034 霊学篇三 諸霊解説(2)

龍神の特色、(我に就て)

“龍神系の婦人は結婚しない方がよいとの御言葉で御座いましたが、龍神系か否かはどういう点で判断致したら宜しいでせうか。右、御教示御願ひ申し上げます。

“結婚の話が出て順調に行くのはいいが、順調にゆかぬのは龍神である。結婚すると嫌ふ。又どっちか死ぬやうな事になる。之で判る。普通はなかなか判らぬ。どっちかといふと美人に多い。結婚話が出て故障が起ったら無理にしてはいけない。龍女は多く姙娠せぬといふ事はある。男の龍神は形でよく判る。龍神は水を飲みたがる。これは特徴である。龍神や天狗などは我が強い。人間の苦しみは我と執着で、如何なる信仰も我と執着が強いのは駄目である。我は主観である。自分を離れて自分をみる事である。私は大して間違ひない事は、その人の言ふ事を聞いてやる。失敗する事をやっていいかと聞く事があるが、それも許す。すると失敗する事により自覚する。その人はそれでなくては悟れない。偉い人の言ふ事は聞く、下の者の言ふ事は聞かぬ、これは大変な間違ひで、下の者の言ふ事も聞く。人間は叡智を磨かなくてはいけない。奸智や才智はいけない。信仰は智慧と誠でなくてはならぬ。誠のみではいけない。智がなくてはならぬ。仏教で智慧証覚と言ふ。キリストでは智慧の木の実と言ふ。後は常識で、本当の事は合理的に常識に合ふもので、それも我がなければ、神から教へていただく。ふさぐのが我である。(S23・9・26)

龍神祀る期間と昇天に就て

“私が十一歳の時蛇をみつけ半殺しと致しました。その時声援した兄は度々不幸に合ひました。日蓮宗の僧の言葉には蛇が大変に祟っているとの事ですから、明知龍と名付けて十四、五年前私の家の地の神と祭り、度々経文も奏げております。最近家内者がこの地の神様を気にして淋しがり、取り除き呉れよとせがまれますが、如何したらよろしいでせうか。

“私の方では祀るのは大抵二、三年でよく、祀ってから十年以上経てば取払ってもよろしい。日を決めて祀らぬなら、一ぺんお供物を上げ、祝詞を奏げて「昇天お願いする」と言葉で言ふ。それでよい訳である。するとその龍神は一旦天へ昇るのである。気にし淋しがってるといふのは、その龍神が天へ行きたいが、人間の方でその手続きをしてくれなくては行けないからである。

龍の呼吸、蛇と物質

“龍の口の開いてるのと閉じてるのとの相違――。龍は殆ど鼻で呼吸は出来ないと思う。画に描いても歯は必ず開いている。少しでも開いている。下呂の山田という資産家が、或時宝殊の玉が飛んで来た。稲荷と思って祀った。するとここ掘れと言うので掘ったが出ない。掘り方が足らぬと言うので又掘り下げ、遂に温泉が出るに至った。それが下呂温泉の発端である。名古屋一の丸文旅館には蛇がウンといる。火事で焼けた。その後へ又蛇が寄って来た。蛇が沢山いて客が殖える。蛇は客を呼ぶものである。神山荘で、蛇を殺すと祝詞を奏げてやり、良い所へ行くよう、神様にお願いしてやると、非常に喜ぶ。蛇が木の上の雀の巣を狙い、親雀に殺され、パッタリ地上へ落ちた。それが蟻になって木へ登り、巣の中の雀を殺してしまった。(S23・6・26)

七福神と蛇の働き

“七福神(恵比寿、大黒、福禄寿、布袋、毘沙門、弁才天、寿老人)の因縁について御教示御願ひ申し上げます。

“(印度、支那、日本の特殊の人をとった。恵比寿は蛭子命――天照大神の息子、骨なしといふ。大黒天は印度。日本では大国主命をいうが、之は営業政策で作った)支那では福禄寿を非常によく使う。布袋和尚も支那で、大きな風呂敷を背負っていたものであろう。乞食坊主のようなもので、世帯道具一切を持歩き、各地を廻っていたものと思う。毘舎門は印度の武将。弁財天は(市杵島姫命。金銀財宝と芸術の神になっている。芸人が祭るが、たしかに芸術好きである。人間の巳の年巳の月は嫉妬が深い)。蛇は物質を集める力がある。名古屋の某宿屋で蛇が沢山いた。経営していた内儀さんに聞いたが、金が儲かったという。それが火事で焼け、蛇も一緒に焼けた。新築したら繁昌しなくなった。それで蛇が客を呼ぶ事を知った。(以前大阪に謡曲家の或舞台で、声が響くように、縁の下をガランドウにして)舞台の下に奈落を作り、水甕に水を入れておく。そこへ大きな蛇が毎日来て聞く。甕へ入って聴くのが楽しみのようである。その家に弁天として祀ってあり、その家の母によくお知らせがある。お宮があって、それへ綿を入れてくれと知らした。二、三日経つと白蛇が沢山生れた。謡の先生がお詣りした。或朝沢山白蛇が出て来た。それで謡に行く時、袂へ入れる。袂から出てくるという。蛇は音曲を好む。日本でも山で口笛を吹くと蛇が寄るという。コブラなどそうである。寿老人は長生きした老人である。支那であろう。(S23・10・18)

天龍、神龍、金龍、銀龍に就て

“神龍とか潜龍といっても、特別の意味はない。(S23・6・29)

龍神の働き

“龍神の働きに就て、右、御教示御願い申し上げます。

“龍神の働きは大体天然現象である。小さいのになると沼や川を守護する。水に関係した事は龍神であり、山は天狗である。大、中、小、種々の働きがある。信仰には龍神が一番多い。故に、龍神は一番善い働きをする。(S24・2・8)

天神、地神、龍神、天狗系

“祝詞の中に天津神、国津神とありますが、これは龍神系と天狗系とに何か関係がある様に聞いて居ります。詳しく御教示を御願ひ致します。

“龍神でも木や山にいたり、湖水に住んでるのもある。海の方が多い。天系、地系といふ事で、神にも天系と地系とある。天津神五代、国津神七代といふ。神武天皇は天系といふたが、彼は地系である。今の人間でも天系、地系がある。日本人には天系が多い。朝鮮は月で、中国は地系が多い。五、六、七――日月地になる。霊統と系統と違ふ。龍神は人間になったり、龍から人になる。神が龍になったのや、人が龍になったのがある。天狗は皆人間らしい。(S24・10・16)

我意通す児

“本年四歳の男児、非常に癇が高く、言ひ出したら絶対に後へひかぬ性質で、物覚えは非常に良いので、親でも他人でも年上の者を下目に見ます。そして総てに於て普通の子供とどこか違いますのですけれど、これは霊的で御座いませうか。又、名前の為で御座居ませうか。以前三峯様を信仰の頃「宗則」と言ふ名前を、御筆先をして居る方が神様より授かった御名だと申して命名して下さいました。

“霊的である。天狗霊が憑いてるか、天狗の生れ代りである。名前の為ではない。三峰さんに名をもらった時天狗が憑いたのである。(S24・8・19)

龍神憑依と人間

“人間の霊的階級により、各階層の龍神が憑く。善悪によっても憑く。赤龍など共産主義、黒龍は邪神の頭目である。  (S23)

