033 霊学篇三 諸霊解説(1)

彼岸頃になる病因縁

“私は三月又は九月(どちらも彼岸の頃)に不思議な程病気にかかります。私は小さい内に母を失い、祖父と従姉妹に育てられました。今はこの人達も亡くなり、亦女学校時代の親友や教え子(学校の先生をした)も五、六人亡くなりました。私は姉の夫の妹の嫁いで亡くなった後に嫁に来たのです。之等亡くなった人達の霊と病気と関係があるでしょうか。

“関係がある。霊界で救われぬ為、頼って救われたいので、其為彼岸などによく憑く。そういう時には出来るだけ祝詞や御讃歌を奏げる。(S24・4・10)

先祖が選んで憑る者

“先祖の罪穢は分家した場合本家よりもずっと少くなるものでせうか。又、多い場合が御座居ませうか。

“分家が多い場合もある。先祖の罪穢をとる場合、人間に憑る場合、善人に憑る。子供でも人の良いのが病気になる。悪い人間は憑っても判らぬ。慈悲の多い者に憑るものである。脊椎カリエスなど、長男でない方へ憑る。罪の引受者に憑る。(S24・7・9)

入信と子の霊

“私は二年前、三つになる長男を亡くしましたので、或る宗教を信仰していましたが、真理が解らず迷っていました処、去る五月親子三人入信させて頂き、観音様のお救ひの貴い事を知らして頂き、感謝致して居ります。最近愛児の死と私達の救はれた事と深い関係がある様に感じさせて貰ひました。私達の生活と愛児の霊界生活との関係について御伺ひ申し上げます。

“斯ういふ事もあるが、子供が斯ういふ事は出来ない。祖霊が正守護神の願を聞いて、子を助ける事がある。子供が親孝行した訳である。(S24・5・28)

祖霊入信を奨む

“妻のカリエスの為本年七月入信致しました五十二歳の信者で御座いますが、元信仰して居りました日蓮宗も捨て切れずに拝んで居りますが、或日妻を浄霊中、自分が霊憑りになり、先祖が出て色々と観音信仰を一生懸命にする様にと言われて居りました。尚、先日は浄霊中の妻の霊が夫に憑り「私は主人が入信して毎日御浄霊をして呉れましたので此処まで上れた(と言って合掌して手を胸の辺に上げ)誠に有難い。然し未だ御守様を頂く資格がないからもう暫くの間御浄霊をして戴きたい」と申しましたそうで御座います。此の憑霊中は夫は半意識の程度であり、妻がはっきりと聞いたそうで御座います。この妻の霊と申しましたのは幽魂が出たので御座いましょうか。又、霊の申しました意味は如何なることで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“奥さんに霊が憑っていたのである。幽魂ではない。祖先の霊が憑ったか、憑っていたかである。「ここまで上れて」とか「資格がないから」というのは謙遜である。お守受けても構わぬ。口をきくのは憑霊である。(S24・10・2)

祖霊浄霊を手伝う

“四ケ月前に入信致しました二十六歳になる岡本正由と申します熱心な信者で御座いますが、最近になりまして他家へ御浄霊などに行きました際、其の家の祖霊の姿が目に映るとの事で御座います。御神体をお祭りさせて戴く頃より自宅に居りましても今から○○さんのお宅へ行き度くなったなどと申して出掛けます。そのお宅の附近へ参りますと亡霊が幻の様に現われ、家の中へ案内するとの事で御座います。又御浄霊中病人の苦痛の箇所など一々感ずるとの事で御座います。こうした現象は如何なる理由に依るので御座いましょうか。お伺い申し上げます。尚、岡本さんは幼い頃両親に別れ、戦時中は母の戒名を右腕に入墨し、飛行兵として出征幾多の空中戦に参加、九死に一生を得て帰還致し、お観音様の夢を時々見るそうで御座います。

“祖霊が手伝う。大いに教わってやるといい。母と非常に霊的に繋っている。母の気持に力がある。祖霊が力を貸すのである。(S25・3・22)

突如不随となる

“六月二十三日、強風のため御神体が外れまして、同時に花瓶が倒れ、御書体の中央(明)の御文字の処一寸四方位を汚しましたので、本日お持ちさせて戴きました。如何致したらよろしゅう御座居ましょうか。其の日当家主人は畑仕事より帰り、風呂に入るべく御光を外しまして裸に成りますと突然全身不随となり、其の夜は一睡も出来ず苦しみましたが、御守護に依りまして二日間の御浄霊で全快させて戴きました。尚主人は六月二十一日、教修を受けたばかりで御座居ます。右の御浄化について御垂示御願い申し上げます。

“祖霊が憑った。憑って浄霊してもらいたいのである。曇りが残っている為に行く所へ行けぬ。それで除ってもらいたいのである。或程度浄めてもらえば目的を達する。この会でも、祖霊の方がズーッと多い。(S24・7・9)

浄霊熱望する霊的患者

“七十四歳の男子、本年三月中風発病、御浄霊により少しずつ歩ける様になりましたが、腰痛がひどく、又、横になると動悸がして苦しくなります。発病以前と異り気が荒くなり、戸を棒でなぐったり子供を押し倒したり致します。夜は安眠出来ません。御浄霊を一日中でも戴きたがります。本人の祖父は十四年間いざりの如くなり死亡して居ります。霊的で御座いましょうか。御垂示御願い申し上げます。

“霊的で、苦しみと、助かりたいのとである。(S24・12・8)

半面欠けた子(入信と祖霊)

“私の兄夫婦(最長兄は戦死し、次兄又戦地より帰り長兄の嫁と結婚して今夫婦になって居ります)が、この二、三年の間私と母が御道に尽させて頂く事を極端に反対して居りましたばかりでなく、その嫂は入信後も屡々悪口を申して居りました。七月十日顔の半面の眼、鼻、口が欠けてペロリとしている恐るべき結果の様な子供を出産致しました。これに依り兄夫婦は心より改心させていただいて居りますが、最近兄が、元気では居りますが段々と痩せて参り、殊に顔が小さくなって参り、又先日母が入浴後御守様をかけるのを忘れて御神前で兄を御浄霊させて戴いて居りました所、急にフラフラと立って真直ぐ仏壇の方へ歩み寄り、家族が声を掛けましたので、正気に復りましたが、手足、腰の自由が利かなくなり、横になっている中に発汗しまして旧に戻りました。我家の曇り誠に申し訳御座いませんが、最近兄に起りました事は祖霊の戒告と思ひますが、どの様な訳が御座いませうか。又、如何致しましたらよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“之は戒告といふよりは祖霊中の救はれないものが兄に憑り、浄霊して貰ひたいのである。祝詞を奏げ浄霊すると救はれる。この信仰に入ると、地獄の祖霊は無茶苦茶に浄霊してもらひたいのである。その為に憑る。出産児は真二つに切られたのが生れ代ったものである――といふより怨みである。半面を切られ、殺された怨みで、祟ったものである。御守護がなかったので、怨みが消えなかったのである。 (S24・8・22)

血の池症状

“二十八歳の女、昨年十二月お産して一ケ月位して体に異状を来し、一ケ月程前から臥床現在に至ります。現在脈搏百二十位、夜は殆ど一睡も出来ず、腹部から首、耳あたりに虫が這う様に苦しく、本人は虫だ虫だと言って居ります。医者は十人位に診てもらったそうですが原因不明だと言って居る様です。本人は後妻で、先妻は後妻の姉にあたり、やはり産後心臓弁膜症で亡くなっています。三、四日御浄霊致しました。苦しくなると顔、首あたりを這い上ると言って狂人の様に手で払います。血の池地獄に居る先妻の霊の憑依の様に思われます。相当医療もしてあり、衰弱致して居ります。お位牌だけ祀ってありますが仏壇はありません。幽世の大神様を御奉斎し、仏壇に御位牌をお祭りすれば御救い頂けましょうか。右、御伺い申し上げます。

