛門より木屑、藁屑が出た人が御座いますが、前世と何か霊的な関係が御座いましょうか。生前、此の肉体に憑依していた霊が申しますには、前世は牛であったそうで御座いますが、如何で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“前世牛の時代の残ったものが物質化して出たのである。(S24・7・21)

死体の印再生に残る

“亡骸に墨にて印をつけて葬りますと生れかわって来た子供に同じ様な「あざ」があるといわれ、又その様な人を見ましたが、これは霊的に如何なるわけが御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“死の直前と、死体の生々しいのは、いくらか霊が残っているから、脱け切らぬ場合、その人の気持が霊に印象される。然し滅多にない。偶にある位である。(S25・3・18)

死者の手の印字生児に現わる

“静岡県志太郡大長村神座の未だ入信して居りませんお宅で、死人の掌に住所、姓名を書きまして埋葬致しました所、五年後に関係のない伊豆の或るお宅へ生れた子供の掌にその文字がはっきり出ていたそうで御座いますが、縁籍関係がなくてもそうした事があるもので御座いましょうか。亦、その掌の文字は埋葬した墓地の土で拭えば消えるそうで御座いますが、如何なる理由で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“斯ういう事をよく謂うが、ないとはいえぬ。遠戚でなくとも霊界では一緒かもしれない。養子などのように祖霊が他家へ子を産ます事がある。掌に無意識に書くんでは何でもないが、生れた時の印にしようと強く想う場合には斯ういう事がある。(S24・7・12)

乳児の死体重くなる

“長男(二歳)が疥癬の御浄化で死亡しましたが、その時の死相は人形の様な美しさでした。善言讃詞、御讃歌をお上げし、会員により葬式は終りました。愈々出棺になりますと急に死体が重くなり、十五貫はあったと思います。弟と甥の教導師が墓地迄荷って行ったのですが、一町程の道を途中休んだほどです。之は子供の霊の働きでしょうか。又邪霊の禍いでしょうか。

“邪霊の災ではない。祖先の相当偉い人の霊で、もう一ぺん死の形をしなくては生れ替れぬ因縁があるのである。それで、自分も子供と一緒に葬ってもらうのである。

黒く水膨れ、皮破れる死体(死前の憑依)

“或婦人、生存中は大変痩せて居ましたが、死亡した時は胸が膨れ上り、黒色となり、水膨れになって、触ると皮が破れ、水が滲み出ました。又その祖父が二年前死亡した時も同様の症状で、生存中は大変肥って居ました。この家では祖父の弟が五十一年前に新しい井戸を掘り、古井戸の枠を取りに入った時土が崩れて、生埋めとなり、死亡したそうです。霊的に関係ありますか。

“関係ありとは思えぬ。祖父の金助さんの霊かもしれない。そういうのは死んだ時痩せていて、死ぬ時に憑いたものであろう。身体が弱ると憑くからである。最初から憑いていたように思うが、死ぬ前に憑く事が非常に多い。非常に罪が多く、霊が曇り切って死んだので、それが物質化して水膨れになったものである。

テレーザの聖痕

“聖痕女テレーザ・ノイマンの事に就て御伺ひ申し上げます。

“日本で、長峰敏江といふ者は、物を食べると血を吐く、それからは十何年間か食べない。そして病気を治した。水を薬に変へた。それで病気が治ったといふ。ノイマンの聖痕は、霊が憑っている。霊が全部を占領すれば、食はなくても生きていられる。但し低い霊では駄目で、神格を得た霊でなくてはいけない。聖痕といふのはキリストの弟子か、何かの偉いのが憑っているのであらう。キリストならもっと能力を発揮する。異常人物は絶えず世界に発生する。俳優にも壁を抜けて舞台へ出た者がいる。又英国にも煉瓦の壁を上って行くのもあった。

ザビエルの右腕

“人間は死すれば土に還元するものと思って居りましたが、ザビエルの死後は生けるが如くで、右腕が日本に参って居りますとか、フランスの○○の枯死とかは霊的に如何の意味をなすものでしょうか。