下半身黒色斑化し鼻血で死亡、龍女自殺に就て

“十七歳の娘でございますが、昨年六月頃より両足より次第に上に向って小さいソバカスの様なものが一面に出来て参り、遂にお腹の所以下一面に出来、着物を脱ぎますと、出来ています所は薄黒く見られました。この娘が一週間程前に突然鼻血を出し、朝早くより午後三時頃まで出ておりましたが、其の間御浄霊させて頂きまして止まりました。其の後食欲進まず、一日置いて再び鼻血が半日程出て止まりましたが、遂に死亡致しました。一年位の間に出来ましたソバカス様のものは如何なるものでございませうか。御伺ひ申し上げます。

“霊的か、毒血が皮膚へ表はれたものである。何か霊であらう。死ぬのもその為である。死霊であらう。龍神である。龍神にもいろんな種類があり、龍女に生まれたものは今度生まれると人間に生まれるので、早く死にたい。若い女など自殺するが、こんな理由もある。龍女は女に生まれても結婚は出来ぬので、早く死んで人間に生まれた方がいいのである。(S24・5・2)

“龍は支那では一番尊いものとしてある。龍顔などといふ。芳崖が仏国博覧会に出品した時、龍や鍾馗等のみを出したら、荒唐無稽のものはいけないといふ。アメリカのフェノロサは芳崖を訪ねて、描かせ、アメリカで展覧した。  (S23)

片目魚の池、龍顔

“昔から天皇に拝顔する事を龍顔を拝すと言って居りますが、龍神と何か関係が御座いましょうか。尚、次の様な伝説が御座います。昔、富山市近郷の神明村に「あか池」と言う沼が御座いまして、其の沼に住んで居た龍神が、当時の天皇が片目なので、自分の片目を差上げましたが、其の後その沼に住む魚は全部片目で御座いました。今は沼が無く、其の後が川になって居りますが、何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“皇室は支那系であるから、種々の行事など殆ど支那式を採入れてある。支那では龍を最高とし、龍を崇めている。その為に龍顔という。玉顔が本当である。(S24・12・11)

入信せず急死

“私の弟でございますが、一年前より入信をすすめて居りましたが、本人は金光教の熱心なる信者のため迷って居りました。先月中頃より時々胸が締め付けられる様に痛みますので、阪大病院で診察して頂きました所、どこも悪くないとの事でした。今月五日私が浄霊致しました所、胃と肝臓が大変はれて居りましたので、これがお医者に判らないとは不思議だと思って居りました所、六日夕方入浴致しまして突然「心臓マヒ」にて死亡致しました。これは大浄化の始まった事を意味しているのでございませうか。御伺ひ申し上げます。

“祖霊の怒り――龍神である。金光では救はれぬのに、救世教入信の見込みがないからである。生体を直ちに死に至らしむるは龍神以外には出来ぬ。  (S24・11・18)

魚鱗癬

“魚鱗癬は龍神の再生にて、治癒しないとの事ですが、浄霊を受けて浄化すれば其の皮膚の色艶が変って来て、目立たない様にはならないものでしょうか。御伺い致します。

“龍神の再生である。浄まってゆくと龍神の分子より人間の分子が多くなるから薄くはなる。  (S24・11・26)

清池みて飲水欲出づ

“私は綺麗な池、又は川を見ると水を飲みたくなりますが、(欲しくなった場合、一杯の水を飲めば気が安まります)何ういう訳でしょうか。海を見た場合は欲しくはありません。

“斯ういう人こそ川か池に居た龍神である。或いは鰻の一種かもしれない。

龍神の転生

“四十五歳の男子信徒(二十三年四月入信)、二十三年五月光明如来様御奉斎、同時に御屏風観音様を御祀りさせて戴きました。二十三年九月頃より肺結核の御浄化を頂き、二十四年三月頃その御浄化は終り、胃癌の症状の御浄化が始まりました。癌の固結は認められませんが、常に「ヌラ」を吐き続け、現在迄約一年間に一石以上吐いて居ります。食欲は好きな物なれば普通、体力は相当衰弱し、現在毎日上半身に寝汗をかいて居ります。入信時より自覚幻聴があり、御浄霊の折常に種々の霊的動作を続けて居りましたが、現在は大分少くなって参りました。非常に強い信念を持って信仰を続けて居ります。

“龍神の生れ代りである。ヌラは蛇の毒である。治る。(S25・4・8)

顔面に鱗状のものあり

“七歳の男子、顔面に鱗状の爪の様なものが御座居ますが、これは蛇霊化した霊の再生で御座居ましょうか。又、人間は足から蛇霊化すると御教え頂いて居りますが、再生の場合は何処から人間化するので御座居ましょうか。

“龍神の痕は顔には出ない。(S24・7・2)

龍神と狐の殺し方

“龍神は人を訳なく殺す。心臓麻痺、卒中の如きそうである。狐が殺すのは、変死が多い。

木・水両性龍

“約七十年前、長崎市の西山水源地を造ります際に池底になるべき所に一本の老松が御座いました。此の松は幹の中に地蔵尊を包み込んで成長していましたそうで御座います。貯水池として水を溜めるにつきまして、此の木を伐ろうと致しましたが、次々と色々の不思議な事があり、遂に伐り倒すことが出来ずに工事は進行して、其のまま池底となって沈んでしまったものであります。近年になり貯水池の水が涸れました時には、元の樹木の姿のままにその枝が水面に現われますが、之について次の事を御伺い申し上げます。

(イ)、之は木龍の棲息による不思議で御座いましょうか。又は地蔵依した霊によるものでございましょうか。

(ロ)、木龍は木が腐るまでいるもので御座いましょうか。若しまだと致しますれば相当の手続きをしてやるべきで御座いましょうか。

(ハ)、木龍も池沼に棲む龍神の如く其の部落、地方に祟ることが御ましょうか。

右につき御教え御願い申し上げます。

“地蔵に憑依したものでない。木龍、水龍両方の働きである。木龍、水龍の間の子である。満足しているからそれでいい。木龍でも水を求める。反って池になれば満足している。木を放れられないので切らせぬようにした。これは此儘でよい。木を伐れば祟る。(S24・11・2)

火龍の姿

“或る信者に一時的霊眼が開き、火龍の飛ぶのを見たとの事で御座います。火龍は両角を具え、目は飛び出て真赤な色で、大小は御座いますが、あまり大きくは御座いませんでした。或る日、其の信者の竃の附近に火龍が居るのが見えました。火龍は火災に関係があるとのお話を伺って居りますので、これは大変と居合わせた先生に善言讃詞をあげて戴きますと、丸くなって居ましたのがだんだんとのびて、最後には煙突から西北へ飛び去りました。其の時には居合わせた五、六名の信者の耳にゴーッという音が聞えたそうで御座います。そうして其の人の申しますには、西方の山を指して其の山に火災の起る事を予言致しましたが、果して三月二十五日に火災が起ったので御座います。又、空には数えきれぬ程火龍が飛んで居るのが見え、御神体をお迎えした家庭は強い光がさして居り、其の御光の中へは突入する事が出来ず、うろたえる様が見えたそうで御座います。火龍の動きはそうした動きをなし、霊眼で見えた事が本当なので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“本当である。火龍は沢山ある。大火事などの時に働く。神秘的のもので、火柱などそうである。火龍は長く火の玉になる。随分火をつける。赤龍と火龍と間違えやすい。