“何人医者に診せても駄目である。 虫が這うのは血の池地獄である。仏壇を作り、お屏風観音様をお祭りする。仏壇を早く作るべきだ。人間で言えば住居である。(S25・5・18)

鶏飼無制限の児

“本年二十一歳になる男子、去年の四月より神経衰弱になり、生きものを非常に飼ひたがります。最近鶏をいくらでも飼ひたがり、現在二十六羽居りますが、もっと買えと言って居ります。本年四月、母が教修を戴いてより今までは何にも仕事をせずに居りましたが、一日中仕事をする様になりました。時々ちょっとした事に怒ると非常に母を叩いたり蹴ったりします。如何なる訳でございませうか。

“鶏を沢山飼っていた祖霊が憑いている。  (S24・7・9)

祖霊の言により廃職す

“私は二十七年間鉄道に勤務して居る者で御座いますが、昨年七月家族四人全部が教修をいただき、昨年八月大光明如来様奉斎いたし、妻を主とし家族中近隣の方を御浄霊させて頂いて居りました。昨年八月と十一月会長先生に御出張を頂き、教修会を開いて頂き、御道の御手伝いをさせて頂いて居りました処、本月二十一日突然妻が霊憑りになり、地獄より天国までの事並びに将来の浄化作用の事など口走り、二十二日の夕方御霊徳により平常に返りました。二十四日光明如来様に御伺い致しました処、二十五日限り鉄道の方を退職して御神業に就く様申され、辞表を提出致しました処、当局としても三月になれば整理があるから其の時ではと親切に申されましたが、絶対に二十五日限り辞職せよとの事にて辞表を提出致し、手続きを懇請致しました為、当局としても受理して呉れました。参拝の為昨日明成会本部へ参り会長先生に委細申し上げました処、それは狐霊の悪戯との事にて驚きました。鉄道を退職致して了いましたが、自分としては現在の心境にては教導師を拝命すると言う事は神を冒涜し、将(カツ)亦己をあざむくと思われますが、明主様の御守護を頂きましたなら救世済民に従事させて頂けましょうか。御伺い申し上げます。何卒御守護の程を御願い申し上げます。

“ちょっと早過ぎたように思われる。霊憑りになるのは祖先の中の一人である。祖霊でも焦るのとゆっくりしたのとある。焦るのが狐を使ってしたのである。人間が憑って口を利くのは困難で、大抵狐を使う。焦りすぎたが、専心御神業に進めばよい。(S25・2・28)

憑霊お詫びさす

“一家族十三人の入信、教導師四名、教導師補一名の観音一家、長男の妻、四年前頃より床の間の上に老婆と狸と蜥蝪が現われ、床に就くと右三つのものに苦しめられ、御浄霊により全快、其の後病弱にて今日に至り、去る三日より八日迄憑霊現象、大先祖の老婆現われ、地上天国寸前地獄の祖霊を救わねば一家断絶と申し、八日に法事を依頼、神と先祖と子孫の道、誠心、想念世界の浄霊の仕方を教えました。四日の夜になり、資格者は大浄力を取上げられ、一名は龍神、一名は狸の真似して躍り廻り、大光明如来様の前にて誠の邪道を詫び、家族六人前頭部より血を流し、大混乱を致しました。右は祖霊と副霊の働きでしょうか。又は狐霊の働きでしょうか。御教示下さい。

“狐である。お詫びさせたのは祖霊。こんな事するなら信仰はよした方がよい。(S25・5・23)

母霊の言の信憑性

“私の関係している信徒で井元照子(二十三歳)と申す者の母が十年余り前、幼い子供を残して病死致しましたが、或る霊媒を通じて母の状態を伺いました処「何時も子供の事が心配だ」と申して居りました。成人した本人が入信させて頂き、光明如来様も奉斎させて頂き、御浄霊に従事させて頂いてから、最近又霊媒を通じ伺いますと、涙を流して喜んでくれました。其の際母の申しますのに「お前の身の上に変った事があれば夢で教える」とか又「今年は私の実行しようと思っている事は三分の一位出来ない」とか「来年はとても素晴らしくなって行く」とか申しましたそうですが、普通人の死霊の申すこととて如何かと思われますが、それを全面的に信じて居ても宜敷いでしょうか。お伺い申し上げます。

“大体信じていい。全面的とはいえぬが、間違った所はないから、大体信じていい。(S24・9・8)

子池に落つ(池本例)

“私は今年三月教修受けたものですが、私の次女鈴子(三歳)、先日八月十七日、過って屋敷内二坪程の用水に落ちて死去しました。之は無論地獄に落ちてる事と思います。水死霊はやはり地獄へ行くんでしょうか。

一、右霊を救うには今後如何致せばよろしいでしょう。

一、右用水は埋めたいと思います。そのまま埋めてよろしいでしょうか。

“普通は斯ういう事はなく、落つる所を助かるのが当り前だが、よほど訳がある。犠牲にしなくては罪の大きい塊が除れないというような理由――偶にはある。神様が急ぐ場合、一ぺんに罪の塊をとる場合がある。特に夫の婦人関係の場合など、人間は表面のみ見ては判らぬ。霊を救うには人を助ける。その徳により罪が減る。自分の身内の者を救いたい救いたいと思うと救われない場合がある。釈迦の時代、目蓮尊者が、母が救われぬ。彼は神通力があって、霊界を見ると、いくら自分が努めても救えぬ。外の人は救える。釈迦に聞くと、救おうと思うから救えぬと言う。そこで、自分は一切衆生を救うのが役というので、それに努め、一年ばかり経つと母もちゃんと救われた。自分の身内とか祖先を救おうと思ってると反って救われぬ。先に、年とった女の娘と息子で、二人とも精神病で、娘を助けて普通になった。そして息子の方を助けようとした。それで治療士となりやっていたがはかばかしくゆかぬ。みると自分が一生懸命やっている(外の人はあまりせぬ)私は言ってやった。治療する事は、目的は子供を救う為――それは本当でない。それで割合いおかげが少ない。多くの人を救わなくてはならぬ。大きな見地からやれば救われる。そして、息子が救われればやめようとする様子が見える――それでそう言った事がある。兄の方は大反対で、浅野セメントへ勤めている。そして迷信として全然寄りつかぬ。弟は精神病で、医者へ行っても駄目である。それで、謝って頼むならやってやると――。妹は治っても、寧ろ悪口を言う。息子は段々よくなった。それを自分の方で引取り役立たしめようとした。寧ろ只使ってるとした。そこで私もその弟を返した。その後北海道で弟が暴れた。そのうちに死んだ。(S23)

死者の救いを案ず

“大東亜戦争にて二十年四月七日戦死した長男の霊は成仏し、先祖となり、守護して居るでしょうか。

“不明である。此人の信仰次第で、徳を積まなければ救われぬ。斯ういう事を忘れ、他人を救えばよい。(S25・4・26)

祖霊を救うには

“以前頭脳の具合が悪かった時に、幾人もの霊を観得る人に観て戴いた所、七代前の先祖が縋って来ていると言われましたが、此の霊を救い上げるにはどうしたらよいでしょうか。

“他人を先づ救うべきである。(目蓮尊者)人類愛が大切である。(S24・2・27)