“ミイラと同じ事である。ヱジプトあたりのは五千年位前のがある。土に埋めるから土に還るが、空気に晒せば何千何万年も――。すべて物質は土から出て土に還元する。(S24・6・23)

ザビエルの奇蹟(濃霊の脱出)

“ザビエルの奇蹟に就て――。亡くなった当時、身体の色艶も生きているようで、現在も腕がミイラとは違うようでございますが、如何でしょうか。

“浄まった霊は斯んなものである。霊が濃いので、脱けるのに年月が掛った。(S24・6・3)

ザビエルの奇蹟

“ザビエルの肉体の奇蹟の様なものが世界各所にありますが、先日の御言葉では、「霊が濃い」と御伺い致しましたが、之はいかなる意味でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“霊が濃いとは強いので、強いと固まる。別に珍らしい事でない。ミイラなど五千年位前のもある。髪の毛も長い。然し(腕をとったりして保存するのは)感心せぬ事である。その人の見解の相違であるが、少くとも宗教的の事でない。ああいう事をせずに、人間に宗教心を植え付けるのが綺麗である。(S24・6・23)

ザビエルの腕に就て(邪道)

“「ザビエルの右手」は三百年もの間その原形を維持されながら現在に至って居ります。この様に現代医学では解決出来ない奇蹟を表わしたにも不拘ザビエル自身、身体の一部分を切断された事は何か誤れるように考えられます。二律背反した「ザビエルの右手」に就てお伺い申し上げます。

“之は極めて邪道である。而も腕を持って来ていろいろする事は本当はいけない。霊は嫌がる。腕を持って来て信仰と如何なる関係ありやと言いたい。実に不快だと思う。死人の腕をみても気持のいいものでない。多くの人が見て気持の好いものでなくてはならぬ。宗教家は一々バラバラ事件のようにやられては堪らぬ。(S24・6・8)

団子に穴開く

“未入信の農家の出来事で御座いますが、お彼岸にお団子を上げてお祀り致しました処、間もなくお団子全部に指先で突いた様に穴があきました。当家の先祖で行方不明になった男子があり、其の後其家の男は皆外出先で死亡致して居ります。之は如何なる訳で御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“無縁の霊で怨んでいるのがある。然し、祀らなくともよい。入信すれば救はれてくる。(S25・5・2)

葬団子の変色

“人が死亡致しまして葬式の場合団子を作ってお上げ致しますが、此の団子を作る場合真白い米の粉を用い作りますが、色が黒く変色する場合と変色しない場合が有ります。大変苦しんで死んだ場合等は変化し、安らかに死んで住く様な場合は変らない等と聞いて居りますが、自然死と不自然死とで変化するので御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“黒いのは地獄、白いのは極楽で、地獄へ行く霊ほど黒い。三途の川で白衣の色が変る。団子にもそれが表われる。

墓石の奇象

“浄化中に亡父の墓石が二つに割れ、次の浄化中に子供の墓石が二つに割れたので本人は非常に気にして居りますが、如何なる意味のもので御座居ましょうか。

“偶然ではない。霊界で更生され、新規蒔き直しとなった。祖霊がそういう事を気にする性格である。(S24・9・19)

納棺した善言讃詞残る

“一教修生、最近死亡致しましたので棺に善言讃詞等を入れて火葬に付しました所、善言讃詞だけ僅かにこげただけで残りましたが、之はどの様に考えさせて頂くべきでしょうか。

“入れなくともよいという事を知らせたのである。(S24・8・23)

社に燈火つき海難を救う

“岩手県気仙郡吉浜村千歳と言う漁村に水神様を御祀りして御座いますが、大分前の大暴風雨の夜、沖を通った数隻の船が濃霧の為方向を失ひ、岸に乗上げ様とした際、水神様をお祀りしてあります社の松に幾百とも知れぬ燈火がつき難をまぬがれたといふ話が御座います。右につき御教へを御願ひ申し上げます。