神主の龍神霊

“十七歳の男子で御座居ますが、九月初めより憂鬱症で、御浄霊を始めました。御浄霊を致しますと憑霊現象となり、或日の事、突然左の様な事を申しました。「神国ぜん日の出づる国ち有らば日の本とほめたたへたり、厳として東海に有り海原に中津国なり、くわしほこちたりの国は……」と後はだんだんと消え「もうお帰りになったのでわからない」と申します。この子供は一年前、山奥で黄金色で細い青い首輪のある小さい蛇を見てびっくり致し、其夜頭痛で困った事があったと申します。前に此の家は道通宮といふ蛇を使ふ神様を御祀りして居りまして、現在おもどりして戴きましたが、この子供は夢で「道通宮さんが現はれ、蛇を沢山寄せ集めた中で火が燃え、御祭の様に賑やかにどんちゃん言はせながら裏から出ていった」のを見たと申します。この色々な事は、皆病気との関係が御座居ますのでせうか。浄霊は、ずっとして居りますが、別に乱暴は致しません。子供は入信致して居ります。この儘で浄霊を続けて居るだけで宜しう御座居ますでせうか。御伺ひ申し上げます。

“道通宮は蛇の神、引揚げる時火を焚いてお祀りした。それで解決した。憂鬱症は未だ外に憑いている。古神道の言葉であるから、神主などの龍神になったのが憑っている。祝詞をよく奏げればよくなる。   (S24・9・15)

龍神入信者作る

“石川県の一信者、今年四月下旬、自宅納屋内にて長さ四尺位の蛇の雌雄二匹が交尾して居りました所を、主人が竹棒で引離し、その雌の方を海へ放り込みました。他の一匹は石垣内へ逃げ込みました。数日後、その妻が腰並びに足が痛み出し、日蓮宗の祈祷で癒りましたが、今度は左の頬附近が痛み出しましたので御浄霊を受けました所、憑霊現象になりまして、主人が殺した蛇の憑依なることがわかりました。そして殴られた頬が痛いし、海へ投げこまれた妻がわからぬので怒って苦しめているのだ、と申すので、充分に浄霊をしてさとし、帰らせました。第二回の浄霊の際には憑依霊は村の寺の薬師如来だと称し、今夜は此処に居るから寺では僧侶が灯明を灯しても火がつかぬと申し、(事実その通りだったそうです)自分は観音様に封じ込まれたので、熱海へお詣りして御許しを戴いたので働くのだ、とて、村民数名の名を挙げ、これを入信させると称し、(事実その人達は今回何れも入信致しました)また観音堂を五間に七間の大きさに建立し、大光明如来の御神体を祭れ、その材木はこれこれと、村内各山の立木と所有者の名前を指し、また大工は誰々と四、五名を指名しました。(何れも入信者で他村の人も居ります)それから村民多数の質問に応え、何れもよく当りましたので人々は驚きました。尚、自分は来るべき大峠に此の村を護る、皆観音様に縋れと言うので、村民がその気になり約三十五名も入信致しました。そして皆観音堂建立の気運が動いて居りますが、大金もかかる事故問題になって居ります。尚、霊は自分は御神体の下の後ろに祭って欲しい。そして堂守は今迄二回も教修会場を提供せる中前賢次郎氏を頼むと申しますが、右は如何致したもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“力ある立派な龍神である。薬師如来は観音様。その通りにすればよい。  (S24・12・11)

曇りと憑霊(蛇霊に因る発熱)、熱急所 

“十七歳の男子ですが、熱が高くて差引きが多く三、四ケ月も続いて居ります。本人は日頃から蛇を殺す事が好きでして、或日便所に青大将と申す大きな蛇が落ちて死にかかって居たが、其処の主人が見つけて取り出して野原に捨てて置いたが、後日その蛇は居りませんでした。その蛇と本人又は熱との関係等の霊的関係を御知らせ下さい。

“蛇がその人に憑って熱を出すのは、その人に毒があるからである。人間に危害を加える霊が憑るのは、人間に曇りがなくては憑れぬ。人間に憑らるべき資格があるからで、それが浄化作用である。浄霊によると、蛇も毒と共に浄化される。浄霊して貰ってるとして、急所を外れている。毒の元へ当れば必ず幾分づつか良くなる筈である。身体中で塊の固い所と、押して痛い所が熱の因となる。次に平均浄化が起るから、次の塊をやればよい。一番多いのは首の周り、延髄――大抵右の塊。肩のコチコチ。背中も多い。肩胛骨の所、腎臓の下の横、股の淋巴腺――陰部に近い方、之が発熱の急所である。ここを査べれば必ず熱が下るものである。 

丸い熱塊霊

“最近入信した二十歳の女の人で御座いますが、一年前より下痢が続きまして、最近は年寄りの様によくお茶を飲み、一日七回位粘液の混った下痢が続き、衰弱して居ります。食欲は大体普通で御座いますが、時々胸に二銭銅貨位の熱い塊がこみ上げまして、其の折は御飯も食べられないそうで御座います。先日本人の母親に霊が憑りまして「其の塊は以前本人が肋膜炎の折飲んだ蛇の生血の怨霊だ」と申しましたが、別に祀ってくれとは申しません。新たにお祀りした方がよろしゅう御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“三年位続く事がある。丸い、熱い塊は蛇の霊で、蛇は長くても、霊になると丸くなるものである。移動するのとしないのとある。移動しないのは癌とみられる事がある。 (S24・7・12)

焼死蛇の霊

“謹みてお伺い申し上げます。六十歳位の老女、本年四月頃より骨盤部に発熱あり、漸次上昇し、上半身は焼けるが如き感ありしも、前頭部は冷たし。医師の言によれば「せんい性内膜炎」との事にて、一時薬を中止する様に申し渡され、十月十九日より私が毎日御浄霊を致させて頂いて居ります。御浄霊を始めてより涙、涎、熱い辛い息が出て(本人の言)現在は殆ど局部的熱(掌位の広さ)となり、特に左脇下へ来、それより乳下通過、右脇へ来ます。その時は縄の如く細く、早く移行致し、熱き所を御浄霊致しますと、瞬間的に足首、腹等患部移行致し、逃げ行く如く、骨盤部の痛みは大腿部へ移行致します。その所を圧しますと、口より熱き吐息多く出、前頭部の局部的白髪部へぴんぴんと響きます。十七年前その家、火災に遭い、本人は人事不省となり、注射にて気付きし時より両耳遠く、前頭部の上が掌半分程白髪となりました。全治の可否、日数、御浄霊致しますべき重要個所等御教示下さい。

“焼死んだ蛇であるから、居る所が熱い。丸く痛みがくる。半月か一月の中に治る。根気よくやる。(S24・12・23)

生米を欲す

“板谷アキ、五十三歳の信者で御座います。昨年の冬頃から生米を一日平均一合位はどうしても食べずには居られないものでございました。二十日間余り御浄霊を戴いてからは、御蔭をいただいてそれを止めていましたが、近頃再び食べなくてはいられないと言って復(マタ)始めました。之は霊的のものでございましょうか。御伺い申し上げます。

“病気は往々二度目になるものである。蛇の憑依で、昔は神に祀る場合、龍神が一番多かった。  それで生米を上げたのである。(S24・9・12)

家にいた蛇霊

“私は本年九月初めから生米を食いたくて、毎日一合五勺位食います。止め様と思っても食いたくて食いたくて仕方がありません。何故でしょうか。今後食べても良いでしょうか。

“蛇の霊である。青大将か何か家に居た蛇で、米倉か何かに居たものである。(外にいたのは水を呑みたがる)その蛇が救われたくて憑いたものである。食べたければ食べて差支えない。何れ普通になる。水龍は水が呑みたいものである。(S23・11・17)