蒼白・血便・不飲の嬰児―犠牲児の症状

“満一歳の男子、二日程前突然顔面蒼白となり、口の附近は紫色となり、其の夜三度血便があり、食物は全部戻して大小便とも少なく、熱はなく、体を回して苦しがり、昨夜は手を頭上に回転させて居ります。医者は自家中毒と言ひますが、霊的のものでせうか。

“祖霊である。言へない霊的原因がある。子供を犠牲にしなければならぬかもしれない。祖霊が子を犠牲にする時は大抵嘔吐である。  (S24・2・22)

祖霊が子孫を殺す場合

“祖霊は子孫を御守護下さる様に承り、其の様に思って居りますが、往々にして其の子孫の断絶する家がありますが、是は祖霊の御怒りにふれた為でありませうか。御伺ひ申し上げます。

“祖霊は断絶させたくないから(種々な事)する。断絶の恐れがあるから、断絶させまいとして罪をとる。その節赤ン坊を犠牲にする。(斯ういふのは浄霊しても効かぬ。赤子で吐くのは駄目と思ってよい)(S24・8・8)

祖先が子の生命除る場合

“祖先の命日によく子孫が死ぬる様なことを聞きますが、何か意味が御座居ますか。

“意味がある。祖先が婦人関係の罪を除る時子供を亡くす。その場合祖先の命令が多い。判らせようとしてする。(信仰雑話にある)(S23.11・25)

御詠歌奏げて苦しむ

“最近富士地方に於て御詠歌が非常に流行致して居ります。信者で近所の人に誘われて御詠歌を練習中急に背中が寒くなり、胃から背中が痛み嘔吐、下痢の浄化を頂きました。数日後他の信者も同じ様な浄化を頂きました。御詠歌に誘われたる場合如何様に致しましたらよろしゅうございましょうか。お伺い申し上げます。

“御詠歌を断わるとよい。それをやめよ――と祖先が気付けるのである。(S25・4・8)

亡父の戒告(夢と奇象)編棒自動す

“昭和二十三年十一月、私と子供六人お光を頂きまして、間もなく、子供六人共有難い疥癬浄化に感謝いたしておりました処、長女(十七歳)が急に反対を唱え出しまして、お光も外して了いましたところ、折角の疥癬も二、三日で引込んで了いました。その長女が去る十二月三十日の夜、八年前食道癌で死んだ父の夢を見ました。その夢はまっくらな台所に向う向きに亡父が立っていまして、声だけが聞えて来ます。長女は大光明様のお祭りしてある次の部屋におりまして、こちらはまばゆい程明るく、亡父の申しますには「お父さんは今とてもつらい仕事をしている。その仕事をつらいと思うと益々つらい仕事をさせられる。けれども有難いと思ってすると非常に楽になり、ものすごい下痢をする。そして、お前達が心を一つにして働いて呉れると、お父さんの仕事もとても楽になって、だんだん良い処へ行けるからみんなで心を合せて働いて呉れ」と申しましたそうで、それから長女も自分乍ら感激致しまして、光明様にお縋りする様になりました。それから三、四日いたしまして、私が御神前の次の部屋で夜二時頃編みものをいたしておりますと、ミシッという音がして、コップにさしてある編棒十本程がビリビリ動きました。是れはどういう風に解釈いたしましたらよろしいものでしょうか。又、この霊を救う為には私達親子はどの様な心掛けが必要で御座いましょうか。御教示願います。

“父がみんなを分らす為にやったのである。編棒は霊が動かした。出来るだけ人を救う事である。(S25・1・17)

六月十五日家畜殆ど死す

“或る信者の家で兎を九羽と豚を二匹飼って居りました処、六月十五日朝起きて見ますと、九羽の兎は全部死んで居りました。別に変ったものを食べさせた事は御座いません。その翌日、又豚が一匹死んで居りました。其の後、家族四人の者が次ぎ次ぎと御浄化を頂いて居ります。何か霊的原因が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“六月十五日は大変な記念日で、昼間になった記念日である。死んだのはもう飼ふなといふ事である。信仰の仕事をせよといふ事で、祖霊がやったのである。大変結構で、その気持で焦らずやる。(S24・8・1)

牛死し青大将小屋に住む

“或る信者さんのお宅ですが、牛が死にまして代りの牛を飼ひましたところ、それからは絶えず青大将が牛小屋に居る様になりました。如何なる意味で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“祖霊が「牛飼をよせ」と望んでいるからである。(S24・10・22)

祖霊戒告、鼠仏壇を荒す、仏壇と身分向上

“仏壇を荒すのは意味ない事でない。鼠とは一つの仕事しているものである。祖霊が面白くないので、気付かすよう、鼠にやらす。気を入れて拝まぬとか――。仏壇は身分の向上、家の良い所へ住んだ場合相応に立派に作り替えねばならぬ。先祖が生れ代るから、祖先の気に入らぬから、鼠を使う。(S23)

猫御神前を荒す(御奉斎の誤り)

“昭和二十二年三月入信し、翌年春光明如来様を御祭りさせていただき、毎月十八日には心からの御祝いを神前に捧げて参りましたところ、昨年夏頃より数回附近の猫が神前の大黒様(開眼を戴きました)の処へ小便をしたり、神前に御供えした鯛を三度も食べられて仕舞いました。最初は怒って、棒で猫を追いかけました。之は如何なものでしょうか。私の不徳の為でしょうか。又は霊的関係に因るのでしょうか。今後如何に致したらよろしいでしょうか。

“どっか間違いがある。順序が違うとか、位置が違ったりすると、先祖が猫を利用して気付かす事が多い。正しい祭り方になっていないと光明如来様の御光が薄れる。古い先生に見てもらうといい。(S25・2・5)

鼠位牌を離れず、布教発展止る、(不満を示す)

“七月十日宍倉家(私の姉の夫の家で私がお預り申して居ります教導所)の仏壇の中に鼠が入り、御屏風観音様を始め位牌を倒し、宍倉家先祖代々の位牌の上に乗って動きません。鼠が乗ったまま位牌を手に持って庭に行き「降りなさい」と申しますと家と反対の方へ行って終ひました。すると翌十一日にはお姿(出世御尊像)をお祀りしてあります部屋の前の松の木に六尺位の蛇の抜けがらが有りました。それから後さっぱり信者がお詣りに参りませんし、出張も無くなりました。何か霊的な訳が御座いますでせうか。

“祖霊が鼠に生れたか、憑依したかである。此蛇は今迄働いていた。昇天したのであらう。或いはどこかへ行ったかである。祖霊中に気に入らぬ事あるか、要求がある。どっか違った所がある。  (S24・7・11)

荒神の社壊る(猫を使う)

“十七歳から七十五歳の今日まで各宗教を信仰し、免状を三十五枚も持って病気を治したり、各家庭の三宝荒神様等の御祓いをして居る人です。その娘が教修を受けて、今熱心にやって居ります。今迄は父の御祓いによって病気も治って居たが、近頃はさっぱり治らず、たまたま父が腎臓で病んで居たのを娘が浄霊で治した処が未だ分らず、毎日光明如来様の小言を言うて居た。今月の二日に娘が父に光明如来様の有難さを詳細に説明して居た時に、大きな物音がしたので、台所に出て見れば三宝荒神様を祭った棚に猫が上り、全部落したが、土間に落ちた花立や水入は破れずに御社が滅茶々々に破壊しました。これは光明如来様の御叱りでしょうか。又は荒神様の御叱りでしょうか。御尋ね申します。