“龍神である。斯ういふ事は何でもなく出来る。海を守っている産土様である。(S25・1・12)

同一事故ある海、エアーポケット

“最近、九州小倉砂津海岸沖と対馬沖に於て、空のヱアポケットの如き事象が発生し、既に数隻の船が不思議にも同一場所に沈没してしまい行方不明となっておりますので、海の怪事件として喧しく世評の的となっていますが、之は如何なる原因で御座いましょうか。御教えを賜り度く存じます。尚、エアポケットに就いて御伺い申し上げます。

“エヤーポケットは空に真空が出来る事である。龍神は空間でいろんな事をやる。そこに龍神が住んでいて、船の通るのを嫌がるのである。龍神は潔癖なもので、汚されるのを嫌がる。行の妨げにもなるのである。  (S24・10・1)

漁不能の海

“六月二十一日の長崎民友新聞に「五島沖の怪」の見出しで宇久島沖、白瀬燈台沖、奈良尾沖、沖ノ島沖に、アバ網(鰯)をおろしますと急に波が荒れ出し、摺鉢形に渦を巻き網を吸い込んで了うとの事で御座居ます。これは如何なるものの仕業で御座居ましょうか。

“龍神である。その辺に龍神の居所とか住居がある。そういう事をされると困る訳である。蛇は巻くのが好きである。低気圧の如きもやはり巻く。中心に龍神が巻くと旋風が起る。  (S24・7・2)

龍岩と湿り

“私の家で東に向い出入口より右側に、一年を通じ雨が一、二週間も降らず乾燥して来ますと直経一メートル位の円形に湿ってくる所が有ります。深さ三尺程の所に生岩があります。日光直射に合いますと、目に映じなくなります。かげると又見える様になります。何か霊的に関係があるでしょうか。

“龍神がいるのである。そのままでよい。龍神のいる所は湿る。人間でも、龍の憑いてる人は身体が湿る事がある。(以前龍神の憑いてる娘で、それが抜ける時、体中水でビッショリだったのがある)祝詞を奏げてみよ。  (S24・1・27)

比良八荒(龍神の荒行)

“比良八荒と申しまして、春から秋の彼岸の何れかには必ず比叡嵐があって琵琶湖が荒れると申しておりますが、どの様な訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“比良という所がある。やはり龍神が風を吹かして、琵琶湖の波を立てるのである。龍神は水中でよく荒行をする。波立てたりなどを好む。そういう性格の大きい龍神であろう。(何かの必要か、希望があるのであろう)(S24・3・14)

お水取り(龍神の性能)

“関西では東大寺二月堂のお水取りと申しまして、三月一日より二週間、儀式の下で水汲みを致しますが、その井戸は若狭湾に通じていると申し、其の水は貯えて一年中の使い水にすると申して居ります。又、其のお水取りの期間中はいくら暖い時でも必ず寒くなり、特に初めの三日間は殊に寒いと申して居りますが、どの様な訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“水に関係した事は皆龍神がやる。若狭湾に続いてるなど迷信である。寒いのは龍神が季節的に何かやるのである。龍神は祭られたり、儀式されるのを喜ぶ。狐もそうである。ああされると出世したり、位が上る。龍神の大きいのは、陽気を或程度大きくしたり小さくしたり出来る。(S24・3・14)

大崩の龍神

“私の家の近くの海に小島がございますが、その附近で漁師がわかめを採りますと必ず雨が降ります。昔この島の附近で煙草船が難破して大勢の人が死に、この島の海中に墓があると言ひ伝へられて居ります。又海女などこの附近だけはもぐれないと申します。何か霊的な関係がございますのでせうか。大崩といふ地名の所で御座います。

“龍神がいて、人間が近よるのを嫌ふ為である。大きい龍で、斯ういふ龍神はそこで行をしている。海千年、河に千年、山に千年といふ。人間が来ると行の妨げとなるので、気をつかす。避けてとりに行かぬ方がよい。龍神は雨を降らすのは訳ない。(S24・3・14)