筋腫より腹膨れ生米食す

“四十一歳の婦人の信者、子宮筋腫で入信以来二ケ年になります。入信後腹が膨れ出し、目下は臨月同様で、別に苦痛はありません。最近に至り生米を食す様になり、一日に玄米を五合一度に食べます。

“憑霊現象である。腹に蛇の霊がいるのであろう。それが生米を食う。光明如来様をお祭りしてある部屋へ寝かし、御浄霊はお腹と腎臓である。

青大将

“四、五年前に屋敷蛇を殺したのですが、その供養は如何に致したらよろしいか。

“青大将は祖先が子孫を守る為に蛇になったものであるから、祖先を殺した理屈になる。祀ってやるとよい。祀り方は教導所で聞くとよい。

悪性の青大将の処置

“或る会員の方で、宅で青大将が玉子を呑んだり鶏を締め殺したり大変いたづらを致しますので、言霊で言い聞かせますが一向きく事なく続いて居ります。静ませる法又処分して良きものか御教えを御願い申し上げます。

“蛇にも性格の善悪が非常にある。或程度の食物を一定の所へやる外はない。蛇は生米が一番好きである。之は大食いで、性のよくない奴である。祀って、祝詞を奏げてやるとよい。すると性格も良くなり、食べるのも少くなる。(S24・5・22)

死前に必ず蛇表わる

“私の長女(五歳)、夫の応召の朝急死致しました。其の折青大将(蛇)が家のまわりに出ました。其の後祖父の死の時も、義弟の戦病死の折も其の蛇が出ました。夫は満洲に居りましたが戦後未だに生死不明です。本年の十二月十日及び十八日に又々蛇が出ました。青大将は祖霊とのこと、何か不吉なことを教えに出たのでしょうか。又夫に対して何か深い関係が有るのでしょうか。御伺い致します。

“之は何か知らしたいなど、いろんな場合に出る。迎えに来るようである。青大将は無論祖霊である。何か目的があるのであろう。死ぬ前に出るのが変で、蛇が生命を奪るような形である。執着して生命をとるものだと思う。何か気に入らぬ事があると思う。もう少し経つと何か現われるから知らせよ。光明如来様を戴いているならいい。青大将は大体守るものである。蛇を祀ってやるより外ない。今度蛇が出た時は光明如来様に祝詞を奏げて、人間に生れるよう幽世大神にお願いする。又、醜い姿を人の目に触れぬ方がよいから今後出ぬようにするよう言うとよい。(S24・12・25)

蝮(蛇霊との相違)

“御浄霊を致しましたら龍神の霊が立ちましたので来て見ましたら、蝮のアルコール漬けが二本ありましたので、早速御浄霊を致しまして、裏庭の木の根元に祭り祝詞を奏げさせて戴きました。翌朝、大釜に水を入れ火をつけましたら大きな音がして釜鳴りが五分間に二回程鳴りました。龍神の霊との関係がありますでしょうか。御伺い申し上げます。 

“あるかも知れない。蝮は一種神秘なもので、人間の霊が蝮になるのは随分ある。執着の非常に強いのは蛇を越して蝮になる。人を殺すのが非常に速い。祀ってやったのは結構である。蝮の霊がお礼の為に知らせたのかもしれぬ。(S24・1・22)

銭タムシ

“山形県地方では銭タムシにて首及び胴を巻かれると死亡すると言われ、又事実あるそうで御座いますが、何か霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“いくらか蛇(蝮)に関係がある。蝮の霊である。  (S25.1.22)

蝮とタムシ

“以前に蝮蛇を捕えてびん詰めにしました。こういうことは霊的に作用するものでしょうか。現在私は、喉に出来ているタムシが浄霊をいただきましてもなかなか癒されません。このタムシと蛇を殺した事と霊的な関係があるでしょうか。

“あるかもしれぬ。蝮は特に執念深い。何かの機会に報復する。タムシもそうかもしれぬ。タムシにもいろいろある。(S24.1.27)

蛇霊の体化 

“御浄霊に依り八寸位の蛇の死骸の下った患者があります。此の患者は蛇を食った覚えはないのですが、(蛇を殺した事はあります)蛇の想念が体化する事がありましょうか。お伺い申し上げます。

“蛇の霊が体化したものである。卵を間違えて食べて生れるのはある。(S25・5・23)

女霊は白蛇となる

“岡本鉞太郎(今年三月十二死亡)、嘗ては助手を致して居りましたが、其の母親が九月二十八日夜寝に就こうと致し、折ってある掛布団(既に床は延べてありました)を何の気なしに返しますと、その間より鼠が二匹飛び出しましたので、未だ居らぬかと裾の方をまくりますと、其処に指位の太さの白蛇が一匹居り、逃げようと致しません。追っても逃げませんが少しも恐ろしくなく、可愛かったそうで御座います。其の中白蛇はとぐろを巻いて舌をペロペロ出して居りましたが、それを見ている中に、非常に眠くなり、其の儘寝入って了い、あとで目が醒めた時は蛇は居りませんでした。何か霊的に訳が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“女の霊は白蛇になる。市杵島姫は女神。(S24・10・21)

浄霊と祝詞で蛇霊化す

“或る会員で御座居いますが、田打ちをしている時、五尺位の青大将が鍬先迄這って来て、じっと自分の方を見つめていましたが、暫くして草叢(クサムラ)へ入っていきました。田打ちを終えて帰宅しようとした際、道路へ出てみると道路一ぱいに横になって居りました。いくらおどしたり石を投げても動きません。仕方ないので田の土を一握り頭の所へ投げて見ましたが、少しも動きません。そこで善言讃詞を奏げさせて頂き、一分程御浄霊を致しました処、蛇はその投げた土の中に入って行きましたので、不思議に思い土を取って見ましたら、何処にも居らず、道路に穴も御座いません。何か霊的に関係御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“何か目的がある。善言讃詞と浄霊を願いたいのである。人間に生れ代りたいが、罪穢が多くて出来ない。それを除ってもらいたい。居ないのは霊化したのである。それは昇天する場合と霊界へ行って人間に生れ代る準備をする。そういう時は祝詞を奏げるのが一番よい。それによって汚れが除れる。(S24・6・2)

霊のいる木の見別け

“某神社が経営困難につき、境内の多数の木を伐採し売却する事となり、或る信者の木材業者が伐り倒す様に頼まれましたが、此の場合、お祭りは如何致したら宜敷う御座居ましょうか。

“木を見て、霊のいるのは感じで判る。やはり大きいのに憑いている。(S24・7・2)

龍神憑る井戸・立木

“井戸や立木には龍神の憑依して居るのがあると伺って居りますが、憑依し居るか否かをはっきり見分ける方法が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“新しいのはそうでないが、古い井戸は必ずいる。龍神の誰か必ず入る。立木によってで、一番多いのは柳、松、銀杏、榎など多い。後は神社の木で――杉、桧等で、以前耳の遠い中年の婦人で、桜の霊の憑いたのがあった。古くなると憑依霊があるものである。(S24・8・21)

枝切ると事故起る無花果

“信徒ではありませんが、私の隣家で庭内の無花果の枝を切るとその家の者が病気したり死亡したり致します。最初大枝を切った時は祖母が自殺し、次に小枝を切った時は赤ン坊が直ぐ死にました。又、近頃子供が小枝を折ったら病気中の父親が突然非常に苦しみ出しました。此の原因は無花果にあるか他にあるか御教示お願い申し上げます。

“無花果に霊が憑いてる。木龍で、切らせないようにしている。斯ういうのは周りに垣をするとよい。銀杏、柳、松、榎等には憑りやすい。「明日の医術第三篇」にある。(S24・8・16)