“社が破壊されたのであるから荒神様でない――自分の住居であるから――。光明如来様は決して壊されぬ。光明如来様の光を受け、荒神様の偉力がなくなった。そこで祖霊などが、早く判らす為に猫を使ってそうさせたと解釈してよい。祖霊は種々な手段を用いる。社だけ滅茶々々にするとは、よほど意味がある。気長にお任せして、時を待つ事がよい。

飼猫と子供の浄化(迷える祖霊)

“昨年八月並川先生宅より小猫(白)を貰い、飼って居りました所、約六ケ月目の時に其の猫が仏壇をひっくり返しました。すると間もなく生後四ケ月の幼児(女)が脳膜炎と肺炎の大浄化を頂き、約二週間程にて全快致しました。幼児の浄化中其の猫は「おでき」で亡くなりました。すると今年四月死んだ猫と同じ様な白猫が迷い込み、何としても家を去らず、其のまま飼って居りましたが、五月二十四日又もや其の猫が他の猫に追われ、仏壇の中に入ってしまいました。すると一週間程して同じ子供が肺炎の御浄化を頂き、今は御守護を頂き全快致して居ります。其の後去る二日の夜、御神体の礼拝の時、妻の後頭より左肩に向ってネズミ色の人間のお化けの様な物が被って参りました。其の時背中に水を掛けられた様に感じましたとの事です。如何なる訳で御座いましょうか。

“祖先の霊が迷っている。無縁の霊か何かであろう。猫に憑いている。此家に居たいのである。信仰を一生懸命すればよい。祀るべきものなら知らせる。  (S24・6・9)

鼠や蛇が仏壇に出る事(信仰の戒め)

“某青年、最近非常に信仰が増し、お道に専念したい希望に燃えていた所、毎晩非常に鼠が騒ぎ、そして八月十六日には、仏壇を拝んで居ると、仏壇の側方から蛇が頭を出して居ました。その他鼠が仏壇の中を汚したり、光新聞を噛切ったりしました。その後近所の方を御浄霊して居ると突然手が猛烈な勢いで信者の患部に向って動きます。振れるままに振っているとピタッと止りました。止った時に治ったと言って居ました。霊憑りになりましたが審神しても現在の所正体が判明致しません。右に就き――

“鼠や蛇が出るというのは、此人の信仰に何か違った所があるので、祖霊がそういうものを使って気付かせようとしたのである。よく自省してみよ。それには出版物を出来るだけ読む事である。それに合っていれば、それでよい。

仏壇の御屏風観音様寄りの花枯れる(入信を求む)

“妻は入信(昭和二十年)、夫は未入信の家で御座いますが、仏壇のお花を新しく替え、三日目頃になりますと御屏風観音様に寄った方だけ必ず枯れるのですが、何か信仰上間違いがあるので、祖霊の戒告で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“主人が入信しない為、祖霊が戒告を与えているのである。(S25・5・18)

位牌倒る(入信に満足)

“一、私の母は法華教の信者でありますが、以前より母が経文をあげます時や、普段でも祖父母や戦死した兄の位牌が倒れましたが、私の家に祖父時代よりありました古井戸を井戸換へ致しました時に、お神酒徳利と共に木の目も露はな古位牌が出ましたので、それも祭りました所、それも倒れる様になりましたが、私が昨年七月教修を頂きましてよりは、母が経文をあげる時にのみ、それ等が倒れる様になり、今年に入りましてからはその古位牌のみが倒れる様になりました。

二、然し私が善言讃詞をあげさせて頂きますと何の変化も御座居ません。この様な事はどの様な訳で御座居ませうか。又、この古位牌はどの様にさせて頂きましたら宜しう御座居ませうか。

“祖霊が今迄の信仰などが気に入らぬので知らしたが、此教団の信仰に入ったので知らす要なく、満足した為である。(S24・2・4)

仏壇の不思議(狐霊の業)

“最近龍神、狐霊を一応解決させて戴きました或る婦人の家の仏壇に次の様な異変が起りました。

イ、位牌が自然に前にずれ出たり、倒れたり、又、自然に起き上ったり、左右に向き合ったりすることが頻繁に起ります。

ロ、お供へした食膳の御飯、味噌汁、漬物等が何度も全部無くなって居ります。その信者さんの家は大分乱れておりますが、この様なことは如何なる訳で御座いませうか。

“狐のイタズラである。こういふ事を狐はよくやる。ひどいのになると花を生けても生けても花瓶を倒す事がある。何か面白くない事があるとか、間違った事があると、祖霊が気付かすべく狐をつかってする事もあるから、悪くとってはいけない。早く光明如来様を祭ってもらひたいのであらう。(S24・6・22)

位牌倒る(物質移動)

“私は本年五月二十日夜、自宅にて次の様な夢を見ました。それは「実家の家が東西に揺れ、三回目に西に倒れました。家の者は皆下敷となりましたのに、私は戦死した弟が裸体で現われ、連出してくれました」その夢を見るその十日程前より私の薬指に魚の目が出来て居りました。当地方では内側に出来ると家の者、外側は遠縁が死ぬと申して居ります。又、五月三十日朝、仏壇に確かにあった弟の位牌が長男(二十八歳)の枕元に倒れて居りました。何か霊的因縁でもあるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“夢の意味はなくもないが、余程著しいのでないと気にする要はない。現実でないから確実性はない。迷信ほどではないが、問題にならぬ。(手に魚の目の出来るのはあまりない。大抵足である)位牌の倒れるのは変である。霊には物質移動が出来る。狐に頼むのである。(何か要求があるのであろう。その家の人が考えれば分る筈である。位牌の順序が違っている時など、よく位牌が倒れたりする)(S24・7・28)

仏壇の供水消失す(水要求)

“或る信者の家で毎日仏壇にお水をお供えしますが、時々其のお水が全部無くなります。そして水が無くなってから一週間経つと必ず病が出ます。何か霊的に意味がありましょうか。

“祖霊の中で、龍神になってるのがあって、喉が涸く為に水を飲むのである。病人が出るのは水をもっと欲しいのかもしれないから、もっと水をやってみるといい。

仏壇の水泡立つ

“二十三歳の婦人、御霊徳に依りまして楽に死亡致しました。死後一週間位して仏壇へお供えした水のコップに泡が沢山立ちました。何か意味が御座いましょうか。

“霊が水を飲んだ事を知らしたのである。よく水を上げてやるとよい。(S24・8・9)

仏前の飯消失す

“和歌山県の或る信者が、お詣りに参っている留守中、家族が仏前に御飯を三つ御供え致しました処、その留守中三日間共右の端の一つが消えて無くなりました。何か霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“祖先に三つお供えするのは嘘である。一つでいいので、それを警告したのであろう。物質がなくなる事はあり得る。狐に頼むのである。  (S23・10・21)

仏壇の蛇の怒り(火事と子の病気)

“北原八千代(四十三歳)と言う信者の家で御座いますが、三年程前に蛇が仏壇に入っていたのを線香で燻した所、仏壇の屋根の中に逃げ込んだので、その屋根をそのまま持ち上げて小屋の中に入れておきました所、数日後(四月八日)、八千代の子で五歳になる子供が火遊びし、小屋より発火し火事になり、小屋、工場、住家を全焼致しました。主人の妻、八千代は以前より少し胸が悪くはありましたが、急に喉頭結核に罹り、息子の寿倫(ミチトシ)(二十一歳)は肋膜に罹りました。本年二月末より御浄霊を戴くようになり、二人共教修戴きました。家はバラック建で、床の間がないので御屏風様だけ御祀りして御座います。六月二十二日に御浄霊により元気になっておりました寿倫が、突然手足が全然利かなくなりまして医療(注射、マッサージ)を受けたそうで御座います。数日前より又御浄霊をさせて戴いておりますが、未だ変化が認められません。これは如何致したら宜敷いもので御座いましょうか。