病人発生する川や田

“或部落を中心に一里四方にある何れの川にでも、落ちると熱病にかかり死亡し、足を入れただけでも肝臓が腫れ、チブスの様な症状になる事が、昔から数十名あります。百姓の人が田へ入った丈で右の様になる事が偶々あります。如何なる事でしょうか。御伺い致します。 

“龍神が沢山いて、人間が足など入れると非常に嫌がる。大きな龍神が居て、眷族が大勢居るのである。入らなければならぬ時は龍神に事情を言って許しを乞うといい。信者なら龍神も尊敬する。山なども神様のようにして「六根清浄」などを唱えて登るが、今遭難の多いのは、山を征服などと言う為である。人間が山を尊敬してくれれば霊は満足する。(S24・5・28)

物品引寄せした龍神

“那須の両郷と言ふ所に池があり、お膳や器物等借りたい時には手紙を書いて池の中に入れると明朝池の端に其の通りの物が出ておりますので利用されたとの事です。或欲の深い者が借りて返さなかった為、それ以後その様な事はなくなり、何時の間にか池の水も一滴も無くなって仕舞ったとの事ですが、如何なる訳でせうか。

“素晴しい力のある龍神で、物品引寄せをやったのである。借りたものを返せぬと罪を構成するから、龍神が外へ行ったので、池水が涸れたのである。

諏訪神社の怪(自殺者絶えず)

“光映会下仁田教導所の前にある諏訪神社の社前で、毎月一回位は必ず首くくりがあり、首くくりの無い時は社のすぐ裏にある川の淀んでいる個所に投身者が出るという風に、どちらかできっと人が死にますが、これは単なる自縛の霊でしょうか。それとも諏訪神社の龍神のなせる事でしょうか。裏にある川の淀みには三尺もある鮭が常時いて、町民が時々見かけて捕ろうとしても何時も逃げられてしまうという事です。投身死体は滅多に上らないそうで御座いますが、これにつき御教示を御願い申し上げます。

“その鮭の主が投身者を食うのかしれぬ。そういうのは霊的に神通力がある。そこに物凄い霊(龍神である)がいる。龍神も劫羅経ると水陸両面の働きをする。霊力がある。諏訪神社の神も止めなければならぬが、それに負けるのである。力つけてやる要がある。諏訪神社へ月に一ぺん祝詞を奏げる。(S24・7・3)

火柱と火事

“去る二月四日、磐田郡今井村、石川五六さんの宅が午前十一時半頃出火の為全焼致しました。その時近所の人達が申しますには、丁度今朝四時頃空から幅一尺位の赤黄い火が長く強音を立てて本宅の棟に降りたと言う事で、原因等不明で御座いますが、赤黄い火はどういう火で御座いましょうか。御教えの程御願い申し上げます。

“赤黄色は火の色である。昔から謂う火柱が立つとは此事である。(その土地に)非常に穢れがあって焼かなくてはならぬ事になっている。それで火龍が火をつけるのである。(霊的)法隆寺もこんな事かもしれない。  (S24・2・21)

閃光出現

“最近群る地方各地に於て閃光的に光るものをよく見受けます。本体は何で御座いましょうか。相当強い光で附近一帯に明るくなります。

“はっきり分らぬが、龍神だろうと思う。今迄光らなかったのが光った。火素が殖えるから光が強くなる。霊は移動する場合丸くなる。火の系統の龍神などは大いに光る。昼の世界になり、火の系統の龍神の活躍になった。法隆寺の焼けたのも昼の世界の第一歩である。(S24・2・3)

本教信徒の願い言の功徳著し(雨乞の奇象)