切らせぬ無花果

“無花果へ木龍(蛇)が憑っている。切られると苦しいので、切らせぬようにする。無花果、銀杏などは霊が憑りやすい。柳、松、榎も憑りやすい。(S23)

五子の聾耳と松林跡(龍)・解決法

“某教修生、昭和二年に現在の大和町(神奈川県高座郡)へ住居を新築いたしましたところ、其の後生れた子供五人は全部耳がよく聴えません。医師の診断では何等故障がないと申します。その辺は小松山で、ところどころ松の大木が有った由で御座います。以下口頭を以て御伺い申し上げます。

“憑きたてではないから憑いたまま救った方がよい。信仰して徳を積む事である。龍神が祝詞など聞いてるうち、浄化して昇天するなどで解決する。(S24・6・9)

木龍の盲目と人救い

“私は七年前大風で倒れた李の大木を伐った事が御座いますが、その後程無くひどくのぼせるようになりまして、耳鳴りがひどく、段々聴こえなくなりまして、六年程全く聴こえません。右の木を伐った事と霊的な関係が御座いましょうか。又、私は全然聴こえませんので、他人を浄霊する場合、容態は聞かないので御座いますが、浄霊を始めますと病気の所が掌に感ずるので御座いますが、これはどういう訳で御座いましょうか。御教え御願い申し上げます。入信後二ケ月になりますが、浄霊をいただき、又多数の浄霊をさせていただいて居りますが、御守護により段々耳鳴りやのぼせが取れて参りまして、感謝致して居ります。何卒御守護の程御願い申し上げます。

“木龍が憑っている。龍神は敏感なものであるから、感ずる。大抵人間であるから、自分が救われてゆく。人助けすれば、その徳で龍神が救われ、人間も救われる。(S25・2・28)

伐木跡へ便所建て不幸続出す

“或入信者、二十年前現在の土地を買い家を建てた時、一本の古い大木を伐り倒し、現在は丁度その所が御不浄となっております。この家に住んでからは兄嫁が発狂、一人の子を残して死亡、又家内のものや、親戚のものが次から次へと耳を病み、弟は左耳が聞えず、一寸した事にも怒り、時には目を据えて蛇の様な目付きをし、所構わずその辺にある物を投げつけます。又、井戸水も非常に濁り、掘り返しても濁水で、此土地は首をくくった人も前住しているそうで、二十年も経った現在、祖母は霊憑りとなり、依然災難が続いています。右、理由――

“龍神が怒っているから、便所を他へ移すといい。

金比羅様と、木枝折りて病気

“金毘羅様をお祀りした祠が雨や虫でお札がなくなって居ります。傍に一本の松の木がございまして、この枝を折ると病人が出来るさうでございます。先日夢に馬がその祠へ入るところを見たさうで御座います。毎年一回はお祀りして居りますが、新たにお札をお祭りした方がよろしうございませうか。御伺ひ申し上げます。

“之は祀るのを止めよ。今に金比羅の名さへなくなる。金比羅様は琴平別の神である。木の枝を折るのは、木に龍が憑いていて、イヤがるのである。(S24・10・22)

棕梠の祟り

“昨年八月入信の者、一昨年六月帰郷の際近くの人に「棕梠の木は屋根より高いのはいけないから倒して呉れないか」と頼まれ、その人の家の二階の屋根より高い棕梠の木を三本切り倒しました。其の後同年十一月に足が化膿し、その月末に風邪をひき、無理して働いて居りました処、或夜急にガタガタと寒気が起り、大した熱もなく猛烈に震へました。その後医者の治療を受け、段々悪化した所をこのお道によりお救ひ頂き、入信後御浄霊を頂いて居りますが、左胸部の痛みが全然とれません。心臓も動悸が致し、一時相当ひどくなりましたが、最近は大分楽になりました。併し胸の痛みは未だ全然とれません。又信者の人達と大勢で御神体に祝詞を奏上致しますと変な気持になって参ります。之は棕梠の大木に憑って居りました霊の祟りで御座いませうか。又棕梠の木にはよく霊が憑依する事が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“棕梠が屋根より高いといけないといふのは迷信である。切ったのは悪いが、霊が憑いている祟りと医者の薬毒の為と両方である。気長にやる。(S25・4・12)

神木伐った時

“神木を伐るといけない。御神木には皆龍神や天狗が憑いている。そして産土神の御用をしている。住居として始終居る。天狗はそうでもないが、龍神は怒るとひどい事をする。先にあった同じ木を代りに植えて、食物など上げてお詫びする。龍神にお詫びすると共に、産土の神にもよくお詫びすると大抵よい。(S23)

李桃の神木

“私は最近千葉県神崎町に移住しましたが、その家の庭内に何代も前からあった守護神様(神体は李桃(スモモ)の御神木)があり、二代前に住んで居った人(氏名不詳)が地所を隣家へ売った際に、土地と共に隣家の所属となり、今ではその庭内の片隅、しかも溝の傍に忘れられたまま放置されてありました。最近隣家より、その神様とは何の関係のない私に引取って欲しいとの申し出がありましたが、如何したものでしょうか。又、若し之を引取ってお祀りするとすれば、何れの方向に御祀りすればよろしいでしょうか。

“李桃に霊が憑っている。霊の希望する土地へ引取ってやればよい。植える場所は清い所でなくてはいけない。光明如来様をお祭りしてある所へ向くようにする。たまに一週間に一遍位祝詞を奏げてやればよい。(S24・11・5)

神社の木で建築・癲癇となる

“或る信者さんで御座いますが、四年前村の神社の木が嵐で倒れ、その木を買取って物置を作りました所、それから半年後頭が重くなり、癲癇になりまして、倒れますと硬直し、身体が突張ってしまいます。本年一月入信させて頂きましてより後は、フラフラとはなりますが、すぐ気が付きます。これは木龍の祟りの様に思われますが、そう解釈してよろしゅう御座いましょうか。又、どの様にさせて頂いたら宜しゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“木龍である。出来るだけ祝詞を奏げ、浄霊すれば治る。  (S24・8・22)

古木伐ってより異常となる(龍と狐木に同憑し得)

“父親が杉の木を伐った処、その日から娘(二十一歳)の耳が聞えなくなり、鼻もつまって頭も少々変になり、それから三、四日は刺身があれば食事をし、外出しては何回となく油揚を買って来ては食べ、家に居ては威張って居た、との事で、浄霊を受けに参りました。最初は一回でよくなりましたが、次の時来る途中で左耳が痛くなり、二、三時間も遅れて到着し、浄霊すると泣出しましたが、直ぐ平静になりました。三回目の時は、私の家の前でまごついて入れずに居るのを家人が引入れた処、此の娘に憑依した霊が通りかかった老人に憑ったのか、此の老人は一丁程歩いて突然気を失ってしまひました。私が駆付けて浄霊を致しますと、直ぐによくなりました。それ以来伐られた枯木や憑依されたと思ふ人に浄霊すると直ぐよくなりますが、暫くすると、又憑依し、他人に迄仇をする様であります。如何なる霊の仕業でありませう。