“之は、蛇は祖霊であるから、鄭重にすればよいのにイジめたので怒ったのである。火事を起したのも、病気にしたのも、皆そうである。よくお詫びするとよい。そして、幽世大神様に、人間に生れ代る事をお願いする。子供も、気付かす為にいろいろやったのであるから、出来るだけ祝詞を奏げ、仏壇へ入ってもらいたいと幽世大神様にもお願いする。いけなければ庭へでも祀らなくてはいけない。(S24・7・2)

仏前で倒れる元不動信者

“入信者佐藤イキ(五十六歳)と申す者で御座います。只今娘の嫁入先に同居いたしていますが、亡夫の墓は福岡県朝倉郡秋田町に御座いまして、亡夫の御位牌は其の弟が祭っています。今度亡夫の位牌を自分で御祭り致そうと存じましたが、弟が渡してくれませんので、新しく作り、只今の同居先に於て御祭りをいたして居りますが、仏壇の前に参りますと無意識に倒れます。何か霊的に関係がございますでしょうか。御伺い申し上げます。尚此者は以前不動尊の信者で御座いました。

“位牌を新しくしたらそれで構わぬ。倒されるのは何か目的がある。不動様を祀ってくれというのかもしれぬ。霊界へ行っても暫くは不動様を拝みたいものである。光明如来様をお祭り出来れば霊は自然に転向する。それから不動様を祀ればよい。(S24・10・2)

御屏風倒れ、香灰円を画く(縁談を嫌ふ)

“御神体並びに御屏風観音様をお祀り致して居ります信者で御座いますが、去る三月二十一日祖先のお位牌を新しく作りお祀り致しましたが、三月二十九日朝、御屏風観音様が中央の台(黒色)より落ち、御位牌の前方に伏さって居りました。それから数日後坊さんが見え、お経を奏げた後、当家の家族の者が線香を上げました所、一本は灰になって折れ、他の一本は灰になっても円を描いたまま立って居りました。尚、当家の嫁は数年前死亡致して居りまして、現在はその配偶者の縁談が進められて居りますが、円滑に行って居りません。御屏風観音が台より落ちました事、並びに線香の灰が円を描きました事等、何か祖霊の暗示の様にも思はれますが、如何で御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“嫁の執着が残っていて、縁談があるのが気に入らず知らせる。相当日時も経っているから執着がとれる筈である。も少し様子をみよ。(S25・5・12)

猫御神床を汚す(飼猫を嫌ふ)

“生後三ケ月の猫を貰って間もなく、大光明如来様の床の間に上り水を呑み、お光様の置いてある三宝の上に上り、又はお額の後ろに上ったりして、いくら御浄霊をし、又追払ってもすぐ上ってしまひます。之は如何なる訳でせうか。御伺ひ申し上げます。

“之は猫を飼ふなといふ事である。飼っていい人といけない人とある。この人は飼ってはいけないのである。よく飼っても飼っても逃げられるのがあるが、之は祖霊が嫌がるのである。(S24・9・17)

不慮死の偉人の霊界状態

“イエスやガンジーの様に不慮死を遂げた場合でも、偉大な人は真直ぐ天国へ行けるものでしょうか。又、下山氏の如く屍体がバラバラになった場合、その霊体は霊界に於てどの様になりましょうか。

“イエスは宗教家であるからすぐに天国へ復活した。ガンジーは政治運動をしたが、普通の行り方ではない。大体インド式で、バラモン行者のやり方である。故に一旦地獄へ行って、すぐに天国へ行く。ああいう死に方は相当地獄で苦しむ。下山氏は間もなくくっつく。死後暫くは痛む。遺族が供養してやると割合早く人間の形になる。一週間位でそうなる。  (S23・7・13)

戦犯者死期の相違

“戦争犯罪人として過日絞首刑を執行されました七人が、それぞれ息を引取る時間が異っていた事を報じていますが、其の時の霊は如何なる状態にありますか。絞首台に上る時に已に霊は出ますか。息を引取る時に出るのでせうか。又、其の間霊は苦しみますか。

“息を引取る時間の異なるのは当り前で、人間は体力と、綱が首にかかる場所が幾分違ふから、いくらかの違ひさがある。(昔の磔刑で七回突かれて死ななかったのがある)首を絞められて苦しんだそのまま霊界へ行き、その通り暫くの間なっている。(供養するから幾らか楽になる)然しあの人達は仲々長い。数十年はその状態と思ふ。人間の死の刹那の通り霊界へ行く。只爆弾でやられたのは早い。粉々になったのが数日で人間の形になるが、暫くはボーッとしている。(意識不明)(S24・12・27)

救わんとして溺死した人の死後

“溺れかかっている者を助けに入って死んだ者は霊界でどんな状態になりますので御座居ましょうか。

“一旦地獄へ行くが早く出られる。地縛の霊にはならぬ。

爆死霊の意識

“遠くはなれた県にて三年前爆死したと聞きました御祖母さんの霊を救う方法をお教え下さい。

“爆死したのは粉々になる。まとまるのは割合早いが、爆死の刹那能力を喪失するから痴呆症になる。で、まとまって人間の形になってボーッとしていて、意識がない。始終、善言讃詞を奏げてやると早く意識がつく。その人の生前の徳と、遺族の供養の仕方でよくなる。光明如来様の近くに置く。(S24・1・6)

人柱は地縛になるか

“昔から河川工事や用水工事等で人柱云々の事を聞かされて居りますが、人柱になって死んだ者はやはり地縛の霊と同一に三十年が限度で御座いませうか。尚又これは世の為、人の為と言ふ気持ちが御座いますが、其の功罪は霊界で如何様になるものでございませうか。御教へを賜はり度く御伺ひ申し上げます。

“地縛とは違ふ。自分の身を犠牲にしてやるので、動機善であるから――。自殺には違ひないし、自殺は罪になるから、飛込んで地縛にはなるが、すぐに極楽に行く。自殺は罪であるから、それだけの清算はしなくてはならぬ。(S24・8・22)

変死の六部霊(対処方式)

“私の御導きした信者(田中いく、四十七歳)の所有する畑は、昔、六部塚と言うのがあったそうで御座居ます。今から二ケ月程前から、いくさんがその畑に行くと自然に声が出て仕舞い「念仏」や「六部六部」と唱えて、眼前に六部の姿がそのままに浮んで見え、頭が重く、夜も眠られなくなり、昼も同様で困って仕舞いました。いくさんの家は光明如来を斎り、親子三名御光を戴いて居るのですが、畑に行く度、善言讃詞を唱え、又自宅にて膳を作り、一週間供養致しました処、念仏と六部々々と申す声は未だ消えず、夜は二、三時間しか眠れません。右の霊を慰めるには如何にしたらよいでしょうか。何卒御教示願います。

“六部の霊が未だ救われぬのである。変死で、殺されたものであろう。畠の埋っていそうな所へ行って、塔婆のような印を作り、名をつけて書いてやる。そして水をやり、腹が減っているだろうから何か上げてやり、善言讃詞を唱えてやる。執着の為曇っているのである。半月か一月もやればよい。(S24・8・18)

地縛霊の意義

“自殺した霊は地縛の霊となる事は解らせて戴きましたが、無理心中の相手方の霊、古戦場に残る霊、不慮の災厄死、一室に監禁されて殺された霊、殉死等の霊が其場所に残る事がありますのは、地縛の霊とどの様な違ひが御座いますのでせうか。