“去年、志賀地方は旱魃がひどかったので、村民が相談の結果、志賀山寺の洞窟の不動尊に願がけをして雨乞いをしました。其時は私も入信したばかりでしたが、御守りさんを胸に付け、八月二十日より一週間祈願致しました時、その祈願中に神憑り的になり、八大龍王の御告げに依り二十三日夜、目の前に雨を降らして頂きました。委(チドリ)神社の雨神にも御礼申し上げし処、其龍神、母と娘四人あり、母が病気で困って居りましたので、私が浄霊しますと全快しました。其時その長女玉姫を宗福寺に居る金龍の処へ嫁に行く話が纏り、十月十日午後十時、不動尊の岩穴の行場で婚礼の式を挙げる事になりました。その翌日に当る十一日、岩穴に行きますと、不思議にもローソクの融けたものが、黒色の龍神が玉をくわえた形であります。大切に木箱に納めてありますが(現在宗福寺)右は如何なる理由でありましょうか。

“自分の姿をローソクで作って見せたのである。龍神を助けたのは大変功徳である。八大龍王の支配者は伊都能売金龍で、観音様の守護神である。であるから、本教信者がお願いすると、金龍様に通じ、金龍様は八大龍王に命令さるる。であるから、村中総出でお願いするより信者一人がお願いした方が、ズーッと御利益がある。(S24・8・9)

山龍昇天の奇象(山より白煙)

“十二月一日十時三十分頃、北海道札幌山が薄霧に包まれ、山の形は全く不明、空は日本晴れ、無風状態でした処が、三角山(札幌裏山)と覚しき方向より白条の雲煙が立ち昇り、間もなく二条に別れて東北方(東寄り)の方向へ札幌上空を相当の速度で進行しました。不思議な事に一条の太さが目で見て五寸位、二条共全く同じ太さでした。尚二条の白条雲煙の間は約一尺五寸位の幅を保って居り、約一時間半も続きました。各地方でも相当見たそうです。皆不思議がって居ります。此白条の雲煙は何か霊的現象でしょうか。

“山龍が昇天したのである。薄霧は水気をよんだのである。よほど大きいものである。二条というのは、夫婦であったのだ。

耕作すると雨降る個所

“或る家の畠の内四坪ばかりの所を何気なく耕すと必ず雨が降り、降って欲しいと思って耕しては駄目で、耕す時には自然に行きたくなる。又、其の場所以外の処では駄目だとの事、其の個所と雨との関係――。

“龍神である。目的があり、祀ってもらいたいので知らせる訳である。その場所へ祀ってそれを知らすのである。(S24・7・11)

田植えすると腫物出来、仕事不能となる

“島根県宍道湖の周辺の事で御座います。湖岸病と申しまして、宍道湖岸以外の土地より嫁いで参り田植を致しますと、手に小豆位の大きさの出来物(疥癬状のもの)が出来、仕事が出来なくなります。休んでおりますと、数日又は十数日で治るそうで御座いますが、仕事を致しますと又出て来るそうで御座います。畑の耕作を致しますと、足が同じ状態になるそうで御座います。五、六年で此の状態が無くなる人と、又一生同様の状態の人達等色々で御座います。右は如何なる訳で御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“無肥なら斯んな事はない。宍道湖の龍神さんである。龍神より位の上の人は遠慮するからそんな事はない。そうでないのはこらしめる。(S25・5・21)

木のお札倒る

“此度の教修生の事でございますが、十年前から善宝寺の八大龍王の木のお札が神棚に祀ってありますが、教修二日目の夕食の時このお札が急に倒れました。然し字の書いてある方が上になるように一回転してから前に倒れました。そして何時もそのお札の前にあった小さなお屏風は倒れる邪魔にならない所に動いておりました。又他の紙のお札は別に異常はありませんでした。どういうわけでございましょうか。

“木のお札に龍神が憑いていたんで、それが抜けたのである。それを知らせようとして倒れたのであろう。働きたいのである。(S24・2・24)