“代りの木を植えてやる。居所なく、まごまごしている。成可く、近い所へ、よく言ひ聞かすといい。木一本あると、上へ狐、下へ龍神が憑く事もある。

伐木後言語不明瞭・衰弱・代木なし

“昭和二十二年入信の三十九歳の男ですが、昨年四月所有の林中の直径一尺位のホウソウの木を切り倒しました処、手足が不自由となりました。御浄霊を頂いている内六月十五日憑霊現象が起りましたが、どうしても口は利きません。それ以来言葉も不明瞭となり、体も衰弱して参りました。信仰も浅く色々とあちこちに迷って一進一退の処、最近御浄霊中強く転倒して腹部が非常に膨大になり、頭を振ったり、足をバタバタさせたり致しますが、矢張り口は利きません。木龍の憑依かと存じますが、代りの木を植えるにもホウソウの木が入手出来かねます。如何致したらよろしいでしょうか。

“何か呑み込んで腹が大きくなった時、殺された木龍が憑いている。何か代りの似た木を植え、その側へ本人を置き、訳を言って移ってもらえばよい。出来るだけ祝詞を聞かす。(S23)

枯松の怪、木龍転移に就て

“四、五年前、ふた抱えもある枯れた松の木を神主が売買しようとして、その話を決める日に人事不省になり、間もなく死亡。又、それを切らせた人も切った人も死亡致しました。その松の木はどうかしようとすると決って祟りがあると言われて居りますので、現在道路の傍に置いたままになって居ります。代りの松の木も形式的には植えてあるとの事ですが、如何致したら宜しいでしょうか。 

“これによってみても、松の木などに霊がかかってる事が判る。大抵は木龍で、切られるのをイヤがる。宿なしになるので切らせまいとする。代りの木を植えただけでは、手続きしてやらぬと憑(ウツ)れぬ。言葉で言うのである。然し、こういうのは、非常にそれに執着しているから、急に手続きしても駄目だから、未だそのままでよろしい。先ず松の木の近くの家へ光明如来様をお祭りする。するとその御光で段々分るから、それから代りの木に移すとよい。

木龍転移さす木

“唖娘二十一歳と十六歳、詫びて切った栴檀の木の側へ代りに松の木を植えましたが、霊視力の人は未だ二人の娘の体に木龍が入って居ると言われます。どうしたら宜しいでしょうか。

“松の木ではいけない。栴檀でなくてはいけない。或る程度浄霊して、祝詞を聞かす。憑いて長くなると粘着力が出て、なかなかとれぬものである。祝詞などにより、曇りがとれると、抜けられるようになる。

霊木の枝を払う事(霊と言霊)

“昔から枝を払っても祟りがあるとされて居る霊木が、最近非常に繁茂して、家が陰気になり困って居ります。今度其の家に御神体をお祭りさせて頂きました。龍神様に御願いして枝を払っても宜しいでしょうか。

“ことわれば差支えはない。成程という理由が当り前ならよい。霊は、人間の言葉で非常な影響を受ける。やむを得ぬ理由があれば、霊の世界では、どうする事も出来ぬ。(S24・4・2)

霊木枝伐る場合

“私の導いている信徒鈴木三枝子、家の未申(ヒツジサル)の方向に稲荷様があり(氏神様)、その側に椎の大木があります。約十年前に枝を伐りましたところ、伐った当家の主人が病気にかかりました。其の後枝が生茂っても恐ろしくて伐る事が出来ません。茅葺屋根の上にかぶさっておりますので、二百十日前に枝を伐り度いと思いますが、如何致したらよろしゅう御座居ましょうか。

“龍神か天狗であるが、枝に眷族がいるから、伐るから許せとよく頼めばよい。大先生からのお差図と言えば尚よい。  (S24・8・17)

不切言伝えの藤の古木(木龍)

“私の家の前二十間ばかり下に、カヤの大木に何百年とも分らない藤が巻き付いて居り、五月上旬にはきれいな大房の花が咲きます。言伝えには、此の藤は屋敷へ根が来ても切るなとの事です。何か霊的に意味があるものでしょうか。

“木龍が憑っている。怒られると生命までとられる。大事にし、粗末にしないようにする。

霊木枯死の場合

“霊木として恐れられていた木が枯死した場合、代りの木を植えず切り倒しても龍神の祟りは無いもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“人間が故意にやったんでないから自由に処分してよい。龍神がいたとすれば他へ移っている。又移るから枯れる。龍神は樹齢を知っている。(S23・11・11)

井戸上の家

“浦和市で湯屋を営んでおります信者の家(一家五人入信)で、屋敷内に昔からあった井戸を石炭がらで十五年前に埋めつくし、今一つの井戸は現在座敷の下にあり、その井戸から動力で浴場に水を汲み上げております。最近この二ケ所の井戸の事が気になってまいり、又家族中皆御浄化を戴き、何時も晴々とした気持になれないそうで御座いますが、十五年前に埋めつくした井戸は無論いけないと存じますが、使用中の座敷の下の井戸も家族の浄化と関係しているので御座いましょうか。又、如何致しましたらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“凡て物は理屈に合わなくてはいけない。家の下は土であるべきで、そこに井戸はあるべきではない。そこの龍神が気を付かせようとするのである。何とか工夫して井戸の上の家を取除き、移転して、青天井を仰がすべきである。又、別の井戸を作って移ってもらってもいい。先の龍神も一緒に井戸へお住居願いますと、言葉で言えばいい。(S24・9・12)

井戸ある家へ移転の場合

“私の関係の信徒(高原久子、三十四歳)で御座いますが、此の人は戦災で家を失ない、やっと出来上った家は立退きとなり、現在アパート住いで、更に家を普請(フシン)して居ります。家は出来たのですが、その人は子宮腹膜であり、今度出来た家の中心に古井戸があり、それを気にして引越し致しません。私は家中の皆様が御光を戴き、観音様に御縋りすれば大丈夫だと申しますが、中々信じません。昔から井戸神の障りがあるとか申しますが、右の場合如何にしたらよいでしょうか。御伺い申し上げます。

“家の近くへ浅い井戸を掘り、先に井戸のあった方へ向って龍神に外へ代りを掘ったから引移ってもらいたいとお頼みする。信仰は無理に勧めぬ事である。

井戸に蓋して座敷作る事

“家の土間に井戸がございますが、其処を座敷にしたいと存じます。井戸に蓋をし、そのままにして居いてよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

“井戸に龍神が居なければいいが、いる場合はいけない。部屋でいいが、甕か何かに水を入れて、お断わりする。そして祝詞を奏げ、おってもらいたいと言う。そうするならば埋めても、でなくともよろしい。(S24・11・28)

座下に井戸あり・足痛病む

“或信者、現在井戸がお勝手の揚蓋の下になっており、食事の時には主人が丁度その所に坐り、又家内の者が一年中その上を通るのです。主人は長い間左足を病み、歩行が非常に困難です。如何にすべきでしょうか。

“之は龍神らしい。代りの井戸か池のようなもの、又は大きい甕をいけてやる。そして縁の下の方はお祭りの形式にし、お住居作ったからお移りねがうと言い渡す。

龍祟りの家教会にする事

“最近の信者で、昭和二十一年十月、事業拡張のため隣接地を買収致しました所、其の地内に古井戸が御座いまして、地ならしの朝、其の信者が出がけに、土方の親方に井戸は其の儘にして潰さぬ様に申し置いたそうでございますが、潰して地ならししてしまったそうで御座います。十二月から其の土地に事務所並びに工場の建築に取りかかりました処、二月中旬、大工の棟梁が帰宅途中電車にはね飛ばされて即死し、又一ケ月後の三月中旬に地ならしした土方の親分も発狂し、未だに行方不明だそうで御座います。其の信者もそれ以来事業も不振になり、又其の祟りを恐れて新築の儘今以て使用致して居りません。此の度、其の信者の願いにより、其の建物を手入れして教導所をお移し致し度いと存じます。如何取計らいましたら宜しゅう御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“古井戸に龍神がいて、よほど怒った。代りに井戸を掘るか、池を少し深く掘る。教導所にした方がよい。土地の名はよい。(S25・2・21)