“皆何れも地縛の霊である。一切の変死即ち病気でなく死んだものは一切地縛の霊である。無理心中は殺人であるから、心中とは非常に違ふ。

地縛の年限

“私の家は昔武士の屋敷跡で、以前は首切場だったとの事ですが、右の事情を知らず買取り、家を建てた所、昭和十六年十一月二十八日の大旋風にて家は倒壊なし、長女はその時、家の下敷となって死亡致しました。今度は私が突然病気となり、先生の御救ひを求め、光明如来様を御祭りして居りますが、このまま其の処に住んで居ても宜しいものでせうか。御教へ下さい。

“変死の霊がいるから、普通はいけないが、変死霊は普通三十年位そこにいるが、執着が強いのはもっと長い。光明如来様をお祭りすれば、その霊は救はれてゆくから、すると救はれた御恩返しをする事になるから、差支へない。首切の個所だけ石牌か塔婆でよい、印をして、約三年位、一日に一ぺんづつ祝詞を奏げてやるとよい。

地縛霊の憑依

“地縛の霊は、其の場所数十間より移動出来ぬと伺って居りますが、其の地より遠隔の人間に憑依致しますのは、如何なる解釈を致しましたらよろしゅう御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“普通は――。その人間に因縁ある場合には広範囲に憑依出来る。

戦死者霊の死後

“戦死者の霊は如何なる状態にて昇天致しますか。

“やはり戦死であるから、地縛の霊に当る。国家の為という心はいいのであるから、早くそこを退いて一旦地獄へ行き、地獄の修行をして救われる。自殺といっても、動機はいいのであるから、地獄の修行も早く済む事となる。

小児麻痺(縊死霊)

“生後九ケ月でも首が坐らない幼児は先天性小児麻痺と思ひ、先祖に変死者はないかと尋ねましたら、三年前祖母が首を吊って死んだ由、生れ変りでせうか。憑依でせうか。

“注射の為である。生れて間もなくすると、骨の発育が止まる。気長にやれば治る。祖母が首を吊ったとて三年や五年で生れぬ。地縛の霊であるから、何十年後でなくては生れぬ。 

変質地縛霊の祟り、逆柱

“北海道厚田村の或引揚者が役場の厚意で家を借りましたところ、間もなく二人死亡致し、家を変りましたところ、又二人死亡致しました。今度は三度目、矢張り役場の厚意で只今の家へ入る時、妻が玄関を入ろうとすると家の中より棺桶を担いで出て来る影が見えたそうです。そこで妻はその家に入るのは嫌だと主人に申しましたが、主人はそんな馬鹿な事があるか、御厚意だと言い、その家へ入りました。処が二ケ月経たぬ内に子供が又二人死亡致しました。家が変る度に二人づつ死亡致したのですが、何か霊的ではないでしょうか。尚三度目の家は床柱が逆様に建ててあるそうです。

“二人の地縛の霊がいて祟っている。二人が淋しい点もあるし、生きてる奴が癪にさわるというような、心のよくない変態的性質の霊即ち悪霊である。信仰によって救う外ない。光明如来様をお祭りし祝詞を奏げる。逆さの床柱は不可である。霊的に間違っている。柱は肝腎なもので、その原因で家を支え切れず、転落する意味になる。入信して治すべきである。

娘の幽霊

“光映会柏崎出張所に九月十日に出張致しました所、未明頃ふと眼を覚ました折、若い娘の影が私の寝ている蚊帳の外に来て座り、おじぎをして無言のまま立去りました。出張所の人達も時々二階へ階段を上って来る足音を聞く事があると言って居ります。別に淋しさは感じないと申して居りますが、どういう霊の仕業でしょうか。御伺い申し上げます。

“地縛の霊で、変死者である。祝詞がいい。(S24・10・3)

梁の真下に寝てうなさる(恐怖と副霊)

“梁の真下に寝るとうなされると或人が信者の知人に聞き、以前宿泊致しました時に梁の真下に寝てみたそうで御座います。十時過ぎからうなされ、二時頃位置を変えて寝てみますとうなされず、朝迄休まれたそうで御座います。霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“梁に霊がいたのであろう。縊死者などの霊か、又は天井にでも変死者の霊がいたのであろう。人間は恐怖を抱くと副守護神がいたずらするものである。(S25・1・22)

嬰児霊の憑依症状(流動物のみ摂る)

“或る家の三歳の長男、現在流動物以外の物を食べると吐出してしまいます。家庭は血族結婚も続き、相当の悪事もやってる様です。何か霊的の関係でしょうか。

“血族結婚は差支えない。赤ン坊の霊が憑いてるので、流動物以外食べられぬのは赤ン坊通りになっている。死産をして祀られなかったり、不純な子を産んで殺したりなどすると、祀られぬから居所がない。そういうのは子供に憑り易い。憑ると赤ン坊と同じようになる。濃く強く憑るのと、あっさり憑るのとあるが、これは強く憑ってるようである。

四ケ月流産児と背寒(祀り)

“姙娠四ケ月で流産(本年六月上旬)した漁師の妻(三十二、三歳)、翌日から四十度以上の発熱となり、時々下るのですが、特に夜中の三時頃になると急激に熱が上り、背筋に悪寒が甚しく、食欲もありません。今迄に二回浄霊をさせて頂きましたが、私は死児の霊が憑いているのではないかと思いますが、此場合、霊を慰めるには如何にしたらよいでしょうか。此人は流産後胎児の死体を家族にも知らせず、お墓の傍に埋めたまま戒名も付けず、供養も致しません。

“普通は五ケ月から祀るのだが、子供によっては三ケ月からいろいろな知らせをするのがある。これもそうである。早速お寺へ頼んで戒名をつけてもらい、簡単に仏壇に祀ってやる。墓の側へ埋めたとすればそれでよい。ただ、祀ってやらなかったから居所がなかったのである。背筋が寒いのは死霊に決っている。

小児的な婦(*)人

“私の弟、十八歳より神経衰弱になり、唯今三十歳ですが、未だよくなりません。私は二十一年に御光を戴き、それ以来御浄霊はして居りますが、以前に動物のように出歩いて居たのは治りました。然るに又本年六月中頃より、又外へ出歩くようになり、やる事為す事が子供の様であります。然し今度は夜分はよく眠るようですが、如何なものでしょうか。今後どういう様にしたらよくなるでありましょうか。御教え願います。

“子供の霊が憑いている。それで年は十八でも馬鹿みたいである。名の付けようがないので神経衰弱にした。普通になるのは難しいが、或程度よくなる。御神書を読ますのがいい。(S24・7・15)

智能低く霊見える児(転生の幼児霊)

“十三歳の女子、生後一週間目に大病で医師に見放され、不動尊行者に頼み、生命は助かりましたが、発育が遅く、現在でも身長は七、八歳の子供位です。言葉ははっきり致しませんが、記憶力はあります。智能程度は低く四、五歳位です。行者の話に依れば、本人には幽霊が見えるそうです。又、一度母がその子供を背負って一週間程前に死亡した人の家の前を通った時、その子供が「オバケ」と絶叫して母の背にしがみついたそうです。この子供は不浄の場所を嫌い、葬式やお産の処に連れて行くと必ず帰ってから四十度位の熱を出して苦しむそうです。この様な時行者か祈祷師に頼み、川に塩と米を少量流すと不思議に熱は下り、平常に復するそうです。又、行者の話に依れば、この子供の口が自由に動かないのは神様が止めているからで、神様が御許しになるまでは決して良くならないとの事、又、この子供の事に就て、行者が祈り始めると五色の僧衣を着た僧侶が行者の眼前に浮ぶそうです。如何なる訳でしょうか。