仏壇の縁の下に蛇の死

“信者の家ですが、縁の下に二尺程の灰白色の蛇がとぐろを巻いて死んで居りました。丁度仏壇の下になります。昨年八月縁の下を掃除した時は居りませんでした。何か霊的な意味が御座いませうか。又、如何に処置致したらよろしう御座いませうか。御教示御願ひ申し上げます。

“蛇になっている祖先が救はれたのである。人間になった蛇の肉体を置いて抜けた。人の踏まない所へ埋けてやる。  (S24・1・28)

大木枝の怪

“遠州七不思議と申し、遠州熊切平城に直径四、五尺の数百年以上経た樫の木が一本御座います。二股に分かれていて、左右一年置きに芽が出るので御座いますが、どういう訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“夫婦の龍神が憑いている。二本のが何時かくっ着くのがある。蛇でも夫婦のがよくある。一年おきに芽の出るのは、栄養の為に片方だけ芽が出るのである。(S24・3・11)

姙娠腎と蛇の落下(祖霊転生)

“田中静子(二十九歳)、去る五月中頃より全身が腫れ、大変苦しんで居ましたが、私が御浄霊をさせて戴きました処、一時は楽になりましたが、又全身がはれ、苦痛甚だしく、横に寝る事も出来ず、昼夜座ったままです。出産後二、三日寝て居ましたら、頭の近くに天井より蛇が落ちて来ましたので、御浄霊をすると外に出ましたが、間もなく又ひさしの屋根裏から落ちて来ましたので驚いた事があります。御浄霊は日夜致して居りますが、如何に致したらよいでせうか。御伺ひ致します。

“姙娠腎は姙孕の為、後と前から毒が圧迫して、腎臓が圧縮され、全身的に尿がまわるのである。蛇は祖霊である。子供が生れて喜んだか、生れた子供を見に来たか、蛇の先祖に関係あるものである。(S24・6・7)

太指の娘出生して商売繁昌

“未入信の北川三作氏長女は生れつき左の指が非常に太くしなやかでございます。あまりの恥しさに女学校に行く様になりまして手術したのでございますが、よくならなかったのだそうで御座います。その家業は元貿易商にて、その子が出生以来非常な繁昌振りだったそうでございます。此の場合、何か娘の指と繁盛とは関係があるもので御座いましょうか。御伺させていただきます。

“龍神が憑いている。指より太い龍である。龍神は商売繁昌等にとても力がある。それで、巳の夢などはいいとしている。(S25・1・12)

殺した白蛇の子蛇

“先日御開示戴きました浦和市在住の能見たえ宅にて、二十年程前、長さ一尺程の白蛇を殺し地に埋めました。その後体中が時間を限って熱くなるのを覚えて来ました。去る六月十三日、その二十年前に殺したと同様の白蛇が宅の庭に居りました。この白蛇は殺した蛇と何か関係が御座居ましょうか。

“関係がある。白蛇の子が育ったものである。白蛇は一ぺんに何十匹も子を生むもので、まだ子がいる。一ぺん生んだだけで何十匹である。(S24・7・2)

鶯飛び込む(応神堂御開設の頃の現象)

“私の妹の家に於て、最近鶯が部屋の中へ飛び込んでまいりましたので、外へ放ちましたが、数日後再び飛び込んで逃げ様といたしません。何か意味がございましょうか。

“大変良い事だ。霊界では天国になった訳である。先に、何にもいないのに、鶯の声だけ聞こえたという事もあった。大先生が麹町で一番初めに教導所をおつくりになった時、そうであった。大変縁起のいい事である。(S24・11・19)

白雉と吉兆

“昭和二十四年十二月二十四日、日本経済新聞によりますと、山梨県西八代郡共和村一色地内の山林に雄、雌、三羽の白雉が仲良く住んでいるのを村民が発見致しました。村民は三羽一緒に住んでいるのは「何かきっといい事がある」とすっかり気をよくし、その昔孝徳天皇が白雉を見て改元した故事に倣ひ、“昭和”の年号も替へたらどうだらうと土地の物知りが言って居るさうで御座いますが、白雉と吉兆と何か霊的に関係が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。(因みに八代郡は十二月大火が御座いました。)