井戸上に飼ふ鶏続死す

“以前に古い井戸がありましたが、埋めずに其の上に丸太を乗せ、土をかぶせて鶏を飼ひました。発育が悪く、大きくなると死にます。今迄に十三匹の内八匹死にました。井戸の霊的関係によるのでは御座いませんでせうか。亦どの様に致したらよろしいでせうか。

“井戸は元通りしてやる。でなければ別に、小さいのを掘ってやる。龍神を祀ってお詫びをし、御守護を願ふ。そしてそれへ移ってもらふ。(S24・7・16)

陣地になった井戸

“ある信者の方が高射砲の陣地になって居ました土地を手に入れられ、そこに家を建てようとして居られますが、そこは以前古い井戸のあった所をコンクリートで固めてあるそうで、何の辺が井戸のあった場所か判らぬとの事、そのまま家を建てても龍神の祟りは無いもので御座いましょうか。何か良い方法を御教えを御願い申し上げます。

“そう祟らぬ。高射陣地になっ  (*)いろんな事で知らせたら祭ればよい。入信して光明如来様を祭ればよい。  (S24・1・21)

埋め井戸の龍神

“私は本年九月入信した信者であります。今から二十年前、父が住宅を建てた時古井戸を埋めましたが、それ以来父親は大病ばかり致しました。四年前不動尊の行者が来て「その古井戸が祟って居る」との事で、早速御許しを願ひ御祭りを致しました処、父の大病もよくなり、大喜び致しました。親の病気がよくなるのと前後して私の妹が両眼及び左耳を塞がれて仕舞ひました。「これも皆古井戸の祟りだ。……親の病気はよくなるが子供達は手後れで駄目だ」と申しますので、私は毎日柳谷の観音様を信心致して居りました。今後如何にさせて戴きましたら救はれませうか。何卒御教へ下さい。

“井戸の龍神が怒ったのである。(S24・10・27)

リュウマチと龍

“リュウマチの患者、昔、家の井戸を二つ潰したそうで、普段より蛇の夢をよく見、此の度ひどい浄化の折、屡々目をつぶると目前に蛇の姿を見たそうで、その時は気分が悪く、浄霊を受けると見えなくなり、楽になります。やはり龍神の障りでございましょうか。又、これは一つだけ祀ればよろしゅうございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“井戸に住んでいた龍神で、救ってもらいたいのであるから、井戸が二つだから、二つ、甕でも何でもいい、埋けて祀ってやる。(S23・10・18)

井戸埋めと不幸

“昨年の五月教修を頂きました家、井戸を三回掘り直し、前の井戸は何にもせずに埋めて了いました。其の為と思いますが、子供が二人共死んで了いました。別の所に家を建てなおすのですが、後をどうしたら宜しゅう御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“代りのものを掘ってよくお詫びする。水を汚さぬよう注意してやるべきだ。

龍神祀り

“私の実家に昔池が御座いました。五十年程前に埋めました。七、八年前から病人が絶えず、私が入信して色々お話を伺ひ、龍神様をお祭りした方が好いと思ひますが、どう言ふ風に御祭りしたら宜しいでせうか。実家でも以前から入信して居りますが、光明如来様はまだ御祭りしてございません。

“光明如来様をお祀りして初めて入信した事になる。庭に祀る。まだ入信しかけている訳だ。(S24・6・19)

十七年前埋めた井戸

“自宅より離れた所の借家の井戸を十七、八年前に埋めました。世間で竹を井戸にさして埋めると良いと言われて、竹をさして埋めたので御座居ますが、その竹は既に腐って居りますが、そうした事で祟りがあるもので御座居ましょうか。

“十七年も前なら何も心配の要はない。  (S24・7・2)

二十年前埋めた井戸

“約二十年前に家を取除き、其の時使用して居た井戸も一緒に埋めて終った屋敷を新しく買った人(本年三月受教修)が、埋めた井戸の上に新築を始めましたが差支えございませんか。

“光明如来様をお祭すれば差支えない。二十年も経ってるからいい。(S24・8・29)

涸れた井戸埋めてよいか

“井戸水が涸れた場合は龍神が居ないと見て埋めて差支へないもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“それでよい。龍神なら必ず水が必要である。人間に生れ更ったか何かで居なくなったのであらう。(S24・8・12)

湧水せぬ井戸埋める事

“水の出なくなった井戸を埋めてしまひたいと思ひますが、そのまま埋めて差支へないでせうか。御伺ひ申し上げます。

“水が出なくなれば、龍神はいなくなるから、埋めても差支へない。(S24・2・10)

井戸取壊しの処置

“打込み井戸を取壊します際、其の後を如何に致しましたらよろしう御座いませうか。

“構はない。

井戸掘ると災難

“播州の岩屋という土地では、井戸を掘ると、掘った家は次々と災厄の為に断えて了い、又仕事をした人も災難を受けるという伝説がありますので、岩屋には井戸がないそうですが、どういう訳で御座いましょうか。又、掘れる様にするにはどうすればよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

“龍神である。龍神の性格によるので、龍神が井戸が嫌いなのである。掘らせない為にそうするのである。井戸を掘ると外の龍神が沢山来るのを嫌がる。博愛心がなく独占欲が強い。そういう事は許されるものでなく、長く続くものでない。光明如来様をお祭りした家ではドシドシ掘るとよい。(S24・5・15)

掘井場所の選定に就て

“井戸を掘る場合、水のよく出る場所を選ぶには如何いたしたらよろしいので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“光明如来様にお願いし、出る所を差図お願いする。そして掘りたい所を掘る。(S25・2・28)

新井戸掘る時

“或飲食店を経営致します信者で御座いますが、今度店を改造致しますにつき、二十年前に掘りまして今日迄使用して居りました井戸を廃し、他に新たに井戸を掘りまして、古井戸の方が都合でどうしてもコンクリートの土間になり、土足で踏む事になりますが、如何様にお祀り致しましたら宜しう御座いませうか。お祀りの方法及び御願ひの言葉につき御教へをお願ひ申し上げます。 

“祀りは要らない。新しく井戸を掘ったら移ってもらふ。その時だけ祭の形式をすればよい。都合で新しい井戸作ったからとお移り願ふ。人間の言葉がないと移れない。(S25・4・22)

井戸の移転

“五、六年前(入信前)台所の隅にある井戸を埋め、一間半程離れた反対側に新しい井戸を掘りました。其の時、別に移転のお願ひを致しませんでした。入信後二十一日間朝晩米と水を供へましたが、それでよろしう御座居ませうか。

“移転のお願ひをしなくてはいけない。霊界の祖霊が然るべくやる。早速龍神に言ふといい。  (S24・6・3)

一村濁水の原因

“私の村では附近一帯の井戸水が濁り、飲料水として漉して使って居ります。如何なる訳でしょうか。浄まる方法が御座いましょうか。

“中途から濁ったなら訳がある。水は非常に原因がある。村の人が月に一ぺん産土の神様へ、村全体か総代でもいい、お詣りしてお願いする。そしてお宮の破損箇所などを修理して掃除する。そして産土神の気に入るようにする。何か神様に面白くない事があるのである。氏子が皆間違っているからというので濁したものだと思う。天神様はなかなか力がある。(道真は藤原時平の讒(ザン)言で苛めたので、火龍となって苛めた者を皆殺した。最後に紫宸殿に落雷したので、祀ったのが天満宮である。だから非常に力がある)以前、大蔵省に将門の霊が祟って大騒ぎした事がある。(S23・10・17)