“四、五歳位の幼児の死者を、近親者を査べればある。供養を怠ったなどで憑いたのである。此子には霊が見えたのである。憑いてる子供の霊は、その前の世で神主とか、坊さんとかの職業のものが生れ代ったのである。或いは行者のようであって、その性格が残っている。それが死後霊界へ行って、龍神となって、四、五歳位の幼児に生れ代ったものの霊である。塩や米を好むのは、龍神に関係があるからである。霊が人間の口利けぬのは多分に龍神の性能が残っている。五色の僧衣――これである。

寝小便・無月経・発育不全の女

“二十四年九月入信した岡部郷子(十六歳)と申す女学生で御座いますが、母親と義兄も入信致して居ります。現在、寝小便並びに幼児の時より心臓弁膜症で、少し運動をすると動悸激しく、全身発育不全にて、月経も御座いませんが、コシケが毎日下りて居ります。家庭にて毎日御浄霊を頂いて居りますが、あまり効果が現れない様で御座います。又、兄(二十九歳)は精神病にて、三年前より家でブラブラして居り、姉(義兄の嫁、三十一歳)は気管支喘息にて十五年前より悪く、今日迄御浄霊を頂き、最近は起きれる様になり、兄も少しはよくなりつつあります。尚二年前、祈祷師にみて貰ひました所、南無阿弥陀仏と書いた軸物(三代前より伝はった品)を焼いてしまったからだとの事で御座いますが、何か霊的な意味が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“理由なく焼くと、怒って祟る事がある。ひどい祟りはない。赤ン坊の霊が憑っている。その状態が出て、心臓が悪くて死んだもので、大抵父なし子などで、曰くある死児で、祭られず居所がないのである。寝小便、無月経、発育不全等はその状態である。五、六年やれば一人前にならう。だんだん浄まってゆく。十五年も経ってるから固まっている。薬も入ってるが治る。(S25・4・21)

火弄り・裸を好む少年(親の心配の解決)

“十八歳の男、三歳の時より病弱、発育も遅れ、足立ちも遅く、頭が悪く、小学校も行けず、十七歳の中頃より着物、パンツ等全然身にまとう事を嫌がり、火なぶりが好きにて、釜端にかがみ込んだりして、主に家の中で遊んで居ります。如何なる因縁でしょうか。

“赤ン坊の霊が憑っているのが一番多い。次は動物霊である。前頭部の奥を浄霊せよ。子供と同じように智能が低い。親が信仰を深くして人を助ける。親の曇りがとれると、親が心配する材料がとれる。又、光明如来様の御部屋へ寝かすようにする。普通になるのは判らぬが、どうやら一人前にはなる。

左肩張る(赤子)

“私の妻は教修をいただきまして以来五年間、引続き左肩が張ってとれません。祝詞を奏上致しますととれますが、一時間程しますと又もどります。如何なるわけでございましょうか。

“赤ン坊がブラ下っているような症状である。子供の霊は肩へブラ下っている。祝詞を奏げると離れるのである。(S24・5)

双子の一人背痛

“娘富美子(十七歳)、双子に生れ、一歳の時一人は死亡致しました。只今夜尿症にて、昨年十一月私が入信させて戴きました。其の時娘の背中が大変に痛みました。昨年十一月より私が一生懸命御浄霊させて頂いて居りますが、未だはっきりした事が分りません。なお死亡致しました双子の一人の位牌は祀ってございません。何卒宜敷く御守護御願い申し上げます。

“その赤ン坊が憑いてるかもしれない。祀ってやるとよい。(S25・2・18)

引付けて片言

“本年八歳の女子、昨年の九月初旬、引付けを起し、それより口が利けず、本年の九月五日より三回の御浄霊を受けてより毎日一回づつの引付けあり、四日目には一日に四回の引付け、その翌日よりお父ちゃんと申す様になり、一日に二十回位その言葉を繰返して居ります。医者は小児麻痺と診察致して居りますが、此の儘の御浄霊で宜しゅう御座いましょうか。

“赤ン坊の霊である。(S24・9・13)

手伝いは出来る低智能の子

“十一歳になる女の子、家事の手伝ひは非常によく致しますが、学問は自分の名前すら思ふ様に書けないので御座居ますが、如何なるわけで御座いませう。

“霊が憑っている。大抵赤ン坊の霊が憑ってる場合が多い。智能が赤ン坊程度で、発育しない。気長に前頭部、延髄をすればだんだんよくなる。(S24・11・19)

毎定時に幼児の如くなる娘

“十八歳の未入信の娘で御座いますが、昼間は普通人と変りない勤務を致して居りますが、毎夜一時頃になりますと起き上り、精神病状態になるので御座います。この状態は一年位前から起ったのだと申します。毎晩必ず母親だけを起し、幼児の駄々ッ子といった様な状態で、どんどん近所で迷惑する程音をたてたり、訳のわからぬことを言って母親を責めたりして、三時間位続けるそうで御座いますが、朝になりますと又普通になって出勤するとのことで御座います。職場では珠算が優秀だとの事で御座います。十四歳の時或る処で轢死体を見て、それ以来棺桶を見ますと背中に水をかけられた様な寒気を感じ、憂鬱症になったと申します。父親はチフスで数年前に死亡し、先祖には思い当ることも無いとのことで御座います。如何なる原因で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“一時頃に死んだ霊である。赤ン坊の霊が憑る。母親に覚えがある筈である。音立てて赤ン坊の状態を表わす。お寺で戒名付けてもらい祀るといい。  (S24・10.2)

泣き続け唾液出す婦人

“今年二十五歳になる洋服商の娘、二年前より悲しい悲しいと言って毎日泣く様になり、頭が重くて気分が悪いと言って、遂に床に就き、現在では、蒲団をスッポリ被って、いつも左の人差指を口に入れて温和しく寝て居ります。半月程前から御浄霊をして居りますが、御浄霊二回目から顔を蒲団の外に出す様になりました。近頃は御浄霊の際「ハッハッ……」と笑い出し、又多量の唾液を出して居ります。本人は元はおとなしい娘で、両親は死去し、叔父夫婦が同居して居ります。家族の話に依ると、以前に外国船で飼って居た黒猫を貰って来ましたが、四、五年前ヒヨコを盗ったと言うので、叔父が此の黒猫の首に縄をつけて殺した事があり、「その黒猫の霊が怨んで居るが、叔父は強い頑固な人なので娘に憑って居る」と言う事であります。私は出来る事なら救ってあげたいと思いますが、如何にしたらよいでしょうか。御教え願います。因みに、此の猫は英語は判ったと言う事であります。

“猫の霊ではなく、赤ン坊で祀られていない霊である。多量の唾液など出すのはそうである。猫の霊とすると、斯ういう状態ではない。寺へ頼み、戒名をつけてもらって祀るとよい。(S24・5・15)

赤児の霊(小児麻痺症)

“私の叔父に半次郎といふ者があります。子供が七人あり、その次女(十五歳)が小児麻痺に似た状態に成って居ります。人の言葉はよく聞けますが発言が三歳位の子供よりおろかです。父の話に依ると、私の家の先祖に半次郎と言ふ者があり、其の者が或時に行方不明に成って居る様です。叔父はその名を受継いで居ります。現在の半次郎は先祖半次郎の霊を祭って居りますが観音様の事は大変嫌って居り、御浄霊は受けません。如何にしましたら行方不明の先祖及び子供が救はれますでせうか。お教へ下さい。