“凡ゆるものは白いのがいい。であるから白雉などもいい。蛇でも狐でも、白馬でも、白はいい。白はすべて吉い事である。(S25・1・22)

鶏が放火して焼く祠

“上袴田シズ(四十七歳)さんの家(昔は大農家)では代々祭って居た氏神の祠に鶏が火のついた木をくはへて行き、其の為に祠を焼失しました。其の家は六人の子供が御座いましたが、現在は末子のシズさん一人になり、シズさんは主人に死別、子供はなく、養子は逃げてしまふと言ふ訳で、非常に不幸でございます。この場合火をつけた鶏と氏神とはどの様な関係が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“祖先の霊が鶏に生れて来た。罪を消さなくてはならぬ為にやった事であるから、結構である。一家断絶するだけの罪があった。 (S24・9・22)

供へた柿落ち兎死ぬ、家族腹痛、(兎の怪死)

“或る信者の家で御座いますが、御盆に柿や栗を飾る風習になって居り、それを飾っておきました所、柿の実が二ケ落ち、少し間を置いて又一ケ落ちました。その時、供物の皿にあたり創の入った所からポロリと割れて終いました。柿の実が二ケ落ちた時に兎の子が二匹死に、一ケ落ちた後又一匹死にました。其の日家族の者が三人次々に腹痛を催し、二人は大した事もなく癒りましたが、十四歳の女児だけは執拗にて、時々痛み浄霊致しますと楽になり、又痛むといふ具合で、一週間程になりますが、食欲はあまりありません。(仏壇は御屏風観音様を御祭りし、祀るべき人は皆祀って御座居ますが、金属で出来た観音像と祖父が諸国を廻って集めた観音様の御札を綴った本を両側に置いて御座います。主人を始め五人教修を戴いて居られます)これは如何なる訳で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“柿の実と兎と関係がある。祖先が兎になったもので、普通の兎ではない事を柿の実によって知らせたのである。それに気付かぬ為、腹痛にした。十四歳の女児の腹痛は、執着の強い人が憑ったのである。金属の観音様は仏壇へ入れてはいけない。外へ祀る。祖先が皆人間に生れ代った。救はれた。その有難さを知らせたのである。観音様のお札は、向って右の方へ置いておく。  (S24・8・12)

野兎と月光

“野兎が箱に鍵をかけ出られない様にして置きましても、月夜に月光が少しでも入れば、何時か居なくなるのは如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。(但し野兎だけで、飼兎は変化ないそうで御座います)

“初めて聞く。判らない。蛇はある。之は伸縮自在だからで、之は私が子供の頃に経験がある。狐もそうで、物質の霊化、霊の物質化が自由である。月は兎と関係あるように言うが、本当である。事実あるのかないのか確実な事はない。あり得べき事でない。蛇は伸縮自在で、霊化する事も出来る。(S23・12・11)

飼猫育たず

“私の家では猫が好きで、いつも猫を拾って育てるのですが、半年位経ちますと死んだり、行方不明になります。いかなるわけでございましょうか。

“元、畜生道へ堕ち、猫の場合があった。面白くない所があるか、猫を可愛がるに対し嫉妬する霊がある。又猫の嫌いな霊があって追出すかである。猫に反対の霊である。そういう霊的に複雑した事情があろう。(S24・1・19)

除草すると腫物生ずる場所(虫の霊)

“或場所の草をとる時、必ず腫物が出来て苦しみますが、如何なる訳でしょう。

“之はその場所の草をとられるのを嫌う虫のような霊がいて、害するものと思う。草をとる前に天津祝詞を上げるようにすれば解決はつく。 

病床、墓、赤飯になめくじ(転生)