濁水井戸と病人

“或家で、井戸の水が平素は赤く錆色ですが、病人が出ると必ず清水になると言いますが、これは如何なる意味で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“住んでる龍神の罪穢が始終水を濁すので、病人が出るとその錆色を引受けるようなものである。或場合何かの目的で人間に憑る。それで、或時期へいくと水がきれいなる。海山里(土)千年と言う。(S24・5・22)

浄霊で浄水とならぬ井戸水

“本年九月入信致しました者で、昭和二十一年四月、私の家の井戸が出なくなりましたので、新しく掘りましたが、その井戸は芋等を洗へば黒くなる様な「ツブ水」にて、入信前より先生の浄霊を受けていますが、未だに浄水にならないのですが、誠心が足りないのでせうか、今後如何にすればいいものでせうか。御伺ひ申し上げます。光明如来様は奉斎して居ります。

“水の性質か何かであらう。お額をかけるとよい。  (S24・11・7)

水道ポンプ踏む事

“私の家の井戸が未の方にありますが、少し遠く便利の悪い為其の井戸から鉄管で辰の方へ引き、井戸場としてポンプをかけて使用して居ります。未の方の井戸にはコンクリートで蓋をし、土をかけてあり、門が巳午の方にあります故、其の井戸並びに鉄管を毎日歩き踏んで居りますが、如何でありましょうか。御伺い願います。

“差支えない。 (S25・2・27)

井戸の金気

“左記の井戸掘った時―昭和二十四年二月末日。井戸の深さ二十五尺。水溜り―八尺位。一日の使用量―五十石位。金気がひどいので水質試験の結果、飲料にしてもよいと言われましたが、風呂を沸かせば赤色となり洗濯をすれば白い物に色が付きます。浄霊を七回しました処、水垢の沢山有る日、又は赤色の時も有り、清水の時も有ります。如何したらよろしゅう御座居ましょうか。

“も少し深く掘る。水口に鉄分がある。それで赤錆が出てくる。深く掘ると、鉄分層を通り越してしまう。であるから、一番いいのは花崗岩を通るものである。(S24・9・6)

井戸の金気の対処法

“一、私の家には井戸が座敷の下に有り、外へ鉄管で引出して使用して居りますが、差支へないものでせうか。

二、又、非常に金気が多いのですが、良くなる方法が御座いませうか。

御教示下さい。

“一、極めてよくない。

二、水自体に金気の多いのがある。或いは地下水の水口に鉄分が多いのである。

水が綺麗になる事は出来なくもない。「恵水」の額を掲げるといい。(S24・10・8)

ガス井戸止る

“私は硝子製造業で御座います。本年三月光明如来様をお祭りして居ますが、本年四月三十日ガス井戸が突然止りましたので、只今掃除を致して居ります。元の様にガスが出る様になりませうか。又、新しい井戸でありまして、はや止ると言ふ事は考へられないので、不思議でなりません。何かの祟りでもあるのではないでせうか。

“天然ガス――祟りではない。祖霊がやる。も少し経ってみねば分らぬ。(S24・6・3)

池埋めと不幸

“栃木市在住の会員(猿山さん)の宅で御座いますが、その家に弁天池があり、昔はその池の水で三町歩程の田が何んな日照りにも植付けが出来ましたそうで御座いますが、一度この池を埋めました処、余り不幸な変り事が出来ますので、元の池を掘り直しました処、水の出は細いそうで御座いますが、何か霊的に関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“弁天様が池に住んでいたのであるから埋めるのは悪い。池は成可く綺麗にしてやる。ゴミ等は非常に嫌う。池だけではいけない。宮を建ててやる。名を付けてやって祭る。すると水の出も太くなり、守護する。(S24・5・1)

龍の夢と酒飲みの夫(龍の祟り)

“私の主人は三十年来の大酒家で困って居ります。外で飲んで帰り必ず観音様の悪口をするのです。教団を止めて仕舞へとか、お軸(御神体)を破って仕舞ふとか、とても手に合はず破らせまいとして巻き、片付けたり、紙を下げてかくす様にしたり等、其の都度して居ります。聞くところに依りますと、私の家は池を埋立てして現在の家を建てたとか言ひます。主人が眠っている時浄霊してもすぐ眼を開いて仕舞ひます。それから月に三度も四度も私は夢を見ますが、必ず龍神の昇天する場面とか、又は龍がありありと昇るところを寝て居らずにうつつの如く見たりするので、何か変った事でもあるのではないかと思っていますと、必ずその昇ったところから火災等起すのです。或時等は龍の昇天するのを誰かが鉄砲で打ち落したのですが、それからは主人の素行が特に悪化して来ました。如何にしたら主人のこの悪い行いが良くなるでせうか。之は何か深い因縁が有るのでせうか。御教示下さい。

“龍神は祀ってやってもいい。祀らずに治したい方をとるなら、主人の事は忘れる。そして一人でも多く助ける。それが根本的である。(S25・1・25)

布黒くなる川

“大阪の生駒山に観音堂が御座いますが、其の堂の前に小さな溜池が有ります。最近迄は、池に白布を浸しますと、人によって真黒に染まることが御座いましたが、之は如何なるわけで御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“黒い土があるのである。石炭のような土などある。霊的のものでない。(S24・12・1)

泉水と人命

“私の父親、在世当時中庭に泉水を掘り慰安を求めありたるに、四十三年を最期に他界致しました。(病名は神経痛)その後易者等より、父親の死因は中庭の泉水を掘りたるに原因すると聞かされ、産土神様の神主様にお願ひ、お浄めをなし、埋没致しましたが、この様な事が死因と関係ありませうか。又、泉水はそのままでよいものでせうか。今一つ父親の死因として人様より謂はれます原因は、住家続きの東裏に客間用の二階建があります。東方に住家より高き建物があることは家相上からもその家の不運を招くとの事ですが、事実でせうか。

“泉水が人間の生命に関係はない。埋没してもそのままでもよい。

仙人は霊化する

“寅吉物語にある山の御師匠さんとか左司馬とか言う山人は仙人でもなく霊界人の様で御座いますが、別に人に憑依する事なく寅吉と問答致して居りますが、これは如何なるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“体があって、仙人でない。仙人でも行を積むと霊化する。私も九十歳位になれば、霊化する事をやってみたいと思う。今でも仙人はあるが、現界とあまり交渉しない。後藤道明の弟子に瑞慶仙人あり、絶対菜食で、現界との交渉を断ち山に居ると非常な能力が出る。超人間的な力が出る。今は世の中が変って、斯ういう事をする人はない。  (S24・10・11)

六根清浄

“六根清浄とは如何なる意味で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。 

“体の五臓六腑から出た言葉で、山は昔は神様がお住居になるとして崇めた。仏教など山岳仏教というのがある。殆ど天狗若しくは神様の家来の天狗で、遭難は天狗が怒る。山へ登る時は敬虔な気持で登る。粗相した時は謝ればよい。危険な山だから遭難するのでない。アルプスの穂高は危険な山である。山の神様、天狗に御守護お願いして登る。或る学生が岩を登る時洞穴が開いていて、中に真赤な顔した天狗がいたという話を聞いた。先日の質問中にも雀が家へ来てしようがないという人があった。それは近所の鞍馬山の天狗の眷族が来たのである。  (S23・12・1)