“半次郎の霊とは関係ない。行方不明になったのは祀ってやればよい。子供の霊が憑っている。死産、早産、流産など、祀られていない霊が居所がなくて人間の身体へ憑いてくる。すると子供そのままの状態が写る。査べてみて、それを祀ってやる。光明如来様をお祭りすると、その光によって、迷った霊やいろいろの霊が霊界で救はれてゆく。それが大きい効果がある。(S24・10・27)

産後腹部膨満(人工流産の婦人)

“会員菅野あさ(二十八歳)、出産後三ケ月腹部膨張、臨月程の大きさにて、起きていると呼吸困難になって来ます。殆ど付き切りで腎臓部及び腹部の御浄霊をさせて頂いておりますが、一進一退にてはかばかしくないのでございます。一度人工流産(三ケ月)をした事がありますが、霊的のものでございませうか。

“腎臓を充分にすれば治る。霊的と両方あり、霊的とすれば赤ン坊の霊がお腹へ載っている。霊で成長するのである。人工流産は殺人である。三ケ月でも祀ってやるといい。大抵五ケ月以上だが、三ケ月でも祀るのがいい。(祟るのがある)  (S25・5・3)

赤ン坊霊憑依

“山腰登(十九歳)は、七月十六日野球見物に行き、日光の直射を受けて帰宅後発熱三十八、九度位を上下し、御浄霊を致しますと二、三時間は少し下りますが、又熱が昇り、食事は進まず、次第に衰弱します。前頭部が非常に痛み、後の方は熱もありません。御浄霊を続けて居りました処、八月二日頃より睡気がして譫語を言ふ様になり、八月四日より意識が、不明確となりました。此の間両親は祝詞を奏上し一生懸命でしたが、心配の余り最初三時間、次は五時間程冷やしたり、医師を呼んで葡萄糖を二十本ばかり注射致しました。それ以来譫語の中に「赤ン坊が上に乗って居るから、重いから早く除けてくれ」と叫び、又赤ン坊の事を何や彼やと申します。此の家は両親も本人も入信して居り、七月十八日には光明如来様をお迎へして居ります。右の原因及び如何にしたら御救ひ戴けませうか。御教へ願ひます。

“赤ン坊で迷っているのがいるのである。流産、早産、死産等で祀らぬのがあり、祀ってもらひたいのである。五ケ月以上のものは全部祀らなくてはいけない。戒名を作って祀ってやると簡単に治る。(S24・8・8)

引付けから発音不如意

“私の信者に四歳の頃発病して、当初は時々引付け、次第に回数を増すに従ひ頭を悪くし、言葉も自由に発音が出来ず、現在では発音不能になりました。先般来御浄霊を十回程受けましたが未だよくなりません。霊的でせうか。又は御浄霊の方法を御教へ願ひます。

“霊的である。赤ン坊の霊である。口が利けぬなら死産か流産の霊である。祀ってやるとよい。度々霊が憑ると頭が悪くなる。(S24・8・28)

寝時震える(死産児あり)

“三年前に入信した女(二十七歳)、夜床に就くと間もなく体中が大きく震えて来て中々止まりません。以前に子宮を手術した事もあり、又四人の子供を死産し、腹膜に悩んだ事があります。右の原因と浄霊法を御伺い致します。

“死んだ子の霊である。子供の中の一人か、誰か祀らないのではないか。霊が迷っているから、居所がなく、人間に憑きやすい。寝てから、死の直前の形を表わすのは死霊で、今にも死ぬような気持になるものである。流産したり死産したりしたのは必ず祀らなくてはいけない。 (S24・5・4)

胃の背部肩に圧迫・体揺れる

“私事、本年八月三日夜十時頃出先にて突然胃の背部より肩にかけて締め付けられる様な圧迫感が起り、体が前後左右に振れ始め、自己以外の苦しみの声が出ました。十五分位続きまして明方五時頃まで断続的に起りました。御浄霊を頂きますと止りました。それ以来少し無理をしたり深く考え事などした場合体が非常に疲れ易くなります。此の様なとき、前額部首筋より肩胸部腹部など前面より御浄霊を頂きますと体が前後左右に振れ、呼吸困難となります。天津祝詞を奏げて頂きますとすぐ止りますが、天津祝詞が終りますと再び起り、一通り御浄霊が済みますと非常にさっぱりして、楽になります。只今のところ月二、三回右のようになります。右は如何なるわけでございましょうか。御教示御願い申し上げます。

“前からやると反っていけない。後からやる。赤ン坊の霊がかぶさるようである。流産、死産等で祀らぬ者が、兄弟とか身内の関係にそういう霊があるかを査べる。(S24・10・19)

肩張る―流産児

“私の左肩の張るのに就きまして一ケ月程前御伺ひ致しました処、流産せしことなきやとの御言葉を戴き、兄弟など親族を調べました処、故人になりました母親が七ケ月で男児を流産したことがございました。又、以前に日蓮宗を信仰したことが有ります。狐霊に何か関係が御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“それであらう。祀ってやった方がよい。  (S24・8・29)

流産児霊による病気

“四十五歳の女、三年前より医学的に病名不明にて床に着き、現在に至るも体の自由は全くきかず、半年前より御浄霊をさせて戴いております。最初は頭痛、腎臓、腹膜部に非常に苦痛を伴ひ、数度鼻血、肛門より出血、其の都度苦痛は和らぎ、現在では体的に殆ど苦痛なく、時々肩、胸部、足部に苦痛を訴へ、御浄霊を致しますとすぐに取れます。右胸部は盛上り、胸骨はふはふはと柔く、腹部は非常に膨らみ、その膨らみが胸部へ込み上げてまいります。十年程前に盲腸を手術、その所が円く膨れて居りますが、御浄霊を致しますとすぐに平常状態になります。熱は平熱で、脈は百、食欲は普通でございます。最初から御浄霊を致しますとお光が見え、数度全身の震へが激しくなったことが御座います。一週間程前より御浄霊を致しますと掌、前頭部、お守様等より神様が見える、神様が見えると申しておりますが、口の利き方はまるで子供と同じで御座います。如何なる訳でございませうか。

“脈が多過ぎる。流産した子が憑いてる。戒名を付け、簡単な葬式して位牌を作り、祀ってやればいい。手術の際の毒が胸部へ込み上げてくる。一日も早く祀る。(S24・7・29)

夜泣きの子

“本年三歳の子供、毎晩一時間位続けて夜泣きを致しますが、御浄霊をさせて頂きますと二十分位にて泣きやみます。其の子供の姉兄三名は七ケ月位にて次々と死産致しております。夜泣きは其の為で御座いましょうか。

“その為である。五ケ月以上の流産児は祀らなくてはいけない。(S25・3・3)

脚気より眼吊上げ首座らぬ小児

“高橋幸子(七ケ月)、生後四ケ月位してより緑便十日位続き、心配の為、医師の診断を受けた処、乳児脚気と言はれ十日位で良くなりましたが、其の後六月十日頃突然一日中朝から泣き通し、夕方になりましたら目を吊り上げ、以来毎日十回以上も吊り上げる様になり一週間泣き通し、十日程で目の方は大分良くなりましたが、それからは首がぐらぐらして坐らず、医師は診断の結果脳性小児麻痺と言はれました。色々手当を致しましたが全然効果なく、一昨日より浄霊を始めました。現在一日に数回目を吊り上げ、智恵も普通の幼児より相当遅れて居ります。右は如何なる原因でございませうか。御教示御願ひ申し上げます。

“緑便は結構である。乳児脚気処でない。首がグラグラするのは早産か流産で祀らない霊が迷って憑くのである。よく査べて祀ってやるとよい。(S24・9・9)