“或家の夫人が病気の時大きいナメクジが枕許にいました。その夫人が亡くなりましてからお墓へ行きましたら、お墓に枕許にいたのと同様のナメクジがいました。そして又赤飯を炊きまして神様にお供へ致しましたらナメクジが赤飯を埋めて了ひました。少したって見ましたら一匹もいませんでした。何か意味が御ざいませうか。御伺ひ申し上げます。

“ナメクジと亡くなった婦人と関係がある。婦人の子供か何かがナメクジになっている。身内の者の霊がナメクジに憑依したものである。子供の霊のナメクジは、自分の部下などにナメクジがいるので、それを連れて来て赤飯を食はしたものである。要するに、子供がナメクジに生れ代ったものか、子供に生れても、ナメクジの因縁が離れず、ナメクジに憑依したものである。(S24・5・2)

歯を治す鯰

“或る神社に鯰が飼ってあり、鯰を捕えて殺しますと祟ると申します。その神社に詣りますと歯痛が癒ると評判になって居ります。又、或所では、死んだ蛇を埋けてやると歯痛が起らぬと申し、実際その通りになって喜んでいる方が御座います。蛇、鯰と歯痛とは何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“死んだ蛇を見付ける事は不可能であるから、効果があっても仕様がない。人間が鯰に生れて祀られたものである。官吏か何かであろう。人助けをするその徳で人間に生れ更ってくるのである。それで功徳を施す。この鯰は歯を治すのがお得意である。然し斯ういう事は長く続かぬ。東京、巣鴨の刺抜地蔵のようなものである。(S24・10・11)

鯉入り鮒住まずなる

“本年五月二十一日、私宅庭の松の根元で何かはねて居ましたので、よく見ましたら鯉で御座いました。早速井戸へ放しました所、其の井戸へ居ました鮒が最近までに殆ど死んでしまいました。今では鯉だけが元気にはねて居ますが、此れは何か意味がある事で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“鮒は鯉にやられた。鯉は普通の魚と違う。魚の龍である。よほどいい事である。祖先がそういう事をした。登龍観音というのがある。鯉は魚の観音である。(S24・10・3)

葬用製の籠を好む鰻

“山梨県南巨摩郡睦合村の地方では鰻をとる為にヤナと称する道具を用ひます。之は下り鰻を捕る方法でございます。此の籠の中に塔婆が流れ込みますと、必ず鰻が捕れると申します。又葬式に使用した竹を用い籠を作りますと実によく捕れると申します。又捕りに行く途中にて祝ひ事に出合った場合はとれないと申しますが、霊的に如何なる関係がありませうか。

“うなぎは死臭が好きで集ってくるとみえる。

十八日に梅開く(入信後)

“昨年十一月十六日に入信させて戴きました信者でございますが、その動機は本人が半年程、医者ももて余す程の種々の病気にて苦しんで居りましたが、御浄霊にて目に見えて良くなりました故でございます。所が入信後、二日目の十八日に庭の梅に紅梅が一輪咲き、尚十二月十八日に他の梅の木に白梅が一輪咲きました。観音様の日に二回、然もたった一輪の花が咲くと言う事は何を意味して居りますのでございましょうか。お伺い申し上げます。

“霊界で祖先が喜んでお祝いする。それをいろいろ考えて、梅の花を咲かせたのである。何にもなくて鶯の声を聞く事もある。赤が先に十一月一輪咲いたのは不思議である。赤色の順序――。大いに祝った。今に吉い事がある。  (S25・1・15)

梅の二度咲き

“私の家の右前に梅の木が植って居りますが、二月の中旬に一度花が咲いて散ったので御座いますが、又最近になり白色の八重の花が二ツ三ツ咲いて居ります。普通は桃色の花が咲くので御座います。又、裏の桃の木も一度咲いて散りましたのに又、最近立派な花が一ツぽつんと咲いております。桃の花は遅れ咲きと思われますが、梅の花は全然種類が違います。之は何か意味が御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。

“吉い事である。梅は霊的の木で、吉い時はきっと知らせる。木は凡て生きている。(S25・5・21)